ことばは人を育て、未来をきりひらく知の源です。三省堂はことばをみつめて135年 サイトマップお問い合わせプライバシーポリシー
三省堂 SANSEIDOトップページ 三省堂WebShop辞書総合サイト Wrod-Wise Web教科書総合サイト ことばと教科
辞書教科書電子出版六法・法律書一般書参考書教材オンラインサービス
書名検索漢字かな著者名検索漢字かな詳細検索
新刊・近刊案内
メディアでの紹介
本の注文
書店様専用
大学向けテキスト
卒業記念
名入れ辞書
品切れのご案内
「ぶっくれっと」アーカイブ
会社案内
採用情報
謹告
三省堂印刷
三省堂書店へ
三省堂書店はこちら
声に出して読めない日本語。
「ほぼ日刊イトイ新聞」
(『大辞林』タイアップ・サイト)
  わが20世紀・面白い時代


わが20世紀・面白い時代

エリック・ホブズボーム 著、河合秀和 訳  (品切)

4,400円 A5 464頁 978-4-385-36125-3

20世紀後半を代表する歴史家がつづる、驚異の20世紀私史。「短い20世紀」を苛烈に生きた歴史家の記憶を通して、私の歴史と世界の歴史が一つに重なり合う。賞賛を浴びた傑作『20世紀の歴史』の姉妹編。巻頭に16頁(31葉)の写真。

2004年 7月30日 発行

著者・訳者紹介   目次     訳者あとがき
編集者から   『21世紀の肖像』 (品切)



●著者・訳者紹介

【著者】エリック・ホブズボーム(Eric Hobsbawm)

 1917年、アレキサンドリア(エジプト)に生まれる。ウィーンとベルリンで育ち、のちイギリスに渡る。ケンブリッジ大学で経済史を学び、1982年に退官するまでロンドン大学で教鞭をとる。その後は、ニューヨークの大学院大学ニュースクール・フォア・ソーシャルリサーチで教授職を務めるかたわら、文字どおり世界各地を飛び回って講義・講演を行なう。独、英、仏、西、伊、露をはじめとする多言語をあやつるポリグロット。 有名な「長い19世紀」(1789~1914年)、「短い20世紀」(1914~1991年)の概念を提唱し、驚嘆すべき総合の才を発揮して、1994年には記念碑的な[19世紀・20世紀史]4部作を完成させた。その最終巻が、既刊の『20世紀の歴史』であった。

【訳者】河合秀和(かわい・ひでかず)

1933年、京都生まれ。東京大学、オックスフォード大学に学ぶ。学習院大学名誉教授。専攻、近現代ヨーロッパ比較政治史。著訳書多数。

このページのトップへ



●目  次

序 3
第1 章  序曲 8
第2 章  ウィーンの幼年時代 15
第3 章  つらい時代(ハード・タイムズ) 33
第4 章  ベルリン ―― ワイマール死す 50
第5 章  ベルリン ―― 茶色と赤色 68
第6 章  島国にて 82
第7 章  ケンブリッジ 103
第8 章  ファシズムと戦争に抗して 117
第9 章  共産党員であること 130
第10章   戦争 154
第11章   冷戦 175
第12章   スターリンとその後 197
第13章   分水嶺 218
第14章   クニヒト山麓にて 231
第15章   六十年代   244
第16章   政治の観察者 260
第17章   歴史家たちの間で 278
第18章   地球村の中で 293
第19章   マルセイエーズ 308
第20章   フランコからベルルスコーニへ 330
第21章   第三世界 353
第22章   FDR からブッシュへ 375
第23章   終曲 400
原注および訳注 418
訳者あとがき 419
索引



