三省堂 「だいじょうぶでなかった私の日本語」

 タイトル

「だいじょうぶでなかった  私の日本語」エッセイ優秀作品発表1999年10月から2000年5月末日まで、皆様の言葉や文字にまつわる体験エッセイを募集しましたところ、幅広い年齢層の方々から380余編ものご応募をいただきました。第1次・第2次選考を経て、以下の7編が優秀作品に選ばれました。 掲載順はお名前の五十音順。敬称は略させていただきました。

2000年9月

三省堂 宣伝部


私を戸惑わせた言葉

◆奥山朋子(岐阜県恵那市・主婦)

 数年前、ある知りあいの女性が、用あって突然我が家を訪れた時のことだった。

 彼女と私は友人と言えるほど親しい間柄ではなかったが、年齢もあまり違わないし、同じような年頃の子供を持つ母親同士として共通の話題もあり、話をする中で、お互いの人柄はおよそわかりあっていた。

 彼女は子連れでやってきた。五歳くらいの男の子だった。私は二人を家の中に招き入れると、ありあわせの菓子を持ってきてその子にすすめた。スーパーで買ってきたありふれた菓子だった。

 母親に寄りかかって甘えていた彼は、菓子をチラッと横目で見たが、手を出そうとはしない。

 その時、母親が笑顔で、はっきりと言ったのだ。「かまわないでね。うちの子、駄菓子はあまり食べないから」と。

 私はちょっと戸惑った。「駄菓子」というのは、もしかして、失礼な言い方ではないだろうか。私自身、普段使う言葉ではないが、「駄菓子」とは、それこそ駄菓子屋に置いてあるような菓子で、「粗末な菓子」という意味ではなかったか。しかし、彼女はどちらかと言えば、相手に気を使いながら話をする人だ。差し出された菓子を「粗末だ」などと言うはずがない。

 二人が帰ったあと、家にある辞書をとりあえず三冊ほど調べてみた。やはり、「駄菓子」はこの場合、失礼な言葉になると思った。ただ、「値段の安い菓子」、「粗末な菓子」のほかに、「大衆的な菓子」という言い方もしている。それでなんとなく理解できた。彼女にしてみれば、「駄菓子」は、単に「菓子」のことを指していたのではないかと。

 そして、この時、私も人に対して、誤解を招くような言葉を口にしているのではないかと不安になったのを覚えている。


「主客転(顛)倒」

◆児玉南海雄(福島県福島市・大学教授)

 朝八時からmeetingがあり、手術手技についてのdiscussionをしていた。いろいろな意見が出たが、一応の区切りをつけるため各々の主張について解説付きのまとめをした。「A君のやり方はすべてがOKというわけではないが、原則からはずれてはいない」とか「B君の主張は主客転倒で、考え方がほぼ逆である」とここまで言って、「まてよ若い人はこの言葉を知っているのだろうか」という疑問が頭をよぎった。そこで新人に黒板に書かせてみた。すぐに立ち上がって書いたのが「刺客転倒」。次の人を指名したら、首をかしげながら「飛脚転倒」。知人に言ったら抱腹絶倒しながらお前が作った話だろうと信用しなかった。後日談があり、実習にまわって来た女子学生達に同じ事を聞いた。彼女らが考えた末に書いた文字は「四脚転倒」、「首脚転倒」であった。

 別にたまたま知らない四文字熟語であったかも知れないが、最近そうは思えない程上記の如き実例が多い。なにも、知っている事が最も大切とは思わないし、知っている事よりも自分の頭を使って考える事の方が余程価値があり重要であると私自身は思っているが、それもない上に常識程度と思われる事も欠ける始末である。

 いまの若者はという一言で括るのは簡単だが、結局は両親をはじめ私も含めた周囲の大人達が若い人達の教育を怠っている結果と思われる。分数計算が出来ない大学生がいる事も耳にする。大学に入りさえすれば何か未来が開けるような錯覚を、若い人もそうであろうが、大人達の方がやみくもに信じているのではなかろうか。大学に行けばいいいのではなく、そこで何をするかが大切なのであり、もっと本質を見極める眼を養う事を親達の世代が本気になって考えなければと思う。


お父さん台風

◆菅原幸子(石川県金沢市・教員)

 夏の名残りの教室で、老講師は『恋』と黒板に書き、「皆さん、恋という字をみると胸がときめきませんか!」と学生たちに叫んだ。私たちは思いがけない言葉にただぼやっとしたままだったと思う。ただ、感性の落差は大きいなあということを、先生に申しわけないような気持ちで感じていたはずである。先生はさらに『母』という字を見ると涙が出ますともおっしゃり、皆うつむいてしまった。

