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  歌舞伎ハンドブック 第3版


歌舞伎ハンドブック 第3版

藤田 洋 編

1,500円 A5変 320頁 978-4-385-41053-1

『歌舞伎ハンドブック』は、1994年の初版、2000年の改訂版とも、多くの読者の方々に利用していただいてきた。この間、物故した役者、新たにデビューした役者など数多くあり、また襲名などの移動も多く、第3版の刊行となった。今回の改訂では、「名作の鑑賞」で19演目を増やし、「現代役者名鑑」で16名の役者を増補するなど、現時点での最新の情報を網羅した内容に改めた。歌舞伎は、ユネスコの世界無形文化遺産にも登録されている、日本を代表する古典演劇の一つである。本書は、歌舞伎の基礎知識や約束事もわかりやすく解説し、観劇前の予備知識としても役立つ内容を目指した。図版286点を掲載。「歌舞伎のすべてがわかる」小事典。

2006年11月20日 発行

第3版の序 目次 現代役者名鑑 改訂版の序 『歌舞伎ハンドブック』(2000年 7月 発行の「ぶっくれっと」143号より) 見本原稿(夏祭浪花鑑/女殺油地獄) 見本原稿(市川染五郎/中村勘三郎)

ハンドブック・シリーズ  日経WagaMagaでの紹介



●第3版の序

 『歌舞伎ハンドブック』は平成六年(一九九四)の初版、平成一二年(二〇〇〇)の改訂版以来何度も重版を重ねてきて、今回は第3版の刊行となった。当初予想した以上の多くの方々に利用していただき、編者としてはありがたいことだと感謝している。

 歌舞伎は、今日もなお生命力旺盛な、生きた演劇として人気を集めている。初版以来でも、他界した役者、初舞台を踏んだ役者など数多くあり、襲名など異動も多い。今回の改訂では、「名作の鑑賞」の項目を増やし、「現代役者名鑑」も最新のものに改め、また「歌舞伎関係書一覧」も現在入手できるものを中心に選び直すなど、現時点での最新の情報を網羅した内容を目ざした。

 歌舞伎は、平成一五年(二〇〇三)に発祥四〇〇年を記念し、一七年(二〇〇五)にはユネスコから「人類の口承及び無形遺産に関する傑作」(世界無形文化遺産)に登録され、能楽・文楽とともに日本の宝であることが、世界的に認知された。

 無形の文化財である歌舞伎は、有形の古美術・建造物と違って、俳優の芸によって成立しているから、実際に劇場に足を運んで舞台をみていただくことが第一である。しかし、古典であるからわかりにくい部分もあることと思う。本書を利用して、そうした不明の部分を確かめてほしいし、観劇前の予備知識にも活用していただきたいと願っている。歌舞伎のなかには「日本のこころ」が詰めこまれているのだから……。

