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  日本昔話記録シリーズ 復刻版


日本昔話記録シリーズ

柳田国男 編(追録の5巻鈴木棠三 編、9巻 武田 明 編)

35,100円(分売不可) B5 978-4-385-36275-X

昭和17〜19年にかけて刊行された『全国昔話記録』(三省堂)の補訂復刊(新たに「佐渡」「井内谷」の二編を追録)の、オンデマンド印刷による復刻版。元版の四六判をB5判に拡大。当時、その学術的な高さとともに、戦時の荒れた人々の心に清新な童心をよみがえらせ評判を呼んだ。たんに再話ではなく、方言一つにも、土地の生活の香りをとどめた、なまの昔語りの採集記録である。巻末に再版解説と標目対照表。各巻に採録地域の略図と写真(2〜3枚)。

2006年10月10日 復刻版 発行

編纂者の言葉 全国昔話記録趣意書 見本ページ1 見本ページ2


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★(1)巻頭の文言(2)巻末の後記など(3)解説など

1 岩手県紫波(しわ)郡昔話集

柳田国男 編/小笠原謙吉 採録(1973.10.15) 184頁 900円
(1)紫波郡昔話集序 柳田国男(昭和17年9月)
(2)小笠原謙吉(昭和17年5月)
(3)高谷重夫

2 岩手県上閉伊(かみへい)郡昔話集

柳田国男 編/佐々木喜善 採録(1973.10.15) 208頁 1,000円
(1)編纂者の言葉 柳田国男(昭和18年9月)
(2)岡見正雄
(3)なし

3 福島県磐城(いわき)地方昔話集

柳田国男 編/岩崎敏夫 採録(1974.2.15) 208頁 1,000円
(1)全国昔話記録趣意書 柳田国男・関 敬吾(昭和17年6月)
(2)岩崎敏夫(昭和16年12月)
(3)磐城昔話集と柳田先生―再版解説に代えて― 岩崎敏夫

4 新潟県南蒲原(みなみかんぱら)郡昔話集

柳田国男 編/岩倉市郎 採録(1974.2.15) 200頁 1,000円
(1)編纂者の言葉 柳田国男(昭和18年9月)
(2)なし
(3)高谷重夫

5 新潟県佐渡(さど)昔話集

鈴木棠三 編著(1974.2.15) 248頁 1,000円
(1)序 鈴木棠三(昭和48年2月26日)、序(旧版) 鈴木棠三(昭和14年6月1日)
(2)佐渡探訪記 鈴木棠三
(3)「夕鶴」のふるさと 山本修之助

6 岡山県御津(みつ)郡昔話集

柳田国男 編/今村勝臣 採録(1974.2.15) 208頁 1,000円
(1)編纂者の言葉 柳田国男(昭和18年9月)、自序 今村勝臣(昭和18年1月)
(2)なし
(3)高谷重夫

7 香川県佐柳島(さなぎしま)・志々島(ししじま)昔話集

柳田国男 編/武田 明 採録(1973.10.15) 168頁 900円
(1)編纂者の言葉 柳田国男(昭和18年9月)、佐柳島・志々島昔話解説 武田 明
(2)なし
(3)武田 明(昭和48年3月1日)

8 徳島県祖谷山(いややま)地方昔話集

柳田国男 編/武田 明 採録(1973.11.15) 168頁0900 円
(1)全国昔話記録趣意書 柳田国男・関 敬吾(昭和17年6月)
(2)武田 明
(3)武田 明

9 徳島県井内谷(いうちだに)昔話集

武田 明 編(1973.10.15) 168頁 900円
(1)はじめに 武田 明(昭和47年12月1日)
(2)なし
(3)井内谷昔話集解説

10 大分県直入(なおいり)郡昔話集

柳田国男 編/鈴木清美 採録(1973.11.15) 176頁 900円
(1)編纂者の言葉 柳田国男(昭和18年9月)
(2)鈴木清美(昭和17年9月28日)
(3)「再版解説」高谷重夫、「鈴木先生の思い出など」山口辿、「梅ひらく二月は悲し」広瀬智子

