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  大学生のための 文学トレーニング 現代編


大学生のための 文学トレーニング 現代編

浅野 麗・小野祥子・河野龍也・佐藤淳一・山根龍一・山本 良 編著

セット定価 2,500円 A5判・272ページ(テキスト)+ A4判・32ページ(トレーニングシート) 978-4-385-36554-1

「テキスト」と「トレーニングシート」の2分冊スタイルで、文学・批評理論を学ぶ。「夢の中の日常」「卒塔婆小町」「アメリカン・スクール」、「楢山節考」「ゆき女きき書」「セヴンティーン」、「空気頭」「円陣を組む女たち」「兎」等、14の小説と丁寧な解説。役立つ「主要用語索引」付き。

2014年6月30日 発行


*「文学トレーニング 現代編 教師用解説集」(非売品)を、ご採用者でご希望の先生にお送りいたします。下記の申込みフォームに入力の上、ご送信ください。

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はじめに

 この本は、日本近現代文学を学ぶ大学生を対象とした教材集です。既刊『大学生のための文学トレーニング 近代編』の続編にあたります。文学を教室で学ぶことにどのような意義があり、どのような授業を展開すればその意義を高め、学ぶ者の意欲を喚起することができるのか。そのことを問い直し、新たに作り上げたのがこのシリーズです。「学生が参加できる授業作りを」というコンセプトは、『近代編』と同様です。
 本書『現代編』には、太平洋戦争終結後に発表された小説を取り上げました。一九四五年という区切りは、もとより便宜的なものです。あらゆる歴史上の出来事において、たとえそれがどれほどの大改革であっても、その前後に断絶だけでなく、連続性も見出されるのは当然のことです。しかし、多大な犠牲者を出した戦争が敗北に終わり、戦勝国の占領下で、軍国主義の排除、農地改革や財閥解体をはじめとする経済制度改革、新憲法の制定がおし進められ、既成秩序の批判と新しい文化の創造が声高に叫ばれたことを総合的に考えてみれば、この区切りを軽く見積もるのは不当でしょう。こうした状況にどう対峙するのかが、戦後文学運動の大きな主題であり、それをどう転回させるかが次の世代の抜き差しならない問題であったことは否定できません(ただし、〈新戯作派〉とも呼ばれ戦後文壇の寵児となった坂口安吾や太宰治などは、戦前からすでに活動しており、『近代編』に収録したという理由もあって、本書では除外してあります)。

*    *    *

 この本は、以下の3部構成となっています。

  • Section 1 戦後復興期 1945年〜1955年
  • Section 2 戦後文学の転換期 1956年〜1965年
  • Section 3 表現の時代 1966年〜1975年

 一章につき小説一編を取り上げ、発表時代順に配列してあります。1章から順番に読めば戦後文学の変遷が見やすくなりますが、どの章から読んでもかまいません。すべての章で、〈批評理論〉と呼ばれる、テクストを分析するための理論を解説に盛り込んだのも、本書の特徴の一つです。小説を読むのに、こうした理論を用いることには、おそらく批判もあるでしょう。方法は対象に規定されるという側面が、どのような研究にもあるからです。あるテキストには固有の法則や原理が貫いている、だからそれを分析するには固有の方法を生み出し、用いなければならない、という批判には正当性があります。また、批評理論は20世紀末にはすでに下火となっており、すっかりその役割を終えたとする醒めた認識も広がっています。
 しかし本書は、読みに理論をあてはめることを目的としているわけではありませんし、かつて流行した理論を知ることにも研究史の研究として意義がある、などと主張したいわけでもありません。ただ、対象の具象性に寄りかかってしまえば、その研究はそれ以上の広がりを持たず、他の研究と関わり合って相互に深化することができないというのは一つの事実です。普遍性と具象性の矛盾は、永遠の課題なのです。
 それゆえ本書では、各章の解説者が、あくまでもテクストの具体的なあり方に基づきながら、重要な理論的視点を盛り込むことに努めました。批評理論とは、かつて高等教育の主流であった実証主義的方法(『近代編』Section3参照)に対して異議申し立て(=批評)を行うために、一九六〇年代頃から様々に構築、実践された理論のことをいいます。具体的に本書で取り上げたのは、精神分析批評(1、4、7、10、13章)・テクスト理論(2、11、14章)ポストコロニアル批評(3、5、6、8章)・ジェンダー批評(3、4章)・身体論(11章)、そしてカルチュラル・スタディーズ(全章)などです。
 その中でも、本書を読み進めるうえで最も重要なテクスト理論の基本について、ここで説明しておきます。『近代編』でも強調しておいたことですが、これはテクストに向き合う意識に関わることです。
 まず、〈テクスト〉という概念と〈作品〉という概念の違いを理解してください。近代文学の制度において、かつて〈作品〉を統括している存在は、まぎれもなく〈作者〉でした。実証主義的な研究によって〈作者〉の意図を探究すれば、それと一対一で対応する〈作品〉の意味は自ずと明らかになるという考え方があったのです。フランスの批評家ロラン・バルトは、〈作品〉概念と文学研究の制度を次のように批判し、〈作者〉概念に死刑宣告をしました。

