日本語草子

山口仲美(やまぐち・なかみ 埼玉大学教授)

1 日本語が外へ出るとき(上) (141号)
2 日本語が外へ出るとき(下) (142号)
3 敬語をこう考える(上) (143号)
4 敬語をこう考える(下) (144号)
5 大型辞典が求められるもの(上) (145号)
6 大型辞典が求められるもの(中) (146号)
7 大型辞典が求められるもの(下) (147号)
8 本の広告表現について(上) (148号)
9 本の広告表現について(下) (149号)
10 擬音語・擬態語に見せられる (151号)
11 『源氏物語』味読法 (152号)
12 『源氏物語』男と女のコミュニケーション』 (153号)

「ぶっくれっと」一覧


日本語が外へ出るとき (上)

 日本語は侵略者の言葉

 私は昨年の二月から七月まで、北京日本学研究センターに派遣され、中国人の日本語教師や大学院生を指導する機会を持ちました。そこでやはり、いろいろなカルチャーショックといいますか、日本と中国の違いを身にしみて体験いたしましたので、日本語についての連載を始めるにあたって、そのことからいくつか、思いつくままにお話してみたいと思います。

 まず、一般の中国人に日本語がどう受け取られているかということです。私がおりました北京では、日本語は「侵略者の言葉」というイメージ、これがわりに強く出ています。中国は今、愛国主義を育てているようなところがあって、愛国主義教育をもり立てるためには、敵を明確にすることが効果的だということなのでしょうか、日本を侵略者とするイメージをわりあい平気で出している。中国の映画を見ると、日本軍が出てくる時は必ず悪役で、中国人に対して「バカヤロー」などと怒鳴っています。

 あるいは蘆溝橋に行きますと、記念館には日本軍侵略の様子を伝える写真や展示物がたくさん並べられています。私が行った時、丁度中国人の団体客が三十人ほど来ていて、それを率いるガイドさんが「これは日本軍が侵略しているところです。こんなむごいことをしました」などと説明している。もっと嫌だったのは、館内で一日中上映されているドキュメントふうの映画でした。日本軍の残虐行為のフィルムがずっとまわされているのです。記念館に来た人はみんなそれを見て帰ることになる。

 私など、日本人だと分かって、この中国人の団体客に一斉に攻撃されたらどうしようなんて思って、一言も日本語を発することができませんでした。それでも、その映画が終わってその部屋から出ますと、なんとなく日本人だと分かるのでしょう、私の方をジロジロと見ます。やはり顔つきが違うらしい。それに服装です。最近は中国の人もファッションに気をつかうようになってきましたから、以前ほど日本人と差がないように思いますが、それは多くは若い世代です。中年以上になりますと、中国の人はちょっと国民服的な服装の面影が残っているのに対して、私たちの方は若い人の服装の延長線上にあるわけです。

 それはともかく、そんな怖い思いをしたものですから、日本に帰ってまいりましてから国語審議会に出ました折、なんとか外交の場面などで中国政府に対し、そういう国民感情を煽るようなことは控えてほしいというような申し入れはできないものかと発言しましたら、国際関係論がご専門の委員の方が「それは国家レベルでなく、民間レベルでやるべきでしょう」とおっしゃる。民間レベルとはどういうことかよく分かりませんが、要するに表立って言っては角がたつということなのでしょうね。

 日本を侵略者とするのは中国ばかりでなく、韓国でも同様のようです。しかし救われるのは、もうそんな過去のことは追及しないで、前向きに友好関係をつくったほうがいいのではないか、と考える若い人たちが出ていることです。これはご存じの通り、韓国では日本文化解禁の動きがありますし、中国でも、アンケート調査を見ますと、そのように前向きに考える若い人たちが出てきているのです。

 身ぶりや文字や絵も使えます

 日本でも、どんな外国語を学びたいかという調査結果(国立国語研究所のプロジェクトチームによる)では、英語がトップであることは言うまでもないのですが、最近の注目すべき動向として、中国語を学びたいという日本人がふえていることです。隣国であるし、交流はこれから必須となるという意味で、日本の若い人も今まで西洋やアメリカばかりに目がいっていたのが、徐々にアジアに向かうようになっている。

 アジアの言語の中では、日本人にとって中国語と韓国語は学びやすいですね。韓国語は文の構造が日本語と同じです。主語があって目的語があって、述語がいちばん下にくる。中国語の場合は、もちろん漢字で通じるということがあります。今回も私は、話が分からなくなると、よく筆談をやりました。だから、いつでも紙とシャープペンシルを持って歩いていました。ある年齢以上の中国人は簡体字だけでなく繁体字、昔の字を知っているから大丈夫です。

 もっとも、私たちが話す相手は日本語の上手な中国人が多いわけです。北京日本学研究センターの仕事場は全部日本語です。でも一歩外に出ると、中国語しか通じない世界になる。その時に、言葉ができなくてもコミュニケーションの手段はある、それが大事だということを痛切に感じました。一緒に派遣された先生の御夫人は中国語が全く話せないけれど、「歯ぶらしがほしい」というのを、みごとなゼスチュアで伝えて買いました。それから宿泊所のいろんな設備が実によくこわれるんですけれど、その夫人は、すべて日本語を発しながら身ぶりをし、絵を描き、字を書き、通じさせていました。立派でしたね。

 ふつう日本人は、相手の言葉が分からないと遠慮してしまって、自分を分かってもらおうとか、一生懸命話そうとか、そういう努力をしません。でも、身ぶりでも文字でも絵でもいいから、積極的に伝えようとする努力をしなくてはならないと痛感しました。口をついて出てくる言葉は、御夫人のように日本語でもいいではないですか!

 黙っていては何も理解されません

 中国で教えていて驚いたことをもうちょっと続けますと、中国の大学で日本語を教えている先生たちに「日本語概論」の講義をした時のこと、十九人のクラスで、熱心に聞いてくれたのですが、授業中に教室から出て行ってしまう人がいる。どこへ行くのかと思ったら、トイレです。大学の先生が、授業中に、です。それから、人前でも平気であくびをするということ。われわれ日本人は、相手に失礼だと思って、あくびをかみ殺します。ところが中国では、疲れたときの生理現象だから出ても当然というのか、「あくびをかみ殺す」という習慣はないようです。やはり中国で教えていた日本人の先生の書いた本には、中国の大学では授業中に「あくびの花が咲く」と書いてありました。

 ある時、センターの中国人スタッフに、「日本人のどんなところが嫌ですか」と聞いてみました。「日本人は思っていることを言わない」という答えで、「日本人は黙っていて何も言わないから、それで異存がないのかと思ってそのままやっていると、実はそうではない。その思いをずっとためている。それがある時爆発して、カンカンになって怒り出すことがある。それがすごく理解しにくい」と言います。

 それからもう一つ、「日本人はいつもニコニコしている」という。内容的には怒ってしかるべき話なのに、顔がほほ笑んでいる。中国人だったら、話の中身が怒るべき事柄なら顔つきも怒る。日本人の態度は理解できないというのです。私はこう答えました。「日本人は話の内容に対して笑ってるのではなくて、あなたと話しているから、あなたに悪い感情を与えないように配慮してニコニコしているんです。相手に失礼にならないようにと、そういう日本人の配慮が働いているんです」。そう説明しますと、相手も納得してくれます。こういう文化の違いみたいなものは説明をしないと中国人には分からないわけです。そういった説明を、これまで日本人は外に向かってしてこなかったように思うのです。黙っていては、何も理解されません。

 自己主張はいいことなのでした

 中国は自己主張の強い国です。自己主張をしない人間は認めてもらえない。ですから、中国人の学生にしても、ともかく頑固に自己主張をします。たとえば、学生たち一人一人を呼んで丁寧にコメントを言って試験の答案を返してあげたことがある。その中の一人の学生に「あなたの日本語の文章、意味がよく分かりません」と言ったら、「分かるはずです」と、即座に答える。そこで一文一文意味不明の箇所、文構造の誤っている箇所を指摘していった。すると、学生は、私の言うような意味でその文を書いているのであると主張して間違いを認めようとしない。

 単語についても同じです。「仏教伝入」と答案に書いてあるから、「『伝入』という言葉は日本語にはないんですよ」と言うと、「私は中国人ですから『伝来』ということはあり得ないんです」と答える。だから私は「これは日本語のテストなんです。日本語にない言葉を使ってもしようがないでしょ」、そう言っても頑固に認めない。私もだんだん腹が立ってきて、「そんなに私の言うことが分からないなら、お帰りなさい。あなたとしゃべっていると疲れます」と怒り出したら、そんなにはっきりと日本人に言われたのは初めてだったようで、驚いて、それから三日悩んだ後で謝りに来ました。彼らにとって、謝るということはずいぶん勇気がいるようです。でも、その後は、何のこだわりもなく、いやむしろ前より一層「先生、先生」って言ってやって来るんです。

 それからもう一つ。北京日本学研究センターの中国人の男性スタッフと、私は仕事のことで派手にやり合いました。後で彼が言うには、「日本人の先生とやり合ったのは初めてです。いつも日本人の先生は何も言わないし、何を考えているか分からない。だから、喧嘩になりません。先生は理屈をドンドン言って、結局自分の方を黙らせた。先生のような日本人は珍しい」と。やり合った後で一緒に食事をしたりして前よりも仲良くなりました。互いに自分が正しいと思うことを主張して喧嘩になっても、しこりが残ることはないのですね。これが、中国式のやり方だと悟りました。

 そこにいくと日本人は自己主張が苦手です。自己主張をする人を見ると、見苦しいと思ったりします。日本人同士であれば以心伝心、そういう思いは黙っていても通じると思うのですが、やはり異文化に入ったら、その異文化のやり方に従って、こちらも自己主張をすることが必要ですね。もし、どうしても自己主張が出来ない時は、日本人の考え方を説明し理解してもらう必要があります。私自身は「郷に入っては郷に従う」方式をとりました。

 国際語の条件

 私は、中国の大学院生にそんなふうに怒ったり、いろいろ説明したりして大奮闘してしまったのですが、実は理由もあったのです。彼ら大学院生はこの春来日する予定なのです。半年、日本に滞在して、日本の大学の先生の指導の下で論文を書かなければいけない。ですから私は、彼らに「日本に行って、そんなふうに相手のいうことに全く耳をかさないで、自己主張を通そうとすると、日本の社会では摩擦がおきますよ」ということを伝えたかったのです。異文化に入っていく時の心構えを教えておきたかったのですね。

 自己主張がいいことだとして育った国から、自己主張は見苦しいことだと考える国にやってくるのですから大変ですよ。彼らの頑固さは、たたきあげですからね。自説を曲げると命まで取られるのではないかと、そんなふうに思っているのではないかというくらい頑固です。それに比べると、日本人の頑固さなど高が知れています。日本人はほんとに自己主張がないというか、そういう文化に育ってきてしまったといいますか。

 ですから日本語の問題に戻りますと、たとえば今後、日本語が世界のコミュニケーションで必要になるかと質問しますと、八割の日本人は「日本語なんて必要ないですよ」と答えて引っこんでしまう。ところが、中国人は逆に七割近くの人が自信をもって「中国語は今後世界のコミュニケーションで必要だ」と答える。こんなことが国立国語研究所の調査「日本語観国際センサス」で分かっています。

 たしかに、使用人口からすれば、十三億人という中国語は世界最大です。実は私は、中国語が将来、世界の共通語になるか否かということを考えたことがある。そして結論は、そうはならないだろうということです。なぜか。文字の面から考えて、表意文字である漢字がかなりネックになるのです。この点は日本語も同じです。世界共通語というのは、いろいろな母語を持った人々が使うわけですから、文字はシンプルでなくてはいけません。

 そうすると、英語はアルファベット二十六字です。英語が世界の共通語になりつつあるというのは、もちろんアメリカという強烈な大国があり、インターネットを支配してと、そういうこともありますけれど、文字の観点から見ても非常に機能的なのです。二十六字覚えればよい。それに対して、漢字圏は厖大な数の文字を持っている。それを漢字圏以外の人が学ぶ場合のロスを考えれば、漢字圏の言語が世界共通になることはないであろうと考えたわけです。

(以上、141号)


日本語が外へ出るとき (下)

 私説、中国人との付合い方

 前回、中国人は自己主張が強いという話をしました。その例で、私にとって忘れられないものを、もう一つ紹介します。これも中国の大学の先生を対象とする「日本語概論」の授業の時でした。授業が終わって私のところに近づいて来た人がいます。「先生、午後の授業を三時からにして下さい」と。午後は二時からと決められています。それで「どうして」と聞きますと、「昼寝の時間がほしいんです。みんながそう言ってます」と言います。

 昼休みは二時間余あるわけで、昼寝もできると私は思うんですけれど、彼女はもっと長くしたかったのでしょう。そこでまだ教室に全員が残っていたものですから、「午後の授業は三時からにしたいと、みんな希望してるんですか?」と聞きました。すると、「そんなこと、言ってない」というのです。「みんな」を引き合いに出したものの、実は彼女の個人的な希望だったのです。

 だから、私は、「みんなじゃなくて、あなただけでしょ」とダメ押しをしたら、「でも、中国の大学は三時から始まるところがすごく多いんです。この授業も、ぜひ三時にして下さい」と彼女も負けていない。私も、「ここでは二時と決められているんです。私は時間を守る人間です」と強く言いました。すると、向こうは仕方がないと思ったのか、二時からのままということになりました。かなり個人的な主張を平気でしてきますから、こちらの言い分もしっかりと言うことが大切なんですね。

 日本人は、たいてい相手に強く主張されると腰くだけになりやすい。その結果、向こうの言うなりになってしまう。そういうことがたび重なると、日本人は、なんでも言うことを聞くのだと思われてしまいます。言われたら、対立してもいいから自分の考えをしっかり言う。そこから交渉が始まるのです。中国人とつき合う時には、特に自分の考えていることを言葉に出して明確に言うことが要求されているのですね。

 日本の古代音楽にうっとり

 私は大学院生たちに古典語の授業をしましたから、『源氏物語』も当然取り上げます。そうすると、ほんのちょっと『源氏』をかじったような学生は、「『源氏物語』は『紅楼夢』の真似ですね」と平然と言う。「とんでもない、『源氏物語』の方が、成立年代が古いのよ。『紅楼夢』は十八世紀末の成立ですが、『源氏』は十一世紀初めよ」と言いますと、「じゃあ、内容が偶然一致してるんだ」と、なかなか日本にも世界に誇りうる古典があるのだということを認めない。

 しかし、日本の古代の音楽を聞かせたときはすごく喜んでくれました。だいたい中国の音楽はひどくうるさいものです。京劇でも、ボリュームが大きくて賑やかですし、中国では仏教の音楽まで、ニューミュージックみたいに賑やかです。お寺に行ったら、明るいニューミュージックが流れている。「これ、誰の曲?」と思わず聞きましたら、「お経だよ」。それくらい楽しく、愉快な音楽です。

 それに対して、日本の仏教音楽は概ね暗く陰々滅々としている。日本の古代の音楽も、その延長にあります。ですから、彼らが聞くと、逆にびっくりするようです。神秘的であり、なんともいえない間がある。あの間の美しさみたいなものを学生たちは感じたようで、「先生、もう一度聞かせて下さい」と言われ、また他のクラスの学生も聞きに来ました。

 これは古代語の授業の導入で、古代はいかに現代とテンポが違うか、その例として『源氏物語』の朗読のカセットと、そのころの貴族たちが聞いていた音楽を聞かせたわけです。『源氏物語』はこういう時間の流れの中で語り継がれたということを、『源氏』の前置きとして聞かせら、思いがけず好評を博したのです。

 中国人にもタテマエがある?

