加藤登紀子の男模様
対談「男たちよ、どこへ行く」


 『加藤登紀子の男模様』

登紀子  朝日新聞で「加藤登紀子の男模様」という連載エッセーを去年まで書いていたんですよね。結構女の時代になったとはいわれるものの、むしろ、男の方こそ問題だと思うわけで、その現状を暴きつつ、どうすりゃいいんだろうということを浅田さんとお話できればと思っているんです。

 私個人も、大体男のことにかかりっきりの人生を歩んできたと思うのよ。女って自分のことにかかりっきりになっているよりも、男のことにかかりっきりになっている方が元気になるからね。

浅 田  あぁ、そうなんですか。わかるような気がするな。

登紀子  何となく、男はいつも危ないなと思って見ている。だから、看護婦みたいな関係がちょっとあってね。

 例えば、昔の話になるけど、七〇年前後には学生運動の季節があり、夫藤本敏夫も関わっていたんだけれど、時々思い出すと結構ハードだったね、一生をふいにした男もいっぱいいたりしてとか、嗚咽しちゃうみたいな部分が男の中にあるのを横から見ているわけ。もちろん私も一緒に泣いたりはするんだけど、でも男のようにはそれが辛くないわけよ。

浅 田  そうはいっても今の男というのは、女が強くなった分だけ手っ取り早く責任から免れているから、男だからこんなに大変な人生とか感じられる男は余りいないみたいですけどね。

登紀子  浅田さんの本に出てくる男の人はわりとみんな甘えん坊ですよね。

浅 田  ええ。僕が甘えん坊ですから。

登紀子  それで、女がすばらしいよね。

浅 田  周りの女がみんなすばらしいですから(笑)。

登紀子  「天国までの百マイル」の中に出てくる、何だっけ、太った女の人。マリちゃん?

浅 田  あんな女の人がいたらいいなと。僕は、小説の中で具体的なモデルというのは、歴史上の人物以外はほとんどないんですけどね。大体、自分の何かあこがれているスタイルの登場人物を書きますので。いたらいいなという感じ。

登紀子  男も?

浅 田  男も。だって、僕の書いている小説には現実にはあり得ないキャラクターが多いと思いますよ。男の場合だったら、必ずかくありたいな、かくあるべきだなという感じで書いていますよね、やっぱり。

登紀子  私、“ラブレター”というのを読んだときに、電車で読みながら泣けてきて恥ずかしくて困ったんだけど、ヤクザのチンピラと名前だけの偽装結婚してた中国人の娼婦が死ぬ間際に、たどたどしい日本語でラブレターを書くあのシーンが、まぁ、あり得ないかもしれないけど、あるような気もするのよね。

浅 田  あり得ない話だけど、あってもよさそうな話なんですね。

登紀子  浅田さんのテーマの中には家族っていうのが多いじゃない。家族というポイントを見つけたときに救われるというテーマが多いでしょう。

 昔だったら、男はたいてい家族を捨てて出ていくじゃない? それはやっぱり変わったのかな、もう日本が。

浅 田  そうですね。今は家庭を顧みない威勢のいい男というのは余り見かけなくなりましたね。うちの父親なんていうのは月に一度帰ってくりゃいい方だったけど……。昔はそういうおやじが多かったんですよ。どこで何しているんだか知らないけど。

登紀子  基本的に男にとって仕事と家とがあって、でも、実際には家には余りエネルギーをかけられないわけでしょう。

浅 田  僕の場合は家の方に相当エネルギーがかかりますね。本当はそれじゃいけないと思っているんですけどね。

登紀子  例えば、子供の運動会だからこの日はスケジュールを入れないとか、そうしてる?

浅 田  そうそう。僕はかなりパーフェクトにやってきましたね。自分でいいことじゃないとは思っているんですけど。

登紀子  何で?

浅 田  幼稚園のころから、ずうっと子供の運動会だ何だと行く癖がついた。おやじたるもの当然行くものだと思っているんだ。だって、行くとみんな来ているんだもの。

登紀子  それでもいけないことだとは思っているわけ。それはどうして?

浅 田  だって、自分の父親のことを考えてみれば、そんなこと絶対してなかったじゃないですか。そういうふうにしないこと自体が家長の権威みたいな感じがあるじゃない。無口で、一番上座にどんと座っていて、家族から報告を受けるようなところがあって、男はああじゃなくちゃいけないなという気持ちも片やあるんですよ。

登紀子  尾ひれみたいな、昔の男観みたいなものもある。

浅 田  そうなんです。

登紀子  でも、実際には浅田さんが男としてスタートしたときには、もうそういう時代は終わっていて。

浅 田  ええ、終わっていた。僕らはいわゆる高度成長の申し子ですから。僕らの三つぐらい上になると団塊の世代でかなりまた考え方が違うんでしょうけれども。僕ら昭和二十六年生まれというのは戦後の一番幸せなときに生まれたと思うんですよ。物は大体もうあったし。

登紀子  特需ブームの景気のいい上り坂に生まれてきて。

浅 田  そうそう。どこのうちでも景気がいいみたいなところがあった。一番長く続いたバブルですよね。ずうっと高度成長。生まれたときから恐らくオイルショックのときのほかは、僕らが二十歳過ぎるまで景気が悪いという話はなかったんだから。だから、家庭も充実していっちゃって。

登紀子  家庭生活はジューシーで充実していて。

浅 田  だから、それで男も変質していったんじゃないかなと思う。僕らはすすんで出ていってけんかをして獲得してくるというだけのエネルギーは対外的には必要なかった。そうじゃなくても享受してきたから、時代がそうしてくれたから。だからその分、家庭に目がいったんじゃないでしょうか。それだけのエネルギーが余っていたというかね。

