訳者の介入

(「ぶっくれっと巻頭エッセイ」NO.151号 2001 NOVEMBER)

米原万里

 この話を小耳に挟んだわが通訳術の師、徳永晴美氏は烈火の如く怒った。

「何度言ったら分かるんだ!! 通訳者の力不足で結果的に誤訳になるのは、困ったことだが致し方ない。でも、話し手の言葉を意図的に変えてはダメなんだ。勝手に付け加えたり、削除したりしちゃいかんのだよ」

「勝手にじゃなくて、予め断ればいいんですか?」

「何をたわけたことを! 通訳者が話し手に、話の内容について云々するなんて言語道断に決まっているではないか!」

「でも、ときどき世間的にはすっごくエライのに信じられないほどバカなこと言う人いるじゃないですか。そのまま訳すと、聞き手は、絶対にあんなエライ人こんなバカなこと言うはずない。きっと、バカな通訳が誤訳したに違いないと思っちゃうんですよ」

「そんなくだらない自意識は、通訳の最中は棄てることだね。存在感を出来る限り削って削っていくことだ。通訳は透明であればあるほど理想的なんだ」

 話し手の言うことを最大限正確に忠実に、ただし聞き手にとって聞き取り易い自然で整った文章にして伝えよ、つまり「貞淑な美女であれ」という師匠の教えに志だけは従ってきたつもりである。それは、この原則が基本的に正しいと思っているからだ。

 それでも、現実は常に理屈の守備範囲よりも広く深く豊かなものだ。話し手の発言を、やむなく敢えて誤訳したことも、勝手にカットしたり補足したりしたことも一度ならずある。さらには、発言内容にまで口を出して、何と変更させてしまったことさえある。

 ソ連邦が崩壊してまもなく、A外相がロシアを訪問。ロシアのB外相との会談は実り無く、成果として発表出来るものは何もなかった。それでも、政治家とは辛いものだ。両国の記者団を前に会見に臨まなくてはならない。苦肉の策で、両外相が一緒にサウナに入って親交を深めたということを殊更強調することになった。記者会見の三時間前に通訳のわたしに渡された外相のスピーチ原稿には、「文字通り裸のつき合いをした」と書かれてある。吹き出しそうになりながら、それでも心配になって、報道官に申し上げた。

「ロシア語には、『裸のつき合い』という慣用句はないんですが、『気取らずに親密な交流をした』というふうに訳してはだめですか?」

「いや、そこのところは、大臣閣下もぜひ文字通り訳してくれとおっしゃっている。実際に裸になったんですからねえ、それと『裸のつき合い』が掛詞になってるんですよ。頼みますよ、米原さん」

「でも……」と言いかけて師匠の戒めを思い起こし、引き下がった。しかし、会見の時間が近付くほどに心が乱れる。会見はテレビ中継される。会見場の記者たち、テレビ画面の前の視聴者たちが笑い転げる場面が目に浮かぶ。会見三十分前になって、堪えきれなくなったわたしは報道官に申し上げた。

「あの、例の『文字通り裸のつき合い』という表現なんですが……」

「だから、言ったでしょう、大臣がぜひともと」

「あの、真偽は定かではありませんが、B外務大臣は同性愛者だという説が常識になっているんですよ、ロシアでは。だから、私がそれをそのまま訳すと、会見場は爆笑すると思うんです。それでもいいですか?」

 報道官の顔色はサッと変わり、彼はすぐさま大臣秘書に電話を入れた。原稿は、ただちに訂正された。

(よねはら・まり エッセイスト)

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