 でも、不評だった授業内容もありました。大学院の授業で『今昔物語集』の中からいくつかの話を原文で味わった時のことです。その日は、エッチなお医者さんが美女の秘部を診察する場面が出てくる話でした。中国の女子学生たちは困った顔でうつむいている。授業が終わってから、彼らに一斉に言われました。「先生、もうこういうものは読ませないで下さい」と。

『今昔』ほど、うまく際どい場面をドライにユーモラスに描ける作品はないので、私としてはその点を理解してほしかったのですが、やむを得ません。私は、すぐに「ごめんね。私は皆の気持ちを知らないで、日本的な感覚で読ませちゃったけど、あなたたちはこういうのはタブーだったのね。次の時間は全然違う話を題材にするから、今日は許して」と謝って研究室に戻った。すると、一緒に授業を受けていた男子学生が追いかけて来て、「先生、あれは心配することないよ。彼女たちは結婚してないものだから、恥ずかしがってみせる必要があると思ってあんなふうに言うんで、ほんとは喜んでるんだよ」。

 そう言われてみると、たしかに授業中、恥ずかしいように振舞いながら、顔は喜んでいたように思われる。現に、美女の秘部の診察場面を原文で読まされていた女子学生など、吹き出しておかしさのために読み続けられなかった。だから、本当は嫌ではないんだけれど、社会通念上、嫌がってみせる必要がある、というところがあるのではないでしょうか。事実、今の中国の若い人たちの性に対する積極性は、私たちでも度肝を抜かれます。公園などでは白昼堂々、ディープキス。いつ離れるんだろうと思うくらいです。日本人の大学の先生が「中国のキャベツ畑は、動くものがあってもよく見てはいけない。ミトノマグワイ中の男女だから」っておっしゃっていました。

 日本人とは、恥の意識というか、何かが違います。私たちだったらやはり、昼間は人に見られたら恥ずかしいと思うでしょう。それに対して中国人の場合、社会制度とか、あるいは革命以来の、そういうことを言葉に出して表現してはいけないという思想で押さえつけられて、一見、恥ずかしがってみせたりするけれど、実は私たちのような恥の文化ではない。
 中国人にも、セックスに関しては今のところタテマエがありそうな気がしました。これから先は分かりませんが。

 日本人の繊細さを理解してもらうために

 話が変なところに入り込んでしまいました。ついでにもうちょっと続けますと、中国と日本の春画の違いです。私もそんなに沢山見たわけではないのですが、清朝のものと江戸時代のものと(両方木版です)、私の見た限りで申しますと、清朝の春画は線が荒い印象を受けます。ただ行為をしているという感じです。

 それに対して、江戸の春画というのはすごく細かいところまで神経が行き届いています。たとえば、エクスタシーのときの手や足の動き、足の指なども反り返って、顔の表情も豊か、ほんとに陶酔しているという顔つきです。美しいわけです。非常に繊細なものを感じます。ところが清朝では、足も纏足ですからそこに表情がない、だから艷を感じない。

 こういう日本的な繊細さというのは、芸術においても言語においても、日本の文化のあらゆる面に行き届いているように思うのです。仏像にしても、日本ですと古仏の木目の美しさをそのまま鑑賞しようとするでしょう。中国では、そこに鮮やかな色を塗ったり金箔を施したりする。ですから、おかしいことに中国に滞在中、私も私の友達も、向こうの仏像の前で一度も手を合わせなかった。手を合わせよう、拝もうという気が起こらなかったのです。

 そういう繊細な心といいますか、微妙な心理の動きといったものに日本人は敏感だと思います。また、それを表現することがうまい民族ではないかという気がするのです。

 そこから以心伝心、言わないでも分かるという精神が生れていくのでしょうね。しかし、国際化が叫ばれる時代、外国との付き合いということになれば、以心伝心の考え方は改める必要が生じてきた。

 一方、繊細さの方は、国際的な社会の基準に照らしても、文化の多様性として許される。許されるどころか、むしろ存在意義がある。そういう場合は、積極的に世界に向かって日本をアピールしていく。日本はこういう文化を持った国だと、世界の多くの人に理解してもらうために発信する。私自身、そういう努力をしたいなと思っています。

 日本文化の効率的な発信を

 以前、外務省の依頼により「二十一世紀への挑戦」というテーマで、スペインに行って講演したことがあります。そのときの外務省の依頼はなんと、日本にも恋の告白の言葉がある、口説き文句があるということをスペイン人に話してほしいというのです。スペインは情熱の国であり、そういう口説き文句集が売られている。ところが、日本にはないわけです。

 そこで彼らは日本人をどう思っているかというと、朝から晩まで会社で仕事して、およそ朴念仁で恋の言葉なんか知らない民族だと、そんなふうに思っているそうです。しかし日本には『源氏物語』という、千年も前に書かれた恋の物語がある。それをアピールしてほしい、というのが外務省の依頼です。私は、光源氏と人妻の空蝉との恋の経緯を言葉にポイントを合わせて話しました。

 同じ話をマドリッド自治大学の学生たちにも講演したのですが、学生たちは、日本にもそんな作品があったのかと驚き、親近感をおぼえてくれたようです。まあ、そんなふうな、日本とか日本語とか日本人というものを分かってもらうための努力が、本当に求められていると思います。

 中国の話に戻りますと、今回北京でしみじみ感じたことは、日本からの情報が入っていないということです。あるいは、一般の中国人には知らされていない。だから、中国で「日本が好きか」と中国人に聞くと、「好き」と答える人は二割五分しかいないのに、「嫌い」という人は三割五分にもなる。もし同じ質問を台湾ですると、「嫌い」と答える人は一割五分しかいないのに、「好き」と答えてくれる人が五割近くに達する。こんなデータが、最近、国立国語研究所から出ています。なぜこういう差が出るかというと、台湾には日本の情報がものすごく流れているのです。そういう意味で、メディアの役割は非常に大事です。

 日本の政府は中国に対し、たいへんな額の資金援助をしています。日本の資金援助で、北京の地下鉄もできた。また私が派遣された日本学研究センターも、年間二億円の運営費を日本政府が出しています。しかし、そういうことは一切報道されません。ですから、一般の中国人は日本からそれほどの資金が流れていることを知らないわけです。もし知らされていたら、前号でお話したような、日本語は侵略者の言葉だというような考えも、少しは消えてゆくのではないでしょうか。

 そのためには日本人の方でも、ただ資金援助をしていくのではなく、きちんとイメージ是正をして下さいねなどとお願いしていく。でも、それが今のところ余りなされていないようです。たとえば、身近なセンターを考えてみても、中国人スタッフと私たちの意見交換の場すらないのです。中国人スタッフと話し合いたいと私は言いましたが、短期間での実現はむつかしいのでしょうか、私の滞在中にはそれは実現しなかった。

 日本人はこれまで、むしろ自分を出さずに、相手の国を理解することばかりやってきたわけです。しかし、先ほども言ったように国際化の時代には、自分を分かってもらうために相手を研究する、そういう視点が今は必要になっていると思います。自分を効率よく分かってもらうための手だてとして、相手を研究するわけです。たとえば、相手が自己主張の文化をもっている国だということが予め分かっていれば、こちらもできる限り明解に意見を主張していけばいいことになります。いかに効率的に日本文化を発信していくかが、これからの重要な課題なのです。

(以上、142号)


敬語をこう考える (上)

 日本人も間違えます!

 留学生と接していて気になることの一つが敬語の問題です。たとえば、私の研究室の入り口にはバッグが置いてあり、その中にレポートなどの提出物を入れるようにしてあります。ある時、そこへ台湾の留学生がお土産を入れてくれました。カラスミが入っていて、美味しかったのですが、そこに「これはうちの両親が先生に差し上げたお土産である。つまらないものだが、どうぞ」と書いてありました。思わず、吹き出してしまいました。「つまらないものだが」と「どうぞ」との落差がおかしかったのです。

 この学生は優秀なのに、それでも敬語は最後まで難しかったようです。留学生たちは、敬語に悩ませられますから、敬語については日本人よりも敏感です。大学院の授業で、留学生たちは、日本人も敬語を間違えるって指摘するんですよ。

 たとえば、「電車に乗っていたら、車掌が『忘れ物いたしませんようご注意下さい』って言いました。『いたす』は、謙譲語ですからお客さんには使いませんよね。」なかなか鋭くついてきます。また、別の留学生は、「埼玉大学行きのバスに乗っているとき、運転手が『お降りの方はございませんか?』って言います。失礼じゃないですか?『いらっしゃいませんか?』ですよね。」日本語の教科書で習ったのと違っていると彼らは誤用と感じます。別の留学生は、言いました。「この間、テレビでアナウンサーが『高倉健さんがおります』って言っていました」

 どこに行っても、聞き耳を立てている留学生に接すると、日本人の私の方が今度は緊張し始めます。自分も敬語を間違えて発している場合があるに違いないと。留学生たちは、われわれ日本人が聞き逃したりするミスを的確にとらえ、いつか質問してみようと待ち構えているらしく、意見を自由に言える時になると、先を争うように敬語の疑問をぶつけ出します。

 留学生ばかりではなく、日本人も間違える敬語の問題を今回は取り上げ、考えてみようと思います。

 敬語が必要なとき

 敬語が必要な時というと、まず、上下関係を示す場合です。国立国語研究所の行なった敬語意識調査でも、敬語というと、一般社会人の八割以上の人がまず上下関係を思い起こすと言っています。平成九年の文化庁の世論調査でも、「目上の人に敬語を使う」と答えた人が八六・六%でした。

 もちろん、敬語を使う時というのは、それだけではありません。互いにあまり親しい関係でないとき、たとえば初対面の時など、例外なく敬語を使って話します。そうでないと、馴れ馴れしくて無礼なやつだなんて思われてしまいますから。「私は、○○会社の××と申します。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」などと。敬語の少ない国では、初対面の時どうするのか。敬語の代わりにジョークを使うのです。そしてうち解けていく、格式張った関係を崩していくというプロセスが見られます。その役割を、敬語が発達している言語では、敬語が担っているわけです。

 それから公の場面などでも敬語を使う。親しくない人が大勢いますからね。さらに、面白いのは、自分が品位ある人間だということを見せたい時にも敬語を使います。円地文子さんの小説に、『愛情の系譜』というのがあるんですが、その中でデパートのウェートレスがぞんざいな口調で注文する客に向かって、「お団子でございますか。二皿でございますね」と敬語を連発して、相手に「威厳と軽蔑」を示そうとしている場面があります。森鴎外の小説『雁』でも、奉公人を置くほどの身分にのし上がった高利貸しの末造が、妻に敬語を使わせたりして、言葉を上品にさせたと書かれています。敬語が自分の品格保持のために使われているんですね。

 こんなふうに、敬語は目上の人に対して敬意を示すためにのみ使われているわけではありません。いろんな役割を演じています。だから、敬語は簡単にはなくならないだろうとは思うのですが、しかし私は、どちらかというと、敬語の体系を簡素化した方がいいと思っています。敬語には尊敬語、謙譲語、丁寧語とありますが、丁寧語を中心にして、簡素化の方向を目指していく方がいいのではないかと思っているのです。

 消えゆく尊敬語と謙譲語

 私は、四年ほど前に尊敬語の調査をしたことがあります。それで論文も書きましたが、デパートなどでは最高の尊敬語を商業言葉として、相変わらず残しているものの、一般の日常生活では、やはり尊敬語は衰退しているんです。謙譲語も同じです。敬語の歴史を見ると、初めに尊敬語、謙譲語が出てきて、その後、話し相手を意識して使う丁寧語が平安時代に出てきます。こういう流れを考えれば、最初に消え去っていくのは尊敬語と謙譲語の部類であり、最後まで残るのが、丁寧語ではないかと思っています。

 その調査では、カセットを持って街を歩いて、テープを起こしてみたら、ほんとに尊敬語・謙譲語のの部分が失われています。デパートのネクタイ売場で録音した例では、若い女性店員が実にうまい戦略を使っていました。どういう戦略かというと、下の述語を言わないんです。「お年はおいくつで」とか「よくお似合いで」と、これで終わり、全部下がない。これは敬語をきちんと使えない場合の最高の戦略と思いました。

 一方で、逆に二重敬語が見られることです。これも、敬語がうまく使えていない場合の一現象と見られます。私も、昔、「先ほど、○○先生がおっしゃられたように」と二重敬語を使ってしまって注意されたことがあります。「おっしゃる」だけで十分尊敬表現なのに、さらに尊敬の助動詞「れる」を付けてしまったのです。敬語はたくさん使うにこしたことはないという意識が根底にあったような気がします。外国人のタレントさんで、「行かれましたでございました」などと、やたらに敬語を使って話しているかたがいますが、きっと同じ心理なんでしょうね。

 こんなふうに尊敬語や謙譲語は、日常使われなくなってきており、また使われても誤用が多い。頻繁に使われるのは、聞き手に対する丁寧語。だとしたら、丁寧語を中心とした、簡素化された敬語の体系を考えていく方が実用的でもあるのではないかと思うのです。

 思いやりの敬語

 しかしながら、現段階の国語審議会の大勢はそうではなく、複雑な敬語体系を維持しつつ、日本語らしさの伝統を守っていこうとする傾向にあるような気がします。私も、国語審議会の一委員ですが、四年続けて敬語に関係する部会に所属していました。けれども、敬語の簡素化の方向を考えている私は、基本的な所でどうしてもずれが出てきてしまう。これ以上、敬語部会にいると、迷惑をかけそうな予感がして、少し心残りだったのですが、そこを抜け、今は日本語の国際化を考える部会の委員になっています。

 敬語というのは、価値観と密接に関わってきますから、面白いけれど、恐い面もあります。繰り返して言ってしまいますが、私は敬語をなくせなんて言っていない。丁寧語を中心にした簡素な敬語が良いと言っているんですね。もう少し、国語審議会の考え方を私なりに説明してみます。

 二一期国語審議会は、平成十年六月に『新しい時代に応じた国語施策について』という審議経過報告書を出しています。私が敬語部会の委員だったときのものです。今は、二二期ですが、二一期の考え方を踏襲し、具体例を付けていくという段階だと思います。二一期の報告書には、たとえばこう書いてあります。「丁寧語や敬語以外の敬意表現で配慮を表していこうという考え方もあろうが、尊敬語や謙譲語の適切な使用が日本の文化、国語の体系上重要であることはいうまでもない」

 私は、前の方に述べられていて否定されている方の考え方に近いんですね。さらに、報告書は、「敬語を正しく使うためには、語形の適否の問題とともに、いつ、どんな場面でだれに対して使うのかという運用面での適切さが重要である」と述べています。つまり、敬語を適切に使うためには、「話し手と聞き手の上下、ウチ・ソト、親疎等の人間関係や使用場面の公私の別(改まりの程度)等を把握し判断する認知力が備わっている必要がある」というわけです。うわぁ、大変だって思いません? 若い人は、見た途端に卒倒したりして。まあ、冗談はさておき、相手に対する配慮を最大限行なってから、その場に最もふさわしい敬意表現で話すというのは、それはそれで大切だと思います。けれど、私はここで一つ心配がわき起こるんです。そういう配慮を十分したうえで発言せよと言われると、自分の本当に言いたいことが言えなくなってしまう恐れがあるのではないかという心配なんです。

 言いたいことを最大限効果的に表現するのに都合がいいほど単純な敬語体系なら問題ないんですが、複雑きわまりない敬意表現の中から選択してこなければならないとしたら、かえってやっかいな気がするんです。たとえば、報告書には、人に物を借りる時の表現例として、「拝借させていただけませんでしょうか」に始まり、実に三五通りの表現例が掲載されています。

 さらに、「様々な配慮と敬意表現」の例としては、「直接お目に掛かってごあいさつ申し上げるべきところ書面で失礼いたします」という表現例が出ていたり、断定・断言の主導権を相手に譲る表現例が出ている。「そろそろ……」と相手に促し、相手が「行こうか」と決定する例ですね。こういうことに気ばかり使って発言していると、大事なことが言えなくなってしまう気がして仕方がないんですね。私の杞憂に過ぎないんでしょうかねぇ。私は、言いたいことを明確に言える訓練の方が、国際化社会ではむしろ大事だと思っているんです。

 そんなわけで、私は、国語審議会の敬語部会から自然に脱落してしまったのです。でも、国語審議会の総会では相変わらず敬語の簡略化が自分は良いと思っていると少数意見に違いないのだけれど、述べています。

 国際化に対応する二つの流れ

 議論の流れっていうのは、面白いですね。外国から「日本人は言葉を論理的に使っていない」と指摘されると、私たちは一瞬、「確かに日本人は論理的に物事を説明したりしないなあ」と自己批判をして反省する。ところが、しばらくたつと、「でも、情緒的に言葉を使うところにこそ、日本人らしさがある」と言い出す人が必ず出てくる。そうすると、今度は「そうだ、それこそ、日本人的な言葉の使い方なのだ。文句あっか」とまた我々は思うわけです。

 また、ある時は、外から「日本人は、自分の意見をはっきり言わない」と批判される。そう言われると、最初のうちはそうかなと、やはりこっちが悪いように思うけれど、そのうちに「はっきり言わないのが、日本文化なんだ。世界には、自己主張をしない文化があると認めさせることが大事ではないか」という主張が起こるわけです。

 敬語についても、「敬語は外国人に分かりにくく国際化社会では通用しない。だから外国人にも分かるように簡素化しよう」という動きがありました。暫くすると、「敬語は日本の文化なのだから、ありのままを外国人にも学んでもらおう」という動きになる。今は、後者の考え方が強く出ている時期だと思います。

 私は、前者の簡素化の考え方ですが、論拠は違っています。外国人に分かりにくいから簡素化しようというのではなく、日本人自身も誤用するくらい複雑な敬語は簡素化した方がいい。自分の考えを明確に表現するのに支障を来さないくらいの簡略な敬語で良いのではないかというのが、私の意見なのです。

 敬語簡素化の意義

 具体的に言えば、丁寧な言い方か、普通の言い方か、親しみを込めたぞんざいな言い方か、この三通りぐらいの簡素化された表現でよいように思います。たとえば、「AさんがBさんに差し上げたと伺っております」とまで言わなくても、最低限「AさんがBさんに渡したと聞いています」でいいのではないか。つまり、もう話題の中の人物には敬語を用いず、客観的な事柄として表現する。謙譲語もことさらに使わなくてもいい。丁寧語さえきちんと使っていれば良しとするのです。

 実は、私は敬語にとらわれるよりも、もっと大事だと思うことがあります。それは、日本人が思ったことを明確に言ってほしいということです。

 韓国や中国からの留学生を含めたゼミをやっていますと、韓国人が一番よく発言します。次が中国人で、日本人の学生は人数が一番多いのに何も言わない。「日本語がうまくない留学生がこんなに意見を言うのに、日本人が何も言わないのはおかしいじゃあないか」と私が言うと、ようやく発言する。

 韓国の学生に聞いたことですが、韓国では、「他人に親切であろうと思うんだったら、自分の考えていることをきちんと言うこと、それが相手に対する親切です」と言って育てられているというのです。ですから、日本人も、相手に対する配慮をするあまり、これを言っては悪いかなと引っ込んでしまうのではなく、自分の考えをはっきり言う方が相手に対して親切なのだと、そう考えることが大事じゃあないかと思うのです。そういう意味でも、敬語は簡素化した方がいいということなのです。

(以上、143号)


敬語をこう考える (下)

 相手への配慮が発言をしにくくさせる

 前回、国際化という問題をお話ししましたが、もう少し補足しておきたいと思います。というのは、敬語使用の際に重要な役割を演じる相手への気配り、場面・状況への配慮、それが会議などで発言をしようとするときの邪魔になっているのではないかという問題です。あまり、配慮を要求されると、言いたいことが言えないという姿勢につながりはしないかということです。

 たとえば、「こんな事を言ったら、あの人に失礼になるのではないか」とか、「今、こんな事を発言してはいけない場面じゃあないか」などと思うことによって、その時言わなければならないことがセーブされてしまう。相手が目上の人であれば余計に「これを言ってはいけない」と、そういう心を生み出すのではないでしょうか。

 敬語表現の起源は、実はタブー(禁忌)にあると言語学者の田中克彦さんがおっしゃっていますが、そのタブー意識が日本のような相対敬語の場合には特に出やすい気がしてなりません。韓国も、敬語表現の国ですが、絶対敬語ですから、ある意味では単純明快です。こういう場合にはこういう敬語を使うと決められていますから楽です。日本の場合は、相対敬語ですから、常に相手との関係、状況、場面によって変化させていかねばならない。これは、かなり気疲れするものです。

 たとえば、私には知り合って二十数年になる女医の友達がいるのですが、未だに会話の中で呼び名で迷います。少しだけ私より年上です。「先生」にするか、「○○さん」にするかと。しばらく会ってなくて少し疎遠になっていると判断したときは「先生」でいくか、うち解けた気分だし、向こうからの頼みごとを処理してあげたのだから「さん」でいくかなどと、一瞬考える。日本に来ると、「疲れる、疲れる」とぼやく中国人がいるんですが、日本人の私だって気疲れするんですから、当然かもしれませんね。

 自分の考えを言うことにプラスの評価を

 こんなふうな配慮を絶えずしなくてはならないと、言いたい事があっても相手の出方次第・状況次第で言えなくなってしまうことが多い。そして、結局黙っていた方が得だということになって、発言しなくなっていく。これでは、国際社会では、困るんじゃあないですか?

