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誹風 柳多留全集
[新装版]
全12巻 別巻・索引篇

写真

岡田 甫校訂

セット価格 150,000円 [分売不可] 各菊判 
320〜344頁・索引篇1,024頁 978-4-385-35850-X (品切)

1999年6月30日発行

明和〜天保年間にかけて刊行され
広く人口に膾炙された川柳の集大成本
「柳多留」の全篇167篇11万余句を
80年代に小社より初めて成立年代順に活字化
したものを、完全に復刻。
[五十音順]索引篇も加えた
川柳愛好家、近世文学研究家待望の
全巻セット新装版。


待望の全集     田辺聖子

「柳多留」はまことに魅力的な民衆詩集で
あるが、全一六七篇、あまりに浩瀚なるため、
従来は各氏の選による抄集が世に出ていた。
このすべてに目を通し、「柳多留」の面白さを
わがものにしたいと思う気持が強かったが、
ここに全集が成って待望が叶えられた。どの
ページを繰っても生活の笑いが躍動して楽しい。


全167篇の活字化は本書が初めてであり、本篇のほか別篇も収録。

できるだけ初版本によって厳密に校合し、字体についても可能な限り原形を示すよう、留意した。

寛政改革の影響による改刷本の改挿句も示した。

新発見の川柳万句合によって、その出典の明示をさらに充実。また色刷の「柳多留」8篇や2篇の奥付など、初めて公開される貴重な資料も収録。

二篇41・42丁の連句をはじめ、各篇の扉・序・軸・跋などに記載された選者たちの句もすべて網羅。

読みにくい原句には、半濁点・濁点を付し、また、明らかな誤刻は正しいものに改めてあるので、解釈の一助ともなり、初心者にも十分活用できる。

各句には、収録されている原本の篇数・丁数を明示し、既刊のどの柳書にも共通に利用できる。

索引篇には「柳多留」初篇から167篇までに収められた、およそ11万3600余句を五十音順に配列し、一本で総覧できるようにしたものである。あわせて全12巻の初句引き、総句(17音)引きの索引になっている。



●序

 この柳多留全集は、川柳集「誹風柳多留」の初篇より、現在までに発見された百六十七篇までの忠実な翻刻を旨としたもので、全篇の活字化は今回が初めてである。「誹風柳多留」は、明和二年(一七六五)の初篇発行以後、天保十一年(一八四〇)までの約八十年間にわたってつづけられた長期出版であり、編集方式も一再ならず変転している。この間、異本、欠丁本、寄せ集め本などが横行し、底本とすべき良書の発見がきわめて難しいものが多い。従って明治以後、斯界の先覚者たちによって、長い間、地味な書誌学的研究もなされて来たのである。

 その成果が顕著に現れ始めたのは昭和に入ってからで、岡田三面子博士の初版本の蒐集並びに後刷本(異本)との比較研究に負うところが多かった。昭和八年に刊行された影印本『誹風柳多留全集』上中下三冊は、監修者岡田博士を中心に、斯界の大家の総力を結集して成った労作である。画期的な出版ではあったが、後刷本の混入や錯丁の処理など、なお多くの問題が包含されていた。 岡田三面子博士のご研究は、博士の歿後、島根大学文理学部教授水木真弓先生によって引き継がれた。特に「誹風柳多留」編纂の原典となった川柳評万句合の蒐集並びに研究が進むにつれて、初期柳多留の句の多くの出典が漸次明らかにされたことは、特筆すべき成果である。水木先生歿後も、この方面の研究は多くの後継者によって、なお続行されていることは言うまでもない。本全集は、その成果を出来得るかぎり明らかにするであろう。

