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ジャーナリズムの行方


ジャーナリズムの行方

山田健太 著

2,200円 四六判 304頁 978-4-385-36537-4

テレビや活字媒体に期待されてきたジャーナリズム性とは何か、マスメディアの存在価値や社会的役割とは何か。豊富な事例・資料をもとに検証し、“伝統ジャーナリズム”の行方を問う、待望の書!

あとがき   著者略歴   目 次
見本ページ

2011年8月10日 発行



あとがき

 僕は新聞・雑誌・書籍・テレビ・ラジオが好きだ。否、大好きだ。だからこそ、けっして「いま」の誌紙面や番組で満足はしない。もっと真相に迫るものを、とことん面白いものを期待する。そしてそのために、お節介であることを承知のうえで多少なりとも僕ができることといえば、そうした自由で多様なメディア活動を邪魔する輩を追い払うことだ。もちろん、政府をはじめとする公権力による表現の自由に対する攻撃は絶対に許されないが、憲法にもはっきりと書いてある「言論、出版その他一切の表現の自由」を正面から規制しようとすることは、この時代にはそうお目見えすることはない。むしろ一般市民の「空気」を読んで、ジワジワあるいはこっそり、時にはさも当然のような顔をしてやってくるから厄介である。

 その結果、雑誌はけしからん、テレビはくだらない、新聞は役に立たない、などとそれぞれのメディアは批判の対象となり、それに政府や政治家が乗じてメディア活動の制約が正当化されることが少なくない。マスメディアは百害あって一利なしだ、ネットさえあれば生活に必要な情報は事足りるとして、マスメディアに退場を促す声もやまない。そうこうしているうちに、同様な声はメディア内部でも挙がってくる。「いちいち面倒だから、それでいいことにしとこうよ」。その結果、何がいいのかわからないまま、自らの活動の幅はどんどん狭まっているのである。

 そして気がつくと、マスメディアは時代の変化に適応できない守旧派としてレッテルを貼られ、「過去の遺物」として世間から見捨てられることとなり、ますます社会の主役の座から遠ざかっている現状がある。このままの事態が続けば、間違いなくあと何年かで、このうちのメディアのいくつかは、事実上消滅するか、社会的機能を有しない同窓会メディアになってしまうだろう。  本当にそれでいいのか。社会に「マスメディア」は必要ないのか、マスメディアなしに責任ある「ジャーナリズム」は成立するのか、ジャーナリズムが存在しない「民主社会」はありうるのか。その危機感が本書の原点であり、このあまりにも単純な書生論を基本に据えて、いまの日本の社会においてマスメディアを構成する、出版・新聞・放送の三つの伝統的なメディアにエールを贈ることにした。

 とりわけ一九九〇年代後半以降、政治も経済も市場至上主義に席巻された。それは当然、メディアの世界にも入り込む。通信との融合論議に投げ込まれた放送メディアはもちろん、活字メディアも同様であった。ジャーナリズム活動が「産業化」し、効率性や収益性が最優先される中で、その「副作用」として公共性や公益性はついつい二の次になる場面が増えていった。その結果生じた問題が、まさに本書で扱った事案の一つひとつであるといえよう。

 まったくの偶然であるが、ほぼ同時期に、この三つのメディアをある程度客観的に見つめ直す機会を得ることができた。〈放送〉に関しては、BPO放送人権委員会の活動を通じてであり、〈出版〉に関しては、講談社の『僕はパパを殺すことに決めた』にかかわる調査委員会メンバーとしてであり、〈新聞〉に関しては、新聞労連検証会議の作業によってであった。いずれも、いわゆる第三者的見地から、それぞれのジャーナリズムの問題を正面から考えることを要求するものであったからだ。

 もちろん、日々生じている問題は本書で扱った問題にとどまるものではない。さらに、問題解決には、ジャーナリズムの現場の問題というよりも、法・社会制度の問題として扱うべきテーマも少なくない。表現の自由にかかわる事案の場合は、ことさらにそうした傾向が強くなることも事実だ。しかし本書では、そうした側面を考慮に入れつつも、あくまでも「ジャーナリズム」の問題として、三つのマスメディアのありようを問うてみた。それは、法があるからではなく、社会の合意によって、言い換えれば市民が求めるからこそ、マスメディアが存在するという点を確認したかったからである。

 今回の3・11東日本大震災は、日本にとって、明治維新、敗戦に次ぐ、歴史の節目になるとの見方が強い。僕自身にとって前二者とは比較のしようがないわけであるが、実際に現地に行き想像を超える現実を目の前にすると、そうした見方に思わず頷くほどの衝撃を受けることになった。しかも、専修大学に勤務する身として、この震災に正面から向き合うことが求められている。なぜなら、大学校舎が被災によって大きなダメージを受けたほか、多くの東北出身学生を抱え、さらに同一法人として石巻専修大学を有し、いままさに石巻復旧・復興の拠点として活動中であるからだ。