 韓国は、敬語の国なのに、人々が言いたいことを明確に表現するという話を前回しました。なぜなのかというと、敬語の体系が日本より明快であることのせいばかりではないんです。前回も言いましたが、小さい時から自分の考えていることをきちんと言うことが相手に対する親切だと教えられて育つからでしょうね。言語人類学者の井出里咲子さんという方も述べていらっしゃるんですが、韓国社会ではたとえ相手が目上でも、自分の考えをはっきり伝えることにプラスの価値観がおかれている。こうした根本的なことにプラス評価が与えられているから、授業中も実によく発言する。日本の場合も、これからは、自分の考えをはっきりと論理的に表現することの大切さを認識し、そちらにウエィトを置き直して教育していくことが急務だと思っています。

 けれど、そういう教育をしようとしても、日本の敬語が常に相手・場面・状況によって変化させていかねばならない複雑なものであったり、相手への気配りを根底にしているものであったりすると、なかなかうまく行かない。敬語の適切な運用に割かねばならないエネルギーが大きすぎるのです。繰り返しになりますが、たとえば韓国のように絶対敬語で、目上の人に話すときの言葉がすでに決まっていたりすれば、話す内容に全力集中できる。でも、日本のように刻々に変化する関係・場面・状況に適した敬語表現を運用しつつ、自分の主張を論理的に明確に表現しようとしたら、大変なエネルギー量が必要だと思いませんか。そういう意味でも、私は、敬語をあまり複雑にせず、「です、ます」を中心とした簡素なものでいいのではないかという意見を持っているのです。

 「見れる」「着れる」は定着する?

 敬語を取り上げたついでに、可能の助動詞「れる」「られる」についてちょっと触れます。「れる」「られる」は、尊敬・受け身の助動詞としても働きますが、ここでは可能の意味の「れる」「られる」の問題です。数年前さんざん問題になった「見れる」「着れる」の言い方です。

 二十期の国語審議会の答申書では、「見れる」「着れる」「食べれる」という「ら抜き表現」は好ましい言い方ではないと言い、それだけがマスコミにクローズアップされましたから、ご記憶の方もいらっしゃるでしょう。今は、あの言い方はどうなっているでしょうか? ほぼ完全に「見れる」「食べれる」に変わってしまいましたね。学生達に聞くと、「見られる」「食べられる」というのが、正しい言い方だという意識すら薄れてきています。言葉というものは変化していくものです。歴史の大きな流れに飲み込まれると、否応なく変化していってしまうんですね。特にその変化がなにがしかの合理的な理由を持っているときは、変化をくいとめることがむずかしい。

「見る」「着る」は、上一段活用動詞ですから、可能の助動詞をつけるときは「られる」を付けて「見られる」「着られる」と言わなければならない。でも、一方に五段活用の「読む」に対して「読める」、「書く」に対して「書ける」、「立つ」に対して「立てる」という可能動詞の形があります。そうすると、「見る」「着る」に対しても類推作用が起こり、「見れる」「着れる」という可能動詞の形が生み出される。そして、「見られる」「着られる」の形の方は、尊敬・受け身の意味にだけ使って役割分担していく。それなりの合理性がありますね。こういう場合は、伝統的な可能の形は、尊敬・受け身の意味と同じ形の「見られる」「着られる」なんだといくら言っても、ダメなんですね。それなりの合理性を持っているんですから。こういう現象の繰り返しが、日本語の歴史のような気がします。

 たとえば、ハ行音。これは日本語の歴史の常識なんですが、江戸時代の初めぐらいまでのハ行音の発音は、ファ、フィ、フ、フェ、フォ。それが、変化して現代のハ、ヒ、フ、ヘ、ホの発音に変わった。伝統芸能の世界では、元のファ、フィ、フ、フェ、フォの発音を暫く継承していたということはありますが、一般的には変化してしまった。変化した理由の一つとして、ファ、フィ、フ、フェ、フォの音は、音自体として安定性を欠いているから変化したのだという説もありますが、まだよく分かっていません。おそらく変化した方がいい理由があったに違いありません。

 そういう言葉の流れを見続けていると、敬語も早晩丁寧語を中心にした簡略なものになっていくだろうと、私など推測してしまうんです。だから、「尊敬語や謙譲語が正しく使えないじゃないか」と怒るよりも、簡素化した敬語の形を示した方が生産性があると思ってしまうのです。

 前置き表現は必要か

 第二十一期の国語審議会の報告書にはスペースの関係で例文としては挙がっていませんが、議論の途中で出ていた敬意表現の一つに前置き表現があります。たとえば、「先生のご高名はかねがね伺っておりますが」とか、「私ごときが乾杯の音頭をとるのは僭越でございますが」、「第一番に皆さんの前でお話しさせていただくのは、僭越極まりないことでございますが」といった前置き表現です。こういう表現も敬意表現の一つのパターンとして掲出されていた時期がありました。敬意表現というのは、敬語を含んでいますが、もう少し広くとらえた概念で、円滑なコミュニケーションのために、相手への気配りを根底にした表現のことです。

 私は、こういう前置き表現が好きでないんです。「私ごときが乾杯の音頭をとるのは僭越でございますが」と言われると、かえって乾杯の音頭をとるという行為が重要性を帯び、自分が選ばれたことに優越感を感じているという意識が前面に出て来て、いやらしいと感じてしまうんです。「では、皆さんの健康を祝して乾杯をします」と、さらりと乾杯する方がこだわりがなくていいと思えます。「先生のご高名はかねがね伺っておりますが」は、さらに好きでない前置き表現です。学生にこういう言い方はどうかって聞いたら、「心にもないこと言わないでっていう感じ」と答えました。巧言令色鮮し仁という感じなんでしょう。

 私は、学生に近いんでしょうか? こういう前置き表現のない方が気持ちよく乾杯もできるし、話の内容にも没頭できるのです。こういう意見って、やっぱり少数なんでしょうかねぇ。 

 敬意表現簡素化のメリット

 私は、敬語を含む敬意表現の簡素化をしましょうよとしきりに呼びかけているのですが、そうしたものの簡素化を行うと次に言うようなメリットがあると思えるからです。

 まず第一に、敬意表現を簡素化すると、率直な意見交換が可能になることです。正確な情報も伝わりやすい。言ってはならないというタブー意識が緩和されるからです。そして、大事なことは、そうしていくことによって率直な言語行動に価値を見いだし始めるという意識変化の起こることです。

 これからは国際化社会です。同じ価値観を持った日本人とだけ話していれば済む時代は終わりを告げ、あらゆる国のあらゆる人々と話してコミュニケーションをとらなければならない。そういう時、人間関係やその時々の状況から生じる相手への配慮に基づく敬意表現の国にいますと、遠慮して言わない習慣が出来上がっている。敬意表現を簡素化していくということは、そういう精神構造を改め、自分を率直に表現する精神構造を作り出していく要のように思えます。

 それから第二に敬意表現を簡素化すると、明快で論理的な表現をするためにエネルギーを費やすことが出来ることです。明快で論理的な表現も、国際化社会のコミュニケーションには欠かすことの出来ないものです。

 第三に敬意表現を簡素化すると、話の内容が豊かに魅力的になっていくんですね。ちょっと聞くと、あれって思われるでしょうが、私は学生達を相手にちょっとした実験をしたことがあります。実験なんて大げさですが、それは、学生に同じような内容の話を次の三通りの仕方で話しなさいと言ったんです。  

 <1>出来るだけ敬語を使って目上の人に向かって話しなさい。
 <2>あまり親しくない友達に向かって話しなさい。
 <3>仲良しの友達に向かって話しなさい。

 結果は、敬語を多く使用させると、表現がパターン化して硬くなり、話の内容がやせ細っていったんです。面白かったですね。「姉がおりまして、……そんな姉を私は尊敬しております」なんて硬くまじめくさって話していた人が、仲良し友達が相手になると、「お姉ちゃんがいるんだけどさ」から始まって、「メチャ嫌なとこもあるんだけど」と本音をぽろりと漏らしつつ、「自分としてはそんなお姉ちゃんが好きなんだ」などとやっていました。敬語がいかに我々の自由闊達な気持ちの吐露を阻害するかを見たように思いました。

 日本人ってつまらないと国際社会でよく言われてしまいますが、敬語を簡素化した表現方法を採ることによって、逆に話の内容そのものを豊かに出来る。これも私が敬意表現などの簡素化を考える論拠なのです。

 『これからの敬語』の先見性

 昭和二十七年に第一期国語審議会から出た『これからの敬語』は、非常に優れたものだと思います。金田一京助さんが委員長で、折口信夫、安藤正次さん達も委員に入っていますね。文化庁の国語科との合作で案が出来たのでしょうが、「これからの敬語は平明簡素を旨とすべし。いたずらに過度なものは排すべし」という理念に貫かれています。「尊敬語は『お』をつけるか、『お……になる』『お……なさる』あるいは『れる』『られる』をつけるだけでよろしい」という。

 そして今、この五十年ほど前の提言通りになっているといっても過言ではない。この建議書が出た頃には画期的に新しくて、「こんなに敬語を使わなくてもいいのか」と思うくらい新鮮だったわけです。それが、現代、全くその通りになっている。先見の明というか、私はこれこそ、もう目を見開かせるような、すばらしい提言だと思っています。

 ということは、『これからの敬語』のひそみにならって、五十年後とまではいかなくても、国際化社会の中でも通用する敬語や敬意表現のあるべき姿を、国語審議会が提案してくれたらすばらしいですね。

 ただ、『これからの敬語』にも少し問題があります。たとえば、二人称は「あなた」でいいという。今でも、「あなた」は同輩以上には無礼な感じがして言えません。これは、行き過ぎというか、新しすぎるのでしょう。それから、具体的な運用には何も触れていない。謙譲語についても何も述べていない。尊敬語は「れる」「られる」を付ければいいというが、受け身の意味と紛れやすく、その弁別は文脈による以外にない、などの問題点はあります。

 ですが、非常に短いスペースに簡潔にまとめられていて、民主的な雰囲気に包まれている。いいなあと思います。

(以上、144号)


大型辞典が求められるもの (上)

 さまざまな辞典の「恋愛」 

「日本語学演習」という授業で、ある時学生たちに、辞典についての論文を読ませまして、そのあと一人五冊以上の辞典を引いて、「恋愛」という項目がどう書かれているかを調べさせたことがあります。何でもいいから、自分の身の回りにある辞典ということにしましたら、学生数二十人の演習でしたが、辞典の数は重複するものを除いて、四十五種類ぐらいになりました。

 例えば『歴史事典』とか『社会学事典』、『倫理学事典』、『社会福祉事典』、あるいは『カウンセリング事典』とか『世界毒舌大辞典』なんていうものにまで当たった学生もいました。また、韓国人の学生もいますので、もちろん韓国語の辞典もOKです。学生たちは、そんなふうに辞典を読み比べる経験などなかったので、たいへんに楽しかったようです。

 その結果ですが、いくつか問題になったことがありますので、次に列挙してみます。

 「恋愛」をめぐる問題

 第一には、「言葉」の辞典については、大きい辞典だろうが、小さい辞典だろうが、「恋愛」に関しては、ほとんど同じ説明だということ。学生たちは驚いていました。たった一つ変わっていたのが『新明解国語辞典』です。ものすごく詳しい。こうなんですよ。

「特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと」

 学生たちは、読んでいて笑ったり首をひねったり頷いたりしていました。そして彼らは、最終的にこんな疑問を提出してきました。なぜ国語辞典は『新明解』を除くと、みな同じような説明なのか、もう少しそれぞれで違っていてもいいのではないかというのです。私は、彼らの疑問はもっともだけれど、逆に一つの言葉の説明が辞典によって余り違っていたらおかしいでしょ? と言うと、それもそうだと弱った顔をしていました。両方のかねあいが難しいんですね。

 第二の問題は、「恋愛」の対義語として、「同性愛」があがっていたことです。これは何人かの学生が『反対語辞典』というのを引いてきていまして、そこに「同性愛」が「恋愛」の反対語と出ている。それは、正しいかというので、大議論になったんです。一般の言葉の辞典でも、「恋愛」についてはほとんどが「男女の間の」あるいは「異性間の」という説明があります。学生たちは、この感覚は古いのではないか。今はもう、異性に対するばかりでなく、同性に対しても恋愛という感情を認めていいのではないか、という主張が強かったですね。

 第三の問題としては、辞典にはお国柄が出てくるということ。韓国語の辞典は、「恋愛」については、「男女の」とまず限定する。次に「若い人たちの」と、年齢を限定する。韓国では、今のところ若い男女間の感情でないと「恋愛」とは言わないんですね。

「じゃあ、年輩の男女間の愛情は、何て言うの?」と私が聞くと、韓国の女子学生は、首をひねってから言いました。「それを表す言葉はありません。結婚前の『若い人たち』は、恋愛をしてもいいんですが、既婚者は恋愛できません。『不倫』です」。彼女はしばらく考えてから、付け足しました。「『浪漫的』という言葉がありますが、これなら年輩の人同士の愛にも使うかもしれません」

 国によって、あるいは時代によって「恋愛」というものの意味範囲が違っている。これも考えてみれば当然なんですが、具体的に把握できて、学生たちは面白がっていました。しかし、これからは、多くの国の辞典で同性愛も年寄り同士の愛も「恋愛」に含みこむような流れになっていくのではなかろうかという予想も立てました。

 第四の問題は、「恋愛」の説明が、肉体的なもの、性欲的なものに重きを置きすぎていて、事実とは違っているのではないかというのです。もっとプラトニックな意味を強調してもいいのではないか。

 もっと言えば、辞典の説明を書いている人は、みんな男ではないかと彼らは言います。女だったら、もう少し精神の営みとして「恋愛」をとらえる観点が出てくるはずだと。男の立場からすると、性的に一体になりたいとか、性的衝動に基づくとか、そういう解説になるのだろうけれど、「恋愛」に託する意味はもっと精神的なものが強いと、これは主に女子学生が主張しました。

 大学の演習で、辞典を取り上げてみてよかったと思いました。学生たちは、辞典がこんなに楽しいものだとは知らなかったと言います。一つの言葉でこんなに多くの辞典を引いたことはなかった。そして、複数の辞典を引くことの必要性を痛感した。それから、辞典を引く楽しみを覚えた、そう言ってくれたんです。これは、うれしかったですね。

 大型国語辞典を引くとき

 以上は、これから話す大型国語辞典の話の枕です。枕が長くなってしまいましたが、これから後二回、大型国語辞典の話をしますのでお許し下さい。

 さて、大型国語辞典は何を求められているか、という本論に入っていくことにします。まず、私たちが国語辞典を引くのはどういう時でしょうか? 一つは、言葉の意味が分からない時。二つは、どういう漢字を当てるか分からない時。でも、こういう場合は、大型国語辞典を引くかといったら、引きませんよね。たいていコンパクトな小型国語辞典で間に合わせてしまいます。

 では、大型の国語辞典でなければいけない場合というのは、どういう場合なのでしょうか? 小型の国語辞典には収録されていないような事柄や言葉の意味を知りたいときです。つまり、(1)百科事典でなければ出てこないような事柄、(2)古語辞典でなければ出てこないような意味、が載っていることが、大型国語辞典に求められていることです。

 欲を言えば、流行語や新語もあってほしいところですが、それは普通の国語辞典に求めること自体無理でしょう。まあ、毎年刊行される『現代用語の基礎知識』とか『イミダス』におまかせという感じですね。

 大型国語辞典が一冊あれば、古語での意味も分かるし、百科辞典的な事柄も分かる、こういうことが求められているわけです。

 基本方針は何か?

