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  新訳 ダンネマン大自然科学史<復刻版>  全12巻+別巻1


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安田徳太郎 訳・編

80,000円(分売不可) 四六 978-4-385-36106-2

1巻(456頁)・2巻(344頁)・3巻(472頁)・4巻(520頁)・5巻(584頁)・6巻(448頁)・7巻(368頁)・8巻(408頁)・9巻(376頁)・10巻(456頁)・11巻(440頁)・12巻(376頁)・別巻(416頁・横組)

従来の羅列的科学史の域を脱し、自然科学の全体的な発展過程を正確に把握し、社会的背景の認識に基礎を置いた、初めての「科学を一つのまとまったものとして述べた本」。わが国科学史界の草創期を築いた名著としてロングセラーを続けてきたが、今回新訳版を完全復刻。第17回(昭和55年度)日本翻訳文化賞受賞図書。

2002年 11月1日 発行

 訳序  全巻の構成  第一巻の詳細目次  序言(原著巻一)  序言(原著巻二)  序言(原著巻三)  序言(原著巻四)  別巻の「訳者まえがき」  フリードリヒ・ダンネマンについて

●価値の高い歴史的文献

科学史が学問として専門家の研究対象になった初期の段階におけるひとつの総括といえる重要な文献であり、原典はもとより旧訳書も入手困難な歴史的文献でもある。

●科学史の最高峰

自然科学の全分野をカバーし、しかも古代から20世紀初頭までの全歴史を記述している、ダンネマンの原著をしのぐものは、いまだ存在しないといっても過言でない。

●専門的研究のための好個の手引書

重要な原典、原論文の引用を明示し、公的に刊行された文献にさかのぼって研究するための好個の手引書である。

●ダンネマンを枠組にした独自の研究書

大幅に追加した訳注は単なる原著の補注でなく、ダンネマンが利用しえなかった文献も利用し、ときには原文を大きく訂正する、独自の見解も提出している。



 ●訳序

 この本はドイツのフリードリヒ・ダンネマンの『発展と関連から見た自然科学』(Friedrich Dannemann,Die Naturwissenschaften in ihrer Entwicklung und ihrem Zusammenhange,2 Auflage, Leipzig, 1920―1923)』全四巻の翻訳である。このドイツ語の原本は、私が翻訳した当時は日本のどこの大学図書館にも見あたらず、日本では見た人も、読んだ人もないという不思議な存在であった。そこでこの本をどうして手に入れたかを、まず述べておきたい。

 私は学生時代から自然科学の歴史的把握に非常な興味をもって、欧米の科学史本をいろいろあさってみたが、けっきょくこれまでの自然科学の歴史本は、立身出世をよびかける子供向けの英雄伝か、この発見の先取権はだれであるかという考証学的研究か、たかだか専門分野の、発展の筋道をぬかした羅列的科学史を一歩も出ていないのを知って、がっかりした。私が求めてやまないものは、もっと初歩的な、だれでもが知りたがっているもの、つまり、自然科学の全体的な発展的把握であり、科学を推進せしめる社会的背景の認識であった。こういう立場から書かれた科学史は、どこにもなかった。

 ところが、第一次大戦後の一九二二年に、私はイタリアで発行されていた『性研究雑誌(Rassegnadi studi sessuali)』という学術雑誌を、本国から取りよせて読んでいたが、その雑誌に編集主任のアルド・ミエリ博士が最近翻訳したという、ダンネマンの『歴史的発展における物理・自然科学史』の広告が大きくのっているのを見て、はじめてダンネマンの名前と本を知った。ミエリ博士はこのほかに『科学史会誌』を編集し、また『科学思想史研究』という叢書をも出版していた。ミエリ博士のこういう啓蒙活動によって、第一次大戦後にヨーロッパにまきおこった、デモクラシー運動のあらわれとしての性科学と科学史、すなわち、科学を全体的に把握するという新しい傾向が、イタリアにおいてはじめて盛り上がったのである。私はさっそくベルリンの書店に問い合わせて、ダンネマンの巻一と巻二を、ついで発行ごとに巻三と巻四を手に入れて、全四巻を私の所有にすることができた。

 当時ドイツは敗戦後の大インフレーションのため、一マルク一円であった為替相場が、三銭にまで下落した。しかし、一九二三年に、インフレーション防止のために、いわゆるレンテン・マルクが制定された。そのために一マルクが一円にはね上がり、しかもドル建でなければならないとなって、全四巻を手に入れるまでにそうとう苦労した。この間の事情はダンネマン自らが巻四のまえがきで、ドイツの経済的混乱のために、せっかく出版した巻三と巻四は、外国へまるで売れず、もうからなかったと率直に述べたとおりである。このために日本へは巻三と巻四は一冊も入らなかったのである。

 私は全四巻を読みながら、私がかつて暗中模索した自然科学史が、ダンネマンの手によって、みごとに完成されているのを発見して驚嘆した。ダンネマンも言うとおり、「科学を一つのまとまったものとして述べた本」は、この本をおいて、ほかにないことをはじめて知った。私はこれまで集めた科学史本を全部投げ出して、ダンネマンの労作のなかにはじめて新しい進路を見いだした。もう一つ、これまでの科学史では、大体ルネサンスがはじまりであったが、この本ではじめてメソポタミア、エジプト、ギリシア、ローマだけでなく、日本ではあまり知られていないアラビア科学が、本格的に取り上げられているのには、非常に感心した。

