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三陸鉄道 情熱復活物語 笑顔をつなぐ、ずっと・・


三陸鉄道 情熱復活物語 笑顔をつなぐ、ずっと・・

品川雅彦 著

1,500円 四六判 304頁 978-4-385-36584-8

東日本大震災から3年、沿線住民の希望となる三陸鉄道の復活にかけた三鉄社員の汗と涙の物語。大小 317カ所の被害を受ける中、全線再運行までの道がどう開かれていったのか。社員、地域住民、地元自治体とが一丸となり成し遂げた物語。ノンフィクションドラマ風に展開する。

本書のカバーデザイン
目 次   本文からの抜粋   著者紹介

2014年7月8日 発行




本書のカバーデザイン *クリックで拡大

最大被害を受けた『島越駅』の再建完成後をイラスト化 [by オガサワラユウダイ]

カバーデザイン(小)




目   次

はじめに

プロローグ  予 兆

第1章  激 震

第2章  不 屈

第3章  支 援

第4章  光 明

第5章  復 旧

エピローグ  未 来

おわりに


付 録

三陸鉄道からご挨拶/ご支援いただいた皆様へのお礼

これまで、特に3・11以降、三陸鉄道を支えていただいた皆様

写真で振り返る三陸鉄道「東日本大震災からの復興と再開」

三陸鉄道30年史年表


本文からの抜粋

*以下の画像には書籍に掲載されているものと異なるものもあります。



◎ 3月11日 盛駅、運行部 [本書 26頁]

3月11日 盛駅、運行部[本書 26頁]

「津波がくるぞー。逃げろー」
 ビルの外の、どこか高い所から、男性の叫び声が響いた。
 盛川と道路が一本の濁流の川となり、水が粘り気の強いゼリーのようにうねりながら向かってくるのが見えた。軽自動車がゆっくりと回転しながら流されてくる。マイクロバスも重い水流の前にはまったく無抵抗だった。
 電気系統が故障したのか、踏切の甲高い警告音が鳴り止まない。そこに車のクラクションや防犯ブザーの音が絡まり、切迫の度合いを高めていく。不快を通り越して、恐怖に至り、その恐怖を麻痺させようと、脳は感情を持つことを放棄し始める。ビルの前におびただしい数の大小の車が押し流され、ビルをストッパーとして、数台ずつ積み重なっていった。水はビルを取り囲んだ。すでに1階は浸水している。
 出るに出られない。
 南リアス線は、孤立した。運行部は水に囲まれ、運行車両はトンネル内でしばらくなす術を持たなかった。・・・・



◎ 望月が金野に懇願した。「頼む。走らせてくれ」 [本書 70頁]

望月が金野に懇願した。「頼む。走らせてくれ」[本書 70頁]

「素人かプロフェッショナルかの問題ではないんだ。鉄道は動かなければただの鉄の固まりだ。速やかに、部分的にでも復旧させなければ、三鉄不要論も湧いてくるだろう。『どうせ赤字路線なのだから要らない』となったら、三鉄マンが職を失うだけでは済まない。一番困るのは、置き去りにされる沿線の利用者だ。オレたちを待っている人たちがいる。三鉄が動くことを待ち望んでいる人たちがいる。頼む。動かしてくれ」
 望月は頭を下げた。・・・・
 社長から「頼む」と頭を下げられた金野は、その身を投げ打った熱意に言葉を飲み込んだ。
 短い沈黙の数秒が、ふたりの間を横切った。会社の存続、三陸鉄道の運行が意味するメッセージ、沿線住民への愛情。それらは混然となり、どれひとつ欠けても成り立たない。
 暗黙の数秒間に、互いは互いの内なる心を理解した。
「わかりました。16日ですね」
「頼む」・・・・



◎「あまちゃん」が三陸鉄道の救世主となった。 [本書 171頁]

「あまちゃん」が三陸鉄道の救世主となった。[本書 171頁]

