三省堂-危ない薬 効かない薬
危ない薬 効かない薬

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木村 繁 著

1,262円 新書変 256頁 978-4-385-35759-X 品切

日本のピル・ブック・ブームの元祖,「医者からもらった薬がわかる本」の著者が,具体的事例をあげながら警告する現代日本の薬事情。使っては危ない薬,がんの薬,飲み合わせに注意する薬,薬業界の問題点など。

1996年11月20日 発行


●対談『危ない薬 効かない薬』

玉村豊男(たまむら とよお・エッセイスト)

木村 繁(きむら しげる・名古屋市立大客員教授)

(「ぶっくれっと」1997.6 no.124より)

 

薬に依存していませんか

木村 信州でワインづくりとうかがっておりますが、お住まいは雨が少ないところですか。

玉村 そうです、日本有数の小雨地帯で、日当たりがいいところです。ちょっと標高が高いんですが、ぶどうはやっぱり太陽が当たるのが一番ですね。雨が一番の敵です。そういう意味ではいいぶどうができて、去年の収穫を仕込んだやつは、結構よくなりました。樽に入れて、二年ぐらい寝かしておいて瓶に詰める。三年すればおいしいのができるんじゃないかと思っているんですが。

木村 ワインというと、ぼくの父親も好きでして、薬局やってましてね、終戦当時、お酒なんてないじゃないですか。どこかでぶどう買ってきて、こう瓶に入れて、薬局に冷暗所っていうのあるんですよ。今みたいに冷蔵庫じゃなくて、床下に掘ってあったんです。そこへ、その瓶を入れて、何かあると出してきて「飲んでみろ」っていう。ぼくが学生のころですが、あれ、飲めませんでしたね。下戸なんですね。

玉村 それは薬の一種かもしれない。(笑)薬局の冷暗所にワインが貯蔵されてるとは誰も思わないでしょうね。

木村 私と違って、わりあい薬剤師らしい人だった。アセトアニリドという解熱剤からズルチン(人工甘味料)ができるんですよ。それを進駐軍関係の人に分けてやっては、逆にカンパンとかチョコレートをもらって、ぼくもよく食べさせてもらいました。

玉村 薬剤師の技術と知識が役立った。

木村 私はだめなんですよ。まあ、お袋によく叱られたんですけど、「お父さんの通りにやってたら、薬局はさびれなかったのに」って。どうしてこんなに、薬局って食べていけないんだろうと思ったら、そういえば、薬の大半は医者に取られてるんですね。まあ、外国で生活なさったからおわかりになると思うんですけど、外国ではやはり、お医者さんが薬を直接、患者さんに渡すということはないわけです。

玉村 そうですね。

木村 やっぱり、薬というのは商品ですから、流通すればマージンが入ります。そうすると、どうしてもマージンの多い少ないによって、処方が左右される可能性があるわけです。それと、やはり日本人の薬にたいする感覚といいますか、漢方薬のころから、薬はありがたくいただくものだという、「お薬」という感覚がありますね。だから、薬をたくさんくださるお医者さんが親切で、一つか二つしかくれないと、粗末にされたと思っちゃう。風邪ぐらい寝てれば治るっていう医者より、子供のお尻に注射を打ってくれるほうが親切だという、そういう感覚がありますね。

玉村 実際、病院に行って、それこそ二時間並んで、一〇分診てもらって、また薬局で一時間並んでと、考えてみると、薬を選んでもらいに行ってるようなものです。

木村 患者さんのほうも、診てもらわなくてもいいから薬だけほしいという。

玉村 「先生、お薬いただけないんですか」って、必ず言いますものね。

木村 ありますね。だから薬をもらわないと、診察が終結しない。それはお医者さんのほうでも、やっぱり薬を出さないと患者が満足しないんだという気持ちになっています。あるいは患者がそうさせている。

玉村 両方、もたれ合いみたいなところありますね。ぼくは幸い外国で病気になったことはないんですけれど、ヨーロッパなんかでも風邪ひとつひいても、薬局で薬を買えないじゃないですか。病院に行って診断を受けて、処方箋をもらってからでないと、せいぜいアスピリンぐらいしか買えない。