●序

 自伝を書こうとする人は、同時に他人の自伝も読まざるを得ない。本書を執筆中の私は、非常に多くの知人がそれぞれ自分の生涯のことを活字にしているのを発見して驚いたものだった。いうまでもなく、知人たちよりも(一般的には)有名な人々で、あるいはいっそう悪名高い人々で、誰か他の人に伝記を書いてもらった人は多い。それに私は、自分の同時代人たちがフィクションという偽装のもとに書いたかなりの数の自伝的な著作については計算に入れていない。おそらく、私のように驚くほうがおかしいのだろう。職業上、ものを書いたり伝えたりしている人間は、同じようなことをしている人々の間で暮している。こうして、この自伝めいた本、それに新聞記事、インタビュー、その他の印刷物、さらには録音テープやビデオテープが生まれる。しかも、そのうちの驚くほど多くのものが、大学で生涯をすごしてきた人々――男女を問わず――によって生み出されている。私だけではないのだ。

 それでも、私のような人間がなぜ自伝を書くのかという疑問は生じるだろう。さらには、いっそうもっともな疑問だが、私とは特に関係のない人々や、本屋の店頭で本書の表紙を見るまでは私という存在について何も知らなかった人々が、なぜこの本を読んでみようと思うようになるのか、という疑問が生じる。私は、ロンドンにあるチェーンの書店の「伝記」部門の書棚に、「パーソナリティーズ」とか、今日の流行語でいう「セレブリティーズ」として、特別に分類されるような人間ではない。このような部類に属しているのは、理由はなんであれ、とにかく有名で、その名前を聞いただけでその人の生涯について知りたくなるような人物である。それに私は、政治生活を送ったおかげで自伝が「回想録」と呼ばれる資格を持つようになった人々と同じ部類に属しているわけでもない。一般に、そのような人々はもっと広い政治の舞台で活動し、自らの行動を記録したり、弁明したりする。さもなければ、大きな事件や、それにかかわる決定を下した人々の身近に生きた人々である。私は、そのような人々の仲間ではない。おそらく私の名前は、二十世紀のマルクス主義研究や歴史研究など、一、二の専門分野の歴史の中には出てくるだろう。二十世紀イギリスの知的変化についての本の一部にも出てくるかもしれない。ウィーン中央墓地にあるはずの両親の墓は、五年前、いくら探してもついに見つからなかったが、私の名前がそれと同じように完全に視界から消え去ってしまったとしても、イギリスやその他の国々の二十世紀史の物語には、何ら目立った空白が生じることにはならないだろう。さらに言えば、この本は最近非常によく売れている告白調で仕上げたものではない。そのような自己中心的なふるまいが許されるのは天才だけであって、私自身は聖アウグスチヌスでもルソーでもないからである。また一つには、まだ生きている自伝の著者がこれまた現存の他人にかかわる私的な真実を語れば、そのうちの誰かの感情を不当に傷つけることになるからである。私には、そのように他人を傷つけたいと思う理由はない。それは死後に書かれるべき伝記の領域に属することであって、自伝の領域に属するものではないのである。いずれにせよ、われわれがこのような私的真実をどんなに知りたいと願ったとしても、歴史家はゴシップ欄の担当者ではない。将軍たちの軍事的功績は、彼らがベッドで何をしたか、しなかったかによって判断すべきではない。ケインズとシュンペーターの経済学を、この二人の充実した性生活――内容はそれぞれ違っていたが――から理解しようとする試みは、失敗に終わらざるを得まい。ベッドの寝具の下をのぞきこむような伝記がお好きな読者は、私のこの自伝にはがっかりされるのではないかと思う。

 さらに言えばこの自伝は、著者の生涯についての弁明として書かれたものではない。もし読者が二十世紀の歴史など理解したくないと思われるなら、自分を正当化しようとする人々、つまり自分自身の弁護人になっている人々の自伝か、その逆、つまり自分の犯した罪を悔いている人々の自伝を読まれるのがよかろう。この種の自伝はみな、被告が検察官の真似をしている裁判のようなものである。知識人の自伝であれば、その人の思想と態度と行動に触れることになるのは当然だが、それは自己弁明であってはならない。本書には、一生を通じて共産党員であった風変わりな「マルクス主義者の歴史家ホブズボーム」という、いささか異例の人物に関心を持ったジャーナリストたちから一番多くたずねられた質問にたいする答えが含まれていると思う。しかし、それに答えることが目的だったわけではない。私の政治的態度については歴史が判決を下すであろう。現実に歴史は、すでにかなり大きな判断を下している。そして私の本については、読者が判断を下されることであろう。私がしようとしているのは、歴史を理解することであって、何かに合意したり賛成したり共感したりすることではない。

