『日本の教育政策過程』
監訳者あとがき
――本書の意義と日本の教育政策過程研究の課題

『日本の教育政策過程』

一 筆者レオナード・ショッパの経歴

 本書は、レオナード・ショッパ(Leonard James Schoppa)Education Reform in Japan - A Case of Immobilist Politics(Routledge 1991)の中から、2章(日本の教育政策の歴史)、7章(一九七〇年代中教審改革の過程)、8章(一九八〇年代臨教審改革の過程)の全部と6章の一部を除いた内容の日本語訳である。原著と日本語版の章構成の対応関係は表のようになっている。この日本語訳の主な出版目的が、日本の教育政策研究の方法や一九八〇年代までの教育政策過程の構造、特質をめぐる論議と考え方を紹介するためであったことと、本書の価格を低廉に抑える必要もあって、ショッパ博士ご本人のご了解を得てそうした措置をとらせていただいた。

 本書の筆者であるレオナード・ショッパは、現在、バージニア大学政治学部准教授(比較政治学)・同大学東アジアセンター所長の職にあり、アメリカを代表する若手の日本政治研究者である。ショッパ博士の成育歴・経歴等については、古森義久『透視される日本――アメリカ新世代の日本研究』(文藝春秋、一九九九年)に詳しい。それによると、ショッパ博士は一九六二年生まれで、キリスト教宣教師であった父の仕事で一歳の時(一九六三年)に家族とともに来日し、一〇年ほど日本で過ごした後、ジョージタウン大学で国際関係やアジア研究を学び、卒業と同時に一九八四年に文部省の英語教員として再来日し一年を過ごしている。その後、ローズ奨学金留学生としてオックスフォード大学大学院に留学している。その留学での研究成果が本書の基になった博士論文「日本の政策決定の変化の限界――一九六七年から八七年の教育改革のケース」(一九八九年博士号取得)であり、博士号取得後の一九九〇年にバージニア大学准教授となり現在に至っている。本書以外の主な著書・論文には、単著 Bargaining with Japan:What American Pressure Can and Cannot Do(New York, Columbia University Press 1997)、共著では Social Contracts Under Stress : The Middle Classes of America, Europe, and Japan at the Turn of the Century(New York:Russell Sage, 2002)、日本語論文としては、『フォーリン・アフェアーズ』(日本語版 二〇〇一年九月号)に掲載され『論座』(二〇〇一年一〇月号)に転載された「崩壊する『日本というシステム』」などがある。

二 日本の教育政策過程研究における本書の意義

1 ショッパ博士の問題意識

 ショッパ博士の研究テーマは、日本政治であるが、本書の基になった博士論文に日本の教育改革をとりあげた理由を次のように述べている。

 「私が文部省英語教員として日本にいた八四年には、当時の中曽根康弘首相の主導で教育改革が熱心に進められていました。一九六○年代の中教審報告書で始まった教育改革は七○年代の学園紛争を経て、中曽根政権下での臨教審で本格的にまた推進されたが、けっきょく挫折に終わりました。戦後の日本は経済面、とくに製造業では政府の主導で諸外国のよいアイディアをどんどん採用し、長期計画の下に近代化、効率化をめざましく進めてきた。教育制度も時代遅れとなり、近代化の必要は明白だった。

 もっと創造性や多様性を導入することが不可欠だった。そのための改革の必要性は国民一般からも広く認められていた、しかし実際の教育改革はまったく進みませんでした。これはいったいなぜなのか。私はそんな疑問からこのテーマを研究対象に取り上げたのです」(古森・前掲書八五頁)

