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  テレビ─「やらせ」と「情報操作」─[新版]


テレビ─「やらせ」と「情報操作」─

渡辺武達たけさと 著 (品切)

1,600円 四六 248頁 978-4-385-36060-7

湾岸戦争報道,椿発言、日常茶飯事となった「やらせ」─テレビの情報操作はなぜ、どのように行われているのか。メディア・リテラシーの立場からその構造を解明し、将来像を見通す。改訂された放送法を全収録。1995年2月に三省堂選書として刊行されたものの改訂・新版。

2001年3月10日 発行

目次 はじめに 渡辺先生のHP



●目  次

はじめに  6

第一章 メディアと情報操作  9

第一節 テレビの特質  10テレビの迫力と映像のプラス価値/テレビは信頼できるか/テレビ的事実と社会的真実/テレビはイメージで勝負する/報道されたら「事実」になる/目立つものだけが映像になる/映像化しにくいものは敬遠される/きびしい時間的制約

第二節 権力によるテレビの利用  25なぜテレビは利用されるのか/世界の言論環境/日本における言論の自由/自由社会の言論の危機/現代のメディアを支配する論理と構造/広告の論理/メディア工作の方法/なぜ情報操作をするのか/政治がニュースに干渉する

第三節 メディアと戦争  42はじめに/ジャーナリズムと国益/国益から「市民益」への発想転換/国家間対立と国家奉仕の思想/国家権力からメディアヘの直接的圧力/戦争報道さえ目立たなければならない/ベトナム戦争と湾岸戦争/ベトナム戦争にまなんだアメリカのメディア戦略/湾岸戦争は「キレイ」ではなかった/情緒に訴えるメディア操作/保育器もち去りを証言した少女/公的戦争報道を訂正する市民活動

第四節 情報操作の手法  66情報操作とは何か/情報操作の手法/システムとしての情報操作/情報操作の力学構造

第二章 「偏向」を生むテレビの構造  75

第一節 法規定と公正・中立  76はじめに/「椿発言」と日本の言論環境/テレビ放送への国家関与/民放連の役割/時代の変化と放送基準の改変/的はずれな「椿発言」批判/法規定と公正・中立の精神/民放連の「放送基準」と放送基準マインド/公正・公平とニュース性/公正・中立の敵対者

第二節 視聴率重視と番組の娯楽化  94はじめに/UFOの模型で「UFO」番組がつくられる/視聴率は神様である/NHKにとっての視聴率/視聴率とその問題点/世帯視聴率から個人視聴率・視聴質へ/視聴率の功罪/ニュースの娯楽化/日欧米共通の娯楽化傾向

第三節 CM制作とスポンサー  112はじめに/食えないラーメンとチョコレート/CMの種類/CM制作の技術的手法/CMにたいする法規制と自主規制/CMの制作から放映までのプロセス/CM制作の費用/CM放映にかかる費用とそのながれ/CMと男社会の論理/広告会社の影響力

第四節 メディア批評の欠落  132はじめに/メディアの犯罪の背景、その一/メディアの犯罪の背景、その二/本質をさけるテレビや新聞のメディア批評/自己批判の欠如するメディア/正しい批判がメディアを覚醒させる/メディア研究とアクチュアリティ/放送の検証と国立映像資料館の設立

第五節 国際コミュニケーション・ギャップ  151はじめに/「犬喰い」と「乞食喰い」/メディアと国際情報/日米関係/日韓関係/コミュニケーション・ギャップの克服

第三章 テレビと社会  165

第一節 テレビ番組の諸問題  166はじめに/無視される「放送基準」/「やらせ」を生む構造/テレビ番組の種類/バランスを欠く番組編成/番組制作者側の努力

第二節 客観報道は可能か  183はじめに/「客観報道」標榜の理由/テレビ・メディアの現状/もとめられる「客観報道」とは/「客観報道」と用語上のあいまい性/さまざまな公正・中立論/従来の公正・中立論の類型/「積極的公正・中立主義」の提唱

第三節 テレビの社会的責任  196はじめに/テレビの社会的機能/公衆に奉仕するテレビとアクセス権/市民主権メディアの確立/日本マスメディア委員会の設立に向けて/日本マスメディア委員会の仕事

第四節 これからのテレビ・メディア  210はじめに/マルチメディア時代とデジタル情報社会/テレビ利用の可能性─その技術的側面/「ハイビジョン」とは/デジタルとアナログ/ハイビジョンの今後/放送のグローバル化/国境を超える衛星放送/テレビ利用の可能性─その社会的側面/報道における「積極的公正・中立主義」の展開/メディア・リテラシーとメディア・デモクラシー

