三人で語る 新明解国語辞典

柴田武・赤瀬川原平・如月小春

(「ぶっくれっと」127号・128号掲載)


柴田武(しばた・たけし 東京大学名誉教授)
赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい 画家・作家)
如月小春(きさらぎ・こはる 劇作家)

 国民的辞書の生い立ち
「新解さん」の発掘者はSMさん
 公明正大を超えるもの
 辞書は文明批評
 辞書から社風か見えてくる
 国語辞書の親亀
 言葉の生命力を見極める
 言語情報から人間を推理する



 用例のできるまで
 辞書灰皿論
 日本語教育のための辞書
 ど明解国語辞典
 コンピユータ的危険な間違い
 辞書は成長する
 「ぶっくれっと」一覧
  新明解国語辞典 第五版

国民的辞書の生い立ち

如月
今日は『新明解国語辞典』をめぐって、編者の柴田先生と、ベストセラー「新解さんの謎」をお書きになった赤瀬川さんをお迎えし、あまり専門にわたらないように、自由に、あるいは気楽に、お話合いをしようということになったわけです。まず柴田先生から、この辞書の成り立ちについてお話しいただけますでしょうか。

柴田
そうですね、ちょっと長くなるかもしれませんが、『新明解国語辞典』の歴史ですね。これは最初、昭和十八年です。まず「新」のつかない『明解国語辞典』というものが出た。そのころ三省堂に『広辞林』というよく売れた辞書がありましたが、これは大きい辞書で、それに対する『小辞林』という、小さな、ポケットに入る辞書があったんです。これの語釈が文語で書かれていた。その文語を口語に書き直し、さらに編者の金田一京助先生、私にとって先生ですけれど、金田一先生の企画で、発音というか、音声について他の辞書にない考えを盛ったものが、昭和十八年に出ました。

その文語から口語への書き換えは、当時大学院の学生だった見坊(けん/ぼう)豪紀(ひで/とし)さん(この人はのちに『三省堂国語辞典』の主幹になります)がひと夏で書き換えたそうです。そして編集の仕事も終わって、印刷をしようとしたところが、昭和十八年というのは紙がないんですね。つまり統制経済のころですから、紙は配給です。そこで、どういういきさつがあったのか知りませんが、海軍が持っている紙の枠をもらって、その紙で初版を出したという。ですから、とうてい欲しい人全部に渡るということは望めなかった。そういう時代です。

それから戦後、一九五二年に改訂版が出て、このころから非常に評判が高まったと思います。そして新装版と称するものが一九六七年に出ました。私は、ここまでをこの辞書の第一世代だと思っています。

ついで一九七二年に、「新」という字がついた『新明解国語辞典』が出ます。これが、赤瀬川さんが「新解さん」と名づけた、山田忠雄さんの編集主幹ではじまった辞書の初版になります。一九八九年にはその第四版が出て、そしてこの十一月三日に、第五版が出ることになっています。『明解』から数えて、もう五十年以上になる。その上、出版総部数が一七〇〇万部だという。

そういうことから、この『新明解国語辞典』は「国民的辞書」だというようなことが言われはじめております。事実、一九七三年にコンピュータが導入されて、電総研(電子技術総合研究所)で、辞書をコンピュータに入力しなくてはいけない、電子辞書というものを作らなければいけないということになって、一冊この『新明解国語辞典』が選ばれたんです。現在は無数に電子辞書ができておりますが、最初の電子辞書の対象になったのがこの辞書だった。そういうことで、なるほど「国民的辞書」ということになるのかなと考えております。

さて、さっきの見坊さんも亡くなりましたし、山田忠雄さんも昨年二月に亡くなったということで、第二世代もこれで終わる、今度の第五版で終りということになります。二十一世紀はこの辞書の第三世代ということになります。

「新解さん」の発掘者はSMさん

柴田
そして第四版が出ている間に、ハプニングが起こりました。『新解さんの謎』という本が現れたことです。(笑)

如月
この本のおかげで、三省堂では、『新明解国語辞典』の売り上げが前年比一四〇パーセントになったとか。

柴田
そうですか。私には実感がないんですが。(笑)それはともかく、この辞書はもともと高校生以上を対象に、学習辞書をねらっているわけですね。ところが、『新解さんの謎』が出てから、アダルト用にもなっちやった。(笑)つまり、大人も「何が書いてあるかいな」と、買う人が出てきたんです。

如月
赤瀬川さんは、どのようなきっかけで、こういう本をお書きになったんですか。

赤瀬川
ぼくはあまり勉強するほうではないんです。ただ、ひととおり高校まで行ってますから、最初は『明解』だったと思うんです、まだそのころ「新」はついてなかったですね、たしか。もともと絵を描くほうですから、あまり細かく調べて勉強というタイプではないんです。

それでも、誰かが辞書のおもしろさというのを書いていて、その例が『新明解』だったのかな。いろいろ興味あるものですから、たとえば「右」の説明でしたっけ、アナログの時計の文字盤に向かったとき、一時から五時までの表示のある側という、おもしろい言い方だなと思いました。それはもう、だいぶ前ですね。とくに『新明解』という意識はなかったんですが、なんか辞書というのは案外おもしろいものが隠れてるなというのを、チラッと思ったんです。ただ、ぼくはあまり、最近誤解されて辞書に詳しいと思われてるんですが、(笑)全然そうではないんです。

それで、『新解さんの謎』については、あれに書いてある通りに、知人の教え子の女性編集者がいて。

如月
SMさん。

柴田
実際にあの人物がいるんですか。私はお話かと思ってました。

赤瀬川
いるんです。あの通りなんです。ぼくも、それまでいろいろ、観察が好きなんですよ。それで路上観察とか、その前はトマソンというものをいろいろやったり、活字の世界では宮武外骨という、明治、大正、昭和のジャーナリストといいますか、おかしな雑誌を自分で発行しながら、おもしろいものをやってた人がいるんですが、その人のことはけっこう古本屋に行って探して読んだりとか、いろいろやったんです。まあ、それも一種発掘する楽しさですね、観察して発掘するといいますか、隠れているものを探し出すのがおもしろい。

