文字研究の到達点
―『世界文字辞典』


西田龍雄(にしだ・たつお 京都大学名誉教授)
(「ぶっくれっと153号」掲載)

 世界文字辞典
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 言語学大辞典シリーズの最終巻『世界文字辞典』が小社創業120周年の記念出版として、昨年刊行されました。西夏文字の解読や東アジアの諸文字の研究で世界的にも文字研究をリードする編者のお一人西田龍雄先生に、文字にまつわるお話を伺いました。

 多くの執筆者がそれぞれの専門分野で腕を振るってくださって、全体で300近い項目という、文字に関する辞典としては最新・最大の、しかも非常に質の高い辞典になったことに大変感謝しています。文字そのものに焦点を当てて書かれた項目や、歴史の流れの中で文字を位置づけた項目など、とくに編者として注文をつけたわけではありませんが、執筆者それぞれが特徴を活かした書き方になっています。一見コンパクトな記述の中に、新説や優れた記述が詰まっていることにぜひご注目いただきたいと思います。

 この『世界文字辞典』は日本の学者の文字に関する言語学的研究の現在までの到達点を示すものであるとともに、今後の文字研究の出発点ともいえるでしょう。これを基盤にして、文字研究がさらに大きく発展していくことを期待しています。

 文字の起源はなかなかつかみにくい問題です。しかし、ある文字の発展は、残された資料からかなりの程度に把握できるものなのです。いろいろな言語の表記に際して多様な文字の類型ができるわけで、言語の類型と文字の類型の関連を、今後は研究していく必要があります。

 たとえば、ギリシア文字で母音文字が作られたということはよく知られていますが、ギリシア人は作り出した母音文字を子音文字と併記しました。ところが、インド系の文字になると、やはり母音を子音から弁別したけれども、a母音以外は子音文字の上や下に別記したのです。これは言葉に対する認識の違いが文字の類型上に現われているといえます。

 文字への興味と資料探し今昔

 私個人の経験を申しますと、昭和二十三年に京都大学に入学する前後のことですが、漢字の起源についてはもちろん関心を持っていましたが、漢字に似て漢字にあらずといった文字の存在に特別な興味がありました。その珍しい字形が大いに気になったのです。その頃は日本のみならず、中国でもその方面の資料はあまり公開されていませんでした。日本の鳥居龍蔵の書物にロロ語(彝[い]語)やモソ文字(ナシ象形文字)の紹介があったのですが、私はまだ気づいていませんでした。

 記憶に残っているのは中国の丁文江の『爨[さん]文叢刻』という大型の書物で、その頃発見された彝語文献を集めたものでした(近年、その改訂版が馬学良の手によって三冊本になって出ています。これはすばらしい書物です)。これは京都大学文学部にあり、その書評を聞宥先生が書いておられて、それが大変面白かったことをよく覚えています。

 その頃は中国とは国交がなかったものですから、もっぱら国内で探しました。中国でよい書物が出ていても、日本にはまだ到着していませんでした。たとえば、1948年7月に武昌華中大学から刊行されたフマオチの『麗江モソ″古事記″研究』です。この書物はずっとのちになってケンブリッジ大学図書館で見つけました(1948年9月付大学の受入れ印が押されていた)。なぜイギリスに中国刊行の涼山彝族の調査報告書や少数民族関係の書物が早く受け入れられ、多く所蔵されているのか不思議でした。

 今では彝族やナシ族のネイティブ学者の研究成果が多量に日本に入ってきて、資料の面では当時とは雲泥の差です。

 西夏文字に関しても全く同じことが言えます。私が研究を始めた頃にはほとんどまとまった資料はなく、『華厳経』の西夏訳本と天理図書館の断片類ぐらいでした。もしも現在のように資料が調っていたとしたら、かえって何もできなかったかもしれません。少ない資料でいろいろと考えるという段階が必要ですね。

 西夏文字の解読から西夏語の復元へ

 西夏語は西夏文字に支配されて200年間存続してきましたが、実際には漢語とチベット語から多くの語彙を借り入れています。発音を復元することによって細かいことが次第に分かってきたのです。それでも、反切が残っていない文字は、正確には発音を復元できないので厄介です。復元された西夏語形がそのほかのチベット・ビルマ語とどのように関わるかという系統論が問題になってきて、これが一筋縄ではいかないのです。

 私自身は現在、これとは違う研究に向かっています。西夏文字は1036年に公布され、文字だけに注目が集まりがちですが、文字を作っただけでは十分ではなく、公文書を発行し、仏典・古典類を訳すのに必要な文章語をどうやって作ったのかという方がより大きな問題です。今まで漢文を使っていた者に新しい文章語を使えと言っても困ってしまうのではないでしょうか。何を土台として文章語を作ったのか。西夏人は文章語を作って、みずからの国語を成長させていったのです。

