ウラジオストク物語
―ロシアとアジアが交わる街

ウラジオストク物語

原 暉之 著

2,700円 四六 340頁 978-4-385-35839-X  (品切)

要塞都市、商業都市、文化都市としての多彩な顔をもつロシア極東の華、ウラジオストク。この街が体験した激動の歳月に、日本とロシアの来し方を読み、行く末を望んで、歴史の魅力を満喫させロシア極東に新鮮な眼差しを注ぐ連作エッセイ。

1998年 9月10日 発行



●著者紹介

原 暉之(はら・てるゆき)

1942年、東京生まれ。東京大学大学院博士課程修了。現在、北海道大学教授(スラブ研究センター)、北海道大学付属図書館長。主要研究分野は、ロシア近現代史、日露関係史。



●目  次

プロローグ

第1話 北船南馬/第2話 アムール問題/第3話 海参イ(山の下に威)/第4話 露国東鎮/第5話 太平洋新時代/第6話 良港難路/第7話 一衣帯水/第8話 南海航路/第9話 拓地殖民/第10話 悪疫襲来/第11話 日常茶飯/第12話 衛生行政/第13話 西伯利地誌/第14話 昼夜兼行/第15話 百事武断/第16話 越境短絡/第17話 全線開通/第18話 最高学府/第19話 戒厳令下/第20話 朝憲紊乱/第21話 在留邦人/第22話 環日本海/第23話 雑居集住/第24話 四通八達/第25話 戦士群像

エピローグ
あとがき
図版典拠
文献案内
ウラジオストク略年表



●あとがき

 今日の環境・資源問題を例にとれば明らかなように、人類が直面している問題は、ますますグローバルな様相を呈している。しかし、地球規模の問題に取り組むためにも、具体的な接近策となると、さしあたり「地域」の現実から出発するほかはない。その「地域」とは、「国家」領域の一部でもありうるし、他の「国家」領域とも重なりうるし、また他民族を排除して一民族の凝集する場でもありうるし、併存する多民族の共生関係が展開する場でもありうるという、一見、融通無碍な地理空間である。世界史についても、さしあたり「地域」から出発することで、その豊富な立体構造がみえてくるのではないか。

 たとえば、ロシアという広大な空間領域の歴史を全体としてとらえようとするとき、当然ながら「国家」の視点からのアプローチだけでは不十分である。「地域」に焦点をあてることによって全体構造を明らかにし、隣接する他地域との関係を浮き彫りにする、というアプローチも必要不可欠なのである。このような観点から、私はロシア極東地域を対象に選んで、歴史像の構築につとめてきた。

 本書は、私にとって『シベリア出兵−革命と干渉、1917〜1922』(筑摩書房、1989年)、『インディギルカ号の悲劇1930年代のロシア極東』(同、1993年)につづく第三作目となる。第一作と第二作では、それぞれの副題に示されているように、ロシア革命・内戦期と1930年代のロシア極東を考察の対象とし、大正期と昭和前期の日露・日ソ関係を論じた。これに対して、本書ではおもにロシア革命にいたる帝政期のロシア極東を考察の対象としたが、とくに港町ウラジオストクに焦点をあてて、同時代のロシア、東アジア、日本の動向に関連づけながら立体的な歴史像を提示し、過去から現在を照射しようと試みた。

 本書の主要部分は、札幌で刊行されている月刊誌『しゃりばり』に発表した連載「道のロシア史・ウラジオストク物語」をもとにしている。連載は1995年10月から1997年9月まで24回にわたったが、このたび一冊の書物にするに際して大幅に加筆し(本書の第1話から第24話まで)、新たにプロローグ、第25話、エピローグを書き足し、年表と文献案内を付した。また、題名を「ウラジオストク物語−ロシアとアジアの交わる街」と改めたが、視点の変更を意味するものではない。

 実は「ウラジオストク物語」という題名は私の専売特許ではなく、今から四半世紀も前に先行例がある。それは、戦後日本のシベリア研究を一貫してリードされた加藤九祚先生が『季刊ユーラシア』の4〜7号(1927〜1973年)に発表された「浦潮物語」である。ウラジオストクと深いかかわりをもった瀬脇寿人、鈴木大亮、川上俊彦、太田覚眠らの関係資料を発掘し、日本海の対岸の港町における明治期日本人の事績の再発見、再評価をめざした貴重な研究であった。当時ロシア史を専門的に勉強しはじめたばかりの私にとって、加藤先生の「浦潮物語」はロシア史と日露関係史のキー・ポイントとしてのウラジオストクに関心を深める機縁を与えてくださった。このことを記して、加藤先生への感謝の意としたい。

 本書の編集を担当してくださった三省堂出版局の松田徹氏、また連載の段階でお世話になった北海道開発問題研究調査会の徳本英雄専務理事、大沼芳徳『しゃりばり』編集長に、この場を借りて深く感謝したい。

 なお、本書は平成七―九年度文部省科学研究費補助金重点領域研究「スラブ・ユーラシア世界の変動」計画研究班「地域と地域統合の歴史認識」(課題番号07206107)の研究成果の一部である。

        1998年7月

原 暉之



●編集担当者の言葉

地図

 ウラジオストクは日本から最短距離にある西洋である。この街と日本との結びつきは、けっして新しいものではない。早くも1871年には長崎との間に海底電線が敷かれ、そのすぐあとには日本政府の貿易事務館が設置されている。その後も長い間、ウラジオストクはシベリア横断鉄道の終点として(日本からみれば、ここはヨーロッパへの入り口だった)、大きな役割をはたしてきた。戦前、戦後を通じてヨーロッパへの行き帰りにこの都市を通過した日本人はかなりの数にのぼっている。一方、この街はロシア太平洋艦隊を擁する軍港・要塞都市として、また国際的な海運・商業都市として、さらにはペテルブルグ大学東洋学部と並ぶロシアの東アジア研究の拠点である東洋学院をもつ文化都市として、多面的な発展を遂げてきた。

 近年、そのウラジオストク(とその周辺を含むロシア極東)への関心が飛躍的に高まり、経済情報なども大幅に増加しつつある。テレビや新聞などのニュースにも、ウラジオストクが良きにつけ悪しきにつけ頻繁に登場するようになった。日露関係の将来を考えるとき、この傾向には今後ますます拍車がかかるものと思われる。しかしそうした関心なり情報なりを裏打ちするロシア極東についてのわれわれの理解はたいへん貧しく、ほとんど知識の空白地帯とさえいってよい。

 本書は、かつて浦塩(浦潮)と呼ばれていたこの港町の歴史を探索しながら、20世紀東北アジアの政治史と社会史をみごとに融合させて、日露関係の忘れられた興味深い側面に新鮮な光をあてたはじめての本である。簡潔で平明な文章もたいへん読みやすく、歴史の楽しさ・おもしろさを堪能させてくれる。

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