そのSMさんも、ぼくのことをよく知ってたんです。その感覚ですね。世代はずっと若いんですが、ときどき手紙をくれたりしていた。そして彼女が『文藝春秋』の編集部に転属になって、自分の仕事を張り切って、「私はこれを企画する」というのでもって来たんです。いろいろ下調べをして、「これはぜひ先生に書いてほしい」っていう。SMさんは、自分の学生時代から、どうも不思議な魅力のある辞書だと思っていたらしいんです。あの通り、要するにあれに書いた通りなんですよ。

如月
実話なんですね。

公明正大を超えるもの

赤瀬川
SMさんもおもしろい人なんですよ。本当は、作家とか表現する側にいったほうがおもしろいような人なんです。だから、こういう物を拾う感覚があるんです。こういうものを拾うのって、創作的な力がないと駄目ですよね。こういうもののなかからおもしろいものをつまみ出すというのは。

それで最初は、例によってよくあるらしいんですけど、学生時代に男の生徒が彼女に、「ちょっと辞書貸して」と持って行って、わざと性的な項目に赤線引いて返してくる。(笑)半分いたずらのような、メッセージのような、そんなことですね。その男の子も、ちょっとちょっかい出すのでやったら、おもしろいんで、そこからずれて辞書に入り込んで行っちゃった。彼女のほうも、独自にそうは思っていたらしいんです。何となく不思議な表現のある辞書だと。

ぼくらの持っている、辞書というものに対する先入観ってありますね。公明正大とか、中立とか、あり得ないことなんですけどね、実際には。でも何かそういうのがあって、それに対して、そうではない、もちょっと踏み込んで書いてある。そういうニュアンスが、「あれっ」と感じたけど、そういうはじめての感じって、自分でも自信がないですよね。錯覚かもしれないし、誤解かもしれないし、自分だけの思い違いかもしれないと思っていたら、彼がそういうことをやってきたので、「あ、やっぱり他の人もそう思ってるんだ」と、そのへんから積極的におもしろい項目を抜き出しはじめた。

そういうことがあって、自分が雑誌の編集部に移ったので、これは誰かに書いてもらおうと、前々からぼくに目をつけてて、「やらないか」と。ぼくのほうもおもしろくなっちやって。

柴田
じゃ、ちょっと共同制作的なものがあるんですね。

如月さんは、この『新明解』との出会いというのは。

如月
いつ手に入れたか分かりませんが、ずっとこの第三版を使っていたんです。少し小さいですよね、三版は。

柴田
いや、判型はいろいろあるんです。

如月
私の持っていた小さい三版は、そうとう長く使っていると思うんですよ。持ってくればよかったんですが、でもそれは持って来られないほどぼろぼろで。 今はこっちのほうの四版を使ってます。

柴田
よく使っていただいた。

赤瀬川
勉強するほうですね。(笑)

如月
辞書っていうのはいくつか使っているんです。子供のころから、いくつも持っていたんですけど、やっぱりいつの間にか使いやすいものにまとまっていくというのがあって、最近はなぜか『新明解』が手元にあったんです。別に柴田先生がお作りなっているからということではないんですが。(笑)

辞書は文明批評

柴田
そこで私の名が出ましたから、どうしても言っておかなくてはいけないことがあります。たしかに、編者の一人として私の名前が並んでいます。しかし、この名前の出ている人たちが平均にこの辞書に関与してるわけではないんですね。この辞書はもっぱら山田忠雄という人の辞書です。もっと具体的に言いますと、全く関与してないわけじゃないんで、『明解国語』のときに、私は「な行」以下を担当しました。「な」から「はまやらわ」。

如月
昭和十八年の辞書ですか。

柴田
いや、戦後の改訂版です。そのときは三人関係しておりまして、手分けして、私は一番最後のところを担当した。それで、私が原稿を書いて山田さんに渡しました。その限りでは、私は関与してます。ところが、山田さんは、すべての項目に完膚なきまでに修正を加えた。私が書いたところは跡形もないわけです。 跡形もないというのはちょっと言いすぎですが。

もっとも、誤解があるといけないから申し上げますけど、私は『新明解』の初版が出てから、読んで気がついたことを月に一回は報告しろと山田さんに言われて、それを実行していました。しかし、本文に関する限り、山田さんは絶対、私の提案を受け入れなかったですね。私は何らかの形で貢献したいものですから、第四版のアクセントは私が全部やりました。また、方言に関する情報も自分から進んで整備した。それから、俗語とかそういうスタイルに関しての情報も私がずっとやってました。そういうものは山田さんは全然手を入れないで、全部採用された。

しかし、本文のほうは、直接言って駄目。山田さんのところに毎日のように通っていた編集者を通じて言っても駄目。ですから私、途中で止めたんです。そういう本文に関する進言というのは、一切止めました。本文に関する限り、いわばこの辞書は山田さんのワンマン編集なんです。

赤瀬川
主幹というのはそういうものですか。

柴田
いや、必ずしもそうではないんですけど、山田さんは本当の主幹で、その主観がちょっと混じってる。(笑)それでね、そのことがかえって良かったと、私は思うんです。というのは、いわば個性あふれる辞書になった。辞書というのは、現代ではお金を使って短時間に作る。大勢人を集めて、君は「あ行」、君は「か行」と、分業ですね。これでは関係も、脈絡も全然つかないんです。一貫したものが出ない。ところが『新明解』は山田さんの個性あふれるもので、辞書として一つのまとまり、きちんとしたものがあるんですね。

それは過去の辞書では『大言海』、とくにその前身の『言海』がいまだに有名で、使える辞書なんですけど、これは大槻文彦という一人の人間が執筆したんです。やはり一人が何らかの形で全体に目を光らせるということが、いい辞書を生む基本だと思う。それに、山田さんの場合は、私も三回か四回直接聞いた記憶がありますけど、「辞書は文明批評だよ、君」と。文明批評ということが出てくるんです。