  二〇〇六年九月

藤 田洋



●目  次

第一部 歌舞伎への招待
歌舞伎の成り立ちー阿国登場から今日まで
歌舞伎の劇場と舞台
狂言の種類
特質と見どころ
演出と演技
近年の物故名優たち
屋号一覧

第二部 役者
役柄
扮装と小道具
興行が行なわれるまで
現代役者名鑑 ⇒ 収録一覧
役者の系図

第三部 名作の鑑賞
純歌舞伎
義太夫狂言
新歌舞伎
舞踊劇

第四部 用語・資料編
歌舞伎の作者
歌舞伎の歴史(年表)
歌舞伎の用語
歌舞伎を上演するおもな劇場一覧
歌舞伎関係書一覧
索引



●現代役者名鑑

嵐圭史/市川右近/市川右之助/市川海老蔵/市川笑三郎/市川笑也/市川猿之助/市川猿弥/市川男女蔵/市川亀治郎/市川高麗蔵/市川左団次/市川春猿/市川染五郎/市川団十郎/市川段治郎/市川団蔵/市川門之助/市村家橘/市村万次郎/大谷友右衛門/尾上菊五郎/尾上菊之助/尾上松緑/尾上松也/片岡愛之助/片岡市蔵/片岡我當/片岡亀蔵/片岡進之助/片岡孝太郎/片岡仁左衛門/片岡秀太郎/片岡芦燕/上村吉弥/河原崎権十郎/河原崎国太郎/坂田藤十郎/澤村田之助/澤村藤十郎/中村梅之助/中村魁春/中村歌昇/中村歌六/中村勘三郎/中村翫雀/中村勘太郎/中村亀鶴/中村吉右衛門/中村芝雀/中村七之助/中村獅童/中村芝翫/中村雀右衛門/中村信二郎/中村扇雀/中村東蔵/中村時蔵/中村富十郎/中村梅玉/中村橋之助/中村福助/中村松江/中村又五郎/坂東秀調/坂東薪車/坂東竹三郎/坂東玉三郎/坂東彦三郎/坂東三津五郎/坂東弥十郎/松本錦吾/松本幸四郎



●改訂版の序

 『歌舞伎ハンドブック』は平成六年(一九九四年)の初版以来、当初予想した以上の多くの方々に利用していただいてきた。しかし、この間、俳優の動向に大きな変化が生じ、亡くなった方もあり その後人気の台頭した若手も多くいるので、今回の改訂はその面をとくに補充した。また、「名作の鑑賞」も、利用しやすいように配列をかえ、余白を利用して「名せりふ」を最大限つけ加えた。

 この改訂によって、二一世紀版の歌舞伎ハンドブックとして、さらに充実したものになったのではないかと自負している。

 歌舞伎は無形文化財としての日本の宝である。有形の古美術・建造物と違って、無形のものは、人間の肉体がそれを伝えていく必要があるわけだ。幸いに、現在の歌舞伎には七人の人間国宝が健在で、ほかにも芸力・人気、ともに整った名優たちが競いあっている。まさに黄金時代だといっても間違いではない。こうした状況のなかで歌舞伎に接してもらうには、実際に劇場に足を運んで舞台をみていただくことが第一である。そして不明の部分を本書で補完してほしい。また、観劇の前の予備知識にも本書を利用していただきたい。

 長年、親しまれてきた日本演劇の宝――その歌舞伎のなかに「日本のこころ」が詰めこまれていることも知っていただければ幸いである。

 2000年4月

藤田 洋



●『歌舞伎ハンドブック』(2000年 7月 発行の「ぶっくれっと」143号より)

藤田 洋

 私は二十三年間『演劇界』(歌舞伎中心の演劇専門誌)の編集者だった。社屋に毎月、お祖母さんに連れられた三、四歳の少年がきて、雑誌のページを繰って、気に入ると買ってもらい、気に入らないと、「今月はいらない」といって帰ることが、二、三年続いた。そんな年少者から、何十年も見続けている九十代の老齢者まで歌舞伎のファンは、じつに幅広い。海外にも直接送る冊数がふえていた。

 歌舞伎は創始の出雲の阿国の登場(慶長8年=1603)から数えて、間もなく400年になる。しかし、そのうちの290年ほどは当時の現代劇であったから、つくられる新作は、時代の風を反映させていた。歌舞伎という漢字はたった三字だが、内容は多種多様なのだ。そのうえに支持するファン層の年齢が幅広く、老若男女、貴賤の別なくという感じである。

 しかし、現在は江戸の生活と縁遠いから、言葉、習慣、風俗などまるで違う。わかりにくいことばかりである。しかし「動く江戸が残っているのは、歌舞伎だけです」と、わたしは機会あるごとに説明する。映画・ビデオ・録音などがない時代の暮らしは、歌舞伎のなかにだけ(多少デフォルメされてはいるが)、伝承されている。

 『四谷怪談』のお岩様(なぜか敬稱をつけないと祟りがあると信じられている)が、浪宅でお歯黒をつける場面がある。お歯黒という習慣じたいが、もうなくなっている。

 『髪結新三』の鰹売りの呼び声も、江戸気分を横溢させる。そういえば、物売りがおおぜい市中を歩いていたので、舞台にはさまざまな姿で登場する。『守貞漫稿』(近世風俗志)のような文人のスケッチに残ってはいても、人間が動いているのは舞台で見られる歌舞伎だけである。

