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時代別
国語大辞典

時代別 国語大辞典

昭和16年に着手し、当初は「奈良・平安・鎌倉・室町・江戸」編の刊行を目指したが、戦争などの紆余曲折により変更。昭和42年に上代編、昭和60年に室町編の第一巻を刊行。2000年12月、室町編の第五巻の刊行をもって完結。


 『上代編』刊行の言葉
 『上代編』刊行の「序」
 『室町時代編』刊行の「序」
 『室町時代編』「あとがき」
 『時代別国語大辞典 室町時代編』の完成を祝う  千野栄一(「ぶっくれっと」147号より)
 『時代別国語大辞典 室町時代編』を終わって  沓掛和子(「ぶっくれっと」149号より)
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時代別国語大辞典 上代編

上代語辞典編修委員会 編

澤瀉久孝(編修代表)・浅見 徹・池上禎造・井手 至・伊藤 博・川端善明・木下正俊・小島憲之・阪倉篤義・佐竹昭広・西宮一民・橋本四郎

40,000円 B5 背革装天金箱入り

1,152頁 978-4-385-13237-X 1967年12月10日発行

昭和16年に着手した斯界最高の編修陣による時代別国語大辞典の首巻。文献的に知りうる上代語の全貌をとらえ,その科学的,歴史的位置づけと,体系化をめざした本格的言語辞典。項目8,500。本文にふれた語句2万。多彩な用例を駆使し,考察を加えた。



時代別国語大辞典 室町時代編一 (あ〜お)

室町時代語辞典編修委員会 編

土井忠生(編修代表)・森田 武・大塚光信・神鳥武彦・来田 隆・木原 茂・清瀬良一・蔵野嗣久・鈴木 博・土井洋一・増田 欣・松井利彦・安田 章・柳田征司・山内洋一郎

40,000円 B5 背革装天金箱入り

1,272頁 978-4-385-13287-X 1985年 3月20日発行

古代語から近代語へとうつりかわりつつある室町時代語の実態を明らかにし,その歴史的位置づけと体系化をめざした,斯界初の室町時代語辞典の第一巻。項目15,000余。広汎な文献資料から精選した用例を豊富に載録,その意味・用法の丹念な分析を行った。



時代別国語大辞典 室町時代編二 (か〜こ)

室町時代語辞典編修委員会 編

土井忠生(編修代表)・森田 武・大塚光信・神鳥武彦・来田 隆・木原 茂・清瀬良一・蔵野嗣久・鈴木 博・土井洋一・増田 欣・松井利彦・安田 章・柳田征司・山内洋一郎

40,000円 B5 背革装天金箱入り

1,272頁 978-4-385-13297-X 1989年 7月10日発行

古代語から近代語へとうつりかわりつつある室町時代語の実態を明らかにし,その歴史的位置づけと体系化をめざした,斯界初の室町時代語辞典の第二巻。項目数約2万。広汎な文献資料から精選した用例を豊富に載録,その意味・用法の丹念な分析を行った。



時代別国語大辞典 室町時代編三 (さ〜ち)

室町時代語辞典編修委員会 編

土井忠生(編修代表)・森田 武・大塚光信・神鳥武彦・来田 隆・木原 茂・清瀬良一・蔵野嗣久・鈴木 博・土井洋一・増田 欣・安田 章・柳田征司・山内洋一郎

48,000円 B5 背革装天金箱入り

1,224頁 978-4-385-13600-X 1994年 3月20日発行

室町時代の言語・文化の実相をはじめて解明した,総合的な言語辞典の第三巻。第一,二巻を承けて,さらに用例を精選。多彩な文献に多くを語らせることによって,“読む辞書”としての性格をいっそう鮮明にし,室町時代語の世界の豊饒な広がりと奥行とに迫る。



時代別国語大辞典 室町時代編四 (つ〜ふ)

室町時代語辞典編修委員会 編

土井忠生(編修代表)・森田 武・大塚光信・神鳥武彦・来田 隆・木原 茂・清瀬良一・蔵野嗣久・鈴木 博・土井洋一・増田 欣・柳田征司・山内洋一郎・安田 章

45,000円 B5 背革装天金箱入り

1,056頁 978-4-385-13603-X 2000年 3月10日 発行

日本語の変遷の鍵を握る室町時代語の実態にはじめて光をあて、解明した総合的言語辞典の第四巻。第一、二、三巻を承けて、さらにその奥行を深めようと、博捜、精選した用例を駆使、近代語へとつながる室町・織豊期のことばの豊饒さ・面白さを追究し、当代の言語・文化を、今に読む辞書としての徹底を図った。



時代別国語大辞典 室町時代編五 (へ〜ん)

室町時代語辞典編修委員会 編

土井忠生  (1900〜1995) 広島大学   退官
森田  武  (1913〜1994) 広島大学   退官
大塚光信  (1926〜)   京都教育大学 退官
神鳥武彦  (1929〜)   広島大学   退官
来田 隆  (1942〜)   京都教育大学 教授
木原 茂  (1914〜)   広島大学   退官
清瀬良一  (1923〜1995)  愛知教育大学 退官
蔵野嗣久  (1935〜)   安田女子大学 教授
鈴木 博  (1922〜)   滋賀大学   退官
土井洋一  (1931〜)   学習院大学  教授
増田 欣  (1928〜)   広島女子大学 退官
柳田征司  (1939〜)   奈良女子大学 教授
山内洋一郎(1933〜)   奈良教育大学 退官
安田 章  (1933〜)   京都大学   退官

