●辞書編集の楽しみ −『大辞林』とこれからの辞書について

倉島節尚(くらしま・ときひさ 大正大学教授)

(「ぶっくれっと」138号掲載)
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 20万語をどう選ぶか

 辞書についての話をすると、いちばん多く出る質問が、「項目選定はどうやるんですか」というものです。『大辞林』のような大型辞書とふつうの辞書ではちょっと基準は違いますが、一般的にいえば、まず国語辞典として基本的に載せなければならない項目があります。つまり、基本語というもので、これをはずしちゃうと国語辞典の用をなさなくなってしまいます。まずこれを選択する。

 この選択は、わりと客観的にできます。たとえば、小規模の辞書でも数種類のものが共通して載せている語であれば、それは採用しましょうと決めることができる。これは『大辞林』でも、3万語までいくかどうかという程度、案外少ないものです。それがまず核になる。その次に、携帯版の辞書が収録している語です。『三省堂国語辞典』とか『岩波国語辞典』というクラスの、6万から7万語くらいの範囲を次の段階で選びます。

 さらにその上の辞書、『広辞林』や『学研国語大辞典』あるいは『新潮国語辞典』など、10万から15、6万語規模の辞書が採用している範囲の語ですね。ここで、古語を載せるかどうかの問題があります。現代語中心の辞書だったら考えなくてもいいことですが、『大辞林』は古語まで収録したので、この段階で『新明解古語辞典』のような古語辞典、だいたい四万語くらい載っている中から採ることになる。

 その次に、百科項目です。人名、地名をはじめ、これは膨大なものの中から選ばなければいけません。とはいっても、もちろん百科事典ではなく国語辞典なのだから、守備範囲といいますか、おのずと制約があって、そんなに専門的なものは載せられない。『大辞林』では、その収集は分野ごとに専門家に頼むことにしました。そうして専門家に集めてもらったものから取捨していったわけです。

 最後に、全体の分量を見ながら足していくのが新語です。刊行時に向けて新しい言葉を用意しておいて、最後に入れる。ということは、3万ぐらいの基本語が核になって、あと同心円状に広がっていくという形ですね。その中心に向かうほど客観的な方法で、たとえば六種類以上の辞書が載せている語といった多数決のような方法で決めることができますけれど、外へ広がっていくに従って、選ぶ人の主観がどうしても入ってきます。それに、ある項目を入れると、関連したものとか、同レベルのものとか、バランスをとるために入ってくる項目もあります。

 私の体験では、自分の知っていることとか関心のある分野は、どうしても多くなるというか、細かなところまで採ってしまう。自分との距離が離れている分野ほど、基本的なものしか採用しないという傾向があります。それから、当然その辞書自体の方針がある。編集委員の方々や編集の責任者が、「この辞書はこういう性格をもたせるから、この分野は厚くしよう」という方針です。

『大辞林』の場合、国語辞典として最初から日本語と日本の文学にかかわるものは厚めにという方針がありました。ですから、文法用語や文学用語、文学関係の固有名詞は他の分野よりも厚く、詳しく書かれています。それは国語辞典だから、そうしようという編者の意向があるわけで、百科項目が多いとはいっても、比重からすれば、国語、国文のほうにウエイトがかかっているわけです。

 辞書編集の今後

『大辞林』の初版(1988)というのは、要するに原稿用紙(『大辞林』には専用のものがありました)にペンで書いた、その最後のころの辞書といえるかと思います。原稿用紙一枚に一項目ですから、20万項目の辞書は20万枚の原稿があった。それを印刷所は手組みで組んでいって2600ページ、つまり一ページ約6000字の活字が木の枠にぎっしりつまったものが2600個あったわけです。組み上げるのも大変ですが、それを置いておくスペースも並大抵のものじゃない。

 それが、80年代後半からだんだん編集にパソコンが使われるようになって、現在はコンピュータ抜きの編集は考えられなくなりました。2600ページが一台のパソコンにらくらくと入ってしまう時代です。原稿も手書きからワープロやパソコンへ、組版も手組みからコンピュータ入力へと、編集の手段も方法もずいぶん変わりました。

 まず語彙項目がカードではなく、コンピュータに入ったリストになり、原稿もフロッピーで返ってくるようになったわけです。しかし、編集方法は変わったけれど、辞書づくりの基本のところは変わってないと思う。語の収集の仕方にしても、実際に書かれているものを見ないといけないわけだし、そこから拾わなければいけない。これは機械はやってくれません。