 ショッパ博士の日本政治に対する主な関心は、日本の政治・社会が、何故、なかなか変わろうとしないのか――現状維持なのかという問題意識である。その原因を探る対象として設定されたのが、彼が日本留学中に大きく政治問題化していた教育改革であった。ショッパ博士の日本の政治・社会に対するそうした問題意識は、本書の出版以降も変わっていない。本書の後に著した Bargaining with Japan : What American Pressure Can and Cannot Do では、本書でも言及されている「外圧」を他国には見られない日本の政治・社会の特徴を理解するうえで有益な政治力学ととらえ、また、日本の改革を促す鍵であると認識して「外圧」の役割を検証している。ショッパ博士は、前掲書の古森義久『透視される日本』の中で、この「外圧」をテーマにした研究に取り組んだきっかけは、教育改革研究でのインタビュー取材であったとし、「教育改革に関する博士論文をまとめる過程で天谷(直弘―引用者)氏から何度も話を聞く機会を得ました。その際に天谷氏はおもしろいことをもらしたのです。『日本の教育改革を求める外圧がほとんどないことが、とても残念だった。外圧さえあれば日本ではこの種の改革は断行できたはずなのだ』と。このコメントに私は強い興味を抱きました。それまでは日本における外圧の機能をあまり知らなかったからです」(八七頁)と述べている。また、二〇〇一年に書かれた日本語論文「崩壊する『日本というシステム』」では、ハーシュマン(Albert O. Hirschman)の組織革新の二つの行動様式である抗議・告発(voice)と退出(exit)の概念を援用して、日本の個人・企業は、変わろうとしない日本の政治・社会を政治行動といった抗議・告発(voice)によって積極的に改革しようとする姿勢から、自分たちが手にした自由と富を使って自らの運命を自分で切り開く退出(exit)路線=選択、海外移住等を選び始めているのではないかと指摘し、「『退出』へと向かうこの下方スパイラルから抜け出す方法は一つしかない。それは、市民がそのエネルギーを国内改革へと向けるように日本の政治指導者が喚起、鼓舞することだ」と警告している。日本政治の現状維持指向を打開していく鍵は政治過程への広範な国民の積極的関与であるという主張は、本書での基本的立場でもあった。ショッパ博士のこうした日本政治研究の展開をたどってみると、本書が彼の研究的な起点になっていることがうかがえる。

2 日本の教育政策過程研究と本書の意義

 一〇数年前の一九九一年に刊行された本書を日本語版として出版する意義は、第一に、政治学等では多くの政策研究があるにもかかわらず、教育政策に限っては政治学のみならず教育行政学、教育社会学等の教育専門分野でも研究成果が質量ともに乏しいといわれる中で、本書は一九八〇年代までの日本教育政策研究の成果を集約した優れた研究業績の一つであると評価できるからである。日本の教育政策研究の第一人者である市川昭午氏も、ショッパ博士によって著された本書を、「日本の教育政策に関し、国の内外を通じてこれだけのものは存在しないと思われるほど、詳細で学術的な日本研究書である」と評している(市川昭午『臨教審以後の教育政策』教育開発研究所、一九九五年、三八二頁)。そのうえで、第二は、現状維持指向とショッパに指摘された日本の政治・社会も、一九九〇年代に入り自民党一党優位政党制が崩壊し連立政権の時代となり、分権改革や規制改革等が動き出した。後述するように、そうした背景の下、教育分野でも教育改革が進展し教育政策過程は徐々に変化の様相を呈するようになってきており、国や自治体双方における教育政策(過程)への研究的関心が急速に高まっている。そうした今日の新たな教育政策(過程)研究の展開にとって、本書は優れた先行研究の一つであり、研究方法や評価の違いを超えてある意味で今後の教育政策研究の「出発点」とされなくてはならない研究であると考えるからである。