 これはもちろん医薬分業が完全に機能していれば、そういう状態になるわけですけれど、逆に日本人の場合、薬局に行けば簡単に薬が買える。だから、医者にかかるくらいなら薬で治そうみたいな人もいるわけだし、風邪をひいたらまず薬を買って治そうという人が多いわけで、なんとなく薬に対する依存心、依頼心、依存症的な部分がありますね。

薬の問題は薬剤師が発言しないと

木村 まあ、薬局でも薬が簡単に買えるんですけど、お医者さんも薬を出してるんで、薬局で買える薬というのは限定されてくるんです。そうすると、薬局で売れるものというのは、ドリンク剤。これはよく売れます。三〇〇〇円なんですね。

玉村 高いですね。

木村 はい。私の薬局であまり売れなくなったんですが、あんなのだめよって患者さんに言うわけです。

玉村 それじゃ商売にならない。(笑)

木村 あんなの安いので大丈夫だって。ぼくも家にあるもんですから、結構、一日に二本か三本は飲むんです、ジュース代わりに。だけど、一五〇円以上のものは飲んだことないですよ。中に入ってるのは、カフェインがちょっと入っていて中枢神経を興奮させて、目をぱっちりさせる。アルコールでポッとするくらいの元気さですね。ぼくはあんまりお医者さんに行きませんが、いい加減な薬をたくさんもらって、薬局へ行けば薬局で高い金を払って、そんなに効きもしない薬を買わされる。これでは、日本人は二重に不幸です。これは、薬の問題というのは、やはり薬剤師が発言しなければいけないという感じがありましたね。

 ぼくは、ほんとは薬剤師になりたくなかったんですよ。家が薬局で、三代目、それも三代目でやっとできた嫡男なんです。お祖父さんも親父も養子でね、それで家業を継いでから「あ、こんなにひどいんだ」って気がついた。大学の薬学部でも、そういうことは全然教えてなかったですね。ここ二、三年前までの薬学部の学生というのは、薬のケミカルな部分はすごくやってるわけですけど、薬が医療のなかでどう使われるのか、あるいは社会科学的に薬というものをどういう具合に見たらいいのか、というような教育は全く受けてなかった。やっぱり自然科学としての薬と、社会科学としての薬という両方をみておかないといけないと思うんです。経済だとか、社会学だとかということを見て、薬を理解する。単に効果だけあればいいとか、値段なんかも考えないで薬というものを見るようになると、たとえば簡単なことですけど、利ざやが大きければ、当然、それはすごく使われるわけですね。だからもし、効きもしないのに利ざやが大きいために使われる薬があったら、これをなんとかして利ざやを少なくするとか、あるいは許可の段階で考え直すようにするとか、そういうことも、ぼくは薬剤師としての務めじゃないかなと思う んです。

 まあ、親父は薬剤師だったんですけど、私は中身がないから、ヤシだっていうんですが。(笑)

玉村 一般的に、お医者さんっていうのはいわゆる薬屋さんを一段低く見てるところがありませんか。

木村 あります。それはもう、私がいくら薬のことを知っていても、患者さんの体を診ていませんから、これは絶対勝てません。「この薬、おかしい」と言っても、お医者さんが「あんたたち、臨床診てないんだから、ぼくが効くと思ったんだから効くんだ」と言われたら、もうなにも言えないんですね。例の血液製剤でも、学会のボスが効くと言ったら、その下の人は、反対すると左遷されちゃうような世界でもあるわけですね。

玉村 ほんとに薬害エイズのようなものが白日のもとに出てきますと、お医者さんと薬屋さんは共犯関係みたいな、役人まで巻き込んだ共犯関係で、結局、患者である国民が騙され、一番迷惑をこうむっています。しかも患者の側としては、選びようのないような形でそれを突きつけられている。

