人形の誘惑
招き猫からカーネル・サンダースまで

写真

井上章一 著

1,600円 四六 276頁 978-4-385-35879-X (品切)

招き猫、信楽のタヌキから、タレント人形、カーネル・サンダースまで、江戸期における客寄せ人形の系譜を華麗に展開する知的エンターテイメント。着想の妙と意外な展開が、不思議の国、日本を浮き彫りにする。「第一章 サンダース大佐に、さそわれて」「第二章 魅惑のマネキン」「第三章 招き猫のセクソロジー」「あとがき」からなる。

1998年10月30日 発行


●著者紹介

井上章一(いのうえ・しょういち)

1955年、京都生まれ。京都大学工学部建築学科卒業。京都大学大学院修士課程修了。現在、国際日本文化研究センター助教授。専攻、建築史・意匠論を核とする文化史研究。著書『霊柩車の誕生』(朝日新聞社)、『つくられた桂離宮神話』『法隆寺への精神史』(弘文堂)、『美人論』(リブロポート)、『狂気と王権』紀伊國屋書店、『南蛮幻想』(文藝春秋)など多数。


●自著自讃『人形の誘惑』

「ぶっくれっと」133号より

井上 章一

 知りあいのオランダ人が、日本の薬局はへんだと、言っていた。

 薬屋の店先に、カエルの人形がおいてある。ウサギもいれば、ゾウもいる。まるで、ちいさな動物園のようだ。日本へ来て、はじめてあの光景を見たときは、びっくりした。アムステルダムでは、ぜったいにありえない。なぜ、医薬品をカエルやウサギの人形で、売り出す必要があるのか。日本は不思議な国だと言うのである。

 言われてみれば、たしかにおかしいことだと思う。じっさい、諸外国の薬局で、ああいう人形がおいてあるところは、あまり見かけない。ほんとうに、なぜ日本の医薬品は、動物人形のある店で、売りだされているのだろう。

 大阪のパチンコ屋に、屋上へ自由の女神をあしらった店が、いくつかある。屋根にかざられた女神像が、某パチンコ・チェーン店のシンボルになっている。あるアメリカ人を大阪へ案内していたら、その光景にやたら感動された。日本はすごい。自由の女神が、あちこちに立っている。ニューヨークでは、考えられない風景だと。

 自由の女神なら、しかし各地のラブホテルにも、時々そえられている。パチンコ屋だけのシンボルじゃあない。私なんか、自由の女神と言われれば、むしろラブホテルのほうを思い出す。そう言いそえると、くだんのアメリカ人は、前にもまして不思議がっていた。ニューヨークの女神が、なぜ日本の娯楽・風俗産業で、喜ばれるのか。それが、どうにもピンとこないらしい。

 京都には、俳優・松方弘樹のタレント・ショップがある。そこでは、店のマスコットに大きなタヌキの置きものを、おいている。例の大福帳とトックリをぶらさげた、信楽焼によくある人形である。ただ、松方弘樹の店では、そのタヌキが、顔だけ松方弘樹当人になっている。ちょっと異様な人形が、その店には設置されているのである。

 べつのアメリカ人と、そこをとおりかかった時、こう質問された。あのグロテスクな人形は何だ。日本の伝統的な悪魔か何か、と。いや、ちがう。そうじゃあない。あれは、日本映画を代表する、トップ・スターだ。そうこたえると、彼も考えこんでいた。やはり、日本はへんな国だと、そう思ったらしい。

 来日した西洋人たちと、そんなやりとりをつづけていくうちに、私はある確信をもった。日本の都市景観には、ユニークなところがある。とりわけ、街頭広告につかわれている人形類。日本の都市は、ああいうマスコット類が、異様に多い。国際的に比較をすれば、あふれだしているという印象さえ、うかぶ。また、いちいちのデザインにも、西洋人の目をおどろかすところがある。そのことを、痛感した。

 ケンタッキー・フライド・チキンの店を、ごぞんじだろう。アメリカ風のからあげを売っている、ファスト・フードのチェーン店である。店頭に、カーネル・サンダースの人形が立っていることでも、ひろく知られていよう。

 あの人形は、しかし本国のアメリカだと、まず見かけない。カーネルが各店舗の店先においてあるのは、日本だけである。他国で、日本をまねて設置しだしたところもあるが、その数はかぎられている。全国津々浦々に、サンダース人形が普及したのは、特殊日本的な現象なのだ。

