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  アキラの地雷博物館とこどもたち


カバー アキ・ラー 編著

1,300円 B6変型 160頁(カラー8頁) 978-4-385-36208-3

ひとりで2〜3万個の地雷を処理し、アンコールワットのそばに地雷博物館をつくり、地雷で手足をうばわれたこどもたちを育てるアキラ Akira(カンボジア人)は5歳でポル・ポト軍に両親を殺され、10歳で銃をもち、20歳までカンボジア内戦(1970〜98年)を戦った元少年兵。ふりがなつき(中学生以上から読める)。「いのちのことばシリーズ」(の一冊。

「アキラ、うちの畑の地雷を掘ってくれ」「大変だ。こどもが不発弾で遊んでいる!」 すぐかけつけるアキラは村人に信頼される地雷処理のエキスパートです。「地雷がなくなるまで、最後まで掘りつづけたい!  人々を地雷の恐怖から開放したい!」 それがアキラの夢だ。
パート1●アキラが見た戦争の話 パート2●地雷で被害を受けたこどもたちの話

2005年 9月20日 発行




写真 本書は、荘厳な遺跡で有名なアンコールワットの町、カンボジアのシェムレアップにある「アキラの地雷博物館」の館長、アキラの数奇な少年時代と、その後の活動、および地雷博物館のこどもたちの声を1冊にまとめたものです。

地雷博物館は小さなジャングルのように愛らしい、ユニークな博物館です。かつて地雷を埋めた少年兵(今は地雷を掘る人)と、地雷の被害にあったこどもたちが、地雷とともに住み、生き生きと暮らしている、まさに「生きた博物館」なのです。世界中からここを訪れる人、とくに同世代の若い人に強い印象を与えています。

 編著者紹介  【著者アキ・ラー(アキラ)さんの近況報告と皆様へのお願い/三省堂編集部】  目次  読者からのお便り  書評(「国際開発ジャーナル2005年10月号」)  ライブドア・ニュース2005年10月12日での紹介  マスコミでの紹介  2005年10月15日 ジャパンタイムス・ウイークリー(写真)  アキラに関して最新情報(英文HP)  梅花学園中学・高校を訪問したアキラさんの紹介サイト

中日新聞2005年10月18日の紹介記事 書評/『君天命を知る哉』(知取気亭主人の四方山話 いさぼうネット)

  内容見本(JPG画像) 表(モノクロ)  (印刷してパンフレットとしてお使いください)


アキ・ラーさん、病気治療のため来日

アキ・ラーさんは約1年前から肝機能が極端に低下して体調不良に陥り、激しい頭痛に悩まされています。このたび、アキ・ラーさんと交流のあるNGO「地雷博物館日本サポートセンター」を主催する松川朝洋さんらの支援により、福岡市の病院にて検査と治療を行うため、約一ヶ月滞在の予定で2006年9月21日に来日することになりました。

カンパを募っていますので、是非、ご協力ください。お問い合わせは松川さんに(0743-78-5341)。

カンパの郵便振替口座は「アキ・ラを支援する会」、00980-1-268386 です。

滞在中の写真・直筆メッセージなど ⇒ こちら


マガジン 講談社『マガジンSPECIAL(週刊少年マガジン2006年8月5日増刊)』で三枝義浩(さえぐさ・よしひろ)さんにより「ディマイナー・アキラ物語―地雷掃除人」として、読みきりで掲載されました。


ジャンプ 集英社『ビジネスジャンプ』で「密林少年 ジャングルボーイ」として15回の連載開始!
6月1日(木)発売のビジネスジャンプ13号からです。初回は巻頭カラーの39ページ。絵は深谷陽(ふかや・あきら)さん。深谷さんがアキラを知るきっかけになった本として、漫画の中でも紹介されます。
連載終了後、2冊の単行本として刊行されます。1巻は2006年11月22日に、2巻は2007年3月24日に発売されました。

深谷陽私設掲示板「アパカバール」



2006年の3月10日(金)の放送に続いて、東海ラジオにて5月27日(土)3時から30分、「アキラの地雷博物館」として、アキラの地雷博物館を訪れたキャスターの安蒜さんが、インタビューを元に番組として放送されました。
この取材の様子を記録した東海ラジオの安蒜さんのHPページ 


