『例解新漢和辞典(初版)』
の刊行について

山田俊雄
自著自讃 小社PR誌『ぶっくれっと』 No.129(1998年3月)より
 『例解新漢和辞典 第二版』

冒頭から私事を述べて恐縮だが、十年ほど前までは、漢和辞典の少年向きのものを、私自身が主になつて編纂することなど全く思ひもしなかつた。それを、今かうして刊行の由来めいたことを書くのである。それには自他にそれなりのわけが在つてのことであるが、それにしても、今の世の中は、昔と違つて少年への期待が大きくなつたのか、また少年に対して保護が過ぎるのか、出版資本が市場を考へられる限り拡げてゐるのか、いづれか、私には分らない。

私は、今年七十五歳、老の坂を下りつつある者で、想ひ起すに、かつて少年時代に用ゐた漢和辞典はどれも大人の人が使ふものと同じであつた。勿論、それは使はうとすると大人用のものしか無かつたといふ意味でもある。

栄田猛猪氏の苦辛になる『大字典』にせよ、簡野道明氏の『字源』にせよ、斯界で第一級の著作であつだ。そんなこととは私は知らず、家父の配慮か何かも詮鑿することなく兄たちの便つたものが手近にあるまま使つたわけだが、中学校の漢文の教科書の下調べに当つて、いつも全面的に役立つとは限らなかつた。その頃は多分引き方が上手でないとか、讀解力そのものが不足であつた故であらうと思つてゐた。

たとへば漢文の副讀本に頼山陽の『日本外史』を讀む際など、教科書に頭注があつて、熟字などあれこれ説明を付したのを見る訣(わけ)だが、訳語が日常語でないから、何となく鮒に落ちない。その他の未知の熟字を辞典で引く時もほぼ同じやうに呑み込みがよくない。そればかりでなく和習の熟字は項目そのものが見当らない。下調べのノートブックが、いつも、各ページ疑問の項目や空白の項目が多くて虫喰ひだらけであつた。

また国語の讀本(たしか芳賀矢一著のものだつたと思ふが)の方では、古文の中の古語は、国語辞典でほぼ十分といふ満足感があつた(『言泉』『大言海』『大日本国語辞典』その他が父の書架にあつて毎日背中だけを眺めてゐたが用ゐられず、また、どういふわけか『小辞林』『廣辞林』は備へられなかつた。父が少年用として授けたのは『言苑』『辞苑』であつた)。しかし、同時代人の評論や随筆・紀行の類に出現する、日本の教養人の使ふ漢語になると、間に合はなかつた。教室で、アララギ派の歌人といふある先生が教へて下さつた時は、一々の語義なんぞに拘泥せず、大抵、以心傅心の手法で読むだけであつたから、的確な解に到達しないで通過するに急がしかつた。

実は、小学校を卒業した時、仙台市長の名の賞としてもらつた『言海』の縮刷版は、小型で携行に便利で役に立つ筈だつたが、父が「それは一番いい辞書だ」といつて欣(よろこ)んでくれた割には役に立たなかつた・。それは、傷んだ紙型を使つたらしく印刷が不鮮明で、活字が潰れてゐた。漢語は殆んど見当らず、解説の文は、獨特の、明治人の考へたメタラングェージだから少年は当惑するだけだった。解説のわかりやすさはまだしも『言苑』『辞苑』の方にあつた。

私の少年時代に用ゐた漢和辞典は、いはば私が三男坊で、いつも兄達の古いもののお下(さが)りを着せられて、身丈(み/たけ)に合はないものを用ゐてゐたこととよく似てゐた。その頃は世の中は全体、少年は未熟、未成のもので、それに特別に配慮したものを充てがふだけのゆとりはなかつた。明治維新以後なほ七十年余の昭和初期はそんな未開野蛮の時であつた。

私は、自分の右のやうな体験によつてのみ、今回の『例解新漢和辞典』の編纂に参加して主力となつた訣(わけ)ではない。小さな国語辞典の二、三の編集の経験をも生かしたつもりである。

ワープロやパソコンの時代になつて、漢字・漢語の理解するためにも、使用が俄に復活しただけではなく、やや軌道をそれて、漢字の形・音・義を自由奔放に切り継ぎする文字悪戯が流行してゐる。また一方で、大企業の入社試験に、今も古色蒼然たる四字漢語の書取りや讀解を設問する因習のあるのにおどろく。その心配を言ふにしても、実は、漢和辞典を新しく装ふのみでは発言力をもたないのではないかと私は思ふ。

そこに今回の『例解新漢和辞典』の新工夫があり、遠い目標がある。私の筆で縷々説明するのを止めて、実際に座右において一月(ひと/つき)なり二月(ふた/つき)なり使つてみた上での批評を是非承りたいと念じてゐる。

(やまだ・としを 成城大学名誉教授)

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