40,000円 B5 背革装天金箱入り

904頁 978-4-385-13606-X 2001年 1月 1日 発行

室町時代編全5巻の最終巻。収録語数約1万。室町時代のことば―その意味・用法、さらには時代相そのものの実態を、精選した豊富な用例に語らせることで展開してきた本シリーズも、今やその全貌を現すところとなった。古代語をうけて近代語へ、国語史研究の要となる室町時代語の地平がここに豁然と拓ける。


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●『上代編』 刊行の言葉

 一国の国語辞書は、その国における言語文化の特質と水準を示すものである。英語の辞書に例をとるならば、英国のThe Oxford English Dictionary(1933)と米国のWebster's Third New International Dictionary of the English Language, Unabridged(1963)とは、現在までに英語辞書の到達した二つの頂点に立っているといってよかろう。前者が伝統を尊重する英国において長期間にわたり堅忍不抜の努力によって完成を見、後者が国勢の著しく伸展した米国において大規模の組織力を活用してりっぱに成功したことは当然の成果であって、これを実現せしめた出版界の自力はもとより、これを助けた読者層の関心と期待の強さに敬服せざるをえない。翻ってわが国の現状を顧みるとき、その多くは望むべくもないことはなんとも心寂しい次第である。

 一国の文化遺産としての言語は、過去におけるその国民の言語生活の蓄積の上に成り立つ。現在および将来における言語生活の指針は過去に対する反省検討によって導かれる。ゆえに一国の言語規範の確立に適正な指導力を発揮する。

 言語文化の高度にして複雑な歴史を有する日本はその独自性に即応した歴史辞書を持つべき使命を帯びている。特に日本語に対する根本的省察を迫られている今日、その必要性はいっそう高まるのみである。わが時代別国語大辞典はその要請にこたえんとするものである。一挙に全時代に通ずる歴史辞書を完成することの至難な情況下においては、時代別国語辞書の編纂がそこに至る一段階として最も有用かつ可能な方法と考えられるからである。この企画は辞書編纂に多くの実績を有する小社が中心となって昭和十六年に立てられ、新村出・藤井乙男・橋本進吉諸博士を監修者とし、吉沢義則博士の下に各時代の編修主任を置き、昭和十七年の暮、奈良・平安・鎌倉・室町・江戸の各時代一斉に発足をした。初め比較的短期間をもって完成する予定であったが、各時代の全語彙を網羅するたてまえからして、カード採録に多くの時間を費やし、ほとんど原稿作成の段階にはいらないうちに、戦局の激化に伴って、この種事業の継続は困難となり、昭和二十年春をもって中断するのやむなきに至った。

 戦後の混乱期を脱した昭和三十年に及んでようやく再開の運びとなり、翌三十一年に、まず、上代・平安・室町の三代から着手した。それまでの中絶期間は、わが国有史以来最大の変貌期に当たり、特に歴史研究の分野における新しい機運により、過去の文献資料があらためて見直されることになった。したがって、戦時中に採択された語彙カードの類も、よった本文の検討から出直す必要に迫られたものが少なくない。かくして、本文批評に始まり、索引の作成、語彙用例の調査採録の過程を積み重ねて、資料の整備に努めるとともに、その語彙資料を分析総合する方法にも創意工夫をこらすことに強い意欲をもって臨みその上に立って原稿の作成が進められた。

 わが社があえて本辞典の出版に微力を尽くしつつあるのは、学界教育界をはじめ社会全般に寄与する熱意と奉仕する誠意に燃えているにほかならない。もとより各時代の編修委員会は、日本語の歴史辞書の礎石を築く先駆者としての名誉にかけても、これらの辞書が時とともに成長することに責任を感じ、その使命を課せられていると考えるものである。それにつけても、日本の社会にかかる辞書の育成を助長する機運の強まることを心から念願してやまない。

三省堂編修所


 
●『上代編』刊行の「序」

 上代語は、日本語の歴史において、文献的にたどりうる最古の時代の言語である。考古学・文化人類学など、わが古代についての研究分野のあるものは、すでに数千年前の時代をおぼろげながらも明らかにしているが、日本語の歴史は、五世紀から七世紀にかけてはじまる。すなわち、我々の祖先が言語を記録するすべを知ったとき、わが日本語の歴史ははじまった。しかし、日本列島に日本人もしくは原日本人が存在して、すでに久しい。彼らがいかなる言語をもち、生を営んでいたかは、現在、文献的にたしかめるてだてをもたないが、最近における言語学のめざましい進展は、上代語の解明を基礎に、わずかながらも文献以前の日本語の姿を描き出そうとしている。さらに、世界の言語の中で、孤立している日本語の系統についても、解明の糸口がつかみかけられているといえよう。

 今日、上代の文献をひもとくとき、その表記上の難解さはさておき、言語そのものについても、我々の話し聞く言語と大きなへだたりのあることを知るのである。その言語の様態は、まさにわが国語史のどの時代にもまさって異なっているといえる。しかし、心静かにそれを吟味・解読するとき、上代につづく平安時代はもとより、今日の言語に通ずる面の大きさにも気付くに違いない。語彙・文法はもとより、文字の使いぶり、音韻やさらに意味・文章の面に至るまで、通ずる面が多多あるのである。言語の歴史は、変遷を示すと同時に、変わらぬ姿をも示している。実に、上代語は、日本語としての不変の基本的法則をすでに備え、それを我々に教えているのである。

 上代語の研究は、文献以前の日本語解明の基礎であり、また後の時代の国語解明の出発点であり、上代から現代に至る国語史の解明と、その結実である国語の将来を素描する、その基となるものである。上代語の研究が、その資料のおおうべくもない少なさにもかかわらず、他時代の言語研究に一歩先んじて試みられ、今日最も実り多い成果を得ているのも、偶然のことではない。古くは平安時代初期における上代文献の訓釈にはじまり、江戸時代における上代特殊仮名遣の発見を含む数数の研究、最近における、音節結合の法則や上代特殊仮名遣の再発見をはじめとする音韻面での成果、語誌・語構成・語彙・文法の研究など、その文献的研究とともに、言語面での科学的な視点の投射は、高い価値をもっている。