 そこで私は余暇をみて巻一からノートに翻訳して、ダンネマンを指導者として、自然科学全体を見直そうとした。その後私は十歳も下の加藤正君と親しくなった。この青年は哲学が専門で、もしダンネマンを翻訳されるなら、自分の勉強のために、ぜひ手伝わせてほしいとのことであった。実際近世はやさしいが、古代と中世はそうとうむずかしいので、手伝ってもらうことにした。

 一九三七年にダンネマン教授に翻訳権の許可を求めたところ、アメリー・ダンネマン嬢から快諾の手紙をいただいたが、その文中に「父も昨年(一九三六年)なくなりました」とあり、また「日本語訳ができたなら、私の母がどんなによろこぶことでしょう」と、感慨こめて書きつづけてあった。

 第二次世界大戦の中頃に日本でも科学振興が叫ばれ、近代兵器のきびしさが、日本人の身辺にも迫ってきた。幸いにして、三省堂出版部が、私たちの翻訳を出版してもよいとなって、これまで書きためた四巻分の原稿をわたした。ところが、一九四一年(昭和十六年)に第一巻から第四巻まで(原著巻一と巻二)がつづけざまに発売されると、たちまちベストセラーになり、日本人もおそまきながら、教科書以外の科学書を読むようになった。聞くところによると、当時の出版社は科学振興にそなえて、いろいろの大衆向き科学書を企画したが、横合いから出てきたダンネマンにじゃまされて、せっかくの企画が御破算になったとのことであった。しかし、この本が刺激となって、世は科学史時代になり、いろいろの古典科学書の翻訳がおこなわれ、また科学史家という新しい学者グループまでもあらわれた。とにかく、よい傾向であったが、情勢はますます悪化し、印刷用紙は制限され、一九四三年(昭和十八年)の第六巻を最後に敗戦を迎えた。

 敗戦後共訳者の加藤正君は、長い闘病生活ののち、一九四九年(昭和二四年)に四三歳の若さで亡くなった。これからというのに、まことに惜しいことをした。そこで戦後の混乱のなかで、今度は私一人で翻訳をつづけ、第七巻、第八巻、第九巻、第10巻までどうやらこぎつけ、一九六〇年(昭和三五年)に別巻の索引を最後に、やっと完結を見た。考えて見ると、前後20年かかったわけであるが、最初の四巻まではベストセラーになって、大いに売れたが、続巻は経済的混乱のために、ダンネマンではないが、あまり売れずに、労力ばかり多くて、もうけが少なく、三省堂にも損害ばかりかけた。ただこの翻訳がきっかけになって、各地の古書店が私のためにガリレオ・ガリレイ、ニュートン、プリーストリ、ハーヴィ、アラゴと、いろいろの古典科学書を集めてくれ、これだけが戦災をまぬがれて、私の手もとに残った。

 それから30年の歳月が流れた。

 数年前に三省堂出版部の人がみえて、ダンネマンの旧訳は、文章もかたく、専門用語も古いので、もっとやさしく現代向きに改訳してほしいという相談を受けた。しかし、新しくこういう大事業に取り組むのは、私にとっては命がけであるし、下手をすると、途中で倒れるかもしれないと思っておことわりした。しかし、私の手もとには、若いときから集めた古典科学書もそうとうそろっているので、やはり思い切って、改訳の仕事を引き受けるのがよいと思った。そこで身辺を整理して、数年前からぼつぼつ仕事にかかり、最近いちおう改訳がすんで、新版が順々に出版できるようになった。

 この本は今日の高い科学的水準から見ても、やはりすぐれた本であって、これまでのところ、これをしのぐ科学史本はまだ出ていない。実際この本を分水嶺として、これまでの英雄伝的科学史、考証学的科学史、羅列的科学史はいっせいに押し流されて、自然科学を全体的に、発展的に受けとめようとする、自然認識の新しい学問が盛り上がった。こういう立場によって、これまで無視されてきた中東の科学も、ギリシアの科学も、アラビアの科学も、何千年前に滅んだ学問でなく、現代もなお私たちの知識のなかに、脈々と生きつづける不死身の科学となった。

 この本の基礎知識は高等学校の自然科学の程度で、今日の日本人ならだれにでも理解できる、やさしいものである。しっかり腰をすえて、科学の原点に立ち返り、新しい目でもって、ピュタゴラスやアルキメデスの数学、コッペルニクスの天文学、ガリレオ・ガリレイの力学を、原典について学ぶのは、日本人にとっても、楽しいことであると思う。

 今回の新訳(全十二巻・別巻一)には、最近とくに見直されてきた中東、ギリシア、アラビアおよび中世の科学史の訳注を大幅に加えたため、原著巻一は新訳第一〜第三巻(旧版第一・第二巻)、原著巻二は新訳第四・第五巻(旧版第三・第四巻)、原著巻三は新訳第六〜第八巻(旧版第五・第六巻)、原著巻四は新訳第九〜第十二巻、別巻一 (旧版第七〜第十巻、別巻一)の構成をとったことをおことわりしておく。なお、ダンネマン原注は本文に□1(四角に1)、□2(四角に2)、…で、訳注は(※一)、(※二)、…で示した。

 一九七六年十月一日

安 田 徳太郎



 ●全巻の構成

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第1巻 古代の科学
序言
訳序
I アジアとエジプトから科学がおこる
II ギリシア人における科学の発展 アリストテレス以前
III アリストテレスの時代

第2巻 古代科学のおわリ
IV アレクサンドリア時代
V 口−マ人における自然科学
VI 古代科学のおわり
VII 中世のはじめにおける科学の衰亡

第3巻 アラビアの科学からルネサンスまでの科学
VIII アラビア時代
IX キリスト教的ゲルマン文化の影響下の科学
X ルネサンス
XI コッペルニクスによる太陽中心的世界説の確立
XII 無機的自然科学の再建のいとぐち
XIII 有機的自然科学の再建のいとぐち