 そして、この震災に向き合えば向き合うほど、民主制をきちんと維持・発展させることの必要性を感じる。頼りになるのは国ではなく、そこに住む住民そしてそれを支える多くの市民であることを知るからである。そしてそのためには、正しい情報をもとに十分な議論が必要だ。そこで必要なのが本書のキーワードのひとつである「言論公共空間」ということになる。震災においてインターネットメディアの目覚しい活躍があったことはいうまでもない。しかし同時に、議論の場を提供する伝統メディアのありようと存在意義が、改めて確認される機会でもあった。

 まさにいま、原発事故の真相究明や復旧・復興のための政策提言などで、ジャーナリズムの課題が噴出している。同時に、政府や東電の情報隠し等の追及は、ジャーナリズムの存在意義そのものである。改めて問われているのは、何のための誰のためのジャーナリズムかということだ。そこではまさに、自由で闊達しかも自らの発言に責任を有する言論報道活動の存在が必要とされているのであり、その主要な担い手は伝統メディアたる、新聞・放送・出版であるとの思いを改めて強くするのである。

 その一方で、利益追求に走りモラルの頽廃を招いているマスメディアには、市民的視点からみて強い憤りを禁じえない。だからこそ余計に、ジャーナリズムがきちんと成立をしていることが必要なのである。本書のなかで、伝統的なマスメディアを「伝統メディア」と呼んでいる。これらのメディアがかたち作る言論報道活動である「伝統ジャーナリズム」こそが、「震災後」の日本の社会を考え、具体的行動につなげるための大きな力になることと信じる。

 最後に、そうした強い思いを受け止め、出版を快くお引き受けいただいたうえ、編集の最終段階で起きた震災をもって、大幅な原稿の追加と修正を認めていただいた、三省堂の出版局部長、飛鳥勝幸氏には心からのお礼を申し上げたい。その尽力に多少でも報いるためにも、本書が、震災後の伝統メディア・伝統ジャーナリズムのありようを考える素材を、少しでも提供できていることを願う。

2011年5月

山田 健太




著者略歴

山田 健太(やまだ・けんた)

1959年、京都市生まれ。専修大学文学部人文・ジャーナリズム学科准教授。専門は言論法、ジャーナリズム論。日本ペンクラブ・言論表現委員会委員長、放送倫理・番組向上機構(BPO)放送人権委員会委員、日本出版学会理事・国際交流委員会委員長、社団法人自由人権協会理事、放送批評懇談会理事ほか。法政大学、早稲田大学大学院などで教えるほか、毎日新聞、琉球新報などで連載中。
近著に『法とジャーナリズム 第2版』(学陽書房)、『放送法を読みとく』(商事法務、共編)、『よくわかるメディア法』(ミネルヴァ書房、共編)、『新版 マス・コミュニケーション概論』(学陽書房、共著)など。




●目  次

序 章 なぜいま「マスメディア」なのか

(1)震災報道における伝統メディアの力/(2)日本は世界でも希有なマスメディア社会/(3)メディアの公共性と制度的保障

第一章 放送ジャーナリズムの行方

I ニュースとエンタメの狭間

(1)どのような報道番組があるのか/(2)報道系と情報系の違い/(3)わかりやすさの追求と信頼性確保/(4)視聴率とエンタメ化

II 番組と広告の境界線

(1)テレビショッピング番組の量的問題/(2)テレビショッピング番組の質的問題/(3)民放連方針の概要/(4)法の関与の問題性/(5)広告の質的基準強化が課題

III これからの「放送」のかたち

(1)言論公共空間をいかに維持するか/(2)公共放送は公共メディア足りうるか/(3)日本型「放送の自由」モデルの必要性

第二章 新聞ジャーナリズムの行方

I 「新聞」の現在位置

(1)新聞のかたち/(2)新聞市場の動向/(3)新聞経営の構造的特徴

II メディアとしての新聞社とジャーナリズムとしての新聞

(1)日本の新聞の商品特性/(2)日本の新聞の変化トレンド/(3)新聞を取り巻く環境の変化

III 公共メディアとしての新聞の未来

(1)三つの行き過ぎ/(2)社会における言論・報道機関の法制度的位置づけ/(3)守るべき新聞特性の見極め/(4)ジャーナリズム強化のための新聞経営

第三章 出版ジャーナリズムの行方

I 瀕死の雑誌ジャーナリズム

(1)やんちゃ性ゆえの苦悩/(2)公権力の「情報コントロール」を受け入れる空気/(3)ジャーナリストにとって難しい時代

II エディターシップとは何か

(1)『僕パパ』本をめぐる問題の所在/(2)事件の経緯と調査報告書の中身/(3)公権力介入の問題

III 編集・報道の自由と経営者責任

(1)社長に求められる責任/(2)編集権の独立/(3)出版業におけるコンプライアンスの意味

終 章 言論公共空間をいかに維持発展させるか

I ジャーナリズムの行方

(1)検察と報道/(2)世論と報道/(3)国益と報道

II デジタルがもたらす知の公共空間

(1)グーグル的世界の意味/(2)出版デジタル化による「知の解放」/(3)フェアユースは「みんなのため」なのか/(4)知の解放化が招く「知の空洞」

《附録》新聞労連検証会議報告書(抄録)

あとがき

主要事項索引


見本ページ

*PDFファイルです



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