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  地方自治と日本国憲法(現代法学者著作選集)

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地方自治と日本国憲法

吉田善明 著   (品切)

4,200円 A5 304頁 978-4-385-32208-7

近代立憲主義の理論的考察を土台に、日本国憲法下での地方自治を、単なる国の統治手段としてではなく、国民の権利と位置づけ、国際的視野で住民の自治権を論じ、地方分権をめぐる今日の論議に一石を投じる。

2004年7月20日 発行

目次 序にかえて 吉田善明先生の地方自治論と憲法学(江島晶子) 吉田善明先生のプロフィール──学風・人物点描(小山廣和)



●目  次

序にかえて

I部 地方自治の理論と現状

一章 地方自治の保障──立憲主義における<伝統と近代>という視点をふまえて──

一 はじめに
二 近代立憲主義の確立のもとでの地方自治とその保障
三 日本における地方自治の保障と展開
四 地方自治の保障
五 地方自治=地方権の再評価と内容
六 地方自治と国際社会
七 おわりに

二章 地方分権と地方自治──地方分権推進委員会の答申内容を中心に──

一 はじめに
二 地方自治の本旨と地方分権推進法
三 地方分権推進委員会の「中間報告」および「第一次〜第四次報告」について
四 地方分権と財源(自治体財政)
五 おわりに─地方分権への今後の課題

三章 地方分権改革の意義および課題──改正自治法を中心に──

一 はじめに
二 国と地方自治体の役割の明確化
三 国の関与の法理の疑問と係争処理制度の内容と問題点
四 必置規制の見直し
五 地方税財源と課題
六 おわりに─今後の課題─

四章 市町村合併と広域連合 ──地方分権化の中で──

一 はじめに
二 一九五〇年代に進められた市町村合併
三 一九九〇年代の市町村合併の推進
四 市町村合併論議と問題点
五 市町村合併の推進の背景と検討すべき視点
六 広域市町村圏および広域連合の展開
おわりに

五章 地方自治──中曽根内閣下での地方行革と憲法──

はじめに─問題の所在
一 地方行革を生み出した背景
二 地方自治体の行政改革
三 地方行革の憲法的視点からの検討
四 おわりに

六章 地方自治の復権と住民投票

一 問題の所在
二 わが国における住民投票の法構造と位置
三 リコール制の特異な活用
四 住民投票条例の今日的意義
五 おわりに─住民投票と地方自治の復権

七章 地方議会議員選挙における選挙区間の投票価値の格差

一 事実の概要
二 判旨

II部 地方自治体の平和と国際政策

一章 平和的生存権と地方自治

一 問題の提起
二 平和的生存権の生成と展開
三 一九九〇年代の平和的生存権の承認と平和的共存権
四 平和的共存権と地方自治
五 おわりに

二章 逗子・三宅島問題と日米安保

一 はじめに
二 日米安保条約下の在日米軍の現状
三 在日米軍の施策としての基地(施設)問題
四 地方自治体の抵抗としての法理
五 おわりに─問題の提起

三章 一九八〇年代の自治体による国際交流

一 はじめに─地方自治体連合権の提起
二 地方自治体の国際交流の現状と方法
三 地方自治体における国際交流事業
四 地方自治体における平和交流事業
五 地方自治体の国際交流の将来と問題点

四章 地方自治体の国際(援助)協力──国際(援助)協力のための立法構想に向けて──

一 はじめに
二 地方自治体の国際(援助)協力の登場と高まり─交流から協力へ─
三 地方自治体の国際(援助)協力の現状
四 地方自治体の国際協力と市民NGO
五 地方自治体の国際協力(いわゆる自治体ODA)に対する憲法的統制
六 地方自治体の国際協力の法的正当性
七 おわりに