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第4巻 ルネサンスから17世紀までの科学
序言
I 古代と近世
II 近世的研究手段
III ガリレイの基礎的創造
IV 帰納的研究方法の広まり
V ティコおよびケプラー時代の天文学
VI 数学の進歩による自然科学の促進
VII 自然科学と近世哲学との関係
VIII 液体および気体の物理学の完成
IX 医化学のその後の発展とボイルによる科学的化学の確立
X 科学復興後における植物学と動物学の展開

第5巻 17世紀から18世紀まての科学
XI 大科学アカデミーの創設
XII ニュートン
XIII ホイゲンスおよびその他のニュートンと同時代の人びと
XIV 化学的・物理的研究の影響のもとに、近世鉱物学および地質学の基礎が築かれる
XV 解剖学と生理学の隆盛
XVI 下等動物の顕微鏡的研究の最初の成果
XVII 植物解剖学と植物雌雄説の樹立
XVIII 力学・光学・音響学のその後の展開
XIX 引力論の確立後の天文学の進歩
XX 十八世紀の鉱物学と地質学
XXI 自然科学と啓蒙時代


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第6巻 18世紀の科学
序言
I 科学と世界史
II 十八世紀は電気学の基礎を建設する
III 熱学の分野における実際的・理論的進歩
IV 人為分類の支配下における博物学
V 植物生理学の分野への物理学的方法の拡張
VI 十七歇紀に開かれた噸雄説の完代
VII 十八世紀における動物学の進歩゛
VIII 近代数学およびその自然科学との関係
IX ボイルによる確立からラヴォアジエによる革新までの科学的化学

第7巻 18世紀から19世紀初頭の科学
X 化学の定量分析時代への歩み入り
XI 原子説の提唱とその実験的基礎づけ
XII ガルヴァー二電気の発見
XIII 電気化学の確立
XIV 電磁気的および電気力学的基礎現象の研究
XV 熱電気の発見
XVI とくにラブラスとハーシェルによっておこなわれた天文学の躍進
XVII 熱力学の基礎

第8巻 19世紀初頭の科学
XVIII 光学の進歩と波動説の勝利
XIX 化学と物理学が緊密な相互関係に入る
XX 数学の自然科学への応用における進歩
XXI 自然地理学の確立
XXII 化学的・物理学的研究の影響を受けた鉱物学
XXIII 植物の自然分類の提唱
XXIV 近世化学および物理学の影響下における植物生理学
XXV 動物学の進歩とその比較解剖学との融合
XXVI 大変動説の支配下における地質学と古生物学
XXVII 発生学の分野における進歩


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第9巻 19世紀の科学(1)
序言
I 科学と科学史
II 回顧
III 天体力学確立後の天文学
IV エネルギー原理の時代に入るまでの物理学の古い部門
V 近代電気学の成立

第10巻 19世紀の科学(2)
VI 有機化学の確立と、化学理論の発展にたいするその影響
VII 特殊科学の一部門としての生理学の確立
VIII 細胞が植物および動物の基本器官であることがわかる
IX 現実説の時代の地質学、地質学と他の自然科学が緊密に結びつく
X エネルギー原理が自然科学全体に広がる
XI 生物研究における近代の進歩

第11巻 19世紀の科学(3)
XII 進化説の科学的確立
XIII 化学的・物理的研究の影響を受けた地質学と鉱物学
XIV 構造化学の発展と化学元素の分類
XV スペクトル分析と写真のなかからいちばん重要な近代的研究方法が生まれた
XVI 物理化学の勃興

第12巻 20世紀初頭の科学
XVII 理論および応用物理学の近代的進歩
XVIII 天体物理学の勃興以後の天文学の発展
XIX 自然科学と近代文化
XX 使命と目標
XXI 追加

別巻 年表・文献・索引
訳者まえがき
科学史年表
付録 ノーベル賞受賞者一覧
参考文献
引用文献
訳者が訳注に使用した参考文献
人名索引
事項索引
図版の出典
付録 外国語発音一覧表



 ●第一巻の詳細目次

I アジアとエジプトから科学がおこる

エジプト人の文化/エジプト人の数学と技術/バビロニア・アッシリア文化/バビロニア人の数学/天文学のおこり/最初の度量衡/冶金術、その他化学製造工業のはじまり/医学のはじまり/最初の博物学/南および東アジアの古代文化

II ギリシア人における科学の発展 アリストテレス以前

ギリシア自然科学のはじまり/機械論の原理による自然説明のはじめての試み/観念論的世界観のはじまり/ギリシア数学の確立/ギリシア天文学のはじめ/動物学と植物学のおこり/ギリシア医学樹立の第一歩

III アリストテレス時代

アリストテレス/哲学者としてのアリストテレスと自然科学にたいする彼の地位/アリストテレスの力学の原理/音響学と光学のはじめ/アリストテレスによる天界/自然地理学および地質学の開拓/アリストテレスの四元素説/動物学の樹立/アリストテレスの植物説/テオフラストスが植物学を樹立する/鉱物学の創始者としてのテオフラストス/アリストテレス体系の影響と永続性



  ●序言(原著巻一)

 この本は大戦のすこし前に完結した。幸いにして好評を博し、巻一はすでに大戦中に品切れとなった。ドイツの出版界は異常な困難と戦わなければならなかったために、遺憾ながら第二版はすぐには出版されず、しばらくのあいだ完本が書店から姿をかくしていた。