 さて、そうはいっても、それぞれの辞典には特有の基本方針があり、それに基づいて辞典を作って行くわけです。それがその辞典の特色、俗に言えば「売り」になるんですね。

 うちの辞典は、古語の意味なんかはいらん、現代語の意味をしっかり記述することを目的にしようとか、いや、古語の意味も記しておいた方が便利だろうから必ず記しておこうとか、昔からの意味の推移が分かることこそ大切だからそういう辞典に仕上げようとかいう考え方が辞典ごとにあるわけです。それを知っておくことは、辞典を買うときの大事なポイントになります。そこで、具体的に、現在刊行されている七種の大型国語辞典を取り上げて、それぞれの辞典の方針を探ってみます。七種の辞書とは次のものです(カッコ内の年代は同版第一刷発行の年)。

(1)『学研国語大辞典』(学研、第二版、1993)

(2)『日本語大辞典』(講談社、第二版、1995)

(3)『広辞苑』(岩波書店、第五版、1998)

(4)『大辞林』(三省堂、第二版、1995)

(5)『大辞泉』(小学館、第一版、1995)

(6)『国語大辞典』(小学館、第二版、1995)

(7)『大言海』(冨山房、新訂版、1956)

「大型」と言いましても、『日本国語大辞典』(小学館)は二十巻もあり別格です。ここでは大きいけれど机上に置ける一巻本の辞典のみを対象としています。また(7)の『大言海』は大変古い大型辞書ですが、近代辞書の元祖であり、現在も刊行され続けており、比較に便利なので特に取り上げています。

 さて、冒頭の「恋愛」との絡みから、今度は「恋」という言葉に注目してみます。「恋愛」は、明治時代に、loveの訳語としてできた言葉ですから、古い意味はありません。それに対して、類義語の「恋」は、古い時代からある言葉で、意味も変化してきていますから、辞典の方針を探るのに適しています。(1)から(7)までの辞典の「恋」の説明を、次に並べてみます。用例は省略します。まず、現代語で「恋」という時の意味を思い浮かべてから、お読み下さい。

(1)『学研国語大辞典』

こい「(男女間で)相手を自分のものにしたいと思う 愛情をいだくこと。また、その状態。恋愛」

(2)『日本語大辞典』

こい「異性に心を強くひかれ、その人をかけがえがな く思い、したうこと。また、その気持ち。恋愛。love」

(3)『広辞苑』

こい「(1)一緒に生活できない人や亡くなった人に強く ひかれて、切なく思うこと。また、そのこころ。特 に、男女間の思慕の情。恋慕。恋愛。(7)植物や土地 などに寄せる思慕の情」

(4)『大辞林』

こい「(1)異性に強く惹かれ、会いたい、ひとりじめに したい、一緒になりたいと思う気持ち。(2)古くは、 異性に限らず、植物・土地・古都・季節・過去の時 など、目の前にない対象を慕う心にいう」

(5)『大辞泉』

こい「(1)特定の異性に強くひかれること。また、切な いまでに深く思いを寄せること。恋愛。(2)土地・植 物・季節などに思いを寄せること」

(6)『国語大辞典』

こい「(1)人、土地、植物、季節などを思い慕うこと。 慕うこと。(2)異性(時には同性)に特別の愛情を感 じて思い慕うこと。恋すること。恋愛。恋慕。(3)和 歌、連歌、俳諧などで恋愛を題材とした作品。また、 その部立」

(7)『大言海』

こい「(一)戀フルコト。慕ヒ、思フコト。戀慕。
(二)歌集ノ類別ニ、戀歌ヲ集メタル部ノ稱」

 大型国語辞典に見る三つの立場

 こうしてみますと、(1)『学研国語大辞典』と(2)『日本語大辞典』は現代の語感と全く同じです。ですから、これは現代語の意味に焦点を合わせているということが明白ですね。

 それから、(3)『広辞苑』、(4)『大辞林』、(5)『大辞泉』は、現代語の意味をまず一番目に掲げ、二番目には古語の意味を記しています。現代語中心ではあるけれど、古い時代の意味も記すという方針です。(7)『大言海』も、まず一番目に現代語の意味を、それから二番目には、(3)(4)(5)の古語の意味とは違ったものを取り上げていますが、古語の意味を掲げるという点では同じです。つまり、(3)(4)(5)(7)は、中心は現代語の意味ですが、古語の意味も出しますよという立場に立った辞典だといえます。

 これら四種の辞典の中で親切だなと思うのは、(4)『大辞林』です。一般の人は、それが古語の意味かどうか何てことは分かりません。そこで『大辞林』は、「古くは」と記して、これは古語の意味ですよと教えてくれている。一般の人々の見る辞典には、こういう親切さが必要ですね。

 さて、(6)『国語大辞典』を見ます。「恋」の意味の最も基になったものから順次派生したと思われる意味へと記述しています。用例も出現の古い順に掲げています。つまり、徹底的に歴史的な観点をとるという方針の上にできた辞典と言えます。

 こういうふうに意味記述の方法から見ていきますと、一口に大型国語辞典といっても、ざっと三通りの立場があることが分かります。一つは、現代語としての意味だけを記す、徹底的に共時的な立場に立った辞典。それから二つ目は、現代語の意味が中心ではあるが、古語の意味も記すという立場。時代を超えていて、いわば汎時的といってもいいでしょうか、そういう立場の辞典。三つ目は、古い時代の意味から順次時代を追って記すという、通時的な立場の辞典。

 このような記述の立場を明確にしておくことが、大型国語辞典にはとりわけ求められていると思います。その上でさらに辞典ごとに個性が付加されていきます。たとえば、現代語の意味だけを記す(1)(2)でも、違った個性が出ています。(2)『日本語大辞典』は、カラー写真をふんだんに取り入れ、視覚的な面からの理解に重点をおいている。(1)『学研国語大辞典』は、近代文学作品からの用例に個性を出している。コンピューターを使って近代文学作品からの用例をピックアップしてあって、言葉の研究には実に役に立つ辞典です。一般受けはしないかもしれませんけれど、言葉自体に興味を持つ人間にとっては非常に有用な辞典なんです。

 ただし、立場がはっきりしていて良い辞典だからと言ってよく売れるとは限らないところが、悲しいところです。でも、良い辞典は後世に名が残る。そう信じたいですね。

(以上、145号)


大型辞典が求められるもの (中)

「ももんが」が気になって

 前回、大型国語辞典に求められる重要な要素として、

(1)古語の意味が出ていること、(2)百科事典的な項目の解説があること、の二つがあると申しました。そこで今回は、百科事典的な項目の記述の仕方に焦点を合わせてどういう辞書が望ましいのかを考えてみます。ここでの具体例は、「ももんが」にします。

 私、昔から「ももんが」が気になっていたんです。群馬で育ったんですけど、子供の時、大人が頭から風呂敷をかぶって「ももんがあ」って言って子供を脅して喜ばせてくれました。「ももんが」ってなんだか知らなかったけど、風呂敷を頭上にひらめかせて追いかけてくる大人から逃げ回った。楽しい遊びでした。

 それから、夏目漱石の『坊っちゃん』を読んでいたら、「ハイカラ野郎の、ペテン師の、…香具師の、ももんがあの、岡っ引きの、わんわん鳴けば犬も同然な奴とでも云うがいい」と、「ももんがあ」が悪口に出てきました。どうやら「ももんが」ってのは、悪いやつに違いないと思ってました。

 それから、ずっと後に、言葉を扱う商売上、必要があって、『柿山伏』という狂言台本を読みました。狂言には三つの流派があって、流派によって少しずつ台本が違います。「ももんが」が出てくるのは、鷺流の狂言台本です。お腹が減った山伏は、柿を取ろうと木に登った。ところが折悪しく柿主に見つかってしまった。柿主は、柿泥棒の山伏をいたぶろうと考えて言う。「おや、柿の木にカラスがいるようだ。」山伏はカラスの鳴き声をまねる。柿主は「いや違った。猫がいるようだ。」山伏は猫の鳴き声をまねる。柿主はさらにいたぶる。「いやいや、あれは子供の怖がるももんがであろう。」山伏は、モモンガの鳴き声が分からない。やむなく「ももんが」と鳴いてしまうという話。

 私も、モモンガの鳴き方を知らないから、山伏にいたく同情したんです。実は、このあと私はモモンガの鳴き声を写す言葉を調べて論文も書いたのですが、古い文献にはモモンガの鳴き声そのものを写す言葉は出てこなかった。つまり、鳴き声は知られていない。だからこそ、柿主は山伏をいたぶるのに使ったんですね。

「ももんが」は、江戸時代に関東方言として登場し、全国に広まっていった言葉です。登場したときから化け物のイメージを帯びて使われています。だから、田舎では風呂敷をかぶって「ももんがあ」とやる遊びとして残っていたことも分かりました。

 とまあ、いろんな思い出のある「ももんが」をここで具体例にしてみようというわけです。以下では、遊びや悪口に使う「ももんが」は除き、純粋に動物の説明に焦点を合わせます。

「ももんが」は「むささび」と同じもの? 別物?

「ももんが」によく似た動物に「むささび」がいます。両方は、一応別の動物と私たちは意識していますよね。ところが、大型国語辞典を次々に引いてみると、おかしなことが判明しました。『大言海』(新訂版、一九五六年)だけが、次のように、同じものの別の呼び方にすぎないという解説なんです。

むささび―〔身細び、ノ意、翅大ニシテ、身小ナリ〕噛歯類ノ獸ノ名。深山ノ樹梢ニ穴居シ、夜出デテ、果實ヲ食フ。形、猫ニ似テ痩セ、大、小、一ナラズ、紫褐色ニシテ、腹下ハ黄ニ、喙、頷、ハ雑白色ナリ。 尾、大キク、身ヨリ長シ。脚、短ク、前後ノ脚ノ間 ニ、左、右、共ニ肉翅アリテ相連ルコト、蝙蝠ニ似 テ、翅ヲ開ケバ、傘ヲ張ルガ如シ。只、飛ビ下ルノミニテ、飛上ルコト能ハズ。聲、小兒ノ叫ブガ如シ。古名、又、モミ。今、訛シテ、モモガ、モモングヮア。一名、ノブスマ。バンドリ。

ももんがあ―〔又、ももがト云フ、ももハもみノ轉、が、ぐヮあハ、鳴ク聲ヲ云フカ〕(一)古名もみノ轉訛。即チ、ムササビ。又、ももが。(關東)。

『大言海』の解説では、「ももんが」と「むささび」は、同じ動物を意味するとしています。

 本当でしょうか? どうも私たちの認識とずれている。そこで、『広辞苑』(第五版、一九九八年)、『大辞林』(第二版、一九九五年)、『日本語大辞典』(第二版、一九九五年)、『大辞泉』(第一版、一九九五年)、『国語大辞典』(第二版、一九九五年)、『学研国語大辞典』(第二版、一九九三年)、などの六種の大型国語辞典を引いてみます。すると、全て、「むささび」と「ももんが」は似ているけれど、別物と明記されています。ここでは、例として『広辞苑』の説明をあげてみます。

むささび―(古くムザサビとも)リス科の哺乳類。体長四○センチメートル。背は黒褐色、腹は白色、頬は白い。前後肢の間に飛膜が発達し、木から木へ滑空する。昼は樹木の空洞内に潜み、夜出て、木の芽・果実などを食う。アジア東部、日本では北海道を除く森林に分布。晩鳥(ばんどり)。のぶすま。尾被(おかずき)

ももんが―リス科の哺乳類。ムササビに似るが、小形で、頬の白斑がない。体長一五~二○センチメートルほど、眼が大きく、夜行性。毛色は褐色と灰色とがある。日本特産で、本州・四国・九州に分布。北海道にはやや小形のタイリクモモンガがいる。森林にすみ、樹間を滑空する。ももんがあ。

「ももんが」は、「むささび」に似ているけれど、大きさと頬の毛色に違いがある。「ももんが」は小さくて頬に白斑がない。「むささび」は、大型で頬に白斑がある。つまり、別の動物であるというのです。他の大辞典では、両者の違いとして、目の大きさ、しっぽの形状、などを記してあることもあります。

『大言海』では、「ももんが」は「むささび」と同じもの、他の大辞典では、似ているが別物というのです。一体なぜこんな違いが生じてしまったのでしょうか?

「ももんが」と「むささび」が同じものであった時

 実は、『国語大辞典』の記述をよく読むと、ヒントがありました。「ももんが」の説明の最後の方に、こんなことがちらりと書いてあるんです。

 古くは「ムササビ」と「モモンガ」を区別していなかった。

 ははあ、『大言海』は、古い辞書だから、その当時の考え方を反映した解説なのではあるまいか。はたして、昔は、本当に「ももんが」と「むささび」を区別していなかったのでしょうか?

 調べてみますと、「ももんが」はさっきも言いましたけれど、江戸時代から登場します。一方「むささび」の方は、ものすごく古く奈良時代の『万葉集』にすでに出てくる言葉です。ですから、江戸時代には、両方の言葉があったことになりますが、二つの語は上手に棲み分けをしています。「むささび」の語は、オーソドックスな場で用いられ、「ももんが」の語は、滑稽本や狂言などの庶民的な場で用いられ、本来の動物を意味するよりは、そこから派生した化け物のイメージで使われることが多いんです。

 こういう違いはあるのですが、基本的には同じ動物を指しています。事実、明治・大正時代の国語辞典を片端から引いてみると、両者を同じ動物として扱っています。つまり、その頃の大型国語辞典では、「むささび」の他に、「ももんが」も見出し語として取り上げ、その説明に「すなわちむささび」、「むささびに同じ」、「むささびの一名」と記しているんです。

「むささび」と「ももんが」は、明治・大正時代までは同一の動物をさす、異なる言い方にすぎなかったということが分かります。『大言海』は、この時代の考え方を反映していたと察せられます。

 すると、「むささび」と「ももんが」が別のものを指すようになったのは何時のことなんでしょうか?少々マニアックですが、それも追跡していきました。すると、昭和三年の『改修言泉』になってはじめて、「ももんが」と「むささび」を明確に分けて別物としてありました。おそらく動物学的の観点から区別できるので、同一のものを指す呼び名として二つあった「むささび」と「ももんが」を使って命名し直したんでしょうね。

 こうしてみると、百科事典的な項目については、出来るだけ最新の考え方の反映されているもののほうがいいということが言えます。さもないと、古い認識の仕方を、読者は今でも通用するものとして受け取ってしまいます。

写真や図解も有効 

 さらに、百科事典的な項目の解説で求められるのは、実物が分かることです。実物を分からせるために、写真や図版を使うのも一つの有効な方法です。「ももんが」と「むささび」については、それぞれ上のような写真や図版がついていました。

『大辞林』『大辞泉』は図版で、『日本語大辞典』は写真で、「ももんが」と「むささび」の両方を掲載しています。『広辞苑』は、「ももんが」の図はなく、「むささび」だけです。「ももんが」は「むささび」に似ているから「むささび」を見ればいいだろうということでしょうが、辞書は五十音順ですから、私が並べたように両方が一遍に見られるわけではありません。『広辞苑』で「ももんが」をひいた人は、「ももんが」について視覚的な情報を得ることなく終わってしまう可能性があります。「むささびを見よ」のような注記でもあるといいかもしれませんね。

 さて、写真や図版は、こうして百科事典的な項目では大変有益なのですが、問題もあります。絵や写真は、その動物のある瞬間の、ある行動だけしか示せないということです。あるいは、ある事物のある一面しか示せないということです。全体をとらえることができない。これが、写真や図版の限界点です。例えば人間が固定した静止像で示されると、人間のほんの一瞬の一動作しか伝えないでしょう。だから、写真や絵はあくまで補助であり、やはり言葉による解説が分かりやすいことが、重要なポイントなのです。

分かりやすい解説とは 

 解説が分かりやすいということは、読者の頭の中にすんなりと入っていくということです。そのためには、

(1)耳慣れない難しい言葉での解説をさけること、(2)具体的にイメージできないような解説をさけること、(3)類似したものとの違いを出来るだけ記してあること、などが大切だろうと思います。

 この観点から、大型国語辞典六種を「むささび」と「ももんが」で比べてみます。  六種の中で難しい言葉が目立つのは、『大辞林』です。解説には、「頭胴長」「尾長」「齧歯目」など、意味は分かりますけれど、日常使わない漢語を使っています。他の辞典では、「頭胴長」を「体長」、「尾長」の語は使わずに「尾が長い」とし、「齧歯目」を「ネズミ目」としています。日常的な語で言うと、専門的には不正確になることがありますが、一般の人が引いて役にたつ辞書であるためには、出来るだけ平易な言葉で述べるというスタンスは必要ですよね。

 具体的にイメージできない解説というのは、たとえば、「体側・四肢と尾の付け根の間に、よく発達した飛膜があり」(『大辞林』)です。どこに飛膜があるのでしょうか? 具体的にイメージしようとすると、幾通りも考えられ、結局分かりません。「前後肢と体側のあいだの飛膜を広げて滑空する」(『日本語大辞典』)、「体側と四肢の間に飛膜がある」(『大辞林』)は、どうでしょうか? 前足と後足の間を体側というのではないでしょうか?「前後肢と体側のあいだ」「体側と四肢の間」というのは、一体どこなのでしょうか?