III部 地域からの教育改革と条例・規則

一章 地域からの教育改革

一 序─国家改造か─
二 教育の基本的方向の変貌
三 答申にみられる教育改革の課題と提言
四 地域からの教育改革
五 まとめ

二章 教育と条例・規則──その憲法学的検討──

一 問題の所在─教育への権利と地域教育法の視点─
二 地域教育法の法的メカニズム
三 教育条例・教育委員会規則の問題点と打開策
四 おわりに

三章 地方自治の展開と条例の諸傾向

一 問題の所在
二 地方自治の展開と条例の噴出
三 条例制定・運用をめぐる法的問題
おわりに

主要な著作文献リスト

吉田善明先生の地方自治論と憲法学 江島晶子
吉田善明先生のプロフィール──学風・人物点描 小山廣和



●序にかえて

 一、私が研究生活にはいり取り組んできた研究テーマの一つに、地方自治にかんする研究がある。地方自治にかんする憲法学的研究、法社会学的研究をしている過程で、地方自治体の依頼を受け、あるべき地方自治の姿を求めた街づくり計画に参加する機会にも恵まれた。これらのささやかな一連の成果として、すでに『地方自治と住民の権利』(三省堂一九八三年)、『地域からの平和と自治』(日本評論社一九八五年)を刊行した。本書の刊行は、その続編ともいうべき論稿の収録集である。時期的には、一九八〇年代後半以降の論稿が中心となっている。なかでも、本書の内容が明らかにしているように、国がリードし進めてきた地方分権改革を取りあげ法的検討を加えた論稿が多い。九〇年代後半にいたり、地方分権推進法(一九九五年)の制定にもとづいて設置された地方分権推進委員会は、分権型社会をめざすという視点に立って地方分権型の新しい行政システムの確立を意図した改革案を提示し、機関委任事務の廃止、法定受託事務・自治事務としての地方自治体への権限委譲、地方自治体に対する国の関与、さらには国と地方自治体との間で争いが生じたばあい、その争いを処理するための国地方係争処理制度の設置が示された。いうまでもなく、地方自治体への権限委譲は、日本国憲法がめざす自治体国家の確立に向けた改革であったと解することができる。しかしながら、現在、政府によって進められている地方自治体への権限委譲には充分な財源の委譲がともなっていない。このことから、多くの地方自治体は本書で批判をしているように財源不足に陥り、地方自治の活性化どころかその機能さえも喪失している。政府は、この危機の克服策の一つとして、「財政基盤の確保、充実」「地域の活性化」をめざすべく市町村合併、広域市町村圏および広域連合構想を打ちだしている。政府は市町村合併によって現存している三三〇〇余りの市町村をこの数年間に約一〇〇〇余りに減少させることを意図し、それらを促進するために市町村合併の特例措置(議員の在任特例制度、合併特例債など)を設けて行政を指導している。

 また、政府は、このようななかで昨二〇〇三年になって、地方自治体の財政の強化という名目で「国から地方への補助金の削減」「地方交付税の見直し」「税源委譲」を一緒に改革する「三位一体」を打ちあげた。その施策の成り行きが注目される。

 二、ところで、政府がリードして進めている市町村合併の内容と問題点については本書で述べているが、今後、地方自治体はどのような問題点をかかえながら変貌を遂げていくのであろうか。地方分権改革は、国家機構そのものにも影響をおよぼす改革であるだけに充分に検討されなければならない。私はこの点について次の二点を提起しておきたい。

 第一に、政府が進める市町村合併政策は、「地方自治の本旨」、わけても「団体自治」に即したものといえるかどうか、という点である。具体的にいえば、市町村合併が「地方自治の本旨を構成する団体自治に適合しうるものであるか、ということである。団体自治の確立という視点からみると、市町村は、この合併に自主的に応えうる力量があるのか否かが問われよう。ここでいう力量とは市町村合併が地域の自然的地理的条件、地域住民の共同体意識などを配慮しかつ行財政の効率的な運営を行っていく力があるのか、ということである。こうしたことが十分に検討されることもなくして、財政の確保、行財政の効率性のみを先行させた市町村合併では、将来において大きな禍根を残すことになりかねない。

 もし、行財政の効率化と安定を求めた市町村合併を先行させ、市町村の広域化がはかられていくと、市町村合併は限りなく都道府県規模(とくに面積、人口)に近づくことになる。そうなると市町村制と府県制とが担う役割が問題となる。とくに、府県制に近い市町村規模での大型合併は、府県制それ自体の存在を失わせることになりかねない。現に、そのことを予期しての合併であろうか、岩手、秋田、青森の北東北三県ににまたがる県レベルの合併論では、道州制を視野に入れた府県制のありようをめぐる論議が進められている。この広域的な府県制の併合、それにもとづく首長公選制の廃止については、地方自治の本旨および憲法九四条からみて違憲であるとする批判が早くからだされている。

 第二に、住民自治および憲法九四条に違反する市町村合併になっていないか、という点である。住民自治とは、地域内の自治事務がその地域の意思にもとづいて行われることである。「住民の、住民による、住民のための政治」を意味する。市町村合併に即していうと、市町村を合併するか否かは、行政側にあるのではない。これは地域住民の利便性を前提にした市町村の合併であるべきであって、住民自治を欠き、かつ無視した合併であってはならない。