 現代日本文化のなかには、妙な人形愛がいきづいている。とりわけ、街頭広告の世界に、人形への強い執着が、読みとれる。

 そのことに、日本文化論的な興味をいだいた私は、取材を開始した。日本ケンタッキーや、コルゲンコーワの興和をたずねて、事情をさぐりだしたのである。そして、どうやら、人形が街にあふれだした理由も、なんとなく見えてきた。新著『人形の誘惑』は、そんな日本文化探索の記録である。


●サンダース大佐に、さそわれて(冒頭)

──平面か、立体か

 街をあるくのが、好きだ。ときどき、思いがけない発見がある。それがきっかけとなって、一冊の本を書いたりすることも、ないではない。
 今回のこの本も、そんな街頭観察のたまものである。十年ほど前に、街で見かけたあるきみょうな光景から、すべてははじまった。あんな場面にでくわしたからこそ、ここへ書いたようなことを、考えだしたのだ。その意味で、街が私にヒントをくれたのだと、思っている。
 一九八七(昭和六二)年、秋……。いつものように、河原町(京都)かいわいを、ぶらぶらしていたときのことである。私は、河原町三条の東側で、とんでもない風景に遭遇した。
 ここには、ケンタッキー・フライド・チキンの店がある。例のカーネル・サンダース人形が、マスコットになっている店である。白い服を着た、初老の男とおぼしきその人形については、誰しも見おぼえがあろう。あるいは、ステッキとメガネの形まで記憶にとどめているむきも、あるかもしれない(なお、この店は、一九九八年五月末日で閉店した)。
 河原町三条のケンタッキーにも、カーネル・サンダースはたっている。べつに、そのことじたいが不可解だったわけではない。人形そのものは、目になじんだ、ごくごく日常的な都市風景のひとつである。
 私がびっくりしたのは、人形の横で記念写真に興じている外国人観光客を、見たからだ。三人づれの西洋人が、ひとりずつ順番に、人形の脇へたつ。そして、人形とのペアー写真を、とっていたのである。
 会話は、英語であった。発音はアメリカっぽい。語学力には自信のない私だが、たぶんアメリカ人だろうと、そう思った。
 わざわざアメリカから日本の京都へ、やってくる。そして、ケンタッキーで、カーネルといっしょに、記念写真……。
 私には、そのふるまいが、不思議でならなかった。せっかく、太平洋をこえて、京都までやってきたのである。写真をとるなら、もっとほかにしかるべきスポットも、あるだろう。金閣寺、嵐山、祇園、三十三間堂、等々、京都にはその場所が、山ほどある。それなのに、なぜ、わざわざケンタッキーの店などで、うつすのか。
 ケンタッキーの店なら、アメリカが本場じゃあないか。カーネル・サンダースの人形なんて、めずらしくもなんともないだろう。どうして、こんなところが、極東旅行のメモリアル・ポイントになるんだ。
 とまあ、以上のように、私は考えこんでしまったのである。
 もっとも、彼らの国籍については、絶対的な自信があったわけじゃあない。私の耳には、アメリカっぽくひびく。だけど、ほんとうは、ニュージーランドあたりからきた観光客だったのかもしれない。そして、ニュージーランドでは、ケンタッキーのサンダース人形がめずらしかった。だから、京都のマスコット人形に、あれだけの関心をもてたのではないか。
 こんな可能性もある。日本のサンダース人形は、その表情がアメリカとちがっていた。日本的に変形されていた。あるいは、メガネのデザインが、かわっていた。それで、アメリカ人観光客の興味を、あんなふうにそそったのかもしれない。
 いずれにせよ、私がひとりであれこれと考えていても、だめだ。なんといっても、ケンタッキーの本家は、アメリカである。ここはひとつ、そのアメリカでそだったひとに、話を聞いてみなければならない。いったい、アメリカ人は、日本のケンタッキー人形を、どう思うのか。それを、たずねてみる必要がある。
 さいわい、私のつとめ先に、当時、アメリカからひとりの研究者がきて、滞在していた。グランド・グッドマンさんという、日本近代史の専門家がいたのである。そこで、私はさっそく、サンダース人形についての質問を、ぶつけてみた。