 (1) 一九八〇年代までの日本の教育政策過程研究

 日本の他分野における政策(過程)研究には、質量ともに優れた多くの研究業績が存在しているが、教育政策の分野に限っては率直にその遅れを認めざるをえない。その原因はいくつか考えられるが、最大の理由は、〈文部省〉対〈日教組〉の対立として描かれてきた戦後教育政治の対立構図と、その影響を強く受けてきた教育行政や教育政策の研究方法にあったと考えられる。その研究方法とは、教育政策の決定に大きな影響をもつ主要なアクターを教育行政の領域に限られたアクターに限定し、いわば〈文部省〉対〈日教組〉という二項対立的政治力学にすべての教育政策や教育行政の諸問題を還元するというやり方であった。政治学者の村松岐夫氏は、そうした教育行政・政策研究分野における二項対立的政治力学の研究方法の問題点を次のように指摘している(村松「教育行政と分権改革」小川正人=西尾勝編著『分権改革と教育行政』ぎょうせい、二〇〇〇年所収、六一頁〜六二頁)。

 「教育分野は他の行政分野よりも中央の関与が激しく行われたという認識を他の多くの論者と共有しつつ、しかし、教育現場の違いや、学校長の市町村教育委員会に対する働きかけの違いや、市町村教育委員会の活動態様の違いが異なった政策的結果をもたらしてきたと考えている。」
 「筆者は、政治的自治が、教育行政においても、地方自治法と地教行法の『制約』のなかでも、国会中心主義の憲法構造の枠内では、相当程度に可能であったという……立場に立つものである。……」

 「筆者は、すでに述べた筆者の中央地方関係論から分かるように多くの教育行政研究と異なり、従来の見解があまりにも『すべての』教育行政の問題を日教組と文部省の二項対立に還元しすぎていたのではないかと述べるものである」

 ただし、一九七〇年代から一九八〇年代に、日本の政治学分野における多元主義的アプローチによる実証的研究の影響を受けて、そうした二項対立的政治力学の研究方法から距離をおき、日本の政治学の研究蓄積と方法をふまえた教育政策(過程)の研究も少なからず存在していたことも見過ごされてはならないように思う。たとえば、市川昭午編著『戦後日本の教育政策』(第一法規、一九七五年)や青井和夫=新堀通也編『日本教育の力学』(東信堂、一九八三年)等はその代表的な研究であった。市川昭午編著『戦後日本の教育政策』の「第一章 教育政策の立案と背景」(熊谷一乗執筆)では、教育政策を扱う機関や「場」の相互関係のあり方を指標にして政策立案のパターンを明らかにしようとしていた。教育政策形成が主として単独の機関で直線的に推進される場合を単線型、また、複数の機関の相互依存・協力で蛇行的に推進される場合を複線型として政策立案のパターンを想定している。単線型は、@与党推進型、A野党推進型、B文部省推進型、C審議会推進型、複線型としては、@与野党協力型、A野党連合型、B関係官庁協力型、C与党・文部省連携型があるが、「重要な法案の産出について最も一般的にみられ、しかも実効性のある政策立案のパターンは、与党、文部省連携型である。このパターンがいくつかの政策立案パターンの中で支配的な位置を占めていることは、議院内閣制、政党政治という政治制度に、政党間の政権交代がなく、保守政党が半恒久的に与党であり続けているという条件が重なった結果とみることができる」と結論づけている(七〇〜七五頁)。また、青井和夫=新堀通也編『日本教育の力学』では、文部省と日教組の二項対立的政治力学という分析枠組みを「相対化」する立場から、日本の文教政策システムの旋回軸は自民党と政府(文部省)としたうえでシニア・パートナーは自民党で文部省はジュニア・パートナーととらえ、政策過程における両者の相互作用とそれぞれの役割を分析している。また、そうした自民党と文部省の旋回軸とそれへの批判勢力としての日教組を対峙させた二極分化の対決構造から、「一九五〇年代中期にくらべて同年代末期以降になると、教育政策の決定により多くの勢力が関与するようになり、教育政策をめぐる力学的関係が多元性を増し複雑化してきたのである。一九五〇年代末期から同六〇年代初期にかけて教育政策の決定をめぐって柔軟性をもった多元的構造が形成された」こと、「多元的構造の形成によって日教組の行動には、より強いブレーキがかかり日教組が以前のように過激な闘争を行うことは困難となった。しかし、二元的対決の構造が完全に崩壊し消失したわけではない」(九二頁)ことを指摘している。