「前後肢の間に飛膜が発達し」(『広辞苑』)、「前足から後足にかけて皮膜があり」(『学研国語大辞典』)、「手足間の体側に皮膜がよく発達し」「体側に皮膜をもつ」(『国語大辞典』)、「前後の足の間にある飛膜を広げて」(『大辞泉』)なら、分かるのです。

 辞書の解説は、記されていることだけから意味の分かるものでなければならないものです。辞書の解説が一字一句もゆるがせに出来ない厳しいものであることを、辞書作りに参加することもある私としては、他人事ではなく痛感させられます。

 類似した事物との違いを出来るだけ記すというのは、ここでは「ももんが」と「むささび」の違いが分かるように解説してあることです。また、対比できるような記述が望ましいわけです。『学研国語大辞典』は、のっけから次のような解説を行っています。

 むささび―りす科の哺乳動物。
 ももんが―りす科の小獣。

「ももんが」は、「哺乳動物」と言ってはいけないのでしょうか? 読者は、迷います。他の大辞典は、「ももんが」も「むささび」も、「リス科の哺乳類」として同じ種類だということをまず読者に知らせてくれています。分からない人に分かってもらえる解説が求められているのです。

(以上、146号)


大型辞典が求められるもの (下)

 ちゃっぷいちゃっぷい

 二回にわたって大型国語辞典についてお話ししてきました。採り上げた語は、一回目が、「恋愛」と「恋」、二回目が「ももんが」と「むささび」。いずれも名詞で、ちょっと特殊な語でした。

 今回は、形容詞と動詞から基本的な語を選んで大型国語辞典の意味記述の善し悪しを考えてみようと思います。言葉の辞典である以上、基本語の意味がきちんと解説してあることは重要です。それから、類義語がある場合には、それらの違いがうまく説明されていることも大切な要素です。

 ここでは、形容詞からは「寒い」と「冷たい」、動詞からは「疲れる」と「くたびれる」を採り上げてみます。いずれの語も、今の冬の季節にぴったりですし、テレビコマーシャルでともに馴染み深い言葉です。

 今年は、寒波に襲われ、日本列島は例年になく「寒い」。「ちゃっぷいちゃっぷい どんとぽっしい」なんて言って即席カイロを探してしまいそうです。あのコマーシャル、好きでしたね。古代人の格好をしたタレントがいかにも寒そうにして古代語もどきに言うセリフ。今からもう十五年くらい前になります。あの年は、「ちゃっぷい」が流行語にまでなりました。

 それから、もう少し以前には、新グロモントのテレビコマーシャルで「ちかれたびー」というのがありました。私など人前で張り切りすぎた状態で仕事をするたちなので、家に帰るとぐったりして「疲れた」を連発し、栄養剤を飲んだものでした。

「寒い」と「冷たい」

 では、まず「寒い」と「冷たい」に注目します。類義語ですから、意味がよく似ています。でも、私たち現代人は、きちんと使い分けています。

 「冷たい」というのは、接触したときの低い温度感ですね。気体にも液体にも固体にも使える。「冷たい空気」「冷たい水」「冷たい御飯」、全部オーケーです。それから、「冷たい」というのは、気持ちの良いときにも悪いときにも使います。体中が火照っているとき、「冷たい」ものの美味しいこと。でも、気温が低いときに、「冷たい」ものに手を突っ込まなくてはならないときは不快です。つまり、「冷たい」は、快・不快からは、超越した言葉です。

 それに対して「寒い」というのは、直接タッチしたときの感触ではない。また、不快感に連なっていく言葉です。そして、「寒い」といえるのは、気体に対してだけです。空気とか風とか、そういう気体に対していうのであって、固体や液体に対しては言わない。「寒い水」「寒い御飯」とは現代では言いませんよね。

 現代語の「寒い」と「冷たい」には、こんな違いがあることを意識して、大型国語辞典を引いてみます。基本的に現代語に焦点をあわせている『学研国語大辞典』『日本語大辞典』『広辞苑』『大辞林』『大辞泉』の記述を読んでみます。『広辞苑』と『大辞泉』は、次のようになっていて、両語の意味の区別が明確ではありません。まず、『広辞苑』では、

さむい―温度が低いために、皮膚に(不快な)刺激を感じる。寒気が強い。
つめたい―温度が低く、ひややかに感じる。ひややかである。つべたい。

『大辞泉』では、

さむい―温度の低さを不快に感じる。また、そう感じるほど温度が低い。
つめたい―温度が低く感じられる。

 「寒い」が、「冷たい」と違って不快感に結びついて用いられることは、説明されていますが、さっき述べたような意味の違いは十分に捉えられていません。ともに、「温度が低い」と説明しています。

『学研国語大辞典』『日本語大辞典』『大辞林』になると、意識的に両語の意味の違いを出そうとした説明になっています。ただし、その説明のうまさは、辞典によって差があります。次に並べてみます。どの説明が分かりやすく的確だと判定なさいますか?

『学研国語大辞典』では、

さむい―気温が低くて、不快な気持ちになったりからだがちぢこまったりするくらいに、体温がたくさん奪われるようす。
つめたい―(触れた感じで)温度が特に低い。熱さをはなはだしく奪われる感じだ。

『日本国語大辞典』では、

さむい―気温が低くて不快なことを、からだ全体で感じる。cold。(対義)暑い。
つめたい―温度が低く、体感的にひややかに感じる。cold。(対義)熱い。

『大辞林』では、

さむい―気温が低くて不快な感じがする。体が冷えてあたたまりたい感じがする。さぶい。(対義)暑い。
つめたい―物の温度が低くてひややかである。(対義)熱い。

 三辞典ともに、「寒い」は気温、「冷たい」は温度についてであるとして区別しています。ですが、『学研国語大辞典』の説明は、やや問題があります。(1)「寒い」の説明がややまどろっこしくて頭に入りにくいこと、(2)「さむい」は「ようす」で、「つめたい」は「感じ」なのでしょうか? 逆のように思えます。(3)「つめたい」が、「熱さをはなはだしく奪われる感じだ」とあってマイナス評価の語と誤解されやすい記述になっていること。『日本国語大辞典』『大辞林』の解説は、分かりやすく違いもよく捉えられています。

 欲を言えば、『日本国語大辞典』では、「寒い」が「からだ全体で感じる」とあり、「冷たい」が「体感的にひややかに感じる」とあるんですが、その差が分かりにくい。しかし、対義語が記してあって、両語の意味の違いをはっきりさせる努力をしています。簡にして要を得ているのは、『大辞林』の説明だと思います。対義語も書いてあります。前回は、『大辞林』を批判しましたが、基本的な語についての説明は、なかなか優れているんです。辞書によって、優れている箇所が違っている。長所をたくさん持っている辞書が、結局いいということになりますね。

「寒き水」と「冷たき頃」

 実は、古典語では、「寒い」と「冷たい」は現代語の状況と少し違っていたことが既に論じられています。「冷たい」の語は、奈良時代にはまだ見られません。ですから、「寒し」の語が、現在の「冷たい」の意味まで表していたんです。『日本書紀』に、「さむき水をたてまつる」と出てきます。今で言えば、「冷たい水」の意味で「寒し」を使っています。平安時代になっても、まだ「水さむく風の涼しき我が宿は夏といふことはよそにこそ聞け」(『兼盛集』)といった使われ方をしています。現在なら、「水が冷たく風の涼しい私の家は」となるところです。

 けれども、平安時代には「冷めたし」の語も見られはじめ、やがて現代に連なるような意味分化の歴史を辿っていきます。

 さて、歴史的な意味推移を考慮した『国語大辞典』では、「寒い」と「冷たい」は、どう説明されているでしょうか?

さむい―温度がいちじるしく低く感じられるさま。(イ)物体や液体の温度が、自分の体温よりもいちじるしく低く感じられるさま。つめたい。(ロ)気温が不快なほどに低いさま。また、そのように感じるさま。寒気を感じるさま。
つめたい―(1)外気が膚にあたってひえる。寒い。ひんやりとする。(2)物の温度が低く、ふれるとひややかな感じである。

 昔では、「寒い」が今の「冷たい」の意味をも表していたことが分かる記述になっています。

 学生は、辞典の性格などを考えずに引きますから、現代語の「寒い」の説明なのに、「冷たい」と同じ意味だなどと主張します。「なぜ?」って聞くと、『国語大辞典』に書いてあったなんて答えます。辞典の性格をきちんと把握させなくちゃと、教える側としては反省します。

「疲れる」と「くたびれる」

 最後に、基本語のもう一つの例は、「疲れる」。そしてその類義語の「くたびれる」。

「今日は、疲れたなあ」というときの疲れ方を考えてみます。肉体的な疲労も意味しますが、精神的な疲労も意味していますね。それに対して、「くたびれる」は、主に肉体的な疲労感を感じたときに使います。つまり、精神的な疲労感が加わっているときは「疲れる」なんです。「気疲れ」という言葉があるのに、「気くたびれ」という言葉がないのもその証拠です。肉体的な疲労の時は、「歩き疲れた」「歩きくたびれた」とどちらも言えます。

 さて、大型国語辞典では、この区別をきちんとしているでしょうか? 『学研国語大辞典』『大辞林』は、いずれも次のように両語の意味をしっかり区別しています。 『学研国語大辞典』では、

くたびれる―体を使いすぎてこれ以上はたらくのがいやになる。
つかれる―(精力・体力を消耗して)神経や体が弱るまた、元気がなくなる。

「くたびれる」は体、「つかれる」は神経や体についていうことが、はっきりしています。 『大辞林』では、

くたびれる―体力を消耗してそれ以上動くのがいやになる。
つかれる―長く体や心を使ったために、体力や気力が衰える。

 さらに、分かりやすくすっきりした説明になっています。

『広辞苑』『日本語大辞典』では、次のようになっていて、今ひとつ区別がはっきりしていません。

『広辞苑』では、

くたびれる―くたくたに疲れる。
つかれる―体や精神の力が弱る。

「つかれる」の説明はよく分かります。「くたびれる」が明快ではありませんよね。「くたくた」というのは、「身も心もくたくたになった」などと、どちらにも使うからです。『日本語大辞典』では、

くたびれる―つかれて元気がなくなる。get tired。
つかれる―長時間身体・神経をつかったために、体力・気力が弱る。be tired。

 こちらも、「くたびれる」の説明が「つかれて元気がなくなる」となっており、「つかれる」との差異がはっきりしません。さらに、英語が付いているだけ分かりにくくなってしまっています。「くたびれる」は、get tiredで、「つかれる」は、be tired。英語によれば、「くたびれる」は、動作性の言葉、「つかれる」は状態性の言葉という違いがあると言っているようです。本当なのでしょうか?

『大辞泉』になると、「くたびれる」と「つかれる」は、全く区別されていません。

くたびれる―長時間からだや頭を使ったため、疲れて元気がなくなる。
つかれる―体力や気力を消耗してその働きが衰える。

 両語ともに、肉体的疲労・精神的疲労を意味するとなっていますね。

「くたびれる」と「つかれる」は、さっき問題にした「寒い」と「冷たい」とは違って、昔の意味と現代の意味は、基本的には変わっていません。ですから、歴史的な立場をとる『国語大辞典』も、現代語と同様に説明されるべきですが、実際は次のようになっています。

くたびれる―体や頭を使い過ぎて疲れる。
つかれる―体力が弱る。

 あれれ、現代語の常識とは逆になっています。「くたびれる」の方が、肉体的・精神的な疲労を意味し、「つかれる」の方が、肉体的な疲労なんだそうです!

 とまあ、気づいたことを遠慮もなく述べてきましたが、良い辞書とは何なのかということを考えるときの一助になれば、幸いです。
(以上、147号)


本の広告表現について (上)

(図版は省略しました)

 新聞広告の大半は本の広告

 今回と次回、続けて二回、本の広告表現の話をします。今回は、昔の広告表現もなかなか巧みなものを作っていたということを具体例を挙げながら述べていきたいと思っています。次回は、にもかかわらず広告表現は少しずつ進化してきているということを話す予定です。

 では、早速今回の話に入ります。まず、本の広告は何時ごろから始まったのか? ちゃんと研究している人がいまして、多分江戸時代の寛文七年(一六六七年)の本の広告が一番古いものだろうというのです。今から三三四年前です。どういう形の広告かといいますと、今でも本の巻末に「わが社の出版物」みたいな形で版元が既刊書を広告しますね。あれが本の広告の最初の形態のようです。

 それから明治になって、いよいよ新聞が出ます。新聞広告の中で、最初から本の広告は目立ちました。量が多いのです。明治七年の『郵便報知新聞』によりますと、一年間の広告件数が八九一件で、そのうち書籍は四一六件、約半分(四九・七%)を占めています。どうして新聞の広告にこんなに本の広告が多いのか?

 考えてみますと、当然なんですね。当時、字が読める人はそう多くはなかった。新聞が読めるということは字が読める。字が読めることは本が読めるということです。だから、新聞広告をするのが、一番効率がいいというわけです。

 明治二十年ぐらいになっても、書籍の広告は新聞広告の中で群を抜いて多い。そのうちに、化粧品の広告と薬の広告も多くなってきて、書籍、薬品、化粧品が新聞の三大広告ということになりました。

 本の広告はどうなるのか?

 さて、時移り、第二次世界大戦後。民間放送のラジオ、テレビが出てきました。すると、薬品や化粧品の広告は、そちらの電波媒体による広告も増やした。

 リポビタンD、正露丸、ベンザエース、コンタック、ヴェポラップ、ドモホルンリンクル、SKII。現在のテレビCMを思い浮かべても、こんなふうに薬品や化粧品のCMが多いことに気づきますでしょう。そのくらい薬品や化粧品は、テレビを広告媒体としても使っているわけです。

 ところが、本の広告だけは、電波媒体を余り使わない。なぜなのか? 人間にはテレビを見たりラジオを聞いたりして生活することが多い電波媒体派の人と、新聞雑誌を読まないといられない印刷媒体派の人という二派があるんですね。ですから、テレビで本の宣伝をしてもあまり購買に結びつかない。費用がかかる割には、効果が少ない。こんな理由で本の広告は、テレビでは余り行われないのではないか。

 でも、現在テレビは相変わらず大きな影響力をもち続けています。だから、今までテレビ広告しなかったものも、最近ではテレビ広告に参入してきている。例えば、大学。最初は、教育を商品として捉える発想そのものがないから、宣伝することすら憚られた。でも、次第に新聞で大学の広告を行うようになった。そして、ついに最近では、テレビ広告するような大学まで出てきた。名前が知られてなければ話にならないというわけでしょう。

 とすれば、本の広告もテレビで頻繁に行われるようになることがあるのか? 私は、どうもそういうことは起こりにくい気がする。出版社自体をどーんとテレビ広告することは考えられるけれど、あるいは定期刊行の雑誌を広告することまでは考えられるけれど、一冊の単行本をテレビ広告することは余り起こらないような気がする。採算が取れないのではないか。

 それより本の広告は、インターネットを通じたものが増えていくように思えます。今は、インターネット上の本屋さんもできてるくらいですから。本の販売には、インターネットはかなりの威力があります。現時点のインターネットでは、新刊本も一律に著者名・出版社名・簡単な内容紹介・定価などが書いてあるだけです。それを、次回に述べるような新聞での本の広告の進化と同じように、目立たせる工夫をしていく方向で進んでいくように思えます。

 インターネットでは今のところ新刊本の書評のページが充実しています。でも、書評のページって良し悪しなんですよ。長くて詳しい書評や新刊紹介を読んでいると、もうその本を買って読んだ気になっちゃう。だから、逆に買わないんですよね。

「廃業」広告

 さて、具体的に昔の本の広告で、工夫を凝らしたユニークなものを紹介してみます。まずは、明治二十年七月十日。図(1)のような新聞の一面広告が出ました。一ページ広告の元祖の類に入ると思います。「廃業に付ての見切売」の広告です。兎屋という本屋の広告。社長は、兎屋誠。大きい字で最初にこんなことが書いてあります。「自分は大いに考えるところがあって、来る九月三十日限りで書籍業をやめる。その翌日の十月一日から綿織物や麻織物の卸し小売をする」っていうんですね。だから、本の在庫一掃セールを行なうのだと。次には、ずらっと書名を並べ、その下に三段にして値段が書いてある。

 一番上の段が、定価。中段が「今期の特別値」。最下段が「今期の見切値」。「今期の特別値」と「今期の見切値」との区別がよく分からないのですが、「今期の特別値」というのは、定価に対して今期の廃業に際して特別の安売り値ということでしょうね。あるいは、それまでも定期的に店頭だけで安売りをしていたのかもしれない。それ以上は、もう値引きできないんだけれど、廃業だからもう破れかぶれの値段が、「今期の見切り値」ということでしょうか。現在で言えば、「冬物一掃セール」なんかがあると、定価が消してあって、特別奉仕価格が赤字で書いてあって、それをさらに消して少し安い値がついているといったものでしょうね。

 兎屋の「廃業広告」がインチキでないかどうかを本の値段で検討してみます。最初の本は、『里見八犬伝』です。定価が十二円。これは、後に紹介する本の定価から見ても高すぎる。だけど、普通の人は疑わない。それが「今期の特別値」では、わずか一円三十五銭。もともとこれくらいで売れる本なんです。さらに「今期の見切値」になると、一円十五銭。定価の九割引きですよ。バナナの叩き売り状態です。これじゃあ買わないと損だというので、兎屋にみんなワイワイ買いに行った。安さにつられて読みもしない本まで買った。それで兎屋は大変儲かった。そのまま大人しくしていればいいのに、兎屋誠さんは売行き好調であるという広告をまた出したんです。廃業のために安く売るといっていたのに、儲かったからまた続けるというのでは、買い手は怒ります。騙された感じがします。

 私も、本じゃあないけれど、同じ手口でやられたことがあります。久しぶりに洋品屋の前を通ったらデカデカと「店じまいにつき、安売り」と赤字で書いてある。確かに定価を消してその半額値がついている。店員が寄ってきて「今買えばその特別価格よりさらに値引きする」と言うので、ダウンジャケットを買ってしまったんです。でも、品物自体の価格から見ると、少しも安くなかったって後で気づいた。暫くしてその洋品屋の前を通ったら、まだ「店じまいにつき、安売り」って赤字でデーンと書いてある。やられたって思いましたね。でも、こういうヤバイことをすると、付けが回る。