登紀子  じゃ、やっぱり随分違うんだね。私の夫なんかは、運動会は絶対に隠れて行くよ。何月何日が運動会というスケジュールなんて聞かないよね。それに、行きたいくせに行かないみたいなところがある。

浅 田  ああ、そういうのいいですよね(笑)。

登紀子  だから、まだ完全に戦前スタイルよね。

浅 田  僕ら世代は、どこどこのお父さんが来ているし、あそこのお父さんも来ているから行かなきゃいけないというね。

男に必要な生き方三箇条

浅 田  僕らの世代になると、これはアメリカンスタイルですけれども、家庭のことにプライオリティーを置いている人は多いと思いますよ。

登紀子  それなのに、その世代に離婚が多いでしょ。余りうまくやれなかったという面もあるのかな。いい夫婦関係とか、非常にフレンドリーなファミリーというのをやってきている世代がどうして……。

浅 田  これが大矛盾があるんですよ。男が奉仕すれば家庭は円満かというと、必ずしもそうじゃない。それとこれとは別問題なんです。僕らの周りでも離婚率はやっぱりすごい高い。何であんなマイホームパパが離婚しちゃうんだというのは多いですよ。あそこまでやってもだめかというのが。

登紀子  それ、理由は何?

浅 田  どんなことをやろうが、例えば外で女をつくったら終わりとか、酒癖が悪ければ終わりとか、別の問題があるわけですよ。いつの時代も普遍の問題が。

登紀子  家庭もちゃんとやっているし、僕は家庭を捨てるつもりは全然ない。でも、ほかの女の子も好きだよというのはだめなの?

浅 田  それは通用しないですね。その辺は女というのは非情ですよ。

登紀子  じゃ、女は変わらなかったということだね。

 でも女の生理というのは結局モラルじゃないところがあるからね。どうしようもないのよ。男は、何となくモラルで責められたり、モラルで自分を通さなきゃいけなかったりするところがあるじゃない。

浅 田  案外僕はそれは大切なことだと思っているんですけどね。うん。男って、やっぱり変に見栄を張っちゃだめだけれども、見栄のない男ってだめですよ。僕は恥知らずな男って嫌いだもの。

登紀子  なるほど。おれはこの子好きでどうしようもないねん。でも、かみさんも好きやねんとか、そんなんはいけないと。

浅 田  まず、僕は自分では、家訓と申しますか、教えられた男の生き方三箇条というのがありましてね。まず「愚痴を言わない」「うそをつかない」「見栄を張らない」ということ。

登紀子  それさ、私言いたいけどね、三つとも絶対男が一番やることだよ。

浅 田  だから、そういう教えがあるわけですよ。その三つをクリアすればかっこいいぞというわけ。

登紀子  私はうそという言葉はわりと好きで、例えば大嫌いというのは大好きのことだし、死にたいは生きたいということだしね。という意味では、言葉の表現というのはうそが真実を言えるというところもすごくあって、例えば日本人みんなが好きなシーンで、男が黙って背中を見せているみたいなのも一つのうそだしさ、そういううその美学ってあると思うんだよね。でも、それはそれとして、その三つの家訓を守っているの?

浅 田  できるだけいつも頭には入れるようにしているんですけどね。「愚痴を言わない」は男はもう絶対必要でしょう。やれ、痛えの、苦しいのとか、金がねえのとか言っていると自分が無力になるだけです。

 見栄はやっぱり張り方でしょうね。見栄の張り方というのは例えばどういうのかというと、デートをするときに借金してでも金を持っていくというのは必要だと思うんですよ。「おれ、今日金ねえから割り勘にしてくれ」と言うのは、これはだめだと思うんです。この間も娘と論争になったんですけれど、今はデートをするとき男と割り勘だと言うんだよ。「おまえ、それはやめたほうがいい」とぼくは言ったの。いくら若くても、男と女が外でデートするときに、お茶代や飯代を男が払わないというのはやっぱりおかしいぞと。違うかね?

登紀子  私は、こうだったわよ。男は大体お金がないわけよ。その場合、男がお金がなくて、私がお金を払うのはいけない。だから財布を男に渡すんだよね。ラブホテルに行くときでも、ちゃんとお金は男のポケットに入っているようにしてから行くというような気の使い方はしていました。

浅 田  それは正しいですね。いや、いいですいいです。でも、それをやっていると男はだめになっていくけどね。

登紀子  だめになるの?

浅 田  やっぱりだめになっていきますよ。だって甘えるもの。男って本質的にすごい甘ったれだから。楽にさせちゃったら、男はいくらでも楽になっていくから。

登紀子  じゃ私、男をだめにしてきたのかな。でもうちの伝統なんだよ、それ。

浅 田  テレビの前で日がなゴロゴロしていて、飲む物、食べる物が周りにある形というのが男の理想なんです。これが男のパラダイスなんですよ。だから、男は黙っていれば常にその方向にいくわけ。どうしてかというと、もともと男性というのは狩りに出るか、洞窟の中にいるかしか場所がないんだから。

登紀子  洞窟にいるときはグダグダしているしかないよね。

浅 田  そうそう。できれば洞窟にいたいわけよ、男は。だからそこで女の人が逆に狩りに行って餌を持ってきちゃうと、男はただのゴロゴロしているオスになっちゃうわけ。

登紀子  すごくわかりやすい(笑)。例えば漁師でも女は船には乗せないとかいって、男がしなくちゃいけないことだという風習が残ってきたんだ。女は不浄のものだとかなんとか言いながら、女が行ったほうが漁がうまかったりしたら困るから。ああ、なるほど。

浅 田  そういう意味では女は男を鍛えていかなきゃいけないんですよ。

登紀子  鍛える?