赤瀬川
感じますね、ほんとに。

如月
読んでおもしろいところですね。

柴田
だいたい、そこにひっかかる。

赤瀬川
そうなんです。ぼくはそのとき、山田さんとか、誰がどうということは全然知らなくて、まあ金田一さんの名前が有名ですよね。でもとにかく、読んでいてなにか、だんだん深入りしていくと、人格を感じてくるんです、一人の。

柴田
人間が見えてくる。

赤瀬川
でも、山田さんがそうだとは、書いてないし、はっきりは分からなかった。

辞書から社風か見えてくる

如月
だいたい辞書がどういうふうに作られるものか、ふつうの小説なんかと違って、全然分からないですよね。「あ行」が誰で、「か行」が誰でなんて、ふつうは分からない。

赤瀬川
山田さんは昭和十八年のときも関わっていたんですか。

柴田
昭和十八年以後のことだと思いますが、さっきの見坊豪紀さんと同級生だったので、手伝いをするというのがはじめだったようです。だからあくまで助力者であって、見坊さんが主体でやった。ですから、『明解』と『新明解』というのは、全然雰囲気が違います。

私はそういうふうな関わり方をしてきて、今度、山田さんが亡くなったものですから、どういう体制でやるかということで相談を重ねたんですけど、編者のなかでは私が一番年上ですから、まあ私が引き継ぐことになった。しかし、主幹ではありませんよ。(笑)山田さんとは三年か四年、違います。私が大学に入った年に、向こうは大学院の一年生くらい。しかも、山田さんは国語学が専門、私は言語学です。ただ、ある一つの演習で一緒だったことがあるという、学生のときはそれだけのことでした。言葉をかけあうこともありませんでした。

それが、十年以上たってから、山田さんから声がかかった。どうしてそうなったか分かりませんけど、大先輩が、『明解』の編集に加わるよう誘いに来られたんです。「じゃ、編集会議に出ます」と言って出たのが運のつき。今日のような鼎談になりました。(笑)

赤瀬川
でも、辞書にもなんか社風みたいなものってあるじやないですか、会社とか編集部とか。この『新明解』はいろいろおもしろいことがあるんですけど、たとえば魚の項目で、いろいろ科学的に書いてあって、最後に[おいしい」とか「うまい」と。何だか可愛いんですよね。(笑)

これは金田一春彦さんが書いておられたと思うんですが、三省堂の辞書の場合は、ただ科学的に分析するだけでなくて、日常にある状態を表そうとしている。ふつう一般人は魚の分解図を見るわけじゃなくて、まず食べるものとして見るので、「おいしい」というのは意識的に示してあるんだ、みたいなことを書いていた。やっぱり社風というか、なんか要するに、できるだけ具体的にという態度が強いんじゃないですか。

柴田
やはり生物学の辞書じゃなくて、国語の辞書だということですね。ですから、「男」とか「女」の説明は大変なんです。「花」が一時、「植物の生殖器」と書かれていた。

如月
間違ってはないですね。(笑)

柴田
私は「朝日新聞」でからかったことがあるんです。それなら、「花束をあげましょう」とはどういうことになるんだ。(笑)これは、話は簡単なんです。アメリカの「ウェブスター」に従うと「生殖器」で、それがイギリスの「オックスフォード」に従うと「きれいな色といいにおいを持ち、季節になると枝の先に開く」となる。こういう基本的な項目、「花」とか「右」とか「左」とかいうものが、大槻さんの『言海』では「ウェブスター」に従った。日本の辞書はその伝統をずっと受け継いできたんですね。だから「朝日」でからかったら、それから一斉に「オックスフォード」になりました。(笑)

如月
外国の辞書ともつながつているわけですね。どの国にも『国語辞典』はあるわけで、言葉をどういうふうに辞典にまとめるかということは、それぞれ工夫があるんですね。世界中にいろんな言葉があり、辞書があるけれども、日本の辞書の源流はイギリスかアメリカになる。

国語辞書の親亀

柴田
そう、外国のをちょっと借りてくるのはまだいいんですけど、国内の状況はひどいんですよ。もし、大きな書店へ行って三万円もお出しになれば、十数冊の辞書はたちどころに手に入ります。小辞典ですが、それを並べて任意の項目を引いてごらんなさい。みんな同じです。漢字が仮名になっていたり、仮名が漢字になっていたりはしますが、しかし多くは引き写しです。

それを山田さんは『新明解』初版の序文で、「親亀こければ子亀もこける」と、痛烈に書いた。「親亀の背中に子亀を乗せて、子亀の背中に孫亀乗せて」とありますね。あれで、『新明解』を親亀にして、あとはみんな真似じゃないかと。これは辞書編集に関係している人たちに大変なパニックを起こしたんです。

如月
そうなんですか。

柴田
山田さんはそういう意気込みなんですよ。だから、真似ばかりしてるのはけしからんじゃないか、自分で考えろと言った。これは、山田さんは自分で考えたから、「真似なんかするな」という意気込みなんです。それは確かにそうですけど、ふつうはそういうことは言わないんですね。私も気持ちは全く同じですけど、そういうことは書きません。(笑)それを、山田さんは実行した人です。

如月
じゃ、これは本人の個性だけではなくて、そういう主張があってできた辞書なんですね。

柴田
辞書自体が主張だった。

赤瀬川
オリジナルということなんですよね。ぼくなんかよく知らないんですけど、『言海』もそうなんですか。『言海』と『新明解』、オリジナルというのはその二つぐらいだとか。「知識人」の呉智英がそんなことを言ってました。

柴田
それから、山田さん、稚気満々というところもあるんです。「何々家」という接尾語としての「家」の項目で、「身分の有る家柄であることを表す(広義では、普通のなんでもない人についてでも言う)」と、そこまではいいんです。次の用例なんですが、最初に「山田家」、その次に「宮家」、その次に[将軍家」。私だったら、出すとしても自分の家は最後に置きます。ここなんです、稚気満々というか。

