2009年5月までに、裁判員の参加する刑事裁判が始まります。一般の市民が裁判員として、法律専門家である裁判官とともに、一定の刑事事件について、有罪・無罪と有罪の場合の量刑を判断します。
裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(以下「裁判員法」)は、裁判員候補者を無作為に選出することとしています(同法13条、20条以下)。その任務は、担当事件の公判廷における審理にすべて参加し、判決言渡しによって終了するものとしました(同法48条1号)。このことは、刑事裁判を、法律の知識も裁判の経験もない一般市民が担えるものとして構想、設計したことを意味します。しかし裁判員は、裁判官になるのではありません。また、裁判官が正解を持ち、市民がその正解に到達することを求められてそこに座るわけでもありません。
裁判員への期待は、むしろ法律の知識と裁判の経験を持っていない点にあります。裁判員制度は、法に基づく事実認定、法の適用、量刑判断に、彼らの判断が必要であるとの前提に立っています。だから裁判員法は、「裁判官、検察官及び弁護人は、裁判員の負担が過重なものとならないようにしつつ、裁判員がその職責を十分に果たすことができるよう、審理を迅速で分かりやすいものとすることに努めなければならない」(同法51条)、「裁判長は……裁判員に対して必要な法令に関する説明を丁寧に行うとともに、評議を裁判員に分かりやすいものとなるように整理し、裁判員が発言する機会を十分に設けるなど、裁判員がその職責を十分に果たすことができるように配慮しなければならない」(同法66条5項)と規定しています。裁判員が主体的、実質的にその職責を果たせなければ、裁判員制度の意味は失われてしまうからです。
裁判員が十分にその法律上の職責を果たせるためには、充実した審理が分かりやすく行われる必要があります。これまでの日本の法廷は、法律専門家が法律専門家を説得する場でした。否、説得する書面を提出する場であったと言っても過言ではないでしょう。しかし裁判員制度では、説得の対象は法律の知識や裁判の経験を持たない市民であり、また説得の場は法廷以外にはありません。法廷で用いられる言葉の重要性が議論される理由です。裁判員裁判の法廷に立つ法律専門家は、多様な経験を持つ一人一人の裁判員に理解してもらえる言葉で話し、コミュニケーションをとり、裁判官・検察官・弁護人としての職責を果たさなければなりません。弁護士には、依頼者に対する説明の場や市民向けの法律問題講演会など、法律や裁判手続を分かりやすく話す機会はこれまでにもありましたが、市民とともに刑事裁判手続を行うのは、未知の世界です。
2004年6月に設置された日本弁護士連合会・裁判員制度実施本部は、活動の開始と同時に「法廷用語の日常語化に関するプロジェクトチーム」(以下「本PT」)を立ち上げ、この新しい世界への取組みを開始しました。
検討はどのように行われたか
本PTにおける法廷用語の検討は、市民の法律用語に対する認識の調査から出発し、国語学者、法言語学者、アナウンサー、テレビ報道局解説委員、社会心理学者など言語の専門家である有識者委員と、刑事法学者、弁護士という法律家委員が、分かりやすくかつ正確な法廷用語はいかにあるべきかを繰り返し議論してきました。それは、単なる言葉の言い換えではなく、裁判員が、法律専門家としての裁判官とは別の判断主体として、実質的にその権利を行使し責務を果たしうるために、コミュニケーション・ツールとしての「言葉」はいかにあるべきかを探ろうとしたものです。
本PTは、検討開始後1年間の結果を、2005年11月に中間報告書として公表し、広く意見を募りました。その後寄せられた意見も踏まえ、2007年12月まで延べ37回の会合を重ねた結果をまとめたものが、本報告書です。
各用語の検討は、次のように行われました。
事前に、有識者委員が、用語そのものから受ける理解を前提に「たたき台」を作成しました。検討は冒頭に、弁護士委員が検討用語のレジメを準備し、有識者委員に向けて法律的解説を行うことから始めました。その上で、前述のたたき台を元にしながら、議論に入りました。この方法によると、用語そのものが一般に与える印象や理解がどのようなものであるかが分かり、それが、「定義」としてその用語に込めている専門家の世界における特殊な意味合いとどのようにずれているかがよく分かります。また、国語辞典や法律用語辞典などの用語解説を一覧表にし、その過不足を考える検討資料として参考にしました。