 この第二版はたんに増補版というだけでなく、とくにある点ではまったくやり直しの改訂版となっている。つまりどの分野にわたっても同じように根本的な準備をするということは、一人の力ではとうていおよばないので、今度はいく人かのすぐれた学者の協力を求めた。とくに私は枢密顧問官・教授・博士ヴィーデマン(エルランゲン)、教授・博士フォン・リップマン(ザーレ河畔ハレ)、教授・博士ヴュールシュミット(エルランゲン)の諸氏に心からの感謝を述べなければならない。私はこの人たちから多くの刺激を受けたのみならず、校正刷りまでいちいち見ていただいた。注意された意見の多くは本文に入れることができたが、残りのものは巻末へ別欄を設げてのせることにした。(▲)その他の若干の意見は、いまのところ保留するよりほかに仕方なかった。

(▲) 原著巻末の「追補、添加、正誤(紙面のゆるすかぎり掲載)」の項に約60の注があがっている。三氏の教示による注は(ヴィ)、(リ)、(ヴュ)とつけ加えられている。本書ではそれらをすべて本文の該当箇所へ、入れておいた。

 私がぱじめの三巻をそれぞれヴィーデマン氏、フォン・リップマン氏、ヴュールシュミット氏に捧げたのも、ほんの心ばかりの感謝のしるしにすぎない。私もこういう協力のおかげで、何よりもこの本がいっそう利用に適するものとなったことは疑わない。さらに多くの教示がいろいろの批評において、また知人たちから与えられている。それらをいちいちあげるわけにはいかない。しかしとくに続巻について、私は近世科学史の碩学、故枢密顧問官・博士ベルトルトの名をあげずにはおられない。先生の膨大な蔵書はミュンヘン市ドイツ博物館(自然科学的技術的器械博物館)に購入され、その所有に移されたため、私はたえずそれを利用することができた。ベルトルトはバイエルン科学アカデミーが大物理学史を発行するさいに、その編集を依頼した人で(▲)、私がこの人を度々訪問したことは、巻一、巻二の改版発行に大いに役立った。

(▲) ベルトルトはこの仕事を完成しなかった。それはのちにゲルラント(1800年まで)およびヴュールシュミット(1800 ― 1900年)にまかされた。

 この本の目的については、初版のはじめに述べたところをここにくりかえしておこう。――科学の歴史にたいする興味は、ここ数十年以来非常に活発になっている。一歩一歩自然の謎を解くごとに、新しい困難が生まれてくるのを見れば見るほど、これまで歩いてきた道をふりかえり、今日までの探究の豊富な総結果から、自然現象の関連をますます深く洞察しようとする新しい希望をくみ出すために、私たちはますます過去をふりかえるようになってくる。さらにまた個々の人々の活動が、小さい研究範囲にかぎられるにしたがって、科学全体にいっそう目を向けようとする要求が、ますます切実になってくる。科学全体を現在の広がりのままに見わたすこともあながち不可能なことではないが、またそれを歴史的にふりかえることによって、主要事実を引き出し、それらを関係づけ、いっそう深い見方をもち出すこともできる。

 歴史的研究の重要な結果は、なおつぎの点にも見ることができる。つまり私たちは科学を未完成の、現在も発達しつつある、したがってまだできあがっていないものと見ることによって、独断的偏見を予防する。さらに私たちは、今日用いられているのと同一または同様の方法や推理の方法が、科学の発展のなかにも見いだされるものだということをも悟るようになる。このため以前の研究や考えや推理にふれなくては、はっきりさせることのできない分野も多い。こういう理由から、発生的な観察の方法が、多くの教科書に入りこんできただけでなく、各分野の科学史も多くあらわれ、資料の研究もさかんになって、なかなか手に入らないばあいの多かった古書も復刻され出した。ここではただオストヴァルトの大事業をあげるだけにしておく。その『オストヴァルツ・クラシカー(オストヴァルト監修、精密科学古典家叢書)』は全195巻(※のちにさらに数十巻を加えている)、数学、天文学、物理学、結晶学、生理学の範囲での基礎的論文をおさめている。

 本書はある意味で『オストヴァルツ・クラシカー』を枠として、個々の分野が発展の過程においてたがいにどのように影響しあったかを説明しようとするものである。科学史は何よりもまず文化史の重要な部分であるから、文化史と一般歴史との関係においてながめるときにだけ、私たちは科学史を正しく理解することができるのである。このような観点から出発した自然科学の発展過程の講述は、まだだれも手をつけなかったのである。もし個人でそれをくわだてようとすれば、多くの点で読者のお目こぼしを請わなければならなくなるし、多くの人びとの分担にすれば、ある統一的なものをつくり出すわけにはいかなくなるだろう。

 歴史家ばかりでなく、各分野の専門家、教師、技術家、また自然科学に興味を抱いているすべての人びとにとっても、史学の元老レオポルト・フォン・ランケが、その『ドイツ史』第五巻で述べた思想を実現しようとした書物があれば、いろいろ役に立ったことだろう。ランケはそこでこう述べている。「試みに、ドイツ人が科学の発展につくした協力を、ヨーロッパ的発展の枠内において公正な評価をもって示すならば、そのような本はすばらしい本だといわなければならない。」なおランケはこれに加えて、「国民の一般史からいうなら、そのような本はほんとうに欠くことのできないものであろう」と書いている。