 歌舞伎は「江戸」に興味をもつ人や研究する人には避けて通れない生きた資料だといえる。

 また、歴史を知るにも簡便だ。しかも、ただ記録にある事件をそのままドラマに仕立てているわけではない。真実と見せかけて虚構を組み立て、虚構と思わせて真実をさり気なく知らしめたりする。その手際の鮮やかさは見事だ。

 例えば『義経千本桜』は、壇の浦で平家が全滅したあと、平知盛、平維盛、能登守教経の三人が生き残って源氏への復讐を画策していたという構想だが、その平家が滅んだのは、平清盛が孫にあたる安徳天皇が姫宮だったのに男皇子と偽っていたのが、天道にそむいた大罪で、これが原因になっていると知盛に語らせている。江戸期には、安徳帝が皇女だったという話が秘かに語り継がれていたのであろう。

 歌舞伎はじつに奥行きが深い。六十年ちかく演劇を見続けてきて、改めて実感するのだが、歌舞伎のなかには「日本」がぎっしりと詰っている。今でも、「これはこういう意味がふくまれていたのか」と発見することも再三だ。

 「歌舞伎はむづかしい」

 これはウソだ。難解であるならば、江戸時代の、文字も読めないような丁稚、下女、職人までが嬉々として芝居小屋をくぐらなかったろう。もし難解だとするならば、今日、生活様式がすっかり変わっているので、そこに過去―現在をつなぐ「手がかり」が必要なのだと思う。

 『歌舞伎ハンドブック』が、その手がかりに最適だという評価を得ているのは、まことに嬉しい。『ハンドブック』で知識を得なくても、歌舞伎は面白く見られる。しかし、知識があったほうが、よけいに理解度が高まる。もっともこれは、芸術全般に言えることだが……。

 歌舞伎が発明した回り舞台を外国で見たり、ミュージカル『レ・ミゼラブル』で蛇の目(二重)回しをうまく活用しているのを見ると、これは日本が元祖なんだぞと、威張りたくなる。歌舞伎は古いが、じつは新しい、とする根拠である。



●見本原稿(夏祭浪花鑑/女殺油地獄)

夏祭浪花鑑なつまつりなにわかがみ

通称夏祭(なつまつり)
並木千柳(なみきせんりゆう)・三好松洛(みよししようらく)・武田小出雲(たけだこいずも)の合作。延享二年(一七四五)七月、大坂竹本座初演。はじめて人形に帷子(かたびら)を着せ、「団七」という首(かしら)ができたという。好評で初演の翌月、京の都万太夫座、布袋屋座(ほていやざ)、一二月には大坂でただちに歌舞伎化された。初代片岡仁左衛門が演じた役名の団七九郎兵衛(だんしちくろべえ)、一寸徳兵衛(いつすんとくべえ)、釣船三婦(つりふねさぶ)に、延享二年におこった堺の魚売りの殺人事件(『摂陽奇観(せつようきかん)』)が結び付けられたようである。
あらすじ ◆大鳥佐賀右衛門(おおとりさがえもん)の中間(ちゆうげん)と喧嘩をして入牢中の団七九郎兵衛は、玉島兵太夫のとりなしで出牢できる。団七の女房お梶と侠客釣船三婦が団七を迎えに来たところで兵太夫の子息磯之丞(いそのじよう)をかくまい、団七は佐賀右衛門に追われている磯之丞の恋人琴浦(ことうら)を救う。佐賀右衛門の意を受けた一寸徳兵衛は団七に喧嘩を仕掛けるが、お梶が仲裁に入り、二人は義兄弟の契(ちぎ)りを結ぶ。徳兵衛の女房お辰(たつ)は三婦を訪れ磯之丞を預かろうするが、三婦がお辰の美貌を懸念するので、お辰は焼けた鉄弓を頬に当てて傷をつけ侠気を示す。つづいて団七の舅(しうと)義平次(ぎへいじ)が琴浦を迎えに来る。団七は舅の悪巧みを見抜いて琴浦の後を追い、小石を金に見せかけ琴浦を取り戻すが、それがばれたため舅を殺してしまう。徳兵衛はお梶に不義を仕掛ける。これは団七に離縁状を書かせて舅殺しの汚名を免れようとの魂胆(こんたん)であった。役人が団七の家を囲むが、徳兵衛は路銀の金を団七に渡して備中に逃がす。
見どころ ◆全編を油照りの夏の暑さが貫いているような作品である。牢から出たむさくるしい団七が髪床を出て、颯爽(さつそう)とした男ぶりを見せる。お辰は自ら顔を傷つけた後、徳兵衛が惚れたのは顔ではない、胸をポンと叩いて「ここでござんす」と言って引っ込む。義平次殺しの場は、高津神社祭礼の山車(だし)を背景に、団七が刀を振るい、泥にまみれた義平次を殺す凄惨(せいさん)にして絵画的な場面である。

