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  がん患者大集会 [全国]患者・家族のメッセージ


がん患者大集会 [全国]患者・家族のメッセージ

がん患者団体支援機構 編  (品切)

1,500円 四六 232頁 978-4-385-36339-4

毎年、数千人のがんの患者が集い、よりよいがん医療を考える「がん患者大集会」へ寄せられた全国のがんの患者と家族からの体験とメッセージ集! 「愛する家族への手紙」「わたしが救われたあなたの言葉」ほか。

2008年 1月30日 発行





●目  次

 はじめに     NPO法人 がん患者団体支援機構 理事長 俵萠子  1

第1章 愛する家族への手紙

孝史へ                     山本ゆき(50代)  6
あの時の父に会って、いろいろ話せたら      児玉徳子(40代)  8
負けるな! おばあちゃん!            松本亮太(10代) 10
寝ちゃったりしてごめん             皿海英幸(50代) 12
桜を見てから死にたい 大阪市大病院がん患者サポートの会 ぎんなん 辻恵美子(60代) 14
白血病の弟、紳一郎へ              古賀眞美(40代)  16
家族として、できることはなんでしょう?       巽花子(40代)  20
今を生きる祖父の想い 大阪市立大学医学部3年    中橋達(20代)  22
娘・千香ちゃんからの手紙です         篠田久美子(50代)  24
あの日のやりとりを覚えていますか?  新聞記者 高橋美佐子(30代)  28
がんのおかげで心豊かに人生充実   生きがい療法実践会 高安正明(80代) 32
ありがとう娘たち、あの頃もそして今も  NPO法人 ブーゲンビリア 江間もと(60代) 36
僕のお母さん 頑張れ               井上貴善(20代) 38
天国のばあさんへ                 武末文男(40代) 40
いつも健康のことを考えてくれて、本当にありがとう
             NPO法人 ブーゲンビリア 井上誠二(60代) 42
母への「感謝」のメール  NPO法人 HLA研究所/淳彦基金を育てる会 勝木敬子(50代) 44
いつも遠い空から見守っています            亜紀(20代) 48
土佐の高知の患者会 高知がん患者会    一喜会 安岡佑莉子(50代) 52
乳がんと私 ― 次男がくれた置き手紙  山梨まんまくらぶ 東海林美佐子(40代)54
主役はわたし             患者の集い・モミの木 相田淳子(40代) 58
「エイリアンみたいやなあ」と、夫             本山こな(30代) 60
今度は私が、できるだけの事はしていきたい  がんを語る有志の会 和田弘(60代) 62

第2章 わたしが救われたあなたの言葉

あと少しで未来がしっかりと、
       未来として存在するようになるんだから、がんばって 西川望(30代) 66
大丈夫ですよ、私も乳がんで手術をしたんですよ 乳腺疾患患者の会 のぞみの会 浜中和子(50代) 68
最高齢の友人の言葉           新聞記者 上野創(30代) 70
ネットの向こうのたくさんの言葉
  千葉がんセンター 患者相談支援センター相談員 支えあう会「α」 野田真由美(40代) 72
だいじょうぶだよ               村上忠士(60代) 74
嵐が過ぎるのを、身を低くして過ごしたらいいですよ   貞広満里枝(60代) 76
胸を張ってごらん。その方があなたらしいよ  NPO法人 ブーゲンビリア 大澤洋見(50代) 78
一緒に戦おう      NPO法人 ブーゲンビリア 谷本邦子(40代) 80
希望を持って楽しく生きよ             T・M(60代) 84
メメントモリと私がよければそれでいいのよ  山梨まんまくらぶ 若尾直子(50代) 88
乳房が失くなっても、自分の気持ちは変わらないから  NPO法人 ブーゲンビリア 藤田三鈴(50代) 92
君は自分の事だけを考えて!            U・N(50代) 94
全てを支えてあげるから  NPO法人 ブーゲンビリア 井上清美(60代) 96
やっぱり、私は生きていたい がん   心のケアの会 毛利祐子(60代) 98
あのころが一番幸せやった            中井政友(40代) 100
がんの痛みの向こうに Joy is pray, Joy is love, Joy is power.
  岩手にホスピス設置を願う会/盛岡・マニラ育英会理事 伊藤よし子(50代) 102
お母さんの病気は、私達一家を幸せの方向に導いたの NPO法人 ブーゲンビリア 串間弘子(60代) 108
いつも笑っているお母さんが大好きだから  NPO法人 ブーゲンビリア 後藤キヌヨ(50代) 110
〈からっぽ〉 患者の集い・モミの木        藤原義久(60代) 112
「今なら間に合います、とちおさん!        栃尾惇(60代) 114
昔は兵隊さんになると死と隣りあわせの世界に…  中尾善嗣(50代) 116
ありがとうの心 乳腺疾患患者の会 のぞみの会    藤本久枝(60代) 118
口にしない言葉      NPO法人 ブーゲンビリア 師田英道(60代) 122
私の自慢のドクター    山梨まんまくらぶ 佐野久美(60代) 124

