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  やさしい現代詩 ─ 自作朗読 CD付き


やさしい現代詩 ── 自作朗読 CD付き

小池昌代・林 浩平・吉田文憲 編著

1,600円 四六変型判 120頁 978-4-385-36383-7

代表的な17の詩篇から、ことばの魅力を味わい、鑑賞する待望の自作朗読CD付き本!
「易しい」「優しい」詩は、ことばのひびきや、しらべの美しさを併せ持つ。詩の本来のちからを喚起するため、詩人本人による自作詩朗読をおこない、編著者による簡明な注釈を加えることで、作品鑑賞の入り口を用意。

2009年2月10日 発行

編著者略歴   まえがき   目 次   あとがき



編著者略歴

  • 小池昌代(こいけ・まさよ)
    • 1959年生まれ、詩人・小説家・エッセイスト
  • 林 浩平(はやし・こうへい)
    • 1954年生まれ、詩人・日本文学研究者
  • 吉田文憲(よしだ・ふみのり)
    • 1947生まれ、詩人・評論家

まえがき

「やさしい現代詩」とこの小冊子のタイトルを掲げたが、ここでいう「やさしさ」とは、それが無理なく誰にでも理解できる詩というほどの意味である。

だが、逆説めくが、やさしい(それが易しいであれ、優しいであれ)詩とは、なんとむずかしいことであろう。いうまでもないことだが、やさしい詩を書こうとしたから、やさしい詩が書けるというものではない。やさしさやわかりやすさの基準は、ほとんど各人の

恣意性にゆだねられている。そのことも含めて、だからなにがやさしいかなにがむずかしいかは、いかにもあやしげなものの言い方である。

おそらくそこにある基準はただひとつ、その詩がその人のこころに届くかどうか、その人が感動したり、なにかしらいままで気付かなかったことに気付いたり、見えなかったものが見えたり、それまで感じなかったことを感じたり等々、詩の言葉との、あるいはそれを通して「世界」とのそういう出会いがありうるかどうかということが、とりあえずは「やさしい現代詩」ということの要諦(大切なところ)であり、その言挙げの背後にはひそんでいる。

詩は驚きであり、発見である。これはそういう言い方をしてもいいだろう。

その人だけが見ている目、その人だけが感じているもの、そういう「世界」との出会いの個別の感受性の驚きや発見がすぐれた詩には必ずある。

 一つだけ例をあげよう。

 吉原幸子氏のよく知られた詩「無題」の冒頭。

  風 吹いてゐる
   木 立ってゐる
   ああ こんなよる 立ってゐるのね 木

これを仮に「風が吹いてゐる/木が立ってゐる」とやったら、これは凡庸きわまりない小学生の作文のようなものになるだろう。だがこの一文から ‶が″を抜いてみる。するとその助詞を抜いた隙間からふしぎな風が吹いてくる。そこに立っている木が見えてくる。こんな夜(になにがあったかはしらないが)、毎日見ているはずなのにいま初めて気付くかのように、そこにその木が立っていることに詩人は気付いた、それが風に揺れていることに驚いている。ああお前はそんなところに立っていたのか、と木に呼びかけているかのようである。

詩はこのように未知のものへの呼びかけでもある。ここに収録した詩にはそのような未知の声があることを信じて、私たちはこれらの作品を選択した。

もう一つ。私たちは、この本を、現代詩になじみのない文学ファン、中学生、高校生、大学生の若い人たちに、いま書かれている現代の詩の息吹きを知ってほしい、読んでほしいと熱望する。詩は時代の気分、動向の鋭敏なアンテナである。ときにそれは時代への予兆的な危機のサインでもありえる。

本書が自作朗読CD付きであるのは、読者の方々に、書かれた文字に耳を澄ますだけでなく、詩人の肉声を通して顕ちあがる詩の身体、そこで呼び覚まされた読者自身の内なる声、生の感覚に直に触れて欲しいと願うからである。

それはこの本を企画した私たちの側の、未知の読者への呼びかけでもある。

その呼びかける声がどうか読者の皆様のこころに届きますようにと願って、私たちはこの本を世に送り出す。

 