 多くの文献で論じられているように、地域の住民のためによりよい街づくりを進める市町村の合併は、あくまで街づくりの手段であって目的ではない。したがって、他に選択すべき手段があるならば、その道をも考慮した選択をすべきものであり、誤った選択は将来の住民に禍根を残すことになりかねない。地方自治は、住民自治の原則にもとづき、しっかりした中・長期計画をたて、住民の英知によって判断されるべきものである。

 いまこのようなことを「はしがき」で取りあげ述べてきたのは、近年、地方自治体の変貌がことのほか速く、とくに市町村の合併問題は、本書に収録された論稿の執筆時からすでに三年を経過し、いまや地方自治の最大の焦点になっていることから、その後の動きをフォローしてみようと思ったからである。

 三、もとより本書では、市町村合併を対象に法的検討を加えた論稿だけで構成されているわけではない。本書の目次でみられるように、これらの論稿をふくめた三部一四稿で構成を行っている。

 第I部は、「市町村合併と広域行政」のほか、地方自治の保障、地方分権改革の背景・意義・内容を中心にした論稿で構成されている。まず、地方自治の保障では、地方自治の学理的原点となる固有の自治権を、日本国憲法の下で憲法、地方自治法研究者がどのように理解していたか、地方自治研究に取り組まれてきた法学者の学説を、地方自治の展開状況のなかで検討してみることであった。これらの研究をとおしてあらためて確認すべきことは、日本国憲法が保障した地方自治権は制度的保障としての自治ではなく、人権保障としての自治権であることが提起されていることである。また、第I部では、地方分権改革の中心的役割を担った地方分権推進委員会(一九九五年三月設置)が取り組んだ「中間報告」および第一次答申から第五次答申の内容と問題点、地方分権一括法(「地方分権を図るための関係法律の整備に関する法律」)の主な内容を中心に紹介する。

 第II部では、地方自治が進める平和政策および国際交流、国際協力にかんする論稿を取りあげる。いうまでもなく、平和を求めての秩序づくりは、国家はもとより国家を超えて民衆や民間機関、地方自治体の協力なくしては達成できない。このことは平和の実現が国家の独占的事項ではなくなってきていることを意味しよう。ここでは、平和なくして人権の保障はないという視点から「平和に生きる権利」の根拠を日本国憲法に求め、地方自治のはたす役割を中心に検討した「平和的生存権と地方自治」ほか三点を収録している。

 第III部では、「地域からの教育改革と条例・規則」として三論稿を収録する。第一の「地域からの教育改革」では、臨時教育審議会が中曽根内閣に答申した「教育改革の基本方向」「審議会の重要課題」「具体的改革提言」を憲法的視点から検討を加える。そしてこの具体的提言を受けて地方自治体がはたすべき役割は、日本国憲法および教育基本法の理念を教育目標の底流におき、教育を現実に担う地域、学校こそ、地域住民の協力を得ながら活性化はかる場であることを指摘する。第二の「教育と条例・規則」は地域教育を対象にした法的メカニズムを浮き彫りにし、教育条例のはたす役割、教育委員会規則の内容および法律・条例との関係を再検討し、地域のための地域教育の確立、教育への参加を配慮した法的メカニズムの確立を訴えている。そして第三の「地方自治の展開と条例の諸傾向」は、近年、地方自治体に向けた一般行政の監視、参加、公開システム、環境、福祉、教育、国際交流などの分野の政策がそれを具体的に実現するためには条例の制定が必要となる。ここでは、これらの条例の内容を検討しその問題点を指摘している。

 本書は、以上のような内容で構成されている。いまここで収録された論稿の一つ一つをあらためて読み直してみると、内容的に見てすべてが満足しうるものとはいえない。これからは読者のご批判を得ながらそれに応える一層の努力をしていかなければならないと思っている。