赤瀬川
おもしろい。

柴田
玄人筋には大変おもしろがられている。

如月
玄人でなくてもおもしろい。(笑)

柴田
こういうのもあるんですよ、「更年期」。「女性がそろそろ太りはじめや成人病の事などを気にするようになる時期(普通の人は、四十五、六歳ごろから)」と。これは、あまりにもビビッドですね。

赤瀬川
ストレートに分かる。日常生活の感覚だけで分かる。これはやっぱり偉大ですよ。

言葉の生命力を見極める

柴田
辞書のもう一つの問題は、新しい言葉を採用すること、これは実に簡単なんです。採用することよりも削ることが難しい。たとえば『イミダス』とか『現代用語の基礎知識』とか、そこから拾って全部載せると決めればいいですね。そうではなくて、そこからどれを採り、どれを捨てるか、この捨てるということの辛さ。

赤瀬川
枠が決められているから、収拾がつかなくなる。

柴田
そうです。小型辞書としての制限があります。厚くなれば値段も高くなるし、高くなれば売れなくなる。こっちも計算があります。(笑)それから一つ削ると、関連する項目があるから、他のところ全部調べなければいけない。そういうこともあって、今まで載っているものを削るのはなかなか大変です。

赤瀬川
本棚と同じですね。(笑)少しは捨てようと思うけど、これとこれは関連がある。

如月
読まないものも多いんですけどね。

赤瀬川
これは義理があるし。(笑)

柴田
ある大辞典で、古語も現代語も一切を載せている有名な辞書がありますが、これは版を重ねるごとに厚くなって、今回は紙を薄くすることで逃れましたが、これ以上ページをふやすことはできないという。もう限界なんですね。そうすると、これからも新語は採り入れなくてはいけないから、削らない限り、二冊になる。そうなったら売れません。

如月
使いにくいですものね、二冊は。電話帳がそうです、厚くなるし、分冊になるし、家に置いて使えなくなりました。

柴田
そこで、削るということが出てくる。これは大変です。

赤瀬川
捨てるのは勇気がいりますね。カメラでも、捨てられないから棚がふえていって、本当はどれかを処分しないと駄目なんですが。処分はしたいんですけど。

如月
赤瀬川さんはカメラがお好きなんですね。ライカですか。でも辞書の場合、今度こういう言葉が入りました、ということは二ュースになります。それが、いかにも辞書の新しさみたいに思われる。反対に、こういう言葉を削りましたというのは、あまり宣伝にならないでしょうね。しかも、削るほうが実は難しいという。

柴田
それから、新聞を読んでいて新語が出てきますと、どうかなと。しかし、一過性のもので、辞書に載せたのにすぐ使われなくなったりすると、それは恥ですよ。

如月
逆に言うと、言葉の命というか生命力、そういうものを見極めるという仕事が辞書の編集にあるんですね。

柴田
だから、ある程度使ってからだといいですけど、急ぐとだめです。今度、O-157は入れました。

如月
話題になりそうですね。

赤瀬川
エイズはもちろん入ってるんですね。

柴田
もちろんです。O-157はおもしろい言葉で、Oというところに振り仮名をしてるんです。かっこしてオーと書いてある。それはゼロと間違うからです。ローマ字に振り仮名をするというのはおもしろいでしょ。これ、私が書きました。Oは何だと思いますか。私も知らなかった、勉強して書いたんです。

如月
楽しみですね。

柴田
O-157は大丈夫だろうと思うんですが、すぐ使われなくなると駄目なので、その判断というのは、本当に賭です。

赤瀬川
先を読むのは難しいでしょうね。

柴田
これまで、この辞書の欠点というと、外来語が少ないということだったんです。

赤瀬川
なるほど、それは山田さんの範囲じゃない。

柴田
外国語に対して、非常に禁欲的でした。

赤瀬川
たしかに性格は和風ですよね。

柴田
それは今度ふやしました。やはり引いて載ってないというと、使用者から抗議がくるんです。

如月
外来語はどれくらい採り入れるんですか。

柴田
ちょっと、数はなんとも言えませんけれども、日本語の語彙のなかで外来語の占める割合は、一時は八パーセントと言われた。それが最近、国立国語研究所で、テレビのすべての時間を録画して集計表を作ったんです。テレビといってもいろんな部門がありますが、娯楽部門で十三パーセント、これは大変な数字です。

如月
一割を越えた。

赤瀬川
娯楽のほうが多いんですか。

如月
スポーツ番組なんか多いでしょうね。長嶋さんなんかがしゃべったら。(笑)

柴田
それは報告書が出ています。一月くらい集計したのかな。パーセンテージはかなり安定したものでしょう。『新明解』では八パーセントを目標にしています。

言語情報から人間を推理する

如月
さっきのお話で、「新解さん」が山田忠雄という人だったということは、連載中、最後までお分かりにならなかった。

赤瀬川
どうも山田さんというのが怪しいなと思ったんですが、これだけの人たちがやってますし、ただこの本が出る前に、ちょっとそんなことを三省堂の人に、出版社の人が雑談的に聞いたかもしれませんが。

如月
直接お目にかかるということはなかったんですか。

赤瀬川
ないです。それは興味がありますから、雑誌に載ったときに向こうも読んでくれたみたいで、ちょっとお会いしたいみたいなことを間接的に言ったら、「まあ会わん方がええでしょう」(笑)

柴田
山田さんは百パーセントお会いにならなかったでしょう。メディアとかマスコミが嫌いでしたし。

赤瀬川
何か雑誌に載ったときの印象とかお聞きになりましたか。

柴田
聞いてないです。そういう機会がなかったですね。そういうことに触れると、きっとご機嫌悪いだろうと、こっちからは言いませんでした。山田さんのほうから話題を出してくれたらよかったんですが。まあ、山田さんが亡くなったから、こうして山田さんのことを話せるんで、生きておられたらこんなことは言えません。怖い人でした。

