漢字は、今から三千年以上も前に、中国大陸の地で生まれた。余りにも古いことなので、蒼頡という四つの目を持つ不思議な人が生み出したという説話も生まれたくらいだ。かつては伝説とされた殷王朝の時代に亀の甲羅や牛の骨に甲骨文字が刻まれて以来、中国では近現代になるまで漢字は造られ続けてきた。
漢字を見つめると、どうしてこのように書くのかがうかがえるものがある。「木」「山」「川」「日」は、分かりやすい。なぜそれらの字体が「ボク」「サン」「セン」「ニチ」と読むのかまで知りたくなってくる。さらに、「白」「赤」「黒」「青」「緑」などは、なぜこのような形で色の意味を表すのかも気にかかってくることだろう。
一つ一つの漢字は、造られた当時、何らかの意図をもってその形が定められたに違いない。形によって作られた象形文字は素朴である。中国で昔、mukというような発音で呼ばれた植物(英語で言えばwood)を

と象ったのだ。
具体的で基本的なことばにはそのように字を造っていくことができる。しかし抽象的な概念を持つことばとなると工夫がいる。それを図形で表したのが指事文字である。「木」のこずえの部分にマーク(一)を入れて

(末)とする。一方、その根もとにマークを入れて

(本)とした。今でも、「本末転倒」ときちんと対をなす。
森羅万象を表現するために単語は限りなく増えていく。それに対応するためには、素朴な造字法だけでは足りない。単体の字を組み合わせ始めた。「木」を二つ合わせて「林」とするのが、意味を合わせた会意文字である。それらは、古代人の物事の見方、捉え方を反映している。水浴びをするという意味を持つmukということばを表すためには、さらなる方法が試みられた。発音を表すために「木」を借りてくる。「wood」という意味をここで消し去るのだ。「水」と「木」とを合わせた「沐」は、発音も示す形声文字である(「沐浴」の一字目)。こうして漢字の造字法は四種類になった。
それらの漢字によって、実際の数多くのことばを書き表そうとするときには、柔軟に応用を加える必要があった。漢字のもつ意味や発音に基づいて、ある漢字を別の漢字と通わせるようになる。転注と仮借という二つの使用法である。こうして六書とよばれる漢字の造字・応用方法が揃った。さらに種々の細かな方法を創造しながら、漢字は複雑な歴史を歩みつづけてきた。
こうして発展した漢字は、日本には五世紀頃に中国から、ときに朝鮮半島を経由して、本格的に伝来しはじめる。「木」という字では、当時の中国での「モク」「ボク」というような発音を聴き取って、これらを音読みとした。さらに、自分たちの暮らしの中で使ってきた和語つまり「やまとことば」の「き」が、それに対応する意味を持つことに気付き、これを訓読みとした。「末」は「すえ」、「林」は「はやし」と訓読みの手法を定着させながら、ついにそれを利用して日本語の文章も書き表そうとする。そのために、さらに応用を重ねる必要が生じた。日本で神事に用いる木「さかき」には新しく「榊」と書くというように造字までなされ、それも国字として親しまれていく。そこには日本の消化力と独自の工夫が見られる。
ことばや文字の起源は、古代のことなので証拠が残っていないことが多い。字源や解字と呼ばれる字の成り立ちを記した辞書は、中国では千九百年も前に許慎によって『説文解字』が編纂されているが、今に至るまで個々の字の字源は諸説紛々である。どの残存資料を重視するか、古代社会をいかに捉えるかといった立場や解釈の違いが一因となって、簡単な「白」でも、どんぐり、親指、髑髏、米粒、豚の皮など、象形文字だと言っても日中で定説を見ない。それは、個々の漢字の本来の字形だけでなく、その大元の発音や意味も明確ではないためである。
本書は、そうした研究の状況を踏まえ、漢字の成り立ちや単語との関わりについて、朝日新聞校閲センターの前田安正氏、桑田真氏のお二人が楽しく記した連載に基づく。日本人が漢字に抱いてきた情感も盛り込まれている。単行本化に当たって、大いに加筆された。軽妙な対話を通して、移り変わる漢字やことばについて考えていただけると幸いである。
笹原宏之
第一章 春
やま里の春のあるじを人とはば おのがたづぬる花とこたへよ(慈円) 9
四月
美 大きな羊「あんたは偉い!」…………………… 10
抱 この腕にそっと包みこんで …………………… 12
父 オノを担いで一族を統率 …………………… 14
母 命を与える大事なテン …………………… 16
ローマ字に音をゆだねる …………………… 18
不 飛ぶ鳥にあらず、ガクーッ …………………… 20
諦 よく見て本質を見極めて …………………… 22
廿 十が二つ並んでひと文字に …………………… 24
晃 日光を一字に詰め込み中国風 …………………… 26
五月
忙 心ここにあらず、ボー然 …………………… 28
仕 「す」が「し」になり、「し」が …………………… 30
着 長年連れ添えば、姿も変わる …………………… 32
豊 マメの器に実りがいっぱい …………………… 34
活 勢い、流れる水のごとし …………………… 36
保 産着に包んで守ってあげる …………………… 38
脇 同じ根から違う実がなる …………………… 40
鞭 厳しくパシッと指導して …………………… 42
親 木の上に立って何を見る? …………………… 44
六月
申 稲妻がたけり天空を走る …………………… 46
策 竹のムチにはトゲがある? …………………… 48
鮨 始まりは「うまい」保存食? …………………… 50
蛯 長寿の願い残して中国風 …………………… 52
明 窓辺に浮かぶ白き月影 …………………… 54