 私の地方自治にかんする研究は、僭越ながらふりかえってみれば、私の大学院生(修士課程)時代にさかのぼる。当時、「町村合併促進法」(一九五三年制、三年限時法)が制定され、それを補完するものとして「新市町村建設促進法」が制定され、自治体は町村合併をめぐって激しく動いていた時期であった。いわゆる昭和の大合併と呼ばれていた。恩師故和田英夫先生の下で研究会が組織され、住民を巻きこんで争われていた千葉県小櫃村(現在君津市)の合併問題をめぐる調査研究に私は参加する機会にめぐまれ、多くのご教授を得たことにはじまる(和田英夫・沖田哲也・岩間和男・桜井洋平「合併紛争をめぐる自治体行政の構造と問題」明治大学法制研究所発行「紀要」第四・五合併号)。その後、本学政経学部で教壇に立たれていた沖田哲也教授が中心になって行われた町村合併をめぐる市民の意識調査(「青梅市の自治意識の実態」都市問題五二巻一二号)にも参加し、多くの指導をいただいている。また、助手時代には、当時、本学において法社会学講座の教壇に立たれていた江守五夫教授が行っていた新潟県北浦原郡聖篭村(現在聖篭町)でおこった選挙争訟事件の実態調査に参加する機会が与えられ、法社会学的視点から多くのご教示を得ている(江守五夫・吉田善明「選挙争訟事件とその社会的背景」法律論叢第三七巻第三号)。さらにまた、一九六五・六六年には、小林直樹東京大学法学部教授(当時)を中心に全国憲法研究者を動員して行われた日本人の憲法意識調査(関東地区担当)に参加させていただき、そこでも意識調査を分析する手法を学んだ(小林直樹編『日本人の憲法意識』東京大学出版会一九六八年)。その後も地方自治体で惹起された諸事件への対応、地方自治体の長期策定計画(武蔵野市)への参加、「地方自治と憲法」研究会(代表杉原泰雄)に参加する機会が与えられた。これらの委員会、研究会への参加によって先学、同僚、友人から多くのご指導をいただいている。とりわけ、佐藤竺、松下圭一、杉原泰雄、兼子仁の諸先生には感謝の意を表したい。

 本書を編むに際して、小山廣和、江島晶子両教授に、本書の「解説」文の執筆をお願いしたが、快諾され、貴重な時間を割いてご協力いただいた。ここに記してお礼申しあげたい。

 また地方自治に関する論稿を収録した本書を『現代法学者著作集』の一冊に加えていただいたのは三省堂の鷲尾徹法律書出版部長をはじめみなさんの好意によるものである。わけても武内明さんには、本書の編集、校正にいたるまで献身的にご協力をいただいた。ここに記して感謝の意を表したい。

 二〇〇四年五月

明治大学法学部研究室
吉田善明



●吉田善明先生の地方自治論と憲法学

江島晶子

 本書は、地方自治を柱として、そこに平和、国際化、教育、選挙といった多様な視点から論じた選りすぐりの論文を集めた著作集である。こうしてまとめられたものを概観すると、地方自治という分野において憲法学の視点から吉田善明教授が積みあげてこられた業績の比類のなさは誰もが否定しえないであろう。扱われる内容の豊かさ、提示される視点の鋭さ、地方自治が抱える今日的課題の摘出の的確さ、地方自治の実態を通暁していればこその結論の説得力、そして随所に提示される視点の新鮮さ(第II部の「地方自治体の平和と国際政策」はまさに白眉である)といずれの点においても他の追随を許さない。

 吉田教授の卓抜した「地方自治」論の背景には、吉田教授が憲法科学としての憲法学として築かれた蓄積がある。これを無視しては、吉田教授の地方自治に関する業績を十分に理解・評価しえないであろう。とりわけ、地方自治の分野での清新な見解が、同時に説得力を備えているのは、憲法学、比較憲法学の中で培われた機能的・歴史的考察に裏打ちされているからである。そこで、吉田教授の憲法学、比較憲法学の特質を紹介しながら、本書で展開されている地方自治論のよってたつ基盤の広さと深さを明らかにしていきたい。

 第一に、特筆すべき点は吉田教授がイギリス憲法を基軸として展開してきた比較憲法学である。憲法学の教科書は枚挙に遑がないが、比較憲法学となると単著の数は非常に限定される。各国の憲法を比較するのは並大抵のことではない。実態を無視した表面的比較や、表層的類似性に引きずられた(あるいはその時の便宜性による)結論に至る危険を回避するためには、吉田教授の『現代比較憲法論(改訂版)』の冒頭(iii頁)で示されるように、体系性を意図し、「比較憲法の方法論」、「類型論」を基礎として、機能的、歴史的視点から「諸外国憲法の分析」を行う必要があり、それによって、単に諸外国の憲法を理解するだけでなく、そこから新しい知見を獲得できる。大日本帝国憲法下では国の立法政策でしかなく、憲法上の問題として議論されなかった地方自治であればこそ、そのあり方および可能性を論じる際には、比較憲法は格好の素材と視点を提供する。