 このころ、教育学部生であった私は、あちこちの講義にいってはどの教授たちからも、誤字当て字を注意されていた。

 「貫と慣は別字です。子供に教える前に自分の思い込みを直しておきなさい」  

 「誤字・脱字・当て字は減点です」

国語科専攻生でもある私は自分の国語力に自信を失いそうだった。

 そんなある日、テレビのニュースが、台風が無事本土を離れ、太平洋側へ抜けたことを告げた。

 「台風いっか、さわやかな秋空となりました」

 私は研究室で話題提供者となった。

「今度の台風は大きかったからお父さん台風ってところね。次に来るのはだれかな、お母さん台風? 子ども台風?」

「何それ」

「台風一家でしょ。お父さん台風・お母さん台風・子ども台風ポポポポ…」

 私の頭の中には、一家揃って日本列島を縦断していく大小の渦巻のマンガが楽しく浮かんでいたが、皆の視線に声が消えた。

 老先生の心は、『恋』についての想像力・『母』への思慕の念の強さに満ちて豊かだった。しかし私もまた別の豊かさ・ユニークさを誇っていいだろう、と大爆笑の渦に包まれすっかり居直ったものである。

 二十年以上も前の話…。


「場ちがい」な思い込み

◆永澤裕子(宮城県仙台市・主婦)

 「臨場感あったわね」

 「……?……」

 今となっては、なぜその言葉が出たのか定かではない。とにかく、その一語を聞いたとたん、彼は挙動不審者になってしまった。何を話しかけてもうわの空。あげくにキョロキョロと目が落ちつかない。

 ときは16年前のとある土曜の午後、ところは人波あふれる一番町買い物公園(当時仙台で一番の繁華街だった)。彼と私はいくどめかのデートで映画を観ての帰り、いい風が吹いていた。

 私、なにか、どこか間違ったのかしら。思い惑っていると、彼は突然立ち止まった。

 「ここ、入ってもいい?」

 それは老舗の本屋だった。先を急ぐ彼の後を追ってエスカレータを登ると、ずらりと並ぶ辞書、辞書、辞書。彼は分厚い国語辞書を手にとった。 「あ、やっぱり」

 彼の指先には、「りんじょうかん【臨場感】」の文字。ええっ、そんな、ほんとに? 混乱する私の頭上に、彼のいつもの声が穏やかに降ってきた。「リンバカンっていうから、オレの方が間違っていたかと思ったよ。リンジョウカンでよかったんだ。やっぱり」

 小学生の頃から作文大好き少女だった私は、どんなささいな文を書くときにも辞書を離さないのが自慢だった。それなのに、いったいいつから読み違えていたんだろう…。

 来し方を思い返しながら恐る恐る顔をあげると、そこには疑問を解いて得心した、実に実に楽しげな眼差しがあった。ああ、この人は辞書をひく楽しさを知っている。恥ずかしさに身を縮めながらも、行く末はこの人とともに、とその時私は心を決めたのだった。

 私の嫁入り道具に使い古した国語辞典とまだ新しい漢和辞典が入っていたのは、いうまでもない。


テレビではこう言ってた、絶対に

◆松本真理(静岡県沼津市・会社員)

 赤坂にある老舗の和菓子屋と同じ屋号をもつその店は、普段のおやつにもお使い物にもよく利用していた。実際店に行くのは母が多く、頼んでおけば仕事帰りに買ってきてくれた。ある休日久しぶりに家族が揃ったので、おやつにだんごが食べたいと言い、私が買いに行くことになった。店は混んでいた。ショーケースの中の菓子はもう残り少なく家族分をどう選ぼうかあれこれ考えていた。次の方どうぞと店の人が私の顔を見た。ひとつひとつ名をあげ数を言う。迷わず注文し始めた。

 以前テレビで旧盆で賑わう中国のニュースを見た。大きな月餅をみんなで分けて食べていた。キャスターは中国では餅をチンと読むと紹介していた。絶対にそう言っていた。

 ガラス越しに指をさしながら最後に三つ残っていた月餅を二つ買うことにした。「それとげっちんを二つください」。店の人は少し間を置いて二つですねと言い、箱に詰めた。私は全部の注文を終え満足だった。包装が出来上がるまで後ろに下がって待っていた。そのとき隣にいた男性が次の方と呼ばれガラス越しに「僕もげっぺいを一つ、それと…」。残り一つになった月餅が消えた。(僕も?家に帰りたかった。夕食時家族は笑いすぎてうまく食事が取れないようだった。母は恥ずかしくて二度とあの店には行けないと言ったそれは私も同じだった。

