ことばは人を育て、未来をきりひらく知の源です。三省堂はことばをみつめて135年 サイトマップお問い合わせプライバシーポリシー
三省堂 SANSEIDOトップページ 三省堂WebShop辞書総合サイト Wrod-Wise Web教科書総合サイト ことばと教科
辞書教科書電子出版六法・法律書一般書参考書教材オンラインサービス
書名検索漢字かな著者名検索漢字かな詳細検索
新刊・近刊案内
メディアでの紹介
本の注文
書店様専用
大学向けテキスト
卒業記念
名入れ辞書
品切れのご案内
「ぶっくれっと」アーカイブ
会社案内
採用情報
謹告
三省堂印刷
三省堂書店へ
三省堂書店はこちら
声に出して読めない日本語。
「ほぼ日刊イトイ新聞」
(『大辞林』タイアップ・サイト)
  漢文を読む本


漢文を読む本

安藤信広 著 (品切)

1,700円 四六 224頁 978-4-385-40351-9

漢文を読む人,教える人のために,何をどう読めばよいのか,漢文の世界の広がりをどのように読み取っていけばよいのかを,豊富な具体的事例をもとにして説き明かし,これからの漢文教育への示唆を与える。(1)漢文の楽しみ (2)漢文を読む (3)漢文の世界と辞書 (4)漢文教育のこれから、の4章からなる。「国語教育叢書」の一冊。

1989年1月20日 発行




●あとがき

 この書物の中で私が考えてきたのは、どうして漢文を読むのか、という問題に尽きるような気がする。それを正面きって位置づけようとした部分はもちろんだが、具体的にいろいろなジャンルの作品を読みすすめている部分でも、考えつづけていたのは、そのことだったようだ。なぜなら私は、私がどのようにそれらの作品から打たれているか、ということを述べているにすぎないから。

 中国の古典それ自体が持っている言葉の力、その力を現代の新しい次元で呼びさましたい。いつも、そう思っている。そう思っているが、現代という次元は、一すじなわでいかない。現代にふさわしい、というより一すじなわでいかない現代にこそ、衝撃をもたらす中国古典の読み方が可能かどうか。私の問いは、いつのまにかそういうものになり、結局前途の程遠さをたしかめるだけとなる。

 国際化時代と言いながら、とどのつまりそれは、欧米の言語と文化を知ること、と一般には理解されている。それが悪いというのではない。知らないより知ったほうがよい。ただ、そういう感覚の中には、少なくともアジアのことを忘れている、という問題がのこる。また、異文化を受けとめる自己や自己の文化についてふりかえることを忘れている、という問題ものこる。中国の古典を読むことは、国際化時代とみずから名のっている日本の文化情況に、大きな一石を投じる行為だと思う。それを具体的に明らかにするためにも、中国の古典が持つカを、言葉に即して、つかみとりたかった。が、それは依然として不十分で、課題としてのこった。

 国語という教科が総合国語の方向をたどってきたことに、私は深い意味を見出している。漢文が、日本の古典や現代文学などとぶつかりあって、新しい輝きを放つことを期待しているから。その方向が、今後どうなるか分からないが、この書物を記すにあたって私は、総合国語の中の漢文という視点を貫こうと考えた。総合国語という位置づけを漢文の側から見るなら、東アジアの中の日本というあり方が、見えるように思われるのだ。

 中学・高校の国語の先生方が、漢文を教えるときヒントになるような書物を、というのが編集部からの最初の依頼だった。意図に沿えたかどうかはともかく、私なりに平易に記すように努めてみた。中学・高校の先生方の目にとまれば、幸いである。また大学で漢文を学んだり、国語の先生を目指している人々にも手にとってもらえれば、と思う。漢文と漢文教育の全体を対象とすることになり、誤りも多いと思う。読者より御叱正をいただきたい。最後に、藤井貞和氏の『古典を読む本』(本叢書5)から、多くの教示を得たことに感謝したい。また編集部の近藤武司氏から、終始励ましをいただいた。それがなかったら、とても私のカでは完成に至らなかっただろう。感謝を申し上げる。

 一九八八年一二月

安藤信広

このページのトップへ