 本書は、これらの成果の上に立って、言語辞典として上代語を体系的に鳥瞰できるよう巻首から巻末まで有機的に関連づけつつ、学問的厳密さを旨として、臆断を排し、分明でない点は不明とし、解明の範囲までを慎重に記した。語彙選定や用例の吟味に、多くの新資料を加えつつ、万全を期したのをはじめ、本書によってはじめてなしえた見出し語に対する上代特殊仮名遣の識別や厳格な清濁の弁別等、一々根拠をもって示し、上代語に即応した文法体系、語誌・語構成の究明、意義素の把握、必要に応じて「考」を設けて上代語の特質を明らかにするなど、一貫して学問的態度をつらぬいた。

 上代語研究は、学問的な結実をその研究の足どりからえられる反面、上代語ほど、臆論・俗説・偏見にさらされた時代もないであろう。いわゆる神代文字はいうまでもなく、一方では、わが国を敗戦に導いた思想の一つのよりどころともなり、また現在に至るまで、主観的、非科学的な推論がもてあそばれて、あるいは世のジャーナリズムをさわがせ、あるいは学問の領域においてもまかり通るなど、正しい科学的な上代語の解明が一層広められることが切望される。

 上代語の研究はまだまだ進められなくてはならない。未詳・不明にかかる分野・事項は極めて多い。現に、本書の編纂途上、幾多の研究が発表されもし、本書独自の考察に成功したものなど、はじめて本書でとり上げた成果も多い。最近、平城宮址や藤原宮址発掘中に発見された木簡によって明らかにされたものもある。まさに上代語研究は完成をみたのではなく、そのより多い実りは将来にかかっている。本書が、その発展の礎となることを得るならば、これにまさるよろこびはない。併せて上代語についての世人の理解・教養を高め、わが文化水準の高揚に役立つことを心から望むものである。

 思えば、昭和十七年以来、戦争による中断はあったが、本書の編纂に着手して二十有五年、吉沢義則・藤井乙男・橋本進吉・新村 出の諸先達をはじめ、故人となられた方々も多い。その間、戦乱により、数十万枚のカードを反故とし、多くの方方の努力が水泡に帰したが、それらを含めた結実の上に、昭和三十一年、編纂の具体的再開を得ることとなった。ここに参加した中には、中断の間、着々成果をためてはせ参じた、当初少壮の学徒であった者もいる。再開後、本文研究・資料づくり、方針の討議、執筆、編修等々、多くの制限と困難の中で、編纂がつづけられた。この間、編修・校正・組版を含め、多くの献身的な努力が、本書を支えていることも銘記せねばならない。学問上の成果や有形・無形のはげましをもって本書を外側から支えて下さった先学・同輩の方々、さらに我々の及ばなかった歴史上の諸問題について様々な助言や援助をいただいた直木孝次郎氏、また、坪井清足氏・狩野 久氏をはじめとする奈良文化財研究所の方々、資料の収集や整理に尺くされた蔵中 進氏・神堀 忍氏・川端春枝氏に厚く謝意を表する次第である。なお、平安時代のアクセントに関して、秋永一枝氏より貴重な資料を提供していただいた。記して感謝申し上げる。

 いま、まさにこれらの努力が時代別国語大辞典の首巻として結実しようとしている。

  昭和四十二年十一月三日

上代語辞典編修委員会
 代表 澤瀉久孝
 浅見 徹  池上禎造  井手 至  伊藤 博
 川端善明  木下正俊  小島憲之  阪倉篤義
 佐竹昭広  西宮一民  橋本四郎


 
●『室町時代編』刊行の「序」


 本書は、三省堂の企画に係る時代別国語大辞典室町時代編に当り、室町時代語辞典として、室町期から織豊期に及ぶ約二百年間の言葉を取扱ったものである。

 日本語の発達変遷の全容を包括した歴史辞典に至る一過程として、上代・平安・鎌倉・室町・江戸・近代の六期に区分した時代別辞典の作成を当面の目標に置き、昭和十七年の暮、各期ともに一斉に編修を開始した。当初は短期間に成果を挙げようとすることに急であって、時代別辞典として備えるべき形態・内容等について、基本的な問題の検討を深化しないまま、統一的な見解に達したとは到底言えない状況下での作業であった。たまたま戦況の悪化による世態の急変に直面し、昭和二十年の前半を以て編纂事業全般を中断せざるをえなくなった。爾来十年余を経て漸く再開するに至ったのであるが、その間急速に進展した学界の諸情勢に即応して、室町時代語辞典の在り方も根本から考究しなおす必要に迫られた。

 時代別辞典として先ず決定しなければならない基本課題に、載録語の範囲の問題がある。すなわち、その時代独特の語に限定するか、その時代に行われた語全体を対象とするか、という選択であるが、室町時代編においては、後者を採ることをその方針と定めた。日本語の歴史において、古代から近代へ推移する過渡期に当り、古代語の継承と近代語の生成発展という二面が交錯して複雑な様相を呈しつつ、次第に近代語の輪郭を現わすに至るのが室町期である。古代語の伝統は識者階層の学術文芸に関する書き言葉を中心として保持され、前時代に萌した近代語は庶民階層の主として話し言葉の領域で徐々にその基盤が構成されていくといった両面があるとはいえ、それぞれが別個に存在したのではなく、相互に関連し、影響しあいながら変遷の過程を辿っていったのである。その複雑な言語の実態を個々の語について浮彫りにするのが室町時代編の使命である。この責を果すためには、室町時代語の全体像をとらえ、位相の如何を問わず室町時代に行われた言葉のすべてを解明しなければならないであろう。その実を達成するとなれば、長い時間をかけて多方面にわたる研究を蓄積する必要があることは言うを俟たない。