11 鹿児島県甑島(こしきじま)昔話集

柳田国男 編/岩倉市郎 採録(1973.11.15) 248頁 1,000円
(1)編纂者の言葉 柳田国男(昭和18年9月)
(2)なし
(3)高谷重夫

12 鹿児島県喜界島(きかいしま)昔話集

柳田国男 編/岩倉市郎 採録(1974.2.15) 208頁 1,000円
(1)全国昔話記録趣意書 柳田国男・関 敬吾(昭和17年6月)
(2)なし
(3)「再版解説」高谷重夫、「岩倉市郎氏を偲ぶ」桜田勝徳

13 長崎県壱岐島(いきしま)昔話集

柳田国男 編/山口麻太郎 採録(1973.11.15) 192頁 900円
(1)編纂者の言葉 柳田国男(昭和18年9月)
(2)なし
(3)高谷重夫



●編纂者の言葉

 各集の始めに、その成立ちと特色と、又自分の所感とを述べて置くことは、紹介の趣意にもかなふのであるが、それを企てて居ると時がかかり、愈々世に出るのが遅くなるから、それは再版以後の機会に譲ることとし、今は主として昔話を集める者の苦心と、それがこのさき如何に利用せられるのが、最も我々の期待する所であるかを、全体にわたつて説いて置かうと思ふ。さうすれば自然に一つ一つの採録の価値の高下もきまり、更に又嗣いで立つ人の少しの参考にはなるかも知れぬ。

 昔話の聴き書きは、今日でももうよほど六つかしい仕事になつて居る。あの人なら沢山の話を知つて居るといふ評判はあつても、尋ねて見ると急にはさう思ひ出せなかつたり、又は案外つまらぬ話ばかりを詳しく覚えて居たりする。日頃まはりに来て聴かうとする人が変つて行くので、僅かな数さへ有れば用は弁じ、それだけを頻りにくり返して、残りのものは復習が足りぬ故に、段々と記憶が薄れて行くのである。ところが我々の知りたいのは、同じ一つの有名なものが、そこにも玆にも在るといふことでは無い。この点は近年もう判り過ぎて居り、中には「茶栗柿は別々」などのやうに、内容がどこも同じで、話の名さへ言へば、もう聴く必要の無いものが随分多い。さういふ言はば有りふれたものを掻き出して、その一つ底におどんで居るものを、我々は掬んで見たいのである。今から五十年か七十年前までは、確かに行はれて居た好い昔話が、もう次々に消えてしまはうとして居る。それを何とかしてまだ間に合ふうちに、いそいで保存して次の代に引継いで置かうとして居るのである。

 一人で百にも近い話の数を知つて居る人を、見つけ出すといふことが特に必要なのであるが、残念ながら非常に六つかしい望みである。昔も昔話の保管に任じた人は、静かな生活をして居る老いたる女性に多かつた。さういふ人々は慎み深く知つたかぶりをせず、又うちとけて我々と話をするやうな折が少ない。二十年来私などは念掛けて居るが、殆ど逢つたことも無く、たまたま知つても間に合はなかつた。ただ幸ひなことには話ずきには遺伝があつて、誰か身うちの端に特別の印象を受け、又記憶の殊に鮮明に且つ精確な人が居る。今までの昔話集の中には、斯ういふ道筋を経て辛うじて伝はつたものが幾つかある。それで我々はさういふ人の出さうな家々に注意し、又年の若い他に心を取られやすい人たちに、年よりの話することをもつと注意し、出来るならばそれを筆記し、且つよその例と比べて考へて見るやうに、勧めてあるいたことも三度や五度では無かつたのである。ただ集めてさてどうするといふ学問が、まだ余り進んで居なかつた為に、是といふ程の効果は現はれないで、時が空しく過ぎてしまつたのである。

 全国昔話記録の実現に際して、やや時おくれの憾みはあるが、もう一度この点を力説して見たいと思ふ。同じ一人の伝承者から、一巻の昔話を集め成すといふことは、多分不可能ではあらうが我々の理想である。たつた一つの珍らしい佳い話を、詳しく覚えて持伝へて居たといふ場合も絶無とは言へない。前年肥後の多田隈氏から出た、「鼻たれ小僧様」などはその例であつた。しかしさういふのを捜しまはることは愈々困難で、通例は平凡きはまるものを、私も其話なら知つて居ると称して出すのが多く、大抵は自他のひま潰しに終ることを覚悟しなければならぬ。それで我々の一つの努力は、たとへ一人の話を揃へることが出来ぬまでも、出来るだけ数少ない確かな話し手を見つけて、気永にその人の持つものの全部を聴いて置かうとすることで、さうすれば他ではもう滅びたもの、もしくはまだ知られて居ない変つた形のものを、見つけ出すたよりにならうも知れぬ。誰から聴いても一つの話は同じ話と、思つてしまふことの出来ないことはもう経験せられて居る。多くの色々の話を混同せずに、おぼえて居るやうな人の伝承は精確である。斯ういふ中から我々は、少しでも古い崩れぬ形を見出さなければならない。