 それでも、人間には他人のことを知りたがる好奇心というものがあることは事実である。だが、それとは別に、この本を読んでみようという気にさせるいくつかの理由があるのではないかと思う。私は、人類史の中でもっとも異常で恐ろしい一世紀の大部分を生きた。いくつかの国で暮し、三つの大陸のその他の数か国で見聞するところがあった。たしかに紙の上に印刷されたものとしてはかなりの量を後に残してはいるが、この長い生涯の過程でそれとわかるような痕跡を残したわけではない。しかし十六歳で歴史家であることを自覚して以来、私は自分が生きた時代の歴史をこの目で見、この耳で聞き、そして理解しようと努めてきた。

 私は、十八世紀末から一九一四年にかけての世界史〔十九世紀三部作〕を書いてから、『極端の時代』〔三省堂刊『20世紀の歴史』(上・下)の原題〕というタイトルの、私のいわゆる「短い」二十世紀史に手を染めることになった。たんなる学者としてではなく、人類学者が言うところの「参与観察者」として二十世紀史を書いたことから恩恵を受けたと思っている。二重の意味でそうであった。時間と空間の点では遠く離れた事件であっても、それが私の個人的な記憶の中にあるために二十世紀史が若い読者にとって明らかにいっそう身近なものになったと思う。同時にそれは、古い記憶にたいする若い読者自身の記憶を新たに覚醒させることにもなったと思う。客観的でなければならないという歴史家の義務感が強く働いたことは事実だが、この本は私が書いた他のどの本にもまして、「極端の時代」に特有の情熱をこめて書かれている。歴史家の義務と情熱、そのいずれかに関心のある二種類の読者がそう言ってくれた。しかしそれ以上に、もっと深い意味で、一人の人間の生涯と時代とがからみ合い、そしてその両者を観察したことが、一つの歴史分析を生みだすことになったのである。私はそれが、生涯と時代のいずれからも独立したものであってほしいと願っている。

 それが、自伝にできることなのである。ある意味でこの本は、私の二十世紀史である『極端の時代』の裏面である。一人の個人の経験によって例証された世界史ではなく、そのような経験を形づくるような世界史なのである。そこには、つねに変化しつねに限られた範囲のものではあるが、一連の選択の余地が存在する。カール・マルクスの言葉をかりて言えば、「人間は[自らの生活を]つくる。しかし[それを]自分の好きなようにつくるのではなく、それぞれが直接に対決している過去から与えられ伝えられた条件のもとでつくる」のであり、その中での選択なのである。過去だけでなく、周りの世界からも条件を与えられているとつけ加えてもよいだろう。

 別の意味では、歴史家の自伝は彼(あるいは彼女)の歴史家としての仕事の重要な一部分である。歴史学と社会科学の両方に参加している人々にとって、とりわけ私のように主題を直観的に、また偶然に選んで、しかもそれを一貫した一つの全体にまとめることになった歴史家にとっては、理性にたいする信頼と、事実と虚構とは違うという感覚に次いで重要なのは、自己を意識する能力――つまるところ、自分の内と外の両方に立つことができるという能力――である。他の歴史家は、本書のこのような職業的な側面に注目するだろうが、しかし本書を、一人の人間の旅路を通して見た、世界史上もっとも異常な世紀への道案内として読む人もあってほしいと願っている。このような生涯は、他の世紀には決してあり得なかっただろう。

 同僚の哲学者アグネス・ヘラーが言うように、歴史とは「外から見たできごとであると同時に、できごとを内から見た記憶」でもある。この本では、他の人々の学問的業績を列挙したりはしない。感謝とおわびの言葉を記しておくにとどめたい。感謝は、誰よりも妻マーリーンに贈りたい。妻は私とともに半生を送り、私の書いた文章をほとんどすべて読んで批判してくれた。夫が現在よりも過去に生き、過去を紙の上に書き表そうとしてしばしば気が変になったり機嫌を悪くしたり、時には落胆したりした歳月によく耐えてくれた。私はまた、編集者の中の貴公子プリンスともいうべきスチュアート・プロフィットにも感謝したい。この自伝に関連した疑問点について、何年にもわたって相談に乗ってくれた方々の数は多すぎて、いちいちはあげられない。そのうちの何人かは執筆開始後に亡くなった。彼らには、私がなぜ感謝を捧げているかがわかっているはずだ。