 一体、時代別辞典の編纂においては、各時代語の解明にあたって、その時代の個々の文献を直接の資料として、それぞれの性格に応じていかに使い分け、利用していくかが最大の要件となる。室町時代編に関しては、その前後の時代とは違って、外国資料、特にキリシタン資料が重要な役割を持っているという特色を有する。当代の日本人自身の手に成る自国語に関する記述が初歩的段階に止まっていたのに対して、織豊期に活躍したイエズス会士の残した語学書は、日本人の観察の及ばない面を補って余りある。それは、ヨーロッパ人の語学の水準に基づくものであり、布教上の必要から編まれた特殊な性格をもつものであっても、室町時代語を再構する上では不可欠の基礎資料となっている。時代別辞典の発足にあたって、われわれが室町時代編を担当するに至った経緯には、これらキリシタン文献を比較的容易に利用しうる立場にあったことが関係しており、本辞典でキリシタンの語学書に言及するところが多いのもその故であった。

 ところで、室町時代語を対象とする組織的・体系的語学研究は、現在においても未だ十分であるとは言い難い。この現状を踏まえるとき、当時代の文献を整備し、その用語を着実に追究することが急務である。

 時代別国語大辞典編修作業発足の当初は、三省堂の責任で古写本を初めとする文献資料の蒐集が行われたのであったが、社の編修事務中断以降は、編修委員各自がその任に当らねばならなかった。その時期はたまたま戦後の混乱期のさなかにあって、蔵書家の秘庫から典籍の流出が相次ぎ、われわれも希求する古書のごく一部ではあるが入手することができ、それを直接資料として用いることが可能となった。それとともに、公開された諸文庫の蔵本を複写して補充する方法をできるだけ採った。が、なお多くは校訂者の手を経た翻刻本に頼らざるをえなかった。幸いにも、室町期の文献資料の影印・翻刻も近来急速に進み、われわれの渇望を癒してくれつつある。

 一方、辞書編修の作業が具体化するにつれて、追求する内容はいっそう細密化していくのが常である。従って、対象とする分野の拡張をはかるとともに、利用文献のより厳密な批判を期するには、その書誌学的解明、関連文献の参照など、尽すべき手続きはますます増大する。しかし、それに対応するだけの文献資料自体の研究は随伴せず、また、より良い翻刻本を利用しての用例整備についても十分に果し得ていないのが現状である。

 ここにおいて、われわれは、室町時代語のもつ全体的な性格を想定したうえで、限られた使用文献について位置づけを行い、その適切な利用をはかっていくことを辞書編纂の基本態度としたのである。

 次いで手許の資料を活用する方法の確立が求められる。その中心にあるのが語釈決定の問題である。室町時代語における語義・用法の、前代から引継いだものと、次代へ変化していく過程とを解明するためには、多種多様の文献資料に依拠した分析の方法を徹底させなければならない。まず、語義・用法の成立条件を精確に把握することに努め、その上で、それらを単に羅列するのでなく、適宜まとめて組織化していくことによって、語の実態に迫ろうとしたのである。実際には、特殊な用例による偏った解釈を提示するにとどまった事例もあり、また、当時代語の複雑多岐にわたる様相・性格を反映させようとするあまりに適切な総合化の段階に及びえなかったこともあるかと危惧する。

 しかしながら、昭和十七年以降今日に至るまで、有形無形の御尽力をいただいた数多くの方々、並びに、今は亡き藤原照等氏をはじめとする編修員一同の協力と、出版社の誠意とが相俟って一応の成果を挙げることができたいま、この分野に鋤を入れ一礎石を据えたといえる段階にまで到達したものと考える。ここに漸く公刊のはこびとなり、広く学界の批正と指導を仰ぐこととなった。われわれの力不足の故の誤解や不備も少くないであろう。なお、当初全一冊にまとめることで発足した計画は、室町時代語研究の進展の結果、全四冊を予定せざるをえなくなった。今後とも続刊に全力を尽して取組んでいく所存である。

 この上は諸方面からの忌憚なき御批判と善意ある御教示を賜わって、向上の一路を辿ることができるようにと祈念してやまない。なお、本書の刊行が学界への一刺激剤となって、室町時代語研究に活力を与え、その進展を促す機縁ともなるならば、何よりの幸せである。

 最後に、終始細心の配慮をめぐらし、煩瑣な組版の労をいとわれなかった井村印刷所、並びに、三省堂印刷の方々に対し、心から感謝の意を表わし、刊行の喜びをともにしていただくよう望むものである。


昭和六十年一月

室町時代語辞典編修委員会
代表 土井 忠生
ほか14名


 
●『室町時代編』「あとがき」

『時代別国語大辞典』、その室町時代編の最終巻(第五巻)をここに刊行する。

 『時代別国語大辞典』の企画以来、六十年の、太平洋戦争による中断の時期を経て再開後も半世紀に垂んとする歳月が、既に閲している。この歳月をいとおしみながら懐古する、経過報告を兼ねた「あとがき」に代えて、この辞典編修のスタンスを明確にしておくことも、室町時代編完結に際して意義あることと考える。実は、この辞典についての発言を公にしたことがある。雑誌『日本語学』の「日本の大型辞書」という特集においてである(一九九四年六月号)が、その記述を参照しながら、この辞典編修のスタンス乃至はポリシーとでも言うべきものを明らかにしておきたいのである。ただし、人あって問うかも知れない、第一巻の、「序」と「室町時代語への小径」の記述で、それは十分ではないかと。しかしながら、辞典、しかもそれが大型辞書であるなら、単なるスケールの大きさの問題にとどまるだけでなく、それに見合ったポリシーが必要であると信ずるからである。