赤瀬川
怖いでしょうね。亡くなってから出た三冊、『私の語誌』ですか、あれは凄いですよ。

柴田
だけど、若い人思いのところがあった。

赤瀬川
それは感じるんです。可愛いといっては失礼なんですけど、本当に人肌みたいなものを感じますね。

柴田
何か頭の上のほう、出発点のところに、ある枠を持ってらっしゃった。それから自信たっぷりというところがありました。

如月
強い父親のような。

柴田
ぐらつかないんです。私なんかいつもぐらついて、その場その場で変わるところがあるんですが、それがなかったですね。ですから、ある意味では分かるんです。こう言えば何が出てくるかということが、長く付き合っていると分かります。だから、逆手を使って、こちらの思うほうへ持っていくこともできた。そういえば、攻めやすいといえば攻めやすかった。

如月
でも、辞書をお作りになった側として、「新解さん」のように読まれるということは、どんなお気持ちだったでしょう、そこが知りたい。

柴田
まあ世間では『新明解』がからかわれたと思ったかもしれませんが、言語情報から人間の心理を分析するということですね。その一つの試みとして、大変成功した例だと思うんです。一種の言語情報だけから、果たして一体何者かを推理する。ちょうど脅迫状で犯人を当てる、というと品が悪いんですが、(笑)その品のいい例が「新解さん」だと思う。それが非常に当たってるんですね、あの人物像は。だから余計、山田さんとしては赤瀬川さんに会いたくなかったんじゃないですか。もし当たってなかったら、「おれは違うぞ」といって、(笑)会っていらしたかもしれませんね。

用例のできるまで

如月
ぜひお尋ねしようと思っていたことですが、この辞書はおもしろい用例がたくさん出てきますね。ついつい読みふけってしまうわけです。これは、どうやって決めていくんでしょうか。

柴田
用例については、ある辞書は文学作品からの実例主義をとつているものもありますけれども、これだけで通そうとすると、実際には不可能なんです。文学作品から引くと、長くなっちやうんですね。

赤瀬川
『新明解』でも「ぬるぬる」でしたか、長い用例がありますね。

柴田
文学作品では、「春が来た」というような短いセンテンスは滅多にありません。春が何々何々して、最後に「来た」となる。それから、「おたまじゃくし」という言葉の例を日本文学全集から探そうとしたら、これまた大変です。

如月
そうすると、そういうときは作るんですか。

柴田
自分の頭で考えて作る、そういう楽しみもあります。

赤瀬川
「新解さんの謎」を書いたときには、いくつか投書がきたんです。用例が、夏目漱石のどうのこうので、「こんなことも知らないのか」って。(笑)ぼくもそうだろうなと思っていたんですが、それを綿密に調べて、書いてくる人がいるんですね。

如月
新解さんの読書傾向が分かる。

赤瀬川
分かります。そこがおもしろい。

柴田
おっしゃるように、用例のおもしろいことがこの辞書の特徴ですが、非常に危険なところもあります。たとえば、女性差別になるような、「女みたいな」といった例ですね。これは私、今度削りました。

赤瀬川
それは残念。(笑)

如月
柴田先生はフェミニストだから、今度は逆の例になるかもしれない。(笑)

柴田
それから民族関係で、「アイヌ」に「日本の先住民族」と入れるとか。山田さんはあまり人と付き合うということをしなかったから、そういう配慮は、なんというか、あまり深刻にはお考えにならなかった。

まあ用例に個性が出るということでは、こういう一例を知っています。ある教科書会社から出た辞書で、中学生向けの学習辞書です。なんと、用例の九十パーセントがスポーツ用語。編者がスポーツマンなんです ね。「あやうく」の用例に、「あやうくセーフだ」なんてね。

赤瀬川
自分の生活範囲から作る。

如月
そういえば、用例だけ、わりに自由にできるという感じはありますね、辞書の中で。

柴田
だから、如月さんが辞書を作ったら、用例は劇のことばかり。しかし、決して過激にはなりませんね。(笑)そういうものなんです。それは複数の人が見て、チェックしないといけない。

赤瀬川
でも、あまり平均化してしまうのも。なんか特色があってほしいですね、読者としては。

如月
読者とおっしゃるところが、やっぱり「新解さん」。(笑)ふつうは辞書の場合、利用者、使用者ですね。辞書の読者という観念をもってきたのがこの辞書でしょうか。孤独な編者はいたずら好き

柴田
これは辞書作りの内幕になりますけれど、辞書を編集し、語釈を書いたり、用例を書いたりという仕事はきわめて単調で、孤独なものなんです。また、辞書に深入りすると、論文が書けないといいますが、これは本当ですね。だから山田さんもあまりお書きにならなかった。それは一項目、一項目が論文なんです。私は全巻通してはやってませんが、口はばったいようですけれども、山田さんの仕事、そのご苦労はよく分かります。孤独な仕事なんです。だからときどき、いたずらをしたくなる。(笑)

赤瀬川
いいですね。

柴田
ですから、これは今絶版になっている辞書、意味を今日のように詳しく書くようになった最初の試みの有名な辞書なんですが、その編者は当用漢字、現代仮名遣いに反対だった。それで「当用漢字のようなくだらないものを」と自分の辞書の用例に書いた。(笑)ほかの多くの辞書は当用漢字でない漢字には、印をつけて区別することになっていますが、それをつけなかったんです。だから、学校で採用されない。結局、いい辞書なんだけれども、絶版になってしまいました。

如月
そういう孤独な仕事に耐えられる方って、変人が多いんじゃないですか。(笑)そんなことないですか。

柴田
変人かもしれませんね。(笑)コツコツと、ひとりで何かしてる。辞書用の。

如月
辞書用の人格。(笑)

赤瀬川
整理癖というか、やっぱりきちんと整った、はみ出しや欠けが嫌いという。

柴田
昔、冨山房から出た『大日本国語辞典』の編者は辞書ばかりやった方ですが、机に向かって原稿を書いてる、時計を見て、「あ、時間だ」と学校へ行く。帰ってくると、「ここからか」と、またその続きをやる。この繰り返しの生活だったといいます。