 兎屋さんの廃業広告も、一か八かの広告だった。この兎屋の社長は、天狗書院という出版社もやっていて、通俗本を粗製濫造していた。結局、天狗書院の本も読者が離れてしまって、この広告からしばらくして倒産してしまいます。そんなエピソードのある面白い広告です。でも、一回限りの広告で終わっていたら、舌を巻くうまさで、現在にも十分通用します。

「予告」広告

「廃業」の次は、「予告」の広告を紹介します。明治二十一年の出版社敬業社のものです。図(2)を見てください。「此處ニ掲載スル広告ハ明後二十一日ニ記載可仕候間乞フ諸君御注目アランコトヲ」。これしか書いてない。目立ちますよ。余白が生きてる。それで二十一日の新聞を見ると、ちゃんと出ている。図(3)に見るように。三つの書名が並んでいるけれど、よくみると、みな『論理指鍼』。「指鍼」は、今の「指針」と同じ意味。真面目な本ですよ。この本が完結したんですね。四冊目と付録が出た。一冊わずか三十五銭。今までの五冊を合冊にしても売るといっています。革表紙の上等製本にしても、一円二十五銭。さっきの兎屋の本の定価がバカ高だったことがお分かりいただけると思います。

 たった一冊の『論理指鍼』という硬い本の宣伝のために、これだけの宣伝をしてくれている。古きよき時代を感じますが、それにしても、図(2)の広告のうまさ。みんな、二十一日の広告を楽しみにしてしまう。広告表現の技術としてみると、相当なもんですね。一九九七年第一回読売出版広告賞をとった図(4)の『広辞苑』の日めくり式の広告にも匹敵しそうです。昔からセンス抜群のコピーライターがいるのです。

 辞書の広告をいくつか

 今度は、辞書の広告に注目し、斬新な面を備えている広告例を三つ紹介します。まずは、図(5)の山本与助編の『開明節用集』。これが明治九年に出ています。宣伝文句の冒頭に「此書ハ従来の字引を一変し五十韻引にて」と書いてあります。現代の国語辞書は五十音順が普通ですが、それまでの辞書の大半はイロハ順なんです。ですから、五十音順であることは立派なセールスポイント。それを逃さずにしっかり訴えている広告表現です。さらに、この広告は、実物の辞書の絵を入れている。現代の実物の写真を入れる手法をすでに採っているわけです。

 次は、図(6)の『英和字彙』の広告。縦書きは本来、右から左へ進むわけです。なのに、左から読ませる。英語の左横書きを暗示させたんでしょうね。目立たせるための工夫ありと見られる辞書の広告例です。

 最後は、わが愛する『言海』の広告。図(7)は、明治三十九年の発売時の広告。ご覧のように左右にキャッチコピーが付いています。「言海は学問の宝庫」と「言海は智識の源泉」。辞書にこんなふうなキャッチコピーを出すことがそもそも画期的。しかも、長所を列挙しているともみえる。現代の国語辞書の広告表現は、たとえば「引きやすい見出し、豊富な語彙、的確な用例」などとメリットを列挙します。現代のメリット列挙方式の体裁を『言海』の広告表現はすでに備えている。『言海』は、内容もすばらしいが、その広告も新しく現代に連なるものを持っている。

 こんなふうに昔の広告も、結構優れているのです。

(以上、148号)


本の広告表現について (下)

本の広告表現のパターン

 昔の広告といっても、結構優れていることを前回お話しました。昔の広告は、観察すればするほど原理的には驚くほど進んでいるんですが、それでも時の流れに従って広告表現技術は進歩している。その進歩してきている面に、今回は重点を移しつつ、本の広告表現について述べてみたいと思います。

 まず、本の広告の仕方にどんなタイプがあるかを整理してみます。三通りあります。一つ目は書名や著者名や定価といったものをシンプルに掲げただけの広告。前回の兎屋さんの宣伝みたいなものですね。二つ目は、そのうえに本の内容紹介をつけたもの。内容紹介は、詳しいものから簡単なものまでさまざまですが、その違いは問わず、とりあえず内容紹介まで付されている広告。三つ目は、そのうえにキャッチコピーなどをつけて、目立たせるための視覚的な工夫をした広告です。本の広告の始まった江戸時代から、現在にいたるまで、単行本の広告は、この三通りのどれかに属します。

 古い広告ほど、一番目のシンプルな広告が多く、現在に近づくほど、三番目の広告形態が増えるという傾向があります。つまり、視覚的な面で広告表現は進化しているといえます。

アイドマの法則

 さて、面白いのが、二番目の広告です。昔の広告ほど本の内容紹介が丁寧です。内容紹介に全精力が注がれている。例えば、図①の明治八年(一八七五年)の『暴夜物語』の広告を見てください。書名が埋もれている感じです。目立たせるという配慮は、ほとんどなされていない。でも、長い内容紹介を丹念に読んでみると、驚くべきことがあります。まだ広告表現の研究なんて進んでいない時代の広告なのに、後にアメリカで言われる AIDMA(アイドマ)の法則をきちんと具現しているんです。

 AIDMAの法則というのは、買う気のない消費者にその商品を買わせるように仕向ける広告表現の理論です。まず、消費者に商品への「注意 (Attention)」を呼び起こし、次いで商品への「興味 (Interest)」をかき立たせ、買いたいという「欲求 (Desire)」を生じさせ、それを「記憶 (Memory)」させ、買うという「行動(Action)」に駆り立てるという広告表現理論です。頭文字をとって、AIDMAの法則というわけです。「記憶(Memory)」の代わりに、「確信 (Conviction)」を入れてAIDCA(アイドカ)の法則と言うこともあります。いずれにしても、これらの理論は、二十世紀になって、アメリカの広告業界で考え出されたものです。

楽しみを分かち合いたまえ

 ところで、図(1)は、十九世紀の広告。そんな理論など知らない時代の広告です。なのに、理論どおりに広告表現している。まず、書名の上に、「開巻驚奇(本を開けるやいなや驚き怪しむ)」と、消費者の注意(Attention) を引く表現が来ています。次いで本文の最初の文で「ヨーロッパ小説の奇書の中でも卓越した奇書怪譚本『アラビャンナイト』、読み進めば進むほど予想外の驚異の連続。絶世の珍事」といったことを述べ、消費者の興味 (Interest) を引き起こしている。

 広告文はさらに「造化の博覧場だとヨーロッパ人は猫も杓子もこの本を読んで話題沸騰」といったことを述べ、消費者に買いたい気持ち (Desire) を掻き立てている。さらに広告表現は続く。「かの滝沢馬琴をはじめとする歴々の小説家たちが生きていたら、燃やしてしまいたいと思うだろう。そればかりじゃない、すごくいい挿絵が入ってる。陶然としちゃうよ」と、消費者に確信 (Conviction) を与え、最後に消費者を買うという行動に駆り立てる表現になる。「欧人の楽を分領し玉へと云爾(ヨーロッパ人と楽しみを分かち合いたまえ)」と。AIDCAの法則など知らないのに、理論どおりに広告している。驚きです。先天的に広告表現技術を会得している人が何時の時代にもいるんですね。

 次は、少し時代の下った明治21年(1888年)の本の広告。図(2)の『英文忠臣蔵』の広告です。まず、かなり大きな字で「珍書出版広告」とある。これが、現在のキャッチコピーに連なるものと思われます。「珍書出版」ですよ、と言ってまず消費者の注目を集める。それから本文になると、本の内容を簡略に紹介している。「忠臣蔵の勘平の段を面白く英訳したもの」だと。続いて「すでに大学英語会・共立学校英語会等では、この本を台本にして英語の芝居をやっている」と、権威付けをし消費者に買いたいという欲求と確信を与える言辞を並べ、最後に「その面白味は、一読してよく分かる」と、買う行動を起こさせるような文句で結んでいる。図(1)と比較すると、視覚的な面で工夫をしていることが分かります。

これが読まずにいられるか

 図(3)は、「嵐のやうなセンセイション」と派手なキャッチコピーもついて現代にかなり近づいた広告であることが分かります。「遂に百版!」というサブキャッチコピーも付いている。昭和6年(1931年)の中央公論社の広告。これ、著者が誰なのか、書いてないんですね。でも、この頃ヒットした『女給』という小説といえば、広津和郎さんのものだと思います。モデルがいるんでしょうね。本の内容紹介の中に、「この小説の中から、甘いセンチメントや、生意気なイデオロギーを読もうとすれば失望する。一切の理屈と感傷を排して、語られているのは『事実』です」とありますから。でも、小説ってフィクションの上に成り立っているものだと、私などは思っていますから、「この小説」は「事実」ですと論理的にはなってしまう文を読んでいると、頭の中が混乱してきます。

 また、紹介文の中で太字で書かれた「文学以上の文学」という文にもひっかかってしまうのですが、ともかくオーバーでセンセーショナルな紹介文は、読んでいて妙に面白い。終わりのほうに太字で書かれた文も、煽情的。「これが読まずにいられるか」ですからね。買う行動を促す殺し文句。この広告文は、現在の本の広告に比べて、図抜けて文字による情報が多い。この後、本の広告は本の表紙の写真や著者の写真を入れて、文章のほうを簡略化し、視覚化路線に切り替えていきます。また、ただオーバーでセンセーショナルな表現では消費者をひきつけることができなくなって、読者の感想を入れたりして説得力を持たせようとしてきています。ともあれ、図(3)の広告の出た昭和の初めには広告表現はかなり熟していることが分かります。

出た!お待ち兼ねのキング!

 今度は雑誌の広告を見てみましょう。まずは、図(4)の明治21年(1888年)の広告。『国民之友』という雑誌ですが、すぐには読めない。右下から斜め左上に目を走らせてようやく正解に達する。キャッチコピーは、「最も聡慧なる人民の評議者なり」。こちらはすぐに読めるけれど、もう一つのキャッチコピーが読みにくい。「最も進歩せる輿論の代表者なり」とかろうじて読める。だけれど、値段を知りたいと思うと、新聞を逆さにする以外にない。一番右端に書いてある。前金で1冊8銭。半年12冊で90銭。

 落語では、字の読めない人が新聞を逆さに持ってて笑われてますけど、もしかしたら、こういう広告を見てることもあったんじゃあないかって思いましたよ。目立たせるという点ではなかなかしたたかです。むろん、分かりやすさという面からは問題が残りますけれど。

 次は、図(5)の講談社の雑誌『キング』の広告。大正13年(1924年)の創刊号の広告。これは、現代の雑誌広告の元祖といえるのではないかと思います。現在の週刊誌を彷彿とさせるでしょう。まさに画期的。現在の週刊誌と同じく筆者(や、そこで取り上げられた人物)の顔写真や、小説の挿絵を入れて視覚化している。キャッチコピーは、「出た!お待兼のキング!素晴しい雑誌!」、そして次に、サブキャッチコピーで「定価僅かに五十銭 誰が読んでも面白い雑誌!」。文字も、親しみやすい書体。

 雑誌名の上には絵を入れ、目を引きつけてから雑誌の特色を列挙している。曰く「発行部数日本第一」「新雑誌」「日本で一番面白い雑誌」「素敵な評判」「日本で一番為になる雑誌」「日本で一番安い雑誌」。なんでも日本一と、メリットを列挙して消費者の購買意欲をあおっている。ここまで視覚化されてくれば、現在の広告表現の完成とみてもいいですね。

甘美なること鼈のごとし?

 それから、図(6)の『文藝春秋』の広告は、『キング』と対照的な面があって面白い。昭和2年(1927年)の広告です。写真や挿絵による視覚化ではなく、デザイン化された文字による視覚化。ここに並んでいる作家名は、ほとんどわれわれの知っているような人ばかりですね。この年の七月に自殺する芥川龍之介の「文芸的な余りに文芸的な」も、掲載されています。特価で35銭。キャッチコピーも、『キング』のストレートで直接的な表現に対して、比喩表現を使った文学的なものです。

「絢爛春の如く、新鮮なること 立ての花の如く、甘美なること鼈の如し」。でも、このキャッチコピーは、今からみると少し納得できないことがあります。「甘美なること鼈の如し」の比喩表現です。「鼈」と「甘美」が結びつきにくいんです。今では、「月と鼈」のたとえが有名ですから、「鼈」がどうしてもマイナスイメージを帯びてしまう。当時は、鼈がとろけるようにうまい味わいという認識が一般にあったんでしょうね。この比喩には、時代を感じますが、広告表現技術の進歩という面からは文句ないですね。

 というようなことで、二回にわたって、第二次世界大戦前の本の広告について話してみました。戦前にすでに日本の広告表現は、現在の水準にまで達していたんです。以後は、視覚化・読みやすさの工夫という点で進化してきているだけなのです。 

(以上、149号)


擬音語・擬態語に見せられる

 毀誉褒貶の言語

 私は、若い時からどういうわけか擬音語・擬態語に惹かれ、その研究を続けてきま した。「ワンワン、ニャンニャンといった幼稚な言葉をどうして研究対象にするの?」 とか「意味なんて調べなくても、分かるから研究するまでもないんじゃあない」と、 注意していただいたこともあります。

 でも、私は擬音語・擬態語に惹かれてしまった。なぜなのか? 今回は、どうして 自分が擬音語・擬態語に魅せられ、研究を進めていったのかについての話をしたいと 思います。

 擬音語・擬態語って、人によって好き嫌いの分かれる言葉です。三島由紀夫は、擬 音語・擬態語が大嫌いで、品のない言葉だから、自分は作品の中で使わないようにし ていると言っています。森?R外なんかも好きでなかったらしくって、自身の作品に擬 音語・擬態語を余り使っていません。

 でも、一方では、北原白秋とか草野心平、宮沢賢治のように擬音語・擬態語好きで、 その効果を最大限いかして作品を生み出して行く作家もいます。草野心平なんかは擬 音語・擬態語だけで詩をつくっちゃう。「ぐりりににぐりりににぐりりにに るるる るるるるるるるるるるるる ぎゃッぎゃッぎゃッぎゃッぎゃッ」とか「ぴるるるるる るッ はっはっはっはっ ふっふっふっふっ」とか。前の詩は、蛙の合唱の歌。後の詩 は、後足だけで歩き出した数万の蛙の様子を歌ったもの。

 こんなふうに擬音語・擬態語は、人によって好き嫌いのはっきりしている言語です。 なんだか個性の強い人間に似ていますね。個性的だからこそ、毀誉褒貶相半ばすると いうわけです。

 私はといえば、むろん擬音語・擬態語大好き人間です。第一、日本語の特色と言え るほど、分量が多い。乾亮一さんの調査によりますと、英語では擬音語・擬態語が三 五○種類しかないのに、日本語ではなんと一二○○種類に及ぶ。三倍以上ですね。小 島義郎さんは、広辞苑の収録語彙をもとに同じような調査をしていますが、彼による と、日本語の擬音語・擬態語の分量は英語の五倍にもなります。擬音語・擬態語は、 まさに日本語の特色なんです。

 昔ほど面白い

 擬音語・擬態語は、現代語ですと、大抵の日本人には意味を説明する必要がありま せん。音が意味に直結しているから、日本語の中で育った人には意味は自明です。で も、外国人には難しいんですね。この間も、外国人留学生に「もじもじしないで聞い てらっしゃい」と言ったら、「もじもじってなんですか?」って聞き返されました。 その場にいた外国人留学生たちは、口を揃えて日本人のよく使う擬音語・擬態語の意 味が分からなくて困ると言っていました。日本人にとっては、現代の擬音語・擬態語 は意味の自明な言葉なんですが、外国人には難しい。

 でも、実は日本人にとっても、昔の擬音語・擬態語になると、意味がつかみにくい。 室町時代の資料に「水がめろめろと流るるなり」とか「日がつるつると昇る」などと 出てきます。「めろめろ」も「つるつる」も、現代語にもあるんですけれど、意味が 違っています。現代人から見ると、なんか変っていう感じがする。でも、こういうの は、まあ昔は意味が違っていたんだろうぐらいで、まだ納得しやすい。なかには、存 在そのものが信じられない擬音語・擬態語があります。

 私が、一番最初にひっかかったのは、平安時代の『大鏡』に出てくる犬の声です。 「ひよ」って書いてある。頭注にも、「犬の声か」と記してあるだけなんです。私た ちは、犬の声は「わん」だとばかり思っていますから、「ひよ」と書かれていても、 にわかには信じられない。なまじ意味なんか分かると思い込んでいる言葉だけに、余 計に信じられない。雛じゃあるまいし、「ひよ」なんて犬が鳴くかって思う。でも、 気になる。これが、私が擬音語・擬態語に興味をもったきっかけでした。

 犬は「びよ」と鳴いていた

 調べてみますと、江戸時代まで日本人は犬の声を、「びよ」とか「びょう」と聞い ていたんですね。『大鏡』の写本には、濁点がありません。ですから、校訂者も「ひ よ」と清音のまま記しておいた。当時の実際の発音を再現するとしたら、「びよ」に した方がいいですね。ここで、私は悟った。昔の擬音語・擬態語は、現代語と違って 調べて見ない限り分からない。そして、調べてみると、意外な事実が次々に明るみに 出る。これは、やりがいがある。私が、擬音語・擬態語研究にのめりこんでいった理 由の一つです。

 じゃあ、鶏の声はどうか? 鶏の声は、現在は「こけこっこう」ですね。でも、昔 の文献を丹念にたどって行きますと、江戸時代は「東天紅」と聞いていたことが明ら かになってくる。「とっけいこう」「とってこう」なんていう鶏の声もある。じゃあ、 もっと遡った時代はなんて聞いていたのか? そもそも「こけこっこう」と聞きはじ めたのは何時からなのか? 