二〇〇八年十月

吉田文憲


目   次

  • まえがき 1
  • 谷川俊太郎 私は私 8 トラック(1)
  • 平田俊子 宝物 12 トラック(2)
  • 田口犬男 天使が通る(抄) 18 トラック(3)
  • 小池昌代 夕日 26 トラック(4)
  • 伊藤比呂美 ナシテ、モーネン 32 トラック(5)
  • 佐々木幹郎 行列 40 トラック(6)
  • 岬 多可子 硯の底 44 トラック(7)
  • 新川和江 欠落 48 トラック(8)
  • 稲川方人 西武線練馬映画劇場のおばあさんへ ── アミの手紙
                   古賀忠昭のために 52 トラック(9)
  • 安藤元雄 この街のほろびるとき 62 トラック(10)
  • 林 浩平 光の揺れる庭で I 66 トラック(11)
  • 高橋順子 貧乏な椅子 72 トラック(12)
  • ねじめ正一 かあさんになったあーちゃん 78 トラック(13)
  • 吉田文憲 祈り 92 トラック(14)
  • 藤井貞和 あけがたには 96 トラック(15)
  • 白石かずこ バス停 100 トラック(16)
  • 入沢康夫 水辺逆旅歌 106 トラック(17)
  • あとがき 114

あとがき

やさしい現代詩。現代詩がやさしい? ── この題名に反語のひびきを聴く読者もおられよう。そもそも現代詩という言葉は、世間の日常会話のボキャブラリーに入ることはまずない。文学とか小説とかいった言葉ならどこでもすんなり流通するにかかわらず。だからそれだけで現代詩は、どこか秘教的で、世間に背を向けた気難しい営みと受けとられがちだ。

実際、詩というものは、確かにそんな一面を持つのを否定できない。公約数的、あるいは民主政治的な最大多数の幸福と利便のために働く、という機能から逸脱して、言葉は時にみずからを極限状態にまで赴かせる。そこでなければ開花しない絶対の美や力があるからだ。詩は言葉の特権的次元を求める。いわゆるhappy fewの神話は真実だろう。

しかし、日本の現代詩は、これまでなんと長い間、happy few すなわち選ばれた幸福な読者との蜜月に凭れかかってきたことか、と思う。惰性というのは恐ろしい。過疎のムラ社会に生きることが日常となれば、現代詩は詩であることを忘れ、一種の文学的方言であることに居座ってしまう。この観察は、いまの現代詩を取り巻く状況を見るに、残念ながら「正しい」と言わざるをえまい。

現代詩の言葉を、この社会のなかに送り出してみよう。三百六十度、辺りを見回してもどこにも避難壕(シェルター)などないところで、われわれの言葉を無数の眼差しに晒してみてはどうか。

そのための試みとしてここに選んだのは、詩の書き手による自作朗読である。詩の言葉にとって、それを書いた詩人は全能の神でもなんでもない。ただ、もっとも純粋な読者のひとりであり、よき理解者であるはずだ。そのひとが読みあげる声に、言葉に耳を傾けてみたい。そして、詩の本文を開いて、解説のコメントを手がかりにしながら、じっくりと詩の言葉そのものに対峙してみる。そのとき、そこになにが「読める」だろうか。

現代詩は、想像したよりも案外やさしいかもしれない。それともやっぱり難しいだろうか。その判断は、読者の皆さんに委ねよう。

朗読作品の選定に際しては、三人の編者がそれぞれに「この詩の自作朗読を聴いてみたい」という視点から候補作を挙げ絞りこんだ。今回の録り下ろしの作業にご協力くださった諸氏に感謝申し上げる。

また本書は、姉妹版のエッセイ集『生きのびろ、ことば』と並行して企画された。辞書出版の老舗であり、日本語や言葉の問題をめぐり意欲的な出版事業を続ける三省堂から刊行されるのも、本書の性格にふさわしいだろう。大きな情熱で本企画を支えてくださった三省堂の飛鳥勝幸氏に編者一同感謝申し上げる。

二〇〇八年十月

林 浩平


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