 第二に、第一の点に関連するが、歴史に対する深い洞察である。吉田教授は、近代憲法史の流れの中で大日本帝国憲法の特徴を浮き彫りにする意図を明確にうち出しており、日本国憲法をその流れの中に位置づけることを将来的に企図される(前掲書iv頁)。どのように位置づけられるのかがさらに期待される部分でもある(なお、比較憲法学の中ではやくからアジア憲法に目を向けてきた研究者の一人でもある)。さらに、基軸とされるイギリスは硬性成文憲法典を有しないことが、重要な特質を与えている。概して、イギリスは、人権宣言の萌芽として、先行モデルが存在しないがゆえの未熟・変則として紹介されやすい。しかし、それだけに漸次的に展開されるプロセス、個々の具体的事件、具体的権利に注目しながら、現に存するダイナミクスを追いかけざるをえない。吉田教授は、一九七〇年代にイギリスにおける新・権利章典論議に注目した先駆的研究者の一人であるが、同論議が紆余曲折を経て一九九八年人権法として実現したことを考えると吉田教授の先見性に脱帽する。

 第三に(そしてこの点がまさにもっとも重要な点であるが)、地方自治に関する諸論稿の背後にある、日本国憲法に関する理論体系である(長年の研究成果として『日本国憲法論(第三版)』として結実している)。そこにおいて特徴的なことは、人権という、いわば「目的」あるいは「成果」、「結果」だけでなく、それを実現する「手段」、「機構」として、あるいは「過程」としての側面から、人権を論じ、統治を論じる姿勢ではないだろうか。そして、誤解を恐れず言えば、常に、「人」の視点から、そして「人」にもっとも近いところ(すなわち国、中央政府ではなく地域、地方自治)から論をはじめるという姿勢である。このことは、たとえば、『日本国憲法論』においても、議会政治、選挙制度、財政、地方自治といった分野での質的量的充実ぶりに表れている。とりわけ、地方自治および財政についての研究業績は群を抜いており、他の研究者が目を向けないところから物事の本質を解き明かそうとする。こうした研究手法が、本書の地方自治の諸論稿を際立って魅力的なものにしている。たとえば本書第一章は、まさに、憲法学で体系を確立し、比較憲法学で構築された歴史的、国際的視点なしには書けない章である。なかでも、本章において、地方自治の保障に関する学説の流れを近代立憲主義の展開の中で位置づけ、ジャコバン型自治と英米型の地方自治という歴史的比較憲法的分析を行っている点、戦後、地方自治の保障において欠落しがちであった人権保障としての自治を強調する点、さらには、地方自治体を住民の人権を保障するための機構である以上、地方自治体は国を超えた諸外国の地方自治体との関わり合いにその役割があることを指摘する点(本書第II部「地方自治体の平和と国際政策」でさらに論考が深められる)には前述した特徴が表れている。

 他方、本書に見られるような地方自治の分野での充実した研究成果が、憲法学、比較憲法学の研究にフィードバックされており、両者の相互関係の存在こそが、吉田教授の研究の特質でもある。以下、前述したような特徴と結びつけつつ本章の内容を紹介していく。

 本書第I部では、第一章「地方自治の保障」で近代立憲主義の視点から地方自治の本質を検討した上で、第二章以下、第一章で明示された憲法学からの大きな枠組を前提として、地方自治の今日的課題について詳細かつ的確な検討が行われる。まず、第二章および第三章は地方分権を扱う。第二章「地方分権と地方自治」では、地方分権の推進を目的に改革案を提示した地方分権推進委員会の答申内容を素材として、第三章「地方分権改革の意義および課題」では、答申を受けて制定された地方分権一括法を素材として、地方自治体の分権改革およびその問題点を憲法的視点から検討する。そして、分権化に向けた改革として一定の評価を与えつつも、憲法から見ると地方分権は地方自治権の確立であるという観点から、より実効性のある実現を主張する。なかでも重要なのは、分権化に必要なのは、権限の委譲だけではなく、財源確保という観点から国の財源の構造改革、担い手としての住民の意識改革だと指摘する点である。この財源不足を解消する対策として推進される市町村合併、広域連合の問題について検討するのが、第四章「市町村合併と広域連合」である。同章では、合併論議について、「地方自治体住民が本当に合併を必要としているのか」、自治権の尊重、とりわけ住民の意思を尊重した形で行われているかという視点から検討し、市町村合併や広域連合といった政策による財政基盤確保ではなく、国中心の税財政構造を自治体中心の税財政構造に転換させて政策を考えるべきであると論じる。第五章「地方自治」では、地方の行政改革を人権論および自治の視点から検討するものであり、まさに前述した吉田教授の基本的姿勢が明確に出ている。第六章「地方自治の復権と住民投票」は、住民投票条例の問題点を詳細に検討しながら、地方自治の復権という観点から、主権者住民の政治参加として評価するものである。第七章「地方議会議員選挙における選挙区間の投票価値の格差」では、吉田教授の造詣の深い「選挙」の分野における実績が地方自治に反映されている。