院 かたい塀に囲まれた場所 …………………… 56
爽 さわやかに?バッテン四つ …………………… 58
県 逆さづりの不幸な歴史 …………………… 60
杯 なみなみ満たし飲み干そう …………………… 62
コラム⑴ 常用漢字って? @ …………………… 64
第二章 夏
夏あさきあをばの山の朝ぼらけ 花にかをりし春ぞわすれぬ(藤原為子) 65
七月
贔 重荷を一人?で引き受けて …………………… 66
維 リズム整え、いい感じ …………………… 68
道 首をぶら下げてお清め? …………………… 70
人 支え合うのは大切だけど …………………… 72
涙 目から連なり落ちるもの …………………… 74
民 痛っ!針で目を刺すなんて …………………… 76
芸 「げい」には「うん」も必要さ …………………… 78
勢 ぐんぐん伸びる草木の力 …………………… 80
八月
雷 大地を震わし落ちてくる …………………… 82
綺 美しい衣装を身にまとい …………………… 84
球 グラウンドに輝く白い宝石 …………………… 86
税 穀物の一部で年貢納める …………………… 88
謝 気持ちを表し、変幻自在 …………………… 90
魅 これぞ、もののけの魔力 …………………… 92
龍四匹集まり井戸端会議 …………………… 94
分 解とは昔なじみなんです …………………… 96
男 筋肉系というより管理系? …………………… 98
九月
御 馬も人も、思い通りに …………………… 100
崖 岸や汀も「かけ」だった …………………… 102
形と音があるのに「義未詳」 …………………… 104
暑 燃えさかるたき火のように …………………… 106
台 元をただせば英語だった …………………… 108
量 はかり知れない使い分け …………………… 110
令 妻の言うことは絶対だ! …………………… 112
コラム⑵ 常用漢字って? A …………………… 114
第三章 秋
さえのぼる月の光にことそひて 秋の色なる星合の空(藤原定家) 115
十月
食 器に盛られたおいしい食材 …………………… 116
静 部首が読みも示す個性派 …………………… 118
特 大きくて立派なオスの牛 …………………… 120
図 田畑を囲んで境界を描く …………………… 122
家 屋根の下、みんなが集まる …………………… 124
寺 役所に泊まった西国の僧 …………………… 126
話 時代と場所で異なる発音 …………………… 128
辞 もつれた糸を解きほぐす …………………… 130
風 鳳と竜の行き着く先は? …………………… 132
十一月
装 食事も見栄えが大事です …………………… 134
陀 ヘビのようにクネクネと …………………… 136
察 神意伺い、真相を明らかに …………………… 138
常 「尚」が読みの決め手なんです …………………… 140
尊 愛すべき?ビア樽おやじ …………………… 142
練 悪に染まらず灰汁で真っ白 …………………… 144
池 あふれた水がたまる場所 …………………… 146
料 ますの中の米を「はかる」 …………………… 148
宿 家の中、敷物の上で一眠り …………………… 150
十二月
師 大集団のとりまとめ役 …………………… 152
貼 のりを使ってぺったりと …………………… 154
幸 生きてゆくのは大変だから …………………… 156
腐 くさってばかり、いられない …………………… 158
街 道ができ、店や人が集まる …………………… 160
聖 清濁併せのむ度量こそが… …………………… 162
祈 福を求め、目指すところに …………………… 164
コラム⑶ 音読みと訓読みって? …………………… 166
第四章 冬
雪降れば冬ごもりせる草も木も 春にしられぬ花ぞさきける(紀貫之) 167
一月
初 衣類をつくる、その第一歩 …………………… 168
雅 気品ある?カラスの鳴き声 …………………… 170
願 大きな頭で「おもうなり」 …………………… 172
豆 えっ、言葉を表す漢字がない!? …………………… 174
銘 名前や功績、金属に残す …………………… 176
旬 十日で区切って、一回り …………………… 178
先 頭より足先が前に出てます …………………… 180
後 ゆっくり歩いていきます …………………… 182
二月
適 一つにまとめ、まっすぐいく …………………… 184
節 竹の札に記した決まり事 …………………… 186
雪 ほうきで奇麗に掃き清め …………………… 188
報 「仕返し」に罰を与える …………………… 190
演 長〜い流れに身をまかせ …………………… 192
索 縄をなって、たぐり寄せ …………………… 194
長 尊敬される?長髪のお年寄り …………………… 196
三月
関 門に横棒さして通せんぼ …………………… 198
発 矢を放つ瞬間の「パッ!」 …………………… 200
巻 クルッとまいて保管する …………………… 202
検 集めてまとめて封をして …………………… 204
切 ぴたりと寄り添う感覚? …………………… 206
凸 よく記号に間違えられます …………………… 208
君 神の意を伝え人々を治める …………………… 210
餃 「うまさ」を伝えた方言 …………………… 212
極 駐車場に今も残る約束事 …………………… 214
おわりに …………………… 216
主な参考文献 …………………… 219
索引 …………………… (巻末)ii