シリーズ 山形ドキュメンタリー映画祭から

アキ・ラーの少年たち

11月26日 (月)NHKのBS1 午後9:10〜10:00

カンボジアでは、1970年代後半から80年代の内戦で多くの地雷が埋められ、被害を受けた子どもの数は3万人に上る。このドキュメンタリーは、地雷で腕を失いながらも明るく前向きに生きる2人の少年の姿を追う。また、地雷で被災した子供たちを引き取り、国内で地雷除去活動を続ける元ポル・ポト兵士アキ・ラー氏に密着。復興へ向けて淡々と生きるカンボジアの人々の熱い思いを伝える。


編著者紹介アキ・ラーAki Ra アキラの地雷博物館・館長

日本人の名前に似ているということで通称で「アキラ」と呼ばれている。
32歳(2005年現在)。カンボジア人。
5歳でポル・ポト軍に父母を殺され、武器を使った訓練を受け、 13歳でベトナム軍、16歳でカンボジア軍と、ジャングルでの戦いに明け暮れ、 その間に埋めた地雷はのべ「1万個」。20歳で国連軍で地雷処理を始める。
村人に頼まれて地雷や不発弾処理に無料で出かけるディマイナー(地雷掃除人)。
26歳(1999年)で自宅兼「地雷博物館」を公開。どこからも援助なしに見学客の寄付で運営。
「地雷の危険と戦争の悲惨さを伝えたい」と自分で掘った地雷や不発弾を展示し、 戦争孤児や地雷被害のこどもを養育している。
今までに処理した地雷は、のべ「2〜3万個」。
アキラの地雷博物館は、カンボジアのシェムレアップ、 アンコールワットの遺跡から5キロのところにある。


【著者アキ・ラー(アキラ)さんの近況報告と皆様へのお願い/三省堂編集部】

アキ・ラーさんは2004年11月にイギリスに渡り、最新の地雷探知機を使った地雷処理の技術を学ぶ学校で、3週間の研修コースを終えて帰国しました。

日本政府は毎年、カンボジアに対して多額の地雷支援金を出していますが、支援金はすべてカンボジア政府の認めたいくつかの地雷処理団体に届きます。地雷被害者への支援金はゼロです。「アキラの地雷博物館」にも一銭も届きません。今もカンボジア全土の畑やジャングルには地雷が手付かずのまま残っていますが、地雷処理団体は幹線道路や都市部の地雷の除去で手一杯で、村人が「うちの畑の地雷を掘って欲しい」と要請してもなかなか来てくれません。

原則として無料のはずの地雷処理も「謝礼」が必要な場合もあるようです。村人は貧しいので、無償ですぐ来てくれるアキ・ラーさんを信頼しています。しかし、カンボジア政府は数年前から、地雷処理団体にだけ地雷処理を認め、個人で掘ることを禁止しています(自分の敷地以外は禁止)。ですから、アキ・ラーさんも、地雷を掘ったことで何度か不当に逮捕されています。「逮捕されずに堂々と地雷を掘りたいので、地雷処理団体として申請して政府の許可をとりたい」とアキ・ラーさんは言っていました。そのためにイギリスで正式なライセンスを取ったのです。今後の行方が注目されます。

2006年1月にアキ・ラーさんに本の印税と本100冊を届けました。これらをカンボジアまで無償で届けてくれた人は野老康宏(ところ・やすひろ)さんです。

野老さんはアキ・ラーさんの友人の写真家で、この本に写真も提供しています。野老さんはカンボジアに何度も渡航し、写真集『生と死と地雷と』を自費出版し、現地のこどもたちにあげて、こどもたちが売ってお金に代えられるようにしています。今回アキ・ラーさんに届けてもらった本100冊は、個人の方々の寄付です。日本人の読者の方々が三省堂から買い取ってくれたものです。

ですから、地雷博物館でこの本が売れると、代金の全額が地雷博物館への寄付になります。三省堂編集部には読者の方々から「アキラの地雷博物館に募金をする道を開いてください」という声が届いています。「こんなに感動する本を出版しておいて、この思いを受ける用意をしないのは罪ですよ」

という、ありがたいお叱りも頂きました。編集部としては本を通して、読者の声に応られたらと願っています。そこで、以下のような募集をさせて頂くことにしました。

●"アキラさんに本を届け隊"ボランティア募集!