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女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)

通称油地獄(あぶらのじごく)
近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)作。享保六年(一七二一)七月、大坂竹本座初演。油屋の女房の殺害事件を題材に河内屋与兵衛という不良青年を主人公に描いた、近松の世話物の中でも異色作で、初演の評判は悪く、江戸時代には上演されなかった。しかし、明治時代に入り、坪内逍遥(しようよう)の近松研究のなかで取り上げられて、脚光を浴びるようになった。その流れを受けて、ようやく歌舞伎化され、明治四〇年(一九〇七)の女歌舞伎に続いて、四二年一一月大阪朝日座で上演された。
あらすじ ◆大坂本天満(てんま)町の油店・河内屋の次男与兵衛は、実父の死後に番頭から継父になった徳兵衛の遠慮勝ちな性格をよいことに、放埓(ほうらつ)無頼な日々を送っていた。野崎観音の参詣で賑(にぎわ)う徳庵堤で、馴染みの遊女小菊を巡る喧嘩の最中に、主君の代参に来た小栗八弥に泥をかけ、供侍で与兵衛の伯父の山本森右衛門の怒りをかうが、八弥の計らいで与兵衛は助かる。与兵衛は、病床の妹おかちを騙(だま)して実父の霊が憑依(ひようい)した芝居をさせて、金を無心しようとするが、徳兵衛が取り合わないので、徳兵衛やおかち、さらには実母のおさわにまで乱暴する。激怒したおさわは与兵衛を勘当する。とはいえ息子への愛を断ちがたい徳兵衛夫婦は、同じ町内の油店・豊嶋(てしま)屋を訪ね、女房のお吉に金を託し、世話を頼む。その様子を立ち聞きした与兵衛は、親の愛情に感謝しつつも明日にせまった借金の返済に困窮し、お吉に借金を申し込む。断られた果てにお吉を殺し、金を奪って逃走するが、お吉の三五日の前夜に捕えられる。
見どころ ◆最大のクライマックスは「豊嶋屋」での与兵衛のお吉殺害である。追い込まれた与兵衛の殺気が漲(みなぎ)り、殺人劇へ発展する。この「殺し場」の立回りはリアルな演技で運ばれ、本物そっくりに拵(こしら)えられた特製の油も効果を生み、与兵衛とお吉が油まみれになって、追いつ追われつ、滑ったり転んだりの凄絶な舞台が繰り広げられる。



●見本原稿(市川染五郎/中村勘三郎)

