死活問題

(「ぶっくれっと巻頭エッセイ」NO.124号 1997 JUNE)

阿川佐和子

 先日、電車に乗っていたら、隣に親子連れがいた。中学生くらいの男の子と母親である。その母親がひどく不機嫌なのだ。眉間にしわを寄せ、息子を睨みつけている。

 「アナタは『みんながこういう格好してる』って言ったけど、どこが『みんな』なのよ? 誰もアナタみたいなみっともない格好、してないじゃないの」

 見るとなるほど息子は当世流行の、ダボダボジーパンを腰のあたりまで下げてはき、上には同じくダボダボジャンパーを着ている。

 「そういう格好、あたしは大っ嫌い!」

 どうにも耐えられぬといった口調で吐き捨てるように言う母の横で、息子は黙ったきりである。するとしばらく後、また母親が口火を切った。

 「この間の漢字テスト、よくあんな点、とってきて平然としてられるわね。あれって死活問題よ。わかる?生きるか死ぬかっていうくらいの問題なのよ。なのにあなたは……」

 私は思わずその母親の顔を見た。死活問題は大袈裟でしょう、お母さん。お気持ちはわかりますが、漢字テストの一つや二つ、零点を取ったところで死ぬことはないと思う。母親の顔からパンして、今度は息子の顔を見る。すると彼は相変らず無気力な表情で、外の景色に目をやるだけだ。

 何も感じていないのだろうか。そんなことはないだろう。おそらく無視しようと努力しているのである。もしかして、母親の口から発せられた『死活問題』という言葉の意味について空想を広げているかもしれない。その後大人になってから、この言葉を使うたび、少年はその日のことを思い出すのである。母親の声も蘇るだろう。

 「『死活問題』という言葉を、僕は子供の頃、電車のなかで母に叱られているときに覚えました」

 きっと彼はそう応えるに違いない。

 私にもそういう言葉がある。父は子供が何かをしでかして、あるいは態度が気に入らないと、必ず同じ台詞を吐いた。

 「誰のおかげで生活できていると思っているんだ。親の言うことが聞けないのなら出てけ」と、ここまでは息子も娘も共通だったが、その先、娘に対してだけ、この言葉が続く。

 「出ていけ。そのかわり、のたれ死のうが女郎屋に行こうが、俺の知ったことじゃない」

 初めてその言葉を投げつけられたのは、たしか中学の頃だったろうか。当時、女郎屋がどんなところか、はっきりと認識していたわけではなかったが、おそらくそんなところであろうとおぼろげに想像はついた。出ていけと言われたのだから、思い切って出ていこうか。しかし今の自分の貯金から考えて、たしかに数日後にはのたれ死ぬかもしれないし、その『女郎屋』なる場所へ行かねば生きていけないかもしれない。そう思うと不安になり、家出を思いとどまった。

 今でも『女郎屋』と聞くと、同時に父の声が蘇る。もはや一人立ちをして親の家を出た身に、その台詞を吐かれる機会はなくなったが、私にとって『女郎屋』は、苦くて可笑しい記憶と重なる格別の言葉である。

 母親に叱られる少年は、とうとう最後まで口答えをしないまま駅を降りていった。私自身、最近の若者には腹の立つことばかりで、寛大な大人という自覚はないけれど、あの少年だけは、ちょっと気の毒に思われた。降りていく背中をそっと叩き、「めげるなよ」と囁きたかった。が、やめておいた。

 もし私に息子がいたら、あの母親と同じことをしていた可能性が皆無とは言えないからである。

(あがわ さわこ・エッセイスト)

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