 第II部「地方自治体の平和と国際政策」は、憲法学としての蓄積と比較憲法学からの展開が融合された諸論稿で構成されている。第一章「平和的生存権と地方自治」は、平和的生存権を「国民および国民から信託を受けた国家(代表)直接的に、諸外国の地方自治体・団体に、あるいは国家に能動的に、あるいは受動的に平和生存権への影響を及ぼしていく権利」として把握する視点から、地方自治体の具体的平和政策を総合的に検討し、地方自治体や民間機関による平和政策の実施の可能性を模索し、国家政策をも転換させる契機を指摘する。第二章「逗子・三宅島問題と日米安保」は、この第一章の発想の原点ともいうべきものであり、日米安保条約、地位協定を根拠とする施設設置に対して地方自治体が反対する法理について検討し、住民運動を中心に自治体間の協力や自治体間の国際交流を提唱する。第三章「一九八〇年代の自治体による国際交流」は、活発化した地方自治体の国際交流について法的根拠を検討することを通じて、地方自治体の自治権に内在する連合権保障という視点からはじまり、地方自治体内に在住する外国人に対し実質的に平等な人権保障の確立(内なる自治体外交)を提言し、国の専権事項とされている外交にどこまで地方自治体が関われるのかを問う第四章「地方自治体の国際(援助)協力」へと展開する。

 そして第III部「地域からの教育改革と条例・規則」は、教育という視点から地方自治を論じ、さらに地方自治における条例の役割を検討する。第一章「地域からの教育改革」では、臨教審の答申が提示する教育改革に対して、「地域からの教育改革」を柱に教育の多様性、国際性をいかに確保するかを論じ、第二章「教育と条例・規則」では、教育への権利と地域教育法の視点から、地方自治体(地域)における教育への参加権への保障としてとらえ、地域住民の意思を尊重し、自主性のある教育委員会による教育行政の展開を実現する具体的なメカニズムの検討を行うものである。第三章「地方自治の展開と条例の諸傾向」は、地方自治の展開を背景として噴出した多数多様な条例を憲法学の視点から分析検討して、一定の評価を与えつつ、問題点を析出するものであり、「人権論を軸にした体系的な自治体憲章」の提言はまさに吉田教授ならではの説得力ある提言である。

 以上の点に通底するのは、「在野」の批判精神であり、「人」を何よりの根本に据える姿勢であり、それを「伝統」と対峙させ時に厳しい緊張関係をはらみつつも、現実の社会の中で均衡を取ろうとする「コモン・センス」の存在ではないかと考える。憲法学においては、統治、人権のいずれにおいても、中央と地方、抽象的一般的人権と個別具体的事例においては、前者の方に比重が置かれやすい。地方自治、そして住民の権利に着目することによって、本来のバランスを取り戻し、より「人」の立場から憲法学を展開することが可能になる。そこに吉田教授の憲法学、そして地方自治論の真価があるのではないだろうか。



●吉田善明先生のプロフィール──学風・人物点描<

小山廣和

 吉田善明先生のご指導を公私にわたり三六年間受ける幸運と恩恵にあずかった者として、身近な存在である恩師について何かを書くことがいかにむつかしいかを、このたびペンをとってあらためて実感した。

 そのむつかしさとは、詩人・清川卓行が次のように記したことに、おそらくつながるものであろう。

批評とはぼくにとって遂に、対象へのそこはかとない愛を語ることであるか?
ぼくに近づくな
ぼくから遠ざかるな
ぼくから一番よく見える所に立ってくれ。
   『清川卓行詩集』(思潮社・一九六八)五〇ページ

 「距離」がなければ、対象への多少とも客観的な認識はできない。冷静な観察者として記述したいと思っているが、所詮「傍観者」としての前提条件を欠いている。

 先生は、折りに触れて、「法律家になるのに、天才はいらない。特別な才能もいらない。むしろ、常識(コモン・センス)をもった普通人の感覚を養うことが大切である。」と口ぐせのようにおっしゃる。

