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樹木葬を知る本
−花の下で眠りたい−

樹木葬を知る本

千坂嵃峰・井上治代 編

1,600円 四六 232頁 978-4-385-36143-X (品切)

墓標として木を植え、春には花が咲き、やがて林を形成し土に還る自然回帰の樹木葬の全てを紹介。格安な費用で、シングルでも継承者不要、ほかに多くのメリットがある。その手続きの全てを解説。また発案者の祥雲寺の千坂住職、多くの利用者の声も収録。

2003年3月25日 発行

 祥雲寺のHP
 エンディングセンターのHP
 日本農業新聞2003年4月3日の紹介記事(画像)
 日刊ゲンダイ2003年4月10日の紹介記事(画像)
 毎日新聞2003年4月25日の紹介記事(画像)
 日経新聞2003年8月13日の紹介記事(画像)



●編者紹介

千坂嵃峰(ちさかげんぽう)

1945年5月宮城県生まれ。東北大学大学院文学研究科博士課程中退。中国文学専攻。聖和学園短期大学教授として中国文学、仏教学、倫理学を担当。研究テーマは日本中世の禅文学。1984年より祥雲寺住職。NPO法人北上川流域連携交流会理事長として川を通しての地域づくりも実践。著書に『五山文学の世界―虎関師錬と中巌円月を中心に―』(白帝社)、編著に『東北を語る』『だまされるな東北人』(いずれも本の森)、『平泉の原像』(三一書房)など。

井上治代(いのうえはるよ)

1950年11月東京都生まれ。エンディングセンター代表。淑徳大学大学院博士後期課程終了、社会学博士。家族社会学、宗教社会学を専攻し、死生学や環境社会学にも興味をもっている。ノンフィクション作家として単行本・新聞・雑誌を媒体に執筆・評論活動を続けるとともに、大学で社会学やジェンダー論を教えている。主な著書に『現代お墓事情』(創元社)、『いま葬儀・お墓が変わる』(三省堂)、『最期まで自分らしく』(毎日新聞社)、『墓をめぐる家族論』(平凡社新書)、『新・遺言ノート』(KKベストセラーズ)、『墓と家族の変容』(岩波書店)など。



●目  次

第1章 樹木葬とは? 1

第2章 樹木葬が誕生するまで

 個人的回想とこころの願い
   ――寺、地域そして自然   千坂嵃峰 25

第3章 樹木葬利用者と支援者の声 53

■自然に還る夫の葬送から1年経ちました
――橋本正子さんからの手紙 54

■東北旅行をしながら祥雲寺へ
――井上明さんからの手紙 59

■空気のきれいなところに移り住んで
――関口啓之助・幸子夫妻 インタビュー  清水玲子 62

■自然が宗教なんですね
――村上美知子さん インタビュー  清水玲子 62

■樹木葬への思い
――今井章彦さん インタビュー  清水玲子 62

■ターミナルケアの医師の夫が選んだ墓
――行木康子さん インタビュー  清水玲子 62

■私たちの見送った人
――生前の準備から樹木葬まで エンディングセンター代表井上治代 76

■樹木葬が切り開いたもの
生と死、墓と自然との共生葬送 ジャーナリスト碑文谷 創 81

■待たれていた樹木葬
現代の多様な生き方に即応して 毎日新聞記者 内藤麻里子 93

第4章 樹木葬墓地の歩み 99

■祥雲寺・樹木葬年表 100

■第1回 樹木葬メモリアル 104

■第2回 樹木葬メモリアル 105

■樹木葬通信「樹木に吹く風」より 106

第5章 樹木葬の実際――手続き・交通機関・地図ほか 137

■樹木葬の手続き
――申し込みから埋骨まで 138

■この花の下で眠りたい
――木を選ぶ 144

■あなたの町から一関へは?
――一関へのアクセス 148

樹木葬墓地関係図 149

■墓地近辺図 151

■祥雲寺案内 152

■近くのおすすめスポット 154

■樹木葬墓地使用約款 162

■こんな場合は?
――質問疑問 Q&A 170

第6章 樹木葬の背景と意味 井上治代 181

あとがき 216



 ●第1章 樹木葬とは?(一部)

樹木葬メモリアルの日

 いつもは静かな駅に、にわかに続々と人が降り立ち、駅前に停まっているバスに吸い込まれていく。その駅とは、渓谷美で天然記念物になっている厳美渓や奥州藤原氏ゆかりの中尊寺、毛越寺の玄関口、岩手県一ノ関駅。仙台より少し北の東北新幹線の駅である。

 バスの行き先は「樹木葬墓地」とある。市街地をぬけると、やがて緑豊かな田園風景が広がってくる。バスに乗ること30分。「樹木葬墓地」に到着した。目の前には美しい田んぼが水をたたえ、その後ろには小高い山が見える。お寺も、墓石も見えない。いったいどこが墓地なのだろうか。バスから降りた人たちは皆、山のほうへ向かって行く。一見、普通の雑木林だが、なんと、そこが「墓地」なのである。「樹木葬墓地」の名は、遺骨を直接土中に埋め、墓石の代わりに樹木を植えることからついたという。