 われわれは今や知っているが、テクストとは、一列に並んだ語から成り立ち、唯一のいわば神学的な意味(つまり、「作者=神」の《メッセージ》ということになろう)を出現させるものではない。テクストとは多次元の空間であって、そこではさまざまなエクリチュールが、結びつき、異議をとなえあい、そのどれもが起源となることはない。テクストとは、無数にある文化の中心からやって来た引用の織物である。(ロラン・バルト「作者の死」1968、『物語の構造分析』所収)

図:テクストの多次元空間(エクリチュール、テクスト

 キリスト教神学において、聖書は権威ある正典であり、その言葉は絶対です。聖書とは、霊感によって書き留められた神の言葉を正確に写本として書き継いできたものであり、無謬かつ絶対の存在であるとする聖書信仰が、その根底にあります。〈作者〉を文学〈作品〉の創造主かつ支配者とする考えは、その意味で神学的ですし、同時に〈作者〉が〈作品〉を占有するという意味で、資本主義的でもあります。
 バルトは、文学を硬直化した制度から解放し、読者がそれを読むという行為も、読むことによってテクストに触発され、新たに何かを書き始めるという行為(本書のトレーニングシートのように、です)も、すべてを含む創造的な行為として、文学をとらえ直したのです。

  …この多元性が収斂する場がある。その場とは、これまで述べてきたように、作者ではなく、読者である。(略)読者とは、歴史も、伝記も、心理ももたない人間である。彼はただ、書かれたものを構成している痕跡のすべてを、同じ一つの場に集めておく、あの誰かにすぎない。(略)読者の誕生は、「作者」の死によってあがなわれなければならないのだ。(同前)

 〈読者〉に読まれなければ〈テクスト〉は存在しません。〈テクスト〉をつむぐのは〈読者〉ですが、〈読者〉もまた読む行為によってのみ存在するのです。ここでは、〈テクスト〉の意味(=シニフィエ、14章参照)を、〈作者の言いたかったこと〉に求めることはできません。
 ところで、バルトのテクスト論は、かつてアメリカの大学で流行した「新批評」に似た様相を呈します。しかし、その目指すところは正反対といってよいでしょう。「新批評」が作者(主として詩人)の思想ではなく作品(主として詩)そのものの注視を強調したのは、作者(詩人)のイデオロギーや出自(階級)から作品を裁断しがちなマルクス主義への対抗のためであり、詩の内部を内在的に分析する方法の精緻化とそれを駆使できる知的エリートの養成を目的としていたのに対し、マルクス主義者であったバルトの根底には、いかにも資本主義的な、作品の知的独占や、神学的な読みの一義性への批判があったからです。テクスト論に対しては、恣意的な読みのアナーキーや相対主義的ニヒリズムを免れないといった批判がつきものでしたが、的外れです。シニフィエ(作品の意味や概念)の空無に堪えようとするテクスト論は、いわばニーチェの〈永劫回帰〉と同様、むしろニヒリズムの超克をこそ目指すものです。
 ですから、テクスト論とそれに続く物語学がテクストの自律性を強調したのに対し、その他の批評理論が基本的にコンテクスト(テクストの外部、文脈)を重視することとは、必ずしも矛盾しません。批評理論は、かつての文芸批評や文学研究、作品の意味を作者個人に還元したサント=ブーヴや、人種・環境・時代に還元したイポリット・テーヌの方法とは異なります。20世紀の批評理論が重視したコンテクストとは、総じてミシェル・フーコー(9、12章)のいう、ミクロの権力が網の目のようになったネットワーク、のことなのです。そのネットワークは、私たちひとりひとりの周囲にも張りめぐらされています。批評理論は、テクストを精緻に分析したうえで、そのネットワークとの相互作用へとテクストを開こうとするのです。
 日本の近現代文学研究も、一九八〇年代以降、批評理論の影響を大きく受けてきました。この間に直面した最大の転回点は、研究者の当事者性(positionality)が問われ始めたということでしょう。
 学問というのは客観的でなければならないから、研究対象からは距離をおいていなければならない、すなわち研究者は当事者であってはならないという前提が、かつての研究の世界には厳然と存在していました。しかし、そのような中立性は偽装されたものでしかなく、ミクロの権力関係を隠蔽するものでした。そのことへの反省が、当事者性の問題をあらためて呼び起こしたのです。
 すなわち、おまえは、どのようなまなざしで読み、どこから語っているのか、という問いが、読み語る者にはつねに突きつけられることになったのです。テクストに、あるいは〈作者〉にどれほど寄り添ったとしても、この問いから逃れることは誰にもできません。文学研究においてはしばしば、テクストを読むということは自分を読むということだ、といわれます。それは、まさしく今述べたような意味で、読むという行為を通して明らかになるのは自分自身に他ならない、ということなのです。私たちは、本書を通して、そのような問題が浮かび上がってくることを期待しています。