 吉田先生のゼミナールのモットーは、「徹底した討論」と「人間の強い絆」である。議論の重要さは、今では憲法学の古典となっているウオルター・バジョットの『イギリス憲法論』(Walter Bagehot, The English Constitution, 1st ed. 1967 ; 2nd ed. 1972)でも指摘されているが、吉田憲法学においては、議会制度における審議・討論の重視として現れている。人間同士の強い絆を先生がゼミ生に求めるのは、縁あって師友となった恩師と仲間たちとの人間関係を大切にすることのすばらしさを説くことによって、社会(世の中)を形づくってるのは、結局、人間と人間の結びつきだということを先生自らの信念にしておられることを、ご自分の人生経験から、我々門下生に教えて下さっているのだと感じている。吉田憲法学の基底にあるものは、自立した個人の尊重を前提とした、社会(世間)の自由な形成が、人権の擁護の基礎にあるという認識、というより確信である。 ある時、先生は、文庫本に白いビニールのカバーをつけて持っていらした。何の本ですかとうかがうと、黙って私に手渡して下さった。カバーを開いてみると、それは、カントの『永遠平和のために』(岩波文庫・一九四九年) であった。

 一九三六年、北海道・室蘭生まれの先生は、日本国憲法の成立(一九四六年)を一〇歳頃知り、その憲法とともに育ち、以来、半世紀以上、二〇〇三年の現在でも、同憲法の三つの基本原則、すなわち、国民主権主義・人権尊重主義・永久平和主義の三つの基本原則を強く支持することにおいて不変である(吉田『日本国憲法論〔第三版〕』三省堂・二〇〇三年、五五頁以下)。

 先生は大学を卒業されるとき、新聞記者になろうか、大学に残って研究者になろうかと迷って、学部時代の行政法の恩師の山田準次郎先生に相談されたそうである。

 ジャーナリストとしての才能と意欲は、その後、先生がアカデミズムの世界に身を置きながらも、いかんなく発揮され、日々変転する日本及び諸外国の憲法政治の状況の中で、求められて積極的に筆をとってこられた。それらの時事評論は、先生の処女論文集『現代憲法の問題状況』(評論社・一九七二年)以後の十指にあまる論文集にかなりの部分が収録されている。その論文集は、前掲の著作リストをみることによって知ることができる。

 『マロニエ通り』という、昔なつかしい装丁の本を、先生は一九九六年に私家版(非売品)として敬文堂から出版され、身近な人々に贈呈された。この本は、先生が機会を与えられて折々筆をとった随想などが中心になっており、先生の人間味の一端がより強く伝わってくるものである。

 一〇〇頁ほどの『マロニエ通り』の表紙と中とびらには、先生ご自身が描かれたイニシャルy・y のサイン入りのマロニエ(とちの木と同種。花言葉は「健康」) の葉が飾られている。「はしがき」に相当する冒頭の「マロニエ通り」の文章には、先生が日頃、口になさらない心の中に秘めたお気持ちが吐露されている。

 「歳月だけが澎湃として流れていく。『六〇にして耳順う』という心境になりたいと想うこの頃です。これからも山積した仕事をこなしながら、しかも、好奇心は持ち続けていきたいというのが私の抱負です。

 還暦という人生の刻みにあたり日頃の先輩、友人の御厚情に対する答礼として拙い書を編んでみました。私の職場となった母校、そして学界生活において尊敬すべき恩師、友人、学生など多くの人々に出会いました。それらの方々から多くのことを学びかつ教えられました。…(中略)…

 表題については、『マロニエ通り』としました。わが大学にはシンボル・カラーはありますが、メイジを具体的にイメージするシンボル・マークはありません。何でもメイジ(明治) です。そのためにはメイジのイメージをシンボル化するものが必要だと思っています。私はそのシンボルにマロニエの木がよいと思います。本学の創立者がマロニエを象徴するフランスの法思想(権利・自由)を学び建学精神とした明治大学の歴史に、また明治ッ子として入学以来、春夏秋冬の歴史を刻んできたマロニエ通りの往来に想いを馳せると、マロニエの樹が浮かんでくるからです。

  一九九六年師走

迎還暦
吉田善明」

 学会での役職をいくつも歴任され、公法学会、全国憲法研究会などの憲法関係の学会、地方自治関係の学会、選挙関係の学会などで重要な仕事と学会運営に携わるとともに、憲法の司法試験考査委員としても活躍された。

