ことばは人を育て、未来をきりひらく知の源です。三省堂はことばをみつめて135年 サイトマップお問い合わせプライバシーポリシー
三省堂 SANSEIDOトップページ 三省堂WebShop辞書総合サイト Wrod-Wise Web教科書総合サイト ことばと教科
辞書教科書電子出版六法・法律書一般書参考書教材オンラインサービス
書名検索漢字かな著者名検索漢字かな詳細検索
新刊・近刊案内
メディアでの紹介
本の注文
書店様専用
大学向けテキスト
卒業記念
名入れ辞書
品切れのご案内
「ぶっくれっと」アーカイブ
会社案内
採用情報
謹告
三省堂印刷
三省堂書店へ
三省堂書店はこちら
声に出して読めない日本語。
「ほぼ日刊イトイ新聞」
(『大辞林』タイアップ・サイト)
  国語史研究の構想


国語史研究の構想

安田 章 著 (品切)

9,000円 B5 304頁 978-4-385-35232-9

そこに資料があるから論ずるのではない。資料の性格を吟味し、見極め、それぞれに然るべき座標を与えた時、初めて論が生まれ、国語史が語られる。近代語への過渡期にあることばのさまざまな実態を描ききった論考十二編。

2005年3月20日 発行

著者紹介 目次 あとがき




●著者紹介

安田 章(やすだあきら)

昭和8年、兵庫県武庫郡精道村に生まる。昭和38年、京都大学大学院文学研究科博士課程(国語学国文学専攻)単位修得退学。平成8年、京都大学教授(文学部)停年退官。現在、甲子園大学人間文化学部教授。京都大学名誉教授。文学博士(京都大学)。

著書
朝鮮資料と中世国語 (昭和55年、笠間書院)
中世辞書論考    (昭和58年、清文堂出版)
外国資料と中世国語 (1990.3.10、三省堂、品切)
国語史の中世    (1995.9.15、三省堂、品切)


外国資料と中世国語 (1990.3.10、三省堂、品切)

A5 376頁 9,709円

室町時代語の実態を当時の外国人の目で写した外国資料―キリシタン資料と朝鮮資料―に焦点を合わせ,その座標を確定するとともに,それらを駆使して国語史研究の世界に新たな地平を拓く,画期的な論文集。


国語史の中世 (1995.9.15、三省堂、品切)

A5 432頁 11,650円

前著『外国資料と中世国語』に続き,国語史の中世に視点を絞った論文集。外国資料・国内資料を駆使し,厳密な資料論を通して,古代語から近代語へと移り行く中世語を俯瞰し,その実態を浮かび上がらせる。



●目  次

外国資料論
格助詞の潜在
有ることの意味
資料性の検証
世話
正と誤との相関
国語史における規範の問題
全一道人再見
『和漢三才図会』の「朝鮮国語」
司訳院倭学書の資料性
『時代別国語大辞典』の特色と課題
師 濱田先生
あとがき



●あとがき

 間もなく迎える第二の停年を前に、この十年間に発表したものの内から十二編を選んで、第五論文集『国語史研究の構想』として公刊する。この期間に活字にした「練度」「平仮名文透視」の二編(いずれも『国語国文』に発表)は、既に第四論文集(国語史の中世)に収めた。

 冒頭の「外国資料論」は、国語学会平成七年度春季大会(五月二十七日、於龍谷大学)における公開講演「外国資料の諸問題」の草稿に手を入れて、その時の資料集と併せた形で文章化したものである。これには野村剛史を初め何人かの教え子の再三の要請があったことを書き添えておきたい。言われてみれば、これまでの論文集に収めた諸論考は、論文集としての性格上当然のことながら、各論的な色彩が濃く、国語史研究、特に内外の国語史研究資料に関わる全般的な発言がなかったようにも思われたので、今回「外国資料論」として、巻頭に据えてみた。これは、これまでの論文集の総括的な存在であり、同時に、本論文集で以下に続く各論の総論的な位置に立つ。なお、かの草稿を礎稿として、捷解新語関連部分を重点的に膨らませて、一度は韓国日本学会第五十九回学術大会(平成十二年二月十九日、於韓国仁川仁荷大学校)招請講演において、今一度は松山鄭光先生華甲記念講演会(同年十二月十八日、於ソウル、プレスセンター)において、それぞれ「『捷解新語』の重要性」「捷解新語と国語史学」と題して講演をし、捷解新語の生まれ故郷である韓国の日本語研究者・国語研究者に聞いていただく機会に恵まれた。

 本論文集も、第三論文集(外国資料と中世国語)・第四論文集の御縁で、三省堂から出版していただくことになった。本論文集の編集が、実務を担当された沓掛和子さんの、三省堂における最後のお仕事となることを聞けば、『時代別国語大辞典』の室町時代編の編集作業において十数年、特に完成までの最後の七年間、共に「縁の下」にあって悪戦苦闘を重ねた戦友へのはなむけと、秘かに本論文集を銘打ちたい気持である。その意味で、研究論文とは言えないけれども、「『時代別国語大辞典』の特色と課題」をも本論文集に収録したのである。この一文を草してから、室町時代編全巻の完結まで、なお六年以上の歳月を要したことを書き添えておこう。

 非研究論文と言えば、濱田先生追悼文「師 濱田先生」についても同様であるが、学術雑誌の性格上、個人的感情を極力抑えて、国語史学者としての先生の一面を描こうとした、自分としては国語史学史断章のつもりであるから、特に加えることとした。これら二つの文章も「国語史」研究に連なる資料研究として位置付けることが出来るであろう。

 資料と言えば、国語学国文学専攻を志そうとしていた半世紀以上も前に出会った文章(池上禎造【国語学入門講座】(『国語学』第十一輯))、

 資料はわれわれの使ふものである。逆にこれにひきずりまわされたり、或はその陰にかくれたりしてゐてよからうはずが無い。凡そ言語資料といふものは、研究対象たる言語の一つの相をあらはしはするが、研究者は自己の生きた言語体験を基として息を吹き込んでいつて、はじめて生かされてくるのである。この息の吹きこみ方が一番大切な問題であつて……

の意を体して歩み続けて来たつもりであり、その現在の到達点が本論文集でもあるが、今後なお文献資料に新たな息を吹き込み、今に蘇らす喜びを味わいたいと思う。

 なお、「誰でもが知っている文献資料で国語史は書かれなければならない」ということを研究の基本態度とし、自分なりに実践したために、本論文集には敢えて「索引」を付さなかった。

 京都大学停年退官後、九度の春秋を過ごした宝塚の甲子園大学を、この春を以て去る。かつて(平成十四年七月十九日)朝日新聞(大阪本社版)の夕刊紙上(女と男のゆめ川柳)で、和歌山市の柳秀子さん作の「いまどきの古希だれからも気にされず」という句を、実感を以て読んだことがあるけれども、古希はプライベートな里程標である以上、そこを通過させていただいたことへの感謝のつもりでも、本書はある。老けこむことを許してくれそうにない、年下の友人の鋭い視線がある限り、そして、なおいくばくかの余命が与えられる限り、「七十の手習い」を怠るわけにはゆかないであろう。

(平成十七年一月十一日記)

このページのトップへ