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東京おもひで草

東京おもひで草

川本三郎 著

1,600円 新書変 312頁 978-4-385-35695-X (品切)

豆腐屋,チンドン屋,金魚売り,紙芝居。路地奥のどこかから,三味線の音が聞こえてくる。懐かしいこの町,失われたあの町。東京は,ノスタルジーの都だ。「東京つれづれ草」に続く川本流東京散歩への誘ない。

1997年 9月30日 発行

  『東京つれづれ草』(品切れ)

著者紹介


はしがき−「単なるノスタルジー」

 六〇年代の終わりころだったか、“ノスタル爺さん”という言葉が流行ったことがある。昔を懐かしんでばかりいる人間が自嘲的に自分のことをそう呼んだ。それに倣えば、昔の東京ばかり思い出している私もまた“ノスタル爺さん”といえそうだ。「単なるノスタルジーではなく」という絞切型のフレーズがあるように、ノスタルジーは評判が悪い。うしろ向き、逃避的と批判される。うしろを振り返らずに、前向きに生きることのほうがよしとされる近代社会では、ノスタルジーは、退嬰的な年寄りの感傷とみなされてしまう。

 しかし、果たしてそうか。東京のように変化が激しく、これまでの生活が次々に過去へと押しやられていく都市では、むしろノスタルジーによって、消えていった風景を拾い集めていくことが大事なのではないだろうか。大きな過去ではなく、ついこのあいだの、小さな近過去によって現代を相対化してみる。そんな試みも必要なのではないか。

 いや、それも理屈というものだろう。「単なるノスタルジー」で充分だ。ただ、ついこのあいだのことが懐かしい。あのころ、あの町が懐かしい。それに理屈をつけることなく、とりあえず文章にしてみる。そうしているうちにこんな本ができあがった。最近の新しい東京に触れた文章もあるが、この新しさだって一年もたてばもう懐かしいものになるだろう。

 劇作家の清水邦夫氏から面白い話を聞いた。イギリスで芝居の公演をした。町の人に愛されていた映画館が廃館に追い込まれていくという話で、日本で上演したときは好評だった。ところがイギリスではいまひとつだった。どうしてなのか。イギリス人が答えた。この話は自分たちにはよく理解できない。町の人に愛された映画館が廃館になることなどイギリスでは考えられない。昨日まであったものは今日も明日もあるだろう。

 なるほど、「古い」ということがそれだけで価値のあるイギリスならではの話である。新しさばかりが追い求められる日本では考えられない。ノスタルジーとはこういう古さへの憧れなのかもしれない。

 一昨年に出版した「東京つれづれ草」の姉妹編になる。今回も、装画の森英二郎氏、装幀の間村俊一氏、そして三省堂出版部の松田徹氏の三氏に大変お世話になった。またいつもの東京についてあれこれを教えてくれる「東京人」編集部の鈴木伸子さんにも感謝する。

一九九七年七月

川本三郎


●『東京おもひで草』

自著自讃(「ぶっくれっと」1997.9 no.126より)

川本三郎

 東京はノスタルジーの似合う都市である。いうまでもなく、東京は変化が激しいからである。昨日まであった風景が今日はもう消えていき、新しい建物に変わってしまう。そういう変化の激しい都市では、ノスタルジー、つまり、昔を懐しむ気持が普通以上に強くなる。

 昔といっても二百年も三百年も前ではない。せいぜい百年から十数年前の近過去を懐しむ。

 東京と対照的なのが京都で、この古都は平安時代の社寺がいまも残っていて、日常生活のなかに溶け込んでいる。こういう都市では歴史への思いはあっても、近過去に対するノスタルジーは生まれにくい。

 五年ほど前、写真家の田沼武能氏が昭和三十年代に撮影した東京の町の写真を編集して『昭和30年東京ベルエポック』(岩波書店)という本を作った。東京タワーが出来た昭和三十年代はじめの東京の風景が、その後の変化があまりに激しいために、もう懐しい。写真には消えていった風景、失われた町の姿が鮮明に映っていて、それが私たちの記憶と重なり合い、あの頃への懐旧の思いを作っていく。

 京都では、昭和三十年代の写真が本になるなど考えられない。平安時代や室町時代の建物が残っている町では、昭和三十年代など重視されない。

 京都生まれの作家、秦恒平氏は最近出版された『作家の批評』(清水書院)のなかで、歴史のある京都の町に育った自分には、「戦後」(第二次世界大戦後)という考えさえないと書いているほど。平安・室町に比べれば戦後など歴史のうちにも入らないのかもしれない。まして、京都のように戦災にあわなかった町では、東京と比べてはるかに古い建物が残っている。ノスタルジーは生まれにくい。

 東京は近代になって何度も滅んだ町である。明治維新によって江戸が滅んだ。関東大震災によって江戸の残り香を持った東京が滅んだ。東京大空襲によってモダン都市東京が滅んだ。さらに、これに東京オリンピック、八十年代バブル期の「町殺し」による変化が加わる。滅び、変化するたびに、「つい昨日」の東京に対するノスタルジーが生まれる。

 ノスタルジーは東京人の独特の感情といっていいだろう。失われた近過去への特別の想いである。

 ノスタルジーの早い例は、江戸から東京へと変わったときに起きた、古き良き江戸への想いである。岡本綺堂の「半七捕物帳」シリーズは、探偵小説として読まれているが、実は根底に、旧幕臣の子として明治の東京に生まれ育った綺堂の江戸へのノスタルジーをたたえている。明治時代にまで生き延びた半七老人が若い頃の江戸での事件を思い出すという形式をとっているのはそのためである。

 綺堂自身が自作のモチーフについて「はしがき」でこう書いている。

 「若しこれらの物語に何等かの特色があるとすれば、それは普通の探偵的興味以外に、これらの物語の背景をなしてゐる江戸のおもかげの幾分をうかゞひ得られるといふ点にあらねばならない」

 しかも綺堂は「半七捕物帳」シリーズ執筆中に関東大震災を経験し、いよいよ古き良き江戸への想いを強めていく。

 震災のあとには江戸や、江戸の香りをかろうじて残していた明治の東京へのノスタルジーが生まれる。戦災のあとには戦前のモダン都市へのノスタルジーが生まれている。つねに新しい都市風景が現出する、この変化の多い都市では、いつも誰かが昔を振返っている。この町では二十代の若者でさえ、まだ東京ドームのなかったころの昔の東京を懐しむ。

 ひとは簡単に「単なるノスタルジーではなく」という常套句によってノスタルジーを批判しすぎる。むしろいま必要なのは「単なるノスタルジー」の正体を見きわめることなのではないだろうか。

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