対談 独語と落語とコンサイス

古今亭志ん朝(ここんてい・しんちょう 落語家)
早川東三(はやかわ・とうぞう 学習院大学教授)

(「ぶっくれっと」130号・131号掲載)


▼ ドイツ語の朗読に惹かれて ▼ 教科書が覚えられないわけ ▼ ドイツに行って一月住めば ▼ 外国語学習はまず読むことから ▼ カン語をはたらかせて読み切ろう ▼ おすすめはシュテファン・ツヴァイク ▼ 毎日数分、トイレでドイツ語を ▼ 落語を聞きながら辞書づくり

▼ 寄席へ出て生きる落語
▼ 夢中で通じたドイツ語会話
▼ ハンブルクから汽車に乗ってウィーンへ
▼ 車で回ったドイツ、アルプス
▼ 氷河となまのヨーデルと
▼ 『コンサイス』を持って、また出かけます
「ぶっくれっと」一覧
 新コンサイス独和辞典

▼ ドイツ語の朗読に惹かれて

早川―師匠は独協高校でドイツ語を勉強なさったんですね。

志ん朝―そうなんです。私、だいたいが、ちょっと物好きなのと、変な見栄っぱりといいますか、中学のときの友達、ここには来てないけど、ドイツ語やってるやつなんかいないだろうな、おもしろいなと、子供心にそんなのがありましてね、それで独協高校には、そのころはいまと違って、かなり簡単に入れたんですね。生徒の数も少なくて。

早川―そうですか、場所は目白ですね。

志ん朝―ええ、椿山荘の向かい側です。で、受けたらなんの加減か、入れたんです。そのときに、第一外国語を英語にするかドイツ語にするかっていう選択があって、「なに、ドイツ語、おもしろいね、ドイツ語なんて」って、それまでは戦後ずっと英語一色でございますからね、日本は。いまでもそうですけど、それがドイツ語と聞いて、すごく物珍しい。

 それで、そのときに、やっぱり選ぶについて、ちょっと授業を見られるということがありまして、英語は別に見なくてもわかる。ドイツ語のほうの授業、拝見に行きました。女性でドイツ人の先生で、年配の方でしたけど、その方が「君知るや南の国」、ゲーテでしたか、あれを朗読なさったんです。それがものすごくきれいだったんですね。「はー、ドイツ語ってこんなにきれいなのか、じゃドイツ語やろう」って、(笑)決めちゃったんですよ。それで一生懸命やればよかったんですが、悪いことばかり覚えて、ちっとも勉強しなくて。だから学校へ行ってるときは、ほとんどしなかったですね、ええ。

 そのころは天野貞祐という方が校長で、先生の数が足りないときは、天野先生が直々にドイツ語の時間に講義してくださったりして。でも、ほとんど教科書はちょこっとしかやらなくて、ご自分がドイツに行ったときの思い出話みたいなことをしてくださって、それはとっても楽しかったです、その話は。

早川―独協は学習院とわりに近いですね。学習院は当時、安倍能成先生が院長で、天野さんと仲がよかったので、その後も独協の先生のお手が足りないというと、学習院から教えに行っていたんですね。そういう先生に話を聞くと、そのころの独協は校舎があちこち壊れていて、ドアを開けようと思ったら、ドアが倒れてくる。(笑)

志ん朝―そうなんですよ、まだ木造で、戦争前の建物ですからね。ぼくらが入ったときもそうですよ。歩くとギシギシギシギシ。私が卒業するころに、いま現在とはまた違う、もう一つ前の建物でしたけど、新しくなって、それがいまはまた、大変に立派な校舎ができてます。そのころは、やっぱり興味をもって始めたんですけど、昔の教え方ですから、定冠詞の der, des, dem, denをみんなで立ち上がって「デル、デス、デム、デン」(笑)やってました。すぐいやになっちゃうんです。

早川―あれは  よく言うんですけれど  縦に覚えるのは意味がないんですね。横に、der, die, das, dieと覚えたほうが役に立つ。そうすると、der Mann kommt, die Frau kommt, das Kind kommt, die Kinder kommenで、文が四つ作れちゃう。縦ですとそういうふうに文は作れないですから。まああのころは、来週までに語形変化をぜんぶ覚えてこなくちゃ許さないなんていう怠け者のドイツ語教師もいましたね。

志ん朝―そういう専門の、覚える本がありまして、それが、定冠詞から不定冠詞から何から何まで、全部変化のものがいっぱい詰め込んであるやつがあって、それを端から覚えていく。やりましたけど、まあ、「英語だったらこんなめんどくせえことないのに、なんでドイツ語ってこうなんだろうな、だから、人はあまりやらねえのかなあ」と思って、それからちょっと離れちゃったんです。

▼ 教科書が覚えられないわけ

志ん朝―それでこの商売に入りまして、昭和四十六年に、あるテレビ局で「世界に飛び出せ」って番組がありましてね、いわゆる取材番組のはしりみたいなもんです。で、外国へ行くという。だれそれはアフリカ大陸、だれそれはアメリカ大陸と、ずっとありまして、私はヨーロッパに行くという。「あたし、ヨーロッパ、ありがたい、行ったことない」と、そのときはスイスでした。女性に参政権を与えるか与えないかという、その当時ですね。それを取材に行ったんです。なぜスイスでは女性に参政権を与えないかというと、国民皆兵で、男性はみんな二十歳すぎたら、強制的に射撃の訓練だとか、それをやらなきゃいけない。で、女性は戦争となったら兵隊として戦わない、銃後を守る。だから駄目なんだ、みたいなことがあるんですね。スイスの国民皆兵についてのことを取材して、軍隊へ入ってみたり、いろんなことをやったんです。

 そのときに、観光局が用意してくださった切符で、汽車の機関車、SLですね、一番前のところに乗っかった。釜炊きのおじさんのそばに乗ったんですが、トンネルに入ったとき、何気なしに、Das ist lang.って言ったんですね。そしたら、「お、ドイツ語しゃべるんだ」って、それからすごいんですよ。ボンボン話かけてくる。こっちはそれしか言えない。(笑)それで、呆れ返って何も言わなくなりましたけど。そういうことがあって、英語をしゃべる人が一人とカメラマンとディレクターと私、一行四人だったんですけど、しばらくチューリヒにいたんです。で、一日だけ休みだから、今日はみんな一緒にならないで、バラバラになろうと、私は飲んだくれて部屋にいたら、電話かかってきたり、もう往生しました。