 それで是からの一つの約束としては、話者の氏名と年齢と境涯、村で生れて村に老いた人か、旅をして来た人か位かは明かにして置きたいと思つて居る。もつと望みを言へばその話をした日と時刻、聴き手がどんな者だつたかもわかつて居ると都合がよい。関君の母堂などは相手によつて、少しく話し方を改める位の心構へをもつて居られた。昔は無いことだつたかも知れぬが、いはゆる童話が盛んになると、現に話はよつぽど変化して居るのである。この意味からいふと、この記録中の二三の昔話集のやうに、教師が少女少年に勧めて家で聴いて来た話を書かせるといふことも、少なくとも若干の用意を以て迎へ取らねばならぬ。皆が一様に家庭用として話しかへるならば又それでよいが、中には、其斟酌の出来ぬ人もあり、又弘く成人を相手に話して居るのを、脇から聴いて居たといふものがあつて、それが入り交つて居るのである。だから是にも亦誰から聴いたといふ類の付記を、添へさせる必要がたしかに有るので、それを要求して置かぬと二度三度も耳にした話を、自分で編纂して出して来ぬとも限らないのである。誰がさういふ話をして聴かせたかを書き付けさせることは、少なくとも別な分子を加味しようとせず、思ひ出を純一にするカがある上に、更に今一つのよいことは、是によつて良き伝承者を見つけ出す望みさへあるのである。前年静岡県の女子師範学校で、生徒に書かせた伝説昔話集といふものを出したときに、其中で遠州の小笠郡の山手に一箇所、伊豆の南の方の村に二箇所、特に詳しくよく筋の通つた昔話を、熱心に報告した娘がある。それが何れも話者と同じ苗字なので、ははあ是はおばあさんか何かだな、一つ訪ねて行つて見たいものだと思つて居るうちに、いつか月日が経つてしまつて、もう事情も変つたらうと断念して居る。若い人たちを利用して一時に多種の昔話を集めて見ようとする者は、是を手掛りにもう一骨折、その又水源になるものを汲まうとしなければなるまい。といふわけは大抵の普通の家庭では、さうさうは昔話を珍重しても居らず、又その周囲にも語つて聴かせる人も無く、僅かに書物などにあることを、口訳して使つて居るのである。それとたまたま残つて居る土地の言ひ伝への管理者とを、同じに取扱ふといふことは誤りで、必ずその中には選定が無ければならぬからである。