第3章 患者の願い

病院から家に帰れば 〜患者も家族も視点が変わる〜
                  エッセイスト 吉田利康(50代) 128
遺族の心のケアも視点に       青空の会 池田功夫(60代) 130
再発・転移しても楽しい人生を! あけぼの千葉 緒方知子(60代) 132
ありがとう。そしてこれからもよろしく  がんを語る有志の会 山田美恵(60代)138
22歳の胃がん宣告から8年           中島英子(20代) 140
夫は心の中に            どんぐりの会 椚計子(70代) 146
外来待合室で  大阪市大病院がん患者サポートの会 ぎんなん 辻恵美子(60代) 148
妊娠と乳がん闘病の記      あけぼの千葉 長井由里子(40代) 150
31年間の乳がん体験記         ソレイユ 中村道子(70代) 158
社会的資源としての患者団体  青空の会(どんぐりの会 遺族分科会)/がん患者団体支援機構
                               中野貞彦(60代) 160
がんとは、ずっと共だち        ソレイユ 伊藤夕紀子(40代) 162
院内患者会を立ち上げて       オリーブの会 中山陽子(50代) 168
乳がんと肺がんを体験して      ソレイユ 土田幸子(70代) 172
先生。ちゃんと十分に骨髄液は取れましたか? 東京日立病院内科 神田橋宏治 (40代) 176
今日も私は成長しています  昭和大学医学部 医学教育推進室 専任講師 高宮有介(50代) 180
笑顔も涙もおもいっきりを合言葉に  NPO法人 ブーゲンビリア 内田絵子 (50代) 182
短歌                ソレイユ 田熊正子(70代) 184
リレー・フォー・ライフ
  仲間達の言葉「命のリレー」(がん患者支援プロジェクト)より   188

第3回がん患者大集会を終えて
   第3回がん患者大集会実行委員会会長 NPO法人がん患者団体支援機構 事務局長 浜中和子 196

「がん患者インターネット大集会」を始めるに至った経緯について
   がん患者インターネット大集会実行委員会 東京大学医療政策人材養成講座第三期生   武末文男 206

NPO法人 がん患者団体支援機構の紹介  NPO法人 がん患者団体支援機構 副理事長   中野貞彦 212

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●はじめに

 暑い日でした。北海道から、沖縄から。杖をつく人、車椅子の人、それを押す人。若い人、高齢者……。広島のホテルも、宿泊客で満員になっていました。

 この光景を見るのは、3回目です。

 3回目の2007年夏、がん患者大集会 広島大会も、2000人が集まりました。

 集まる人は、ほとんどががん患者か、その家族です。集める私たち(主催者であるNPO法人 がん患者団体支援機構)も同じ、がん患者かその家族なのです。

 日本の歴史の中で、こういう光景は、間違いなく、これが3回目です。2年前、1年前、そして2007年8月26日の3回です。集まる人も、集める人も、みんな自腹でした。1円の報酬もなく、貯金をおろして、この会を開き、そして集まりました。それを助けてくれたのが、多くの企業と、応援してくださる個人の寄付でした。

 がん患者自身が、あるいはがん患者を抱え、それでなくても大変な家族が、こうしてコトを起こさなければならないこと。それは一体、いいことなのか、悪いことなのか。私にはわかりません。

 わからないけれど、私たちは、そうせざるを得ませんでした。歯を喰いしばって、3年続けて「がん患者大集会」を開いたのです。そして、来年も開こうと思っています。その次の年も、その次も。もう開かなくてもいい日本になるまで、私たちは、歯を喰いしばり続けるでしょう。