A(募金する人)…募金をして『アキラの地雷博物館とこどもたち』の本を買ってくれる人。

B(届ける人)…Aの人が買った本を無償でカンボジアまで届けてくれる人。

具体的には、募金の申し出を頂いたらAの人に三省堂から郵便振込用紙を送ります。募金(1000円以上なら何円でもけっこうです)を振り込んで頂いたら、その金額分をアキラの本に代えて三省堂であずかります。

Bの「無償でカンボジアに運んでくれる人」に、預かった本を託します。Bの人は地雷博物館に届けて写真を撮り(アキラさんがいればサインももらい)、届けた報告を三省堂編集部経由で、Aの人にお送りします。という手順です。本は1冊300グラム。10冊で3キロ、20冊で6キロになります。

【ご賛同くださる方は、郵便かFAXかメールで「アキラの地雷博物館」編集部まで ご連絡ください。】
メールは こちらからどうぞ。

〒101-8371 千代田区三崎町2-22-14 三省堂出版部
「アキラの地雷博物館」編集部(担当、阿部)
FAX 03-3230-9547 TEL 03-3230-9463


『アキラの地雷博物館』■目次

◎地雷博物館(カラー写真)
◎ようこそ地雷博物館へ
◎アキラの年表

パート1■マイ・ストーリー(アキラの物語)

【1】戦争孤児

こどもグループ父のこと母のこと
父と母が殺されたときのこといちばん古い記憶
ブタの餌を食べた友だちバナナを盗んだ男悪い人、良い人教育

【2】ポル・ポト軍で

初めての銃泳ぎ友だちの死制服
毒入りスープ生け捕り戦車ノーチョイス(選択肢なし)

【3】ベトナム軍で

ゾウの鼻ソ連製モン50地雷毒ガス入り弾倉B40手榴弾
クレイモア地雷パトロール隊牛と地雷叔父さん敵と味方
村の襲撃地雷の被害友だちと地雷人間地雷探知機
ベトナム軍による破壊サルとクマと地雷

【4】カンボジア軍で

AK47をもって通学対戦車地雷奇襲強奪とワイロ強制労働検問所

【5】アンタック(国連軍)で

カルチャーショック地雷処理を始める1人で掘りつづけていこう

【6】地雷博物館をつくろう

戦争の遺物1人で建てよう泥棒も友だち見張塔地雷博物館オープン

【7】ディマイナー(地雷掃除人)

シンプルな方法村の人に頼まれて地雷を掘る仕掛けられた地雷
カンボジア製の地雷はない赤ちゃんと地雷新たな被害

【8】生きること、死ぬこと

わたしの家族戦争中いちばんつらかったこと死ぬことまきぞえ
お前は敵だ!両親を殺した人も友だち人のために生きたい

【9】カンボジアの歴史

ラカオン(劇)の練習

パート2■地雷博物館のこどもたち

(それぞれのこどもたちの写真と文)

◎アキラQ&A
◎本書ができるまで


読者からのお便り(最終更新日:2006年2月1日)

【 】は三省堂編集部注。

長谷川明(アジア記者クラブ)

 「この国には、何でもある。希望だけが、ない」と作家の村上龍氏は言ったという。今、我々の暮らしている、日本を捉えた、みごとな表現に感心したものだ。

 ところで「アキラの地雷博物館とこどもたち」を読んで、この本の舞台であるカンボジアを一言で表現するとしたら、我々の暮らす日本とは正反対に、「何もない。希望だけが、ある」という感慨だった。

 本のタイトルから想像できるように、この本の一貫した主人公は、戦争である。その戦争に、巻き込まれ、数奇な運命を辿らざるを得なかった、民衆そのものである。また、内戦終結後も、未だ終わらぬ、戦争の後遺症を、日々生きながらえる被災者の生き様である。

 その過酷な歴史を生き抜いた、少年兵アキ・ラーの半生を縦糸に、内戦後を生きる、彼の他者との繋がりを横糸に、本書は、編まれた。叙事詩のタペストリーである、という比喩も成り立つかもしれない。

 この本を読む大人は、複雑に絡み合った、20世紀後半の東南アジア情勢を抜きに語れないことを、見事な形にして見せてくれたことに、感嘆の念を禁じ得まい。

 一方、この本の後半に登場する、少年、少女たちと同世代の日本の子供たちにも、実際の戦争が、どんなに酷いことなのかを、肌身で感じさせてくれるに違いない。

 幸い、子供にも読みやすい表記である。ここに書かれているほどの実質を、このように分かり易い表現にしえた、ということには、アキ・ラーの並々ならぬ知恵と努力と人としての優しさが顕れているが、何より、彼が、実体験を通して悟った深い普遍性が、行間からにじみ出ている。