 我々の昔話集が一郡一島を単位に、纏めて見ようとする趣旨も実は玆に在つた。もともと同じものが地方によつて、そんなにちがつて居らうとは思つて居るわけで無いが、それでも久しい間一つの村里、一つの家筋に守られて居るうちには、甲の地で既に失つたものを、乙では何と無くまだ伝へ、もしくは古い頃に或変更を加へたままを、保存して居るかも知れぬと思はれるからである。ところが一方には新たなる統一といふ力も可なり強い。人が旅をして聴いて還つて来る以外に、外から話を携へて入り込む者も多く、さういふ者は之を交際の便宜に供し、又時々は活計にさへして居た。どこで聴いてもほぼ同じといふ昔話が、大抵はをかしく又短く、しかも新らしいものが多いのは其為で、それをただ郡島毎に拾ひ集めて見ても、しまひには倦きられるにきまつて居る。之に対して永いこと一地に留まつて居た話は、個性ともいふべきものを持つて居る。たとへ大筋は似て居ても組合せが変り、又は説明のし方がちがつて居る。知つた人たちでもそんな風な話になつて居るか、自分の方のとはこの点が別だとか、驚き珍らしがり又不審を抱くことが稀でない。是が私たちの目ざして居る学問の興味なのである。この地方毎の変化には原因が無くてはならぬ。それが信仰とか経済事情とか、その他くさぐさの環境のカの、是から溯つて窺ひ知らるるものが有るかも知らぬが、話それ自らの発生と成育、それが世に連れて変り得る限度といふやうなものも、比較によつて行く行くは判つて来るだらう。それには先づ最終の筆録者が、単にその土地に居たといふ以上に、そこに根をさしたものを選び取ることを必要とする。全国一律ともいふべき近年の運搬品だけは、もういい加減に別扱ひしなければ、しまひには又この話かと、舌打ちせられるやうな時が来ぬとも限らぬ。斯ういふ意味に於て我々は、成るだけ外からの侵潤の少ない、殊に座頭その他の説話業者の入り込まなかつた、離れた島とか山奥の在所の、家に伝はつた昔話の多い土地を目標としようとして居るのである。中央に近い土地でも、付近にまだ採集が無かつたとか、又は特別に優れた伝承者にめぐり逢つたとか、もしくは偶然に良い話が多かつたといふ場合には出すが、今後は無条件に巻の数ばかりを、多く重ねることは見合せようと思つて居る。全国を見渡すと、今日はまだ一向に採訪の進んで居らぬ区域が広い。東北は既に幾つかの昔話集を出して居るが、それでもまだ日本海側の多くの郡、殊に山形県には纏まつたものが無い。

 九州周辺の島々には岩倉山口二君の労作によつて、明かになつたものも二三にして止まらぬが、それでも島の数はこの通り多く、島から島への運搬は制限せられて居る。随分六つかしい条件を設けても、出さずには居られぬ昔話集が、なほ次々と現はれて来るであらう。我々の事業は大きくなつて行くばかりである。

 我々の最も期待する所の読者は、各地わかれわかれに管理せられて来た数多くの昔話を比較して、その成長展開の跡を明かにする人たちであるが、是は願つてもさう急には出て来ず、又今日はそんな悠長な研究の最も後まはしにせられ易い時代でもある。それで今は先づ消滅の防止と、出来る限りの現状保存を心がけて、利用を平和の日に待つの他は無い。次には出来るならば遠い土地に生ひ立ち、かねてこの種の口碑に関心を持つ人に、少しづつでもこの集を読んで見てもらつて、決して自分の郷土だけの言ひ伝へでなかつたことを知り、是がこの通り国の端々にまで行渡つて居るのは、どういふわけだらうと、新たな知識欲を抱いて貰ふことであるが、是は今とても望まれぬことではないと思ふ。ただそれが翻つてその各郷土の保存事業に、どれほどまで支援のカとなるかは、効果が間接であるだけに、聊か心もとなしとせぬ。現在の常識は可なり固定して居ると思ふ。新たに昔話の文化史上の意義を、承認せしめることは相当の難事である。ただ一つの便宜といつてよいことは、若い人々の生れ在所を離れて、遠く家郷を懐ふ者の数が、今日は非常に多くなつて居る。さうして読書を以て心の慰めとすることも、著しい風潮になつて来たのである。恐らくはその一部分の人が、偶然の縁によつて斯ういふ昔話集を手に取り、暫らく思ひ出さなかつた少年の日の悦楽を、味ふといふ場合も起り得るであらう。効果はただそれだけに止まつても、なほ我々は満足することが出来る。しかもこの意外な印象はすぐには消えまいと思はれる。是が日本の昔話といふものを、再び尋常の知識とするカになるかも知れぬといふことは、必ずしも空しい夢とまでは言へない。