  ──たぶん、アメリカ人だと思うんですけどね。このあいだ、妙な観光客を見かけたんですよ。ケンタッキー・フライド・チキンの店に、カーネル・サンダースの人形があるでしょう。あそこで、記念写真をとっている。どうして、そんなところでうつすんでしょうね。
 「そうですか、あそこで記念撮影ですか。なるほどね。いや、でも、彼らの気持ちは、よくわかりますよ。ボクがね、記念写真をとったことは、ありません。でも、あれをはじめて見たときは、すこしおどろきました」
──その、いったい何に、びっくりされたんですか。人形の形が、日本とアメリカではちがうんでしょうか。
 「いや、人形そのものに、新鮮な印象をもったんですよ。ボクはね」
──えっ、でもアメリカにだって、あるでしょう。それとも……。
 「ありませんね。すくなくとも、ボクは見たことがない。日本にきてからですよ。カーネル・サンダースの人形を、目にしたのは」
──アメリカに、あの人形はない……。
 「ボクは、存在しないと断言しませんよ。でも、たいへんめずらしい。一般には、まず見かけませんね。たいていのアメリカ人は、あれを見て、びっくりするんじゃあないでしょうか。ボクは、井上さんがごらんになった観光客も、ごくふつうの反応をしていたんだと思います」

 これで、謎はとけた。河原町三条の観光客たちは、めずらしいものと遭遇したから、興味をもったのだ。本国ではあまり見ないものがあることを、よろこんでいたのである。
 そのことは、よくわかった。しかし、あらたな疑問も、わいてくる。カーネル・サンダース本人についての疑問である。  日本では、彼のことがよく知られている。店頭にある人形のおかげで、かなりの知名度をほこっている。では、人形のほとんどないらしいアメリカだと、どうなのか。私は、ふたたび、グッドマンさんに問いかけた。

──カーネル・サンダースのことは、どうなんでしょう。アメリカでも、知られているんでしょうか。
 「彼は、たいへんな有名人ですよ。子供にも、その名はよくつうじています。むしろ、子供のほうが、よりしたしんでいるぐらいかな」
──それは、日本でもそうですが。でも、アメリカには、人形がないんでしょう。それなのに、どうしてそれほど知られているんですか。
 「人形はありません。でも、店には彼のにがお絵が、シンボルマークとしてかざられている。テレビなどでも、ひところは、彼をよく見かけましたね。ボクも、見たことがあります。知名度は、たいへん高いと思いますよ」
──そうか、絵や画面、つまり平面的な映像をつうじて、アメリカでは知られている。そして、日本じゃあ、人形、言葉をかえれば立体造形として、有名になってきた。アメリカは平面、日本は立体……。
 「そうですね。とにかく、ボクは、あれをはじめて見かけたとき、日本的だなと感じました。ケンタッキーは、世界中で店をだしていますが、日本だけじゃあないですか。あんな人形を、おいているのは。いかにも日本的な街頭広告だなと、ボクは思います」

 サンダースが店頭の人形になっているのは、日本だけかもしれない。グッドマンさんにそう言われ、私の気持ちは、大きくゆさぶられた。あんがい、ここには、日本文化論のあらたな可能性が、ひそんでいるのかもしれない。今まで、あまり知られていなかった側面から、日本文化を検討する。そんな仕事ができそうな気にも、なってきたのである。

──薬局の動物たち

 ほんとうに、サンダースの人形があるのは、日本だけなのか。日本でしか、見かけられないものなのか。
 気になった私は、知りあった外国人へ、よくそのことを質問した。一九八○年代のおわりごろから、九○年代初頭にかけてのことだったと思う。当時、私とであった海外のひとは、みな同じことをたずねられていたはずだ。
 「あの人形を見るたびに、井上さんのことを思いだすんだよ」
 あとで、そんなことを言ってきてくれたアメリカ人もいた。よほど、しつこく問いただしていたんだろう。それだけ、研究熱心になっていたということか。
 それにしても、あの人形から私の姿を連想してしまうとは、まことにお気の毒。それで、フライド・チキンがたべられなくなった外国人も、なかにはいたかもしれない。
 いずれにせよ、サンダース人形は、たしかに日本的であるらしい。諸外国では、あまり見かけないようだ。じっさい、多くの外国人が、日本であれを見た時はおどろいたと、言っていた。
 ひとり、ハワイでも見かけたよと教えてくれたひとが、いなかったわけではない。べつの国に、まったく存在しないと言いきるのは、むずかしそうだ。それこそ、留学生あたりへ悉皆調査をすれば、ハワイ以外の事例もでてくるような気がする。
 しかし、日本ほど、よく見かける国はない。このことだけは、どうやらまちがいなさそうだ。日本では、ほとんど全部のチェーン店に、あの人形がたっている。国際的に比較すれば、それは、かなり異様な風景であるらしい。
 やっぱり、日本文化なのか。そう思いこみだしていた私を、決定的にあとおししてくれたオランダ人が、ひとりいる。ウィーベ・カウタルテさんという、日本庭園の研究者が、その当人である。
 カウタルテさんとはじめてであったときも、私はサンダース人形の話をもちかけた。例のパターンで、海外の人形事情を、たずねてみたのである。