 良書とは、集約されているが、多面的な見方を可能にする本のことだ。本書は、あらゆる世代に、その人なりの読み方を可能にする。

 何より、この本には、体験した者のみが取り出すことのできる、物事の本質が、的確に表現されていることによるふくらみがあ る。

 優れた作家をして「希望だけが、ない」と言わしめる現代日本に生きる、ややもすれば絶望に陥りがちな、総ての人々にこそ、読んでもらいたい。

 読んだ後、必ずや、生きてゆく為に不可欠な、希望を受け取ることが、できるであろう。



(会社員・40代)
他国の戦争に無関心だったけど、
いろいろと考えるきっかけになると思います。
第三国のマスコミが新聞とメディアで語るのとはちょっと違って、
淡々とした調子ですが、考えさせられるものがあります。
そういえば、子どもの頃、
戦争で負傷した人が街中で物乞いしていたのを思い出したけど、
この本に出てくる人々の目はすごく生き生きとしていますね。
これから国を良くしていくんだ、という希望があるからなのでしょうか。

(会社員・20代)
3年前、アキラさんに会ったときのきもちを思い出しました。
プノンペンのトゥールスレンミュージアムを訪れて
「いまさら死んだ人は返らないんだ」という無気力感ばかり募らせながら、
アキラさんの地雷博物館を訪れました。
そして、その意志と行動力に
「何もせず嘆くのではなく、まず行動してから嘆こう」という
気持ちに立ち返らせてくれました。

(無職・60代)
淡々と悲しみを語り、乗り越えてきた人生を振り返る
素晴らしい人生に感動します。
カンボジア、シェムリアップに行く前に読んでいたらと後悔しています。
寄付をもっと多くすべきでありました。
手足目を失いながら人生の目標を定め、勉強している子どもたち、
彼らの笑顔は素晴らしい。救われたのは私たちなのかもしれません。

(20代)
アキラのことを知っているので、本になったことをうれしく思います。
多くの人にアキラのことを知ってほしいと思いました。

(主婦・30代)
私は2002年の6月にアキラの地雷博物館を訪れました。
アキラさんはとても親切な方で、いろいろな話をしてくれました。
「もう一度カンボジアを訪れることができたら、また来たい」と言うと、
「でも、ほとんどの人がそう言って、なかなか来てくれません」と
淋しそうに言ったのが忘れられません。
事実、約束は果たせていません。
でも今回、日本でこういう本が出て、とてもうれしく思っています。
売上が少しでも彼の活動の助けになればいいと思います。

(無職・60代)
私は平成14年から16年までカンボジアでJICAのシニア海外ボランティアとして
活動し、「アキラの地雷博物館」には4回ほど訪問しています。
従って、本書の内容は手に取るようにわかります。
しかも易しい文体で書かれています。
今後、講演などで本書を紹介し、小中高校生に読んでもらおうと考えています。
本当に良い本を出版していただき感謝です。

(教師・50代)
小学校の教師をしています。今、6年生の担任なので、
このカンボジアの現実を知ってほしいと思い、学級に(本を)置きました。
一人でも多くの子どもたちがこの本を手にし、感じ、
考えてくれたらと思っています。
それにしても、アキラさんの明るさには感動します。

(無職・60代)
カンボジアの地雷キャンペーン(CMC)の活動に少し支援をしています。
ワイズメンズクラブ国際協会の会員です。
今後も支援活動をしたいと思っています。

(無職・70代)
2001年の2月の5日間、アンコールワットを訪ねたとき、
アキラの地雷博物館にも立ち寄り見学させて頂きました。
館長のアキ・ラーさんにはお会いできなくて残念でしたが。
内戦で障害者となった子どもたちを預かって育てておられることを
この本で知りました。現在のイラク戦争も同じだと思って読みました。
【編集部注・子どもたちは内戦「後」に地雷で被害にあっています。
今もカンボジア全土の畑やジャングルには地雷が残っているからです。】

(教師・50代)
2年前、アンコールワットに行きました。
その際、グループの人を説得して、オプションで地雷博物館に行きました。
ご本人(アキラさん)はお留守でしたが…。
(この本で)生徒達にお話がより詳しくできます。