浅 田  甘やかさない。

登紀子  看護婦になっちゃいけないのね。ああっ、大きな教訓を得たな。

浅 田  僕がさっき言った、娘にデートの時は男に金を出させろというのは、そういう意味なんですよ。

登紀子  なるほど。そういう家訓が私にはなかった、女としての家訓ね。つまり「男を甘やかすな」「男を働かせろ」「自分で男を守らず、男に自分を守らせろ」。これはこれから家訓にしよう。それがうちの中にはないんだ。

浅 田  だから、男でよくいるじゃないですか。女が何人もいて、そいつは何もしないで、つばめみたいなもので。あっちで食って、こっちで食って、それを繰り返して一生終わる男って。

登紀子  浅田さんはそういう男は小説に書かないよね。だって浅田さんは、そうでありたいというのしか書かないと言ったものね。

浅 田  僕はそういうのっていやだものね。僕は、結婚して以来、自分の女房に金を持たせたことないんですよ。貧乏にさせているというんじゃなくて、金の管理を一〇〇%僕だけがしている。だから、うちの女房はどんな貧乏なときでも、どんなに豊かなときでも、うちにお金がいくらあるかというのは一切知らない。

登紀子  ほぅ。それで奥さんはパニクらない?

浅 田  貧乏しているときは、お金がないなというのは何か感じでわかるじゃないですか。そういうときには必要な分だけ渡す。鬼ですか。

登紀子  いや、鬼じゃないよ。でも、浅田さんの範疇からすれば、やっぱり加藤家の伝統はもうとんでもないわ。うちのお父ちゃんは家族のために働いたことがない、というふうに母は言うわけ。自分で収入があったときは全部飲んじゃう。ないときは「ないねん」と言って母に甘えている。「おれ、給料もらえへんかったんや。すまんなぁ」と言っているだけなの。大体うちの家系は伝統的に家族は女が支えていて、男は外で暴れているという家系なんだな。

浅 田  考えようによっちゃ、男にとってはいい家ですがね。一歩間違えれば、さっき言った男が洞窟の中で酒飲んでいてテレビ見ている。

登紀子  いや、猟には一応行っているのよ。

浅 田  猟は行っているんだけれども、その獲物が少ない。

登紀子  家族のために獲物をとっているんじゃなくて、猟をするために猟をしているんだね。それはとんでもないね。

女性がパワフルになると……男は?

浅 田  僕らの世代はまだ男と女の給料が違うんですよ。僕の五歳から六歳ぐらい下になると、男女雇用機会均等法ができて、給料の男女差もない。そのあたりになると女性がすごい生活力があるから、結婚なんかしない人も多いし。

登紀子  デートしていても割り勘でいく、結婚しても割り勘でいくというのだったら、じゃ、結局結婚もしなくてもいいかということにもなっていくということでしょう。

浅 田  女が稼いできて、男が主夫状態という逆転現象もすでに案外多いんですよね。僕は、今よく言われるセックスレスの問題なんていうのは、そういうところから発生しているんじゃないかと思うんですよ。

登紀子  それはどういうこと? 女が拒否しちゃうということ?

浅 田  いやいや、男ができない。信じられないでしょう。本当に多いんですよ、これ。望まないし、できない。本当かよと言うんだけど、本当なんですよ。大丈夫かな、こんな話(笑)。

登紀子  大丈夫、大丈夫!

浅 田  僕らは編集者で二十代、三十代の男と付き合うでしょう。全然負ける気しないもの、怖くないもの。こいつ男じゃねえなという感じするから。僕らの世代は結構、現役という感じで何かもうギトギトしているじゃないですか。これが三十代の男になると何かさらっとしているんですよ。そういうの、感じません?

登紀子  うん、確かにあるかも。

浅 田  あるでしょう。あれはね、性的欲求がなくなっているの。

登紀子  すごい変化だね。

浅 田  それはもとをただせば、社会における女性の地位が高くなった。社会における女性の地位を高めようという運動は、加藤さんの世代からそういう思想が始まったわけなんだけれども、それが男女雇用機会均等法という明らかな法律で実際に実現されて。

登紀子  夫婦別姓というのも出てきたしね。

浅 田  女性の持っている能力が発揮されて、より大きないい世界になっていくならいいんだけど、女性が強くなると男のパワーが下がる、そんな感じがするんですよね。

登紀子  現実的にそうだというのはわかるんだよね。だから私がさっき言った、男はお金がいつもなく、あっちにもこっちにも好きな女ができたりしてどうしようもないもので、結局この人が無事にやれるためには一人が守ってあげなくちゃいけないんだというような、そういう感覚の女性は増えているかもしれない。

浅 田  だから、加藤家のその感じというのが実は今一般的なんじゃないですか。

登紀子  じゃ、浅田さんたちの世代はその隙間に挟まっているのね。

浅 田  僕らの世代には両方いるみたいね。何か上のほうと下のほうとどっちかにくっついている感じでいるみたい。

登紀子  家族に対してお父さんがきちんと頑張る決意はあっても、実際はお父さんは忙しくて家庭は父親不在で、それで男の子がお父さんの姿を見ていない、お母さんの姿だけを見て育っているから、男になることに失敗しているのかもしれない。