 こうした当時の代表的な教育政策研究を見ても明らかなように、政策決定当事者・集団内部の権力分散=政策決定機関・場の多元化や参入するアクター群の拡大を視野におさめて、教育政策形成の過程とその政治力学を分析し類型化を図ろうとする多元主義的アプローチの影響を見てとることができる。

 (2) 本書の意義

 前述のように、日本でも教育政策過程に関する多元主義的アプローチによる実証的研究の成果が少なからず生み出されてきていたが、本書の研究は、そうした従来の日本における教育政策(過程)研究と比べても多くの点で優れた内容を含んでいる。紙幅の関係上、それらの優れた点から一つだけあげるとすれば、教育政策過程を動態的にとらえたうえで教育政策の成功と失敗の要因を課題化された教育政策が孕むことになる対立・紛争の性質を基準に説明可能な形に類型化しようと試みていることである。本書の第1章で検討されているように、日本の多元主義を自民党による一党優位政党制の下における「パターン化された多元主義」ととらえたうえで、教育政策をめぐる対立・紛争処理の類型化をペンペルの政策形成の類型論とキャンベルの「下位政府」概念を組み合わせて試みている。教育政策の円滑な形成と実施が保守陣営内の合意形成にかかっているという仮説的分析枠組みを立て、政策課題化された教育政策の内容や性質によってどのようなアクター間の対立・紛争が生み出されるのか、その対立・紛争の違いがどのように保守陣営内の合意形成に影響を及ぼし合意の成立や対立を作り出すのかという類型化モデルである。これらは、教育政策過程の類型化を精緻にし日本の教育政策過程の構造や特質を明らかにしていくうえで貴重な試みである。

三 疑問点と発展・継承すべき課題

1 本書への疑問点

 市川昭午氏は、前掲書の中で本書を高く評価しつつも総括的な疑問点を六点にわたって指摘しているが(前掲『臨教審以後の教育政策』三九四〜三九六頁)、私もそれらの指摘についてはおおむね同感である。その中でも、今後の研究展開にとってとくに重要と思われる点に関わっていくつかの検討すべき問題をあげてみたい。第一は、市川氏も指摘していることであるが、教育政策をめぐる基本的対立軸を、保守陣営と革新陣営との対立におくのか、あるいは、教育(行政)の当事者・利害関係者・団体という教育分野内の陣営・勢力(本書で述べる「教育下位政府」)と教育(行政)分野外の陣営・勢力との対立におくのかという問題である。その二つの対立軸がお互い排斥する関係ではなく相互に補完する関係にあるとすれば、それぞれの二つの対立軸はいかなる時代状況と教育行政環境の下で、どのように関連しながら機能していくかが説明されなければならない。おそらく、戦後当初の冷戦体制下では前者の〈保守〉対〈革新〉の対立軸で教育政策の多くが決定されていたものが、一九六〇年代以降、高度成長と教育行政の「安定」化で徐々に教育(行政)分野の当事者・利益関係団体の結集が進み、〈教育(行政)分野内〉対〈教育(行政)分野外〉の対立軸で決定されている教育政策分野が拡大していったと思われる。前者の対立軸から後者の対立軸への移行が決定的になるのは、文部省と日教組の「和解」という状況が生まれたことと行政改革等で各行政分野ごとのスクラップ・アンド・ビルドが迫られた一九九〇年代に入ってからであり、近年の内閣(府)主導の行政手法による教育政策立案や改革の推進では明らかに後者の対立軸が前面に押し出された格好となっている。