 こうして動物の声を写す擬音語の歴史を追究しました。誰も研究していませんでし たから、次々に知られざる事実が明らかになってくる。ついに私は、それらのことを もとに本を書いてしまいました。『ちんちん千鳥のなく声は―日本人が聴いた鳥の声 ―』(大修館書店)です。十年余り前のことです。この本は、動物の声のうちでも、鳥 の声に焦点を当てたものです。今でも、地味に読まれ続けています。

 文化史が見えてくる

 こういうことを追究しますと、文化史が見えてくる。例えば、江戸時代では梟が身 近にいたから梟の鳴き声で明日の天気を占ったりしている。「のりすりおけ」(=糊 を摺って用意しなさい)と聞こえるように鳴くと明日は晴れなんです。「のりとりお け」(=糊をとっておきなさい)と聞こえると、雨なんです。実際は、区別がつかな かったでしょうけど、当時の人が梟の声を聞いて楽しんでいたことは分かる。つまり、 鳥が日常的なレベルで人間に関心をもたれていた。ところが、現在はどうかといいま すと、梟の声なんか聞きたくったって耳に出来ない。鳥の存在から遠く引き離された 現在の文化のありようが浮かび上がってきます。

 また、猿の声。『常陸風土記』では、猿の声を「ココ」と聞いています。でも、猿 を見世物にしはじめた室町時代からは、猿の声は「キャッキャッ」と写すようになっ ています。これは、猿の声が変わったわけではないんです。「ココ」は、猿が食べ物 を食べている時の満足そうな声を写したもの。「キャッキャッ」は、猿が恐怖心を抱 いた時に出す鳴き声を写したものなんです「ココ」から「キャッキャッ」に変化した ところには、猿と人間の付き合いの文化史が浮かび上がってきます。

 場面を効果的に演出する

 それから擬音語・擬態語に魅せられたのは、効果満点の使い方をした場面に出会っ たことも要因です。平安時代末期の説話集『今昔物語集』は、当時の擬音語・擬態語 の宝庫です。その使い方も、巧みです。例えば、「ニココニ」という擬態語がありま す。現代語で言えば「ニヤニヤ」「ニタニタ」って感じの語。こんな話に出てきます。

 修行をつんだ坊さんがいた。師の僧が、その坊さんに「女にはもう誘惑されないか」 と聞いた。坊さんは、修行を積んだ自分になにをいまさら念を押す必要があろうかと 少しむっとした。さて、坊さん、外出の用ができた。川にさしかかると、女の人が溺 れている。坊さんは、女の人を助けてやった。助けた時に触った女の手は、すごく柔 らかい。坊さんは手を握ったまま、「私の言うことを聞いてくれるか」と聞く。女の 人は「助けていただいたんですもの。どんなことでも聞かないことがありましょうか」 と答える。

 坊さんは女を薄の生い茂る野原に連れ出し、思いを遂げようとした。だけど、人が 見るといけないと思って後ろを振り返り、前の方に見返ると、なんと師の僧を押し倒 していたのだった。師の僧は「ニココニ」笑んで坊さんを見ていた。それ、お前、女 犯を犯したではないかといわんばかりの「ニタニタ」した顔。「ニココニ」がなかっ たら、なんということのない話で終わったかもしれない。実に擬態語が効いています。 『今昔物語集』は、場面を盛り上げるのに、擬音語・擬態語を実に効果的に利用し ます。他にも、真夜中、急用で人を呼びに行かなくっちゃならない。おびえながら、 道を歩いていると、いきなり、「カカ」というけたたましい声が夜空に響き渡る。登 場人物も読者もビクッとしてしまう場面に擬音語を使うんですよ。また、男が一人、 あばら屋に泊まっている。怖くて緊張して怯えている時、小さな小さな物音がする。 「コホロ」。「コホロ」が効いているんですね。サスペンス映画もどきに擬音語を使っ ている。一千年昔ですよ。

 掛詞にする

 また、平安時代の和歌を読んでいますと、たとえばこんな歌に出会います。

 ひとりして 物をおもへば 秋の田の 稲葉のそよと いふ人のなき

 『古今和歌集』の歌です。「ただ一人で物思いにふけっているので、秋の田の稲葉 が『そよ』と風に靡くように『其よ(そうですよ)』と相づちを打ってくれる人もい ない」といった意味。「そよそよ」の「そよ」ですが、葉擦れの音を表すと同時に相 づち語の「そうよ」の意味を掛けちゃう。単純な擬音語じゃあなくて、意味を二重に 働かせている。歌には、こういう擬音語・擬態語の使い方が見られます。

 いがいがと 聞きわたれども 今日をこそ 餅食ふ人 わきて知りぬれ

 これは、『宇津保物語』に出てくる歌です。「五十日の祝いとかねて聞き、いがい がと泣く声を聞いていましたが、今日こそ祝餅を召し上がる人をとくに知ったことで すよ」といった意味の歌。「いがいが」が、当時の赤ん坊の泣き声です。現在から見 ると、にわかに信じがたいかもしれませんが、「いがーいがー」としてみると、今の 「おぎゃーおぎゃー」に似ていて納得できますでしょ。赤ん坊の泣き声「いがいが」 に「五十日五十日」の意味を掛けているんですね。

 こんなふうに擬音語・擬態語を掛詞にして二重の意味をもたせる。おしゃれです。 『源氏物語』には、子猫の声を「ねうねう」と写して「寝よう寝よう」の意味に掛け て用いた例もあります。こういう使い方に接すると、擬音語・擬態語は隅に置けない 言語だと思って、ますますのめりこんでしまう。

 人物造型に使う

 今、『源氏物語』が出ましたが、『源氏物語』も只者ではない使い方をしています。 擬音語・擬態語っていうのは、普通、場面を生き生きとさせるために使うんですけれ ども、『源氏物語』には、全く違った使い方が見られます。結論を先に言えば、登場 人物を造型するために擬態語を使うことがあるのです。

 例えば、『源氏物語』前編の女主人公の紫の上は、「あざあざ」という擬態語でそ の人柄が象徴されています。「あざあざ」というのは、色彩が鮮明で目のさめるよう な派手やかさを意味する擬態語。『源氏物語』初出の語ですが、紫の上という特定の 人物の形容だけにこの語を用いています。

 また、「けざけざ」という擬態語があります。これも、『源氏物語』初出の擬態語。 すっきりと際立つ感じの美しさを表す語ですが、これは、玉蔓という美人で賢い女性 にだけ使っています。「おぼおぼ」という擬態語もあります。ぼんやりしていること を表しますが、この語は正体のつかみにくい浮舟という女性にだけ使われています。 そのほか、「たをたを」「なよなよ」「やはやは」も、いずれも特定の登場人物にの み用いられています。つまり、擬態語を登場人物の人柄を象徴させる方向で使っちゃ うわけです。そんなのあり?と思うほど、巧みな使い方です。

『源氏物語』では、黒髪の形容すら人物造型の方向で使われています。『源氏物語』 には、黒髪の描写として「つやつや」と「はらはら」と「ゆらゆら」の三種の擬態語 が出てきます。この三種の擬態語は、どれも髪の美しさをあらわすのですから、美し い髪なら、誰に使ってもいいはずですよね。事実、『源氏物語』以外の作品では、長 い髪の女性なら、だれかれかまわず、三種の語をまぜこぜに使っています。ところが、 『源氏物語』は、違うんです。「つやつや」で、黒髪の光沢美をたたえられるのは、 女主人公格の女性に限られています。一方、「はらはら」で黒髪のこぼれかかる美し さを形容される人物は、美しいけれど脇役的な性格をもつ女性に限られる。

「つやつや」は、髪の毛自体の美しさを意味し、それは繕わなくても整い輝く天性 の美です。「はらはら」は、髪の毛自体の美しさというより、衣服や枕や顔といった 他の物が介在し、それとの調和によってもたらされた二次的な美です。『源氏物語』 の作者は、天性の美を二次的に生み出された美よりも上位におき、「つやつや」を女 主人公格の女性にのみ使用して区別しているのです。

「ゆらゆら」は、小さな子供の髪の美しさに用いています。子供の髪は短いし、子 供は動きますからね。区別して使った理由がよく分かる。他の作品では、「ゆらゆら」 も女性の黒髪の美しさの形容に使い、区別していません。こんなふうに、『源氏物語』 では擬態語を区別して使用して人物造型までちゃっかりすませてしまう。ここまで擬 音語・擬態語を生かせるのは、天才ですね。只者ではない。

 こんなふうに、擬音語・擬態語は、昔に遡ると、目を見張ることばかりです。だか ら、私は擬音語・擬態語の虜になってしまったのです。       

(以上151号)


『源氏物語』味読法

 海外で話す『源氏物語』

 最近、日本人の古典文学離れがすごいですね。学生で卒業論文に古典文学や古典語をやる人は変人扱いと言ってもいいでしょう。でも、勿体ないですよ、日本が世界に誇れるのは、『源氏物語』くらいっきゃないんですから。まあ、これはちょっと言いすぎですけど。

 『源氏物語』の魅力を世界にアピールするのは、日本文化をアピールするのと同じです。今回は、私が『源氏物語』を海外で話した時の反応と自分自身が『源氏物語』に親しんでいった順序をお話し、古典好きの同士を一人でも増やそうという切実な話です。

 私は、四十歳を過ぎてから、アメリカ・カナダ・スペイン・中国などで、『源氏物語』の表現の魅力を講演するチャンスに恵まれました。少しずつ違った内容を話したのですけど、たった一つ、どこの国でもとりあげた場面があります。それは、『源氏物語』の主人公の光源氏が、若かりし頃人妻の空蝉に言い寄った場面です。

 空蝉の寝室に忍び込み、相手を驚かさずに上手に口説き始めるのですが、空蝉は柔らかな態度をとるのだけれど芯の強さがあり、なかなか彼の口説きには乗らない。その様子は、「なよ竹の心地してさすがに折るべくもあらず(=なよ竹のような感じがして、さすがに手折ることはできそうにもない)」とある。その次の文は、空蝉がひどく泣いている様子を描写していて、

「女は心底つらくて、無理無体ななさりようを言いようもなくひどいと思って泣く様子など、全く胸が詰まるようである。気の毒ではあるが、契りを結ばずに終わったらさぞ心残りだったろうにと光源氏はお思いになる(まことに心やましくて、あながちなる御心ばへを、言ふかたなしと思ひて、泣くさまなど、いとあはれなり。心苦しくはあれど、見ざらましかば口惜しからましと思す)」

 さて、私はここで質問します。「空蝉が泣いているけれど、二人はすでに関係を結んだのだろうか、それともこれからなのだろうか」と。日本人でも、余りにもおぼろげな表現であるので、半数の人は、まだ二人は情交を結んでいないと答える箇所です。

 スペインのマドリッド自治大学の大学生たちは、私の質問に爆笑し、「ベッドに入ったに決まっている」と言うのです。理由は、「ここまで行って関係ないはずがない」と主張する。アメリカのメリーランド大学の分校の学生たちもほぼ同様でした。平素の自分たちの生活環境から導き出された答えのようでした。

 それと対極的な答えをしたのが、北京の日本語日本文学関係の大学院生たちでした。彼らは、「二人は絶対に関係を結んでいない」と断固として答えました。「もし関係を結んだなら、そのように書いてあるはずです。それが書いてないのだから、彼らは結んでないのです」と主張しました。私が、「泣いているのは、光源氏に無理強いされて情交を結んじゃったからですよ。その次の文にちゃんと『光源氏は女を気の毒だとは思ったけれど、ものにしないでいたら悔いを残しただろう』とあるでしょ。ということは、もう契りを結んじゃったんですよ」といくら説明しても中国の学生たちは納得せず、「絶対に二人はまだ関係を結んでない」と頑張ってました。この主張にも、彼らの文化が密接にかかわっているように思えました。

 映画のベッドシーンでいえば、ベッドに入るところで電気を消してフェイドアウトし、次の場面は朝になってカーテンを開けるという、『源氏物語』はそういう書き方の文学なのです。だから、想像力を働かせないと、電気を消して眠って朝になったと、ただそれだけのことだと思ってしまう。書かれていない夜の間に男女の秘めやかな営みが入っているのですよ。そう思うことを期待して書かれている文学なんですね。

『源氏物語』特有のこうした朧化の表現方法は、海外に行くと、その国の文化の在り方に合わせて理解され享受される。それを目の当たりにして、面白かったですね。

『源氏物語』の中国語訳

 北京で中国人学生の強い主張にたじろいでいると、中国人の優秀な『源氏物語』研究者の張龍妹さん――彼女は、今年、『源氏物語』の研究で関根慶子賞をとりました――が、私に言うのです。「中国の院生たちの理解は、中国語訳の『源氏物語』の影響もあるのではないか」と。そして、張さんは『源氏物語』の中国語訳についてのこんなエピソードを語ってくれました。

 台湾で『源氏物語』の全訳が出ているが、実はそれより前に北京で、こつこつと中国語訳していた人がいた。豊さんという女流文学者で、この人はずっと『源氏物語』に魅せられ、長い間かかって訳していた。ところが文化大革命の時に、日本文学をやるとは何事かと馘を切られてしまった。彼女の弟は、姉の訳した中国語訳『源氏物語』を大事に保管していて、文化大革命が終わってから、それを出版した。上中下の三冊で、その中国語訳は、文学的香気の高い名訳として評価を受けているという話でした。

 私は、豊子訳『源氏物語』を手に入れて帰国しました。その箇所を開いてみると、やはりまだ関係がなかったように読める書き方になっている。『源氏物語』の朧な書き方は、翻訳者泣かせですね。豊子さんの訳は、中国文化の息を吸った人の訳になっている。ここが、私にとっては、面白くてならないわけです。

 といっても、中国は、同じ漢字文化圏で共通理解のなりたちやすい面が多いのか、日本の古典文学の名訳も多いようです。北京大学の学生と話していたら、「日本の古典を専攻したい」といいます。「どうして?」と聞いたら、「『徒然草』の中国語訳がすごく良かった。あれだけ魅力的に訳せるのなら、自分も日本の古典を中国語にしてみたいと思うようになった」と。翻訳もこんな風に思われたら、訳者冥利につきますね。

『源氏物語』の英語訳

 英語訳の『源氏物語』では、先ほどの空蝉の箇所がどう訳されているのか気になり始めました。そこで、英訳で有名なArthur WaleyのThe Tale of GenjiとEdward G. SeidenstickerのThe Tale of Genjiを開いてみました。ともに該当箇所は、微妙な書き方がしてあるのですが、既に関係を持ったように読める英訳がなされている。

 比較しているうちに、WaleyさんとSeidenstickerさんの訳出の態度の違いに驚かされました。Waleyさんは、『源氏物語』の雰囲気をご自身の言葉で訳出しようとしているのに対し、Seidenstickerさんは、何が言いたいのかにポイントを絞って訳出している。だから、分かりやすさという点では、Seidenstickerさんの訳の方がいい。けれども、Seidenstickerさんの訳だと原文の持っているくねくねした心理描写などが抜け落ちてしまい、要約的な訳文になってしまう。

 Waleyさんの方は、実に丁寧な訳で心理描写なども微にいり細にうがって訳出されている。でも、原文とは違ったWaley流解釈を含んだ心理であったりする。Waleyさん自身が『源氏物語』の世界に入り込み、そこから『源氏物語』を語り出すという感じですね。ちょうど、明治時代の上田敏の『海潮音』や堀口大学の『月下の一群』の名訳のように、半分創作の世界に足を突っ込んでいる。Waley訳もSeidensticker訳もともに味わってみる価値のある英訳です。

 Waleyさんって、とても変わった人だったようです。日本に一回も来たことがなく、また現代日本語も話せない。大学時代に英語を教えてくださった西崎亨先生が、こんなことを話してくださったのを覚えています。 「Arthur Waleyさんに会いに行ったことがあります。平安時代の日本語で話すので、私は全く理解できませんでした」

 Waleyさんは、平安時代の日本語の中で呼吸していたんですね。一方、簡潔に『源氏物語』を英訳なさったSeidenstickerさんには、日本ペンクラブの会場で偶然お会いしたことがあります。少しお話ししましたが、むろん、現代日本語で話してくださいました。

 その他、『源氏物語』は、世界各国で翻訳されています。仏訳『源氏物語』については、比較文学研究者の中山真彦さんが、仏訳できない『源氏物語』の原文部分について論文をたくさん書いていらっしゃる。翻訳すると、原文の雰囲気は失われるけれど、それでも世界各国で翻訳されている。『源氏物語』って、やはり翻訳したくなるような魅力を持った古典なんです。

『源氏物語』の現代語訳

 考えてみると、外国人ばかりではなく、私たち現代の日本人も、一千年前に書かれた『源氏物語』を原文で読めない。実は私も現代語訳の『源氏物語』から入っていきました。

 まずは、与謝野晶子の『新訳源氏物語』を読んだのです。江戸時代までは、注釈書は出ているけれど全訳はない。明治時代の末に出た与謝野晶子『新訳源氏物語』が、現代語全訳の一番最初のものと思います。与謝野晶子現代語訳は、分かりやすいのですが、原文の持つムードを殺ぎ落とした訳なんです。Seidensticker系と言えるかもしれません。訳文がドライな感じがする。

 そこで、次に谷崎潤一郎訳の『源氏物語』を読んでみました。すると、原文のもつ雰囲気のようなものは伝わってくるような気がした。Waley系です。『源氏物語』の雰囲気に浸りたくて、私は谷崎源氏を三回も読んでしまいました。物語の内容がかなり分かってきた、当たり前ですよね、三回も読めば。こういう作家の系譜になる現代語訳のほかに、研究者による正確な逐語訳『源氏物語』も出ています。最初のものは、大正から昭和にかけて出版された吉澤義則『王朝文学叢書源氏物語』です。その後も、研究者による全訳がさまざまの出版社から出ています。

 作家の系譜にある全訳と研究者の系譜にある全訳は、大いに性質が違っています。作家による現代語訳は、概して意味が分かりやすい。研究者による現代語訳は、原文に正確であることを目指して訳すので、どうしても細か過ぎて分かりにくくなる。ですから、まずは、作家の系譜になる全訳『源氏物語』を読んで、『源氏物語』の大体の内容をつかむ。最近は、コミックの『あさきゆめみし』でもいいですね。あれは、『源氏物語』を相当読み込んで書かかれているコミックだと思います。

 おすすめ『源氏物語』味読法

 分かりやすい口語訳『源氏物語』やコミックを読んでいると、必ず原文にこんなこと、ほんとに書いてあるのかしらという疑問がわいてきます。私が、谷崎源氏を読んでいて一番気になったのは、情交場面でした。ほんとにそんなにねっとりしたことが描写されているのかしらと、すごく原文が知りたくなってしまった。

 そこで、いよいよ原文の登場です。原文だけ読んでも分からないことが多いので、おすすめは、分からない部分の現代語訳がすぐに読めるテキスト本です。私が学生の頃は、岩波の日本古典文学大系しか、いいテキストが出ていませんでしたので、これで原文を読み、分からないところは頭注を見ながら読みました。でも、頭注って、注をつける人も分からない時はついていないことが多い。だから、自分で古語辞典を引いたりして、苦労しながら読んでいった。

 今なら、全訳のついた小学館の日本古典文学全集『源氏物語』やあんちょこ形式の新潮日本古典集成『源氏物語』があります。あんちょこ形式というのは、原文の横にセピア色で意味の分かりにくいところの口語訳がついている。最初見たときは、セピア色の訳文が目ざわりですし、「受験参考書みたい」と思ったんですけど、読んでみると結構なアイデアなんですね。

 古典語というのは、基本的な語は七割ぐらい現代語と共通しています。だから原文をそのまま読んでも、ある程度、読み取ることはできる。で、意味のとりにくい箇所になると、横にセピア色の訳が書いてある。ははんと思って読み進められる。さらに分からない時は、頭注を見ると、懇切な解説がしてある。だから、原文とセピア色と頭注だけで、『源氏物語』が味わえる。それに大きさや厚さも手ごろで持ち運びに便利。学生は愛用してます。こうして原文を読んでいると、またまた疑問がわいてきます。

「心も空なり」って、どんな気持?