浅 田  結局、そういう世代のツケが完全に僕らに回ってきたというのはありますよね。

登紀子  お母さんと息子が仲がよくて、それでもお父さんが、男というものはこうだとか、もう演説しないし。

 何年か前だけど「朝まで生テレビ」で、三十代ぐらいの何か学者みたいな、するっとしたスマートな男が「家族なんていうものはもうないんです」というふうにパッと発言したときに、大島渚さんが激昂したわけよ。「ないんです」というその言い方は何だと。おまえは家族を欲しいと言っているのか。それともいらないと言っているのか、もっと主体的に発言しろ。「家族はない」というのは無責任な言い方だと。そのときに大島渚さんが「僕らは家を満身の力で壊してきたんだぞ」と言ったわけ。おれらが壊したんだ。それでどうだというんだと言ったわけよ。

 その激昂している大島さんがすごい印象に残ったんだけど、確かにすごい急スピードで家族は変わったのよ。私たちのときは、そんな強い家はもうないわけ。力ずくで壊すほどの家はもうないわけ。男であろうと、女であろうと、今日食べられることが大事だから、何か権利とか、権威とか、モラルとかはすごく少ない時代。ラッキーだと思うけど、すごくフリーだよね、フリー。だから、もしかしたら女が仕事につくのが当たり前になっている今に近い感覚がする。このごろの、「あんた、家事やっているほうがいい。じゃ私、働くわ」みたいな、それに近いかもしれないね。

浅 田  言い分が今の三十代ぐらいの人と通じるところが多いですね。

登紀子  でもね、私たちの強さというのは戦後のどさくさから始まっているから、とりあえず生き延びることなのよ。そういうのは今の三十代にはないでしょう。

浅 田  生き延びるとかサバイバル的な感じというのは全くないですよね。平均的に見れば、どう考えたって日本は世界で一番豊かですからね。だから、失業者が云々と言ったって何かピンとこないじゃないですか。求人広告はあれだけたくさん出ているんだから。

中年からの反撃

浅 田  「中年からの反撃」というテーマについては、僕は言いたいことがいくらでもあるんですよ。日本の男って年とるとすごく汚くなっていくじゃない。あれって何とかならないものかねという気はするんです。ヨーロッパへ行くと二十代の男なんかちっともかっこよくなくて、おやじがかっこいいと感じるでしょう。あれって何で日本でできないんだろうね。日本って、必ずある一定の年齢になると全員おやじおやじするじゃない。

登紀子  特に中年はね。でもね、おじいさんには美しい人がいるんだよね。

 私なんかも随分いろんな世代の人と会う機会があるけれど、おじいさんで美しいというのはやっぱり大正ロマンを知っている人だね。世代の問題ってあるような気がするのね。夢のような空気を持った時代の人はすてきになれるんじゃないかと思うけど。

浅 田  じゃ、僕らの世代がじじいになるとみんなきったないじじいになるのかね。

登紀子  汚い? どうかな。夢、なかった? 現実性から離脱するような世界をたっぷり吸った人はいいと思う。

浅 田  そうなんだね。結局、今の男たちは働き詰めに働いているんですよ。

登紀子  その後、おじいさんになったときには働かなくなるわけでしょう。そのときに、ああ、これもあれもやれるとか思うかしら?

浅 田  日本人は素直にそうならないんじゃない。本当はそうしなきゃいけないんですけどね、次の世代にどんどん仕事は譲ってさ。でも、何か六十歳になって会社やめても次の職場を探すじゃないですか。天下りとかするじゃないですか。そして働けるだけ働くじゃない。僕も自分では六十になったら小説家やめちゃって、いいじじいになろうと思っているんだけれども、案外そういう潔さはない人が多いですよね。

登紀子  徳川慶喜なんかはさっさと大政奉還して、後はすごくすてきに生きたらしいですね。でも、今の人たち経済的にはなれるでしょう? どうなんだろう?

浅 田  いや、なろうと思えばだれでもなれるでしょう。

登紀子  社会的にそれがうなずけないんだ。仕事をしない男になるということが情けないんだ。

浅 田  それと、男は自分のみてくれを構わなくなるというのがあるでしょう。女性でもある程度言えると思うんだけれども、ある程度の年齢までいくと諦める。美は若さにあるんだという基本的な考え方があって、それが四十代に入ってくると当然だれだって頭ははげるわ、腹は出るわ、美的ではなくなるけれども、でも、外国人ってそれに合わせつつ、よりかっこよくなっていく感じがあるんだけれども、日本人はやっぱりどこかで諦めるんですよ。それで色気がなくなっちゃう。女性はきれいにしている人はいつまでも色気があるけど、男の場合それをやるのは大変な努力が必要ですから。

登紀子  女だってすごい努力が必要だよね。でも、女がきれいであるために努力することはだれも変なことだと思っていないけど、男の人が自分がすてきであるために努力するのは、まだ常識として定着してないからかもしれない。

 ただ若い男性は今変わったでしょう。男の子こそきれいでしょう。ひところファッション化がすごく進んだときに、外国の知りあいが、日本人の女の人は急にきれいになったけど、男はどうして汚いのと言っていたことがあったけど。

浅 田  今の若い男の子はおしゃれだけれども、僕が注目するのは、問題は彼らが四十五歳になったときにどうなるかよ。僕はやっぱり連中も美しさを諦めると思うよ。

 そういう伝統があると思う。だってさ、考えてごらんなさいよ。紳士服の安売り店がいっぱいあって、あれがやっていけるんだから。あれも、おやじ本人は見に行かないで女房が勝手に買ってきたりするんでしょう。もう、あてがわれて着ているようなものなんだから。

登紀子  女房がいなくなったら、もうネクタイも選べないんだ。

浅 田  選べない。パンツまで女房に買わせる。それで男はどんどん汚くなっていくんですよ、どう考えても。例えばショーン・コネリーは「007」のときよりも今の方がかっこいいよ。あれがやっぱり外国人の美意識の典型ですよ。