 現在は、大学院及び法学部・政治経済学部で憲法の講義をされながら、同時に、学校法人明治大学の常勤理事として、多忙な日々を送りながら大学の経営に尽力されている。

 先生の同門のある先輩は、もう三〇年も前に、吉田先生を評して、「学者・大学教授にしておくのはもったいない」と感想をもらされたことが、今にして想起される。機を見るに敏で、経営の感覚にも恵まれていることを、同門の先輩は、はるか以前に見抜いており、そのことが、現実によって証明されたわけである。

 先生の学風は、そのお人柄を反映して、大らかであると同時に、細部への気配り、目配りを忘れない点に特徴がある。また、先学の学問の伝統を大切になさる。二六歳の若さで、法学部の比較憲法の講義を担当されて以来、日本の憲法問題を考えるに際して、比較法的アプローチの大切さを重視し、歴史的アプローチ・法社会学的アプローチ(機能的アプローチ)とともに、吉田憲法学の方法論の中心とされている。歴史と固有の伝統を大切にするイギリス人の経験主義的な思考方法に親しみを覚えられ、イギリスの憲法・政治・文化の研究を軸として研究活動を積み重ねて来られたので、吉田憲法学の背骨には、イギリス研究と、イギリスへの親和力と愛着がみられる。先生の学位論文は、「代表民主制の法理論的・実証的研究」で、イギリス近現代の議会代表の理論を中心に選挙による代表選出の問題や命令的委任・直接民主制理論との関係が跡づけられている。

 先生が主催されている東京憲法理論研究会(略称東憲研)は、すでに164回を数えている。この月一回の研究会の後の酒の席などで先生がご自分の憲法学についてしばしば語られる「政治的にはリベラルだが、文化的にはコンサーバティブ(保守的)」という表現にみられるように、学問・文化の伝統とその歴史的叡智を大切にされている。

 ここで先生が使われているコンサーバティブの意味は、イギリスで使われているそれと似ているように私には思われる。ほんの一例を示すならば、我々には、W・チャーチル──彼は、ノーベル「文学賞」を授与されている文人でもある──やM・サッチャーがコンサーバティヴの立場にありながら、数多くの改革をし、イギリスの苦境と危機を脱することに成功したことを想起すれば十分であろう。また、エネルギッシュなジャーナリストにして銀行経営者であった、前出の『イギリス憲法論』の著者W・バジョットも、リベラルであると同時に、言葉の本来の意味において旧来の文化・伝統を大切にするコンサーバティスト(深瀬基寛)であった。

 地方自治に関する先生の論文集には、すでに、『地域からの平和と自治』(日本評論社・一九八五年)、『地方自治と住民の権利』(三省堂・一九八二年) などがある。地方自治に関する先生の研究は、議会制度、選挙制度、財政に関する研究とともに、先生が憲法の分野の中でも比較的多くの時間とエネルギーをかけてこられた領域である。この度、「現代法学者著作選集」の一冊として最近の地方自治に関する諸論文が収録されることは、吉田憲法学における地方自治論を分析・検討する際にも便宜なものとなろう。「地方の時代」が叫ばれ続け、現在に及んでいる。先生も主張するように中央省庁と地方自治体の関係が、税財源の移譲とともに地方自治体へ可能な限り事務・事業権限が移されて行くことが、デモクラシーの真の実現にとって望まれている。ジェームズ・ブライスが、『近代民主政治』(James Bryce, Modern Democracies, 1921.)の中で記した「地方自治は、民主主義の最良の学校である」という有名な言葉が現代日本において二一世紀初頭の憲法政治の現実的課題として、ようやく政治日程に上ってきている。そのことを先生の本論文集は読者にひたむきに語りかけていいる。

 六六歳を迎えられた先生は、心身ともに若く黒々とした毛髪・肌の張り・気力、いずれをとってみても、一〇歳は若く見える。どうみても五十代の風貌である。聖書マタイ福音書にある「明日のことまで想い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」という一節を私は先生の若々しさを拝見していると、よく連想する。日々の多忙の中で多種多様な難題をテキパキと処理される決断力とどんな環境の中にあっても学究活動を怠らない先生を拝見していると、学問研究すら満足にできない不肖の弟子である私は、とても恥ずかしくなる。

 風にゆらぐ木々の葉音に包まれた穂高にて

(二〇〇三年九月一四日脱稿)

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