──サンダース人形は、オランダにありませんか。
「 ないでしょうね。ケンタッキー・フライド・チキンの店は、あったと思いますが、あの人形は見かけなかった」 ──やはり、日本的なのかな。
 「日本的だと思いますよ。はじめて日本へきたとき、ああいった人形におどろいたことがある。最初に、東京の街をあるいたときなんですけどね。薬屋さんで、びっくりした」
──薬局ですか、どこが、そんなに変だったんですか。
 「薬屋さんのね、店先に人形がおいてあるでしょう。カエルとか、ウサギとか、あとゾウもありました。あれが不思議だなと思いましたね。アムステルダムでは、絶対に考えられない景色だなと、そんな印象をもちましたよ」
──ああ、コルゲンコーワのカエルや、サトちゃん、ピョンちゃんのことですね。
 「そんな名前が、あるんですか。とにかくね、薬屋さんでしょう。人間の病気をなおすための薬が、売られている店ですよね。そんなところに、カエルやウサギですからね。動物に病気がなおることをおねがいしているような感じも、しました」
──動物に健康の回復を祈願する。うーん、ずいぶん原始的な信仰だな。アニミズムっぽいですね。
v  「そう、東京なんか、ものすごい現代都市なのにね、そんな未開信仰めいたものもあるのかと、感心しました。日本人は、何か動物に対して特殊な感情をいだいているんじゃないかとも、思いましたよ」
──動物信仰みたいなものじゃあないと思いますよ。商業主義が生みだしたマスコットだと、思うんですが。
 「それは、そうでしょう。コマーシャリズムの産物だと、私も思います。でも、薬屋さんにウサギやカエルがでてくるのは、やっぱり変です」
──そうかなあ。
 「日本人の会話で、こんなのあるじゃないですか。あなたは、トラだから気が強い。私は、ヒツジなので気が弱い、なんていうやりとりがあるでしょう。あれも、はじめて聞いたときは、びっくりした。私はトラだから? ヒツジだから? ちょっとまって下さい。あなたたちは人間じゃあないんですかって」

 えと干支の十二支も、カウタルテさんは奇妙に思うらしい。言われてみれば、たしかに変だと私も思う。西洋とくらべれば、人間と動物の差が、すくなく意識されているのかもしれない。