 「誹風柳多留」の翻刻に当たって、もう一つ重要な基本的問題がある。それは、丁数がどのようにして整理されているかということで、その点に関し、少しく解説をして置きたい。当時の雑俳集や柳書には、一貫した丁付のないもの、全く丁数を記してないものがしばしばある。錯丁などは問題にするのもおかしいくらいで、一句一句の鑑賞を主としたこれらの編著は、前後の倒置などさして問題にはならなかったのであろう。そして、柳多留百六十七篇までの中にも、こうしたものが決して少なくないという事実である。明治以後に活字化された柳多留集のほとんどが無丁であった。柳多留六十篇までを翻刻した国書刊行会本『柳樽全集』(明治44年刊『近世文芸叢書』八・九巻の合本)、三十一篇までを収載した名著全集本『川柳雑俳集』、ニ十四篇までを三冊に分刊した戦前の岩波文庫本『誹風柳多留』、これらはいずれも丁数を入れていない。底本に用いた原本のすべてに丁付があれば問題はないが、丁数の付してない原本を翻刻するに当たって、恣意的に丁数を加えることが許されるかどうか、いささか問題のあるところで、もし丁数を入れるとすれば、底本の選定はよほど慎重を期さなければならないだろう。この間の事惰を語るもっとも纏まった論考は、「やなぎたる研究』第百五号(昭和九年一月発行)に掲載された、水木真弓先生の「柳多留丁数考」である。これは前記、影印本『柳多留全集』の不備な点を鋭く指摘したばかりでなく、丁数記入のないもの、丁数の記載はあっても、一貫した丁付になっていない篇について、いくつかの試案を出されている。後年の『稿本柳多留全集』は、この「丁数考」を基礎として、さらに学問的に合理化されたものだった。

 しかし、問題点がすべて解決されているわけではなく、校訂者の見識によって、あるいは意見をさしはさむ余地はいくらもあろう。丁数記入の歴史をたどれば、水木先生の試案以前からすでに行われており、その先鞭をつけられたのは、前記岡田博士であった。昭和五年刊の『謡曲と川柳』には、現行とほぼ同じ記号による出典が記されており、柳多留からの抄出句には、篇数のみならず丁数まで記したものが数多く見出される。また、同様の方式で雑誌に発表された論文もきわめて多い。そうした既成事実を踏まえた上で、自説に固執せず、先人の業績ともいえる丁数記入を無意義ならしめないように配慮された、水木先生の心遣いもまた尊重されてよいだろう。

 とにかく現在の出典記入は、すべて水木本によって行われていることでもあり、校訂者も多少の意見は持っているが、そうした実情に鑑み、いたずらに混乱させることなく、丁数記入はそのまま水木本を踏襲することにしたのである。 戦後の古川柳研究界に、画期的な資料を提供した山沢英雄氏校訂の岩波文庫本『誹風柳多留』五冊(初篇〜二十四篇・索引付き)は、学問的な基礎研究の上に築かれたすばらしい編著であるが、基本的には「水木本柳多留」の一部ということができる。このことは山沢氏自身、その例言に述べられている通りである。

 岩波本発行後、水木本『稿本柳多留全集』は、校訂者の主宰する近世庶民文化研究所から刊行された。これは、岩波文庫本との重複を避けて、二十五篇から百六十七篇まで逐次発刊されたのであるが、当時の出版事情もあって活字化ができず、次善策として謄写印刷となった。昭和三十五年に開始され、同四十二年に完結を見たが、部数も少なく、一部研究家の書庫に収まって、市場に出ることはきわめてまれである。しかし、この全集本もなお多くの問題を残していた。

 柳多留研究に生涯を捧げられた水木真弓先生はその時すでに亡く、御令弟水木直箭先生の監修、御助力によってとにかく、この遺稿の刊行を無事終了することができた。京都に於ける出版完了祝賀会の席上、直箭先生から、「泉下の霊もために祝杯をあげて喜ばれたに違いない」とのお言葉をいただいたが、その直箭先生も、今年(昭和五十一年)ついにみまかられた。

 今回の出版も、やはりその意味で「水木本柳多留」の活字化にほかならない。水木先生の生涯にわたる御研究の成果が、本全集十二巻のうちに、脈々と流れているといってよかろう。

 なお、微力ながらも校訂者としては、長年にわたる「柳多留」諸本の完璧な蒐集を期し、本全集においてその成果の一端を公にすることができるのは、水木先生の業績を補う意味でも、まことに喜ばしいことと考えている。その後、川柳評万句合の新発見による出典記入もあり、柳多留全集へ加えたい刷物も入手してある。柳多留二篇は数年前架蔵となったものに刊記が明記されており、従来、明和三年刊と推定されていたものを明和四年と訂正することもできた。

 今回の出版に当たっては、校訂者架蔵本に加うるに、七久保博、八木敬一両氏の蔵本の中から初版本を選りすぐつて、全篇にわたり数種類の諸本を対校できたことは幸いであった。以上の理由からいっても、本全集は、現在望み得るもっとも正確、かつ厳密な校訂本であろうことをいささか自負するものである。