 昔話の地方色といふことは、いつの場合にも問題になる。方言を使はぬと土地で聴いて居た様な感興は催さず、方言ばかりで書いてしまふとよその人にはわからない。佐々木喜善君が始めた方式であるが、標準語で文章の書ける人が、すなほに記憶のままを筆にして行くと、どうしても替へられぬ部分だけが方言で残る。それは多くは肝要な点だから、もし方言だけでわからぬと思へば説明を添へる。勿論筆者によつてその加減もちがふが、大体に今までに出た昔話集には、その組合せの頃合ひが示されて居ると思ふ。私は方言に興味をもつので、もつと方言が多く出てもよいと思つて居る。土地の人たちもそれを悦ぶであらうが、其為に弘く愛読者が得られなくなつても困る。或は今ぐらゐか又はもう少し方言の量をへらして、其代りには全部土地の言葉のままを筆記したものを、二つか三つまじへて置くのもよからう。何れにしても丸々標準語ばかりに書き換へてしまふと、創作童話のやうになつて、土に育つたものの香がしなくなるかと思ふ。他処から入つて行く採集者の記録の、非常に六つかしい理由も比点に在るのだが、実際は土地でも両方の言葉を、入り交ぜて使つて居る人がもう今日は多くなつて居るので、彼等の我々に向つて談らうとする言葉を、そのままに筆記しても大抵は外の者にわかる。つまりは昔話そのものも、之を表現する言葉と共に、次第に古色を失つて行かうとして居るのである。望むと望まぬとに拘らず、是は伝はるものの免れざる傾向である。従つて又少しでもまだ元の形の残つて居るうちに、つくろはず飾らず加筆せず、そつくりと次の代の学徒に引渡すのが、我々の役目だと心得て居る。採集の技能の如きも、是からなほ大いに錬磨しなければならない。

昭和十八年九月

柳田國男



●全国昔話記録趣意書

 今まで心づく人が少なかつたやうだが、斯ういふ昔話は全国の隅々、どこに行つても大抵は残つて居る。さうして土地により又家によつて、その伝はり方が少しづつ変つて居る。話の大筋は一様であり、カの入れ所もほぼ同じであるに拘らず、或ものは長く詳しく、又は二つを繋ぎ合せて居るものもあると同時に、他の多くのものは叙述を省き、もしくは子供などの面白がる部分だけを、手短かに語らうとするやうにもなつて居る。つまり昔話は我々日本人の間に於て、曽て大いに成長し、今は又嗣いで興つた第二の文芸に、其地位を譲つて退き隠れようとして居るのである。全国昔話記録の目的とする所は、単にこの隠れてやがて消えてしまふものの、保存といふ様な小さな仕事だけでは無い。第一には昔話の起原、どうしてこの特色多き一種の口碑だけが、遠くは数千年前の埃及・印度を始めとし、古今東西のあらゆる諸民族に行き渡り、しかもその相互の間に数多い類似をもつかといふことであるが、是は現在の人智を以てしては、実はまだ解けない問題であつて、其為には今まで得られなかつた新資料と、新たな角度からの観察とが、何物よりも痛切に要望せられて居る。我々日本人の採集と研究とは、この二つの要望に応ずべく、ともかくも極めて新らしいものなのである。

 第二の今一段と関心の多い問題は、このまだ起原を究めることの出来ない日本の昔話の、過去少なくとも千年間の変遷が、果してどういふ新たなる知識を、我々に供与するであらうかといふことである。昔話は我々同胞の間に於て、殊に近世に入つてから変れるだけ変つて居る。即ちどうしても省くことのならぬ要素は存置して、その他の部分に於ては自由なる加工をして居る。この思ひ思ひの地方的改造の中に、之をさう改めずに居なかつた一回限りの原因が、探り得られるかどうかといふことが問題になるのである。外から働きかけたカとしては、時代時代の学術技芸、とりわけてそれを職業とした人々の活躍と交通が考へられ、之を内にしては各人の趣味と鑑別、私等の名づけて常民の文芸能力といふものが、多くの暗黙裡の注文を以て、昔話の旧形を取捨し、新たに附加はるものの選択を左右したことは、恐らくは昔も今も同じかつたらうと思ふが、さういふ歴史は記録には全く載つて居ない。ただ僅かに受身の側の影響の痕から、遂に国民の常の日の生活を動かして居たものと、窺ふの他は無いのである。