木村 役所だとかお医者さんだとかが、きちんとしたことをやってくださるのが本当だと思うんです。ところがなかなかそれが進まない。やはり日本の医学部の徒弟制度みたいなところがあって、なかなか下から改革できません。薬の臨床なんかでも、あの先生のところに頼めばいい症例報告が書いてもらえるとか、そういうような先生ってあるんですね。だから、そういうようなことで出てきた薬ですから、これは『医者からもらった薬がわかる本』(法研、一九八五)を出してから思ったんですけど、やはり患者の側が消費者としての意識をもたないことにはよくならないなという感じです。消費者というのは当然、自分の払う対価に対してサービスが適当であるか、ということを見るわけですね。

 薬の値段という問題、払った対価に対するベネフィットがどれだけあるか、あるいはリスクも負うから、リスクとベネフィットの関係だとか、そういうところに消費者が目を向ける。『医者からもらった薬がわかる本』を出したときに、「こんな副作用をみんな書いたら、患者がこわがって飲まなくなる」と、一番非難された点がそこなんです。だけど、じゃ、専門家はどうするかと考えると、私が薬をもらいますね、そうすると、まずこの薬はなんであるかと調べます。何に効くだろうか、どんな副作用があるかを知って、どういう状況になったら止めなければいけないのか、あるいはお医者さんに知らせなければいけないのかと考えるじゃないですか。専門家がやるのと同じやり方を患者さんがやるようになれば、日本の患者さんは安全になるなという、私のこじつけかもしれませんけど。

玉村 いや、その通りだと思います。まず患者自身が知識をもたなくてはいけない。そうでないと、「これだ」って医者に言われると、わからないまま受け取っているだけですからね。患者が賢くならないといけません。

本当に必要な薬だけ飲もう

玉村 ぼくは最初八六年に過労で吐血しまして、まあ一過性のものでしたが、処置が悪かったことがあって大貧血になりました。それで輸血をして、吐血の原因のほうははっきりわからないまま治ったんですけど、肝炎をもらっちゃったんです。まだC型の検査薬ができてないころです。それで、一年半から二年近くグズグズしてたんですが、ぼくは医者をあまり信用しない質なもんですから、セカンド・オピニオンといいますか、あちこち肝臓のお医者さんを調べたり、つてを頼ったりして、たまたまいいお医者さんと知り会うことができたんです。もちろん、本でもどういう薬か調べましたけど、まあ肝炎ですから、たいした薬は出ないんですね。牛のレバーからつくった薬とか、頼りない免疫増強剤とかで、とにかく薬はどうせ効かないんだからやめたほうがいいと、そのお医者さんに言われましてね。ただし、やめるときはいっぺんにやめないで、薬には必ずリバウンドがあるということを初めて教わった。また、漢方薬も副作用があるんだと、みんな、ないと思っているけど、必ずあると。本当に信頼できるもの以外は、とにかくやめろと言う。それでだんだん減らしていったんです。だからしばらくは、病院でゴソッと薬をも らうと、そのままゴミ箱に入れて帰ってました。(笑)ほんとに無駄なことやるなと思って。

木村 そこらへんなんですね。お医者さんのきちっとした管理のもとでなければいけないんですけど、薬がある数以上になったら、いっぺん全部やめてみる。

玉村 ただ患者のほうは「飲め」って言われると、一回飲まないと、もうそれで死んじゃうような気になるじゃないですか。飲めと言われた薬を飲まないというのは勇気がいるんですね、患者としては。

木村 それでも、知識があると、ある程度やめるだろうと思うんですよ。お医者さんに「先生、絶対飲まないといけないのはどれ」って聞いて、それだけにしたいなという感じがする。やっぱり薬を飲むことによって、いろんな副作用が出てきて、それを治すためにまた薬飲まなくちゃいけないというケースがかなりあるんじゃないかと思うんですね。外来でかかっていて、五つも六つも薬をもらうというのはおかしい。もしそんなに薬がたくさんいるんだったら、入院治療すべきじゃないか。

