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三省堂 新六法1999 平成11年版 三省堂 新六法1999 平成11年版

永井 憲一・室井 力・利谷 信義・宮坂 富之助・籾井 常喜・宮澤 浩一 編

1,400円 B6変 1,088頁 978-4-385-15734-X

市民と学生のための小型法令集。収録法令220件。新たに特定非営利活動促進法(NPO法)、介護保険法を収録。独占禁止法、学校教育法、公職選挙法、募集および採用についての事業主の指針などの改正にも対応。各種統計類、書式ひな型も充実。

1998年10月10日 発行


●1999年版の発刊にあたって

 二十世紀も終わろうとしているが、今年の後半に入って、日本社会は急速に危機の名に 相応しい状況を呈するに至った。これまでも、政官財に深く食い込んだ腐敗現象と全般的 な制度疲労が危機として指摘された。しかしこれらは、腐敗を糾弾し、制度を革新するこ とができれば、それほど恐れる必要はないはずである。当面は苦しくても、時間をかけれ ば立て直しが可能だからである。

 現在私たちが直面している問題は、それらを実施する責任ある主体の欠如である。この 状況の下では、時間が経過すればするほど崩壊が進行する。これを食い止めるためには、 失政に関する事実の正確な認識と責任の所在の明確化が必要である。それがないから、失 政の責任を負う者もなく、失政に対して適切な対策を取ることもできない。したがって、 制度疲労を言う前に、まず私たちがしなければならないことは、制度の中に、腐敗を防止 し、責任の所在を明らかにするメカニズムを組み込むことである。その端緒は、情報公開 法の制定である。これによって、制度の実質的な内容と現実の機能を明らかにし、制度の 革新にもつなげることができる。これすら実現できない日本の現状は、真に憂うべきもの である。

 これについては、失政の被害者である国民の側にも責任がある。日本国憲法前文も言う ように、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由 来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」。必 要な法律を成立させ、制度の革新を実現する究極の責任は私たち国民にあることを、私た ちは、改めて確認する必要がある。せめて二十世紀中に情報公開法を実現し、その機能を 発揮させることは、私たちの緊急の貢任である。

 私たち編者は、「はしがき」でも述べたように、「法律の社会的存在の意味は、国民の 身近かな存在のものであるはずであり、国民ひとりひとりが法律を自分自身の間題として 関心を高め、それが広められていく」ことを念願して、収録法令の検討と解説に携わって きた。

 1999年版についても、新たに、介護保険法とNPO法(特定非営利活動促進法)を 収録したほか、商法、独占禁止法、健康保険法、老人保健法、公職選挙法、風俗営業法な どの改正に対応する改訂を行った。この新しい版が、読者の必要に応ずることができるこ とを願っている。

 この「新六法」は、発刊後すでに22年を経過した。幸いにして、多くの読者に利用 して戴くことができた。また、この六法の改善のために、多くの方々からご意見をお寄せ 戴いた。編者一同、心からお礼を申し上げたい。

1998年8月

編者一同


●使い方

 本書は、はしがきに記したような意図で編修されています。したがって、約束事の多い記載方法は、努めてさけました。しかし、次のような点について御留意の上、お使い下さい。

一、法令の題名の上の黒丸印(●)は全条文を収録したもの、白丸印(○)は条文を抄録したも の、四角印(□)は資料であることを示します。

二、法令題名の次に、たとえば

      (平成10年1月1日、法律第一号)

      〔平10・3・3施行〕

 とあれば、平成9年1月1日に公布された法律第一号であって、その施行が同年の3月3日であることを示します。

三、条文中の注記について

 条文の中に【 】や〔 〕でかこんだ文字がありますが、これは本来の法文ではなく、見出しや読解の補助のために編修部で付したものです。項番号の内、○2、○3、○4と丸でかこんだ数字も同様に編修部で付したものですが第一項に○1は付してありません。特に抄録した法令の条文中に○1が入れてあるものがあります。これは、その条文には第一項以外があるが、省略したことを示しています。

四、日本国憲法の参照条文について

 参照条文の( )の中は、その条文に関わる事項を示し、その下に参照すべき法令名の略称に続いて条数・項数・号数を順に示してあります。法令名がついていないものは、日本国憲法の各条です。ただし、たとえば国会103・104とあれば国会法の103条と同じく国会法の104条を示します。