 だが、そのことと、薬局のカエルなんかは、話がちがうんじゃあないか。あれは、都市景観と商業主義の日本的問題なのであって、干支とはつながらない。動物へのアニミスティックな感情だとは、言えないような気がする。
 ヒツジだから、トラだからというのも、そのまま文字どおりに解釈するのは、よくない。いちおう、みんな自分は人間だという自覚を、もっている。そのうえで、トラだ、ヒツジだと言いつのるわけだ。一種の慣用句であろう。あるいは、思考がイディオム化されているというべきか。とにかく、そこに直接的な動物との連帯感情を読みこむのは、まちがっている。
 私は、カウタルテさんに、そう弁明した。日本を未開信仰の文脈で語られることに、私なりの抵抗感があったのだろう。あのときは、自分のなかにひそむナショナリズムめいた感情を、強く自覚したしだいである。うーん、オレも西洋人にこんなことを言われたら、反論したくなる人間だったんだな、と。
 とはいえ、西洋人への反論なら、つぎのようなパターンもありえただろう。日本人は、あなたのいうとおり、アニミスティックな動物との連帯感を、もっている。それが干支や、薬局のカエルにも、反映されるわけだ。人間中心の西洋文明では、もううしなわれたとうとい感情が、日本にはまだいきずいている。どうだ、すごいだろう、と。
 ざんねんながら、私には、そういうタイプのお国自慢めいた気持ちが、まるでわかない。やはり、カエルと連帯しあう民族だとは思われないでくれという、そちらの感情が強くなる。ナショナリズムの方向がちがうということか。
 まあ、私のナショナリズムなんかは、どうでもいい。問題は、薬局のカエルである。カウタルテさんによれば、あれも日本的な人形であるという。他国、すくなくとも、ヨーロッパでは、見られないらしい。
 では、いったいなぜ、ああいう人形が、現代日本の店舗先へ、出現したのだろう。
 薬局のカエル、ウサギ、ゾウだけではない。電機屋にも、ソニー坊や、東芝エスパー、ナショナル坊やがいる。不二家のペコちゃんも、けっこう目だつ。現代の日本は、どうやら、そういった点で、国際的にもとびぬけているらしいのだ。もちろん、諸外国にも、いくらかは類似例があるだろう。まったくないとは、思わない。しかし、それが現代日本で突出していることも、うたがえないのである。
 外資系のケンタッキーが、日本にのみ、サンダース人形をおいているらしいという。この話も、もちろん気になる。世界を股にかけた企業が、日本以外の国へは、あの人形を設置しなかったのだとしたら。日本の店舗に、それだけ人形愛の傾向があることをしめす、その有力な論拠となるだろう。
 しかし、ほんとうにそうなのか。サンダースの人形は、たしかに諸外国で見かけないものなのか。この点は、やはりたしかめておく必要があるだろう。ばくぜんとした印象論で、話をすすめるのはまずい。外国人たちの見聞談を、まるごとうのみにするのも、問題がある。
 では、どうすれば、そのことが確認できるのか。てだては、ひとつしかない。直接、ケンタッキー・フライド・チキンにたずねれば、いいのである。
 日本ケンタッキーの本社は、東京のえびす恵比寿にある。意を決した私は、同社へ取材を申しこんだ。人形のことをおしえてほしいのだが、どなたか応対してもらえないか、と。
 さいわい、広報担当の方から、どうぞいらっしゃいという、好意的な返答をいただけた。そこで、私は京都から東京まで、話をうかがうために、でかけていったのである。
  一九九○(平成二)年五月二三日のことであった。


●あとがき

 二宮金次郎の彫像を、ごぞんじだろうか。背中には、小枝の束、もしくはタキギをせおっている。手には本をもち、それを読む。負薪読書ということで、はたらきながら学習する姿を、この像はしめしている。

 最近は、さすがにあまり見かけなくなってきた。だが、ひところは、小学校の校庭などで、よくお目にかかったものである。一九三○年代のなかごろには、ほとんど日本中の小学校へ、普及していたはずだ。おそらく、その盛期には、二万体をこえる二宮金次郎像があったろう。
 二万。この数字は、世界的にも類例がないんじゃあないか。彫像の点数では、たぶん、ナポレオンやモーツアルトをも、はるかに上まわろう。ひょっとしたら、二宮少年は、世界彫刻史上の記録保持者だったのかもしれない。

 もちろん、キリスト像や阿弥陀像などという宗教関係者の像は、はぶく。あくまでも、世俗の人間にかぎった話である。そして、彼らのなかでは、この少年がぬきんでて、多かった……。
 私は、前に、そう考えて、二宮金次郎像の歴史をしらべたことがある。どうして、あんなものができたのか。なぜ、あのようないきおいで、全国へひろがっていったのか。とまあ、そんなことを分析して、一冊の本にした。『ノスタルジック・アイドル──二宮金次郎』(一九八九年)が、それである。

 このテーマへとりかかったころは、二宮像=世界最多説を、ふいちょうしていたものだ。 そんな私に、意外な攻撃をしかけてきた男がいる。二宮金次郎より、カーネル・サンダースのほうが、もっとすごいんじゃあないか、と。

 こう言われた時は、負けたと思ったことを、おぼえている。なにしろ、相手は世界中にチェーン店をもつケンタッキー・フライド・チキンである。店頭のマスコットであるサンダース像も、世界中にでまわっているだろう。とうてい、日本限定の二宮金次郎がこれに対抗できるとは、思えない。いたいところをついてくるなと、脱帽させられたしだいである。

