便所の落書きか

(「ぶっくれっと巻頭エッセイ」NO.145号 2000 NOVEMBER)

米原万里

 共産党が「社会主義革命」という言葉を綱領から引っ込めるとか言い出したが、IT(情報技術)革命という言葉の方は、今やあちこちで叫ばれている。それも、時が経つほどに脅迫めいた響きが濃くなってきているみたい。パソコンを操りインターネットを使いこなせないなんて、ダメ社員、情報化に乗り遅れた企業は必ず市場で淘汰されるという論調なのである。

「これは、十八世紀の産業革命にも匹敵する科学技術上の大変革で、社会、経済、政治だけでなく今後の人間のあり方そのものにも多大な影響を与えつつある」

 と時流の尻馬に乗るのを得意技とする学者や文化人はあちこちでぶちあげるし、インターネット・バブルのおかげで短期間に巨万の富を築いた実業家は、これこそ長引く不況から脱出させる救世主だと手を揉む。森首相は、先の所信表明演説でIT革命を推進するために国民運動を展開するとまで宣言する始末。と言っても中身は、通信事業者に税金をばらまくという旧態依然たる方法を踏襲しているだけなのが笑えるのだが。

 実際にインターネットのお世話になっている立場からすると、それほどのものかと思う。この原稿だって、パソコンを電話回線に繋いだ電子メールで編集者に送りつけているし、昔は六紙定期購読していた新聞も、今では二紙に限り、あとはインターネットで各新聞のホームページを読んでいる。キーワードを打ち込めば、十年以上前の記事も検索できるので、切り抜きアルバイトを雇う費用も居住面積も節約できた。調べものをするときには、短時間で多数のサイトを猟歩する。と言って、浮いた時間を有効に使っているとは言い難いし、書く文章が内容豊かで巧くなったわけでもない。

 小咄は今まで直接ロシア人の口から聞き出すしかなかったのが、インターネットを覗くたびにロシアの小咄サイトが増えていて、これは重宝と飛びついた。どのサイトも基本的に万人に門戸開放していて、訪問者が自慢の小咄を書き込めるようになっている。でも、圧倒的多数はゴミ。千に一つぐらいの割合でアッという傑作があるのだが、それに行き当たるまでに費やす時間と痛める視力のことを思うと、ロシア人から直接聞かされた方が効率が良かったし楽しかったような。

 多くのホームページには掲示板という訪問者が意見を書き込むサイトが設けられていて、自然に討論になっていく。感心したのは、書き込まれるメッセージに一切の権威付けが無いということ。どんな暴言を吐こうが悪態をつこうが、発言者の年齢も性差も地位も職業も見えない。では、某テレビキャスターが言ったように、「便所の落書き」になるかというと、必ずしもそうではない。一時荒れたとしても、最終的には、論理的で理性的な、しかも人間的暖かみのある発言が少しずつ皆の支持を得ていく。それは、内容そのものの力なのである。日常的には、われわれは「何を」しゃべったかよりも「誰が」しゃべったかに左右されるのが、その逆になる爽快感がある。人間って、結構信頼できる、希望が持てる、と思う瞬間だ。これは意外な発見ではあるが、革命的と言うほどのものではない。

 一つ、インターネットの利用価値を見いだした。学者の先生方がハクつけのために刊行したがる著書、「私」の表現に燃える善男善女が自費出版したがる「自分史」や句集、歌集の類、功成り名を遂げた会社の重役がゴーストライターに書かせる「評伝」など、本人と編集者以外まず読まないだろうと思われる書物は、まずインターネットで発表したらどうだろう。紙、印刷、製本、運搬等を考えると、金銭のみならず、多大なエネルギーと資源の節約になるので、地球環境保護という時代の精神にもあっている。もちろん、中にはすごい傑作もあるだろうから、それを紙の本にする。

 えっ? そんな権威付けしたら、余計紙の本を出したがる人が増える。ごもっとも。えっ? それに、まず自分の駄文から始めろ。まったくもってごもっとも。

(よねはら・まり エッセイスト)

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