早川―スイスで使われている言語の九割くらいはドイツ語だそうですね。

志ん朝―だそうですね。そのとき、「外国に来るには、なんでもかまわないから、何か一か国語、英語だろうなあ」なんて思いながら、「でも一番最後までやってきたのはドイツ語なんだから、ドイツ語また勉強してみようか」っていうのがきっかけで、それがカルチャーセンターなんです。帰ってから勉強しようと思って、カルチャーセンターに行って、始めたんですが、なんといっても、時間が不規則でございましょ。仕事がきちっと、何時から何時まではどこと、ずっと決まっていれば、その間をぬって、それこそ仕事の前とか帰りとかに通えるんですが、急に朝六時に起きて北海道へ行くとか、そんなことがちょくちょくあるものですからね。

 結局、旅の仕事なんかで出ちゃうと、まずほとんど行かれないんですよ。月に一回か二回ぐらいしか出席できなくて、どんどん遅れをとっちゃう。自分でも勉強しようと思ってるんですけど、なんかいい方法はないかと、一時期は紀伊國屋かなんかに行きまして、ドイツで発行している教科書みたいなものを買ってきてやって、ハナのうちはうまくいくんですが、ちょっとわかんなくなったときに、自分だけでやってると絶対わかんないんですね。

早川―そうですね。

志ん朝―それ、かまわずにどんどん先に進んじゃえばいいと、ある人に言われたんですが、それが気になって、やっぱりまた挫折していくんです。

早川―ぼくはだいぶ昔、フランス語を習いましたけれど、ときどき会話を覚えようと思いたちまして、そういう教本を買うんですね。これは自分でも反省しているのですけれど、その種の本を書く人は、たとえば一つの課が少し短くてページが余っちゃうと、穴埋めに、「ここで食事のときに必要な単語を覚えましょう」なんて書くわけです。そうすると、それを覚えないと先に行けないような気がする。それでもう挫折しちゃうんですね。ふだんの生活に全然関係ないような単語を、ただ並んでいる順番に覚えようとしたって覚えられない。だからあれはどうも、教科書を作るほうが悪い、(笑)ということが最近わかってきました。書くほうはだいたい語学の教師ですから。

志ん朝―結局、自分がおわかりになってるから、このくらいはわかるだろう、みたいなことがあるんでしょうね。

早川―一つ、こういうことがあるんです。どの言語でも表現を連ねていくときには、日本語でもドイツ語でも同じなんで、「これはぼくのおじだ、おじは船乗りで、よく土産を買ってきてくれた。これはその土産なんだけど、これ、珍しい箱だろ」という具合に、おじがいて、船乗りで、お土産があって、箱があってと、全部前の文で紹介したものを、次の文のテーマにして話してるんですね。

志ん朝―はあ。

早川―ですから、「昨日はどこへ行った?」と聞かれたら、「映画に行った、昨日は」とはふつうは言わない。「昨日は映画に行った」と言います。「昨日はどこへ行った」という質問に対する答えとして、「昨日に関してこれからお話し申し上げますが、私は映画に行きました」というふうに、これがまあ、文の構造の基本なんですね。常にわれわれは前の話を受けて、それをテーマにして次を話すという習慣があるんです。だからドイツ語の文の場合も、ああいう教科書のような短い、脈絡もなく並んでいるものを片っ端から見ていっても覚えられっこないわけです。

志ん朝―なるほど。

▼ ドイツに行って一月住めば

早川―師匠は文法は終えられたわけですね。

志ん朝―ええ、文法はですね。

早川―それでしたら多少難しいものを、短編小説など、わからなくてもいいから読んでいかれると、それはいま申し上げたように自然な言語の流れで出てきますので、覚えやすいんじゃないでしょうか。他方、すでに若いときに文法をやった方というのは、まあ三か月とはいわない、一月ドイツにいらっしゃれば、必ずしゃべれるようになります。

志ん朝―はあ、一月。それは、落語協会の上のほうを説得し、席亭を説得し、これはまあ嘘をつけばいいんですね。(笑)「ちょっと芝居が入って」とか、「海外の取材があって、どうしても一月」とか、それぐらいの自由は認めてくれます。問題は、マイネ・フラウですね、(笑)これが一番説得しにくいんです。お金は入ってこないは、出ていくは、それで自分で勝手なことしてる。これはちょっと難しいんですが、こないだうちからちょっと考えていることは、私も今年六十になるんです。昭和十三年なんです。もちろん先生より私、下でございましょ。そうだと思いますから、安心して言ったんです。(笑)一緒だよって言われたら、びっくりしちゃう。(笑)

 そうしますと、六十の手習いなんて、そんなのあとからできた言葉なんでしょうけど、私の身の周りの人を見ますと、噺家は長生きだっていうふうに、昔からよく言われてるんですけど、それはかなり後年になってからの話ですね。いい薬ができたり、医学が進んだり、まあ命を取りとめているというような。その前は、もう六十ちょっと過ぎると、お亡くなりになる方のほうが多かったんですよね。私の兄貴は五十四、三平さんがやはり五十四歳ですか、五十代は結構いるんですよ。そうすると、人のことじゃない、自分のこともちょっと危ねえかなと、このところ飲みすぎてなんて思ってましてね。

 ですから、六十なんていうのになって、まあこの仕事をやっている限りは、次から次へ稽古をしたり、話を覚えたり、それは他の人と違って、ずっとこのまま現役でいけるんだから、これは結構なことだと思ってるんです。でも、あらためて何かやろうとは思ってるんですよ。いわゆる道楽をですね。たとえば、三味線とか踊りとか、それはしょっちゅうやってるんだから、それより全く別のものをと思ったときに、ふと、一瞬、ドイツ語が浮かんだんですね。

 だけど六十、ほんとに物忘れが激しくなりましてね。人の名前が出てこない。「ほら、あの」って言ったきり出てこないんですよ。(笑)その人のことを言おうと思って、その人の出演した映画を言おうと思っても、その題名が出てこない。それに一緒に出てた人、「ほら、ちょっと」ってそれも出てこない。三つか四つ、立て続けに出てこなくなっちゃう。(笑)困ったなと思うし、これはかえってドイツ語でもやってたほうがいいのかなとも思うし、その気持ちはちょっとモコモコモコモコ動いてる、うごめいてる。だから、その一月なんていうお話で、もしそれでほんとに、まあ日常の簡単な会話ができるぐらいになるんだったら、行っちゃおうかなと。

早川―それ以上のことはできますね。

志ん朝―よく、向こうに行きまして、向こうの食事にちょっと飽きたときに、和食はとにかく日本に帰るまでとっておこうと、その代りに、少し醤油気っていうんで中華へ入る。あるいは、このごろ韓国料理なんかもありますから、焼肉のお店にスッと入る。と、向こうの人はドイツへ仕事に来てますから、ドイツ語なんですね。変なっていうとおこられちゃうけど、そんなこと関係なさそうなおばちゃんが、ドイツ人が入ってくると、ペラペラしゃべるんですよ。(笑)あたしなんかにもドイツ語でくる。うまいんですね、これが。(笑)まあ、しょっちゅう言ってることだから、パターンが決まってるから、パッパッと出てくるのかもしれませんけどね。そうか、その国に行けば、言葉がうまくなるっていうのはこれかなあと、そうですか、一月。(笑)