 奈良・平安・鎌倉・室町・江戸の五つの時代に区切って発足した『時代別国語大辞典』の、上代編に続いて室町時代編が刊行されたことーー現在のところ、恐らくはこれら二編で『時代別国語大辞典』の幕も引かれそうなのであるがーーは幸いであった。古代語から近代語へ変遷するさなかにあって、室町時代語は、日本語の近代化への推移を記述する上で極めて重要な位置を占めるはずの性格を有しているからである。室町期から織豊期に及ぶ約二百年間のことばの実態の解明を目的とする室町時代編は、公家・武家・庶民など異なる階層の人々の間に行われたことばの全体像をとらえ、かつ個々の語彙のありようを映し出すものでなければならない。「行われたことば」という以上、対象となった語彙は、室町時代に独特の語に限定せず、広範囲の分野にわたる、当代に成立の文献に見られる全てのことばである。しかしながら、文献資料の多種多様さとそこに用いられたことばの性格の複雑さゆえ、室町時代語全般を視野に収めた組織的にして体系的な研究がなされて来たと言い難い現段階に鑑み、「一応全分野にわたり語彙を大観し得るように蒐集採択究明することが主眼となる」(第一巻巻頭「刊行に際して」)のであった。この基礎作業のために、多くの時間と労力とが献げられた。

 基礎作業としての語彙カード蒐集段階から、問われているのは、編修委員会の、当該時代語観ということばで代表される見識である。

 当該時代語への見通しを欠いた、無定見な語彙カード蒐集は、賽の河原の石積みでしかない。上代編が、今日においても、研究者にとって、空前の、そして、恐らくは絶後であろう、座右の書として刊行時(一九六七年刊)の輝きを些かも失っていない所以も、その見識という点にあると言ってよい。『時代別国語大辞典』を構成する各時代の当該語研究の到達度を云々する以前に、問題にされなければならないのは、この見識に関わることなのであった。

 「多種多様の文献資料」と言った場合、常に問題となり、今後の課題ともなるのは、その純粋性と資料性とのからまり、確かめであろう。研究者の識見があって初めて文献は資料となるのであって、「善本」の全てが全て資料となるわけでもない。そして、資料性との関わりにおいて、「多種多様」と言うけれども、それぞれが、資料として対等の位置を占めるわけでもあるまい。それぞれの文献の、当代における重みをどのように認定するかということも、やはり見識に関わり、依然として課題であり続けるであろう。

 多くの文献から蒐集されたことばの語義・用法の解明に当って、その成立条件を精確に把握した上で組織化して、ことばに迫るーーといった作業手順は、事々しく言い立てるまでもなく、室町時代編に限ったものであり得ない。ただ、資料からみた室町時代語観は、第一巻で「室町時代語への小径」に述べられているけれども、その中にあって、当代を特色づけ、かつ右に述べた作業手順を効果的にする、従って、その援用が室町時代編の特色となるはずの、抄物と外国資料とについて言及しておこう。

 高度の学問・文化の担い手であった五山僧や公家の手になる、和漢古典の註釈、いわゆる抄物については、その研究史をも視野に入れたところの、簡にして要を得た、編修委員の一人である大塚光信氏の論述がある(岩波講座日本語10)。そこでは、抄物それ自体の性格、註釈として、口語抄と並べて文語抄について言及され、漢籍の抄物だけでなく、文語抄しか持たなかった国書、物語・和歌などの註釈抄が取り上げられている。この観点に立脚して、『庭訓往来』・『御成敗式目』、『源氏物語』・『太平記』や謡曲などの抄物をも重要視した。当代の、この種の文語抄を集めた『藻塩草』を参照することが多かったのも同様の理由からであった。

 平明な国語で解釈した、漢籍の口語抄が当時の話しことばに迫り得る好資料であることは改めて言うまでもないが、抄物をそのまま直ちに室町時代語の資料として扱うだけでなく、抄物の本来の機能である、註釈という本質にひきもどした上で、それを通して、種々の分野に亘る基本図書についての、当代人の受けとめ方、更には思考の態度まで把握しようとしたことも、特色の一つとしてよいであろう。現代人の感覚で室町時代語を分析・理解する以前に、引用する例そのものから、その時々の室町人の肉声をまず聞いてみようとしたのである。そのために、抄物は相応しいのであった。抄物の資料性は、口語抄か文語抄かといった使用言語の傾向で決定されてはなるまい。

 当代の学問・文化の影響下にあって成立したキリシタン文献の援用を、広義の抄物ーーローマ字とポルトガル語によるーー利用の一環と見ることも可能であろう。『時代別国語大辞典』が立案されて以来、土井忠生博士が室町時代編の編修代表に推戴されたのも、当代の語学研究に重要な役割を果たす、『日葡辞書』を初めロドリゲスの大小文典などの本質を見極めて、自家薬篭中のものとして駆使し、室町時代語研究をリードして来たという立場にあったことが関係しており、室町時代編が特にキリシタンの語学書に言及することを特色とするのは、至極当然のことなのである。この意味でも、キリシタン文献重視という基本姿勢は忘れてはならないことであり、この基本姿勢を一層強化させてもよいのではなかろうか。『時代別国語大辞典』の各編それぞれに、各時代独自のカラー乃至はイデオロギーが必要だからである。

 抄物で代表させる国内文献と、キリシタンの手になる「外国資料」でありながら、日本人が関与し、日本で成立した「国内資料」と見ることが出来るキリシタン文献とをつきあわせ、対照させることによって、両者の位置・関係が顕現してゆき、結果として、当代の文化のありようが浮かび上がって来そうに思われる。そして、このことが読む辞書への道を拓いてゆき、それを保証することになるであろう。

