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  古文書からのメッセージ


古文書からのメッセージ

森 安彦 著  (品切)

2,400円 四六 200頁 978-4-385-36228-1

武士や農民・町人などが残した江戸時代の古文書は、近代化を急いだ現代の私たちが忘れ去った大切な問題を語りかける。古文書ブームに先鞭をつけた著者が、この16年間、書きつづった「古文書を読む」エッセイ。

2005年 5月15日 発行



●目  次

はじめに 1

第一部 古文書通信1989〜1993

屋久島の春 11   ある古文書との出会い 12
韓国の旅から 15   古文書講座・この一年 17
古文書学習への期待 19   古文書の面白さ 21
「古文書」講座のテレビ放送 23   「離縁状」からみた女性史 25
江戸時代の村の子ども 27   「老い」の世界 29
晩秋の津山市 31   長崎の旅 33
庶民史の宝庫 35   名主の武士身分化 37
年貢と税金 39

第二部 古文書通信1994〜1998

文書館・資料館の活用を 43   私の古文書こと始め 45
続・私の古文書こと始め 47   古文書が持つ魅力 49
代官大場弥十郎のこと 51   一九九五年の天災と人災 53
断裁された宗門帳の復元 65   戦後五十年、私の原点―学童集団疎開― 57
海外にある日本の近世文書 58   戊辰内乱と村の出来事 60
江戸時代の村の情報公開 62   江戸時代の村の図書館 64
火札の筆跡鑑定 66   史料叢書と史料目録の刊行 68
ドイツに存在する日本史料の調査 70   史料の保存と利用 72
「里正」という言葉 74   再び「里正」について 76
当世学生気質 78   寿命の歴史 80

第三部 古文書通信1999〜2005

十周年を迎えた古文書通信講座 85   三度名前を変えた代官の妻 87
生類憐みの令と村 89   「宗門改帳」からみた女性人口 91
大場美佐の日記 93   将軍綱吉の質問 95   超・長寿物語 97
江戸の下肥 99   ある女性の欠落から帰住まで 101
飯盛旅籠と村の風俗 103   古文書講座の二度目のテレビ放送 105
「金銭出入帳」から見た江戸大奥奉公 107   「金銭出入帳」から見た手習塾費用 109
武蔵野新田の年貢 111   歌舞伎興行への弾圧 113
武州世直し一揆のひと齣 115   一揆指導者の二つの戒名 117
忽然と消えた村の娘たち 119   木曽の御嶽山 121
世直し一揆の施金要求 123   村方騒動―村内の組分け― 126
系図から見た戦国武士の帰農化 128   口頭支配の悲劇―「生瀬の乱」― 130
近藤勇の手紙―農民剣術の広がり― 132   武蔵野新田の一名主の「建言」 134

第四部 恩師を偲ぶ

学者の真骨頂萩原龍夫先生 139   北島正元先生との出逢い 141
津田秀夫先生を偲ぶ 144   古島敏雄先生と国立史料館 156
伊藤好一先生と私 158

第五部 古文書解読実践

毛利大膳大夫抱地立木下付願 163
  解説 163  古文書 168  解読文 174
百姓弥兵衛元菩提寺へ送葬依頼書 177
  解説 177  古文書 182  解読文 188

あとがき 191



●はじめに

 本書『古文書からのメッセージ』は、全体が五部から構成されている。

 第一部・第二部・第三部は、いずれも、NHK学園生涯学習局「古文書講座」の機関誌『古文書通信』の創刊号から六四号までの巻頭エッセイとして執筆されたものを発表順に掲載したもので、六〇編に及ぶものである。

 第四部は「恩師を偲ぶ」として、五人の恩師の追悼文を集めた。勿論、私にとって恩師に当る方は、このほかにもいるが、たまたま活字として、すでに発表したものを収録した。私が研究者・教育者として成長することを指導し、叱正を惜しまれなかった方々である。恩師の人間像の一端を紹介したものである。

 第五部はNHK学園古文書通信講座「解読実践コース」の中から過去の課題文書二題を収録し、解説・解読したものである。古文書の学び方や古文書の解読から判明する歴史的事実を指摘したものである。いわば古文書解読の事例紹介ともいうべきものである。