 今残っているテキストを見ると、非常にシンプルな文体のものと、もっと推敲された複雑な文体を持つものがあります。テキストの内容によっても文体の精密さが違いますが、時間の経過によって翻訳者が違う文体を作っていったように見受けられます。文章語の発展は今後の新しい研究テーマになるのではないかと思います。

 文字の字形の実用論

 二十世紀の初めには、まだ新しい文字が各地で作られていました。それには宣教師が大きい役割を果たしましたが、基本となったのはラテン文字でした。一般にはあまり注目されていないポラード文字やフレイザー文字がそれで、ラテン文字を土着の文字類型に適応させ変形させた、いわば変形ラテン文字を創作しました。異なった原則を既存のラテン文字に与えた大変な創造力の産物であったといえます。

 現在、中国の少数民族が使っているラテン文字表記法も、一見すると同じように見えますが、たとえば緊喉母音の表記に子音の有声と無声の対立を利用するとか、音節末尾にラテン文字一字を加えて声調を示すとか、いろいろと工夫してラテン文字の持つ本来の機能とは別の使い方をしています。また、汪忍波のリス音節文字のように、漢字のような表意文字でも、群から切り離して特定の字形を取り出してまったく別の音価を与えることも可能であったわけです。

 文字の創造と生命

 文字の誕生については、仙人から教わったなどという物語はいろいろありますが、本来の来源はどこにあるか、まったくの創造なのか、借用なのかはこれから見極めていく必要があります。字形を無から作り出すことは、なかなか難しいでしょう。ハングルのように為政者がある時いっせいに文字を作って、それが現在も使われている例があります。しかし、それも基になった字形や原理が必ずあると私は考えます。ハングルの原則は契丹小字から来ているのではないかと思っていますが、その証拠をつかむのは難しいのです。

 言語の数に比べると文字の数は極端に少なく、そもそもは絵文字、象形文字から誕生し、新しい文字はそれ以前の何らかの文字のデザインや原理を借りて派生していったと考えられます。最初に字形を作って、それをどの意味に充てようかと考えていた段階があったのではないでしょうか。

 国家権力が作った文字と民間で作った文字では、普及徹底にもおのずと違いがあります。壮文字は民間で作られたもので、標準化は行なわれず、地域により字形がまちまちです。西夏文字、契丹文字、女真文字などは国家の命令で普及させたため、かなり統一的な字形が使われましたが、その代わり国家が倒れれば文字も滅んでしまいました。民間で作られた苗文字も国家と関係なしに伝承されてきました。使う人が死んでしまっても、文字で書かれたものは残ります。誰かがそれを発見して生き返らせることもできます。文字はやはり人類の創造物の最たるものといえるでしょう。

 漢字の威力とコンピューター技術の発展

 中国は古来、広大な領土に多言語・多民族を抱え込んで統治支配してきた国です。当然、命令・通達は漢字でなされたので、被支配者は漢字を知らなければ生きていけませんでした。科挙という難しい試験を経た役人が登用されました。

 この制度は彝族でもまねられ、彝文字による科挙のようなものがあったのです。いわば公式の文字が漢字で、自分たちの社会の通用文字は彝文字を使うという、biliteracy でした。水族やナシ族の文字はそこまでには普及せず、占いやまじない、経典といった限られた用途で使われてきました。

 世界的に見ると、ラテン文字と固有の文字の二重使用の関係があります。ラテン文字の普及には大まかに見て三段階があり、最初はラテン語の発展と聖書の波及です。この第一段階でヨーロッパ諸言語は次々とラテン文字を採用していきました。第二の段階は、大航海時代に始まるヨーロッパ諸民族の植民地支配です。アジアにおいては、ベトナムの変形ラテン文字(チュー・クオック・グー)の採用がその例で、そして第三は、昨今の通信技術の発展に伴う英語の支配です。世界的にラテン文字を使わざるを得ない状況が起きたのです。

 しかし、中国でなぜ漢字が保存され、また少数民族の文字もなぜ保存されたのか。漢字などは一時危うく捨てられそうになったのに、それが助かったのはなぜかというと、ワープロやコンピューターの発展のおかげです。当初は表意文字などは到底やりとりできず使用をあきらめかけた時期もありましたが、技術の進歩がめざましく固有の異形文字も機械処理することができるようになり、ラテン文字に全面移行することはなくなったわけです。中国の文人の中には、中国が生き延びるためには漢字を廃止せよと言った人もいました。それが技術の発展により、漢字も少数民族の文字も生き延び、それぞれの文化も無事保存されることになったのです。そもそも簡体字はラテン文字化の前段階ともいえたので、簡体字もある範囲内で繁体字に戻されるのではないでしょうか。ラテン文字への一元支配がストップされたことも、非常に面白い方向だと思っています。 (談)

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