 私たちの後には、がんで亡くなった数え切れない仲間がいます。この集会に、来たくても、来られない大勢の仲間がいます。その人たちのためにも、私たちは歯を喰いしばらなくてはならないのです。

 第1回と第2回は、がん患者のために、もっと役立つ情報が欲しいと訴えました。第3回目は、「痛いのだけはいやだ。がんの痛みを、なんとか制御してとってほしい」と訴えました。そのために医師や看護師に、もっと勉強してもらいたい。そのための体制を、病院や自宅に作ってほしいと訴えたのです(この本の最後(201ページ)に、政府や行政に訴えた私たちのアピール文が載っています。ご覧下さい)。

 やっぱり、残念ながら、当事者が声をあげないと、ダメみたいなのです。

 私たちや私たちの先輩が、声をあげ、行動に起こしはじめてから、ほんの少し、日本のがん対策行政が動きました。嬉しいきざしです。まず、がんの法律(「がん対策基本法」)ができましたし、厚労省の中に「がん対策推進室」ができましたし、私たちの大集会に、厚労大臣も来て下さるようになりました。

 がんの仲間の皆さん。もうちょっと頑張りましょう。もうしばらく、私たちを応援してください。まず、最初に、私たちを応援してくださる方や、出版社が集めてくださった仲間の声をお届けします。

 大集会に来られなかった全国の仲間の皆さん。ぜひ、この声を聞いてください。つぎに、医師をはじめ、医療従事者に。そして最後に、政治家や役所の皆さまもぜひ、この本を手にとってください。亡くなった仲間の思いをこめて、この本をお届け致します。

  2007年12月

NPO法人 がん患者団体支援機構
      理事長  俵 萠子

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第3回がん患者大集会を終えて <P196-205>

第3回がん患者大集会実行委員会会長
 NPO法人がん患者団体支援機構 事務局長

浜中和子

「第3回がん患者大集会」が終わりました。
 北は北海道から南は沖縄まで、全国から約2千人近くのがん患者及び家族、医療関係者、看護学生など、がんに関心ある多くの人たちが集まって、2007年夏、広島国際会議場において、「第3回がん患者大集会」が開催されました。
 1年前から準備を重ね、月に1回の実行委員会を開き、多数の方々のご協力により、無事に成功裡に終える事ができたのです。
 今年のテーマは、「緩和ケア」。
 今年の4月から施行された「がん対策基本法」の基本計画の3本柱の一つとして、がんの治療の早期から緩和ケアをする、という事項がやっと掲げられました。
 これまでがん患者は、命を救ってもらうためにはどんな苦しみをも厭わず、辛い治療を受ける事をよしとされてきました。
 治療の過程では、少々の痛みは我慢するのが当然であるかの様にされてきたのです。
 私は、大集会の前年のがん患者団体支援機構総会において、是非広島で緩和ケアをテーマにがん患者大集会を開催したいと手を挙げました。
 がんによる体の痛みと心の痛み、それらを緩和するためにどうしたら良いか、何ができるか、それをもう一度考えよう、そして、これまでどちらかと言えば、あまり省みられる事のなかった緩和ケアについて、社会に行政に医療者にもっと訴えたいという思いがあったからです。
 もう4、5年も前になりますが、乳がん患者会の仲間が、がんの痛みで苦しみながら亡くなった一つの事例が私の心の中にいつまでも残っています。
 その時のHさんの姿を、私は今でもありありと思い出します。
 両腕の骨に転移したHさんは、両腕を包帯で固定され、食べる事さえも自分ではできない痛々しい状態でした。
 その上に、がんの末期の激しい痛みが彼女を襲っていました。
 何が一番辛いかと問うた時、彼女が答えたのは、「痛いのが辛い」その一言だったのです。
 それなのに、彼女には充分な緩和ケアがなされていませんでした。
 看護師に痛みを訴えると、「もう少し待ちなさい。さっき痛み止めを飲んだばかりでしょ」
 そして彼女はつぶやきました。「私はわがままな患者なんかねえ」
 その言葉を私は今でも忘れられません。
 がん患者が痛みを訴えた時、それを聞き入れてもらえることなく、患者の当然の要求をわがままな要求だと思わされる状況、私にはそれはとても許せない状況でした。
 残された日々が少なくなったがん患者が、その日々をただ痛みに苦しみながら送るなんてこれは絶対許される問題ではないと思ったのです。
 痛みがなく、穏やかに家族と共に、笑顔がこぼれるような日々を過ごす事ができないものだろうかと感じていました。
 何としても、がん患者大集会でこの緩和ケアの重要性を訴えたいと思っていたのです。
 さらに当地広島には、緩和ケアをテーマにする下地の要素がありました。
 それは、全国に先駆けて広島市に緩和ケア支援センターが設置されていた事です。
 また、がん患者の心のケアについて学問するサイコオンコロジーの領域の第一人者の主要メンバーは、広島大学の出身の医師たちでした。
 その意味でも、この度の第3回がん患者大集会のテーマが、がん患者の心と身体の痛みを掲げた事は非常に有意義な事であったと思っています。
 がん患者大集会に関して地元の「中国新聞」では、実に14回もの特集記事を掲載してくれました。このことにより、がん患者大集会当日だけではなく、その開催前から緩和ケアに関する一般市民の関心が高まっていた事も事実です。