玉村 ちゃんと管理する必要があればですね。

木村 だから、健康保険法でいろいろ患者の負担なんか言われているわけですけど、外来で出される薬はいくつまでと決めてもいいんじゃないかと思います。

玉村 たしかに、もし本当に必要な薬で、一度も忘れちゃいけないような薬だったら、とても本人に任せられませんね、医者としては。管理してちゃんと与えない限りは、「飲んでください」といって、一回忘れたとなると大変ですものね。そうなると、外来で渡す薬は飲まなくても平気なものだと思ったほうがいいのかもしれません。(笑)

 ぼくの場合はそういうつてを頼って紹介してもらって、一番そういうことがわかってらっしゃるような方のところへ話を聞きに行って、あと、まあいろんな市販の健康増進薬とか、免疫を強くする漢方薬とかいろいろやりましたけど、結局徐々に戻って一年半ぐらいで完全に元通りになりました。そのときは、薬ってやっぱりこわいなと。肝炎の場合、結局、はっきりこれで治るという薬はないわけです、インターフェロンをやれば当然副作用はある。薬は確かに必要で、効く部分はあって、それを使わなければならないことがあることは十分わかるけれども、患者のほうもやはり慎重に対応しなくてはいけないなと、そのとき身をもって思いましたね。

木村 そう、薬に副作用はつきもので、必ずそういう面があるんだっていうことを認識して飲まなきゃいけない。ただ、これはお医者さんの経済なんかがからんできて、そこらへんですね。私なんか『医者からもらった薬がわかる本』を出して、結構、ある巨大な団体を向こうに回して喧嘩やってるんだっていう意識がありましたね。

よく効く薬は副作用も強い

玉村 私はそうやって肝炎にかかったことがきっかけになって、体調がよくなってから、何人か著名なお医者さんとの対談シリーズを企画したんです(『名医に聞いた 体にイイ話』ダイヤモンド社、一九九一)。治療受けてて、いろんなお医者さんいるじゃないですか。医者はちゃんと、いい人を選ばないと危ない。ということで、あの企画をたてた理由はというと、そのお医者さんのうちから本当に自分がかかろうという人を選ぼうと思ったんですね。(笑)

 本当に、なんか顔見ただけで治りそうな感じのお医者さんもいます。患者からすると、お医者さんだけはなんでも言えて、なんでも教えてくれて、きちんと相談できる方を確保しないといけないなと思ったのがきっかけでした。ところが、お医者さんのなかには「なんでも教えると、自暴自棄になる患者もいるから、教えてはいけないんだ」と、インフォームド・コンセントはしないほうがいいという方もいらっしゃる。「人を見て言うんだ」っていうけれども、どうやって見るのかは難しいですものね。患者にはやはり、当然情報を公開してほしいし、患者のほうもそれで、自分で選択できる。あるいは薬にしたって、選んだり拒否したりすることができる。それは消費者の権利ですから。それをなんか、無理やり、無知ということによって抑えられている感じです。「患者は何も知らないんだ。医者の言う通りやればいいんだ」というのがまかり通ってますね。

木村 先程、セカンド・オピニオンっておっしゃったんですが、アメリカで『SECOND OPINION』って本を買ってきたんですね。医者の説明が不満だったり、医者から自分の生活を変えなくてはいけないような診断を下されたら、必ずもう一人の医者に診てもらいなさいと言うんです。あれ、訳して本にするといいなって、いろんな人に言ってるんですけど、なかなか誰も手をつけない。お医者さんでないと、そのへん病気の知識がないと訳せませんしね。

玉村 また患者のほうも、そういう本がでると、お医者さんを信用しなくなるという、これもあり得る。

木村 そうなんです。私もいろいろ書きながら、いや一番大事なのは、医者と患者の信頼関係なんだと、それを損なってまでやってはいけないと思っています。ただ、ここへきて、やっぱり薬については、法律まで変えまして、たとえば薬剤師法二十五条の二というのが、今年の四月から施行されるんです。「患者に与える薬については情報を提供しなければならない」義務規定になってくるんですね。