▼ 外国語学習はまず読むことから

早川―亡くなられましたが、木々高太郎というペンネームで推理小説を書いた、林操という大脳生理学のお医者さまと一緒に講演旅行をしたことがあるんです。そのときに彼が言われたことなのですけれど、人間の記憶能力っていうのは、もう十八歳ぐらいで止まっちゃうらしいんですね。一番言語能力が働くのは十二歳。それより前に覚えた外国語というのは、日本に帰ってくると忘れちゃう。十二、三歳でドイツに三年くらいいて覚えたら、まず忘れない。ですから、十二、三を逃したということは、すでにわれわれは駄目といえば駄目なんですね。その次に可能なのは、まあ十八までだっていうんです、言語の習得能力っていうのは。この後は落ちていくんですが、ただ、まあ意欲がありますと、二十四歳くらいのところまではいく。

志ん朝―まだなかなかきませんね、六十。(笑)

早川―二十四から後はもうどうやっても駄目で、落ちる一方です。(笑)ところが、たった一つ、救い道があるんですね。二十代前半くらいまでの間に習った外国語とその同系語については、ずっと放っておいてもまた再開できて、思い出して使えるようになるそうです。だから、ドイツ語を覚えていらしたということは、まあフランス語ほど違っちゃまずいけれど、ヨーロッパ語のなかでドイツ語と親類筋のオランダ語ですとか、英語とか、場合によってはデンマーク語とか、スウェーデン語も、これから勉強しても覚えることはおできになるんですね。これは学問的にそうなっている。大脳生理学者が言ったことですから、間違いないと思います。

 しかも、話す外国語というのは、必ずしも覚える必要はないと思うんです。はじめに、そこから入っていく必要はないだろうという。どういうことかと言いますと、歴史的にみると、日本人は外国語を読むことでやってきました。読む、書くという、書くほうはあまりできなかったかもしれないけれど、読むのが主で、このお陰で日本は外国から非常に正確な知識を、しかも短い時間に取り入れることができたんですね。だから、明治時代に政府高官が、かりにペラペラしゃべる英語を覚えない人間は高官の地位につけないというようなことをやっていたら、こんな速いスピードでは進歩しなかった。

 話し言葉というのはどうしても、抜けちゃうことがあるんですね、情報が。書かれたものは、考えて書いて、あとから足りないところを足したり訂正したり、漏れなく知識を示すことができます。それを翻訳して、ぜんぶ頭に入れようとしたから、日本はこれまで進んできた。それでは、そういう人たちが、今度は外国に行ったときにしゃべれなかったかというと、みなしゃべっているんですね。森鴎外など、ドイツに四年いたのかな、向こうでドイツの医学者とドイツ語で論争して勝つまでになっている。彼はそれ以前に特にしゃべることなど習ってない、読み書きだけのドイツ語です。ですから、ある言葉の基礎というのは、読むことから始めても、その知識を頭に入れたまま外国へ行って、その国の言葉を聞いていれば話せるようになる。

志ん朝―はあ、なるほどね。

早川―だから、料理の注文の仕方などといった日常の会話から入っていく必要はないんですね。

▼ カン語をはたらかせて読み切ろう

志ん朝―ちょっとドイツへ行こうなんて気持ちになって、それこそ何か月も前から、もう一遍教科書の類をずっとおさらいしましてね。また新たに旅行用の、そういう類の本を買って、ドイツ語のところをずっと見て、まあ向こうへ参りまして、ホテルとレストラン、ほとんどこの二つですね。われわれが向こうに行ってあれする。ですから、それは三日もすれば、だいたい食べるものも決まってますし、メニューを見れば、おおよそ見当もつきます、ドイツ語の場合に限ってですけどね。そうすると、「これをくれ、あれをくれ」と、ホテルへ行って「部屋が空いてるか」と、それはだいたいパターンが決まってますからできるんです。

 ところが、汽車に乗りましてね、向こうは例のコンパートメントになってるから、入ってこう座る。すると向かいのおばあさんなんかが、週刊誌みたいなものを見ながら、チラチラとこっちを興味深げに見るんです。「まずいな」と思って、(笑)そうすると、週刊誌をおいて、やおら話しかけてくるでしょ。「どこから来た」ぐらいのところは、とば口ですから答えられますが、いろんなことを聞いてくるとですね、ほんとに困っちゃうんですよね。だから、しょっちゅう伸びをしちゃ、通路に出て景色を眺めたり、くたびれると今度は寝てみたりしてね。(笑)長いんですよ、目的地に着くまでが馬鹿に長い。(笑)

 これは確かに何冊か、文法とかなんとかよりは読み物を読んで、それに少し慣れて行ったら、かえってそういうものがフッと出るかもわからないですね。昔からよくありますね、ドイツ語がこう左側のページに書いてあって、右のページに日本語の訳が載ってるっていう、ああいうのはどういうもんですか。ああいうのはないほうがいい。

早川―あってもいいんじゃないですか。

志ん朝―そうですか。そっちばっかり読んじゃったり。(笑)

早川―筋を追ってね。(笑)

志ん朝―日本語をドイツ語に訳したりして。(笑)前にドイツに行ったとき、向こうの日本航空の方のお宅へご招待していただいて、奥さまがやっぱりドイツ語の勉強を、こっちに来てからやってるんですよって、先生について習っているということで、そのとき見せてくれた本は読み物でしたね。何という人のものか忘れちゃったんですけど、わりに小品で、とっても軽い感じの、ユーモアのある小説でした。その本を何冊か読んでいるところだと。

 でも、そうやって最初からずっと読んでいきますね。一人でやっていて、やっぱりわからないところにくると、なんでだろうなと、とっても悩んで「これを聞きたいな、誰かに」っていうふうになると、そこで止まって、イライラしちゃうんですね。そういうときなんですよ、どうしたらいいのかという。それが、私がいつも思ってることなんです。もちろん、字引は引くわけですが、どうしても、ここで止まっちゃう。今度はカンで、こういうことじゃないのかなという勘を、ドイツ語じゃなくてカン語って、(笑)それでやってるんですけど、するとどうも「あそこ、わからずに飛ばしてきたんだ。ここまできたけどほんとじゃないんだ」みたいなところがあるんですよ。