赤瀬川
完全に乗り換えができるんでしょうね。

柴田
西田幾多郎もそうだったそうです。哲学書を書いていて、時間がきたら文を途中で止めて、帰ってすぐ続ける。だから繰り返しが多いんですね、西田哲学、『善の研究』など。

如月
カーッときてバッと書いて、次の日ボーとして何にもしないという性格では辞書はできない。(笑)

柴田
爆発的ではなく、こう持続する人でないといけない。また、そういうふうに性格を変えられる人ですね。

赤瀬川
でも人間って、どうしてもあるものですよね、盛り上がりの波が。

如月
けっこうストイックな人ですね。それがときどきいたずらをすると。

赤瀬川
そういうことをやらないともたない。

柴田
『新明解』の「経世」の項目を見ましたら、「経世家」の語釈で「今どきの政治家とは異なり、常に国家百年の大計が念頭にある政治家」。ここですね、「今どきの政治家とは異なり」と一言多いんです。

赤瀬川
でも分かりやすい。明解です。(笑)

如月
イメージがわきますね、具体的なイメージ。

辞書灰皿論

赤瀬川
あと俗語なんかどうですか。流行り言葉というのは使い方ですかね、「チョー涼しい」とか。これも最近はあまり使わないか。

柴田
俗語もかなり拾ってますが、これもやっぱり主幹の好みで、もう一つの辞書、『三省堂国語辞典』のほうが多く入ってます。それは見坊豪紀さんの方針で、たとえば改訂のときに、「ABCD」を入れた。「A」がキスで「B」がペッティングという、あれですね。「I」まであるんだそうです。で、それを出そうというとき、私と金田一春彦さんはそろって猛反対した。でも、見坊さんは頑として載せました。それは週刊誌を見れば、もういっぱい出てくる。その用例を拾ったカードがもう何枚にもなる。これはふつうの言葉だから載せるんだとおっしゃって、やったんです。今も載ってます。そういうこともあって、わりと俗語は拾われてます。 それから、あまり気づかれないかもしれませんが、『新明解』には、付録に「外国地名一覧」というのがあるんです。これはよく変わるんですね。ビルマがミャンマーになったり、首都が変わってみたり、国によっては微妙なものを含んでるので、抗議がくるんです。これは非常に神経を使います。

赤瀬川
投書かなんかですか。

柴田
まあ、抗議や圧力はいろいろあるんですよ。辞書には別の圧力がたえずかかります。かつては差別語で、裁判なんかもやってますし。

赤瀬川
今はちょっと過剰気味ですね。そういう細かいことに、本質を外れて、チョコチョコと。

柴田
それはやはりデモと同じで、効果があるところを狙いますから。

赤瀬川
でも、そんな小さいところだけをやってもしょうがない。

柴田
辞書は、相手にするのには都合いいんでしょうかね。たとえば、「老人語」という、類義語を区別するために使う表示があるんです。たびたび出てくる。そうすると、そこを読んだ人が、この語を使っている自分は老人かと、(笑)非常に抵抗があるらしい。
如月

そうでしょうね、そう感じますよ。

柴田
でも「古語」ではないんです。古語というのは奈良とか平安朝の古い言葉です。それで、あるときマスコミが「老人語」を取り上げて、からかおうと思ったんでしょうね、山田さんのところへ取材に行った。山田さんはマスコミを全然受け付けません。で、私のところに電話をかけてきたんです。「いや、これは山田さんの発明なんだから、ぼくから申し上げることは何もない」と答えておきましたが。

如月
辞書というのは、外側を見ただけでは選べませんよね。どういう特徴があって、という説明があればいいけど、ふつうは誰かが使っているからとか、プレゼントでもらったというのが初めての辞書との出会いです。だから、一つ一つの辞書が、それぞれはっきりした特徴をもっていたほうがいいと思いますね。

柴田
私は昔、「辞書灰皿論」というのを書いたことがあるんです。今、灰皿はちょっと流行りませんけど、昔はどの部屋にも灰皿があった。そのように、どの部屋にも辞書を置きなさい。そして、それを全部違った辞書にしなさい。そうすると、まずすぐに辞書が引けます。二階の本棚の一番下の右側に辞書があったんじゃ誰も引きません。(笑)それが食卓でもパツと引ける。そして、ちょっと引き比べてみる。そうすると、半分はおもしろいけれど、半分はがっかりするでしょう。がっかりというのは、みんな同じだからです。本当に同じ。これが、辞書灰皿論。今、灰皿を何に変えたらいいか考えているんですが。(笑)

日本語教育のための辞書

如月
今また、どんどん新しい辞書が出てますね。

柴田
大きな辞書の方針は変わりませんが、小辞典の発達ぶりというのは、もう大変なものです。なぜここまで変わったかというと、日本語教育なんですよ。日本語教育で、日本語を勉強する学生ではなく、教える先生ですね。学生のいろんな質問に答えなくてはいけない。それで辞書を引くんです。昔の辞書は「あがる」を見ると「のぼる」と書いてある。「のぼる」を見ると「あがる」と書いてある。(笑)そういう辞書は本当にあったんですよ。今もかなりあります。

赤瀬川
堂々巡り。責任転嫁ですね。

柴田
そうすると、これまでは先生のほうも、ある程度それで誤魔化せたわけですよ。従来は、辞書をどういうときに引くかというと、忘れた漢字を探したり、あやしくなった漢字を確かめる、そのことだけだったんです。それを明らかにしたアンケートがたくさんあります。ところが、日本語教育をこれからやりたい、あるいはやっているという若い人たちに、辞書をどういうときに引くか、アンケートをとってみました。「意味を知るため」というのが「漢字を確かめる」よりも多いんです。もうびっくりしましたね。

それで、外国人の学生に作文を書かせると、「富士山にあがりました」と書いてくる。違う、「のぼる」だというと、「先生、辞書に同じと書いてある」。(笑)そこで先生はそうとう深刻になった。そういう、意味を正確に知りたいという人たちが出てきたんです。それは、この『新明解』が早くからやってきたことですけれど、今の新しい辞書は、どの辞書も意味をよく区別するようになりました。「あがる」と「のぼる」を区別しない辞書はなくなった。「こす」と「こえる」はどう違うか。これ、分かりますか。

