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マーキー

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ワンダ・M・ヨーダー 作、池田 智 訳

1,300円 四六 176頁 978-4-385-35988-X (品切)

親戚にダウン症の赤ちゃんが生まれたのをきっかけに、アメリカ・ウィスコンシン州で夫とともに酪農を営む主婦が綴った心暖まる物語。原作は1994年に書かれた。小学校低学年でも読めるように、全部の漢字にルビをつけた。

2000年9月10日 発行

 日本のみなさん、こんにちは
 訳者あとがき
 『マーキー ダウン症の少年とハモンド家のいとこたち』(「ぶっくれっと」145号より)

 わたしの体ぜんぶだいすき
 ぼくの手,おちゃわんタイプや
 ようこそダウン症の赤ちゃん
 誕生死
 これがぼくらの五体満足


●日本のみなさん、こんにちは

 この本を書いたわたし、ワンダ・M・ヨーダーは、アメリカ中西部で生まれ、いまも、この土地で、夫と子どもたちといっしょに酪農にはげんでいます。子どもは娘が四人、息子が三人、それに孫が二人です。

 わたしは、野菜や花を栽培したり、自然を大切にして生活しています。この物語も、家族の世話をしたり、教会の仕事をしたりするあいまに書きました。

 わたし自身にはダウン症の子どもがいるわけではありませんが、ずっとダウン症の子どもに心を動かされてきました。

 親戚にダウン症の赤ちゃんが生まれたとき、この神様からの特別な贈り物を、まわりの人たちが愛し、また受け入れてくれるようになってほしいと思いました。

 ダウン症の子どもをもった親であれば、この赤ちゃんが(この本には、マーキーとして登場しますから”マーキー”と呼びます)、家庭の太陽になってくれることを知っているはずです。”マーキー”は、知的な限界や肉体的な限界をもっているだけに傷つきやすいので、家族や先生や近所の方々の援助がとくに必要です。

 そして、なによりも大切なことは、”マーキー”に心を開くことです。

 この物語を書いたのは、わたしの子どもたちに、いとこの”マーキー”を理解し、また大切にするようになってほしいと思ったからです。わたしの子どもたちは、”マーキー”や友だちを大切にし、尊敬し、また手助けしたりできるようになりました。

 みなさんにも、この本の子どもになったつもりでこの本を読み、愛と理解を深めていただけたらと願っています。

2000年独立記念日に

ワンダ・M・ヨーダー
ウィスコンシン州レイディスミスにて


●訳者あとがき

 この本は、アメリカで出版されたワンダ・M・ヨーダー作『マーキーとハモンド家のいとこたち』(1994年出版)という物語を全訳したものです。

 わたしがこの本と出会ったのは、アメリカのインディアナ州エルクハートの南にある小さな村をたずねたときでした。この村にパスウェイ書店という本屋さんがあります。あるといっても、農家の納屋の一部に書棚をならべただけの店です。わたしがたずねたときは、鍵がかかっていました。あきらめずに母屋へ声をかけると、青いシャツに濃紺のズボンをサスペンダーでつった細身の青年が出てきました。金縁のめがねをかけた繊細な感じの本好きという印象でした。

 上くちびる以外はヒゲをはやしていたのと、服装から、すぐにアーミッシュかメノナイトだとわかりました。パスウェイ書店のお客さんはもっぱらアーミッシュとメノナイトですから、その青年は、アジア系のわたしが突然たずねたことにおどろいたようでした。 わたしが、アーミッシュやメノナイトしかいかないパスウェイ書店へいったのは、彼らについての本を探すためでした。そこで偶然、手にしたのがこの物語だったのです。そのとき、直感的に、これはいつか日本で紹介すべき本だと感じました。

 この物語を書いたワンダさんはメノナイトの女性です。

 メノナイトはキリスト教プロテスタントの一宗派で、19世紀にヨーロッパからアメリカへ移住してきました。かつて、ことばでは言いあらわせない迫害、つまりひどいいじめをヨーロッパで受けていました。迫害のつらさを、ほかの人にはけっして受けさせてはいけないと心に決めました。そのときからずっと今にいたるまで、「絶対平和主義」をつらぬいています。自分たちから裁判を起こすこともありませんし、アメリカが戦争をしても、「良心的徴兵拒否」といって、戦争へいくくらいなら牢獄につながれているほうがよいと考えています。戦場へ送られることが避けられなければ、戦闘に参加する兵士ではなく、傷ついた人の世話をする衛生兵になることを強く希望する人たちです。 メノナイトは一般的に大家族です。とくに、農耕で暮らしをたてている家族には大家族が多いようです。この物語のハモンド家は大家族ですが、作者のワンダさんも、ウィスコンシン州で農場経営をされていて、お子さんが七人もいます。