 これは実は、医師法の二十三条に、やはり「療養の方法その他保健の向上に必要な事項を指導をしなければならない」というのがあるんですよ。それに対応するものなんです。医師法二十三条で、現実に訴訟が起きて、医療機関側が負けるというケースがあるんです。ですから患者さんはやっぱりそういう法律の建前からいくと、先程言われたように、情報を得る権利をもってるわけですね。そこらへんが、これからかなり薬に対しても医療に対しても、患者の態度というのは変わってくるんじゃないかなという気がするんです。

玉村 これまで、どうしても、そういう権利意識が薄かったですからね。「医師法で決められているじゃないか」と言えば、本当はいいんでしょうけど、ずいぶんうるさい患者と、医者は思うでしょうね。

木村 だから、お医者さん相手に訴訟はなかなかできません。

玉村 もう、明らかなことがあっても、なかなか医療過誤の裁判を起こすというのはできないですね。

木村弁護士さんの会なんかで、ときどきお話しするんですが、「あなたたちはことが起きてからやるんだけど、ぼくたちは、そういうことが起きないようにと願って、あの本を出したんですよ」と言うんです。やっぱり薬というのは、思わぬことが起きますからね。何か起きたらすぐに相談できる相手をもつということは、すごく大事じゃないかという気がします。

玉村 薬自体、だんだん効き目の強いものが出てきますからね。

木村 本当、効き目が強くなっている。いわゆる、ブレイクスルーというような薬っていうのは、出てこないんですよ、なかなか。そうすると、効き目も穏やかだけど、副作用もないというような薬にするか、効き目を重視するとちょっと危険だけど使うか、どっちかなんですね。効き目があって副作用が全くないという薬は、これはいい薬ですよ。だけど、そういうのはなかなか出てこない。だから効き目がなくて副作用がないか、効き目はあるけど副作用は危ないよという、このどっちかが出てくるわけですね。日本はどっちかというと、前者の両方ないほうが多いからいいんですけど、この危険なやつになると、使い方はすごく難しいんです。

病気にならない方法は入院しないこと

玉村 ある意味では、薬というのは毒をもって毒を制するみたいな部分がありますものね。薬は、全面的に善だという意識がどこかにあるけど、そうとは限らない。副作用はまさしくその通りで、それだけ効く薬を使わなければならないような状況というのは、それなりに危機的な状況なわけです。健康な人がそれを飲めば、かえって毒になるというようなものでしょう、基本的には。

木村 近藤誠さんの『抗がん剤の副作用がわかる本』(三省堂、一九九四)が出まして、私なんかもう前から、がんの薬についても書くべきだと思ってましたけど、あの本が出た次の年から、抗がん剤の副作用を書くようにしたんです。あれ書いていて思ったんですけど、ぼく自身がんになったらどういう行動をとるか。まずは、お医者さんにがんであることを知らせてもらいたい。あとは薬も何も飲まないで、ご飯もなるべく少なくして、体力を弱らせれば、苦しみも少なく、早く死ねるんじゃないか。(笑)

玉村 やっぱりぼくも、近親者とか友人でがんの人もいるんですけど、どうみてもちょっと無用な抗がん剤の治療をやってるんじゃないかと。それこそ、本人の尊厳を考えたら、とてもそこはやるべきではないんじゃないか、本人のためにとっても。本人も悩みながらやってるわけですね。

木村 本人に告知されてるんですか。

玉村 告知がされてる場合はそうですね。

木村 私も二人ぐらい、告知されてない近親者を見たんですが、なんかそれとなく知ってますね。

玉村 そうみたいですね、だいたいわかってる。

木村 お医者さんや周りの人が隠してるのに気をつかって、悟ってないふりをしているという感じがします。

玉村 病気はがんに限らず、闘うのか共存するのか、いずれにしても意識して、自分がそれに向かい合わないと治らないものだとぼくは思うんですよ。知らない間に病気にかかってて、知らない状態で治るというのは難しいと思う。やっぱり自分で闘おうとするのか、共存しようとするのかは、両方あるけれど、自分でそういう状態になって、だから「それじゃどうしよう」とか、あるいは「日常生活をどうもっていこう」とか、「人生の終わり方を考えよう」とかいうことが出てこないといけない。あと一年だったら一年の間、自分の好きなことをやって、もうそろそろ死のうと思う人がいてもいいですね。

