『加藤登紀子の男模様』
「足りぬ」の
意識やまず
竹中直人さん
俳優、映画監督
一九五六年生まれ
「僕は演ずる熱度のようなものが恥ずかしくてね、出来るだけ普通のこととして演じたい」
インタビューでそう言ってた。そのくせ、「秀吉」は超過激演技! ブラウン管の画面をはみ出してた。これまでの大河ドラマにはない劇画的なインパクト、心の底まで伝わってくる情感の表現はギリギリの「表面張力演技」だった。
大河ドラマの撮影が終わったとたん、恒例の「竹中直人の会」の芝居に入ったと聞いて、淡々とベースラインに戻っていく直人さんに、またまた「恐れ入りました」みたいな気がして早速、本多劇場に出かけた。
これといった劇的なことの起こらない日常の不思議なおかしさで、ずいずいと笑わせて、うずうずと泣かせる! 竹中直人は、おさえられるだけおさえた演技でせめていた。
「好きな女の子に見せたくて必死の逆立ちをする。結局彼は、自分の逆立ちに熱心すぎて、みんなに迷惑をかけ、女の子とも遊離してしまう、そんなやつ」。それが脚本演出の岩松了さんの竹中直人観。
第一回監督作品「無能の人」で数々の映画賞を獲得、翌年出演した「シコふんじゃった」が大ヒット、周防監督とのコンビで「Shall we ダンス?」がブームをまきおこした。「時の人」であることは疑う余地がない。なのに、なぜか竹中直人のヒリヒリするようなアナーキーな危機感はうすれない。
「盃からこぼれおちる一滴の意味、それは足りないという意識が多すぎることなのよ」
芝居の中のセリフだ。
「足りないという意識」は、どんどん盃をあふれさせ、まわりの平和をかき乱し、自分の安定をも破壊する。
演ずる熱度が恥ずかしいと言う彼の中から、おさえてもおさえても溢れてくるものは、多分存在の熱度なのだろう。
「覆水、盆に返らず」という言葉もあるけれど、あふれる方にずっといてほしいと思う。


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