登紀子  そうよね。男も中年から反撃するためには美しくなきゃいけないというのがテーマだね。私も絶対そう思う。

浅 田  だいたい女性に対して失礼じゃない、汚くなっていくというのは。特に自分の女房に対して失礼だと思う。

登紀子  美しいものに感動したり、おしゃれに一生懸命な人というのは、ちょっとおかまっぽい人とかと言うじゃない。映画とか、芝居とかに関しても、あれがいいのよォとか、こうでなくちゃネと一生懸命語れる人って、男の人でも大体ちょっとおかまっぽいですよね。でも、私はそれがこれからの男の道を開くような気がする。

浅 田  今の若い人にはそのイメージを感じるけどね。

登紀子  あるでしょう。私たちの世代の男たちは歌とか音楽とかにそんなに一生懸命じゃなかったよね。私も歌手ですが、夫と歌をつくるとか、音楽をつくるとかということについて話ができないもの。でも、二十六年生まれぐらいの人はビートルズ世代だから、初めから自分の青春を語るには音楽抜きには語れないという世代が五歳違いぐらいであるんだけど。だから、女が男の領分みたいなものを自分の考え方で演出できるようになった分、男も逆をやったらいいのかもしれないね。

当世女たちに贈る言葉

浅 田  僕の考えでは、女は恋をしたことをどんどん忘れていく。次の男が出てくると前のことはどんどん忘れていくわけ。ところが、男って絶対忘れないんですよ。男の恋は積み重なっていくんです。

登紀子  私も過去の男は忘れないよ。でも、普通は女は忘れるものだと言われているね。

浅 田  よく過去の男の話を平気でする女がいる。これは男にしてみれば信じられないんですよ。

登紀子  今日は怒られているような気がする(笑)。

浅 田  どうしてかというと、女の心の中では、新しい恋をすると前の恋は終わっちゃっているから過去のことなんですよ。だから客観的にしゃべっちゃうんです。

登紀子  過去のことですよ。だから、男は気にすることはないのよ。

浅 田  ところが、男はそれにさえ嫉妬するんですよ。つまり、自分の恋愛のモラルというのが積み重なっているものだから。A子がおり、B子がおり、C子がおり、D子がおりといった上で、このE子がいるという。

登紀子  例えば女の人が結婚してその男の人に前の恋人がいることを知っていて、全部忘れてくださいと口で言わせたりするじゃない。

浅 田  忘れるものか。いつも「あいつ、今ごろ何しているんだろうな」と考える。元気でやっているかなとか。

登紀子  トレンディードラマなんかでも、この間まで好きな人がいたけれど、僕は君に逢って結婚する。それはお互いに口で言わなくても知っていたりして、でも「今僕が選ぶのは君なんだ」ともし男が言ったら、それでも女の人は前の彼女をまだ好きかもしれないと思ってすごい気にするじゃない。気にするんだけど、男が、いや、僕は君を選んでこれから生きていくよと言ったときには、男の言葉はやっぱり信用した方がいいと私は思う。前の人のことは忘れないかもしれないけれど、女がそのとき、絶対忘れたのねっていくら詰め寄ったって意味がないわけじゃない。

浅 田  そうそう、意味ない。

登紀子  いくら詰め寄っても意味がないんだから、男がそう決心したということを信用してしか生きていけないでしょう。そういう意味で、さっき男はきちんとうそがつけなくちゃだめだと言ったの。私は自分としてはこうすると宣言した男の言葉を信用しようと思っているわけ。どこまで本当なの?とタマネギみたいに皮むいて男を責めるのは私は好きじゃない。男がそう言ったんだから信用しようよ。そうしないと、男と女の関係って成り立たないんだよね。お互いにそうかもしれないけどね。

浅 田  いいなぁ、それ。

登紀子  でも、女の言葉は信用しちゃだめ。変わるから、本当に(笑)。私は絶対こうしますとか言っても変わるからね。でも、男はそう言った限りはそうしてください(笑)。私はそうやって生きてきたものね、体質が違うんだと思って。お互いにとどのつまり懐疑心というか、疑いの論理に入ってしまったらだめだと思うな。

浅 田  そう、例えば女の恋愛というのは自分が世界で一番その人に愛されていなきゃいやなのよ、だれでも。そうでしょう。男にしてみれば、世界で一番愛している女が三人いてどこが悪いんだと思うんだよ。その辺の違いも大きいんですよ。

登紀子  でも、私は夫にこう言ったのよ。あなたもきっと好きな人ができるだろう。日常ほとんど自由にしているわけだから、できないという保証はお互いにないじゃない。浮気をしても言わないし、ばれないようにしなきゃいけないとは思うけれど、本当にその人を好きになったときには絶対に無理しないで言ってねと。単なる浮気というんだったら、女房の方が大事なんだと思う。でも、本当はあちらが好きなのに、無理やり私を好きなふりをするようなことがもし起こってきたら、そのときはさっさと別れましょうと言ったの。だから、絶対そういううそはつかないでと。そのときに殴ったりしないからと言ったことは一回あるね。

浅 田  でも本当に言われたら実際そうなりますか? 好きなやつができちゃったんだけれども、どうしようと言われたら、やっぱりパニックでしょう。

登紀子  言われたら、私はもういさぎのいい女だから、それでも食い下がって殴ったりはしない。

浅 田  あ、そうで済む? 仕方がないわねというふうに。

登紀子  あ、そうでは済まないと思うけど、でも、戦えないと思う。

浅 田  ああ、いいなぁ、そういうの。僕の場合、ばれるんだよね。うそが下手なの。何でわかるんだよと言いたいぐらい。後からどういうときにわかったと聞いたことがあるの。

登紀子  そうしたら、もうすぐ別れさせられる?