 ワンダさんは、ダウン症の赤ちゃんが親戚に生まれたとき、自分のこどもたちに、その赤ちゃんを理解し、また大切にするようになってほしいと願って、この物語を書いたそうです。

 ダウン症のマーキーがそばにいると大変だと言っていたマーキーと同じ年頃のいとこたちが、いつのまにか、マーキーはいっしょにいて楽しい大切な仲間だと感じるようになっていく、ひとりひとりの心の成長の物語として書かれています。だからと言って、けっして教訓くさくない、楽しい物語になっているのは、全体が生き生きとした子どもの世界のことばで語られているからです。

 物語の舞台はアメリカの農場です。牛や馬、あるいはブタやニワトリなどが出てきますし、自然の描写も豊かなので、読者は『北の国から』や『赤毛のアン』のようにひどく懐かしい、牧歌的な世界を感じるかもしれません。

 それは、自然や動物などに寄せるワンダさんのやさしいまなざしと、子どもたちへのやさしいまなざしがよくミックスされているからです。まるでパッチワーク・キルトをひと針、ひと針刺すかのように、きめこまやかなタッチで、ひとりひとりの子どもの気持ちの変化が書かれています。やさしい、あたたかな心をもつことが、どれだけ大切かをじっくりと感じさせてくれます。

 ワンダさんはメノナイトですから、この物語には、イエス・キリストや神様のことがよく話題にでてきますが、けっしてキリスト教を広げる目的で書かれたものではありません。また、子どもたちの心に変化があらわれるのは、両親やジェリーおじさんの”お説教”によるものでもありません。

 子どもたちは、マーキーとじかにふれあうことによって、いらいらしたり、とまどったりしながら、マーキーのもつ純真さに心を打たれ、自分の心のなかに、もともとあったやさしさにめざめていきます。そして自分が変わることによって、心が開放されていくことにも気づいています。

 物語の終わりのほうで、子どもたちはこう言っています。

「問題は、マーキーにたくさんあるっていうんじゃなくて、わたしたちのほうにあるんだと思うわ」

「つまり、変わったのはマーキーじゃなくて、ぼくらなんだ」

 ジェリーおじさん自身も、それぞれの子どもたちが、マーキーとの濃密なふれあいによって変わっていく様子を見て、感動し、変わっていきます。

 この物語には、国や宗教のちがいを越えた、普遍的な魅力があると、わたしは強く感じました。

 数か月まえ、三省堂で出版された『ようこそダウン症の赤ちゃん』や『これがぼくらの五体満足』(巻末参照)を読む機会がありました。百人あまりの障害をもった本人たちが実名と写真入りで登場するこの二冊の本は、日本ではまだまだ珍しい、一種の”カミングアウト”本(自分や家族以外の人には公表しにくいことをはっきり公表する本)であると感じ、感銘を受けました。それと同時に、障害をもった人に、あたりまえに接することが大切であるという視点に、本書『マーキー』と相通じるものを感じました。

 温めておいて拙訳原稿を、たまたま英語教科書の仕事で関わりのある三省堂教科書編集部の小島とも子さんにお見せしたところ、しばらくして出版されることになりました。出版の機会をつくってくださった小島とも子さんに深く感謝いたします。また出版へ向けて丹念に拙訳原稿をお読みくださり、さまざまな点で忍耐強くアドバイスしてくださった出版部の阿部正子さんにも格別のお礼を申しあげます。ありがとうございました。

 読者のみなさんが、マーキー君と同じ障害のある子とどうしたら友だちになれるかなと思ったとき、この本が少しでも参考になれば幸いです。

2000年7月18日  ゆず6か月の日に

いけださとる

*「ゆず」ちゃんは訳者のお孫さんです。


●『マーキー ダウン症の少年とハモンド家のいとこたち』

池田 智(いけだ・さとる 玉川大学教授)