 マーリーンと家族には、おわびもしておく。本書は彼らの気に入るような自伝ではない。彼らは、つねに私とともにあったが――少なくとも彼らが私の生活に入り込み、私が彼らの生活に入り込んだ瞬間から――この本は私人としての私よりも公人としての私により多く関わっている。この本には登場しない友人、同僚、先生、その他の人々にもおわびをしておくべきだろう。彼らはここに自分の名前が出てくることや、もっと長く回想されることを期待していたかもしれない。

 最後に、本書を三部構成にしたことをつけ加えておく。短い序曲に続いて、第二章から第十六章まで、個人的、政治的な章がほぼ年代順に続くが、これらの章は記憶が始まった一九三〇年代初めから一九九〇年代初めまでの時期をカバーしている。けれどもこの十六章は、年代記そのものとして意図したわけではない。第十七章、第十八章では、職業的歴史家としての私の経歴についてのべている。第十九章から第二十二章までは、(私が生まれ育った中央ヨーロッパとイギリス以外の)国や地域――フランス、スペイン、イタリア、ラテン・アメリカとそれ以外の第三世界諸国、そしてアメリカ合衆国――についてのべている。この四章は、私とこれらの国々との関係の全体に関わっており、そのために本流をなす年代記的な叙述と重複するが、かといって本流には簡単に組み込めない。そこで私は、それを別の章にしたほうがよいと考えたのである。

エリック・ホブズボーム

ロンドン、二〇〇二年四月



●訳者あとがき

 イギリスの歴史家エリック・ホブズボームの名前は、最近の著書『20世紀の歴史』(原題は『極端の時代』)をはじめ多くの著書や論文(その多くが日本語に訳されている)ですでによく知られていることと思う。本書は、彼の自伝、Eric Hobsbawm,Interesting Times, A Twentieth-Century Life(Allen Lane, 2002)の日本語訳である。原著の表題は「面白い時代、20世紀の一人の生涯」とでも訳せるであろうが、本書では、出版社の意向もあって『わが20世紀・面白い時代』を選んだ。本文中にでてくる原著者の著作のうち、日本語訳の表題といくらかずれのあるものについては、文中に亀甲カッコで示しておいた。いくらか行数を要した訳者注は原注とともに巻末に置き、短い訳注は亀甲カッコで本文中に入れ、さらに短い注記は本文に忍び込ませた。読者の理解の一助になれば、幸せである。

 本来ならば、訳者のあとがきは著者の経歴や業績を紹介すべきなのであろうが、本書の場合は著者が自ら語っているから、ここではイギリスにおける伝記と自伝の地位についていくらか解説しておく。

 イギリス史の勉強を始めて間もなく、一つのことに気づいた。それは、他の国と比べてイギリスの場合には、はるかに多く伝記の類のもの(伝記の他に自伝、回顧録、書簡集などを含め)を読まねばならないということであった。もちろん他の国についても、例えばフランスのナポレオンとド・ゴール、アメリカのワシントンとローズヴェルト、ドイツのビスマルクとヒットラー、ロシアのレーニンとスターリンというように、読まねばならない伝記は多い。しかし、このような伝記はすべて大人物の伝記であって、その人が歴史の舞台に大きく立ちはだかったがために、他の人々の存在はかすみがちである。それにたいしてイギリスの場合は、「大物」だけでなく「中物」、「小物」についても伝記類の記録があり、ある法案や政策の成立過程をこれら人物間の関係として、いわば「伝記を束ねる」ようにして記述できるのである。