検討のベクトルは、「非専門家を専門家の理解に引き寄せる」のではなく、「専門家が非専門家に近づいていく」方向です。法律専門家も、当然のことながら「非専門家」であった時代がありました。法律学者委員や弁護士委員にとっては、過去の自分にさかのぼり、立ち帰る作業でもありました。また専門用語とはいえ、日常的に使われている言葉も多くあります。やっかいなのは、日常語に専門語としての特別な意味合いを持たせて、法律家内部の「了解」ができあがっている言葉でした。長年使い慣れている専門家は、日常語との「違い」に気づきにくいです。そういう意味で、法律用語の日常語化の作業は、法律専門家のみの内部検討では限界があります。言語に関して一般市民の視点に立つ有識者を委員に迎えたことが、本PTの最大の意義であったことを強調したいと思います。各語の説明案は、できたものを読めば何ということはないと思われるものもあるでしょうが、法律用語としての定義からはずれず、正確性を求めながら、議論を重ねた末に至った結論のものも多くあります。
中間報告は、手探りで行った前半の検討用語の大まかなまとめでしたが、この最終報告は、中間報告の用語も含めて、全体を再構成しました。各用語の説明は、まず冒頭に簡易な「説明」を置いています。これが本PTにおけるコンパクトな検討結果です。次に「使用例」として、裁判のどのような場面で登場する言葉であるか、どのような使い方をされるかを示しました。3番目に「裁判員のための解説」として、できるだけ分かりやすい言葉で、裁判員に必要と思われる法律解説をしています。最後に「法律家のための解説」として、本PTにおける議論の中で出された問題点を主に、法律家が、何に、なぜ、どのような注意を払ってその用語を使ったり、言い換えたり、説明する必要があるのかをまとめました。これらを参考にして、法律家一人一人が、自らの言葉で臨機応変に、市民に分かりやすい言葉を紡ぎ出していただきたいと思います。
もとより、裁判員に選ばれた人は法律を学んで法廷に臨む必要はありません。この報告書は、そういう意味で、裁判員になる方々にあらかじめ勉強していただくことを目的とするものではありません。第1の「刑事裁判の基礎知識」も、第2の用語の検討結果における「裁判員のための解説」も、法律専門家がかみ砕いて詳細に説明するための参考にしてもらいたいという趣旨であり、この報告書は第一に、法律家が市民に近づいてもらうためのものです。
他方で、刑事裁判や裁判員制度に対する関心は、大きく高まりつつあります。裁判所では法廷傍聴者が増え、傍聴席の多くが埋まるようになりました。事件関係者が数人傍聴席に座るのみであった頃を考えると、隔世の感があります。裁判員制度がスタートする前から、既に市民は、裁判を他人事とせず、自らかかわるものとしての意識が高まっています。テレビでは、弁護士もの、法廷もののドラマが途切れることがなく、主役も弁護士から検察官、そして裁判官へと広がりを見せています。このような中で、法律に関心を持ち、少し学んでみたいと考える市民も生まれてきています。この報告書は、そのような関心にも応えることができるものと考えています。
本報告書の構成は、「第1 刑事裁判の基礎知識」で刑事裁判の原則、裁判員が臨む法廷の構造、刑事裁判手続の流れを簡単にまとめて刑事裁判の基本的な枠組みを紹介し、「第2 用語の検討結果」は、おおむね裁判と評議の進行に従ってまとめました。
本PTの活動は、おそらくわが国では初めての試みでしょう。検討結果にはなお不十分なものもあると思われます。しかし、このような試みなしに、裁判員と法廷でコミュニケーションをとることは不可能であることは疑いないでしょう。
法廷における言葉――それは、刑事裁判の担い手として裁判員が参加するこの新しい制度に生命を与えるものです。そしてそのことは、「統治主体・権利主体としての国民が、司法の運営に主体的・有意的に参加し(中略)法曹との豊かなコミュニケーションの場を形成・維持するように努め、国民のための司法を国民自らが実現し支えなければならない」として裁判員制度を提言した、司法制度改革の理念が求めるものでもあります。このような生命が与えられて初めて、国民は自らの判断に信頼を置くことができるでしょう。そしてそれは、国民の主体性・自律性の確保に貢献すべきプロフェッションとしての、法律家の責務でもあります。
この報告書が、裁判員裁判に関わる市民と法律家への刺激の一つとなって、より分かりやすく正確な法廷用語を紡ぎ出す契機になることが本PTの願いです。