 たとえば、光源氏の息子・夕霧が、恋焦がれる落葉宮の衣擦れの音を耳にしてすっかりのぼせちゃう場面があります。「心も空におぼえて」と原文にある。セピア色は、「気もそぞろになって」と現代語訳している。小学館本も「気もそぞろに落ち着かなくなって」と訳している。「気もそぞろ」っていうのは、落ち着かなくてそわそわすることだけれど、相手への思いが半端じゃないほど熱烈な時、相手の女性の身動きを感じたら、そんな「落ち着かない」くらいの気持ちで済むのだろうか?

「空なり」っていうのは、頭に、かあっと血が上ってしまってしまうほどの興奮状態を意味するのではないか? 古語辞典で「空なり」を引いてみても、「心が空虚である」とあって、ますます分からなくなる。そこで調べてみようという気になる。一体、『源氏物語』では、「空なり」をどういうふうに使っているのか?

 調べてみると、面白いことが分かります。『源氏物語』で恋に陥った時、心が「空なり」になるのは、真面目で一途な男ばかり。一本気で、一つのことしか見えなくなってしまうタイプの男性だけが恋する女性に対した時に心も「空なり」になっている。ということは、無気力状態を感じさせる「心が空虚である」とか、中途半端な「落ち着かない」とかいう意味ではなく、もっと強烈な恋愛感情を意味しているんですね。恋する女性に心を奪われて心が大空に舞い上がってしまい、自分の身は地上にありながら心ここにあらずといった状態を意味している。

 こんなことを調べながら、『源氏物語』の原文を読む。原文は、現代語訳と違って、いろんなところでごつごつぶつかります。ぶつかっているうちに、だんだん分かってくる。平安王朝の雰囲気は、やはり原文でしか味わえません。時間の流れも現代とは違っています。にもかかわらず、悩める人間の心は同じ。

(以上152号)


『源氏物語』男と女のコミュニケーション

 女だけが使う言葉は?

『源氏物語』の女性たちというと、十二単に身を包み、なよやかな立居振舞をするエレガントな女性がイメージされます。そして、話す声も大声なんかじゃなくて、小声。しかも息を吸い込むようにして話す。だから、使う言葉も男性とは違っているんじゃあないかって思いますよね。事実、いままで婉曲な表現は女性特有であるとか、自分をさす「ここ(現代語でいえば、『わたくし』という感じの語)」の語は女性だけが使う語だとか、禁止表現の「な…そ」という優しい言い方は女性特有とか、さまざまなことが言われてきました。

 私も、女性だけが使って男性は使わないという女性特有語があったら、いかにも平安貴族の女性らしくて面白いなあと思って調査してみたことがあるんです。『源氏物語』の会話文に注目して、女だけが用いる言葉を抽出しようとしました。結果は見事に裏切られました。

 今まで女性特有語とか女性特有表現といわれているものは、『源氏物語』の会話を丹念に調べると、男性も使っているんですよ。女性特有の言葉と言われているものは、女か男かっていう性別ではなくて、単にパーソナリティや場面に左右されているだけの言葉だったのです。

 たとえば、「ここ」は女性が、「まろ」は男性が使う語だと言われていたんですが、すべての用例にあたってみると、男女の区別なくどちらの語も使っている。ただ、折り目正しい人だったり、同じ人でも公的な場面になると「ここ」を使う。一方、くだけた人柄であったり場面になったりすると、「まろ」が使われるという違いなのですね。決して性別によって使い分けのある語ではなかったのです。

 でも、性別によって使い分けのある語はやはりあるんじゃあないかと私は粘ってみました。確かに男性だけが使う言葉はたくさん見つかるんです。「そもそも」「はなはだ」「なにがし」とかの語は、男性しか使わない。

「まま」は女性語

 なのに、女性だけが使うという言葉はなかなか見つからない。必死に探したんですけど、たった一語だけ、見つけて終わりになってしまった。その語は、「まま」。普通は、「めのと」という語で表すんですが、「まま」は、「亡くなった『まま(=乳母)』が言い残していらしたこともありますので」などの文脈で女性だけが使っている。「まま」以外の女性特有語は私には見つからなかった。

 そこで、観点を変えて、コミュニケーションのあり方からとらえたら、男女差がつかまえられるんじゃあないかと考えてみました。まだ誰もそんな調査をしていないので、凝り性の私は『源氏物語』を男と女のコミュニケーションという立場からとらえるという試みをしてみました。そしたら、違いが出てきたんですよ。今日のメインテーマは、この話。

 会話の主導権を握るのは?

 現代ですと、日常会話では、女から会話をはじめても不自然ではありません。むしろ、おしゃべりな女から話しはじめる方が多いんじゃあないかと思えるほどです。

 では、『源氏物語』に見る男と女の会話はどうか? どっちから話し始めるのか? 恋人や夫婦関係の男女の会話場面を228ほど採集して調査してみました。すると、話の口火を切っているのは、93%が男性だったのです。男性が、常に会話をリードしている。会話のイニシアチブをとっているのは、男なんですね。男性であれば、身分が女性より低くても会話の口火きりをしているのです。

 女性が、会話の口火を切る時は、残りの7%。しかも、ごく特殊な場合に限定されています。たとえば、夫が浮気をしていると感づいた時とか、臨終におよんで男性に言い残す必要に迫られた時といった、心理的に追い詰められた時に初めて女性が会話の口火切りをしています。

「ここをどこと思っていらっしゃったの!」

 これは、朝帰りをした夫に妻がまず会話の口火を切った場面です。こういう時は、まさに緊急事態。切羽詰った感情がほとばしり出て、会話の主導権を獲得している場合です。あと、女性が会話の主導権をとっているのは、宮仕え女の場合です。これは、職業柄、男に話し掛けるのに抵抗感がないわけです。こんなふうに、女性が会話の口火切りをする時は、特殊な場合に限られています。228場面中211場面は、男性が主導権を獲得し、会話をリードしています。現代とずいぶん違っています。

 態度で表わす女たち

 現代女性を観察していると、絶対、女の方がよくしゃべる。事実、同じ時間内にどれだけの言葉を発したかという調査を男女別にやって平均をとると、女は男の1.5倍も多くしゃべってますね。

 ところが、『源氏物語』の会話を観察していると、男の方が会話の分量が多い。はて、どうしたことか? じっくり観察してみますと、女は、言葉で返事をする場合ばかりではないんです。言葉を発せずに態度で答えている。

 会話ですから、男が何か言ったら女が答え、また男が発言して、とピンポンのようにすすむと普通は思いますね。ところが、平安時代の女たちは、言葉を発しないで態度で応答する場合がかなり多い。だから、会話の分量が少ないんですね。これは面白かった。女性は、平均して五回に一回は言葉じゃあなくて態度で表わしている。そういうコミュニケーションのとり方が認められていたのです。

 たとえば、光源氏が紫の上とはじめて結ばれた翌日のこと、光源氏が紫の上の機嫌をとって、一生懸命なだめすかす言葉を発しているのですが、紫の上は「全くお返事をなさらない(=つゆの御いらへもしたまはず)」とある。言葉による返事を全くしないでいる態度が、光源氏への返事なのです。

 拒否する気持を、「頭を横に振って」という態度で答えにしている女性、「頷く」態度で、答えにしている女性、「泣く」ことで答えにしている女性。女性の中で、この態度応答をしていない女性はいないのです。言葉による応答ではなく、態度による応答がいかに女性のコミュニケーションのとり方として認められていたかが分かります。今だったら、「泣いてばっかりいても分かんないでしょ! はっきり言いなさい」と叱られそうなコミュニケーションのとり方です。

 男性の方は、態度によるコミュニケーションは許されていないらしく、常に言葉で会話を進めています。時代によって、良しとされるコミュニケーションのあり方が違っている。今は、女性もはっきり言葉に出して言うことに価値のおかれている時代なのですね。

 愛の告白

 愛の告白も、現在では女からすることも少なくないし、別に恥かしいことでもありませんよね。でも、『源氏物語』では、愛の告白表現は、男性のみが口にするものです。そもそも、求愛からして常に男から始めるわけです。男がまず女性に歌を送って求愛する。直接対面の場になっても、男が女に求愛の言葉を述べる。「親しい言葉を語り合う人がほしい。そしたら辛い世の悪夢も覚めるかもしれない」と。契り合った後も、愛の変わらぬことを誓うのは、男性です。

「あの常盤木のように、僕の君を愛する心は変わらないよ」などと。たまさかにかなえられた女との逢瀬で、愛の真実を訴えるのも男です。「こうしてお会いできても、またお目にかかれる夜は稀。いっそこの夢の中に僕はこのまま消えてしまいたい」と。これは、光源氏が藤壺に語った愛の絶唱。

 愛の未練表現も男の口にする表現です。今は人妻になってしまった女三宮に柏木はこう語りかけています。「今は言っても甲斐のないことだけれど、年月が経つにつれてあなたへの思いが募り、こうしてお目にかかってしまった」と。

 求愛の表現からはじめて、愛の告白、愛の誓い、愛の未練、こうした愛情にかかわる積極的な発言は、すべて男性の表現なのです。

 拒否する態度と表現

 現代の女性は、自分の好きなタイプの男性から求愛されたり、愛の告白をされたりしたら、「待ってました」とばかりに素直に喜び、受け入れるのが普通です。

 でも、平安時代の高貴な女性たちは、まずは拒否します。たとえば、明石の上。彼女は、光源氏ほどの人に普通は声もかけてもらえないほどの低い身分の女性。にもかかわらず、光源氏に求愛されても返事をしないのです。態度による拒否表現です。光源氏が寝室に入って愛の言葉を投げかけても、彼女は「お話することは出来ません」という拒否の言葉を返しています。契りを交わすまでは、拒否の態度や表現で応じるのが、当時の女性の普通のやり方です。

 最も信頼できる庇護者と思っていた夕霧から、いきなり恋心を打ち明けられた落葉宮も、夕霧を「浅はかな方」とまで言って拒否しています。

 当時の女性は、いきなり男性に寝込みを襲われ口説かれることもあります。女性付きの女房を男性が自分の味方にしてしまえばその女房の手引きで女性の寝室に侵入することが出来るからです。また、油断をして女性側の人間が鍵をかけ忘れていたりすれば、男性が侵入することが出来ます。たとえば、人妻の空蝉。たまたま同じ家に泊まり合わせ、勝手が分からないために鍵をかけ忘れ、光源氏にかき口説かれました。光源氏は目もくらむほどの美男子。身分も高い。その光源氏が甘い言葉を洪水のように浴びせかけます。「何年も前からあなたのことを思っていたんです」と。でも、空蝉は「人違いでございましょう」と、柔らかな拒否表現で応じています。「とても気分が悪くて。こんなに気分が悪くない時にご返事しますから」と、体調の悪さにかこつけ、相手を和めて女性が拒否する場合もあります。

 常に受身でしかありえない当時の女性としては、拒否表現は極めて重要な女性の表現なんですね。

 愛すればこそ

 男性は、拒否する女性をなんとかものにして、関係を結んだ後、どんな表現を口にしているでしょうか?

 まずよく質問を口にします。関係が出来た後、相手が人妻だったりして秘密裏に関係を続けなければならない時には、「どうやって、あなたにお便りを差し上げたら、いいだろうか?」と、男は女に質問を投げかけます。この手の質問は、密会の別れ際には男性の発する常套表現です。

 また、男性は愛する女性が自分をどう見ているのかが気になります。「昨日の私の舞いをいかがご覧下さったでしょうか?」と、光源氏は藤壺に尋ねています。愛する女性の評価こそ、男性の最も聞きたい事柄の一つです。

 また、光源氏が外出すると聞いて、すっかりふさぎこんでしまった愛らしい紫の君に「僕がいない時は、恋しいかい?」と、聞いています。

 また、薫は、浮舟と契りを結んだ後、 彼女に質問しています。「琴は少しおひきになりますか?」 

 琴の上手に弾けない浮舟には辛い質問ですが、薫は彼女を教養ある女性に仕立て上げてやりたいんですね。男たちは、愛する女性に絶えず質問をしては、相手の女性をよりよく知りたい、相手の女性の心を確認したいと思っているのです。その証拠に、男たちは、問題にするに足りない宮仕え女やしっくり行っていない妻に対しては質問表現をしていないのです。愛すればこその質問表現なのです。

 同じように、女性に教えたり言い聞かせたり要求したりする表現も男性の口にする表現パターンの一つです。光源氏・夕霧・薫・匂宮など、男性たちは、いずれも教え・言い聞かせ表現を使って女性たちをリードしています。「女は気だてが素直なのがいいんだよ」とか、「気の持ちようで、人はどうにでもなるんだよ。心の広い人は幸せも大きい。心が穏やかでおっとりした人は寿命の長い人が多いのですよ」と。

 あるいは、「嘘を言って聞かせる人の言う事など、聞き入れなさるな」とか「僕に従ってください」とか「お湯を召し上がれ」などとという要求表現も男性は使っています。女性をリードするのが男性の役目だったのです。

 上手に嫉妬

 受身の立場にある当時の女性たちは、拒否表現のほか、時には相手の男性の発言に柔らかく反論したり、異論をとなえたり、逆に同調や同意を表現したりすることに特色があります。

 また男性が結婚前に恨みの感情表現をするのに対し、女性は結婚後に恨みの感情表現をするという面白い傾向もありました。当時は一夫一妻多妾制ですから、結婚後女性は常に不安定な立場におかれています。夫に新しい愛人が出来たと察知するや否や、夫の心をつなぎとめねばならないのです。そのためのうまい嫉妬表現が必要なのです。焼けぼっくいに火が付いた光源氏に、妻の紫の上は涙ぐみながら、こう言っています。

「ずいぶん若返ったお振舞いですこと。昔の恋を今さらむしかえしなさるので、寄る辺のない私としてはつらくて。」

 嫉妬心から、夫に灰を浴びせかけた女性もいますが、これは失格。ますます夫の心は離れます。上手に嫉妬表現のできることが女性に求められていたのです。

『源氏物語』を男と女のコミュニケーションから読んでいくと、平安貴族の男性優位の社会構造が顕著な形で浮かび上がってきます。『源氏物語』は、むろん、フィクションを加えた物語。事実そのものとは違った面があります。でも、平安時代の他の物語で確認してみると、『源氏物語』ほど鮮やかではありませんが、男性優位のコミュニケーションのあり方は同じです。では、庶民階級の男女はどうだったのでしょうか? 私の次の研究課題の一つです。

(以上153号)


1 日本語が外へ出るとき(上) (141号)
2 日本語が外へ出るとき(下) (142号)
3 敬語をこう考える(上) (143号)
4 敬語をこう考える(下) (144号)
5 大型辞典が求められるもの(上) (145号)
6 大型辞典が求められるもの(中) (146号)
7 大型辞典が求められるもの(下) (147号)
8 本の広告表現について(上) (148号)
9 本の広告表現について(下) (149号)
10 擬音語・擬態語に見せられる (151号)
11 『源氏物語』味読法 (152号)
12 『源氏物語』男と女のコミュニケーション』 (153号)

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