 各国共産党の歴史は本書の話題の一つであるが、多くの国の共産党史が思想や運動や戦略などの変化、どちらかと言えば個々の人間を超越した力の発現の過程として描かれがちであった。それにたいしてイギリスの場合には、その共産党史さえもが、例えばパンカースト夫人とその娘たちの動きなど、どこまでも人間間の関係として記されるのである。

 このような政治や歴史の見方にどのような哲学的な根拠があるのか、またそれによってイギリスの政治や歴史にどんな特徴が生じてくるのかについては、ここでは論じない。ともかく伝記類が多く出て、多く売れ、多く読まれているらしいことは、どこかロンドンの大きな書店の「ライヴス」、「セレブリティーズ」、「パーソナリティーズ」とかのコーナーの繁盛ぶりを一見されれば明らかであろう。イギリスではなぜこうなのかという疑問を、私はイギリスの友人たちに何度かぶつけてみた。われわれは経験的だから(思想など信じない)、個人主義的だから(大衆もしょせんは個人の集まりだ)、われわれの政治と歴史にたいする態度は思想的というより文学的だから等々、答えは百人百様であった。著者は自分も含め共産党歴史家グループの人々は(ヨーロッパ大陸の共産主義者と違って)哲学よりも文学を通じてマルクス主義に接近していったと説明しているが、それは右の答えの最後のものと一脈通じているようである。

 本書にも登場するクリストファー・ヒルが私の質問に答えて、自分は清教徒革命がブルジョワ革命かどうかよりも、ミルトンをどう解釈するかの方に関心があった、と語ったのを思い出す。この本で一度だけ、ホブズボーム家の客として名前があがっている古典学者モミリアーノ教授は、イギリスの学生(理科系も含めて)の多くが(今日でも)、ラテン語、ギリシア語の古典語を習い、古典時代の神話と歴史、道徳と宗教を学ぶことが教育と教養の基礎になっており、そこでは例えばプルタークなどの伝記的文献の影響が強いことを指摘してくれた(日本の読者は、徳川時代以降の日本の教育で漢文――古代中国の歴史と哲学――が長く中心的な比重を占めていたことを思い出していただきたい)。しかし初等、中等教育での古典学は少なくとも二十世紀前半までは全ヨーロッパにほぼ同じように広がっていたから、「なぜイギリスだけが……」という問いの答えにはならない。学校教育の内容については、例えばレーニンとチャーチルは同じものを与えられていたからである(しかもレーニンは優等生であり、チャーチルは劣等生であった)。

 ともかく、以上にあらまし述べたようなイギリスの文化的背景、そこにおける伝記類の比重を知っていただけるなら、読者は、本書の序で著者が、「自伝を書こうとする人は、同時に他人の自伝を読まざるを得ない」と書き出していることの事情を了解されるのではないかと思う。さらに進んで、この自伝と先に著者が世に問うた『20世紀の歴史』とがどのように表裏の関係にあるかの理解に一歩踏み出されるのではないかと思う。私としては、読者がこの自伝を『20世紀の歴史』とあわせて読まれることを願っている。

 イギリスの伝記的文化は十九世紀半ばに始まり(作家ウォルター・スコットの伝記がその象徴的な嚆矢とされている)、十九世紀末には確立した。ディズレーリのような大首相には四巻、普通の閣僚級には一巻、陣笠議員にはもっぱら手紙を集めた「彼の時代と手紙」といった表題のものが出るようになった。ヴィクトリア朝期とともにこの国の郵便制度が始まり、人々は盛んに手紙のやり取りをしたが、死後その手紙を遺産管財人に集め、管財人が筆者に選ばれた人に公式伝記の執筆を依頼し、手紙等の資料を託するという慣行も生まれた。やがて、死後に伝記の資料になることを意識して手紙を書く人も現れてくる(第一次大戦中期までの首相アスキスは、閣議の最中にそのような手紙を書いて、愛人あてに送っている)。第一次大戦を転機に手紙よりも電話が通信手段として多く用いられるようになり、歴史の資料としては政府公文書の価値が圧倒的に高くなった。しかしイギリスでは政府公文書は五十年間非公開になっていたから(一九六〇年代に三十年に短縮された)、例えば第一次大戦についての回顧録を書いたのは公文書を私文書として使える立場にあったロイド―ジョージ首相やチャーチル海軍相であった。政府文書の公開を待って歴史や伝記を書くのが本格化するのは、事実上、第二次大戦後のことであった。