 もちろんこの本はランケの目ざしたこの目標をはるかに踏み出している。というのは、この本は精密科学の歴史の全範囲を扱っているからである。それはそれとして、ランケの立てた課題はみたされたのだともいえよう。つまり、「ドイツにおける科学の歴史」は、ただ全体的発展の枠内でのみ示すことができるからである。いまこの全体的発展を眼中におくならば、自然科学を文化全体の結果として観察するだけでなく、他の諸科学、とくに哲学、数学、医学、技術との関連において観察しなければならない。さらにこれらの思索と探究の諸部門が、たがいにどのように促進し制約しあったかを、明らかにしなければならない。

 このような課題をみたそうとする本にたいしては、伝記的および書誌学的方面についての完全無欠を期待してはならない。しかし、とくに書誌学的の方面については、参考書としてではなく、古代および近代の自然科学的文献の研究の手引きとして役に立つ範囲のものはのせておいた。この目的にそうために、最終巻には全篇にわたる文献、事項・人名のくわしい索引をつくり、各巻には簡単な事項・人名索引をつけておいた。

 自然科学史は歴史の研究のいちばん若い部門である。したがって、とくに古い時代になると、まだ多くのことが明らかになっていない。多くのことは最近になって、考古学的および古文献学的研究の進歩によって、やっとわかってきたのである。古代東洋文化の開拓とアラビア文献の探究がもたらした重要な結果について、考えるだけでよい。もっとも、この方面になると、判断がまだ十分にはっきりせず、重要な点で非常に矛盾しているものが多い。古代および中世の自然科学的知識の発展を関連的に述べようとするものにとっては、そのために少なからぬ困難が生じてくる。あることを述べると一方では同意を得、他方では反対を受けるというばあいがしばしばある。私たちが関連や原因について述べることのできる意見にたいしても、同じことがあてはまる。

 しかし、これらの事情も、私が全体図を描き、それによって長いあいだの要求として、その実現がますます待たれるかねての使命に着手することをじゃましなかった。なぜなら、全体図においてのみ、無数の個別的研究の結果は、はじめて十分な価値をもつのであるが、個々別々に切り離されていては、その結果はたいてい価値に乏しく、ときには無価値にさえ見えるからである。

 科学史の振興のためには、今日までのところほとんど何もされていない。科学史の包括的な講義は大きな大学においてさえ、まだどこにも見られない。それどころか、これほどまでにすばらしい繁栄をみた自然科学のある特殊部門について、歴史の講座などまるでもたれない大学もたくさん見られる。一方、哲学、美術、文学などの歴史の講義のない大学はどこにもない。私たちはすべての大学に科学史の特別講座を設けることを必要とする。そういう講座がないかぎりは、この本のような著述は、科学の学生にとっては、いくらかの埋め合わせになるだろう。このため大学の先生のなかでも、人によっては、立ち入った歴史的研究の重要性を学生に指摘しておられる方もあると聞いて、私は心からよろこんだ。ベルリン大学およびカイザー・ヴィルへルム研究所(ダーレム)の教授・博士シュトック氏のような先生は、数年来実験化学の序講で学生たちに『発展と関連から見た自然科学』を推薦していると書かれている。こういうように、何人かの大学の先生の協力のもとに改訂されて出版されるこの本は、この点でもその使命をはたすだろうと期待することができる。

フリードリヒ・ダンネマン



 ●序言(原著巻二)

 巻二は主として十七世紀に成立した近世自然科学の基礎を取り扱う。この時期において、科学の発展から私たちの眼前に生まれ出るものは、ガリレイ、ニュートン、ホイゲンス、そのほか多くの第一流の科学者の創造になるものである。これらの人びとの基本的労作は『オストヴァルト・クラシカー(オストヴァルト監條、精密科学古典家叢書)』によって、解説版として、また外国文のぱあいはドイツ語訳として、今日広い範囲に普及されている。本書、巻二は、続巻と同じに、しばしばこの叢書を参照した。したがって、本書をある意味で『オストヴァルト・クラシカー』の枠にしたいという著者の意図は、巻一にくらべて、いっそうはっきり示されている。

 本書を編むにあたって考慮にのぼった、その他の点については、巻一の序言が参照されなければならない。著者はこの巻二においても、また、科学の歴史をその全体的発展の枠のなかで叙述し、歴史家にとってだけでなく、医師、技術家、教師、学生、要するに自然科学に切実な関係をもっているすべての人びとに役立つ書物を、つくりあげるのに成功するよう、期待したいと思っている。というのは、著者の努力は、自然科学の発展を、今日もまだ価値をもっているそれらの基礎において、また他の諸科学、とくに哲学、数学、医学、および技術にたいする関係において、叙述するところにあったからである。

 本巻でも枢密顧問官・教授・博士ヴィーデマン(エルランゲン)、私が本巻を献じた敦授・博士フォン・リップマン(ザーレ河畔ハレ)、および教授・博士ヴュールシュミット(エルランゲン)の諸氏が、組版の校閲に協力された。私は、これらの諸氏に負う多くの修正や追加にたいして、深く感謝する。さらに、書評において、あるいは直接個人的に私に与えられた多くの示唆にたいして、ここに謝意を表する。

          一九二一年春、ミュンヘンにて

フリードリヒ・ダンネマン



 ●序言(原著巻三)

