加藤登紀子の男模様
北野 武

 『加藤登紀子の男模様』

透明な祈り、
渇いた暴力

北野 武さん
映画監督、コメディアン
一九四七年生まれ

 役者の表情を極端に抑え、「何なのだろうこれは」と思わせるくらい凝固したシーンをねばる。沈黙の向こうから怒りや悲しみや叫びが聞こえて来る!
「HANA−BI」は恐ろしく内面的な映画だ。無残な死の連続模様の中に、一滴の生のみずみずしさがわき出してくるような……。
 これまでタケシさんの映画は苦手と思っていた。何かといえば、「バカヤロー」だし、ヤクザと暴力ばっかり。この映画もそうなんだけれど、伝わってくるものの確かさと透明度が違っていた。
「ベネチアから帰った瞬間から巨匠扱いされちゃってさ、満足にお笑いやらせてくれないのは困るよ。監督が裸なんて困ります、とかさ」
 もともとタケシさんのギャグは、おしきせの社会への暴力的な批判だった。映画もさんざんにこきおろしてきた。説明も一切そぎ落としたシャープな編集、役者の感情移入を嫌う独特の技法はそこでみがきをかけられた。こきおろした以上は、それを超えなきゃならない。この映画でついにそれが果たせたという思いがこのごろのタケシさんの顔に表れていると思う。
「テレビの仕事は喫茶店にお茶飲みに行くようなもんだよ。映画は料理屋のおやじになって、ちょっと自分の作ったものの味みてみるかって感じはある」
 確かにこの映画には美味でなくちゃという頑固な料理人のこだわりのようなものがある。およそ無味乾燥な今の東京の風景、繰り返される日常のおぞましさ、物語になりようのない時間の羅列。その中で枯れ切った果実の中に残された透明な祈りのような、男と女の最期を描いてみせた。
 思わず笑ってしまうようなコント的な挿話や、画面いっぱいのタケシさんの絵も楽しめた。死の瞬間こそが生、「HANA−BI」とは言い得て悲しい。

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