 柳多留全集十二巻に引きつづいて、全索引を作成する予定である。総句数十一万余、その索引が実現すれば、庶民文芸の一大牙城である『誹風柳多留全集」の利用価値もさらに倍加されるであろう。

 本全集の校訂に当たって、原本校合は鈴木倉之助氏を専任とし、これを補うに八木敬一・佐藤要人の二氏を当てた。また校正は、もっとも厳密を要するものであるから、佐藤要人氏に依嘱し、八木敬一・佐藤守・松村武久の三氏を補充して完璧を期した。索引は清博美氏を専従とし、前記緒兄の御援助を請う予定である。なお、多くの古川柳研究家の御支授と御助言をいただいたことを感謝している。

 最後に浩瀚な柳多留全集刊行という難事業を快く引き受けて下さった三省堂、きわめて面倒な組版・印刷に従事された明和印刷所の御尽力に対し、深甚の謝意を捧げる次第である。     

 昭和五十一年十月一日

校訂者  岡 田  甫



●「索引篇」あとがき

 本索引の作成は、昭和五十一年初冬、『柳多留全集』第一巻の再校ゲラ刷が出た段階から開始されたわけで、完成までに丸八年間の歳月を費したことになる。総句数十一万三千六百余、明和二年(一七六五)の初篇発行以後、天保十一年(一八四〇)までの約八十年にわたってつづけられた長期出版だけに、江戸語の変遷もあり、川柳上の約束の変化も見られるばかりでなく、寛政改革を挟んで表現の自由もかなり拘束された気配も見える。従って、隠喩・諷喩がその反動として、修辞上に表れるのもそうした時代背景があってのことであり、句が晦渋となり、二重構造の句体を形成するのも、当時の川柳作家達の苦肉の策であったかも知れない。寛政以後の川柳に、いわゆる狂句や楽屋落ちの句が多発した要因でもあったろう。

 川柳は先人のすでに指摘するごとく、江戸の民衆詩である。作者は、上は大名から下は長屋の熊さんに及ぶあらゆる階層を網羅したものであるから、それだけに侍言葉・町人音葉・職業語・古語・俗語・方言・卑語・洒落語が、川柳語彙として頻出するのである。つまりは、無統制に種々雑多な言葉だけが氾濫する結果となった。

『柳多留』を五十音順に配列し、索引を作成することは、一つの学問的領域に属するものであり、これらの多種多様な語彙に、一応の基準を付加しなければならない。これはひとり川柳のみならず、江戸の俗文芸全般に共通する悩みであるが、実際に本作業の過程で、これが極めて至難の業であることを、いやが上にも思い知らされたのである。例えば「行灯」は「あんどん」の訓みでよろしいが、中には仮名で「あんどう」と表現した句もある。「暗い」は「くらい」でよかろうが、「くれえ」と仮名で書かれたものもある。「御」は「ご」「お」のどちらでも通用するものがあり、「家守」を「いもり」と訓ませている句もある。「食もたれ」は「しょくもたれ」か「くいもたれ」か、「生酔」は「なまえい」か「なまよい」か、また原句に誤りありと認められるものでも、適当な正字を得られないものもあった。これらの句を、索引の中に位置づけるのは決して容易なことではないのである。そこで、一応の規準を設定し、規準に外れているものは、それなりに理解できるよう配列に考慮を加えたつもりである。句の検索にもっとも便利なように、というのが眼目であり、それはほぼ日的を達し得たと信ずる。

 本索引の作成に当り、清博美氏に長期間に亘って基礎作業に従事していただいたが、その後の難語・類句の処理、配列変更等については、鈴木倉之助・八木敬一・岡本靖彦・佐藤守・松村武久の藷氏の御協カをいただき、最終決定は不肖佐藤要人の判断に於て行われたことを記し、責任の所在を明らかにして置きたい。校訂者故岡田甫先生より負託された責任の一端を、諸兄と共に果たし得たことを喜びとするものである。

 なお、長期間に亘ってこの難事業に献身された三省堂、並びに明和印刷に対し、万踵の感謝を捧げる次第である。

     昭和五十九年七月四日

佐藤 要人識



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