浅 田  でも女房がかわいそうになるものね。だって、別に嫌いじゃないもの。

登紀子  いや、結局一般論ってないね。よく世代論で皆分析したりしているけど、人それぞれ違うんだと思うわ。でも、男も女も本当にかっこよく愛し合えるというのが一番いいね。

浅 田  そうだね。そのかっこよく愛し合えるというのは、ある程度互いを自由にしていなければかっこよくないんですよ。ところが、どうしても日本的な家庭観からいうと夫婦は一蓮託生みたいな感じがあるじゃない。特に僕みたいな生活をしていると、二十四時間家にいるわけでしょう。物理的に自由な時間がないわけですよ。これは小説家の宿命なんですけれどもね。そうすると、何か知らないけど、女房と自分が同一化してきて、自分の分身みたいになっちゃうんですよ。女房のほうもそういう感じになってきちゃうんだ。

登紀子  確かにね。だんだん好きとか嫌いとかというんじゃなくて、夫婦ってそういう感じになることは確かだよね。

浅 田  まぁね。でも、やっぱり何とか新鮮さを少しでも維持しようという考えはいつもある。

登紀子  でも夫婦って、ご飯が気持ちよく一緒に食べられていれば大丈夫ぐらいのレベルにだんだんなっていくのかもしれないね。

 最近は仲のいい、五十代ぐらいから手をつないで歩けるようになる夫婦もいるよね。いいなと思う。何となく私もなりそうな気もするもの。二十代では絶対手をつないだことないけど。

同い年の夫婦はむずかしい?

浅 田  そういう意味では、今うちの夫婦なんかは一番むずかしい時代なのかもしれない。うちは同じ年なんですよ。同じ年の夫婦というのはよかないですね。

登紀子  うちも一緒です。

浅 田  そうですか。事あるごとに何か競わないですか。

登紀子  競う競う。だから、二人とも体力が衰えて競わなくならないことには。

浅 田  同級生だと、どっちが主で、どっちが従という関係ができないんですよ。平等だという意識がどこかにあって、どっちかの言うことにどっちが従うという感じではなくて、むずかしい。

登紀子  うちなんかも主従の関係は最初から絶対ないですよね。

浅 田  でしょう。何かつまらないところで競うわけ。買い物に行って、片方がこれを買うと私も買わなきゃならないみたいなのがあるんですよ。

登紀子  その競うという意味では、私の場合はもっとすごい。もう本当に心の底から冷や汗と涙だったけど、あるとき彼が、「一切のおまえの収入をどぶに捨ててこい」と言ったわけよ。かっこいいのが好きだからさ。

 男女って最初のころはかっこいいなとか思っているけど、家庭を持つとだんだん保育園がどうとか、ベビーシッターさんをうちに呼ぶとか、一人子供が増えたから、もうちょっと部屋の広い家に引っ越したいとかの問題が出てくる。さっき言ったように加藤家の家訓じゃないけど家系で、生活を実質的に支えていくのは自分の義務だと思っているから、当然のようにして、ここ狭いからあっちのうちに引っ越すわと家を決めてきちゃったりしていたわけ。

 それが夫は耐えられなかったのね。私の夫は社会的出発は遅かったわけだけど、一応普通の男の収入ぐらいまでは確保できるようになっていた。だから、お願いだからこの収入だけで生きてくれと言ったわけよ。かっこいいよね。でも月二十万の給料ではとても家賃は払えないとか、例えばベビーシッターさんは呼べないとかになる。ということは、私に収入があるということをずうっと彼はこらえてきたのかと思ってね。今でも我慢しているとか言っていますけど。

 でもその通りにしたら私は仕事ができないもの。仕事の結果得たものをどぶに捨ててこいと言うことは、仕事するなと言われていることであり、そうして嫁に来いと言われていることにもなる。とっくに結婚しているのに、今嫁に来るかどうかを改めて問われているみたいな。

 私、そのとき嫁に行けないなと思ったのよ。今の共稼ぎしている多くの若い男と女の会話の中にも近いものがあるかもしれないけど。そのとき、結婚しているのに改めて嫁に行けないと思ったら、それは離婚ということだと思ったのよ。それで離婚しようと思ったことがある。

浅 田  だって、加藤さんの場合は特に、彼の言っていることは歌を捨てろと言っているのと同じでしょう。それはまずいよね。

登紀子  直接歌を捨てろとは彼は絶対に言わないんだけど、男としては耐えられないんだということをずうっと言う。今もよく言うわよね。そういうのが耐えられないと損よと私は言って、ずうっと揉みほぐしてきたわけ。そんなこと言っているとあなた損するわよと、頭が固いわねとか言って。それで、ぐちゃらぐちゃらしてどうにか続いたわけよ。つまり、彼が勢い自分のモラルで何か言い出すとそうなるわけ。

 でも、今の若い人たちは、男女雇用機会均等法下で、事によったら女のほうが実力があって給料が高かったりするでしょ。そうしたちょっとのことでも男と女はうまくいかなかったりするのかなあ。

浅 田  そうね。特に僕なんかは出版社の人間と多く付き合っていると、出版社の仕事は基本的に女性向きだと思う。編集にしても、物を読むことにしても。優れている女性の編集者が多いんですよ、仕事に燃えている人も多いし。だから結婚するから仕事をやめろと男に言われても、多分全員結婚はしないと思う。そういう世の中になってきているんじゃないですか。