 逆に、病院に入っちゃうと出られなくなっちゃうといいます。とにかく病気にならないための一番いい方法は病院に入らないことだっていうんですね。(笑)たしかに、検査をすれば、中年になっていれば、どこか叩けば埃の出る体になっているわけで、言われた瞬間にその人は病気だと自覚してしまう。さらに病院に入ると、とくに日本の病院の一番いやな部分というのは、たしかに体が不自由になったり、通常の状態じゃないから病院に入るわけですけれども、入ったとたんに社会から隔離されて、その人がどんな社会的な仕事をしていようが何してようが、子供扱いされるじゃないですか。「何々ちゃん」とか。

木村 一七、八の看護婦さんに。

玉村 人格を奪われるんですね。社会的な性格をすべて剥がされてしまう。そのストレスがすごく大きいと思う。それで病院に入って治療を受けているうちに、確実に体は弱ってきます。寝かされてるわけですし、仕事を奪われるっていうことも、社会になんらかの形でかかわっているものを剥がされるということは、その人にとっては、かなり精神的ストレスになりますから。病院に入ることは、一つの病気を加えることになる。それでぼく自身の経験から言いますと、入院した当時は、そういうものに対して不満があるわけです。「おれは昨日まで、外で仕事してたのに」って。だけど十日や二週間ぐらいたってくると、今度は患者であるということが、すごく心地いいことなんですね。寝ながらボタン押せば誰か来るわけでしょ、何がほしいって言えばすぐ来てくれるわけです。甘えてくるんですよね、逆に。不満と思いながら、だんだん甘えてきて、誰か他人に依存する気持ちが芽生えたときに、本当に病人になると思うんです。

 ぼくはそれが一番こわい。自分自身の変化として。そうすると、長いこと病院に入ってる人は、出るのがこわくなる。ある意味では、快適な環境になっちゃいますからね。最初の異常な環境を乗り越えると、かえって快適な環境になってしまう。

木村 サナトリウムで優雅な生活をしているような。

玉村ある意味ではそうなんですよね。それが長くなると、今度は社会に出るのがこわくなります。それは病院の対応もそうなっていますし、そうすると、それこそそういう状態で薬をもらえば、とてもじゃないけど、ただ「お薬ありがたい」と、飲むことしか頭がいかなくなります。

木村 洗脳されちゃう。

玉村 そうです。それは治療に、ある程度マインドコントロールが必要だという部分もあるんでしょうが、患者のほうが自らそれにはまりこんでしまうということもありますね。

木村 私も一度、胃潰瘍で入院したことがあります。今おっしゃったような、そういう状況になる前に、一週間ぐらいで「頼むから出してくれ」って、「家帰っていいですか、いいですか」っていうことばかり言ってました。しようがないと思ったのでしょう、帰してくれて、あと通院しましたが、お医者さんなんかも、自分が入院してはじめて、患者の気持ちがわかったと言いますね。そういう患者側に立った医療というのがこれから必要です。長野県ですと、佐久総合病院、あそこなんかすごくそういう患者の側のことを考えているようですね。若槻院長ですか。

玉村 名物院長。

木村 あれも政治力がないとできないんですね。だから、特徴のある病院は、みんな院長さんに政治力がある。また一方アメリカのような、ある程度、病院の管理をする人がいて、病院はこうあるべきだという、病院管理学というものの発達も、これから必要なんじゃないでしょうか。最近は日本でもあるようですが。

キュアよりケアの時代

玉村 地方に住んでると、みなさん心配してくれるのは「病気になったとき、どうするんだ」ということです。たしかに、救急医療とか先端治療みたいなものを考えてのことでしょうが、それは東京にいたって、特定のところに行かなくてはならないわけですね。倒れたらどこへ運ばれるか、自分でわからないわけです。ただ、ぼくはその経験がありますから、救急の場合に指定するところを何院か決めて考えています。実際にはそういう意味では、田舎に住んでるからといって、そんなに危険はないんです。