 第二は、ショッパ博士自身が、本書の中で何度か断っていることであるが、教育改革の内容に対する価値的判断を留保して教育政策過程の研究を行うとしている点と、教育改革の成否を保守陣営の合意形成に専ら規定されているとしている点に関わる問題である。虚心坦懐に本書を読んでみたとしても、戦後の単線型「平等主義」的な教育制度の基本を大切に維持しようとしてきた文部省や自民党文教族、日教組等は、どうしても教育の政策革新や制度改革を拒む古い体質の「守旧派」に見えてしまう。しかし、戦後の単線型「平等主義」的な教育制度が、時代とともにいろいろな綻びを見せてきたとしても、それと同じくらい重要な役割と機能を果たすことのできる新しい教育制度の代替案が説得的に提案されない限り容易に制度改革を実行できない。文部省や自民党文教族、日教組等がその制度改革に反対し、その結果、保守陣営が合意形成に至らなかったというより、多くの人々にとって十分に説得的な制度改革の代替案を作り出せなかったという制度改革の内容的な困難さの方が制度改革を実行できなかった主要な原因ではないのかという疑問もわく(同趣旨、市川・前掲書三九五頁)。そうした教育改革の内容に対する質的な評価を伴わないままに教育政策をめぐる政治力学だけで教育政策過程を説明しようとすることは教育政策研究としては一面的になるのを免れないのではないかと思う。

 第三に、これは疑問というより今後の研究課題といってよいのかもしれないが、ショッパ博士が強調する「下位政府」に関する問題である。行政が各専門分野に分かれ、その専門分野ごとにそれぞれの省庁や関係者・機関、利益団体等が結集しその専門分野の政策や行政運営に大きな影響を及ぼす「下位政府」という存在は日本だけに限ったことではなく他の多くの国にも共通して見られる現象である。イギリスの政治学者ローズ(R. A. W. Rhode)を引用するまでもなく(たとえば、Control and Power in Central-Local Government Relation, 1999 Ashgate)、政治学・行政学で政策ネットワーク、政策共同体等の概念が生み出され普及してきた背景には、そうした「下位政府」の存在やその機能への強い関心があったからにほかならない。日本における「下位政府」の影響力は自民党の一党優位政党制によって他国と比べてより強固であるというのがショッパ博士の指摘であるが、他の国々と日本の「下位政府」の強さや形態、役割・機能等の異同はさらに検証されるべき課題であろう。

2 近年の教育政策過程の変容と研究課題

 (1) 教育政策をめぐる環境の変容

 ショッパ博士が本書で対象にした一九七〇年代から一九八〇年代という時期の教育政策過程は、一九九〇年代以降、次のような諸事情により大きく変容してきているように思われる。
 第一は、一九九三年の自民党政権崩壊と政権復帰後の連立政権の維持等によって、連立内閣に参加した政党およびその関係団体の教育政策過程への参入と影響力が増大した点である。一九九四〜九五年の村山内閣発足時における社会党や日教組の役割、その下での文部省と日教組の「和解」―「協調」路線の定着、二〇〇一年以降の小泉連立内閣における公明党の影響等は、旧来の自民党文教族と旧・文部省を軸にした教育下位政府部門の「閉じられた」教育政策決定過程をより広範囲の多様な政党、関係団体アクターの参入で「開かれた」ものにしてきていることである(たとえば、教育基本法改正に見る公明党の位置、等)。

 第二は、二〇〇〇年中央省庁再編により、政治(内閣)の強いイニシアティブの確立を謳って誕生した内閣府の影響である。内閣府は、旧来の各省庁縦割りの政策決定を変え内閣の下に統一した迅速な政策決定を行うために設置されたものである。今次内閣の重点テーマが、構造改革ということもあって、内閣府の中に設けられた総合規制改革会議、分権推進改革会議、経済財政諮問会議等の多くの機関が、共通して教育行財政改革の課題をとりあげていることで、旧来の教育下位政府部門の「閉じられた」教育政策決定過程を通じた合意形成とは全く異なる過程と手続きで新しい教育政策方針が打ち出されてきていることである。内閣府下の各機関から提出される政策方針は、即、内閣決定とされることで、否応なしに文部科学省はそれら政策方針に対応を迫られることになる。そこには、旧来の教育下位政府部門の「閉じられた」教育政策決定過程において政策調整の主導権をとってきた文部省の姿はなく、教育下位政府部門の「外部」からの「非」教育的論理に基づく教育改革方針に「受け身」的にならざるをえない文部科学省の姿を見るようになっている。