早川―それでいいんじゃないですか、飛ばして。

志ん朝―そうですか。

早川―そこを飛ばしたために、結局、このオチがわからないっていうことになると、それは悔しいかもしれないけど、だいたい五か所や十か所抜けてても筋はずっと追っていけますから。ぼくは、お読みになるとき、あまり片っ端から辞書はお引きにならないほうがいいと思うんですよ。

志ん朝―片っ端からは、引かないほうがいい。

早川―ずっと筋を追ってらして、ほんとにわからないというところだけ丁寧に引くようになさって、あまり細かくお引きにならないほうがいい。一つ一つ引いてますと、筋も忘れちゃうし、文の構造もわからなくなってしまう。とにかくピリオドまでは、わからない単語があっても読んでしまう。できれば一パラグラフは読んでしまって、その上でゆっくり、キーワードになるらしいものを引いてごらんになればいいと思うんですよ。

▼ おすすめはシュテファン・ツヴァイク

志ん朝―そうすると、いまのお話からいきますと、まず向こうに滞在するについて、行く前に読むそういう読み物ですね。昔の学者、あるいは教育者とかがやったみたいに読み物から入っていって、向こうでしゃべるという話になると、それじゃ一つ、そういう読み物をという、ここまで来たんですが、ご推薦のものってありますか。

早川―そうですね。やっぱり短編のほうがいいんじゃないですか。すぐケリがつくから。

志ん朝―あまり長いと気が重くなっちゃう。

早川―まあ、ぼくの個人的な趣味では、長編なんですね。長編を読み終えたときの快感というのは、えも言われぬものがあります。

志ん朝―ああ、そうでしょうね。

早川―ですけれど、それはまあおいて、短編。ショートショートは駄目です、これはかえって難しいですから。

志ん朝―そうですね。ちょっと洒落が入ってとか、言い回しが軽妙洒脱という、そのわりにはそれがわからないですから、ごくまともな文章のほうがいいわけでしょうね。

早川―そうですね。

志ん朝―そうすると、童話かなんか。

早川―童話よりも、ぼくがよく皆さんにお勧めしているのはツヴァイクです。シュテファン・ツヴァイクというオーストリア人、ユダヤ人ですが、短編小説が多いんですね。この短編がおもしろいですし、エッセイなんか、とってもおもしろい。文も平易ですし。

志ん朝―ああ、そうですか。

早川―それは、ニーチェとかヘーゲルを読むとか。

志ん朝―そんな、とんでもない。

早川―そういうものを読むときに生じる迷いはなくて、ツヴァイクは気持ちよく読めるという作家ですね。

志ん朝―そうですか。

早川―本、お送りしましょうか。

志ん朝―いやいや、本屋で探すのも楽しいものですから。

早川―われわれがドイツ語を習ったころといいますと、先生ご自身はドイツ語がしゃべれないような方だったんですね。この恩師はその後、ドイツでぼくが通訳をしたくらいですから。そういう先生方に教えられて、大学に入ったときに初めてドイツ人の先生に習ったら、これが関東大震災のときに日本に来たという先生です。日本人に対して、どれくらいゆっくりしゃべらないといけないか、よく心得ておられた。ということは当然、この先生のドイツ語がわかっても、他のドイツ人の話すことはわからないですね。

 それで、あるとき、東ドイツから逃げて来て、もう暇で暇でしようがないという尼さんを近所に見つけましてね。彼女に週一遍だけでいいから、うちへきて一時間ほどしゃべってほしいと、貧乏だからちゃんとした授業料はあげられないけど、お食事ぐらい差し上げると言ったら、彼女は暇だから来るんです。で、最初は教科書を使って普通にやっていたのですが、どうもおもしろくない。そこで彼女が来るとすぐ、彼女の嫌がることばかり言うようにしたんです。「また昨日暴行事件があった」とか、「また強盗殺人があった」とか、「キリスト教はおかしいんじゃないか」みたいなことまで言う。そうすると彼女は悔しがって、躍起になって話すわけです。

 初めはとにかくほとんどわからないんですが、彼女のほうも気になるらしくて、週一遍といったのに、翌日またやって来るんです。昨日の話だけれどといって、またベラベラしゃべる。そういったことを週に一遍ないし二遍、一年くらい続けたんですが、そのあとドイツ大使館のパーティへ行きましたら、不思議なことに、周りのドイツ人の話していることがぜんぶわかるんですね。彼女とちゃんと授業をやったことはないんです。いつも、「暴行は悪い」とか「強盗は悪い」とか、そういう話ばかりしていたわけですから。だから基礎さえあれば、ドイツ語の聞こえる雰囲気が与えられると、聞き取ることができるようになる。

志ん朝―なるほど。

▼ 毎日数分、トイレでドイツ語を

早川―ですから、その分は一月のドイツで十分できると思いますね。

志ん朝―そうですね、よしよし、明るくなってきた。(笑)

早川―そうするためには、少なくとも毎日一回はなんとか五分でも、ドイツ語に触れるということをしてですね。

志ん朝―そうですか。じゃ、トイレに入って、長いものですから、(笑)いろいろ本を持ち込むんですよ。それもドイツ語の本にしたほうがいいかもしれない。

早川―辞書もいいですね。(笑)この『新コンサイス独和辞典』を左手にもってパッと開いて、そこにある記事を読む。そうすると、この程度の辞書でも、意外と、けっこう猥褻なことも出てるし、滑稽なことも出てますね。だいたいあそこでは、論理的にずっと考えるということはできませんよね。(笑)だから、辞書をパッと開けては、単語を読んでと、それは役に立つんじゃないかと思うんですね。

志ん朝―なるほどねえ。

早川―あまり大声で勧められませんが。(笑)

志ん朝―今度の辞書では何年ぐらいかかったんですか。

早川―十三年です。

志ん朝―十三年。

早川―これはわけがありまして、ほんとは七年ぐらいでできなくちゃいけないんですね。

志ん朝―はあ、そうですか。辞書を一冊こしらえるっていうのは、当然それくらいかかるだろうと思いますが。はあ。これは、だいたい昔からの、もとになるものがあるんですか。それともずっと最初から、ひろっていくんですか。

早川―今回はぜんぶひろいました。あるとき北杜夫さんが、ドイツ語の辞書は「親亀がこけたところで子亀も孫亀もみんなこけている」という意味のことを言われたんですね。あの方は蝶々に詳しいらしくて、ある蝶々の名前が違ってたんですって。いろんな辞書を見てみたら、みんな違ってるんで、どうも大元の独和辞典が違ってたのをみんな写したらしいという。みんな同じ間違いをしている。そういうこともあるものですから、そう言われては悔しいから、動植物についてはぜんぶ、新たにひろい直しました。