 さて、本書の表題を『古文書からのメッセージ』と命名したのは、第一部から第三部までの古文書エッセイから名づけたものである。

 ここでは、このエッセイを中心に、若干の解説を試みたい。

 第一部は、一九八九年(平成元)から九三年(同五)までの五年間で執筆した一五編を収録した。この時期は、「古文書講座」が発足し、基礎コース、応用コース、応用コースステップ2、解読実践コースが毎年一つずつ開講され、教材作成に専念した時期であり、いわば古文書講座の基礎固めの時期といえる。

 第二部は、九四年(同六)から九八年(同一〇)までの五年間で執筆した二〇編を収録した。この時期は、九八年三月にこれまで一四年間勤務してきた国立史料館(国文学研究資料館史料館)を定年で退職し、同年四月から中央大学文学部に勤務することとなった。それ故、第一部・第二部とも主として、史料館時代の所産である。

 第三部は、九九年(同一一)二月から二〇〇五年(同一七)二月までの六年間で執筆した二五編を収録した。二〇〇五年三月には、中央大学も定年退職となるので、丁度この時期は中央大学時代と重なっている。

 『古文書通信』は、三か月に一回、年四回の刊行であるが、毎回その時その時の関心あるテーマを取り上げてきた。一回一〇〇〇文字という短編であり、とくに一貫性もないが、図らずも、この一六年間の私の研究や教育の歩み、今日的関心の課題が反映したものとなっている。

 そこで、エッセイの内容から本文を次の五項目に系列化してみることができる。すなわち、(一)古文書からみた過去の世界の発見。(二)史料調査と古文書との出会い。(三)文書館・資料館と史料保存利用のあり方。(四)古文書講座。(五)われわれを取りまく今日的課題。

 以下、この五項目について簡単な解説をしてみることとしよう。なお、各エッセイの末尾には発表の年月を(年/月)として記した。

 (一)古文書からみた過去の世界の発見

 古文書の醍醐味は、古文書の正確な解読によって、これまで不分明であった事実が明確になったり、新しい発見を生み出したりすることである。われわれが過去に問題意識をもって問いかけることによって、古文書はその問題に答えてくれるのである。あるいは、われわれにメッセージを送ってくれるのである。古文書は漫然と読むのではなく、常に問う心を持つことによってのみ答えが返ってくるのである。問う心は、われわれが生きている現実の中から培われるのである。E・H・カーという歴史家が「歴史とは現在と過去との対話である」と述べているが、まさにこのことをいっているのである。

 本書の表題を『古文書からのメッセージ』としたのは、古文書を読む人が主体的に、自ら過去に対し、過去を伝える古文書に対し、問う意識をもって立ち向った時に、古文書から種々のメッセージを受けとることができるという意味なのである。

 このエッセイの中から、この系列に属するものをあげると次のとおりである。

 ・古文書の面白さ(21頁)・「離縁状」から見た女性史(25頁)・江戸時代の村の子ども(27頁)・「老い」の世界(29頁)・名主の武士身分化(37頁)・年貢と税金(39頁)・代官大場弥十郎のこと(51頁)・戊辰内乱と村の出来事(60頁)・江戸時代の村の情報公開(62頁)・江戸時代の村の図書館(64頁)・火札の筆跡鑑定(66頁)・「里正」という言葉(74頁)・再び「里正」について(76頁)・寿命の歴史(80頁)・三度名前をかえた代官の妻(87頁)・生類憐みの令と村(89頁)・「宗門改帳」からみた女性人口(91頁)・大場美佐の日記(93頁)・将軍綱吉の質問(95頁)・超・長寿物語(97頁)・江戸の下肥(99頁)・ある女性の欠落から帰住まで(101頁)・飯盛旅籠と村の風俗(103頁)・「金銭出入帳」から見た江戸大奥奉公(107頁)・「金銭出入帳」から見た手習塾費用(109頁)・武蔵野新田の年貢(111頁)・歌舞伎興行への弾圧(113頁)・武州世直し一揆のひと齣(115頁)・一揆指導者の二つの戒名(117頁)・忽然と消えた村の娘たち(119頁)・世直し一揆の施金要求(123頁)・村方騒動―村内の組分け―(126頁)・系図から見た戦国武士の帰農化(128頁)・口頭支配の悲劇―「生瀬の乱」―(130頁)・近藤勇の手紙―農民剣術の広がり―(132頁)・武蔵野新田の一名主の「建言」(134頁)