 第三は、近年の社会・経済的環境変化によって新たな教育問題が生み出されてきており、教育問題が文部科学省だけでなく多くの他省庁にとっても重要な政策課題となり、従来よりも広範囲な中央のアクターが教育政策決定に際して影響力を行使しつつ文部科学省の政策により厳しい眼差しを向け始めてきていることである。たとえば、経済の構造的不況下で、若年層の失業率が非常に高まり(一〇パーセント強)、また、労働力の需要―供給のミスマッチやフリーター問題にも見られるように、若年層の労働観・労働意欲の醸成に真剣に取り組んでいくことが、文部科学省だけでなく、厚生労働省や経済産業省等の他省庁にとってもきわめて強い関心事になっている。実は、こうした背景の下に、学力・教育の国際的競争も強まっていることもあり、文部科学省の「ゆとり教育」への批判と「学力低下」キャンペーンが、大学・教育関係者だけではなく経済産業省等の他省庁も巻き込んで仕掛けられたともまことしやかに言われるほど、文部科学省以外の他省庁、産業界等も積極的に教育政策に発言し政策提言を精力的に行い始めてきている。

 第四は、地方分権改革による国と自治体の関係変化に伴う地方自治体の裁量拡大と教育政策決定過程における「政治」の「復権」である。

 二〇〇〇年分権改革は、国―自治体の融合(統合)型行財政システムが有する行政統制的性格を立法統制的性格に変えていくことを主要な課題とし、国の行政統制の手段であった機関委任事務廃止に特化した改革にとどまったことが、二〇〇〇年分権改革を「不徹底」で「穏便」な改革という評価を流布する一因になったように思える。しかし、分権改革の法制度上の改革の影に隠れていたが、分権改革は自治体内部の政策決定における「政治」の「復権」を生起させ、中でも自治体行政の総合化の名の下に首長の政治的役割が強化される政策決定過程を生み出すものであった。その結果、二〇〇〇年分権改革が、法制度上で「不徹底」で「穏便」な改革と見られたとしても、実は、教育行政分野に対しては他の一般行政分野と比べて、より大きな影響を及ぼすことになった。つまり、戦後の義務教育の行財政システムは、他の一般行財政システムと比較した場合、教育の「特殊性」を理由に、他の一般行財政システムと異なる「特例的」なシステムを形成していたからである。こうした義務教育の行財政制度の「特例的」な仕組みや運用が、一般行財政制度の分権化の進展と首長主導の一元的掌握による自治体行政の取り組みにとって支障となっているという主張と圧力が、義務教育費国庫負担金制度の廃止や教育委員会制度の改廃論論議等の背景となっており、自治体の裁量拡大を図る義務教育行財政改革を大きく進展させている理由ともなっている。

 (2) 教育政策(過程)研究の今後の課題

 前述のような新たな教育問題の生起と教育政策をめぐる環境の変容は、旧来の教育政策過程を実際どのように変えてきているのか、そして、それらの変化は教育政策の内容にいかなる影響を及ぼしているのかを検証していく教育政策(過程)研究が要請されているように思われる。そうした今後の教育政策(過程)研究を進めていくために、前述の本書への疑問という形で指摘した研究課題のほかに旧来の教育政策(過程)研究で欠けていたと考えられるいくつかの視点を示して「あとがき」を締めくくりたい。