(大学生・20代)
少しでもアキラの力になりたくて、この本を買いました。
売上げは地雷博物館に送られますよね?
【編集部:注・はい。印税として確かにアキ・ラーさんに届けました】
この本には、地雷博物館で会った人がたくさんのっていました。
彼らがあまりにも良い笑顔でいたので、この本を読んで、
皆の過去を知って、とても驚きました。
この本のアキラの「マイ・ストーリー」はとても印象に残りました。
何よりも彼が両親を殺した人と友達というエピソードがすごい。
人が人を許さなければ争いは続いてしまうと頭で分かっていても、
それを友達という形で実現するなんてスゴイ!!
アキラのカンボジアへの想いが、平和への想いが、
いつか世界の声となることを祈ります。
またいつか必ずアキラに会いに行きたいです。

(日本語教師・カンボジアで日本語学校を開いている鬼一二三さん)
写真がたくさんあり、興味深く読みました。
ふりがなは一部にしかついていませんが、すべての漢字についていれば、
日本語を学んでいる外国人にも読めます。
【編集部注・本当にそうですね。全部の漢字につけたかったのですが、
紙面が黒くなってしまい読みにくくなるので残念ですが諦めました。】
(カンボジアから届いた鬼さんの別のハガキ)
「アキラ」の本を受け取りました。どうもありがとうございました。
学生たちに見せましたら、皆驚いたり、「知らなかった」と
写真を何度もめくってみたりしております。
【編集部注・同じカンボジア人でも、若い世代はアキラさんの体験した
戦争のことを知らないということに、改めて驚きました。】

(会社員・20代)
アキラ、地雷博物館、カンボジア…何度か耳にした事のあるキーワードでしたが、
今回、本書を通して初めて彼の壮絶な人生を知ることができました。
戦争、内戦の悲惨さを再確認すると共に、戦いが終わり、
平和が戻ったかに見える今このときにも、
罪のない人を無差別に殺傷する悪魔の兵器、地雷を廃絶するため何をすべきか、
新たに考えさせられました。

(会社員・50代)
戦争が起きないように望む。この人たちは毎日恐怖であったこと、
終結しても今度は目に見えない地雷の中での生活、なんとかできないものかと思う。
地雷の現状、除去、生活のことなど、もっと知りたい。
今、私にできることがないか探したいので、情報などあれば教えてください。
どこの国も平和で日々安全に人が暮らせるように願わずにはいられないです。
(アキ・ラーさんに)会って話を伺いたいです。
何かできることがあると思うのですが。ただただ悲しいことです。

(自営業・80代)
アキラの知性と行動力に感心しました。自力で地雷を掘り、処理し、
資金を得て地雷で傷つけられた子どもを教育し、養う、
すべての人のために生命の危険を恐れず行動する素晴らしい人です。

(教師・60代)
本書はいただきものですが、是非、アキラの地雷博物館への
入金先を教えて頂きたいと思っている者です。
中学3年生の募金なので是非届けたいです。

(50代)
1999年に旅行仲間とカンボジアを旅行したときに、ガイドのアキラさんが、
地雷博物館を作ったのでぜひ皆さんに見てもらいたいと言ってくれて、
いちばん初めのお客さんと言っていました。
そのときにもすごーい体験話をたくさんしてくれました。
その時の笑顔が忘れられません。
すごーい人に出会って、とても良かったです。

(自由業・60代)
アキ・ラー氏がたくましく立派に成長され、うれしく思っております。
12年前の7日間の旅の案内(ガイド時代の著者に案内してもらった)は
懐かしき思い出となっております。
私はアキ・ラー氏はカンボジアを救う男、大統領となり建国できる能力もあり、
なれる男と見ています。なってほしいと強く思います。
本はまとめて25冊購入して、カンボジアを思う人にあげたり、
学校に寄付したり、皆さんにしっかり話しています。

(会社員・30代)
カンボジア現地の地雷博物館に2005年12月末に行きまして、
一人でこれだけの活動をされているアキ・ラーさんに感銘を受けました。
この本によって、彼の活動を日本でも広く伝えられればと思います。
ありがとうございました。

(教師・50代)
アキラに語らせる「マイ・ストーリー」と子供たちに語らせる
「地雷博物館のこどもたち」の2部構成
(そして、その間に簡潔な「カンボジアの歴史」をはさんで)
の話の組み立て方が分かりやすくていいですね。
たくさんの写真が理解を助けてくれます。
表紙のデザイン、も装丁も大きさもすっきりとしていて素敵です。
是非、学校のサブテキストや図書館に置いて日本の子供達に
読んでもらいたいと思いました。