 今日は年1回、市内に寺をもつ祥雲寺の樹木葬墓地で行われる〈樹木葬メモリアル〉の日。参加者は樹木葬墓地契約者、すでに埋骨された人の遺族、墓地購入検討者、サポート団体など120〜130人。全国から集まってきている。

 墓地となっている山の斜面で合同追悼供養会が始まった。祥雲寺住職らの読経、キリスト教牧師による聖書朗読、尺八や笛の演奏、歌、献花などにより、埋骨されたすべての人たちのための法要を行う。読経もあれば聖書朗読もある――普通の感覚では信じられないが、この墓地では宗教・宗派は問われない。林に染み入る笛の音のなか、献花が行われ、遺族たちは三々五々墓所へ向かう。参加者たちはすぐには立ち去らず、ゆったりと林の散策を楽しんでいる。さらに時間が許す人は近くの温泉に泊まり、翌日は山登り、散策などで参加者どうしの交流を深め、また心ゆくまで自然を味わうのが毎年のこととなってきている。

樹木葬とは

 一見、周りの里山と変わりないが、ここは墓地として許可された区域だ。面積約1万平方メートル、遺骨を約1000体納めることができる(平成17〈2005〉年にはさらに1万3947平方メートル増設予定で現在申請中)。墓地内に足を踏み入れると、林のそこここに、杭が埋められているのに気づく。そこが周辺の山と違うところだろうか。先が赤く塗られた杭は埋骨候補地。墓地契約者はそのなかから希望の場所を選ぶ。その杭から半径1メートルがそこを購入した人の墓所になる。杭の位置は3本の基準木から距離を確定され、台帳に記入される。すでに埋骨されたところには名前が書かれた杭が立ち、すっかり根づいた低木が生長しはじめている。まだ土が新しいところは最近埋骨されたのだろう、生花が供えられている。ここ祥雲寺の樹木葬墓地では環境を考え、切り花以外の供物、線香は禁止されている。供物は蜂を呼び、線香は山火事を招く恐れがあるからだ。このように自然に近い状態を維持するために細心の注意が払われている。

埋骨の際は、墓所内に深さ30センチ以上の穴を掘り、遺骨をそのまま納め、土をかぶせる。そして、埋めたところに目印として、花をつける低木を植える。墓標として植えられる木は、2〜4メートルくらいになる、この地に適した木だ。エゾアジサイ、サラサドウダン、ヤマツツジ、ツリバナ、ガマズミなど(口絵参照)。木は生長し、花を咲かせ、実をつけ、やがて林の構成木の仲間入りをし、遺骨は土に還る。「花に生まれ変わる仏たち」と言われるゆえんである。

 墓地購入の際は、契約時に墓地使用料として20万円、環境管理費として1口10万円を3口以上納める。環境管理費は3年以内を目安に分割可能だ。ほかに事務管理費として年8000円。これは「樹木葬通信」の発行などの事務費に充てられている。同じ墓域に2体目以降を埋骨するときは1体につき10万円納めればよい。墓石代などもいらず、一般的な埋蔵代と比較するとかなり安くなっている。しかし、環境管理費が必要ということは、墓地購入者が雑木林などの周囲の自然を守るという意思の表現であり、この主旨の理解者であることが必要条件となる。

土に還る葬法

 「死んだら土に還りたい」というフレーズは、日本人独特の、長い間言われつづけられてきた言葉である。これが「夢」のように語られるのは、実現が難しいと思われているからでもあろう。

 私たちは普通、死んだら墓に入るのが当たり前と思われているが、いったいいつの頃から人は死んだら墓に入るようになったのだろう。文献によると、いまのような墓の下のコンクリートの骨壺収納室(カロート)に遺骨を納めるようになったのは、戦後のここ数十年のことだという。子どもの頃、飼っていた動物や身の回りの生きものが死んだとき、穴を掘って土に埋めた経験は誰にでもあると思う。命を終えたものを自然に還すのは人間の本能だ。人類は長い年月、遺体を自然に還してきた。風葬、鳥葬、水葬、土葬……。方法は違っていても最後には土や海に還る。私たちはすべての生きものの死の上で生きているようなものだ。動物や植物の遺骸が土を肥やす。いまも私たちが恩恵にあずかっている石油などの化石燃料は、太古の生物が地中で変化したものだ。

 生きものには死を次世代への蓄積とする本能があるのではないだろうか。死んだら自然に還りたい、と思うのは人間がもつごく自然な感情なのであろう。さまざまな社会的な変遷で土から遠ざかる生活をしていた人間が、ふと昔の記憶を呼び覚ます。樹木葬では、土に埋めるのが昔のように遺体ではなく遺骨になっただけなのだ。

