俳句の鑑賞は個々の句を読むことが基本です。作者の名はあまり重要ではありません。「遠山に日の当りたる枯野かな 虚子」という十七音の言葉の塊を覚えていれば、作者を忘れても、この句を味わうことができます。
しかし、句集という形で同じ俳人の作品をまとめて読むと、一句だけの鑑賞では味わえない俳句の面白さが見えて来ます。(中略)
句集は俳人の個展です。題材や表現の傾向、作風の特徴や変化、俳人の人生や境涯を反映した軌跡です。句集は、俳句と人生とが一体化した俳人の「生き方」そのものです。
本書は、句集の鑑賞を通じて「生き方としての俳句」について考えていきます。
(中略)
俳句は日常の詩です。俳句は「宇宙の日常」を、客観的かつ断片的に描写する詩です。俳句には、日常へ日常へと回帰する磁力が働いています。
屈折なしに、自然のままに、ただ透明に描く客観写生とは、日常へ回帰する磁力に逆らわないような俳句の書き方です。季題を描き、季題のある情景を描くことによって「非日常の日常化」「日常への回帰」を促す俳句の書き方です。
そのような俳句の書き方を通じてナマの狂気は制御され、凝縮され、一句に結晶します。
「生き方としての俳句」とは、そのようなものだと、私は理解しています。
第一部 句集とは何か
はじめに 生き方としての俳句 日常への回帰──客観写生の心理 句集の成り立ち
第二部 句集鑑賞
一 俳魔──俳句に人生を賭けた人々
西山泊雲 岡本松浜 鈴木花蓑 長谷川零余子 野見山朱鳥 上野泰 湯浅桃邑 上村占魚
二 無常と向き合う──境涯と人間の写生
河野静雲 高野素十 後藤夜半 森川暁水 星野立子 京極杞陽 高木晴子 杉本零
三 早世の俳人たち
原月舟 松藤夏山 島村元 芝不器男 高橋馬相
四 無個性の美学──日常への回帰
清原枴童 野村泊月 池内たけし 平松措大 五十嵐播水 高浜年尾 木村蕪城 清崎敏郎
五 求道者──写生のわざを極める
軽部烏頭子 大橋桜坡子 岡田耿陽 皆吉爽雨 福田蓼汀 橋本鶏二 波多野爽波