「ぶっくれっと」145号より

 拙訳『マーキー ダウン症の少年とハモンド家のいとこたち』の原著を手に入れたのは、本当に偶然のことであった。

 カナダ、オンタリオ州のエイルマーという町にパスウェイ・ブックストアという書店がある。この書店は主にキリスト教プロテスタントの宗派メノナイトとアーミッシュの人びとを顧客対象とする本屋である。アメリカ国内のその唯一の出店が、インディアナ州エルクハートの南、ラグランジ郡の片田舎にある。あると言っても、アーミッシュの農家の納屋の一隅に書棚を並べ、宗教、教育関係の本を置いてあるだけの店だ。

 この店を訪ねたとき、たまたま手に取ったペイパーバックが『マーキー』だった。表紙の絵にまず衝撃を受けた。ダウン症の少年らしき子どもの顔が表紙の中央に描かれているからだ。ずいぶんいろんな本を目の前にしてきたが、障碍者の顔を表紙にあしらった本を手にしたのは、そのときが初めてだった。直感的に〈カミングアウト〉本、すなわち自分や家族以外の人には公表しにくいことを、世間に向かってはっきり公表する類の本だと思った。

 それから著者の名前を見て、きっとメノナイトかアーミッシュの女性だろうと思った。ヨーダーという姓そのものが、この二つの宗派の人に多いからである。

 拙訳の表紙の見返しにアメリカの田園風景が描かれている。馬を使って畑を耕している男性、オープン・バギーに乗っている少年三人の姿を見て、現代のアメリカにまだこんな風景があるのだろうか? と不思議に思われる方がいらっしゃるかもしれない。

 アメリカ中西部の農村には、まだまだこうした風景が見られるどころか、州間高速度道路を下りて田舎道を走っていると、馬車の絵が浮き彫りになった道路交通標識をしばしば見かけることがある。アーミッシュやオールド・オーダー・メノナイトの人びとが多い地域である。いずれの人たちも、西暦2000年が終わろうとしている今なお、十八世紀の生活を維持している。したがって、自動車を所有することもなければ、水道、ガス、電気を使うこともない。一般にバギーと呼ばれている馬車を使い、井戸、石油、石油ランプを使った生活を送っている。生計の手段は人力、馬力を基本にした農業、酪農である。

 18世紀の生活を維持しているのは、この世は仮の世で、あの世へ行ってから本当の人生が始まると考えているからである。つまり、彼らにとってのあの世は、イエス・キリストが歩んだ世界であるから、我々にとって便利な物は彼らにとってはすべて意味のないものになるのだ。したがって、彼らは我々が近づくことを好まないし、彼らから我々に近づいてくることもまずない。

 しかし、彼らのなかに生活様式を一般のアメリカ人のそれに近づけても宗教教義になんら差し障ることはないと考えるようになった人びとがあらわれるようになった。その一人が作者のヨーダーさんのような方である。したがって、見返しの風景とは矛盾するかのように、物語に自動車を利用したり、トラクターを遊びに使ったりする風景が描かれているのである。

 この物語にキリスト教的色彩が色濃くあらわれているのは、作者がメノナイト宗派の人だからにほかならない。だからと言ってキリスト教的愛などを説こうとしてはいない。国や宗教を越えた普遍的な真理を描いているところがこの物語の良さだと思う。

 それぞれの挿話の主人公は、ダウン症のいとこマーキーが近くに住むようになることをさまざまな思惑から一旦は拒否する姿勢を見せるのだが、一緒に生活することによって知的障害はあるものの、別に自分自身とまったく変わらない人間であることを知る。いや、それどころかマーキーの純真さに心を打たれ、問題があるのは、マーキーにではなく、むしろさまざまな思惑を抱える自分たちの方にあることに、子どもたち一人ひとりが気づいていくようすが実に巧みに描き出されている。

 この物語を出版するに際して、著者のヨーダーさんと連絡をとった。ヨーダーさんからの手紙に、ヨーダーさんご自身の親戚にダウン症の赤ちゃんが生まれたとき、自分の子どもたちにどのようにしてダウン症の子どもを理解させ、大切に接するように教育するか、心を砕かれたとあった。

 誰もがそうかもしれないが、身近に問題が起こらなければ我が身のこととして受けとめようとする人は少ない。その意味で拙訳が多くの人の目に触れ、我が身のこととして捉えてくれることを祈るばかりである。

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