※1 「ポストコロニアリズム(postcolonialism)」は、狭義には「被植民地が西洋帝国主義による植民地支配から独立した後にも引き続く経済的文化的な被支配状況」を、広義には「植民地帝国主義時代以後の歴史全般」を指す。「ポストコロニアル批評(postcolonial criticism)」は、主として文学テクストを、植民地主義の刻印から解読しようとする批評実践のこと。

※2 「ジェンダー」は「社会的・文化的に構築された性差」のこと。

※3 「カルチュラル・スタディーズ(cultural studies)」は、イギリスの労働者文化研究に端を発する、大衆文化やサブカルチャー、メディアを主たる対象とした、〈文化〉の批評実践。

※4 「永劫回帰」は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの思想で、「私たちの人生の、苦痛も快楽も一切が、無限回にわたり、永遠に繰り返し回帰するのであって、世界には終局としての目的や意味などない」という考え。究極のニヒリズムに見えるが、目的や意味などなくともこの生を生きるに値するものとして生きねばならぬという、生の絶対的な肯定として見れば、ニヒリズム超克の思想であると考えられる。

※5 バルトは、『彼自身によるロラン・バルト』(1975)の中で、「(道徳性という)この用語を彼はニーチェのなかで読んだ」「私の頭はニーチェでいっぱいであった」「いつもニーチェを思う」といい、『テクストの快楽』(1973)がニーチェと「テクスト相互関連性」(intertextuality、2章参照)の関係にあることを明らかにしている(翻訳一九七九年二月、みすず書房、P86・162・228・255)。


 その『テクストの快楽』では、ニーチェ『力への意志』を引用しながら次のように述べていた。

 ニヒリズム。《至高の目的の価値が下落する。》これは不安定な、危機的な瞬間である。なぜなら、最初の価値が破壊されるや否や、いや、それ以前に、他の至高の価値が取って代ろうとするからである。弁証法は連続する肯定性をつなげるだけである。だから、無政府状態にあっても、息がつまるのだ。では、どうやってあらゆる至高の価値の欠如を確立するのか。イロニーによって? それはいつも確かな場所から出発する。暴力によって? それは一つの至高の価値だ。しかも、最もよくコードに組まれている。悦楽によって? その通り。もしそれが教義的といわれなければ。最も首尾一貫したニヒリズムは、おそらく、仮面の下にある。何らかの形で、制度や順応的な言述や目的性の外見の内部に。(翻訳一九七七年四月、みすず書房、P83)

 否定を通して至高の価値を追い求める弁証法は、ニヒリズムの裏返しにすぎない。そうではなく、首尾一貫したニヒリズム、徹底したニヒリズム、ニーチェが「力への意志」と呼んだもの、それこそが、テクストの「悦楽」なのである。テクスト論が、ニーチェの「道徳性」つまり倫理の問題であるゆえんがここにある。



本書の使い方

本書は「テキスト」と、その内容に対応した「トレーニングシート」の二冊からなり、文学理論や文献調査の方法を、具体的な作業を通じて習得できるように工夫されております。一回一作一テーマで全十四章の構成は、大学での講義や演習用に適していますが、個人学習用や名作アンソロジー、鑑賞の手引きとしても幅広く楽しめます。