 (二)史料調査と古文書との出会い

 私は、前述したように一九八四年(昭和五九)から九八年(平成一〇)までの一四年間、国立史料館に勤務していた。この史料館の仕事の一分野として、日本の国内はいうまでもなく、海外に存在する日本の近世文書の所在調査を実施することがあった。

 この史料調査は、まことに楽しく心が弾む仕事であった。どんな古文書との出会いがあるのか計り知れないものがあった。歴史を研究する者は、まず史料調査に歩くことが基本である。ここでは、それらの史料調査や古文書との出会いのエッセイを取り出してみた。

 ・屋久島の春(11頁)・ある古文書との出会い(12頁)・晩秋の津山市(31頁)・長崎の旅(33頁)・庶民史の宝庫(35頁)・私の古文書こと始め(45頁)・続・私の古文書こと始め(47頁)・海外にある日本の近世文書(58頁)・ドイツに存在する日本史料の調査(70頁)

 (三)文書館・資料館と史料保存利用のあり方

 図書には図書館があり、自然や文化に関しては博物館があるように、歴史資料や文書には文書館・資(史)料館が存在している。しかし、わが国では残念ながら図書館や博物館ほどには文書館・資料館は普及していないし、国民の間に浸透していない。明治初年、岩倉具視ら政府使節団は米英仏独などヨーロッパ諸国を歴訪し、文書館等も視察したが、ついに文書館をわが国に取り入れることはしなかった。わが国においては、第二次世界大戦後にやっと文書館・資料館問題が取り上げられるようになり、一九八八年(昭和六三)六月より「公文書館法」が施行されたのであった。

 この法律によって、国や地方公共団体は歴史資料としての重要な公文書等(古文書も含む)の保存や利用に関して適切な措置を講ずることが決められたのである。

 こうして今日、多くの都道府県で文書館が設置され、市町村にも名称はさまざまだが、文書保存利用機関が存在するようになった。

 このエッセイの中でも文書館や資料館における文書の保存利用について述べたものは次のとおりである。

 ・文書館・資料館の活用を(43頁)・断裁された宗門改帳の復元(55頁)・史料叢書と史料目録の刊行(68頁)・史料の保存と利用(72頁)

 (四)古文書講座

 現在、古文書講座は各地の文書館・資(史)料館・博物館・図書館はいうまでもなく、カルチャーセンターや通信講座などでもとりあげられ、どこも盛況をきわめている。

 古文書解読の魅力はどこにあるのであろうか。それらを探ってみようとしたエッセイがこの系列である。ここでは、NHK学園の古文書講座について述べたものが中心になっているが、それ以外の講座についてもふれた。

 ・古文書講座・この一年(17頁)・古文書学習への期待(19頁)・「古文書」講座のテレビ放送(23頁)・古文書がもつ魅力(49頁)・十周年を迎えた古文書通信講座(85頁)・古文書講座の二度目のテレビ放送(105頁)

 (五)われわれを取りまく今日的課題

 われわれは古文書を解読することによって過去を学び、現代や未来を考える視点を獲得することができるのである。われわれの生きている現代も、実は過去の集積の上に構築されているのである。

 ここでは、現代を考えるエッセイとして次のものをあげることができる。

 ・韓国の旅から(15頁)・一九九五年の天災と人災(53頁)・戦後五十年、私の原点―学童集団疎開―(57頁)・当世学生気質(78頁)・木曽の御嶽山(121頁)

 最後にひとこと、古文書の特質について述べておきたい。江戸時代の文書がなぜ草書体(お家流)の候そうろう文なのであろうか。これは武家文書も村方文書も商家文書も皆同じであり、日本全国共通である。草書体の候文は公式の文書の文体なのである。

 話し言葉は、各地での方言があり、江戸時代でも、南北の遠方の地方の人たちが出会って言葉を通じ合わせることは、相当難しいことであったといえよう。

 それが、草書体の候文は、日本全国共通なので、どこの地域の文書でも読解することができ、意味を充分把握することができたのである。江戸時代は将軍を頂点とする統一国家を形成したが、この統一国家の支配を支えたのが、草書体の候文であったといえよう。それ故、草書体の候文は全国規模で作成されたのである。

 われわれが古文書を解読できることによって、実は江戸時代のどの地域の文書も読めるという利点があるのである。



●見本原稿

屋久島の春

 勤務先の国立史料館(国文学研究資料館史料館)では、現在日本中の近世・近代文書の所在調査を実施しており、その一環として、この春、助手のW君と二人で鹿児島の先にある屋久島に飛んだ。