 もちろん、私も言いまかされるのは、くやしい。だから、私なりの反論を、こころみたりはした。カーネル・サンダースは、彫刻じゃあない。人形だ。二宮金次郎像のような彫刻と同列には、語れない。彫刻としていちばん多いのは、やはり二宮少年であろうと、言いかえしたのである。

 負けおしみであったというしかない。内心の敗北感が、こういう言葉でいやされたりは、けっしてしなかった。

 そんなことがあったせいだろう。私は、街頭のカーネル・サンダース像を、以前よりよくながめるようになった。二宮金次郎も勝てないこの像へ、目をむけることがふえてきたのである。

 ちょうどそんなころであった。周囲の外国人たちが、サンダース像は日本でしか見かけないと、言ってくれたのである。どうやら、ケンタッキー・フライド・チキンのマスコットも、日本限定の像であるらしい。だとすれば、やはり二宮金次郎のほうが、多いのか。私は、例の二宮・サンダース論争に、敗けていなかったのかもしれない……。

 とはいえ、そのことでよろこんだりは、もうしなかった。逆に、諸外国へサンダース像が普及していないらしいことを、いぶかしく思いだす。

 私はそれまで、サンダース像が世界中にあることを、うたがっていなかった。日本にあるのと同じものが、海外へもでまわっている。そう頭から、信じきっていた。だからこそ、二宮・サンダース論争にも、敗けたと思いこんでいたのである。  こうして私は、新しい研究テーマを、かかえるようになる。私の先入観を、みごとにうちくだいてくれたカーネル・サンダース。それが、なぜ日本でひろがったのかを、しらべだしたのである。

 ちょうど、二宮金次郎についての本を、刊行したころだった。サンダースの調査をしながら、この本への書評なども読んでいたものである。

 なかには、きびしい批評もあった。二宮金次郎像なんて、タヌキの置きものといっしょじゃないか。そんなつまらんものをしらべて、いったい何になるんだ。ある雑誌の読書座談会で、そうけなしていた論者もいる。

 私は、しかしこの酷評で、逆に勇気づけられた。なになに、タヌキの置きものと同じで、くだらないテーマだって。そうか。じゃあ、こんどは、タヌキをはじめとする招福像のことも、きちんと研究しなければならないな。これだけ見下されるんだから、やりがいのある課題にちがいない、と。

 カーネル・サンダース像を、伝統的な招福人形史の上に位置づける。こういう私のスタンスに、今紹介した書評の影響がなかったとは、言いきれない。いいヒントをもらったと、今では感謝しているぐらいである。

 調査をはじめたのは、一九八○年代のおわりごろである。それが、やっと今ごろになって、まとまった。編集をうけおってくれた三省堂の松田徹さんには、ずいぶんまたせてしまったと思う。毎月の原稿督促に、わずかずつしかわたせない。そんな私と、気長につきあってくれたことを、感謝する。

  最後になるが、三条河原町のケンタッキーは、今年の五月で閉店した。私が、十一年も前に、研究上のヒントをもらった店。それが、この春に、なくなってしまったのである。いささか感傷的な気持ちが、わかなくもない。

井上 章一

【主要参考文献】 (本文中に紹介したものははぶく)

宮尾しげお編『風俗画報索引』青蛙房(一九五九年)
東京人類学会『人類学雑誌総索引』第一書房(一九三八年)
『大宅壮一文庫 雑誌記事索引総目録・伴名編 III』(一九八五年)
中山泰昌編『新聞集成 明治編年史』本邦書籍(一九八二年)
『新聞集録大正史』大正出版(一九七八年)
『個人全集・内容綜覧』日外アソシエッツ(一九八五年)
『アサヒグラフに見る昭和の世相』朝日新聞社(一九七六年)
『昭和二万日の全記録』講談社(一九九一年)
稲垣達郎他編『明治文学全集・総索引』(一九八九年)
大田為三郎『日本随筆索引』岩波書店(一九六三年)

 なお、引用文の旧漢字は、すべて現代表記にあらためた。旧かなは、文語体の文章にかぎってそのままのこしたが、あとはみな新かなへなおしてある。極端な誤字も、筆者の判断で修正したしだいである。

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