テキスト

  • 「テキスト」は「本文」「解説」と資料からなります。
  • 「本文」は短編小説の場合、原則、全文掲載しました。長編小説の場合は、抜粋を掲載してあります。
  • 「解説」は「本文」を分析する際のアプローチを紹介したものです。原則としてテーマの解説から対象作の解説へという流れで構成され、理論を具体的な小説分析に応用できるよう配慮されています。
  • 「解説」の中にあるマークは、対応する設問や作業項目が「トレーニングシート」にあることを示しています。ただし、必ずしも「解説」の読解を中断して「トレーニングシート」に取り組む必要はありません。「○章参照」として他の章との関連を示した箇所についても同様に、適宜予習や復習に役立ててください。

トレーニングシート

  • 「トレーニングシート」は「テキスト」の各章に対応した両面シートからなります。一回につき三題程度の設問・作業項目を用意してあります。
  • 本書を授業の教科書として使う場合は、教員の指示にしたがって各問に取り組んでください。
  • 「トレーニングシート」の設問は、文学理論を習得し、本文を分析するための力がつくように設定されたものです。作業を通じて、初読の際には気付かなかった「本文」の奥深い意味を解明していきましょう。
  • 「トレーニングシート」の末尾に、「発展学習」の項目がある回もあります。これはより深く研究するための手びきです。授業によっては、中間レポートや期末レポートの課題として取り組んでもよいでしょう。

本書を教科書として採用してくださる先生方には解説集を提供する予定です。


目  次

001  はじめに / 本書の使い方

Section 1 戦後復興期 1945年〜1955年

010  1 夢と文学 島尾敏雄「夢の中での日常」

025  2 言葉を指示する言葉 三島由紀夫「卒塔婆小町」

038  3 被占領者たちの憂鬱 小島信夫「アメリカン・スクール」

054  4 母であることの罪 円地文子「黝い紫陽花」

Section 2 戦後文学の転換期 1956年〜1965年

076  5 ギターの音響く異郷にて 深沢七郎「楢山節考」

103  6 〈他者〉 を語ることの困難 石牟礼道子「ゆき女きき書」

125  7 政治の季節と性の表現 大江健三郎「セヴンティーン」

149  8 反核・平和を語る言葉 佐多稲子「色のない画」

159  9 性と向き合うこと 野坂昭如「エロ事師たち」

Section 3 表現の時代 1966年〜1975年

174  10 「私」という虚構 藤枝静男「空気頭」

192  11 現象としての身体 古井由吉「円陣を組む女たち」

210  12 〈書かない〉 ことのリアリティ 金井美恵子「兎」

223  13 ファルスの挫折 中上健次「十九歳の地図」

245  14 拒否と反転 開高健「渚にて」

259  主要参考文献一覧

265  主要用語索引



編著者紹介

浅野 麗(あさの うらら)

青山学院大学、亜細亜大学ほか非常勤講師
担当:6章、12章

小野祥子(おの しょうこ)

城北中・高等学校、淑徳大学非常勤講師
担当:4章、14章

河野龍也(こうの たつや)

実践女子大学文学部准教授
担当:2章、10章、11章

佐藤淳一(さとう じゅんいち)

和洋女子大学日本文学文化学類助教
担当:5章、9章

山根龍一(やまね りょういち)

日本大学商学部准教授
担当:3章、8章

山本 良(やまもと りょう)

埼玉大学教育学部准教授
担当:はじめに、1章、7章、13章



凡  例

  • 作品本文の底本については各本文の末尾に、初出の情報とともに記した(初出誌名、掲載年月、底本書名、刊行年月、出版社)。
  • 作品によっては途中を省略し、必要な場合は梗概を書き添えた。また長い作品の場合はその一部を抄録している。
  • 底本にあきらかな誤字脱字がある場合は編著者の判断によって訂正した。
  • 本文の漢字は原則、新字体に改めた。
  • ルビは適宜編著者が付した。
  • 年号表記については、原則、西暦を漢数字で表記し、二回目からは下二桁のみを記した。
     
  • 作品本文および引用文献中に、今日の人権意識に照らして不適切と思われる差別表現や性的表現が用いられているものがある。が、時代を伝える資料としての価値を保持するためにも、また作品が提起する問題の存在自体を隠蔽しないためにも、これらを別の語で置き換えたり、使用部分を回避したりすることは行わなかった。編著者は、文学が暴力や差別について考えるきっかけともなり、これらの問題が再生産されることのないよう切願している。

見本ページ各種

*全てPDFファイルです



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