 第三の問題としてはそんな六つかしい帰納が、果して今でも出来るかといふことであるが、是は私は実績を以て、証明するのがよいかと思つて居る。日本人の多数が、家に親切な又物覚えのよい年寄をもち、夜毎にその話を聴いて耳を悦ばせ、心を清うして育つて居りながら、たまたま遠国の片田舎にも、よく似た話の有ることを知つて、幼なかつた日の思ひ出を蘇らせるまで、それをめいめいの故郷だけの、何でも無い小さな事実のやうに考へて居たこと、もしくは僅か話の一端を聴いて、その話なら私の方にもあつたと、すべて同一のものしか無いやうに、独りできめて居たといふことなども、我々の学問に取つては一つの好い足場である。たとへば今度のやうな昔話集が続刊せられて、単なる家庭の小現象の如く見られて居た昔話が、既に国内に充満し、更に又縁もゆかりも無い天涯の異人種の間すら、なほ屢々行はれて居るといふことを聴き知つたならば、驚き又悦ぶ人は必ず多いであらうし、それが様々の増減潤飾を以て、殆と土地毎に又は人毎に、ちがへて記憶せられて居ることに気が付いたとき、それは又どういふわけであらうかと、始めて人間文化の不可思議に、心を打たれる者も必ず現はれて来るのである。少年の日の回想は概して楽しいが、さういふ中でも昔話のやうに、純なる咏歎と微笑とに充ち溢れたものは少ない。境遇の許さなかつた人々は別として、いやしくも心の奥底に記憶を留めて居るほどの者ならば、斯ういふ話を聴いてにつこりとせぬ人はあるまい。それが此次の大平和期に入つて、将に大いに起るべき学問の苗木であることを知るならば、更に又感激の新たなるものがあらう。しかも今日の話題の増加、好奇心の展開は無限であるが故に、折角親代々持ち伝へたものを、後に残さずに行つてしまふ人が、急に此頃は多くなつて居るのである。せめてその一部分なりとも引留めて見ようといふ願ひから、全国昔話記録は計画せられた。この小さな巻々が幸ひにして世に行はれ、或は町と田舎の古風なる炉端に、さては又異域の陣営の徒然の燈火の下に、之を読んで幼時の追懐を共にする人の数が多くなつて来れば、同時にそれは又昔話研究の新機運を、促進するカともならずには居ないであらう。

 我々の昔話集は、大体に一つの島、又は一つの郡を以て単位としようとして居る。さうして出来るだけ比較を有効ならしめんが為に、努めて懸け離れた土地のものを、組合せて出して見るつもりである。一人の伝承者のもつものを、一巻に集めて置くことは理想であるが、そんな沢山の話を覚えて居る人は、今日はもう稀になつた。已むことを得ずんば同じ土地の、幾人かの知つて居るものを集めて見るのもよい。学校その他の大きな団体で、手分けをして集めるのは効を奏しやすいが、其代りには中には不得手な者もあつて、抜かしたりまちがへたりして採つて来る者が無いとは言へない。磐城昔話集の岩崎君のやうに、細心な注意を以て之を整理し、又精撰する必要があるわけである。次には昔話の編輯の方法であるが、是は銘々の最も面白いと思つたものから、順々に並べて行くのが自然でよい。主たる目的は一般の読者を、少しの骨折も無く我々の興味に、共鳴せしめるに在るからである。昔話の文体はこの意味に於て、最初から定まつて居ると言つてもよい。即ち話手の口から出て、聴手の耳に入つて来る言葉以外に、書物で学んだやうな新らしい文字を、一つでも使はないことである。さういふ文字が交つて居ては、たとへ翻訳に少しの誤りは無くとも、読む者にはもう昔話だといふ感じがもてないからである。上手な精確な話手を見つけることも必要だが、其話を忠実に、聴いた形のままで伝へるといふことは更に大切で、是が昔話採集のただ一つの、技術とも言へない技術である。

 我々は今から五六年前に、『昔話採集手帖』といふ小さな本をこしらへて、地方に居る同志の人々に頌つたことがある。日本にどういふ種類の昔話が、どれだけ程行はれて居るかといふことを知るには、是も多少の参考にはなるが、本来手帖だから余白を残す為に、記述が簡略に過ぎ、順序も亦我々の一つの考へ方に依つて居る。今後の採集者は必ずしも之に従ふに及ばぬのは勿論である。しかし昔話の名をきめる為に、時々は斯ういふものを見なければならぬ場合もあるので、其うちにはもう一度、改訂を加へて出して置かうと思つて居る。なほこの以外にも言つて見たいことはあるのだが、それは此事業の進行と伴なうて、何等かの形を以て追々に発表して行かうと思つて居る。

昭和十七年六月

柳田國男
関 敬吾

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