○×モードの言語中枢
(「ぶっくれっと巻頭エッセイ」NO.146号 2001 JANUARY) |
米原万里 「日本の経済学者のほとんどが、エッ、ほんとに学問やってるの? て感じの人が多いんだよね。多すぎる」 頭脳明晰、英語も日本語も堪能なモスクワ大学経済学部長のVは歯に衣着せない。実は学会で通訳をするたびに、日本人研究者の発言における語と語のあいだの関係性の希薄さについては、わたしも感じていたところなので、ちょっと突っ込んでみた。 「学問的で無いというのは、どういうところが?」 「知識は豊富なんだけれど羅列なんですよ。それを体系化して現実の全体像を把握するのが学者の仕事だと思うのだが。日本は学問観が違うのかなあ」 学問観の違いというよりももっと根が深い気がする。知識観の違い、それをベースにした教育方法そのものの違いなのではないか。 三十年以上も昔のこと。中学二年の三学期に、チェコのプラハから帰国し、地元の学校に編入させられたわたしは、ほとんどのテストが○×式か選択式であるのに、ひどく面食らった。 次に列挙する文章の内、正しいものには○を、間違ったものには×を記せ。 ( )刀狩りを実施したのは、源頼朝である。 鎌倉幕府が成立したのは( )年である。 右の文のかっこ内に当てはまるものを、以下の(1)~(4)④の中から選んで埋めよ。 (1)一八六八 (2)一六二二 (3)一四九七 (4)一一九二 初めてこのタイプの出題に接したときは、正直言って、嘘じゃないか、冗談じゃないかと思った。無理もない。それまで五年間通っていたプラハの学校では、論文提出か口頭試問という形での知識の試され方しかしていなかったのだ。 「鎌倉幕府が成立した経済的背景について述べよ」 「京都ではなく鎌倉に幕府を置いた理由を考察せよ」 というようなかなり大雑把な設問に対して、限られた時間内に獲得した知識を総動員して書面であれ口頭であれ、ひとまとまりの考えを、他人に理解できる文章に構築して伝えなくてはならなかった。一つ一つの知識の断片はあくまでもお互いに連なり合う文脈を成しており、その中でこそ意味を持つものだった。 ところが、日本の学校に帰ったとたんに、知識は切れ切れバラバラに腑分けされて丸暗記するよう奨励されるのである。これこそが客観的知識であるというのだ。その知識や単語が全体の中でどんな位置を占めるかについては問われない。 これは辛かった。苦痛だった。記憶は、記憶されるべき物事と他の物事、とくに記憶する主体との関係が緊密であればあるほど強固になるはずなのに、単語と単語のあいだの、そして自分との関係性を極力排除した上で覚え込むことを求められるのだ。ひたすら部品になれ、部品になり切れと迫られるようだった。自分の人格そのものが切り刻まれ解体されていく恐怖を感じた。たまらなくなって担任教師に訴えると、彼は誠実に答えてくれた。 「論文や口頭試問では、評価が大変です。教師の力量が足りませんし、教師対生徒の人数比を今の半分にしなくてはなりませんね。それに、評価するものの主観によって評価が左右される。不公平になるでしょう」 そのときは、どこか腑に落ちないものの、一応納得して引き下がったわたしだが、今では心の中で反論し続けている。公平な評価なんてフィクションだ。今の方式だと、機械でも採点出来るから、評価の基準が画一化するだけのこと。単に教師が評価に責任を負わなくても良くなるだけだ、と。 (よねはら・まり エッセイスト)
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