如月
どう解説するか。

柴田
これは、ウィーンから来た学生にやられたんです。バスに乗って、一緒に南アルプスに旅行して「先生、今バスは山を越えたんですか、越したんですか」とくる。私、とっさに答えられなかった。東京に帰ってから調べたんですが、今は『新明解』に書いてあります。「こす」は、ただ山の向こう側に移ること。「こえる」は山の向こう側に移って、その先へ進むこと。

如月
越えて、まだ先があるんですね。

柴田
という類のことがいろいろあります。ところが、全部そういうふうに書けるかというと、たとえば「素っ裸」と「真っ裸」。これ、分からないです。これで苦労したんですね。

赤瀬川
もちろん意味が違うんですよね。

柴田
私にとって違うんです。もともと関東が「素っ裸」で、関西が「真っ裸」というような、大まかな違いがあるらしいんです。私個人にとっては、「真っ裸」というのは、本当に裸です、一糸もまとわない。「素っ裸」は何かつけていてもいい。というのは、私は名古屋の出身だから、東京の「素っ裸」のほうを、ちょっと上品な言葉に受け取っているらしい。ところが、東京生まれの方とか、他の方は違う。

赤瀬川
言葉の使われ方の違和感ってありますね。前に高尾山に登って、てっぺんでみんなご飯食べてますね。端に行くと相模湖かなんかが見えるんです。そうしたら子供が「お母さん、相模湖が丸見えだよ」。(笑)何だか相模湖の肌着がめくれて横たわっているような、(笑)変な気がしました。そんな微妙なニュアンスですね、やっぱり違うことは違うんです。

柴田
ところが辞書というやつは困るんで、この「丸見え」はおかしい。おかしいけれど、それを多くの人が使うようになったら、どうするか。その判断ですね。だから「誤って」とか、「丸見えは間違い」とか、そういうコメントをつけなくてはいけない。それをどの段階でつけるかと、悩みますね。

ど明解国語辞典

柴田
たとえば、「来れる」と。若い人はみんな使っている。どうしたらいいか。

赤瀬川
ら抜き言葉ですか。

如月
見れる、食べれる。(笑)

柴田
来れる、見れるはどう扱うか。国語審議会に従う必要はないわけです。現実にどうか。そのへんの扱いですね。

赤瀬川
やっぱり間違いという感じはしますよね。でも、そのまま定着するのかどうか。

如月
私なんかは間違っていると思うけれども、やっぱり今接してる学生は、もう間違いだと考えない人のほうが圧倒的に多い。

柴田
山田さんは嫌ったでしょうが、『三省堂国語』のほうは、「来れる」だけ認めています。「くる」の可能動詞として示している。しかし、「見れる」は認めてない。そういう見解だったんです。

赤瀬川
言葉によっても違うんですね。

柴田
これは「来れる」から始まったんです。「来れる」から「見れる」にきて、「考えれる」というのは、まだそこまではいってない。長い単語はまだ「れる」にはなっていません。

如月
方言なんかも、昔に比べると、言葉の流通が激しいというか、その地方だけで使われていると思われていた言葉が、マスコミを通じて全国的にパーッと広がったりしますよね。

柴田
「しんどい」なんか、もう関西だけの言葉じゃないですね。

如月
この間、うちの三歳の子が言ってました。「ああ、しんどい」。(笑)

柴田
「どまんなか」も出てます。

如月
いつの間にか入り込んできてるんですよ。

柴田
「もと、大阪方言」と書いてある。

如月
「ど」がつくと大阪なんですか。

赤瀬川
「どついたる」とか。(笑)

如月
「ど根性」。

赤瀬川
「ど明解」としたらどうです。(笑)

如月
赤瀬川さんは、あちこちお住まいになったんですよね、たしか。

赤瀬川
育ちは九州方面なんです。横浜で生まれて、芦屋、門司、大分と。大分で育った。おふくろが東京だから家庭では標準語、戦時中のね。だから、体に染みた方言というのはとくにないんです。

如月
そうすると、辞書にそれを頼るんじやないですか。というのは、いわゆる標準的な言い方を辞書で引いて頼るというのは、俳優なんかにあるんですよね。アクセント辞典じゃなくて、これでどういう言い方をするのか、やっぱりそうだと確認するようなことが。そういう使い方もやってますね。

赤瀬川
それはそうですね。ぼくなんかも文章を書くときにやっぱり意味で引くことが、まあ漢字が多いですけど。漢字とか仮名づかい、送り仮名はわりと自由にやってますけど。意味で強調して、あえて間違えて使うにしろ、一応元の形を知っておかないと、ということありますよね。

如月
だから、芝居の稽古場には、アクセント辞典と国語辞典というのは必ず置いてあるんですよ。アクセント辞典は絶対にないといけませんけど、国語辞典と両方必ず置きます。

コンピユータ的危険な間違い

柴田
私はこの歳になって、辞書を引く機会が多くなりました。漢字を忘れるんです。ほんとに情けないですね。この間、北杜夫が父の茂吉のことを書いてましたが、斎藤茂吉も晩年よく漢字を忘れたそうですね。だから、私も晩年だなと。(笑)ということは、漢字というものは習得も大変なら保管も大変なんですね。それが分かった。不思議なことですよ、羊羹の「羹」が書けない。

如月
羊羹は難しい。今はワープロが書いてくれますが。

赤瀬川
だからよけい書けないんです。

柴田
それでね、辞書を見ても分からないんです、字が小さすぎて。それではと、大字のがありますが、あれでも駄目。つまり、クチャクチャは大きくしてもクチャクチャなんです。(笑)漢和辞典でやっと「羹」が分かった。薔薇の花の「薇」のほうは書けるけど、「薔」のほうは、やっぱりトゲがあります。(笑)

