質問一つ

(「ぶっくれっと巻頭エッセイ」NO.125号 1997 JULY)

阿川佐和子

 「そうか、今度から質問は一つにしてみよう」

 仕事で知り合った会社の取締役の紳士が、合点したという表情でおっしゃった。コトの発端は私の発言にある。インタビューの仕事をするにあたって、何を心がけているかと訊ねられた際、応えたのである。

 それは、かつてテレビのアナウンサーに教えられた言葉であった。すなわち、インタビューをする前は、質問を一つだけ用意して出かけなさい、十項目も二十項目も準備して本番に臨むのはよくない、必ず失敗するよと。

 当時はそんなアドバイスをいただいたところで、とても怖くてにわかに実行できなかった。ゲストを目の前にして、会話がプッツリ途切れたときのことを想像するからである。手に質問条項を記したメモを持ち、一つずつ消化していくほうが安心だ。万全の体制を整えることが大事なのだと信じ込んでいた。

 ところが実際、メモに従ってインタビューを進めてみると、ゲストが喋り出したとたん、こちらは油断する。おお、応えが返ってきたぞ。これでひとまず安心だ。さて、次は何を聞くんだったっけ、と、相手の言葉に相槌を打ちつつ、頭のなかでは次の質問について考えている。当然、話を聞いていない。だから応えて下さった内容とはつながらない質問が、次に飛び出してしまうのである。「なんだ、コイツ、俺の話を聞いていないじゃないか」とゲストは気をそがれる。ならば適当に応えておけばいいだろうと熱意を失う。こうして対談の内容は、おざなりの、ほどほどのものになってしまう危険性が高い。

 「だから質問は一つ。そうしておけば、次の質問を探すために一生懸命相手の話を聞くようになる。一生懸命聞けば、おのずと次の質問は浮かんでくる。そしてしだいに聞き手と語る側の気持ちがつながって、会話がはずむようになるはずだ」

 先輩アナウンサーの忠告を、なるほどそうだと実感したのは、その後十年近く経ってからのことである。そんな話をしたところ、件の取締役の紳士がおっしゃった。

 「よし、今度、新入社員の採用面接のときに実行してみるよ。こりゃおもしろそうだ」

 彼曰く、最近の面接は、誰もが要領を得ているせいか、質問すると、おそらくこんな答が返ってくるだろうと予測できる答しか返ってこない。突拍子もない反応がないのだそうだ。

 「しかし考えてみれば、聞く側も、決まり切った質問しかしてないんだからな。なぜ、この会社を選んだのとか、入社したら何をやりたいのとか。たしかに聞き方にも問題がある」

 紳士は深く納得し、来るべき面接試験に意欲を燃やし始めた様子である。が、私は少々不安になり、訊ねてみた。

 「で、何の質問から始めるおつもりで?」

 「そうだな、たとえば『君のネクタイ、いいねえ。それ誰の趣味?』なんて、どうかね」

 そりゃ、いいですけど、なにせ面接時間は短いに違いない。はたしてそこから始まって、目当ての話題まで到達するだろうか。私とて、基本は質問一つだが、お相手や所要時間によって、さらに複雑な戦略がないわけではない。私の話を気に入ってくださったのはありがたいけれど、来年になって、その会社の新入社員の責任を取れと言われたらどうしよう。

 「優秀な人材が集まりますよう、お祈りしています」

 ニッコリ笑って、そそくさと退散した。

(あがわ さわこ・エッセイスト)

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