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狂言を継ぐ 山本東次郎家の教え


狂言を継ぐ 山本東次郎家の教え

原田香織 編著

2,300円 四六判 224頁 978-4-385-36455-1


“乱れて盛んになるよりは、むしろ固く守って滅びよ”──三世、東次郎。一人の人間が名人になるまでの濃密な時間と果てしない稽古。東京大蔵流狂言師、山本東次郎(四世)の父への情愛、今日に伝わる狂言の様式、そして人間の普遍性までを考える書。

まえがき   Preface(まえがき、英文)
目 次   あとがき


2010年6月10日 発行



まえがき

 本書は、大蔵流狂言師山本東次郎の家と伝承について、インタビューと解説文から成り立っている。インタビューは東次郎師に対して行い、聞き手は能楽プロデューサーの笠井賢一氏と筆者である。

 山本東次郎(四世)は、東京大蔵流狂言師として由緒ある家柄の当主である。様式性にすぐれた「型」を伝承する独自の芸風を持つ。東次郎はその華やかな経歴に比して、地道で堅実な活動を続けているため、「知る人ぞ知る」という存在である。

 家を継ぐこと。それは現代社会において一般の我々には想像することさえ難しい。狂言をはじめ、遥かなる過去から現代に受け継がれてゆく古典芸能の継承は、人から人へとなされるため、一見盤石に見えながらも、意外にも危うい要素を持つ。

 芸能というジャンルは本質的にその人気が常に流動的であるし、人気があればあったでつい観客に迎合しがちになり、本道から外れてしまう。また若さや美貌や天性の才能のみで人気に甘え過ぎ、技術が追いつかない場合もある。

 親から子、師から弟子へと口伝で伝承が引き継がれる有様は、舞台という厳密な空間が介在するために困難を極める。また、時代は常に変化し、六〇〇年以上の伝統を誇る能楽でさえも、この先は見えない。「乱れて盛んになるよりは、むしろ固く守って滅びよ」大蔵流宗家虎年の遺志を継いだ三世東次郎は、たとえ滅びようともこうして狂言の本道を死守することを決意した。

 しかしながら、この捨て身の決意こそが、武家式楽の系譜を揺るぎなく繋げることになったのである。山本東次郎家には確かに、家の「教え」があり、「継ぐ」という意識があった。無論、鷺流の如く廃絶した流派(現在は保存会が残る)もあることから、並々ならぬ努力の果てに伝承は支えられていることがわかる。

 父と子が向き合って真剣に稽古を続ける様子。それは親としての深い愛情と信頼の情に縁取られながらも、ときに壮絶でさえあり、互いの精進と忍耐の連続の賜物でもある。この東次郎の自らに厳しく課された生き様は、その知的で抑制された語りと共に読者に多くの勇気を与え、生きる力強さを印象づけるであろう。本物の力がどのような鍛錬を経て培われ、伝統として長く続いていくのか。代々の東次郎が明治維新・関東大震災・第二次世界大戦の危機を乗り越え、現代を迎えたことは、ある種の僥倖ともいえる。

 本書では、式楽の系譜を継いだ百年以上の歴史を持つ山本家の伝統の具体的姿に迫る。ここには、能楽の長い歴史が脈々と流れている。父三世東次郎師の教えが如何にして現代に受け継がれたのか、その片鱗なりとも伝えることが出来れば本書の目的は達成されたといえる。もし理解が及ばなければそれはひとえに筆者の力量不足に他ならない。

Preface(まえがき、英文)

This book consists of an interview with Yamamoto Tojiro IV who is a kyogen actor and a commentary on his family and its tradition. The interviewers are Mr. Kenichi Kasai, a Noh-arts producer, and this author.

Yamamo Tojiro IV is a head of the time-honored Okura-school Kyogen actor family. He has his own original performing style that comes from basic "kata" forms, which are traditional movement patterns. While he has received many awards so far, such as the Medal with Purple Ribbon in 1998 and the Japan Academy of Arts Awards in 2006, he has been making steady efforts in his own modest way.

In modern society, it may be difficult for ordinary people to understand how to succeed to the family of Noh-kyogen. The classical Japanese performing arts, including Kyogen, have been handed down from to person to person through generations, so they have some elements of risk, such as decline or extinction, though they are seemingly firm.

As for the genre of Japanese performing arts, such as kyogen, its popularity is not steady. Some popular performers are apt to suit the audience's tastes and stray from the right path of attaining skills. Others depend on their youth, beauty and their natural talents, moreover, indulge in their popularity. As a result, their skills cannot catch up with high-level performance.

As kyogen has been handed down by word of mouth from father to his son or from master to his pupil, there are some difficulties due to the existence of particular space, that is, a stage. Times are changing, so we will not be able to see the future of Noh-kyogen which has been taken over for more than six hundred years. In this situation, Yamamoto Tojiro III determined to put emphasis on its tradition rather than prosperity even if it is on the verge of crisis.

His such desperate resolution made his family tradition of No-kyogen unwavering. In fact, there are the rules to follow in his family and an awareness that they surely take over the tradition of the family. It is obvious that their extraordinary efforts enable the tradition of Yamamoto Family to succeed ceaselessly, while we find that Sagi-school, one of other schools of Kyogen now extinct.

In this book, we will approach the aspect of the Yamamoto family tradition, in which there is the steady flow of a long history over hundred years. If you could understand even a glimpse of how the teaching of Yamamoto Tojiro III have been handed down to the present family and Yamamoto Tojiro IV, the purpose of this book would be attained. If you could not, it must be just my fault due to lack of capacity.