 ヴィクトリア朝の有名人の伝記を書いたリットン・ストレーチーの時代には、「伝記は紳士が書き、歴史は学者が書く」という分業があったが、第二次大戦後の伝記の筆者はほとんどが歴史学者である。世界一長大な伝記といわれるチャーチル伝の最初の二巻はチャーチルの長男が書いたが、その長男の急死の後を歴史学者が書き続けたのは、紳士から学者への移行を象徴する出来事であった。そして確実に高齢化の一つの結果であるが、例えば引退した首相が回想録や自伝を書き、それに反対したり支持したりするために他の関係者もまた書くことになる。こうして自伝の数が増えていく。

 行き着くところ、少なくとも理論的にはすべての人が自伝を書き、それをコンピューターの上で束ね合わせたものとしての一国史、あるいは世界史を想像することもできるであろう。人々は、一人ひとり人権を有する主体として自覚し、また所属する国の主権者の一人として歴史の形成に参加し、さらにその歴史を自ら(歴史家に任せるのではなく)書くことになるのである。著者は、自分の自伝を書きながら、そのような可能性を明確に意識しているようである。

 一九六〇年代の終わりのイギリスに、共産党歴史家グループの「遠い生みの子」としてヒストリー・ワークショップ運動が生まれたことは、第十七章に記されている。著者の教え子の一人ロウボサムが執筆したフェミニズム宣言はいかにも特徴的に『歴史から隠されて』と題されていたが、女性や少数民族や地方など、これまで歴史から閉め出されてきたと感じた人々が、集団の解放と自分自身の自立の過程を重ね合わせ、いわば集団と個々人の新しい意味づけの運動として自伝を書くのは、たしかに感動的なことではある。現実に個々人の自意識の形成は、決して個々人のこととしてではなく、逆説的ではあるが集団的帰属意識の発展として始まるからである。二十世紀前半の先進工業諸国では階級帰属が、植民地諸国では民族帰属が、自意識形成の本質的な契機であったが、二十世紀後半にはさまざまな、いわゆるアイデンティティー・グループに拡散していくことになった。このようなアイデンティティー・ヒストリーの運動については、著者の判断はいささか厳しく、かつ気難しい。歴史の真実と、人々が真実であってほしいと望んでいることとの区別があいまいになり、同時に世界史的な大きな問題の問いかけがなくなっていくというのである。

 伝記論との関係で最後に、自伝と伝記の違いについて触れておかねばならない。著者自身が一度ならず論及している点だからである。端的に言って、読者はこの著者の死後に誰かが伝記を書いた場合(必ず書かれることになるであろう)、この自伝との関係でその伝記にどれだけの相対的な価値があるだろうかという問いである。私自身はこれまでレーニン、チャーチル、オーウェルの三人の伝記的研究を書いてきたが、後の二人はきわめて魅力的な自伝と自伝的な文章を残しており(オーウェルは本書では、第六章の〔訳者註〕にある通り、唯一度だけ本名のエリック・ブレアとして登場する)、自伝中の文章をどのような意味で伝記に引用できるかについて大いに考えさせられたものであった。福沢諭吉とあの魅力的な『福翁自伝』との関係で、同じ問題について丸山真男先生に御教示を願った時、亡くなる少し前の先生が「自伝は鍼をついているにきまっているじゃないですか」といささか武断的な発言をされたのを、今もありありと覚えている。著者が歴史家として自分自身を客観的に見る訓練を受けているはずだとしても、この問題は残るし、読者がそれぞれに思考実験をされるように提案しておきたい。