(地雷廃絶日本キャンペーン・70代)
私は日本の海軍軍人として、日本を守るために、
アメリカほかの連合軍と戦うことを教えられました。
つまり、私が知っている戦争は敵と味方がはっきりした戦争でした。
この本は、アキラが三つの軍隊に入って、
敵になったり、味方になったりして戦争をしていることを描き、
大国のハザマにあって、戦わざるを得なくなった小国の人達の
現実をよく捉えていて、
何でもシロとクロで判断しようとする日本人に、
それ以外の判断基準があることを教えてくれました。
ODAの計画を立てるに当たって、
このような判断基準の国々を援助するのだと理解する必要がある、
と教えられました。有難うございました。

(会社員・40代)
魂をうたれるような遺跡の周りで、つい最近起きたこと、起きていること、
そしてここでもいつも弱い人達が犠牲になっていることが淡々と、
でも切々と伝わってくる本です。
月に照らされる遺跡やジャングルの美しさは今も目に焼きついて、
この本のカバーの通りです。
そこを祖国とする人々が強制されて埋めた地雷によって、
自らの命をとられたり、傷ついたり。そして続いた内戦。
人とは何と哀しく、愚かなのでしょう。
でも、想像を絶するような壮絶な少年時代を過ごしても、
前向きで、明るく、たった一人でも地雷を掘り続け、子供たちを育て、
博物館を運営するアキ・ラーさんにはただただ頭が下がります。
そして地雷で傷ついても明るい笑顔の子供達。
仄かな希望と人の強さ、優しさも感じることができます。

(会社員・30代)
アキラさんという人は、本当に独特の個性と運の持ち主ですね。
地雷を除去して多くの人の役に立とう、博物館で広く知ってもらおう、
さらには地雷の被害にあった子供達を援助しよう、
と考え方に広がりがあってとても素晴らしいです。

皆様のご意見・ご感想をお待ちしております。メールをご利用の場合は こちらからどうぞ。


書評(「国際開発ジャーナル2005年10月号」)

 5歳でポル・ポト軍に両親を殺害され、そのポル・ポト軍を皮切りにベトナム軍、カンボジア軍で10代をまるごと兵士として戦うことを余儀なくされた「アキラ」。32歳になった彼に、三省堂の編集者がインタビューして仕上げた。戦いを生き延び、今でも両親を殺した人間にときどき会うというアキラに、「わたしは彼を恨んではいません。殺したいとも思いません」と言わせるところに、この国では多くの人が加害者であり、かつ被害者であったという悲劇が浮かび上がる。

 飢え、裏切り、そして人殺しが当たり前の世界で生きてきたアキラにも、20歳で転機が訪れる。内戦終結のためにカンボジアに入ってきた国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)に雇われ、地雷処理をてがけたことから、彼の人生が変わる。UNTAC撤退後も一人で地雷処理を続けることを決意したアキラ。英語、フランス語、日本語を覚え、観光ガイドの仕事をしながら、村人の要請により、無償で地雷処理を続ける。

 「わたしが少年兵として戦争中に埋めた地雷は約1万個、今までに処理した地雷は2〜3万個になります」。アキラの地雷処理は、海外からの援助団体のように金属探知機などを使った大掛かりなものではない。「アキラ、うちの畑の地雷を掘ってくれ」。援助の手が届かない村人からの要請に、危険を冒しながらのボランティアは続く。アキラ一人で処理した地雷の数は、1つの地雷処理団体が1年間に処理する数に匹敵する、ともいわれているそうだ。それでも、外国政府からの援助は、アキラのような草の根の「ディマイナー」の手には届かない。

 稼いだ資金でアンコールワット遺跡の近くに住居を兼ねた「地雷博物館」を開設した。「お金がない人にも見てもらいたい」と入場料は無料だ。今では多くの日本人も訪れる。しかし、その博物館は彼の活動を邪魔する者から「地雷は観光客を怖がらせる」などと理由をつけられ、未だに逮捕や迫害を受ける。

 この国の「負の遺産」は、地雷だけではない。地雷が存在し続けることを容認する利権構造。その渦中での本書の出版には勇気がいったはずだ。こうした活動に光を当てることが、彼と多くの平和を望むカンボジア人を救うことになる。


2005年10月15日 ジャパンタイムス・ウイークリー

写真

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