 憲法の各条の中をさらに分けて、●1、●2のように項ごとに、《一》《二》のように号に分けて示す場合があります。

五、法令の抄録について

 抄録した法令については、それぞれ担当分野の編修委員が、本書の収容能力の制限の中で、主として学習上の便宜を考慮しながら抄録を行いました。

 この場合抄録を行ったことによりはずされた条文については、特に省略を示す注記をしてありません。あらかじめ題名のところで抄録法令であることを確認してください。

六、目次の使い方

必要な法令を検索するために、五十音順の法令索引(前見返し)と総目次(後見返し)を付しました。法令索引の中では「日本国憲法」を「憲法」でも、「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」を「独占禁止法」でもひけるようにしてあります。また、総目次の中で、この分野にありそうだが、実は他の分野に収載してあるといった法律を△印を上につけて入れてあります。(例 民法編で△製造物責任法…407ぺージとあれば製造物責任法は経済法編の407ページに収められていることを知ることができます)これらの目次を活用して必要な法律を検索して下さい。

七、収録法令の現在日

 法令は平成10年8月31日現在で収録してあります。

八、付録について

(1)明治初年から昭和20年ころに至る間の法令には読みにくい法令用語が多く見受けられますが、その中から難しいと思われる語を選んで巻末におき、その一般的な読み方を示しました。

(2)法学の学習上必要と思われる統計数字等を、最新にして、かつ典拠の明らかなものを選んで示しました。活用いただけれは幸いです。

(3)社会保障関係の法令は比較的紙幅を必要とするものが多く、また現実に保険関係等の給付の内容は下位の法令にまたなければ充分に明らかになりません。これらのすべてを、法令の条文を示して明らかにすることは本書のような小冊子ではとうてい不可能です。読者の便宜をはかって、これら給付の内容をダイジェストしたのが「社会保障給付概要」です。

(4)主要な法令中にあらわれる法律用語をとり出し、関係する法令のおもな条数を示しました。今後さらに充実させて、より使いよい「総合事項索引」に作りあげるつもりです。

(5)司法の民主化がさけばれております。一方で最高裁判所も、国民の司法参加として、陪審制・参審制の詞査を開始した旨新聞に報じられております。大正12年に公布され、大戦末期に効力を停止された、「陪審法」を抄録ながら、資料として掲げます。


●憲法の解説

一 憲法の歴史的役割とその意義

 人類の歴史が、古い時代における国王や君主などの力による支配、いわゆる“人の支配”の時代から、しだいに多数者の、正義にもとづく“法の支配”の時代へと移行する中で、近代国家には、いずれの国にも憲法がもたれるようになった。その先駆的役割を果たしたのが、アメリカが独立する際の独立宣言の趣旨を将来の政治原則として保持しようとしてつくられた各州憲法(1776年)とアメリカ合衆国憲法(1789年)であり、またフランス革命(1789年)後の人権宣言の趣旨を恒久的に確立すべくつくられたフランス憲法(1791年=立憲君主制、1793年=共和制)であった。これらの憲法は、いずれも国民の自由および権利の保障を将来の国の政治原則として確認しようとするものであった。

 このような近代国家を立憲主義の国家といい、そこにもたれた憲法を近代憲法という。そのような近代憲法は、右のような、その生い立ちが物語っているように、旧来の専制的な支配体制に対して、国民がみずからの人間としての自由や権利、つまり国民の“基本的人権”を承認させ、その基本的人権を侵害してはならないものとして将来に向かって政治の担当者(政治権力)に約束させた「証文」であり、いわば、その国の人権宣言としての意義をもつ歴史的性格のものである。このように近代憲法は、国民がみずからの手で、安全に幸福を追求ずる生活にいそしめる国をつくりあげるための民主主義と国民主権の政治的基盤と地位を確立した「勝利の記念品」であった。以来、憲法は国民の基本的人権の保障をその国の政治の最も大きな目的とする“国の政治原則”として、近代法治国家の“国の基本法〃として、近代諸国に広く存在するようになった。

 したがって、憲法について学ぶ場合には、そのような憲法を単なる近代における法治国家の基本法であるという形式的な理解をするのではなしに、このような近代憲法のもつ各国の人権宣言書としての歴史的役割とその意義について、まず認識しておく必要がある。

二 近代憲法の特質

 フランスの人権宣言の第16条には、近代憲法の特質を的確に表現している、次のような文言がある。すなわち「人民の権利の保障がなされず、権力分立の決められざる社会は、すべて憲法をもつものではない」。この文言は、その後の近代諸国の多くの憲法に大きな影響を与えた。