●目  次

まえがき   1

I 狂言の家に生まれて   9

1 大蔵流山本東次郎家─武家式楽の伝統を継ぐ   10

山本舞台と東京渡辺銀行/杉並能楽堂について

2 山本家代々の熾烈な生き様   21

原点─初世山本東次郎/三世東次郎の誕生/『わらんべ草』の教え/『わらんべ草』の伝統を継ぐ

3 時代の転換期に生まれて─四世東次郎の誕生   38

五歳五月五日の初稽古/小舞『盃』について/初シテ/山本家の跡取りとして/靭猿・伊呂波・痿痺

4 戦時色   51

空襲警報─戦火のなかで/爆撃を逃れての帰宅/昭和二〇年三月一〇日 東京大空襲─死と隣り合わせの稽古

5 学童疎開   60

ラジオの子/雲雀とり

6 終戦後の稽古   63

蝶との出会い/父の蝶への理解

II 継ぐということ   71

1 伝統を守る   72

2 名人の舞台から学ぶ   79

絶句ということ/いい気になるな/人間国宝の方の謙虚さ/規範の存在

3 立合勝負   90

立合勝負─舞歌二曲

4 少年時代の語りの稽古   93

語りの稽古の順番/舞台掃除の大切さ/舞台空間における結界

5 相伝の厳しさ   101

伝える厳しさ─『附子』の稽古/祖父が父にした『狐塚』の稽古

6 一調二機三声   107

7 父が教えてくれたこと   110

日本人としての誇り/子を育てる─父の信条

8 声変わり・腰高のころ   115

声変わりについて/究極の「気をつけ!」/猫のようにひそやかに後ろにまわる父/稽古のための稽古

III 父と子   123

1 『三番三』   124

『三番三』の披き/別火/「狂言風流」

2 迷いと葛藤   135

狂言をやめます!/夕暮れどきの墓参/家の子─科学の眼・狂言の眼/親父の背中─父との絆

3 『宗論』の思い出   142

慢心の戒め/装束をたたむ─全身全霊でたため/けなされることは我慢出来る/おまえはちゃんとした畑になれ

4 いよいよ『釣狐』を披く   149

『釣狐』

5 間狂言   156

順序立てられた間狂言の稽古/山本家における間狂言の位置/型の美しさ/頭から離すな

IV 親父の眼   167

1 見た目と内実   168

名人の芸

2 三世東次郎の間狂言への思い   171

間不要論への対抗/那須の語り/語りの面白さ

3 融通無礙の境地   177

自在な境地/「型」の宝庫─山本家の面白さ/芸の生き死に

4 開眼─粟田口の場合   182

粟田口の場合/アドリブについて/大蔵流茂山家との芸風の違い/無心で演じる─『武悪』の場合/地味な味わいが山本家の正統

5 『花子』   193

『花子』─極重習の稽古/親に最後に殴られた『花子』の稽古

6 三老曲の習いについて   197

三老曲─『庵梅』・『比丘貞』・『枕物狂』

7 老いの境地   202

親父の眼

近代能楽略年表   208

狂言の流派   216

あとがき   218


あとがき

 能楽は思想的には奥深く、日本の古典の宝庫とさえいえるが、古典芸能のなかでも難解といわれ、その鑑賞方法さえわかりにくくなっている。

 能楽のなかの狂言も同様に鑑賞方法においても誤解される向きがある。一方では狂言は「笑いの要素を洗練させた科白劇」という印象が強いためか、観客は、面白おかしい動作を伴う洒脱な写実的な芸を好み、江戸幕府の時代からの伝統でもある様式性の強い美は、「堅い」等といって敬遠する傾向にある。

 しかし、堅さはある意味で一本筋の通った「型」を保存するゆえのものである。型があればこそ、つまり様式美があればこそ、武家社会に取り入れられ、秀吉が能楽を愛し家康も能や狂言をたしなんだ。「型」に入り「型」を出る。その基本の型を重視しているのが山本東次郎家である。型の宝庫といえる。

 

 本書の成立について少しく語れば、東洋大学ではここ数年古典芸能や文化に関する講座に力を入れており、例年菊薫る秋に、新入生教育プログラムとして銕仙会(観世銕之丞家)をお招きして能楽鑑賞教室を開催している。その際配布する冊子に一部掲載するために、銕仙会の笠井賢一氏が窓口になり、出演される役者の方々にインタビューをお願いしており、毎年その道の専門の方でなければ語ることの出来ない多くの貴重な話を賜っている。

 平成二〇年、四世山本東次郎師のインタビューは、実に魅力的であった。それは仕事として無難に話をまとめるという姿勢ではなく、まさに昭和の激動の時代を真摯に生き抜いた人間の魂の奥から響いてくる言葉であり、そこには本物の力があったのである。(失礼があってはいけないが)すこぶる頭の回転は速く舌鋒鋭く、気は細やかで難しくあらゆる才気にあふれている。話は宝物の箱をひとつひとつ開けていくが如くに進み、ときに三時間以上にわたるインタビューは一度では終わらず、四度の長きにわたった。

 筆者は東次郎師の貴重な話を拝聴しながら、ときに心の底から笑い、ときに感動のあまり落涙した。そして、この話の一端なりとも世に知らしめたいという気持ちがわき出た。秘伝などの関係もあるため多くをここには掲載できなかったが、幸いにも無事に一冊の書物としてまとめ上げることが出来た。昭和の時代から平成の今にかけて、強さと美しさと厳しさを兼ね備えた東次郎師の生き様は、日本人にとって喪失された美徳の数々を示唆する。

 本書の刊行に際して、インタビューを快くお引き受けくださり、多くの教えを開示してくださった山本東次郎師と、銕仙会の笠井賢一氏、および諸般のお世話を被った三省堂の編集担当の飛鳥勝幸氏に、心から感謝申し上げる。

平成二二年 弥生 啓蟄の日に

原田 香織