市川染五郎
松本幸四郎の長男。祖父が初代松本白鸚(八代目幸四郎)、曽祖父が七代目幸四郎と初代中村吉右衛門。
 長身の二枚目で芸熱心。舞台、映像の両方で活躍する人気立役だ。昭和五四年(一九七九)三月歌舞伎座「侠客春雨傘」で三代目松本金太郎を名乗り、初舞台を踏む。五六年十、十一月歌舞伎座「仮名手本忠臣蔵七段目」の大星力弥などで七代目染五郎を襲名した。
 祖父の白鸚、父、幸四郎に演技の指導を受けた。「ハムレット」のハムレットを十四歳、その坪内逍遥による翻案「葉武列土倭錦絵」の葉叢丸、実刈屋姫(オフィーリア)の二役を十八歳で務め、大器の片鱗を表した。平成八年(一九九六)には自主公演「染五郎の会」を開始、これまでに三回を行い、「石切梶原」の梶原平三、「盛綱陣屋」の盛綱、「大森彦七」の彦七、「封印切」の忠兵衛などを初演し、成果をあげた。「伽羅先代萩」の仁木弾正や「勧進帳」の富樫、「寺子屋」の松王丸など時代物や歌舞伎十八番物を手がける一方、新作にも積極的だ。「アマデウス」では、幸四郎のサリエリと拮抗するモーツァルトを演じ、幸四郎主宰の「梨苑座」では「バイマイセルフ」「マトリョーシカ」に出演。一二年には劇団☆新感線と共に新橋演舞場で「阿修羅城の瞳」に出演。ファン層を一段と広げ、新感線とはその後「アテルイ」「髑髏城の七人」などの作品も生み出した。
 活躍は留まることを知らず、大阪松竹座では復活狂言や江戸時代の読本を歌舞伎化することにも挑戦。「怪談敷島物語」「三国一夜譚」「天竺徳兵衛韓噺」などを上演した。「封印切」の長兵衛を自主公演で演じたことでも明らかだが、上方歌舞伎への関心も強く、一六年には国立劇場で上演の珍しい「花雪恋手鑑(乳貰い)」の四郎次郎で、二代目実川延若が得意とした役柄に挑んだ。映画主演作には「阿修羅城の瞳」「蝉しぐれ」がある。

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中村勘三郎
十七代目勘三郎の長男。姉は女優の波乃久里子。妻の好江は中村芝翫の次女。長男が中村勘太郎、次男が中村七之助。母の久枝は六代目尾上菊五郎の長女。
 人気、実力を兼ね備え、歌舞伎界をリードするスター俳優。昭和三四年(一九五九)に「昔噺桃太郎」の桃太郎で五代目中村勘九郎を名のり、初舞台を踏む。映画、舞台で名子役の誉れを取り、四四年歌舞伎座の『連獅子』で父の親獅子で子獅子を務め、踊りのうまさに周囲を驚かせた。これは出世役となり、親子のコンビで以降繰り返し踊られ、当代と勘太郎、七之助の『連獅子』に受け継がれている。五一年、二〇歳の若さで尊敬する祖父六代目菊五郎の当たり役『鏡獅子』に挑戦。初々しい女小姓と激しい獅子を巧みに踊りわけ、絶賛される。
 その人気を絶対的なものとしたのは六三年。一月に病気休演の父の代わりに『俊寛』を演じ、四月には父のあたり役である『髪結新三』の新三に初挑戦。舞台の最中に、父が亡くなるという悲劇に見舞われたが見事に演じ、評価を決定付けた。「こんぴら歌舞伎」の旗上げに一役買うなど新しい歌舞伎観客層の掘り起こしにも力を尽くしている。平成二年(一九九〇)には歌舞伎座の八月納涼歌舞伎を坂東三津五郎らと始め、歌舞伎ブームの火付け役となり、野田秀樹ら外部の才能に歌舞伎への参加を依頼。『野田版 研辰の討たれ』『野田版 鼠小僧』などで成果を挙げた。六年には渋谷のシアターコクーンで「コクーン歌舞伎」、一二年には仮設劇場「平成中村座」での公演を開始。一七年には歌舞伎座で三月から三ヶ月間の襲名公演を挙行。『一条大蔵譚」の大蔵卿、『盛綱陣屋』の佐々木盛綱、「鰯売恋曳網」の猿源氏、『娘道成寺』の花子、『籠釣瓶』の次郎左衛門、『髪結新三』の新三、『野田版 研辰の討たれ』の守山辰次などで十八代目勘三郎を襲名した。公演は全国をまわり、どこでも大入りを記録した。

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