志ん朝―そうですか。大変な仕事ですよね。

早川―辞書というのは、作ってて楽しいのはですね。

志ん朝―これは楽しいんですか、辛くないですか。

早川―ええ、まあ辛いといえば辛いけど。でも、どういう日本語の表現が一番いいのかっていうのを考えるのが、結構楽しいんですね。ぼくは亡くなられた志ん生師匠のテンポが好きで、生意気に小学生のときから末広亭へ行ってたんです。うれしくて一番前で聞いていたんですが、ほんとに気持ちのいいテンポで、子供心にも気持ちがよかった。これは辞書にあてはめますと、動詞はテンポよくやらなきゃいけないんですね。動詞の解説というのは。

志ん朝―解説ですか。

早川―ええ。訳語をつけるときに、名詞とか形容詞というのは、ダラダラでも間に合うんですね。名詞はいろんな意味がありますから、たくさんあげたほうが親切です。ただし、こういう環境のなかで、こういう前置詞と一緒ならこういう意味になるとか、こういう動詞と一緒ならこうなるといった情報は整理しておく。ところが動詞の場合は、一番基本的な意味だけあげれば、あとはおのずと、その場に応じてパッパッと処理できるんですね。「行く」一つとっても、自分が行く場合であろうが、事が運ぶ場合であろうが、列車が動く場合であろうが、日本語だっていろんな言い方ができるわけだから、それが使える。動詞の部分はなるべく歯切れよく、名詞の部分はダラダラと、これがおそらく二か国語辞典を作るときのコツなんだと思うんですね。

▼ 落語を聞きながら辞書づくり

早川―ぼくはNHKの「日本の話芸」など落語の番組が好きで、ここ十何年、ぜんぶテープに録っているんです。あまり録りすぎちゃったから、死ぬまでに全て見られるかどうか。(笑)まあ、あの話芸というのは大したものだと思う、無駄がないんですね。素人が生意気なことを言うようですけれど、うかがっていて全く無駄がない。

 あるテーマに対して、ある情報を与える。この情報のなかに含まれたテーマをもって、次の情報を展開するという、これは前に申しましたように人間のコミュニケーションの、一応の基本ですね。それが落語の場合には、ものがあるわけではないし、所作にしても、ラジオを聞いていては見えないわけですし、それが言葉だけでぜんぶわかるわけです。テーマから情報、またそのなかのテーマから情報と、余計なものをぜんぶ削ぎ落としてあって、しかもほんとに切れ目なくつながっている。落語では、それが研ぎ澄まされている感じで、わかりやすいし、短時間に圧縮されたものでもおもしろいですよね。

 ですから、そこにはやはり日本語の粋が集まっていると思うんです。そういう立場からしますと、辞書というのは、やはり日本語には日本語の粋を集めたものにしたいという思いがありましてね。まあ、そういうことで、ながら族じゃありませんが、落語のテープをつけっぱなしにして、聞きながら仕事をしたりする。そのなかの、落語で使っている一語が、とてもいい訳につながることがあるんです。あれは、ほんとに話芸というものでしょうね。

志ん朝―ええ。ですから若いうちは、噺を習いたてのうちは、その削ぎ落としてあるところを、足らない部分を生意気にも補おうとするんですよ。いろいろ付け足してみたりして、それがまた、うまくいく場合もあるんですね。しかし、たいがいは何年かたつと、「あ、無駄なことしてた」っていうところにくるんです。

 たしかにいま先生がおっしゃったような、一つのことがあって、テーマがずっとつながってということは大事なんです、それがないと話になりません。それともう一つ、聞かせるということがありますんでね。この、テンポですね。それを出すためには、これを言ってたんでは、ちょっと耳触りがよくないという場合があると、スパッと切ってパッとこっちに入るというような、そういうことを心掛けて、いわゆる自分で練り直すっていいますか、お稽古をしていくと、ああいう形になってくるんですね。だから亡くなった文楽師匠なんかの噺は文章で書くと、やっぱり少し補いたくなるようなところがあるんです。それが、話してらっしゃるのを聞くと、とても心地がいいという、場面の転換なんかもパッパッと切っていく。

 だから、そういう意味では師匠方はみんな、鋏を入れて無駄を取りなさいということを、よくおっしゃってました。それが若いと、どこにどう鋏を入れていいか、わからないんですね。自分が教わった通り、そのまま闇雲に覚えて、ただ夢中にしゃべっていれば本来は、結果的にはいいんですが、自分のなかで理解したものを人に聞かせようと思うと、まず理解するために、こういうことなんだなとわかったら、その自分がわかった部分も付け足してしゃべっていっちゃうんですよ。そうしないと、何か気持ちが悪いんですね、若いうちは。そうすると、お客様はたしかにわかるんだけど、なんかこう、すっきりしない感じなんでしょうね。それをやはり、もう一回取り払ってパッとやると、テンポが出てくる。説得力があるってことですね。

 だから無駄を省いて、いま先生がおっしゃった、日本の話芸を聞いていると、そういうことを感じるとおっしゃったけれど、たしかに長年かかって、師匠方はそうしてきてくれた。私なんかでも、それこそ十年ほど前にこの噺はこうやってたのに、いまそれをそういうふうにやらないというのは、なるべく無駄を省いて、自分が覚えた噺をいかに説得力をもって、正確にお客様に伝えるかということを考えるからなんです。そういうふうに努力したほうが結果がいいんですね。

早川―削ぎ落としてですね。情報の流れというのは、必ずしも全部説明しなくては通じないというものでもない。とくに日本語の場合、情報のぬけていることで逆に次に対する関心を高めることもありますね。

▼ 寄席へ出て生きる落語

早川―ところで、落語でも、若くなければできないという噺もありますでしょ。

志ん朝―ありますね。

早川―というのは昔、ある師匠の噺をラジオで聞いていて、若い方なのに驚くべき才能だと舌をまいたことがあるんです。で、ごく最近、同じ人の同じ噺を聞いたんですけれど、もう耳を覆うという感じですね。昔のテンポはない。

志ん朝―でもそれは、年をとったせいではないでしょう。あの方はしばらく、寄席から遠ざかっておられた。植木に水をしょっちゅうやっていればなんとかなる、それをそのまま放っておいて、急に水をさしても駄目ですね。同じように、しょっちゅう寄席へ出てやってると、結構生きてると思うんですよ。