 本書、巻二(※邦訳第四および第五巻)では近世自然科学の誕生を述べた。それは十七世紀の初期から十八世紀の中期までの年代をふくんでいる。この時代のおわりと共に、自然科学の発展における最近世の段階がはじまる。この段階を、現代の問題にいたるまで、概要的に述べるのが、本書、巻三(※邦訳第六、第七、第八巻)および巻四(※邦訳第九、第一〇、第十一、第十二巻、別巻一)の目的である。諸事件のたんなる羅列でなくて、それらの内部的関連の証明が、本書の眼目であるから、種々の分野がたがいに入り組んでいる以上、年代学的観点からの厳密な配列は不可能である。一つの限界を引こうと思えば、この限界はエネルギー原理の発見の時期とほぼ一致するであろう。本書、巻三は、大体において、自然科学が当時経験した偉大な転換を叙述している。この転換はとりわけ、近世化学と電気学にたいする基礎がつくられ、物理学の残りの部分がさらに広げられ、実験的な研究方法が生物学の上に広げられることによっておこなわれた。自然科学が十九世紀のその後の経過および現世紀のはじめにとった、大規模な飛躍を述べるのは、最終巻としての巻四に保留しておく。

 本巻においてもまた、全体的発展という枠のなかで叙述を進め、自然科学の隣り合った諸分野との関連を示し、とくに現代の科学の殿堂のさらに深い理解にたいして、寄与するものだけを取り出すのが、著者の目ざす努力であった。

 本巻の新版は多くの追加と修正をふくんでいる。新版全体にわたっておこなったように、材料のいっそう厳密な整理という点にも注意をはらった。私が一年前からミュンヘンのドイツ博物館の科学幹事(▲)として活動し、いわば自然科学と技術の歴史を、対象による具体的な姿で示しているといえる、その博物館の収集品を、本書に結びつけようとつとめた事情にも、私は多くのものを負っている。このことは、この巻三よりも、巻四のほうにもっとはっきりあらわれてくるであろう。

(▲)この科学史的博物館は(くわしくは第九巻の第一章を見よ)各種の機構をもっていて、「器械や設備の原物や模型の陳列」「文献の収集」「証拠資料、たとえば原記録、書簡、手稿、肖像、記念鋳貨などの保存」「科学的活動、編集、講演」などをおこなっているが、著者ダンネマンは一九二一年から一九二三年まで科学活動の部門にあたり、とりわけ叢書『発明と発見の生成』を刊行した。これはドイツ博物館の各館別の案内書ともいうべきもので、博物館の陳列を基礎にして、科学および技術の発達史を部門別に概観した小冊子の叢書である。

 組版の校閲にたいしてふたたび枢密顧問官・教授・博士ヴィーデマン(エルランゲン)、教授・博士フォン・リップマン(ザーレ河畔ハレ)、私が本巻を献じた教授・博士ヴェールシュミット(エルランゲン)の諸氏に協力していただいた。私は多くの修正と追加にたいして諸氏に最大の感謝を表するものである。さらにまた多くの教示が批評記事において、また直接個人的にも与えられた。私はここでそれらにたいして謝意を捧げておく。数学の章の校閲において、私はとくに有名な数学史家、教授・博士ヴィーライトナーの御後援を受けた。

     ミュンへン、一九二二年の夏  

フリードリヒ・ダンネマン



 ●序言(原著巻四)

 自然科学をその成り立ちと関連という二つの点から述べるくわだては、この第四巻(※邦訳、第九、第一〇、第十一、第十二巻、別巻一)でおわりになる。第一巻(※邦訳、第一、第二、第三巻)では発端から科学復興まで、第二巻(※邦訳、第四、第五巻)では、ガリレイから大体十八世紀のなか頃までを述べた。第三巻(※邦訳、第六、第七、第八巻)といまここに出版する第四巻とのあいだには、はっきりとした年代上の区切りを引くことはできない。この二巻には、大体のところ十八世紀から十九世紀の変わり目におこった、近代自然科学の興隆が述べられている。しかし、エネルギー原理が立てられたことは、いち おうの区切りになるだろう。

 ところで、最近世の発展の上に君臨しているこの原理は、何のなかだちもなしに、突然発見されたのではなかった。それは数かぎりない事実や関係が発見されるにつれて、しだいに準備されていったのである。それゆえ、この新しい原理は、第四巻のはじめのほう(※邦訳、第九巻)で、だんだん明確さを増してあらわれてきて、ついに十九世紀のなか頃に、はっきりした形で言いあらわされるようになり、それ以来自然科学のあらゆる分野へ、意識的に拡大されるようになったのである。これと同時に、生物科学の方面では、進化思想ののびゆく芽が見られた。今日でもなお私たちは力戦苦闘の真っただなかにあるのであるが、現代という時代の目じるしになっている、このような包括的な原理を手引きにすれば、問題をもっともっとはっきり解決することができるであろう。だから、すでに確実なものとなった過去の成果から、現在のもろもろの問題へと通じている道筋をたどるのが、この最終巻の目的でなければならない。この途上の道しるべとして、私たちの眼の前にあらわれるのが、大科学者たちの原論文である。これらの論文は、オストヴァルトのくわだてた『精密科学古典叢書』(※オス\トヴァルト・クラシカー)によって、広い範囲の人びとが入手できるようになった。このくわだてのために、いわば一つのわくをつくるという使命を、著者はこの巻でも念頭から離さなかった。

 右に述べたような観点を念頭におかないかぎり、ますます増大していく材料をこなし、叙述にいちおうのしめくくりをつけることは不可能であった。これまでの三巻(※邦訳、第一〜第八巻)のばあい以上に、この最終巻では、いちばん重要なものと、一般的なものに範囲をかぎって話を進めることが、必要であるように思われた。したがって、読者諸君は、ここに全巻完了した本書を、一種の辞書と考えて、いろいろのこまかい知識については、何も教えてくれないと、憤慨して、ほうり出してしまってはいけない。しかし、そうかといって、くわしい人名や項目や文献の索引をつけるのをやめはしなかった(※邦訳、別巻)。というのは、本文で別々に述べた事柄のつながりを、手っとり早くしらべることができるようにすることは、どんなぱあいでものぞましいことだからである。

