加藤登紀子の男模様
尾崎 豊

写真

 『加藤登紀子の男模様』

まっすぐ歌い、生きた

尾崎 豊さん
ミュージシャン
一九六五−一九九二年

 九二年の四月二十六日。パリのコンサートを終えて成田へ着いた朝、空港で知った尾崎豊の死!
 一九八四年八月四日、東京・日比谷野音の反核コンサート「アトミックカフェ」の時、私は楽屋で尾崎の歌を聞いていた。照明のイントレから飛び降りて骨折しながら歌いつづけ、救急車で運ばれていった一部始終が今も聞こえる。軽くなきゃって感じの、あのころのサウンドの中で尾崎は、ちょっと昔を思い出させる「ロック」で、それが何だかうれしかった。
「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない 正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで」
 彼のファーストアルバム「十七歳の地図」に収められた十四曲。そこには登校拒否、高校中退、初めての恋、壁に頭をぶつけ、素手でガラスを割る孤独な少年の正確な告白がある。時には荒れ狂い、時には柔らかにふるえる思春期のすばらしい代表曲たちだ。
 あえて極言すると、彼の歌はこの一枚で尽きていたかもしれない。
 骨折事件から一気にスターダムへとかけ上がった彼は、二年もたたずに活動を一時停止する。
 その後の覚せい剤事件、結婚、音楽活動の再開、彼はずっと孤独な尾崎豊であることを自分に課していた。
 もともとは、目立ちたがりやの陽気な少年でもあった彼が、どんどん苦しそうになった。一体、何が彼をこんなに追いつめたんだろう。ファン? マスコミ? たぶん彼自身。
 死の直前のアルバム「放熱への証し」の一節。「僕はたった一人だ 僕は僕と戦うんだ 誰も知らない僕がいる」
 音楽も生活も、少し息苦しすぎた。
 私は、「I LOVE YOU」を歌う彼の甘い声が好きだ。やわらかでやさしい歌が彼の本当の大きさだったと今も思っている。

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