登紀子  今の男の子は、おれの収入だけでやれなんてまさか言わないだろうけど。かなり大時代的な発言でしょうけどね。でも、微妙な秤のように、ちょっと彼女の方が収入が多いと苦しいと思う男の細胞がまだあったりさ。

浅 田  それはあるでしょうね。

登紀子  収入は女のほうが多く家計費も支えているのに、家事は俺はやらないぜみたいな男もいるよね。

浅 田  例えば今、女性の小説家が多いでしょう。結婚している人は、みんな同じ悩みを抱えていると思いますよ。旦那さんは大体普通のサラリーマンの人が多いから。

登紀子  奥さんとしてはちゃんとやって、皆寝静まっている時間に書いたりしているのかな。

浅 田  どうでしょうね。でも、亭主にしてみれば内心忸怩たるものというのはみんなあるでしょうね、と思いますよ。

登紀子  だから、そういうことで忸怩としない男にならないとこれからだめよ。それですね、古い男の煙突掃除(笑)。

浅 田  これからはやっぱり、女性の才能を認めていかなければいけないよね。その人生も認めていかなければ。そうじゃないと、おまえは飯炊いて、洗濯してりゃいいんだとはまさか言えないから。

登紀子  専業主婦だったお母さんが甘やかして育っている男の人たちは、急に働くパートナーとお互いに平等な家庭生活をしようといったときにできないということなんです。

浅 田  うちの家内なんかもそういうことで悩んでいるみたいですよ。結局自分が無芸であるから、何かをやらなきゃならないというふうに。今はもうほとんど秘書業をやらせちゃっていますけれども。作家の場合は、実は女房が秘書を兼ねるのはいいことじゃないんですよね。というのは、編集者たちが女房に対してすごく気を使うから、仕事上の言いたいことを言えないし。じゃあ秘書を雇おうかと言うと、そうしたらやることなくなっちゃうから、どこか勤めに出ようかなと言っている。

登紀子  私も改めて嫁に来いと言われたとき、つくづく想像したのよ。自分の収入がないというのはやっぱりすごく惨めなのよね。男の人だってそうでしょ。

浅 田  そうなんですね。その考え方は根強くて、女性が外に出て働くようになっても、自分が稼ぐのは当然であるとやっぱり思っているわけ。

男たちをパワーレスにしている理由

浅 田  「自信喪失男」、インポ男が増えていると言われてますね。

登紀子  そういうことも、三十代で性的意欲がなくなっちゃっていることに関係があるのかな。

浅 田  環境ホルモンとか何とか、医学的にそれを解明しようとしているけれども、やっぱり社会の構造だと思うんですよ。男というのは外に出て戦っているからこそ、同時に性的エネルギーも充満しているのであって、その責任から免れるとインポになっちゃうというのはあるんじゃないの。それは本当に相談コーナーでもよく見ることだし、身の回りにもいっぱいいるもの。

登紀子  でも、女にも問題はあるよ、本当に。私じゃなくて(笑)。最近の女たちを見ていると、男に対する物言いの中には身も蓋もないことが多いよ。それを言ったらおしまいよという。それでは男は立つ瀬がない。女の側も強くなったなりのモラルが必要よね。

浅 田  男をだめにする、ダメージを与える言葉。

登紀子  女の人ってそれをわりと言うよね。それがインポを生んでいるのかな。

浅 田  例えばセックスという点で言うと、女性は基本的に受動的で、男は能動的で、男は必ず要求されるわけ。だから、その要求にこたえられない男というのはコンプレックスを感じてダメになっていくという仕組みがあるんだと思う。

登紀子  夫婦の場合は毎日セックスできる状態にいることになるじゃない。逢い引きの場合は、コンディションを整えてとか、できるからいいんだけど。夫婦の場合は、すごくスリルあるよね。どっちからどういうきっかけでそうなるのって、すごくドキドキすることだなと私は思った。このごろは余りその心配はないけどね(笑)。女性の方から「ねぇ」とかするのは私は何となく恥ずかしい。

浅 田  いや、それはやっぱり常に男がその気配を察して、これは求めているなと思えば、義務だろうが何だろうが男から誘うというのはマナーでしょう。

登紀子  女の方にそのコンディションがあるかどうかを見定めてからよね、やっぱり。そうでない場合ももちろんあるだろうけど。

浅 田  ある程度の年齢にいったら、やっぱりそのコンディションは察知しないとだめでしょう。女の人の場合はどうしてもいやというときがあるから。

登紀子  それと、私はもう一つ思ったのは、別にセックスしなくても、さわったり、くっついたりするだけでもいいと思うわけ。でも、私の人はさわったらセックスしなきゃいけないと思っているの。

浅 田  ああ、いますね。そういう男。

登紀子  私は別にそんなセックスなんかしなくても、さわったっていいじゃないかと思うわけ。ところが、さわったのにできなかったりするとものすごくショックらしい。

浅 田  それはそうですね。何か恥かかされた感じがする。

登紀子  でしょう。でも、そういうことを言っているとこれからはもうだめですから、セックスレス時代における提言としてさわったほうがいいというのはどう?

浅 田  僕の考えでは、セックスの基本は“まず抱いて寝てやる”というのが基本。“する”ではなくて。

登紀子  あっ、それいい。それを教えてあげてほしい(笑)。私は男と女ってそれでいいと思うの。セックスレスというのはそれもなくなっちゃうのかな。

浅 田  じゃないかと思いますよ。ずうっと一緒の布団で寝ていながらも何もしてくれないという話は聞いたことがある。

登紀子  ちゃんと抱っこをしてでも?