 この本が、自然科学の各分野のあいだの関係と隣接領域の分野を、全体の発展というわくのなかに入れて示し、また学者・教師・学生という非常に広い範囲の人びとに、現代の科学をいっそう深く理解するうえに、どうしても必要な事柄を伝えるのに成功しているとすれば、私としても幸いである。重要な応用については、多くの箇所でふれておいたから、医者とか技師のように、科学を応用するのを使命としている人びとにも、本書はそれだけ歓迎されるであろう。第一章では、科学の歴史が現代にとってどういう意義をもっているかを述べる。第二章では、回顧のあらすじが述べられている。第三章からは、ふたたび前巻に引きつづいて、総合的な筆を進めることにする。

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 この巻が発行されれば、増補し、根本的に改訂する仕事は完全におわって、第二版ができあがったことになる。初版ではだれの協カもえなかったが、このことはつぎはぎをしたのではなくて、ただ一度だけ鋳型に入れたような結果になって好都合であった。この点は、ごく最近の『歴史学雑誌』にのった(ズートホッフの)書評のなかでも指摘されている。しかし、他方において、この新版を編むにあたって、各方面の人びとから助言や忠告が著者に与えられたことは、それに劣らないくらい貴重なことであった。やはり多数の専門家が協カされたおかげで、全体がしっかりしたものとなり、信頼できるものとなった。

 私はのちのちの版では本書をもっともっと科学文化史に近づけたいと考えているが、今度のような方法によらないならば、このようなことは不可能であろう。このような歴史は今日までのところ、まだ見あたらないが、著者は余生をあげて、執筆に、講義に、たえず努カしたいと考えている。協同の力によって、成しとげられた過去の科学上の業績や技術上の業績を思いおこすことほど、(※第一次世界大戦で戦った)諸国民をふたたび結びつけ、一段と高い倫理的な段階に、引き上げることのできるものはないというのが、私の確信である。

 これまでよりももっとつっこんで、ごく最近の発展を述べてくれという希望が、各方面の人びとから著者によせられた。しかし、私は、これまでのように今度も、現在の問題の手ほどきをするのではなくて、現在の問題にまで諸君を連れてくるのが、本書の使命だと考えている。こうしなければ、本書の特徴は失われてしまうであろう。もし別の方法をとれば、本書はあまりにもかさばったものとなり、また問題の取り扱いも明確さを失ってしまうであろう。漠然とではなくて、はっきりとものを見ようとすれば、ある一定の距離をおいて見ることが必要である。これに反して、現在の一定の問題を見わたすのなら、かまわないように思われる。とくに、それらがそれにさき立つものとのあいだに、密接な関係があることを、はっきり認めることができるぱあいは、なおさらそうである。それをどの程度までつっこんでいったらよいかは、著者とその助言者との見積りにまかせなければならない。読者諸君が理解ある態度で評価されるなら、諸君の眼の前に展開される大きな統一的な像のなかに、いろいろの線が書き落とされているからと言って、非難されないであろう。このぱあいもまた、私たちはつぎの言葉をくりかえすだけである。In magnis voluisse sat est !(大きいことは、思い立つだけでも結構なことだ!)と。

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 おわりにあたって、感謝の言葉を述べたい。とりわけ、枢密顧問官・教授・博士エー・ヴィ一デマン、教授・博士エー・オー・フォン・リップマン、教授・博士ヴュールシュットにはとくにお礼の言葉を述べたい。これらのかたがたの助カは、最初の三巻(※邦訳、第一〜第八巻)にわたっている。

 少し前から私はボン大学と関係をもつようになったが、最近私はこの大学の哲学科(※本巻、十七ページ、訳注[※六]を見よ)に(※講師として)迎えられた。おそらくドイツの大学に自然科学史が講座をもったのは、これが最初であろう。私はそこで、本書に述べられている以上に、自然科学の発展を文化史の一つの根本的な要素という意味で講義するつもりである。

 右に述べたような関係が生じた結果、ちょうど最初の三巻で前記の諸氏の援助をえたように、この第四巻ではボン大学の学者から同じような援助を受けた。それはとくに、教授・博士コーネン、ペンラート教授、ユングブルート博士、ホープマン博士らの諸氏である。とくにホープマン博士からは、天文学の最近の発展まで筆を進めた第十八章の材料全部の提供を受けた。

 化学の部に関しては、大化学工業の代表者の一人であるツァールト博士に、多大の感謝の意をあらわさなければならない。最後に年表であるが、これは各方面からよせられた要望にこたえて、この新版につけ加えたものである。これは、『技術および工業史雑誌』の編集者として功績ある、フェルトハウス氏およびボーレ教授の校閲を仰いだ。

 発行書店(※ライプチヒのヴィルへルム・エンゲルマン書店。「オストヴァルト・クラシカー」の出版元である)にたいしても、ますます困難になっていく事情にもかかわらず、全四巻の刊行にあらゆる苦心をはらわれたことについて、深く感謝の言葉を述べなければならない。このことは、最後の二巻についてとくにそうである。ドイツの出版業は、現状では、たとえ外国がその刊行物を買ってくれるにしても、もうかることは少ないのである(▲)。本書も、このもうかるということを、とくにあてにしているのである。というのは、科学を一つのまとまったものとして述べてある本のないことが、あらゆる方面で根本的な欠陥と感じられているからである。 一九二三年(※大正十二年)夏