 2013年は、東北に希望の光が差した年と位置付けたい。その光は多分に神がかっていた。中でも三陸鉄道にとって最大の光明をもたらしたのは、NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」の大ブレイクだ。〔中略〕
 発端は、2011年の秋だった。
 久慈の運行本部、橋上のもとに、およそこの町ではお目にかかったことがない風体のふたりの男が訪れた。
 ひとりは金髪でモヒカン。もうひとりは長髪を後ろで束ねて結び、金髪モヒカン男の背後でうっすらと笑っていた。両名とも派手な上っ張りを羽織っていた。年齢は40代から50代と見て取れた。
 久慈はもとより三陸沿岸地域で、このようなヘアスタイルならびに出で立ちで闊歩すれば(しかもその推定年齢ならばいっそう)マトモな職業ではないと住民から眉をひそめられ、後ろ指の50本ほどを指されても仕方ない。
「なんなんだ、コヤツラは」
橋上はあまりの胡散臭さに警戒の念を強く抱きながらも、彼らの発したひと言を拠りどころに、丁寧に応対した。
「私たちは東京から参りました。テレビの番組制作に携わっています。現時点では詳しいことは申し上げられませんが、三陸鉄道のスタッフの普段の仕事ぶりを拝見させていただきたい」
 金髪モヒカン男が、居丈高でも低姿勢でもない口調で橋上に言った。長髪束ね男はその背後で笑顔を浮かべたままだ。ふたりとも名刺は差し出さなかった。・・・・



◎ 4月6日。北リアス線もつながった。 [本書 218頁]

4月6日。北リアス線もつながった。[本書 218頁]

 宮古駅前のテントホールでの記念式典は10時45分から開始された。釜石駅前でのセレモニーと同様に、黙とうに始まり、望月の運行再開宣言へと続いた。
 来賓の太田昭宏国土交通大臣、根本匠復興大臣らが祝辞を述べる。達増拓也岩手県知事、山本正徳宮古市長がそれに続く。もちろん、クウェート国大使ご夫妻、藤原紀香氏の姿も壇上にある。夕刻には、久慈市の名誉駅長&副駅長を務めている杉本哲太、荒川良々両氏が三鉄で到着。「あまちゃん」の名コンビは熱狂的な歓迎を受けた。
 宮古駅周辺は日が暮れるまで、長いお祭りだった。
「この日が来るのを待っていた」と地元の人たちは口々に言った。
 すべてのイベントが終わり、望月正彦はポツリと言った。
「さあ、『ここまで』は完了。明日からは『ここから』が始まる。お涙ちょうだいの物語は今日までだ。明日からが勝負の始まりだ」・・・・



◎ ご支援いただいた皆様へのお礼
  (三陸鉄道(株) 代表取締役社長 望月正彦) [本書 248頁]

ご支援いただいた皆様へのお礼(三陸鉄道(株)代表取締役社長 望月正彦)[本書 248頁]

左から望月社長、村上総務課長、菊池総務部長。

 岩手県の沿岸部を走る三鉄。津波を想定したルート、構造になっていた。しかし、東日本大震災の被害は甚大だった。頑丈な築堤は破壊された。島越駅は、跡形もなく流出していた。流出した線路は約6キロメートル、被災箇所は317カ所に上った。
 震災直後、本社のある宮古市内は全域停電となった。小雪の舞う暗い、寒い夜。宮古駅に停車していた車両内が「災害対策本部」になった。三鉄の車両は気動車である。エンジンをかけると、明かりと暖房が確保できた。
 その中で私は考え続けた。三鉄の被害は甚大、復旧には莫大な経費が必要。しかも平成6年以降赤字が続いている。そんな状況の中で「果たして三鉄は必要なのか?」と……。
 震災の2日後に出した答えは「必要」だった。震災直後に、実際に被災の現場を見て回り、田老駅付近では人々が線路を通路替わりに歩いているのを見た。島越では消防団員から「三鉄はいつから動き出すんだ?」と聞かれた。多くの方が、三鉄の復活を待ち望んでいるのを感じた。
 3月13日の夜、幹部を招集して部分復旧優先の指示を出した。その時点では明確なビジョンがあったわけではない。ただ、できることをやろう、ベストを尽くそうという思いだった。・・・・



著者紹介

品川 雅彦(しながわ まさひこ)

1960(昭和35)年、大分県別府市生まれ。東京品川文案所 コピーライター。
著書に『超熟 ヒットの理由』(幻冬舍メディアコンサルティング)、『ニッポン 麺の細道 つるつるたどれば、そこに愛あり文化あり』(静山社)



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