 一か月ほどたった頃、お使い物を頼まれた私はその店に行った。今日は箱詰されているのを買うので、一つ一つ選ぶ必要がない。包装を待つ間何げなく月餅のあるショーケースの方を見た。なにか違う。そこには前とは違う雰囲気があった。それはケースの中の菓子名に全部ふりがながふってあったからだ。

 夕食時、家族の笑いの中、私は店の人たちを少し恨んでいた。


切磋琢磨しく…

◆山本由美子(大阪府豊中市・自由業)

 完ペキのペキの字が違っていると同僚に言われたが、絶対正しいと言い張り、「賭けようか」と言われ、あわてて辞書を引いた。間違いだと知った時のショック! 完璧を完壁と信じて疑わなかった四半世紀間だった。

 柿落としのこけらは果物の“柿”という字ではないと知ったのは数年前のこと。報道の“道”を“導”と思いこんでいて、返信用印刷物に書かれていた何か所もの報道という文字をわざわざ“導”と朱を入れて返送した十五年前。いらぬお節介を思い出すと今でも顔から火が出る。

 友人のOさんは、私が言うまで段取りの“段”という字の偏の横線が二本だと思いこんでいた。彼は国会答弁を書いたこともあるキャリアで、この指摘をした時、飛び上がる程驚いた。当時は手書きだったから、きっとこの字のまま答弁書を出していた、とうなだれた。あとの祭りで、何をいまさらと慰めたが、誤字の思い込み期間が長い程、あれこれ不安になるものだ。今はワープロのお蔭で、誤字で恥をかくことは少なくなった。

 Mさんは小さな会社の社長である。話がうまく人を笑わせる。が、豊富な話題の中にたびたび使用法を誤った言葉が出てくることで、仲間内では有名だ。「おばさんが家でキリモミしてはってな」「それ、キリモリでしょ」「あ、そうか、キリモミは飛行機が墜ちる時やな」。

 またある時は「ノベツクマナク話すんや」「ノベツマクナシと違う?」「そうかいな、クマがおらんのと違うんか」「クマやなくてマクよ、マク」と漫才のような掛け合いになる。間違いを大いに照れつつも、笑って切り返してやり過ごすのも彼の得意技である。

 先日、ピカイチのフレーズがあった。「人間はセッサタクマしくならなあかんなあ…」。間違ってるよという前に笑いがとまらなかた。しかしこれ、優れた合成語ではないか!?


「ひ」の発音ができなかった後遺症

◆吉田光雄(神奈川県横浜市・無職)

 信州生まれの信州育ち、「ひ」の発音が「シ」となる部族である。初等科一年の国語は「アカイ アカイ アサヒ(シ) アサヒ(シ)」だった。日の丸は「シノマル」、飛行機は「シコウキ」でとおった。「左」は今でもどちらが左だか迷うこともある。

 「ひ」の発音は「シ」であるが、逆に「し」を「ヒ」と発音したりする。「朝日新聞」が「アサシヒンブン」である。大阪へ行けば私ばかりではない。質屋の看板が「ひち」と大書してあるから、混乱に拍車がかかる。「ひ」の発音が「シ」であっても、パートナーの善良さに助けられ、大きな支障もなく、方言のようにコンプレックスを感じることもなかった。

 筆記するときは「品川」を「ヒナガワ」と口篭っても、手は「品川」と動いた。「必要」は「シツヨウ」、叱るは「ヒカル」でも字は大丈夫であった。

 ところがワープロが出現してからは、そうは問屋が卸してくれない。初期のうちは一語一語ていねいに入力し、変換・確認を実施していたが、慣れるにしたがい長いセンテンスで入力することを覚えた。この方が正確に変換され、かつ効率がよい。味を占めると一語一語の確認が疎かになる。「東京駅を発車した湘南電車は、新橋・雛側・川崎と停車して…」などという文書が相手に行ってしまう。こうなると穏やかではない。

 改めて『大辞林』で「ひ」の項の再(?)勉強をする。見付かる見付かる。ひいず(秀づ)、ひかえ(控)、ひそか(密、私)、ひたる(浸、漬)、ひつ(必、筆)…。語幹と語尾をパソコンで層別分類して鋭意マスターに励んでいる。

 まさに六十の手習いである。

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