 第一は、旧来の教育政策過程と比べた場合、近年の教育政策をめぐる環境の変容は、明らかに、「教育下位政府」外のさまざまなアクターの参入が可能となっており、その分、教育政策過程の「政治」化がいっそう強まってきていることである。そうした教育政策(過程)の政治過程を検証する場合、従来のアクター論、多元主義的アプローチにややもすると見られたように、教育政策決定過程を複数アクター間の影響力の強弱の分析だけにとどめておかないことである。各アクターは、政策決定に対してその影響力を無制約に発揮できるわけではなく、政策の領域ごとに存在している法や制度等によってさまざまな制約や政治的・行政的資源を不平等に付与されている。各アクターがどのような政治的・行政的資源を有し教育政策過程でどのように行動し影響力を行使できるかについては、それを規定する法制度等の存在を無視することはできない。すなわち、法制度とアクターとの相互規定的関係を重視しつつ政策決定過程を分析する必要があること、そのことによって他方で法制度のもたらす「制約性」を克服しようとする各アクターの「戦略・戦術」の意図や意味がより明瞭になると思われる。

 第二は、そうした法制度とアクターとの相互規定性を検証する際、教育行財政制度の「特有」の仕組みがどのように機能しているかを自覚的に検証することが求められている。周知のように、戦後の教育行財政システムは、他の一般行財政システムと比較した場合、教育の「特殊性」を理由に、他の一般行財政システムと異なる「特例的」な行財政システムを形成していた。戦後の教育行財政制度のもつ「特例的」仕組みを批判しその廃止ないし見直しを強く主張する立場からは、往々にして、そうした「特例的」仕組みが、文部科学省による教育委員会・学校への管理・統制を担保するだけでなく、自治体における首長・議会や地域住民による教育政策づくりや教育行政運営を強く制約してきた原因であるとされてきた。国や自治体の教育政策過程において、そうした教育行財政制度の持つ「特例的」な仕組みが実際どのように機能しているのか(きたのか)、また、その「特例的」な仕組みの下で自治体の教育政策過程は他の行政分野のそれと異なる形態や出力を生み出しているのかどうか、その異同の意味をどう考えるか等が検証されていかなくてはならないし、その成果が今日論争となっている教育行財政の制度改革のデザインに還元されていく必要がある。そして、それは教育政策の内容に関する質的、価値的な評価を避けることはできないということである。

 最後に、日本語版の出版に際し、ショッパ博士にあらためて「日本語版への序文」を新たに執筆していただいた。本書の基になった博士論文を執筆してから一五年余りが経過していることや一九九〇年代以降日本の社会や教育政策に変化が見られることをショッパ博士がどのように観察されているのかをお聞きしてみたいという思いもあり、「日本語版への序文」の執筆を依頼した。そのため、近年の日本の教育改革に関する文献等をわずかではあるがお送りし、また、私のあとがきの草稿にも予め目を通していただいた後に、「序文」を書いていただくようお願いした。大変にお忙しい中、そうした面倒な作業にもかかわらず、短期間に「序文」をいただくことができたことにあらためて心から感謝を申し上げたい。ただ、その後、訳出の手直しや全体の調整の作業に思いのほか手間どってしまい、「序文」の原稿をいただいてから相当の時間を経ての上梓となってしまった。ショッパ博士には心からお詫び申し上げる次第である。

 なお、本書の訳出の分担は巻末のとおりであるが、訳語の統一や全体の調整は監訳者があたった。訳出文章には時間の許す限り手を入れるように努めたが、時間的な制約もあって不適切な訳出や誤訳など残されているかもしれない。それらはすべて監訳者の責任である。また、本書の意義を認めていただき、時間のかかる日本語版出版までの作業を辛抱強く見守って下さった三省堂編集部には心からお礼を申し上げたい。  

   二〇〇五年二月

監訳者  小川 正人

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