 さて、この自伝が同じ著者の『20世紀の歴史』の裏面であることは序で触れられているが、著者の人となりと人格そのものが二十世紀史と表裏するのにまことに適していると感じざるを得ない。エジプトでの生誕はさておき、ウィーンの幼時に中央ヨーロッパの古い帝国の崩壊を幼児なりに意識にとどめ、ユダヤ人の民族的苦境を広い家族関係のこととして知り、ヒットラー政権成立をベルリンで体験する中で共産主義者、歴史家として立つことを決意し、当時まだ世界最強の帝国であったイギリスの大学で植民地出身者の友人を作る。歴史家というより社会人類学者、社会学者としての最初の研究が北アフリカ、スペイン、イタリアへの目を開き、少年期までに覚えたドイツ語、フランス語、英語にさらにいくつかの言語を習得していく。旅行好き(一つの国、一つの所に長く落ち着けないということかもしれない)、ジャズ好きがさらに広い世界への道を開いていく。著者にとって東アジア(日本と韓国と中国)は不可解な文明のようであり、サハラ以南のアフリカも専門家とその著作を通じて知る世界のようであるが、このように広く世界に開かれている人としては、私は他にイエズス会士を中心とするローマ・カトリック教徒しか思いつかない。

 著者にとって歴史とは、たんに過去―現在―未来の関係を確認することだけではなく、時間の流れを横に切って、一つの国から他国に移ることも含んでいる。過去を訪ねることは、異国に移ることによく譬えられている。そこでは、歴史は常に比較史である。そして著者はいつ、どこにあってもアウトサイダー――特にユダヤ人、共産主義者として――として自分を意識しているようである。著者の経歴についてはここでは述べないが、それは一面ではかつてのアウトサイダーが多くの国の学界、そしてイギリス社会のインサイダーとして受け入れられた過程でもあった。著者は自ら語っていないが、一九九八年にはイギリスの名誉勲章コンパニオン・オブ・オナー(各界で優れた業績を収めた六十五人に限って与えられる勲章)を授与されている。またこの自伝で一、二度、アテネアム・クラブで人と会ったことを記しているが、ロンドンのペル・メル街の角にあるこの宏壮なクラブは政府高官や高級官僚の会員が多く、このクラブの会員に(いわゆるブラック・ボールを転がして反対する人が少なく)選ばれたことは、著者の地位がイギリス社会でいかに確固たるものになったかを示している。私が著者に初めて会ったのも、このクラブでのことであった。

 この自伝に出てくる人々、その友人たち、弟子筋に当たる人たちに、私自身も出会う機会が何度もあり、それぞれに思い出に残っている。この自伝は、二〇〇三年の一月から三月まで、三度目のオックスフォード留学の機会に、時差のためにひどく早起きになったのを利用して訳した。ウェールズ語の発音についてはアベリスツス大学のポール・マドレル講師に、東ヨーロッパのユダヤ人社会についてはエレーナ・パウエル夫人に教示を得た。その他、特にお名前はあげないが、多くの言語の専門家の方々のお世話になった。

 私が訳出したノートをデータ化する仕事は、学習院大学政治学研究科大学院でイギリス政治と比較政治を専攻した相馬淳一君がやってくれた。相馬君は、例えば「足指のないポッブル」という表現がエドワード・リアの子供のための詩からきていることを突き止めるなど、数多くの疑問の個所を手早く解決していった。三省堂の松田徹さんには同じ著者の『20世紀の歴史』、『21世紀の肖像』に引き続いてお世話になった。本書のような四つの大陸、多くの言語と文化にわたっている本については、それでも思わぬ手落ちがあるかと思うが、もちろんそれは私個人の責任である。

東京、二〇〇四年六月   河合秀和



●編集者から

 20世紀後半を代表する歴史家エリック・ホブズボームの待望の新作。

 本書は、現代の古典として、すでに世界37か国で翻訳・出版され、世界中の大学や図書館で現代史・国際関係論の基本図書になっている『20世紀の歴史』(全2巻、河合秀和訳、三省堂刊、1996年)の姉妹編である。

 『20世紀の歴史』がいわば公的な歴史であったのにたいして、本書は自分史の側から20世紀を読み直し書き直した、いっそうリーダブルな、もうひとつの『20世紀の歴史』ともいうべき作品で、感性と分析とストーリーテリングが見事に結合した、驚異の20世紀私史に仕上がっている。

このページのトップへ