そうですね、ちょっと長くなるかもしれませんが、『新明解国語辞典』の歴史ですね。これは最初、昭和十八年です。まず「新」のつかない『明解国語辞典』というものが出た。そのころ三省堂に『広辞林』というよく売れた辞書がありましたが、これは大きい辞書で、それに対する『小辞林』という、小さな、ポケットに入る辞書があったんです。これの語釈が文語で書かれていた。その文語を口語に書き直し、さらに編者の金田一京助先生、私にとって先生ですけれど、金田一先生の企画で、発音というか、音声について他の辞書にない考えを盛ったものが、昭和十八年に出ました。
その文語から口語への書き換えは、当時大学院の学生だった見坊(けん/ぼう)豪紀(ひで/とし)さん(この人はのちに『三省堂国語辞典』の主幹になります)がひと夏で書き換えたそうです。そして編集の仕事も終わって、印刷をしようとしたところが、昭和十八年というのは紙がないんですね。つまり統制経済のころですから、紙は配給です。そこで、どういういきさつがあったのか知りませんが、海軍が持っている紙の枠をもらって、その紙で初版を出したという。ですから、とうてい欲しい人全部に渡るということは望めなかった。そういう時代です。
それから戦後、一九五二年に改訂版が出て、このころから非常に評判が高まったと思います。そして新装版と称するものが一九六七年に出ました。私は、ここまでをこの辞書の第一世代だと思っています。
ついで一九七二年に、「新」という字がついた『新明解国語辞典』が出ます。これが、赤瀬川さんが「新解さん」と名づけた、山田忠雄さんの編集主幹ではじまった辞書の初版になります。一九八九年にはその第四版が出て、そしてこの十一月三日に、第五版が出ることになっています。『明解』から数えて、もう五十年以上になる。その上、出版総部数が一七〇〇万部だという。
そういうことから、この『新明解国語辞典』は「国民的辞書」だというようなことが言われはじめております。事実、一九七三年にコンピュータが導入されて、電総研(電子技術総合研究所)で、辞書をコンピュータに入力しなくてはいけない、電子辞書というものを作らなければいけないということになって、一冊この『新明解国語辞典』が選ばれたんです。現在は無数に電子辞書ができておりますが、最初の電子辞書の対象になったのがこの辞書だった。そういうことで、なるほど「国民的辞書」ということになるのかなと考えております。
さて、さっきの見坊さんも亡くなりましたし、山田忠雄さんも昨年二月に亡くなったということで、第二世代もこれで終わる、今度の第五版で終りということになります。二十一世紀はこの辞書の第三世代ということになります。