「いぎりす」と「おらんだ」

(「ぶっくれっと巻頭エッセイ」NO.131号 1998 JULY)

林 望

 つい最近、講演の仕事で長崎へ行ったついでに、島原まで足を伸ばした。

 島原は、もうずいぶん昔に、松平文庫本の『遊仙窟』などを調べに行ったことがある。まだ大学院の学生の時分で、なんだか懐かしい気がしたのである。

 行ってみると、さすがに二十五年ばかりも昔のこととて、お城の濠の蓮の葉以外には、さっぱり記憶のなかの風景と一致するものもなかった。当時はなんだか軒の傾いだような木造の図書館で畳に座って件の文献を調べたのだったが、それももうとっくに建て直されたらしくて、そんな建物はどこにも見当たらなかった。

 あちこちと散策しているうち、私は文献以外に、もう一つのことを思い出した。

 そういえば……、あのとき、島原のごちゃごちゃした商店街の小さな食堂で、初めて「皿うどん」というものを食べたのだった。

 今でこそ、長崎皿うどんも珍しくなくなったが、あのころは、あくまでもローカルな食べ物に過ぎなかった。だから、東京生まれ東京育ちの私が、それまで皿うどんを食べたことがなかったとしても、ちっとも怪しむにはたりないのである。

 食べてみると、それは、なんともいえず美味しかった。いわゆる堅焼きそばの親戚のような佇まいの所へソースをぶちまけて食べる、というのがまた珍しかった。

 できることなら、昔行ったあの食堂で再び皿うどんにまみえたいと思ったが、残念ながら探しあてることができなかった。

 それで商店街をうろうろしていたら、「いぎりす」というものをみつけた。

 「元祖、いぎりす、あります」などと書いた札が立ててある。はて、「いぎりす」とはなんだろう。私は、その総菜などを並べている食料品店の店先で、しきりと首を捻っていた。すると人のよさそうなおかみさんが、「ちょっと試食してみますか」と言って、さっさとパッケージを開き、包丁で切って気前よく食べさせてくれた。

 すると、これが、なんだか薄甘い醤油風味の寒天寄せ風のもので、特筆するほどの味わいでもなかった。「どうして『いぎりす』なんです」と訊ねると、「海草ですもんね、材料が」と、答えになっていないような答えが返ってきた。また別の店に行って、その「いぎりす」の由来を訊ねると、やっぱり「海草ですからね、材料が」と同じようなことを教えてくれた。

 どうやら、「いぎりす」という海草があって、それを煮て作るものであるらしい。それにしても、「いぎりす」なんて海草は聞いたことがない。謎は深まる一方であった。

 それから、また歩いていると、今度は「本家○○家のおらんだ」という看板に遭遇した。不思議な名前のものばかりある町だ、と面白がって訊ねてみると、そのうちのおかみさんが、これは、ゆで卵をすり身で包んで揚げたものだと教えてくれた。

 結局、これらのすこぶる日本的なる食品にイギリスだのオランダだのという名前がついている理由ははっきり分らなかったが、考えてみると、長崎というところは、西洋文化に接触した最前線だったのだから、こうした不可思議な命名の背後には西洋伝来のなにかがあるのかもしれない、……この伝でいくと、長崎周辺には、イスパニヤやらポルトガルやらいう食べ物もあるかもしれないと思いながら、私は島原を後にした。

(はやし・のぞむ 東京芸術大学助教授)

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