 文献資料の大部分は、所詮知識階級による、知識階級のためのものである。庶民のことばも、知識階級の手を通して、「いやしからざるやう」な形で文献にとどめられるから、ロドリゲスが、『日本大文典』で、

 話しことばのほんとうの日本語はミヤコでクゲや貴族の使うそれであって、彼等の間に正しく洗練された言い方が維持されており、これから遠ざかったもの全ては、粗野で不完全であると見なし得るということを注意しなけ  ればならない。しかして、優れた、上品なことばは昔のことばであるけれども、いずれも現代語では殆ど全くないからである。

と述べた、その「遠ざかった」ところの、庶民層の生のことばを発掘することが、大きな課題であった。その解答の一つが、やはり外国資料、『捷解新語』の活用である。

 キリシタンの平家物語の序(読誦の人に対して書す)が記されたその年(一五九二年)、壬辰の倭乱で囚われの身となり、日本に強制連行された朝鮮人、康遇聖の手になる『捷解新語』の日本語を、当代語の基層にあったものとして捉え、援用することがしばしばであった。康遇聖の日本語習得の経緯から、『捷解新語』は、当代の庶民層のことばの実態を知るために必須の文献であり、従って、キリシタンの排除しようとした「現代語」性を具体的に示し、キリシタン文献の問題性を告発し得るものだからである。また、キリシタン文献に先立つこと百年の朝鮮資料『伊路波』の平仮名書、当代の候体書簡文からの用例の採択も少なくなかった。

 このように、時代相を生き生きと反映した、キリシタンの対極の位置にあった外国資料をも用いることによって、室町時代語を、縦・横、上・下、様々の角度から照射し、室町の心のひだまでも浮びあがらせようとしたのである。

 述べてここに至れば、室町時代編の、最大の課題が、当代文化の結晶である文献への理解を一層深化させ、そのことを、どのように集約し表現するかということであったことが明確になって来るであろう。

 『時代別国語大辞典』の各編が有用であることは自明であるにしても、そのそれぞれがそのまま次の段階の歴史辞書の構成要素であり得るか、問題であろう。

 それにしても、大型辞書の大型でなければならない必然性は奈辺にあるのであろうか。量的な必要性から大型にならざるを得ない事例と共に、質的なそれによって大型になるーーそれが室町時代編であると主張し得る背景を述べてみた。


 「『室町時代編』は、未完成である。……土井忠生という Haupt 亡きあと、その遺志をつぎ、いかに大成させるか、残された委員への課題は大きい」と、福島邦道氏に言われて(『国語と国文学』平成七年十一月号)ここに五年、漸く「大成」の日を迎えるところとなったが、「遺志」は Haupt一個人のそれでなく、編修委員会の総意、確固たる「見識」であったことは改めて説くまでもなかろう。従って、本辞典に関わる責任は、編修委員会に名を連ねた一人一人が均しく負うべきものであることも改めて言うまでもない。その中にあって、昭和三十年にこの業が再開・開始されて以来、土井代表を補佐し、資料の蒐集に始まりその整理と項目の執筆に、全力を尽くされたのは森田武博士であり、また藤原照等氏であったという。森田委員のもと、当時大学院学生であった山内洋一郎・蔵野嗣久委員なども加わって書き続けられた辞典原稿が三省堂に引き渡されたのは昭和四十年に入ってからであったと聞いている。それを礎稿として、第一巻が刊行されるまでになお二十年に近い歳月を必要としたのである。それから更に、最終巻に至るまで十五年、その間編修委員は、それぞれの立場で原稿の内容の充実を図ったのであるが、大塚光信委員は最後まで、校正刷を精査した上で、長年採集の貴重な語彙カードを提供し、用例補充に尽力された。方言に関わる記述は、編纂事務局を主宰する傍ら神鳥武彦委員が、文法項目・出典一覧については、土井洋一委員が、それぞれ原案を執筆された。また委員会の外にあって教示を吝しまれなかった方々の中から、特に小高恭氏のお名前をあげておきたい。第一巻刊行以来、辞書の記述について公私にわたって種々有益な助言をして来られた氏に、第四巻から『お湯殿の上の日記』に関する校閲をお願いすることにした。通読に難解な同日記からの仮名書きの用例が、氏によって確例として登載されるところとなったことを記して、感謝の念を捧げたい。小高氏の協力・参加は、本辞典のような特殊辞書編纂について、特にその編修委員会の編成、あるいは構成に大きな示唆を与える事例になるように思われる。これも、冒頭に述べた見識に関わることであった。

 編修委員会代表( Haupt)の土井博士は、私の記憶に誤りがなければ、平成の始め頃まで(辞典に即して言えば第三巻編修の途中まで)は編修会議を主宰していられた。蔵野委員は、

  晩年の先生は、辞典編修に全精力を傾けられ、それが志半ばになることを予感なさって、「後を頼む」とよくおっしゃっておられた。御著『吉利支丹語学の研究』以来、キリシタン資料の特質を成長性にあると見ておられるが、辞典編修の実務の中で、先生御自身、辞典編修に成長性の必要を実感せずにはおられなかったようである。万事慎重な先生が、「批判されるのは覚悟の上」と口になさるようになったのは、完全を求めつゝ完全はありえない辞典編修の宿命を確認する日々でもあったからであろう。

と追悼特集号(『国語学』第百八十二集)に記したが、「批判される」のは、全巻が完結しての話、全巻完結した現在、もはや「志半ば」ではない。Haupt の遺志は、成長性と共に脈々と今も流れているのである。