浅 田  うん。もうそのまま2年ないとか、3年ないとかあるわけですよ、若い男性で。

登紀子  何かセックスレスの外来がこのごろはやっているらしいわね。

浅 田  医者に行くということがおかしいやね、まずね。

登紀子  お医者さんが何を言っているかというと、お互いに爪を切り合いなさいとか、肩を揉み合いなさいとか、ちょっとでも触れることに慣れさせることから入りなさいとか言っているらしいわね。

浅 田  医者がちゃんとやっているのかよと言いたくなるけどね。

登紀子  でも、こうした現象はどこか種の保存に対する反発が来ているのかもしれないね。

浅 田  このままいくと人口も減少してうまいことなるんじゃないか。そんなことないかな。

登紀子  地球的にはまだまだ減らす必要があるのよね。だけど、日本の社会としては寂しいということよね。でも、人生がひどく楽になっちゃうかもね。

浅 田  僕らの若いころというのは貧乏だから、二人で暮らしたほうがお金がかからないというのが、一つの結婚の理由だったじゃないですか。

登紀子  そうそう。同棲生活がまずそうだもんね。

浅 田  僕、結婚したときそうだったもの。今は贅沢な時代でそれがない。

登紀子  だって、二つ部屋を借りているお金がなかったんだもの。

 でも今、だれか一緒に暮らす相手はやっぱり欲しいのよね。一緒に生きていて楽ということがよければ、女同士暮らしたって、男同士暮らしたっていいわけだけどね。

浅 田  だから、その状態の夫婦というのも多いでしょう。実際夫婦じゃない、籍も入っていないパートナーとしてのという関係はすごく多い。

登紀子  そうするといろいろなことの大前提が崩れていくのよね。今生きている理由や支えが全部変わっちゃうよね。

浅 田  はっきり言ってインポ男は何やってもだめですよ。

登紀子  そっちにエネルギーを割かない分だけ、ブワァーッと仕事に専念できるんじゃないの?

浅 田  全然違う。だって、セックスレスだと告白されたり、その連れ合いから聞いたりするでしょう。大体なるほどなという無気力なやつだもの。男が仕事をするなり、外でいろんなことをして活躍するパワーの源というのは、やっぱり性的エネルギーなんですよ。

登紀子  獲得したいというパワーがない。

浅 田  そう。だから、やり手の一代企業家なんていうのは、大体みんなギタギタして性的エネルギーにあふれているじゃないですか。

登紀子  ああ、そうね。何を獲得したいとかというエネルギーのベクトルの理由がないと、震源地がなく生きているようなものになっちゃうよね。みんな噴火口を持っているから爆発するので、そういう意味では噴火口がない生活じゃない。

浅 田  小説を書くのだって、やっぱり根源にあるのは性的衝動ですからね。原稿を書くのは一種のエクスタシー状態とほとんど変わりないぐらいだから。歌を歌う人もそうじゃないかと思うんですよ。何にもしないで乾いちゃっている男が歌を歌っても……。

登紀子  歌なんてもっと物理的にそうよ。体がふわぁっと潤む感じってあるじゃない。それがないと歌えないですよ。まず声が詰まってきちゃう。セックスがうまくできないとか受け入れられないとかしたときのカサカサした感じに近い状態のときはいい歌が歌えないわけ。だから、別に過剰な性的なものが欲しいから歌っているとかというのじゃなくて、似ているなという感じは絶対あるの。

浅 田  僕らの仕事というのは、情感にゆだねている部分が多いから全く一致するんだけれども、普通の仕事でもやっぱりそうだと思うんですよ。情感による部分はどんな仕事でもあるから、性的エネルギーのない男は仕事をしてもやっぱりだめだと。

登紀子  男をセックスレスの方に押し込んでいっているものは社会的なストレスなんでしょうね。

 逆に言ったら、夫婦も一緒に暮らさない方がいいのかもしれないね。若い人はわりと一緒にお買い物に行って、お料理も一緒にやっちゃうじゃない。それで、夜またベッドで一緒になったときに、何か外の風とかが感じられないのがいけないのよ。例えば太陽の熱の匂いが体いっぱい男の中にあってさ、抱くと「あぁ、草の匂いがするわ」とか、「あぁ、潮の匂いがするわ」とかさ、そういうのがやっぱり必要なわけよ。

浅 田  いいね(笑)。

登紀子  同じように一緒にお料理して、お互いに同じコショウの匂いなんかしているとさ。違うものと接しているというのがないんじゃないの。だから、もしかしたら仲がよすぎてセックスレスになっているというのもあるかもしれない。

浅 田  そうそう。セックスレス夫婦が逆に仲がいいという説もあるんだよ。意外と彼ら、いつもべたべたしているんだ。

登紀子  だから、ぶん殴ったり夫婦喧嘩しているぐらいの方が、いいのかな。喧嘩もやっぱり一つのエネルギーだからね。けんかした後ってどうにかしなくちゃいけなくて、抱き合ったりするじゃない。夫婦喧嘩の後にセックスで終わるということはわりとあるよね。今はもうないけどね(笑)。もう解決の方法がなくなっちゃったから喧嘩できないの。

浅 田  あとは手つないで歩くだけですか。まだ早いでしょう(笑)。

〓プロフィール〓浅田次郎〓

作家。1951年東京生れ。高校卒業後、多彩な職歴を経て、「とられてたまるか!」でデビュー。95年「地下鉄に乗って」で第16回吉川英治文学新人賞受賞。その他、「プリズンホテル」「蒼空の昴」「霞町物語」他、多数。第117回直木賞を受賞した「鉄道員」は、高倉健主演で映画化される。

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