「がん対策基本法」に掲げられた、がん治療早期からの緩和ケアの取り組みが今後更に推進され、がんの痛みで苦しむ患者が一人でも減る事を願っています。
 がんの初期から痛みを取ることにより、前向きに敢然とがん治療に取組む患者が増え、また末期においても痛みのない心安らかな日々が送れる患者が増える事を心の底から願っています。
 最後にご協力いただいた実行委員の方々、多数のボランティアの方々、共催団体、後援団体、協賛企業の各位、また一口寄付をお寄せいただいた全国の方々に心より感謝申し上げます。

 

アピール文(第3回がん患者大集会)

 数えきれないほど多くの先輩や仲間たちが「痛い。苦しい。いっそ、殺してくれ!」と、もがき、叫びながら亡くなっていきました。

 愛する人を失って、いちばん悲しいその時、家族たちは、肩を落とし、小さな声でつぶやきました。

「やっと、楽になれたね。よかったね」こんな光景が、なぜ、日本ではいつまでも続くのでしょうか。

 WHOが「がんの痛みは9割とれる」と発表し、日本でもWHO方式をとり入れてから、もう10年以上がたちました。

 なのに、きのうも、きょうも、この光景は現実にくり返されています。

 いったい、だれに責任があるのでしょうか。

 私たち患者にも、多少の責任があります。私たち日本人は、痛みを我慢することは美徳だと教えられてきました。女性は、お産の時、どんなに痛くても我慢するものだと言われました。男性は、さらにお気の毒でした。「男のくせに……」とすぐ言われます。なおさら本当のことが言えませんでした。

 医師への遠慮も、ありました。でも、これから、私たちは我慢しないようにします。痛い時は痛いと、率直に言います。そして適切な緩和ケアを受け、前向きで、人間的に生きられる時間を増やしていこうではありませんか。

 医師や看護師、医療関係者の皆さまにもお願いがあります。私たち患者に間に合うよう、一日も早く緩和ケアについてお勉強してください。チームを組み、あらゆる角度から患者を守ってください。

 病院だけではなく、自分の家でも十分な治療や緩和ケアが受けられるようにしてください。

 行政はそのための施策や予算を、惜しまないでください。緩和ケアが、治療と並行して受けられるようにしてください。

 詳細な提案は、別紙に添付いたしますが、要項だけを読み上げさせていただきます。

 最後に申し上げます。

 今年2007年は「がん対策基本法」が施行された年です。この記念すべき年を、日本の緩和ケア・飛躍の年にしたいと願います。

2007年8月26日

第3回がん患者大集会・広島

NPO法人・がん患者団体支援機構

理事長 俵 萠子

「治療の初期段階からの緩和ケア実施」に関する要望

   2007年8月26日 第3回がん患者大集会・アピール

1、「すべてのがん診療に携わる医師に緩和ケアの基礎知識を習得するための研修」を、国の施策として3年以内に実施すること。

2、全てのがん拠点病院、及び多数のがん患者を擁する主要病院において、緩和ケア病棟の設置、あるいは緩和ケアチームの結成の義務づけを要望します。

3、在宅での緩和ケアについて体制整備を急いでほしい。

  在宅緩和ケアの専門的な研修を3年以内に実施すること。

  在宅緩和ケアを促進するきめ細かな診療報酬の面での見直しを要望します。

4、国民に対して「がんの痛みはもう我慢しない、我慢させない」という大々的なキャンペーン・啓発活動を行うことを要望します。そのための予算を計上してください。

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「がん患者インターネット大集会」を始めるに至った経緯について <P206-211>