早川―何か昔のままにやっておられるんですが、生きてないんですね。まあ、ほんとに素人の感想ですけれども。

志ん朝―それは素人さんが聞くのが一番正しいんですから。仲間に聞かせるものじゃないんですから、芸は。だから、前に、私が大変に憧れていた浪曲師、女流の浪曲の方が一時期引退して、「ああ、もったいないなあ」と思ってた人が、あるときカムバックなさった。ほんとに夢じゃないかというように喜んで、それで紀伊國屋ホールに行ったんです。それは、どこが違うっていうんじゃないんです。声音もその当時と同じ、それからテンポもそのまんまやってらっしゃる。ところが、なんだか違うんですね。同じ気持ちですよ、聞いている人はみんな。ちっとも変わらないんだけど、何か違う。しばらく離れていると、また元へ戻るのはすごく時間がかかるようですね。

 でもまあ、人のことはどうでもいいんで、自分が気をつければいいことですからね。ちょっと古い自分のテープを聞くと、たしかに元気はあっていいんですが、「そうか、こんなこと言わないほうがよかったな」というようなものがありますね。いま私たちのほうの協会で二つ目という、真打ちになる前のクラスの勉強会を毎月一遍なんですが、やってます。ほんとは上の人みんなに、聞きに来てくださいって言うんだけど、みんな忙しくて来られないせいか、いつも私だけが行って聞いてるんです。すると、若い人はやっぱり、お客様を笑わせようと、受けたいという気持ちから、いろんなことを言いながら、噺に入っていくんですね。

 そうすると、噺に入る前にしゃべっていることが整理されてない、口慣れてない。言いよどんだり、散漫なんです。だから聞いてるほうも、「これを狙ってるんだろうな、これを言って、笑わせたいと思ってるんだろうな」というのが、ぼくなんかにはわかるんですけど、多分、ほかのお客様もわかってるんだろうけど、乗っかれないんです。だから、そこのところを指摘して、もうちょっと話を整理して、それからそこだけの稽古もしたほうがいいよ、そうすると無駄が取れてお客様に受けるからと。その人が次に、注意された通りにやると、やっぱり受けるんですね。

 このごろ私、わりに寄席によく行くんですよ、客席に。自分でもいろいろ不安なことがあって、どうしてなんだろうということがあると、客席に回って聞いてると、やっぱりそこなんですね。だから、どっしり構えて、きちっきちっとしゃべっていく人の噺を聞いてると、やっぱりお客様は必ず終いには、こう引っ張っていかれるということが起きますね。

▼ 夢中で通じたドイツ語会話

志ん朝―ドイツ語ということでは、私も調子がいいときには、五、六回、キャッチボールができるんです。それが、二日酔いなんかで、向こうに聞き返されたりすると。

早川―聞き取れないと駄目ですね。

志ん朝―「えっ」と聞き返されると、もうその次に言えなくなっちゃったりすることがあります。やっぱり、語学も健康のほうがいいんですね。(笑)

早川―酔っぱらっているときは、自分でも「うまいこと言うな」と思って話してるんですけれど、(笑)後から思い出すと、やはりうまくはいってないですね。日本語でしゃべっても支離滅裂ですから、まして人の国の言葉で話して、何を言っていたのかわからないと、自分でも恥じ入ることがあります。

志ん朝―なんか夢中で、なんか言って向こうに通じて、あとで「それ、なんていうの」って言われると、「わかんない」っていうようなことがありますね。ああいうときは、夢中でなんか言ってるんですね。私は外国へ旅行すると、けっこう事件が起きるんです。たとえばロンドンで、日本からもうボロボロのボストンバッグを持って行きまして、それを向こうで新しいのを買って、新しいほうに詰め替えたんですね。それで、ボロボロのを捨ててくれって頼んで、お金を替えに銀行へ行ったら、パスポートがない。そうだ、あっちの古いバッグだ。その内側のポケットに大事に入れておいたまま、もう少しで持っていかれるところでした。

 そんなようなことだとか、それからこれは忘れもしません、ドイツのフランクフルトです。駅前のホテルに泊まってましてね、明日、ミュンヘンへ汽車で行こうと。それで、冬だったんですけど、駅へ時刻表を見に行って、何時のに乗ろうかなと計画をたてる。これも楽しいことです。そのときに、コートのポケットに手を突っ込んで、トントントントンと階段を上がって行った。上で、天井で何か工事をしてたんですね。危ねえなと思いながら、上を見ながらヒョッと見たら、ワッと一つ踏み外した。手が出ないものですから、階段の角にガーンとぶつけたんです。そしたら、血がダラーと、向こうの人がみんな寄ってくるんですけど、日本人っていうのは必ず「大丈夫、大丈夫、ノープロブレム」(笑)

 それでホテルに帰って来たら、「大変だ、すぐに病院に行きなさい」ってタクシー呼んでくれて、病院へ行きました。これはガーンと打ったから目なのか、それとも脳のほうに何かあるのか、どこなんだろうと、それを見せちゃ、大きな総合病院でしたから、どこへ行くべきかみたいなことを、あっち行け、こっち行けって、やっとのことで行ったら、大勢いるんですよ。悪い順にやるんですね、後から来ても、ひどい人はどんどん先へ。で、しばらく待たされました。女医さんだったんですけど、一応、どうしたのか、全部説明したんです。ドイツ語ですよ。(笑)階段のところでどうしたこうしたっていうようなことを、そんなこと、いま言えっていったって、とっても言えませんけどね。それがちゃんと言えたんです。

 それでも、破傷風の注射を打ったんだと、それがわからない。で、一年後にもう一回打てとか、何かそんなことがどうしてもわからなかった。そしたら向こうで考え込んで、看護婦さんと女医さんと考えて、どうしたらいいか、これになんて言ったらわかるだろうって、何度か言うんですけど、さあ、わかんない。そしたら、「そうだ、たしか阿部先生とおっしゃる日本人の先生がいる」と、その先生を呼んで来てくれて、「どうしたんですか」「これこれ、こういうわけで、何とおっしゃっているのかわからない」

 それで聞いてくださって、これは破傷風の注射を打ったから、一月後に打って、もう一回、一年後に打てと、そういうことですと言う。で、一週間後に抜糸だっていうんです。一週間後、どこに行くんだというから、ミュンヘンだと言うと、ミュンヘンだったら、これこれこういう病院へ、これを持っていって見せれば大丈夫だと、その女医さんが全部やってくれたんです。そのミュンヘンの総合病院へ行くのが、また嫌でしたね。自分で抜きたいなと思うぐらい。(笑)受付にこれ持っていって、またなんだか、いろいろ言うんですよ。やっとのことでわかって、あの窓口へ行って出せとか、いろいろあって。だから、そのときも、なんだかんだ。

早川―通じたんですね。

志ん朝―通じて、一人でやってるんですからね。抜糸してもらったときには、ほんとにうれしかったですね。いや、これで自由だって。それまでは、やらなきゃいけないことがあるって、とても気が重かったんですけどね。