 むしろ、高齢者の医療を考えると、東京の病院より地方の病院のほうがきめ細かい対応をしてくれるところが多いですね。東京の病院、忙しすぎるんです。看護婦の手が足りなくて、たとえば老齢者が、痛いとか苦しいと言ったときに、それこそ誰か人がきて、声をかけてやるのが大事なわけですよ、薬与えるよりは。田舎のほうは、小諸とか佐久とかの病院を知ってますけど、もう老齢者ばかり、レクリエーションセンターみたいになってます。結構そういう意味では、お年寄りにやさしいところがある。治療に関してはまあ、お医者さんのレベルもいろいろあって、ちょっと不安もないではないんですが、基本的に院長先生が信頼できて、看護婦さんがしっかりしている病院であれば、もうまかせられるという気がしますね。

木村 ある意味では、キュアよりケアという時代になって、なるべく在宅で周りの人が見てあげるということが、これは医療費が爆発的に高くなったという背景があるにせよ、いい方向ではないかと思いますね。

 昨日ちょっと打ち込んだデータで、特例許可老人病院っていうのがありましてね、要するに、一人患者が入ると「一か月の医療費が三〇万なら三〇万ですよ、この中でやりなさい」という、私たちは「まるめ」といってるんですけど、「まるめて三〇万円」。今、日本の医療は出来高払いなんです。だから、注射を打ってなんぼ、手術やってなんぼ、検査やってなんぼ。ところが、この「まるめ」をやってみた老人病院、「まるめ」の点数をつけたら、注射が半分に減ってるんですね。投薬や検査も三分の一ぐらい減る。要するに、何やっても三〇万円しかもらえませんから、それで一番減った薬は何かっていうと、老人痴呆の薬、ガクっと減ったんです。ということは、効かないのに使ってたという例なんですね。やっぱり出来高払いという中で、そういう儲かるもの、高いもの、あるいは儲からなくてもメーカーさんとの付き合いだからということで薬が左右されるというのは、すごくもったいないことですね。

玉村 医療も経済的行為ですから、やむを得ない部分もあるんでしょうが、出来高払いだと儲けようとするし、まるめてだと損しないようにしようと、そういう方向に動くわけですね。

木村 だから、これは言ってみれば、サプライ・サイドからなんとかしようという考え方です。一方でやっぱり、コンシューマー意識というものがこれからはすごく大事だと思う。日本では、消費者のことなんかほとんど考えてないんです。お医者さんだとか、製薬メーカーさんだとか、そういったところのことしか考えてない。やっぱりこれは消費者の側から薬をよくするという感覚がないといけません。アメリカでも実は三代前のお医者さんは、「薬は黙って飲みなさい」という感じだったらしい。それを変えてきたのがラルフ・ネーダーたちのあの消費者運動だった。消費者、患者サイドが変えてきたんですね。

玉村 こういう時代になって、少しはゆとりが出てくるというか、みんな周りで老齢化した場合を見てますと、やはり健康には切実な関心をもたざるを得ないですね。自分の健康が家族の生活と直結しているわけだし、自分の健康はやはり自分で守るという意識がないとやっていけないと、みんな思いはじめてますね。

木村 私、むしろ痴呆になるよりはがんになったほうがいいと思っているんです。尊厳がある。痴呆が一番こわい。

玉村終わりよければすべてよしといいますが、本当にその人の培ってきた人生が最後で、痴呆の姿をさらすことによってゼロになっちゃう。やっぱり、最後まで、その人の人生の表現をしないと。最後が痴呆だったり、強烈な苦痛だったりすると、本当に人格が存在しないですものね。苦痛もそうですね、罵倒して死ぬようなことになるでしょ。「せっかくあんないい人だったのに、最後にあんな死に方をして」と言われたくない。そんなたいした尊厳はないけれど、尊厳というのはおこがましいけれど、多少は認めてもらいたいという気はしますよ。