 室町時代編に関わる編修作業が軌道に乗り出したのは、上代編の刊行(昭和四十二年)以降のことである。爾来三十有余年、この間の、編修委員会の背後のあって協力された方々、執筆協力者、編集協力者、校正者のお名前を、事務局に保存されている記録類に拠って、以下に、年代順にあげることにしたい。

 三省堂にあっては、昭和四十年頃に始まる本格的な編修体制の確立に努められた長谷川昭二氏の存在を忘れることが出来ない。氏が第一巻の刊行を見ないまま長逝されたのは一大痛恨事であった。長谷川氏を承けて二十年、第一巻を刊行してからでも十五年、「未完の大辞典」という芳しからぬ称を回避しようと全巻の完結をひたすら目指して、社の内外の困難な状況の下、一日たりとて心の休まる時もなかったであろう編修専任の沓掛和子氏の労を特にねぎらいつつ、辞典完成の喜びを、多くの関係者と共に味わいたいと思う。

 二〇〇〇年十一月                      安田 章

執筆協力者

藤原照等・角田一郎・松岡久人・中川徳之助・友久武文・永尾章曹・佐々木峻・松井利彦・小林千草・高見三郎・菅原範夫・大熊久子・小高恭

編集協力者

森田みを子・新谷美恵子・坂口由美子・岡本則子・明賀妙子・和津田葉子・日中喜久子・吉村順子・小田肇子・横山美知子・樫原良枝・磯田則子・林真理子・内藤恭子・畠山美恵子・長谷川玲子・吉成雅子・吉岡幸子・小湊知子・松井京子・多和田さちこ

校正者

亀岡紀子・前川彰子・中井一枝・佐藤盛男・岡田美和子・横山恵子・山本厚子


 
●『時代別国語大辞典 室町時代編』の完成を祝う

千野栄一(和光大学学長)
(「ぶっくれっと」147号より)

 一つの民族、一つの国が、その民族、その国が持っている真に価値あるものは何であるかを、ある時期に、振り返って考える人や人たちが出たとき、それが自分たちのことば、言語であることに気がつき、まずはそれを集め、それを様々な視野から整理して区分し、他の人びとのために供しようとする。

 このようなことは洋の東西を問わず、国の大小を問わない。それがどのような道をたどるかは、歴史の流れにより、運命による。チェコの近代教育学の祖としても知られるヤン・アモス・コメンスキー(Jan Amos Komensky, 1592-1670, ラテン名コメニウス)は数多くの著作を残したものの、生涯の大作になる筈であった『チェコ語の宝庫』(Poklad jazyka ceskeho)――大作のチェコ羅辞典、それに世界最初の百科事典は、共に三十年戦争で燃え、後者の一部が残っているに過ぎない。一方、OED(1884-1928, 1933)は、それが無事に出版され、実に広く用いられている例である。

 日本のように書かれた文献が多く、その歴史が長い国で、このことばの宝庫を集め、整理し、多くの人に供しようとする試みのでることは当然で、『時代別 国語大辞典』はその一つである。そして、まさにその歴史の長さの故に困難は一層であった。一九三九年に奈良・平安・鎌倉・室町・江戸の各時代区分からスタートした本辞典は、第二次世界大戦後の一九五六年に上代・平安・室町の三時代が再開され、三十余年以前に刊行された上代編に続いて、今回室町編全五巻が完成したのである。

 まずこのことには心からの祝辞を述べなければならない。もしこれが現代語の辞書であったなら、もう古くなって使えないであろう。歴史を扱う過去のものであるからこそ、この辞書が今でも出版される価値があり、そのこと自体、この作品が年月を超える価値のあるものであることを示している。そして、もう一つ、いずれの時代であろうと、その価値は同じように重大ではあるが、とりわけ室町時代は日本語にとっての特に面白い時代である点で価値は一層高いのである。

 この辞書の出版により、まず直接に利益を得る者は当該の時代、室町時代の日本語の研究者で、このように直接に実際の資料から作られた辞書は永遠に価値を失うことがない。ましてや、語彙の収録に際し、語彙論的な配慮がなされているとあれば一層である。多数の多様な作品からの収録とあれば、その文体論的な見地からのこの辞書の価値は更に高いものとなろう。

 もう一つどうしても忘れることのできないのは、方言学研究にとって実に貴重な資料であることである。言語は時間と空間の軸によって変化する。従って、この室町時代と限られた辞書は、何時そしてどのようにして、ある語彙が空間的な差、すなわち方言の中に反映してくるかを知るための第一級の資料である。方言研究者にとっては面白さを通り越した貴重な資料となるに違いない。

 今回、『時代別 室町編』が完成したことは、まず執筆者、そして原稿の整理、校正、編修などの協力者の並々ならぬ功を大としなければならない。出版社としても軽佻浮薄な出版物が満ち満ちている世間へのよい警鐘を鳴らすこととなろう。長い時間をかけ、丁寧に作った本が永遠といえる価値を持ち、長く読者に受け入れられるものであることを改めて認識することと思う。

 このような企画は本来、一出版社でなく、例えば、国立の機関がすることであるかも知れない。しかし、何人かの個人が入れあげなければ、公式の機関であろうと、一出版社であろうとできないものである。ここで是非新しい血を入れて、基本の資料が集められていると伝えられる平安編をまず出して欲しいものである。

 室町編全五巻の完成により、広辞苑の岩波、大漢和の大修館というように、時代別の三省堂という名が名実共にそろったものとなったことは何としても嬉しいことである。



 ●『時代別国語大辞典 室町時代編』を終わって

沓掛和子(国語辞書編集者)
(「ぶっくれっと」149号より)