早川―でも、大したもんです。

▼ ハンブルクから汽車に乗ってウィーンへ

志ん朝―夢中でなんか言うと、相手に通じることはあるんですね。だから語学とは違うんでしょうが。

早川―いや、それが語学ですよ。基本をやっぱり覚えていらっしゃるから。破傷風なんていうのはテクニカルタームですから、日本語だってわからなければわからないですものね。

志ん朝―そうですね。

早川―そういうときにはこの辞書を持って行かれて、(笑)これを見せて、どれだって尋ねる。

志ん朝―そうなんです、あとで気がついた。字引を持って行けばよかったなと。

早川―そのときはテレビのお仕事でしたか。

志ん朝―いや、怪我をしたときは全くテレビと関係なく、自分一人でした。一番最初にドイツに参りましたのは、「絶対ドイツに行こうよ」っていう、ドイツファンのお医者さまがいらっしゃって、そのご夫婦と私と三人で行ったことがあります。その方はもともと皮膚科で、皮膚科というのはフランスが非常に進んでるんだそうです。その方はフランス語をおやりになる。もちろんドイツ語も少し、お医者さんになるぐらいですから勉強なさってる。

 「よし、じゃ行こう」というんで、ホテルも何も予約しないで行って、フランクフルトに着きました。まずホテルを案内してくれる紹介所に行って、一番最初に、「じゃ、先生がやってよ。明日はあたしがレストランやってみるから」って受持ちで交渉をやったんです。そばにいられると嫌なんですね。そばにいて聞かれると、とっても恥ずかしいから、ちょっと出ててもらって。(笑)一人で一生懸命掛け合って、そのうち先生が「おれ、ずっとレストランやるよ」と言うんです。「なんで」って言ったら、「これ、全部わかる」と。メニューを見たら、いわゆる肝臓から何から、医者の用語が一杯並んでる。(笑)「これは全部わかる。だからレストラン」って、私は毎回ホテルの掛け合いをして、それはなかなかおもしろかったですよ。

早川―それは、かなりの都市を回られましたか。

志ん朝―フランクフルトから始まってハイデルベルク、それでハンブルクへ行ったんですね。あれはどこから回ったかな。

早川―おそらくライン川沿いを。

志ん朝―そうです。ライン川沿いを汽車でずっと来た覚えがあります。

早川―フランクフルトからライン川沿いに、ローレライの側を通って。

志ん朝―そうです、そうです。

早川―ボン、ケルン、デュッセルドルフ。

志ん朝―そうです、あっちのほう通って、デュッセルは降りなかったですけど、それから先ずっと行くとどこへ行きますか。

早川―そのまま行けば、ハンブルクです。

志ん朝―そうです、それでハンブルクへ行きました。ハンブルクの側にある、例のブレーメンに寄ったり。

早川―リューベックなんか近くになる。

志ん朝―ええ。リューベック、行きました。リューベックもいいとこですね。それから、そのときにそう、ハンブルクからウィーンへ行くということになったんです。

早川―それは大変だ。

志ん朝―それもまた汽車なんですよ。ずっと来てパッサウという町、小さいきれいな町ですが、あそこへ寄って、それからそのまま汽車でウィーンに参りました。ウィーンから今度、車を借りて、無謀なことにあたしが運転をして、冬場ですけどね、怖いですねえ。(笑)行ったんですよ、それでスイスに入って。

早川―雪だったでしょ。

志ん朝―雪でした。だけど、あれ、スパイクタイヤはいてるんですね。だから、そのまま走れたんです。

▼ 車で回ったドイツ、アルプス

早川―もう、アウトバーンはぜんぶ通ってましたか。スイスまで。

志ん朝―アウトバーンじゃないみたいです。

早川―おそらくウィーンからちょっと南へ下って、雪の中を通ってずっと。

志ん朝―そうです。いまでも、うちへ帰れば日記はちゃんとあるんですけど。スイスでもって、チューリヒで車を返したんです。それから、また汽車でパリへ出て、パリから飛行機に乗って帰って来たんですけど、ずいぶん遠回りをしました。

早川―車の運転は師匠がぜんぶ、ご自分で。

志ん朝―そうなんです。その先生は車の運転なさらない。奥さんはやるんですが、「私、雪だから嫌」って。車なんか借りなきゃいいのに借りちゃった。(笑)でも、ウィーンではオペラを見たり、シンフォニーとか、いろいろそういうので楽しかった印象がありますね。

早川―しかし、ハンブルグからウィーンは遠かったでしょ。

志ん朝―遠いですね。遠いけど、楽しかったんです。何が楽しいかって、私はそれに行く前に、ある願い事があって、一年間、煙草を止めたんです。それで、煙草を吸うについては、そこらでいきなり吸ったっておもしろくない。だから空気のいい、眺めのいいところに行って吸いたいなっていうんで、ずっと日本でいろんなところへ行って、しまいに、どうせだったら外国行って、という話になって行ったんですよ。それで、なんと汽車の中で吸って、車中でずっと吸ってました。でも、長く感じなかったですね。

早川―おそらく、ハンブルグから東独との国境近くを通っていらっしゃった。

志ん朝―そうでしょうね。

早川―あるいは下って、ヴュルツブルクからレーゲンスブルクを通る、これは本線。

志ん朝―そっちじゃないかと思います。でもほんとに楽しかったですね。ドイツはわりに行って、いつでも楽しい思い出があります。一人でも何度も行ってるんですよ。一人で車借りたり、一遍は三八〇〇キロぐらい走ったんですよ。それはパリからですけどね。パリで仕事が終わって、そこから車借りて、ベルギーへ入って、ベルギーからドイツへずっと、例の有名な温泉ですが。

早川―バーデンバーデンですか。

志ん朝―いや、もっと上のほうです。このごろ、そういう名前が出てこないんですよ。なんか古い、ローマ時代の何かがある。そこはとにかく夕方着いて、一晩泊まってすぐ出ましたから、町のなかは見てないんです。

早川―この『コンサイス独和』には地図がついてるんです、ここですよ、きっと。アーヘンじゃないですか。

志ん朝―そうです。アーヘンです。

早川―ドイツで一番先にケーキ屋さんができたところですって。

志ん朝―ああそうですか。いらっしゃいましたか。

早川―ええ。

志ん朝―きれいな町ですか。

早川―きれいな町です。人間が悪魔をまんまと騙すとかいう伝説がありましたね。

▼ 氷河となまのヨーデルと

志ん朝―車で回ったときには、とにかくそこからロマンティッシュ・シュトラーセ(ロマンティック街道)を下がってきて、フュッセンからミュンヘンに入って、ミュンヘンからずっと、それこそアルプスのほうに行ったんですよ。ガルミッシュパルテンキルヘン。