 このコンピュータの問題はこれからの辞書編集について考えるとき、当然、重要な要素になってきます。その場合、二つポイントがあると思うんです。

 一つは、検索が非常に多彩になったということです。現在の電子辞書の多くのものは、活字のデータが電子化されて、それを使ってコンピュータで読めるようになっている。検索もコンピュータのプログラムでできるようになっているわけです。それは紙に印刷された辞書とは違う機能をもってますから、たとえばうろ覚えの言葉が引ける、言葉の後ろ半分から、あるいは前半分からでも引けるとか、時には解説の記述の中のキーワードから見出しを探すことができる。つまり、意味のほうからも逆引きができるということで、これは印刷辞書では絶対できなかったことです。

 辞書を作る側からすると、改訂が非常にやりやすくなったということでもあります。たとえばドイツが統一されて、その関連の記述を整理しなくちゃならなくなった。そのとき、「ドイツ」「西ドイツ」「東ドイツ」「ベルリン」「西ベルリン」「東ベルリン」などなど、いくつかのキーワードを用意しておいてコンピュータに探させる。そうすると、たちどころに「ここに、点検すべき場所があります」と教えてくれます。そこを見ていけば、おおむね大丈夫です。もちろん「東ベルリン」のまま残さないといけない項目もありますから、それは点検する。というふうに、改訂のときにはコンピュータの機能によって処理した例がいくつもあります。

 もう一つは、外国人のための日本語辞典という問題です。今いろいろな分野で、いろいろな目的で、日本語を勉強している外国人学習者の数は20万人とも30万人ともいわれています。その中には、自分の国の日本語学校で勉強している人もたくさんいるんです。ところが、その人たちにとって使いやすい、役に立つ日本語辞典はないといっていいんですね。

 これをどうやって作るかという問題です。日本語を学ぶ人の母語が何語かということとも関係します。一種類作って、あとはそれを各国語に翻訳すればいいということにはならないんです。たとえば、北京語を母語にしている中国人のために日本語辞典を作る。しかし、それをベトナム語に翻訳して使えるかといったらやはり駄目でしょう。

 辞書というのは、英語やドイツ語というメジャーな言語の場合も、またマイナーな言語の場合も、作る手間は同じなんです。これをコンピュータの機能を駆使することで、各言語ごとに、日本語を学ぶ人の役に立つような辞書を作ることができないかと考えているところです。

 ただし、商業主義ではとても無理でしょうね。日本が文化の面で国際化しようとするならば、日本語を理解する人がたくさんいることが必要です。そのためには、本当に使える日本語辞典を作らなくてはいけない。ちゃんとした外国人用の日本語辞典がないというのは、文化国家というにはあまりに情けない状態ではないか。これはなんとかしないといけません。

 コンピュータ用の辞書とは

 今ちょっとお話したように、電子辞書の大半は活字で印刷するためのデータが電子化されたものです。それでは、印刷することを考えない辞書、コンピュータのためのコンピュータ辞書とはどういうものか。電子化辞書研究所(EDR)が作ったものがありまして、一応使えるようになっています。

 コンピュータ辞書の特徴として、たとえば同じ分野に属している項目はすべて同じ構造で書かれるということがあります。「ビーグル犬」を例にとりますと、まず動物、その中の脊椎動物、その中の哺乳類、その中のイヌ、その中のビーグル犬というふうにずっと意味の階層がそろっているんです。どの種類の犬を見ても、全部同じ構造になっているわけです。

 人名の項目の場合、作曲家にしても指揮者にしても、まず音楽家と書かれます。音楽家の中の作曲者であり、音楽家の中の指揮者というふうに。ですから、もしこれが印刷されたら、ずいぶん無駄の多い記述だと思うでしょう。その量も膨大なものになるはずです。コンピュータの場合、量の面ではほとんど制限がないといえますが。

 また人名の、たとえば「チャーチル」というと、生没年があって、イギリス人の政治家で、経歴があって、業績があってというふうに書かれますが、その記述の構造が、どの人名項目も全部同じなんです。どの人名も同じ条件で引くことができる、というふうに構造化されています。どの分野も、分野ごとにそろった形で書かれているわけで、ある意味で理想的な記述といえるかもしれません。

 ただし、コンピュータ用の辞書のレキシコグラフィー(辞書編纂法)はまだ確立していないんです。私たちは経験的に、紙に印刷する辞書の編纂法を学んできたわけですが、コンピュータ用の辞書のそれは、これから真剣に議論し考えていかなければならないと思っています。(談)

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