がん患者インターネット大集会実行委員会 東京大学医療政策人材養成講座第三期生

武末文男

「がん患者大集会」の開催について新聞やテレビで報じられるとともに、「がん患者が、社会に対して声を上げ始めた」との報道を聞いた時、私は自分が主治医としてお付き合いをしたがん患者さんとの最後のやり取りについて思い出していました。私はそのやり取りを通じて、さまざまな想いを託されてきたからです。

 私が臨床医を始めた1990年頃は、がんの患者さんの多くは病院の中に閉じ込められ、当時は在宅サービスもないために、一時的に自宅に帰ることすらまれであり、社会から隔絶された中で臨終を迎えていました。
 また、患者さんご本人と家族との間で、患者自身の死期について語ることは、非常に少なかったように思われます。死について語ることは、縁起が悪い、治療を諦めた態度でよくない、最悪の結果を考えるだけでも恐ろしい、などと避けられる傾向がありました。
 一方で、当時はがんの告知を行い始めた時期でもあり、いかに告知をするかが問題となっていました。それは、がんが不治の病でなく、時として完治可能、あるいは治療法によっては延命することができるため、どのような治療法を選択してもらうか、つまりは残された時間をどのように生きたいかを、ある程度選択してもらうことが必要となっていたからです。

 しかし、さまざまな治療法を尽くし、次第に治療法の選択肢がなくなってくると、治療する側も、患者側もおのずと死期が近づいているという共通認識を持つようになります。つまり、本人が死を避けることのできない事実として自覚するのです。
 本人が死を自覚した時期に、私は多くの方から、今までにその人が受けてきた治療法について、患者さんに対する医療関係者の態度、さらには今の医療制度、医学についてのさまざまな疑問や不満を投げかけられました。
 それらの言葉、疑問、不満は、当時としてはどうしようもないことが大部分でしたが、医師として自身が反省させられるものもあり、同じ医療関係者として考えさせられるものもあり、自分自身もなぜそうなっているのかわからないものもありました。いずれにしても、その方の体験を通じて得られた、おそらくは、今まで誰にも話さなかった医療に対する貴重な意見だったと思われます。
 また、私が田舎の地域で医療に携わった際には、亡くなった患者さんのお通夜やお葬式に行くことも多く、その際には、医師と患者の家族という関係を離れて初めて聞くことができる話がありました。たとえば、かなりの痛みがありながら、本人は、男が泣き言をいうのは恥ずかしいと我慢していたこと、それを家族としては、医師に言いたかったのだけれども、本人の手前言えなかったことなど、医療とは関係のない部分で、適切な医療が行われていないことや、時には、治療法に対しては、家族としてはいろいろと聞きたかったのだけれど、なかなか聞くことができず、結局は、言われるまま治療を受けたが、本当にそれでよかったのだろうかなど、その場で聞いて愕然とすることも少なくありませんでした。

 これらの自身の体験から、「がん患者さんが、社会に対して声を上げ始めた」と聞いたときに、患者さんが自分の受けている治療について医療関係者を介さずに直接意見を言える場としては非常に意義があるのではないかと思う一方で、患者さんの家族が、がん治療について発言できる場が必要なのではないか、そしてなにより、まさに死なんとしている動けない病室のがんの患者さんが参加でき、意見を言える、意見を残せることも、今後のがん医療を考えていく上では重要ではないかと思いました。
 そのような、貴重な体験を集める取り組みの一つとして、2007年夏の第3回「がん患者大集会」(広島)へ向けたHP上で全国の皆様に手記を呼びかけるという形で、「がん患者インターネット大集会」は、企画されました。

 この企画に当たって、プラットフォームを提供していただいたOK Wave社やそのスタッフの方々、がんの患者さんのメッセージの投稿を呼びかけていただいた「がん患者団体支援機構」の方々、ブーゲンビリアの内田絵子さん、その他多くの方々のご支援を賜りましたことを、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