 現在の世界各国は、イギリスを唯一の例外として、すべての国がアメリカやフランスの先例にならった成文の憲法典をもっている。それを成文憲法Constitutionと呼び、イギリスの場合を“不文憲法の国”と呼ぶ。しかし、その世界各国のもつ憲法典が、必ずしも同一・同文のものではない。その国の歴史的・杜会的諸事情によって、憲法典の規定のしかたや内容は、それぞれ異なる。ただし、次の二点は、どの国の憲法典にも共通に規定されている。つまり、近代諸国の憲法典の“共通の要素”として「近代憲法の特質」といわれるものとなっている。

その一つは、国民の自由と権利を基本的人権Fundamental Human Rightsとして承認し、保障していること、もう一つは、その国民の基本的入権を保障するための政治組織として、権力分立制を採用し、それに何らかの国民参政の手段を用意していることである。要約すれば、近代憲法の特質とは、国民の基本的人権を保障し、権力分立制の政治構造を採用していることである。

三 日本国憲法の制定と理念

 第二次世界大戦前の日本には、1889年(明治22年)に制定された『大日本帝国憲法(通称「明治憲法」)が存在した。この憲法は、形式的には立憲主義国家の基本法であった。しかも19世紀という“近代”と呼ばれる歴史的時代に制定されたものであった。それで「大日本帝国憲法も近代憲法である。」ともいわれる。しかし、この憲法は、右に述べたような近代憲法の特質を具備していない。明治維新後の日本が、国内的には秩序の安定、対外的には国家の発展を最優先の政治日的としたものであった。その内容は、当時のドイツ・プロイセン帝国憲法を模倣した君主主権憲法である。天皇を神聖不可侵のものとし「国ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧ス」(四条)という地位に置いた。したがって、権力分立制も、これを制度として採用しているかのようにみせかけたが、その実質はなく、また国民(「臣民」と呼ばれた)の自由や権利も、天皇の恩恵から与えられたものとの思想にもとづいて、きわめて僅かなものが、すべて「法律ノ範囲内」という制限内で規定されていたに過ぎなかった。そのために、この憲法のもとでは、天皇の権威にかくれた軍部や一郵の為政者が独裁的な政治を行い、ついには太平洋戦争とその悲惨な敗戦に日本を導いていった。

 かくして、その敗戦を契機として、一つは、そうした過去への強い国民の反省にもとづいて、一つは、敗戦国としてポツダム宣言を誠実に履行する責務にもとづいて、1946年(昭和21年)11月3日に、新しい日本の「平和で民主的な文化国家を建設する」という政治目標を掲げ、国民の基本的人権の保障を最大の政治課題とすることを宣言した『日本国憲法』を制定した。

 この日本国憲法の制定には、あとから、一つは「それは終戦当時、アメリカの占傾軍から“押しつけられたもの”である」という評価(押しつけ論)と、一つは「アメリカの日本への非武装平和化と、日本政府からの“国体護持論”との、当時の政治的妥協の産物であった」という評価(政治的妥協論)とに評価が分かれた。

しかし、ともかく日本国憲法は、徹底した平和主義を骨子とし、一応「天皇」を象徴としての地位には置いたが、国民を主権者とし、はじめて明確に政治組織として権力分立制を採用し、民主政治を通して、国民の「個人としての生命、自由及び幸福追求の権利」を、立法その他の国政の上で最大の尊重をする(13条)という、平和主義と国民主権主義と国民の基本的人権の保障の三つを政治理念とした。