早川―ベルヒテスガーデンとか。

志ん朝―そうです。行きました。オーストリアのゼーフェルトなんて、あそこからまたずっと上がって来ましてね。最後は、マインツのほうからフランクフルトへ帰って来て、車返して帰って来たんですけど、そのときはさすがにくたびれましたね。(笑)アウトバーンじゃなくて、ふつうの道を走りますでしょ。そうすると、ナビゲーターがいないもんですから、地図を置いといて、パッと見て印つけておいて、走ってて道が分かれると、こういう柱にくっついて、なんとかブルク、なんとかベルクって書いてある。みんな同じようなんです。(笑)日本語だとパッと見ればいいんですが、外国語って読まなきゃならないでしょ。一瞬のうちには読めない。「たしか、ブルクって書いてあったな」(笑)もう一回ずっと戻って来て、車から出ていって見て、「あっ、こっちだ」って。それがくたびれて、ヘトヘトになりました。(笑)

 だけど、それが楽しいのと、そのときには、あれも越えたんですよ。オーストリアのグロースグロックナーという、大きな山があるんです。夏場だったんですよ、六月の中旬ぐらい。それが、下からダーッと登っていったら、途中から雪なんです。これは驚きました。みんな人の車の後ろにつくんですよ。いやですよ。あたし初めて来たのに、(笑)向こうの人は後ろについて、困るなって。それでずっと越えて、あれはとってもダイナミックで、いまでも忘れられない。

早川―道ぞいに氷河がありましたね。

志ん朝―あります、あります。素晴らしいですね、あのへんは。あそこは、もう一遍行ってみたいなと思いますね。それで、これから、明日、いよいよ越えるんだっていう日に、麓の村に泊まって、もうこれも忘れられないんですけど、小さな宿屋さんというか、きれいなんですよね。向こうのうれしいのは、部屋を案内してくれるでしょ。日本の宿屋みたいに決められちゃわないで、どの部屋がいいかって。玄関に面したところ、二階でしたけど、この部屋がいいと言いまして、そこに泊まって、明日早く起きる。疲れてますから、ちょっとレストランで食事して、表をポロッと歩いて、小さな町だからすぐ帰って来て、もう寝ようと、自分がいつも買ってある寝酒があるんです。向こうのブランデーがありますね、ドイツのアスバッハウアアルト。あれを炭酸で割るとうまいんです。

早川―そうですか。(笑)

志ん朝―ほんとにうまい。それを飲んで寝ようかなと思ったら、車が、バンバンってドアの閉まる音、ワーワー、キャーキャー、男性と女性の何人か、下へ入って来て、それが筒抜けに聞こえるんですよ、酔っぱらって。下へ降りて行こうか、いや話しかけられても嫌だなと、飲みながらですね。そのうちにヨーデルを歌いはじめた、これがきれいなんですよ。一人が歌い出すと、追っかけていくんです、輪唱みたいに。はあ、これは本物だと思って、こういう所でこんなものが聞けるというのはと、ほんとにきれいでしたね。そのとき五曲くらい聞いたのかな、もっと聞きたくて、注文に行こうかと思った。(笑)いい経験しました。もう、日本では、どこか、木曽の奥に泊まっても向こうの民謡なんか聞けませんよ。そういう大会でもないかぎりは、(笑)なかなかそういうのはないですよ。だから、こっちはそういうことがあるんだなと。

▼ 『コンサイス』を持って、また出かけます

早川―さっき、ゼーフェルトへいらしたと、いつごろのお話ですか、それは。

志ん朝―いつごろかな、十年はたってます。

早川―ぼくも数年前に行ったんですけど、あそこは夏は人が一杯で、避暑地なんですね。

志ん朝―きれいな建物がございました。

早川―ログハウス風の建物が。

志ん朝―あそこは一泊だけで、とにかく車でここからここまで、これだけの日数で回ろうというのは、ただ走るだけになっちゃいますね。だから印象に残ってるところが少ないんです。車の運転で苦労したところしか覚えてない。グロースグロックナーみたいな。あれはやっぱり素晴らしかったですね。

早川―ロマンティッシュ・シュトラーセは、もちろん途中でちょこちょこ降りられたでしょうけれど、ローテンブルクですとか、ディンケルスビュール、ここのドイチェス・ハウスも立派な建物ですね。十五世紀のものですが、いまはホテルになっていて、レストランもあります。

志ん朝―そこは行ったかどうか、ちょっと。車で走ってて、町中で食事っていっても、ちょっとしたそういう店があれば、わりとそういうとこに入りたがりだから、行くんですけど、ないとこに行っちゃいますと、こっちでいうコンビニみたいな店で、よく昼間のうちにワインだとか、そういうサンドイッチみたいなものを買っておいて、夜、部屋で飲んだり食べるっていうのが、これがまたうまいんですね、ああいうのは。

早川―パンはうまいですね。

志ん朝―なんでこんなにうまいんだろうと。ついこないだ、といってももう四、五年になりますか、写真もずいぶん前から凝ってるんですけど、やめたりやったり、ここのところまたちょこっと興味をもちだして、その始めた当座だったんですけど、プラハへ写真を撮りに行ったんですね。プラハで写真を撮って、それからミュンヘンへ行こうと、飛行機がプラハからフランクフルトに着いて、いわゆる国内線ですね、今度は。それでゲートへ入って待ってると、目の前にパンが山積みになってるんです。これ、フルーツやコーヒー、すごいサービスなんですよ。機内に持ち込んでいいんですよ。例の丸いパンにただバターをうすくぬってある、それに生ハムがはさんである。ただそれだけなのに、これがうまい。(笑)だから向こうで、それが楽しみなんです。なんだかボーイに気をつかいながら、チップいくらやったらいいだろうなとか、嫌な顔をされて悔しいなとか、そんなことを気にしながら食べているよりはあれのほうがよっぽどいいと思って、よくやるんですが、あれも楽しいもんですね。

早川―ぼくはドイツへ行くと、焼酎が楽しみで、シンケンヘーガーとか。

志ん朝―あれはまた、ばかに強いでしょ。

早川―ええ。あれをビールをチェーサー代わりにして飲むんです。

志ん朝―ああ、向こうの人はよくやってますね。また一つ勉強して、出かけたいものだと思っているんですが。

早川―師匠はもう、ドイツ語はすっかりおできになるじゃないですか。

志ん朝―いえいえ、とんでもない。

早川―さっきも申しましたが、今度ドイツへお出かけのときはぜひ『コンサイス』をお持ちいただいて。(笑)

志ん朝―そうです。やっぱり和独がついているというのは、向こうへ行ったときは心強いですよ。ちょこっとでもほしいときがあるんですね。

早川―困ったときの『コンサイス』頼み、ですね。

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