木村 あとで、お祖父ちゃんは頑固だったね、ぐらいのね。

薬の情報もインターネットで

木村 ここで終わると仲間に叱られますので、一言いっておきたいんですが、世界的なトレンドとして医療費というのはすごく上がっています。だから、簡単な病気だったらセルフ・メディケイション(自分で薬を選ぶ)でやろうという考え方ですね。その一つとして、お医者さんが使いはじめて、かなり長く使われて、副作用についても有効性についても安全性についても、ある程度わかった薬は薬局でも売らせようという、まあ一つの方策なんです。薬局で売ってる薬のことをOTCといいます。オーヴァー・ザ・カウンター、カウンター越しに説明しながら売るわけで、頭文字をとってOTCです。そのOTCのなかに、医療用の医薬品から変換してきたものを入れるようにという運動ですね。私はあまりOTCのこと詳しくないんですが、結構あるんですよ。

 まあ、これは非常に難しい問題なんですけど、ちょっとした風邪ぐらいだったら、お医者さんに行って、それこそいろんな検査までやると、医療費たまりませんから、まあ二、三日か四、五日は薬局の薬で様子を見て、それで治らなかったらお医者さんにかかりなさいと。胃の場合でも、なんとか胃腸薬とか、そういうものを一週間ぐらい飲んでみて、それで治らなかったらお医者さんに行って、胃潰瘍でないか、胃がんでないか診てもらいなさいというようなことで、まず薬局でその薬を買って、というような形を宣伝してるんです。まあ、ビタミン剤のドリンクは日本だけのものですけどね。

玉村 たしかに、ちょっと微熱があるからって風邪薬を買おうと思っても、たとえばフランスでは、やっぱり病院に行かなくちゃならない。半日かけて処方箋もらってから薬局に行く、それは不便ですよ。それこそアメリカなんかで、お産のとき、医療費高いから病院の前のホテルで待機してるんですね。もう産気づいたときからパッと入院して産んで、産んだらまたすぐ退院して、一日でも少なく病院にいて費用を少なくしようと。ホテルのほうが安いっていうんです。だから大きな産科の病院の周りには、それを目当てのホテルがいっぱいあるそうです。だから、コスト意識というのは、そこまでいくといきすぎかもしれませんけど、やっぱりわれわれも消費者である以上、消費者のほうのコスト意識を持たないといけないんですね。

木村 日本では本当に、医療に対する消費者運動みたいなものが育ってないような気がするんです。ただ、私もちょっとコンピュータやって、いま一生懸命、愛知県薬剤師会のホームページというのを作ってるんですけど、こういう情報化時代ということになると、患者のほうが、下手な薬剤師や医者よりも調べてくるんじゃないですか。アメリカのがんセンターの情報でもインターネットで誰でも読める。そういう時代になるということも、医療側は十分注意しないといけません。この間、ある製薬メーカーが鼻炎の薬をホームページで宣伝してる。どこにでもあるという薬じゃないものですが、患者さんは、その薬は愛知県の西春日井郡だったらどこの薬局に売ってるかということまで、それで調べられます。で、うちにやって来て「Aという薬ください」と言うんです。「あなた、どこでその名前聞いたの」って言ったら、「インターネットです」。

玉村 これはたしかに医療の面では、インターネットの情報はすごい大きいですね。そうすると国内だけで情報規制しても意味がない、公開してるところを探せば出てきちゃうわけですから。国境を超えちゃいますね。たしかに患者にとっては強い味方になります。

木村 やっぱり、アルビン・トフラーじゃないですけど、情報が世の中を変えていくと思います。情報の操作っていうのは、これからはできなくなるでしょう。薬についても、患者さんがそういう情報に接することができるようになった。そういう時代、お医者さんのほうも、態度を変えないといけないんじゃないかな。

玉村 かえって、患者のほうがよく知ってるようなことにもなりますね。患者は自分のことですから、必死に調べますよ、それは。

木村 患者は責任もあります、自分のことですから。

玉村 だから、お医者さんが、「お前は医者でもないのに知ったようなことをいうな」と言ったら、「あなたは患者でもないのに」と言い返せばいいんです、本当は。(笑)

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