四 戦後日本の憲法状況

 ところでポツダム宣言の受諾から出先した戦後の日本は、占領体制から安保体制へと継続されるなかで、国際的関係の変動からの大きな影響を受けた。すなわち平和理念の日本国憲法(9条)をアメリカの支持のもとにもちえたのは、第二次世界大戦後のアメリカが対アジア政策の拠点を蒋介石中国に求めたからであった。いわば、憲法九条を含む日本国憲法は、当時のアメリカにとって日本はどうでもいい存在、ないしは同じ資本主義国として将来アジアの経済市場を獲得する競争をしかねない日本には軍備をもたせない「邪魔にならない存在」にしておこうとしていたためであった。したがって新中国の誕生が、その後のアメリカの対日占領政策に180度の転換をもたらした。すなわち「どうでもいい存在」そして「邪魔にならない存在」から、日本を蒋介石中国に代わる「アジア政策の拠点」として、アメリカにとって「協力し合える関係の国」として必要となったからである。そして1950年の朝鮮戦争の勃発後、まもなくアメリカは、ポツダム宣言を誠実に日本政府に実施させる占領軍の任務と責任をみずから放棄して、日本に今日の自衛隊の前身である警察予備隊を創設させた。そして、アメリカは、ポツダム宣言のいう「日本の戦争能力がうちくだかれ、日本国民の自由に表明された意思にしたがい平和的傾向のある政府が樹立されてから占領を終結する」のではなしに、軍国主義同調者として戦後公職追放をしていた者の追放を解除するなどして、かえってアメリカと共通の利益を求め再軍備を決意する政府の成立を見通してサンフランシスコ条約と安保条約を蹄結し、みずからは、占領軍を駐留軍と名をかえて日本の基地に留った。

 その後、1953年、いわゆるMSA協定締結の際、当時の米副大統領ニクソン(のちに大統領)が来日「日本に戦争放棄の憲法をもたせたのはアメリカにとって大きなミステークだった」と憲法の改正を要請した。しかし、池田・ロバートソン会談で「教育と広報とにより、愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助成することに責任をもつ」よう日本政府は約束した。その後、機をみては再軍備すなわち自主防衛力の必要論を政府は宣伝しだした。その頃は「日本は独立したのだから、せめて自衛のための軍備ぐらいはもつべきだ」という、いわゆる“戸締論”であった。そして警察予備隊が保安隊、さらには自衛隊と変り、者々と増強され、ついに、その費用の絶対額では世界有数の軍隊にまで成長させた。

 ことに60年安保後それを増強した。それは「日本はアメリカの核の傘下にあったからこそ安全が保障され、経済成長もとげられた。だから、安保を竪持し国力に応じた自衛力が必要」という、いわゆる“安保繁栄論”にもとづいてであった。かくして60年代の日本の自衛隊は、アメリカの対アジア政策の後方防衛と日本国内の治安防衛との両面の責任を果たすようになった。

 そして70年代においては、安保体制におけるアジア安定の主役をアメリカから日本が肩代りすることが目的とされるようになった。そうなれば日本の自衛隊は、必然的に“海外派兵”への方向をよぎなくされる。しかしそれは憲法九条のみならず「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持する」(憲法前文)ことを決意した憲法の根本理念までも否定することを意味するし、また、日本国憲法の根本理念とする民主主義や国民の人権保障を最も尊重すべきものとする日本の政治構造を根本的に改変させるものとなる。

 そのために80年代以降の日本政府は、それまでの高度経済成長を背景に“国家論”を強調し「国民の福祉を実現するための強力な政府」の実現を国民に呼びかけながら、もっぱら行政権力への権力集中を政治的に意図し、それを成功させてきた。たとえば、戦前の紀元節(2月11日)を建国記念日として国民の祝日に加え、明治百宙年や昭和天皇の在位50年を国家的行事としたり、また学習指導要領を改定して「日の丸・君が代」を国旗・国歌と規定して国民に強制したりした。一方、これに反対するような労働運動などに対しては行政的ないし刑事的抑圧を加えるなどしてきた。また、そのような抑圧が裁判問題になっても、その裁判でも支持されるように、政府は、みずからの任命権を利用して最高裁判所の裁判官任命を配慮するなどして、いわゆる“司法の反動”化体制を固めてきた。

 かくして日本国憲法は、それが「国政の上で最大の尊重を必要とする」(13条)ものとしていた「私」すなわち個人の人権保障よりも、「公」としての国家・杜会の公共的秩序の維持を優先する方向へと運用されている。

 そして90年代に入り、米ソの冷戦解消後も、湾岸戦争など、国連が世界各国における平和維持のための活動を必要とする場合には、日本も経済援助をするだけではなく人的にも国際貢献をする、というスローガンで、自衛隊を海外派遣することを認める、いわゆるPKO法(国連平和協力法)が成立した。その後も総合安保体制への移行、阪神大震災などの危機に対応する法整備の必要論が実質的な憲法改正論として大手を振って登場してきた。(永井憲一)


●付録(婚姻届)

付録(婚姻届)


●付録(民事訴訟申し立て手数料の概要)

付録(民事訴訟申し立て手数料の概要)


●総合事項索引

総合事項索引

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