あとがき  233

「放送法」「電波法」「日本民間放送連盟放送基準」「放送倫理基本綱領」「日本新聞協会新聞倫理綱領」  236


●はじめに

 今日の社会における私たちのふつうの暮らしは大きくわけて、(1)実体験、(2)教育、(3)マスメディア、の三つから情報を受けてなりたっている。そして社会の規模が大きくなるにつれて、その情報源の比率はしだいにマスメディアのほうに傾いてくる。

 マスメディアには主として、第一、新聞や雑誌などの活字媒体、第二、ラジオやテレビなどの電波媒体、そして今日では、第三、パソコンと電話線を組み合わせたマルチメディア・ネットワーク、等がある。しかし、報道を主体としたメディアを考えた場合、現在ではやはり新聞とテレビを考察する必要があるし、本書では現代社会におけるテレビとは何かについてのべていくことになる。

 さて、現代ではテレビが政治と社会に大きな影響をあたえるようになり、テレビが社会を動かすといった意味で「テレポリティクス」といった用語まで使われるようになっているが、テレビはいつからそのような力をもちはじめたのか。

 アメリカではCBSのテレビ実験局の開局が1931年、翌年にはNBCも開局されている。日本でも日本テレビとNHKの本放送の開始は1953年であったから、その歴史は40年をこえた。この40年を「すでに40年」とみるか、「まだ40年」とみるかによってテレビの見方に違いがでてくるのだが、いずれにせよ、40年の歳月は短いとはいえないだろう。

 しかもその影響力は、放送開始から10年もたたない1962(昭和37)年におこなわれたある世論調査で、「世の中の動きを知る」のにテレビにたよるひとの率が、すでに新聞のそれを上回っている。つまり日本においてテレビが報道の主流になってから30年になるわけだ。

 たしかにラジオやテレビといった電波媒体は、新聞などの活字媒体にくらべて、速報性・臨場性・視覚性・聴覚性という点で圧倒的にまさる。なかでもテレビは映像をともなう情報提供をすることによって、活字では表現できない具体的なイメージを大変な迫力で視聴者につたえる。

 もちろん、マスコミは信用できないとか、テレビは嫌いだ、といって接触をさける人たちはいる。が、テレビも新聞も日常生活から遠ざけてしまえば、まずふつうの会社勤めや近所づきあいなどはうまくいかないだろう。現代の私たちの生活は、一日たりともテレビを中心とするメディアからの情報なくして暮らせなくなってしまっているわけだ。

 しかし現在のマスメディアでは、テレビでも新聞でも、いったん報道されたことがのちにしばしば訂正されるし、社会的に大きな反響をよぶような事件が起きると、たいていその数か月後、あるいは数年後にはじつはあの事件の真相は………であった、などということが、他メディアとしての雑誌だけではなく、当の新聞やテレビにもよく報道されたり番組にまでされることがある。

 またメディアの側の自己反省をふくめ、最近では多くの新聞がメディア欄をもうけているし、テレビもしばしば自己検証のための番組をつくる。それらはたいてい現代のメディアのもつ諸問題についての解説をするもので、私たちのメディア・リテラシー(メディアを使いこなし、情報を読み取る能力)を高める意味では有効であろう

 だが、そうした記事や番組はすくなくとも、はじめの報道が (1)十分ではなかった、もしくは (2)正しくはなかった、(3)あるいはメディアが問題をかかえている、ということをあらわしてはいるのだが、訂正されたり解説されたりするだけましだというだけで、メディアを根本的に改革するところまでの提言になっているとはいいがたいのではないか。

 問題はこれほど大きな社会的存在になってしまったメディアの情報提供が、間違ったままでそのまま放置されていることはないだろうか、もしくはテレビを中心とするメディアそのものが果たして私たちに十分な社会的真実を伝えてくれているのだろうか。メディアは私たちに、歴史の検証に堪え、まともな社会的判断をするための「正しい」情報を提供してくれているのだろうか。メディアは「見えない」誰か、何かにコントロールされているのではないのだろうか。率直にいって私にはこの点がすこぶる不安であるし、本書での関心のひとつもそのことの解明にある。

 いずれにせよ、これほど大きな社会的影響をもちだしたテレビは、ほんとうに私たちのよりよい社会活動と市民生活に貢献するようなかたちで利用され、またそのようなかたちで存在しているのであろうか。そしてそもそもテレビとは何であり、私たちに何を見せてくれているのか。

 現代のテレビにはどのような特徴があり、それを制作し放映する側にはどのような「論理と文法」があるかについてのべることからはじめよう。

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