騒々しい街

(「ぶっくれっと巻頭エッセイ」NO.127号 1997 NOVEMBER)

阿川佐和子

 いつから日本はこれほど余計な音を発するようになったのだろう。駅のホームに立つと「まもなく○番線に電車が入ります」というお馴染みテープ音声が聞こえてきて、横のエスカレーターでは同じくテープの声で「手すりにおつかまりください」を飽きもせず繰り返している。電車が出るときは、お洒落な(と言われているらしき)電子音の発車ベルが鳴り続け、またもやテープの声で「まもなく発車します」。続いてその英語版の声が流れたあと、さらに肉声で車掌さんが「発車しまーす」と叫ぶ。

 駅だけではない。車に乗って駐車場に着くと、「カードをお取り下さい」と、可愛げな声が迎えてくれる。取らないうちは何度でも繰り返す。わかってます、わかってますよ、今取るから急かさないでよ! と叫びたくなる。だいたい常識的な人間ならば、駐車場のゲートでカードを取ることぐらい、指示されなくてもわかるだろう。たとえ知らなかったとしても、機械からカードが飛び出せば、何をすべきか判断がつくというものだ。

 文句ついでにもう一つ挙げれば、銀行もしかり。現金自動引き出し機の賑やかなことには毎度驚かされる。「カードをお入れ下さい」「暗証番号を押して下さい」「現金をお取り下さい」と、一台だけでも充分賑々しいのに、それが五台も六台も横に並んで、同じ台詞を連呼するのである。そのうえ銀行入口では人が通るたび、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」がわめき続け、奥のカウンターからは、「○○番のカードをお持ちの方、○番の窓口へお越し下さい」とテープのご案内。その声に反応がないとようやく係の女性が肉声で、「○○番の方、いらっしゃいますか」と呼び出す仕組みになっている。

 業務がお忙しいのはよくわかります。合理化を考えたい事情も理解しましょう。安全性を重視して念入りなサービスが大事だと思っておられるのかもしれません。しかし、過剰サービスや電子音声がどれほど人間本来の持つ、「自分で考えて行動する能力」や「騒音を不快と思う感性」などを破壊しつつあるかということも、同時に考えていただきたい。

 最近は(だいぶ昔からあるものもあるが)、心を和ませるという目的で、コンピュータ合成音による鳥のさえずりや川のせせらぎなどが氾濫し、心が和むどころか、かき乱される思いだ。つい先日も金沢のホテルの前で、秋の虫のあざやかな声が聞こえてきた。

 「あら、これホンモノの虫かしら」

 「いや、どうせ電気でしょう。ホンモノがこんなにはっきりくっきり、鳴くわけないよ」

 「第一、近づいて鳴き止まないもの。やっぱり人工音ね」

 一緒にいた仲間と勝手に納得し、皆で憤慨する。よし、ホテルの人に言ってやろう。こんなに自然に恵まれた文化の香り高い街で、余計なしつらえはかえって興ざめいたしますと。怒った勢いでフロントに向かい、できるだけ冷静な声色で質問する。

 「あのう、つかぬことを伺いますが、あの入口の虫の声は作りものですか?」

 するとホテルマンがにこやかに、

 「いえ、そういう設備は当方、ご用意しておりませんで。おそらくホンモノの虫かと存じますが……」

 ほらもう。電子音に飼い慣らされた人間は、虫の声の美しさすら、聞き分けられなくなってしまった。

(あがわ さわこ・エッセイスト)

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