継承者を必要としない墓

 「自然に還りたい」ということ以外に、「継承者を必要としない」という理由で樹木葬墓地を選んだ人も多い。家族の形態の変化で、遺族をもたない人、いても墓地の継承を望まない人も増えてきている。樹木葬墓地では遺骨はそのままにしておいても自然に還るし、墓地の管理は契約者が納めた環境管理費で全体を管理するので、死後のことを個人的に誰かに託す必要はない。契約により、仏教でいう弔い上げの33年までは同じ墓所がほかの人の墓所に重なるように使われることはない。もちろん、子どもに継承することも可能である。

法要は年1回、〈樹木葬メモリアル〉で営まれる。契約者本人が生前から足を運び、いずれ一緒に入る者どうし、仲良くなる人たちもいる。「お隣どうしですね、よろしく」と挨拶しあうなごやかな光景も見られる。メモリアルは生前も死後も一人ではないと実感する場でもある。

 一人暮らしだったり、家族が高齢、病気などで契約者の遺骨を墓地まで運べない場合もある。その場合は、市民グループのエンディングセンター(142ページ参照)が生前の契約のうえ、遺骨搬送を引き受けている。 樹木葬墓地を求めるのは「死後の自立」を考えている人が多い。しかし、墓地を購入したからすべて終わりではない。自分の死に至るまで、死後の計画を具体的に考え、書き残し、それを実行させるための契約をして、はじめて「死後の自立」ができると言えるだろう。(以下、省略)



 ●あとがき

 樹木葬墓地は許可され使用を開始したのが1999(平成11)年11月なので、この本が出る2003年3月は3年4か月を経たことになる。この試みは必ずや首都圏を中心に話題を呼ぶだろうと確信していたものの、「石の上にも3年」というように、しばらくは地味な活動を続けなければならないと考えていた。

 私は構想を練る時間は長いが、いったん決意したら委細を決める前に走り出す、世に言う「走りながら考える」タイプと見られている。しかし、実態は決断が遅く、細かい仕事が嫌いなだけである。囲碁でもアマチュアには珍しく序盤や大局観を楽しむ傾向がある。地域づくりなどでも、ぼんやりと世の流れを見つめ、自分なりの切り口を探すのが好きなのである。

 墓地をめぐる世の動きは、80年代の永代供養墓の出現、さらに散骨の運動が始まった91年頃から確実に変わってきていた。既存の墓地や葬法のみを前提としていた法の盲点を突く形で、散骨は檀家制度と結びついた墓地に安住する既成仏教にあいくちを突きつけた感があった。ところが、既成仏教教団に危機感は生まれてこなかった。話題にはなっても、実際に散骨する人の数がパーセントにするといくらにもならないので問題にするまでもないととらえているように思われた。

 既成仏教教団はいずれも歴史に裏打ちされた立派な教義と信仰実践を示しているが、かえってそのため、世俗世界との折り合いを見つけることに冷淡になりがちである。環境倫理、生命倫理などは教団が考え方を統一するような性質のものではないが、一人ひとりの僧侶や寺が取り組むべき課題であるだろう。

 墓地も、少子化、核家族化などの影響からやがては承継者が減少して無縁が多くなり、寺の経営難をもたらすことは必至である。それなのに現状に甘んじ将来を考えないのでは、永続性が求められる寺院のあり方としては無責任ではないか。また、地方の疲弊、過疎化はすでに深刻な段階に入っている。そのような地域の中核に位置づけられてきた寺が、時勢に流されてしまうだけで良いのだろうか。

 私は修行も短く、信仰を導く師としての任務はまったく落第だが、地域づくりの実践を通しての経験を寺院維持と地域振興に生かせる自信はあった。問題は、短大、寺、NPO活動の3本柱をこなすのに忙しく、時間がとれないことだった。そんななか、脳内出血で入院する羽目になったので、短大の専任をやめて樹木葬墓地実現に邁進したのである。

 幸い、檀信徒のなかから協力者もでてきて、事務的なことや墓地整備など私の構想を実現するための諸事を助けてくれた。また、雑誌『SOGI』編集長の碑文谷創氏、エンディングセンター代表の井上治代氏をはじめとして東京在住の方々の支援者がでてきたことも大きかった。碑文谷創氏は約款を作ってくれたし、井上治代氏はエンディングセンター代表として、首都圏のサポート体制を担ってくれることになった。

 マスコミの好意的報道のお陰もあって契約者が380人にもなったので、予定より早く農家の廃屋を利用した会館を今年中に建築することとなった。また、2005(平成17)年4月に使用開始できるように墓地増設を現在申請中である。このようなときに、樹木葬墓地をつくった私の思想を盛り込んで一冊の本にしたらよいのではと井上治代氏から提案があり、三省堂をご紹介いただき出版に結びついたわけである。本をまとめるについてはエンディングセンターの清水玲子氏・井上治代氏、また碑文谷創氏と三省堂・中野園子氏に多大なご協力をいただいた。厚くお礼を申し上げる次第である。

2003年3月

千坂 嵃峰



●樹木葬の風景

埋骨後の供養風景(千坂住職)

埋骨後の供養風景(千坂住職)

回想に浸る遺族

回想に浸る遺族

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