     ミュンヘンにて

 フリードリヒ・ダンネマン

(▲)本書、新版の第三、第四巻が出た一九二二年(大正十一年)〜一九二三年(大正十二年)という年は、第一次世界大戦後のドイツのインフレーションが深刻をきわめ、マルクが大暴落をおこした年であった。ドルにたいするマルクの相場は、二〇年(大正九年)七月の40にたいし、二二年一月は一92、二二年一〇月は4500、十二月には、8000になった。二三年一月、フランス・ベルギー両軍がルールを占領するや、ドイツの財政は破局に達し、二三年一月には、18000、四月には、25000、七月には、35000、八月には、じつに一億に下落した。この月ヒトラーのミュンヘン一撲がおこり、ドイツはファシズムへの第一歩を踏み出した。つまり、本書はドイツ経済の破局の最中に出版されたのである。



 ●別巻の「訳者のまえがき」

 『新訳ダンネマン大自然科学史』は,第十二巻につづく別巻の編集をもって完結した。

 ところで,外国の科学書の翻訳は,わが国の科学技術の向上に非常に大切な仕事であるが,企業としてなりたたないために,出版社から歓迎されなかったし,科学書の翻訳家も通俗学者として学界で排斥された。それにもかかわらず,三省堂が採算を無視して,この大事業を引きうけ,その上に新訳にさいして,膨大な訳注,図版,写真を心よく入れていただいた点において,訳者は心から感謝しなければならない。

 つぎに原著では巻四の巻末に,科学史年表,参考文献,事項索引および人名索引があがっているし,図版の出典は各巻の巻末にまとめられている。邦訳では,これらを別巻としてひとまとめにして,読者に便利なように,新しく編集しなおした。

 はじめの科学史年表では,訳本の記述にしたがって,科学史の事件を述べ,とくに科学者の著作物を大幅に追加した。ダンネマンの年表は今世紀のはじめでおわっているが,読者にとってはやはり1900年以後が重要であるので,「付録ノーベル賞受賞者一覧」を新しく加えて,20世紀の科学史年表にかえた。

 文献については,参考文献のほかに,各巻の脚注にあがっている引用文献を全部ひとまとめにしてあげておいた。さらに訳者が訳注に使用した参考文献についても,ダンネマンの参考文献と同じ形式で,ひとまとめにしてあげた。

 訳者の参考文献は,訳者が学生時代から現在にいたるまで,50年以上もかかってこつこつ集めたもので,その大半は今日ではもはや手に入らない稀覯書になっている。とくに古典科学書については,ベルギーのブリュッセル市のEditions Culture et Civilisation,115 Avenue Gabriel Lebon、1160 Brussels, Belgiumから,1966年以来History of Scienceとして,古典科学書の膨大な復刻版のコレクションが出版されているので,新訳にさいして大量に手に入れた。訳注にあげたアヴィケンナ,ヴェサリウス,コッペルニクス,ガリレイ,ティコ・ブラーエ,ケプラー,ホイゲンス,ギルバート,その他は,すべてベルギーの復刻版のおかげである。

     1979年12月

安田徳太郎



 ●フリードリヒ・ダンネマンについて

 ダンネマン(Friedrich Dannemann,)は一八五九年にドイツのブレーメンに生まれた。家は代々船乗りであった。ハイデルベルク、ベルリン、ハレの各大学で、哲学のクノー・フィッシャー、エルトマン、物理学のへルムホルツ、化学のホーフマン、ブンゼン、植物学のクラウスのもとで、自然科学と歴史とを学んだ。その後ヴッターパール・バルメンの職業学校の化学の教師になり、ついで校長になった。ダンネマンは在職中に自然科学の教授法の改革にカをそそぎ、『実習的発見的基礎に立つ自然科学指導』をあらわした。彼は教師として活躍する一方、自然科学史の研究にしたがい、『われわれの世界像はどうしてできたか』をあらわしたり、『オストヴァルツ・クラシカー(精密科学古典家叢書)』の一巻として、ゲーリケの『真空について』をラテン語から翻訳したのち、一八九六年(明治二九年)に『大科学者の著作抄』、翌年に『自然科学史入門』をあらわした。その後ドイツの各地、ロンドン、パリ、ローマの図書館を訪ね、自然科学の古典をあさり、ついでオランダ、スカンジナヴィア、アメリカの学芸文化を視察した。

 さらに一九一〇年(明治四三年)から十四年(大正三年)にかけて、ライフワークとしての『発展と関連から見た自然科学』を書き上げた。この書の改訂版は一九二〇年(大正九年)から二三年(大正十二年)にかけて出版された。この改訂版こそ、本書『大自然科学史』である。その間一九二一年(大正十年)に、前記の職業学校の校長の職をやめた。一九二三年(大正十二年)にボン大学の哲学科に招かれ、はじめて講師として、のちに教授として自然科学史の講座を担当した。さらにミュンヘンの「ドイツ博物館」の幹事として活躍し、『発明と発見の成り立ち』の叢書を編集した。彼は一生かかって何千巻の自然科学史文献を収集したが、それはのちに「ドイツ博物館」に寄贈された。彼は一九三六年(昭和十一年)に七七歳で亡くなった。

 なお本書はイタリアのアルド・ミエリによって、一九二三年にはじめて『歴史的発展における物理・自然科学史』という書名で訳され、のちにロシア語にも訳された。一方英訳やフランス語訳は出なかったが、イギリスのウルフが一九三九年にあらわした『十六世紀および十七世紀における科学、技術、哲学の歴史』と『十八世紀の科学、技術、哲学の歴史』は、明らかにダンネマンに基づいたものである。

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