赤瀬川
ぼくは憂鬱の「鬱」の字が書ける。(笑)十年くらい前に意地になって覚えました。

柴田
外国の人は、アルファベットを歳をとっても忘れることはないだろうと思う。

如月
ただ、綴りを忘れる。

赤瀬川
だからトータルでいうと、漢字のほうが意外と焼きついて、覚えている。漢字にはイメージがありますから。

如月
でも、いざとなったら全部平仮名という手がある。(笑)平仮名は忘れません。

赤瀬川
まず忘れないね。

柴田
でも、漢字で書かなければならないときもあるんですよ。羊羹のときは、私は『図書』に書いたんですが、うちの家内が、トロントにいる甘党の日本人にプレゼントしたいと、虎屋の羊羹を買ってきた。送り状を書くとき、「羊羹はどう書くのか」と、ご下問があったわけです。私は言語学者です。(笑)羊はヒツジということは分かる。[羹」は「そんなのいいよ、今は現代仮名遣い、常用漢字以外は仮名にしよう」と言ったんですが、人に差し上げるものだから、漢字で書かなければ失礼だと言う。

赤瀬川
片仮名で書くと防腐剤が入っていそうな、(笑)安易な感じになっちゃいますね。

柴田
ついに漢和辞典まで見たんです。私にとって、これは大きな事件ですけど、日常そういうことは頻々と起こってくる。情けない。

赤瀬川
ワープロやコンピュータが出てきて、ぼくは使わないんですけど、たまに人の間違いを見ると、とんでもない間違いしてるんですね、コンピュータの。はじめは人間の間違いとは違うなと思っていたけど、自分も最近はだんだん間違いが多くなってきて、気がつくと、その字の使い方の間違いというのがどうもコンピュータっぽいんですよ。(笑)あれは案外、同じ間違いをしている。

如月
頭のなかでの変換の仕方が同じ。

赤瀬川
音(お/ん)ですね。人間の頭は意味でつながってると思ってたけど、やっぱり音なんですね。コンピュータの間違いって、当て字の間違いがありますよね。あれをずいぶんやってます、人間も。

柴田
もっともらしいのがあるんですね。第五版の校正刷を見ていたら、「意図」と出てくる。ちょっと違和感があるんです。ほんとは「糸」ですよ、糸でないといけないところが、意図になっている。で、なんとなく落ち着いてるんです。(笑)意味が通じる。こういう間違いに気づくのは、時間かかるんですよ。そういう危険な間違いがある。

赤瀬川
笑い話なんですけど、ぼくの友達に山崎英介という絵描きがいるんです。彼に、詩人の長谷川竜生がサイン本をあげるとき、「エイスケさんのエイってどのエイだっけ」と。「英語の英です」「あ、そうか」って、ABCDのAを書いて「A介」となった。(笑)英語のA、その限りでは正しい。そういうことってありますね。正しいけど、間違っている。

辞書は成長する

赤瀬川
『新明解』を丸ごと一冊、読書として全部読む。としたら、どのくらいかかるでしょうね。

如月
考えただけで頭がクラクラします。(笑)

柴田
山田さんは全部読んで、自分の気になるところにどんどん書き入れをした。

赤瀬川
何日ぐらいなんでしょうね。

柴田
今度の第五版で、私は校正刷をかなりのぺージ読みましたが、校正刷は三二ぺージ分が一折といって、一まとめになっています。この一折を読むのに、一日ではちょっと無理です。細かいところ全部見てですよ。あるところは書き直しをしますから、それに五分かかることもあるし、考え込むともっとかかる。

赤瀬川
そうすると、一日三〇ぺージで、一四〇〇ページを割りますと。(笑)

柴田
一日三〇ぺージはちょっと無理ですよ。一日といっても、ときどき休みたい。(笑)この辞書は、小型辞書としては珍しくアクセントがついてます。これは金田一京助先生の『明解』のころからついていたんですが、これは全部私が引き受けているんです。このアクセントをどうやってつけるかというと、今回は急いだものですから、四人の方につけてもらって、その上で私が判断した。これだけでも大変です。

赤瀬川
前に『文藝春秋』を一冊、表紙から広告から全ページ読み通すという実験を、『本の雑誌』か何かでやりましたね。あれでやっぱり、何日かかりましたかね。

柴田
まあ、辞書というのは育つものなんですね。ことに売れる辞書というのは怖いんです。われわれは辞書を作っていると思っているんですけど、実は作られてるんです、こっちは。辞書のために、生活をそれに合わせる。山田さんのように、たえずこれを読んでいなければならない。とくに見坊豪紀という人は辞書に専念されたものだから、外との付き合いがね、毎日週刊誌とか新聞なんです。世の中の情報は週刊誌なんですよ。新聞と週刊誌しかないんです。

だから、「あそこのホテルでフランス懐石があるから一回行こうじゃないか」とか、私よりずっと知ってる。「見坊さん、よくご存じですね」と言うと、「いや、『週刊新潮』で読んだ」。(笑)ちょっと飲みに入って、メニューに「ピンクレディ」とある。さっそく注文するんですが、飲むんじゃないんですよ、ピンクレディという人気歌手がいたでしょう。それとひっかけて、「ピンクレディ」を辞書に採用するかどうかと、先生は考えていたんだ。(笑)飲まないんです。一生懸命見ている。ついに採用されませんでしたけど、そうなるんです。

すべて辞書で世界を見る。辞書は育つものですから、たえずあとを追いかけなければならない。これは、初版で売れなくなれば楽ですけれども、五十年続いてしまった、そして少なくとも二人の方がそれに一生を費やされた、ということなんですね。最初に言ったように、二十世紀の終わりに、私ども第二世代も終わる。二十一世紀、私はおりませんけれど、それは第三世代の『新明解国語辞典』になるだろうと思っています。

如月
「新解さんの謎」のなかでも、前の版と比べられるところが出てきますね。そういうところが、やっぱり育っていく部分なんでしょうね。

赤瀬川
そうでしょうね、結局。
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