 医療の現場には、普通の人が知らない、人生最後の様々な場面がまだまだあります。それについて、ご本人が語ることはできませんし、ご家族が人に話すことでもありません。ただ、人生の最後について、元気なうちから少しでも考え、家族と話をしておくことは、国民の3人に1人が、がんで亡くなっている現状では非常に重要なことだと思います。
 その様な中、「がん患者インターネット大集会」に寄せられた患者さんと家族からの原稿をもとに、ここに単行本が編まれましたことにより、その様なことに少しでもお役に立てるのであれば、なににも勝る喜びです。
 なお本書の出版は、一般の人にとって前人未踏の医療の現場を出版というかたちで、世の中に伝える取り組みをされている三省堂の中野さんの熱い情熱と、日本の医療をよくしたいという志を持って日々取り組んでおられる医療に関わりのある患者さん、そのご家族、医療関係者の方々の人と人とのネットワークがなくては決してできませんでした。
 この本が、その様な、根気強い活動を続けられている人と人とのつながりをもとにできあがったものであるということをお伝えするとともに、よりよい医療のために頑張りたいと決意を新たにする次第です。

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NPO法人 がん患者団体支援機構の紹介 <P212-214>

NPO法人 がん患者団体支援機構 副理事長

中野貞彦

 がん患者団体支援機構は、故三浦捷一氏の呼びかけで2005年9月3日に発足しました。その年の5月28日に大阪NHKホールで第1回がん患者大集会が開催され、全国から多くの患者・家族が参加し、NHKテレビも放送して大きな反響を呼びました。「情報は命です」という熱い呼びかけに答えて、尾辻厚生労働大臣が官僚の用意したあいさつを脇において、がん情報センターを設立します、と約束した場面を今でも思い出します。それまでの患者会の厚生労働省などへの要請活動の積み重ねのうえに、全国から患者会が集まった第1回がん患者大集会は、がん医療を変革していく大きなエポックとなりました。

 第2回がん患者大集会から実行委員会に加わった私は三浦氏にお会いする機会がありませんでしたが、ご著書の『がん戦記―末期癌になった医師からの「遺言」』を読んで、氏が大集会に大きな手応えと確信を持たれたものと推測しました。患者大集会を継続的に開催するためにはそれを支える恒常的な組織が必要であるとのお考えのもとに、全国の患者会に呼びかけて、「がん患者団体支援機構」を発足させ、三浦氏が理事長に選ばれました。

 三浦氏は、理事長就任後、第2回がん患者大集会を準備している最中、残念ながら2005年12月に亡くなられました。第2回がん患者大集会実行委員会は大変な困難と混迷に遭遇しましたが、がん患者団体支援機構は理事長に俵萠子氏を選出し、実行委員会と支援機構の共催という形で、そしてなんとしても成功させようというみんなの思いが結実し、2006年3月19日、渋谷NHKホールで開かれました。

 その後4月5日、がん患者団体支援機構はNPO法人の登記をして新たな出発をし、2007年8月26日に広島で第3回がん患者大集会を開催しました。故三浦捷一氏の遺志はしっかりと引き継がれています。

 がん患者団体支援機構は、定款に「この法人は、広く一般市民を対象とし、すべてのがん患者並びにその家族らが納得のゆく治療環境を獲得するために総意を結集し、共通の目標を掲げ、情報交換の場を創出し、これにともなう必要な事項を支援することを通じて、地域と社会の医療・福祉の増進を図り、広く公益に貢献することを目的とする」とうたっています。具体的な事業として、がん患者大集会の開催、がん医療政策の提言と立案への参画、シンポジウム・講演会・勉強会の開催、がん患者会の活動支援、相談窓口などの患者・家族への直接的な支援、などを行っています。

 現在、当機構の団体会員として約50団体が所属しています。全国的にこれだけのがん患者会が集まっている組織は他にありません。都道府県がん対策推進計画策定の協議会の委員に、私たちの会員団体から参加し、また東京都からがん患者の相談窓口業務(ピア・カウンセリング)の委託を受けています。

 いま、私達の役割はますます大きくなっていることを実感しているところです。多くの患者会が会員になってくださるよう、御願いいたします。

 


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