 屋久島には大学時代の友人が地元の高校の校長さんをしており、久しぶりの再会に胸がはずんだ。

 屋久島は海岸線の周辺を除いては全島が山で、その山中には、七千年の縄文杉や三千年の紀元杉等、千年を越える屋久杉が亭々とそびえ、眺めているだけでも、悩みごとなどふっとんでしまう雄大さである。屋久杉はその木目の美しさから家具や調度品に加工され、島の特産物の一つとなっている。

 昔から、この島は「口六万」といわれ、人間二万、猿二万、鹿二万が共存しているところだという。現在、人口は約一万五千人であるが、開発が進み、樹木が伐採され、猿や鹿にとってもだんだん住みずらくなっているという。

 そういえば、そぼ降る雨の中を地元の人の好意で車に乗せてもらい、屋久杉見物に山中に入ると沿道にたくさんの猿が並び、雨にうたれてエサを求めている姿は哀れであった。

 屋久島には「楠川文書」という離島には珍しいほどの大量の古文書がある。

 屋久島の住民は海賊や侵略者から島を守るために領主(薩摩藩)から鉄砲を貸与され自衛しており、その関係の「鉄砲改帳」や伊能忠敬が来島し、測量したときに動員された「人夫書上帳」等、その他「宗門改帳」や年貢関係文書等、興味深い文書が存在している。

 屋久島の春は美しい。三月下旬から四月上旬にかけて、さまざまな種類の桜があいついで開花しており、桜と共につつじの花が咲き誇っている。道行く人々は見知らぬ私たちにも「こんにちは」と聲をかけてくれる。

 人情のこまやかな島である。      (89/5)

―――――――――――――――――――――――――

ある古文書との出会い

 数年前のことである。私は明治初年に創立された「郷学校」の歴史を調べていた。

 この「郷学校」は、その後身である小学校の沿革誌によると、髪結を渡世とする「流れ者」が村にやってきて、村民を説得して、近隣の裕福な百姓たちから、五〇〇両の資金を集めて創立したものであり、授業料は無料で誰でもが学べる学校であった。勿論、最初は、村民の誰もとり合わなかったが、碁の好きな彼はだれかれとなく碁を打ちながら説得し、ついに実現にこぎつけた、と記されている。

 その小学校の書類の中に、「流れ者」氏の一枚の写真があり、この写真の裏書から、「流れ者」氏の子孫の存在が判明し、早速訪ねた。 「郷学校」の創始者であるご先祖に関する資料について尋ねると、相当年輩のご当主は困惑した顔をして、あるような、ないようなあいまいな返事だった。どんなものでも、端切れ一枚の書付でも結構ですからとお願いすると、黒色のみかん箱程度の箱を持ってきてくれた。祖母からは誰にも見せるなといわれ、天井裏に隠しておいたものだがといい、不安そうな様子であった。

 私も感謝しながら、拝むような気持で文書を一点一点開いていくうちに、われながら身体が震えてきた。

 何とそれは、相楽総三とその同志に関する文書であった。同志の名簿、赦免嘆願書、建白書等がぎっしりと詰まっているではないか。

 相楽総三とは百姓の身分でありながら、関東の百姓を多数引きつれて幕末の討幕運動に参加し、「年貢半減令」を旗印として百姓官軍として活躍した。しかし、「年貢半減令」を広められては困ると判断した官軍首脳部から、「偽官軍」というレッテルを貼られて粛清され、相楽等八名は信州諏訪で斬首、三〇〇名の同志は追放された。 「流れ者」氏は、その同志の一員で、相楽の遺言として、「これからの日本は教育が大切で、万一の場合は自分に替って学校を創ること」を依頼されたという告白の文書まででてきた。

 維新の激動期に命がけで生きてきた迫力と真実が村民の心に響き、ついに学校設立を実現させたのであろうか。

 電撃が身体を走った。劇的な「古文書」との出会いであった。

 この「流れ者」こそ武蔵国荏原郡太子堂村に「郷学所」を創立した借家人髪結常次郎こと斎藤寛斎である。      (89/8)

 (参考文献)拙稿「草奔の志士と郷学運動―斎藤寛斎と太子堂村郷学所―」(津田秀夫編『近世国家と明治維新』三省堂、一九八九)。

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