 古びた南京錠をはずして板戸を開けると、しんと冷えきった空気の中に、古い本に 特有のかび臭い匂いが沈んでいた。

 ここは、広島、『時代別国語大辞典 室町時代編』の代表土井忠生先生の屋敷の土蔵横に作られた倉庫。路地を隔てて、この辞書用にたてられた八坪ほどの編修室が、母屋の玄関先に位置してある。

 この編修室が開かれてからはや三十年、2000年12月半ばに最終巻の第五巻が刊行されて、ようやくにして「室町時代編」の長い長い編修作業が終わったのである。そして、いま、後片付け、整理のために、編修室を訪れている。

 編修室から延長コードを引いて倉庫に明かりを入れると、奥まで細長くのびた内部の様子がぼっと浮かび上がる。

 右手の戸棚の上に天井近くまで横積みされているのは、戦前から戦後まもなくに発行された本、『大日本仏教全書』『国史大系』『茶道』などなど。その奥は、人ひとりがやっと通れる空隙を残しただけで、用例語彙カードを詰め込んだ段ボールの山で埋め尽くされている。そして、左手に大きな和だんすが二さお。腰に思い切り力を入れて重たい引き出しを開けると、中には昭和十六年この時代別辞書の仕事が開始されたころからの用例カードがぎっしりと詰まっていた。

 紙も豊かにはないころとて、教科書用の図帳などを裁断し、その裏を使って用例が書かれてある。一枚一枚取り出して黄ばんだカードの裏を返して見ると、当時の「よい子」の顔が笑っていたり、何の図版の一部か色とりどりの線があったりする。

 この用例カードは、もともと広島市内にあった広島文理大学の土井先生の研究室に集められていたものであった。太平洋戦争が激しくなり、その戦火が本土にまで及ぶにいたって、安全をはかって郊外の古江にある先生のお宅の土蔵に収められることとなった。その移送作業も、時局がら容易なことではなかったらしい。馬車をやとい、荷車を押して、けっこうな距離を辞書関係者数人の人力によって、ようやくここまで運び込んだのだという。

 果たして、昭和二十年八月六日、広島に原子爆弾が投下されて、爆心地から程遠からぬ文理大学の研究室は全焼し、灰塵に帰したのであった。

 その時、編修委員の一人木原先生は、研究室に来ていられた。中国奥地の戦場で重傷を負われて復員なさった先生は、傷を癒した後、副手として土井先生の研究室に詰めて、室町編の辞書の仕事を手伝われていたのである。研究室は他の建物の陰になる位置にあって、直接の閃光や熱線はまぬがれたものの、爆風の衝撃で倒れた本棚の下敷きとなってしまい、頭や肩にけがをしながらやっとのことで自力で脱出し、早くも火の付いていた近くの橋を渡って逃げ帰られたという。

 その直後、研究室にも火が入り、そのすさまじい熱焔は、本棚に並んだ本を、そっくりもとのかたちを残したままの状態で焼き尽くしてしまったとか。後日研究室に行ったおり、一見本の体裁をしたその背に触れると、あっけなくほろほろと崩れて塵となってしまったと伺った。

 爆心地から四キロ以上離れた土蔵に収められていた用例カードも、爆風で粉々になった明かり取りの窓ガラスの破片をかぶっていたのだ。

「だから、カードを扱うと、細かな破片で気がつかないうちに指が切れていて、しかもその傷からの血はどういうわけかなかなか止まらなくて困ったものだよ」

と、御自身、自宅にあって被爆なさった土井先生はおっしゃっていられた。

 今、薄暗い光に照らし出されて、たんすの中に眠っているカードは、昭和六十年に第一巻の刊行が始まり今回の第五巻をもって終わる辞書の中に、実際に使われたものはあまり多くはない。戦争をもって中断していた編修作業が昭和三十年に再開されてから、特に昭和四十年以降は、資料の発見、復刻、翻刻が相次ぎ、新しい資料からの用例採取に追われることとなった。その結果、これらの新しい語彙カード――それは時代別用に特別に誂えた、白くなめらかな紙質のものであったが――が用例の主流を占めることとなったからである。そのカードも、適例として採用されずにふるい落とされた多くは、この山と積まれた段ボールの中に詰まっている。

 あらためてその量の多さに圧倒される。

 これらの一枚一枚は、若き日の編修委員の先生方、また、当時の学生たちの手で、こつこつと写し取られたものである。戦前、「時代別国語大辞典」という壮大なスケールの辞書刊行事業に心うたれ、その実現を目指した研究者たち、戦後、新たな資料の登場に、室町時代語研究の発展を予見し、一歩でも先へと願った学徒たち、彼らの真摯な思い・情熱がこれらのカードに籠められている。そして、そこに投入された膨大な労力と時間との集積……。長い編修作業の過程では、編修委員の先生方の間に不協和音が生じたり、会社の事情によるさまざまな困難があったりしたけれども、何としても完成まで、と後押ししてくれたのは、カードをとった先人たちひとりひとりの無言の声援であったのではないか。その声なき声を、静まり返った冷気のなかで、今はっきりと聞いている。採用されなかったカードではあるけれど、その一枚一枚が刊行された辞書を誇りをもって支えているのだと。

 室町時代編の完結にあたって「二十世紀の棹尾を飾る辞書」と銘打ったけれども、ここ十数年で、辞書の作り方にも急速にコンピュータ化の波が押し寄せている。採録例はフロッピーに収められ、索引化され、また、一方では、データーベースから切り取られた用例が採用される。そして、辞書そのものもコンピュータのなかに収められ、紙面から姿を消す日が来るのかもしれない。

 そういう意味でも、二十世紀の半ば以上にわたる年月が費やされたこの辞書は、二十世紀を体現した、人間の叡智を紡ぐ手作業から成る、絶後の大型辞書といえるのかもしれない。




 ●見本ページ(室町編)

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